私にとって真南風は、暮らしの中の布づくりを示してくれた一番大切な存在だ。
沖縄八重山・西表島の紅露工房に行き、畑や田んぼの周りに生き生きと育っている糸芭蕉を見て、芭蕉を織ることに憧れた。私は沖縄に生まれなかったけど芭蕉が大好きだ。何年も何年も西表に通っているうちに実感したのは、芭蕉だけは「糸でわけてください」とは言うことのできない素材だということ。これは暮らしながら自分で育て、自分で糸にするものだと…。気がついたらヒマラヤの麓で仲間たちと芭蕉を育てて十余年、収穫ができるようになってきた。「忙し
い忙しい…と芭蕉に耳を傾けていないと、芭蕉は自分で倒れてしまう。しっかりと芭蕉の声を聞けると、ちょうどの時に上等な糸芭蕉が収穫できて、隣には子供の芭蕉が育っているよ」と以前に石垣昭子さんから聞いた。今まさにそこのところで格闘している。自然とともにいることはさほど簡単ではない、去年はあんなにすくすくとよく育った藍が今年はなかなか育たない、などいろいろなことがある。素材になる植物と日々対しながら、織物づくりをしていると、素材
の中に、また糸にするすべての手仕事の中に、心がときめくような美の発見がある。
糸の秘めるエネルギー、なりたい形を、できるだけ素直に布にしたいと思う。そして出来上がった布はすべて、西表の海でさらす。それらの布を安心して真砂三千代さんに託す。三千代さんの手になる衣は、糸や布がさらに息を吹き替えしたかのように、生き生きと私たちを包む。だから私にとって、真南風の衣がこの上なく心地良く、カッコイイ衣なのである。
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東京、武蔵野の野原でころげまわって遊び、籠を編む母の背中を見ながら育つ。
80年代は東京やアメリカの美術大学でテキスタイルデザインを学び、在学中は織物をつくりながら自分探しが続く。卒業後、ニューヨークや東京にてテキスタイルデザイナーとして働く。その間も手織りが恋しく、手織りが暮らしの中にあるところ、中南米、東欧、アジアの国々を尋ね、インドに至る。
90年に東京の山里、あきる野に住みついて創作活動をはじめ、インドと日本を行き来するようになる。同じ頃、沖縄西表島の染織家、石垣昭子さんと出会う。
数年後の1997年に服飾デザイナーの真砂三千代さん、石垣昭子さんとともに真南風プロジェクトを始める。
2006年あきる野の仕事場「竹林スタジオ」の敷地内に直営店「竹林shop」をオープンする。
2010年にヒマラヤの麓にganga工房を立ち上げ、まもなくStudio Mumbaiのビジョイ・ジェイン氏に出会う。
2017年に3千坪の敷地に農園、藍窟、染場、機場、縫製場、ギャラリー、を具えたganga maki 工房をビジョイ・ジェインとともにつくりopenする。
現在は年間 9–10ヶ月間 ganga makiで暮らしながら素材となる植物を育て収穫し、繊維、糸、染料としてインド各地の天然素材とともに、織物、衣、ありとあらゆる繊維でできるモノを作っている。短い日本帰国では必ず西表島にも滞在している。