絲絲雑記帳

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竹林日誌 10前/09後/09前/08後/08前/07秋/07夏/07春/06秋/06夏/06春/05秋/05夏/05春/04秋/ 04夏/04春/03秋/03夏/03春/02後/02前/01/99-00
/「建設篇」



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2月15日(木) 真南風2020

 真南風(まあぱい)とは、手短に言うと、石垣昭子・真砂三千代・真木千秋が一緒になり、自然素材を使って、沖縄や八重山の衣裳をベースに、現代の暮らしに生きる衣を現代に紹介しようという試みだ。
 1998年に、今はなきMaki青山店で最初の発表会。それから今年でちょうど20年になる。(当時の様子はこちら)

 先週の2月10日、昨年に引き続き、その八度目の発表会が、ここganga工房で行われる。上写真がそのときの一場面。モデルは建築家ビジョイ・ジェインと真木千秋。(ビジョイは当地がお気に入りのようで、ことあるごとに現れる)

 今回、石垣・真砂・真木の三名がganga工房に集う。そして九日間に渉って寝食を共にする。
 なんでも、次の発表会は、二年後の2020年、東京になるらしい。

 下写真は、縫製工房で打ち合わせをする三人(+織り手の雪絵さん)。
 真南風の帯プロジェクトだそうだ。そういえば今までなかったか!?
 



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2月8日(木) gangaで芭蕉糸

 明日から竹林shopでは「2月のお楽しみ」sale!。きっと賑やかなことであろう。
 こちらganga工房も、沖縄から五人のお客さんを迎えるなど賑わっている。

 今日は西表・紅露工房の石垣昭子さんが、工房メンバーに芭蕉の糸づくりを手ずから伝授してくれた。

 ganga工房には、現在、糸芭蕉の木が数十本育っている。
 今日はそのうち二本を切り倒しての講習会だ。
 そもそもこの糸芭蕉は、まだ新工房建設中の三年前、紅露工房の芭蕉畑からはるばる移植したものだ。(写真1)
 よほど気候があっているのか、石垣さんたちも驚くほどよく育っている。
 夫君の石垣金星氏によると、西表とインドは相性が良いとのこと。そう言えば、西表から移植したインド藍や月桃も、ここganga工房で青々と繁茂している。

 その石垣金星氏(写真1・左端)が芭蕉を鎌で切り倒し、昭子さんが苧剥ぎ(うーはぎ)をする。苧剥ぎとは、繊維を含んだ表皮を剥がすことだ。内側に行けば行くほど、繊細な糸が採れる。

 その表皮を束ねて、灰汁で煮る。(写真右上)
 この灰汁炊きによって、芭蕉の繊維が柔らかくなる。

 次は苧引き(うーひき)だ。(写真2)
 柔らかくなった表皮から、不順物を掻き取る。竹で作ったエービーという道具を使って、繊維だけを引き出すのだ。この道具も、工房敷地に植えた篠竹から作る。写真2は、染師ディネッシュに苧引きを伝授する昭子さん。ディネッシュもすぐ要領を憶えたようだ。

 それに引き続き、苧績み(うーうみ)。
 繊維を繋いで糸にする。この作業は、「紡ぐ」ではなく、「績(う)む」と呼ばれる。繊維を端と端で結び合わせるのだ。(写真3)
 伝授の相手は、絹糸主任のサンギータ。真剣な面持ちで習っている。
 いつも様々なシルクの糸を扱っているサンギータ、昭子さんの指導により、一発で習得する。日本人より早いと昭子さんも驚いていた。

 サンギータは、工房スタッフの中から手の器用な二人を選んで一緒に連れてきた。そして自分の会得した技をさっそく二人に教え込む。(写真4)。インド人は人間同士の距離が近いから、教える時も密着指導だ。
 二人もその期待に応え、早々にマスターする。彼らがしっかり手業を会得すれば、ここgangaでも芭蕉糸を織る道が開ける。
 右側では真木千秋も苧績み作業。やはり昭子さんのところで学んでいる。

 そうやって績まれた芭蕉の糸。(写真右下)。昭子さんに出来栄えを聞くと、なかなか良いとのこと。ムガシルクと交織すれば、とのアドバイスも。どちらも特別な光沢を具えている。もうじきアッサムから手挽きのムガシルクも届く。お楽しみに!




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2月6日(火) タテ糸を作る

 経糸と書いてタテイトと読む。
 ただ、経糸と書いてタテイトと読める人は、あんまり居ないんじゃないか。かく言う私もかつてはおそらく読めなかったろう。それで弊HPでは、「タテ糸」と表記するのである。(読める人ごめんなさい)
 ついでに言うと、ヨコイトは緯糸と書く。これもやっぱり難読だ。タテとあわせて経緯となる。これは訓で「いきさつ」と読む。そもそもは製織用語だったというわけだ。

 製織では、経緯の順番で、まず経、すなわちタテ糸が作られる。
 タテ糸を作る装置を、整経機と呼ぶ。
 ganga工房の第二棟。床も壁も土仕上げの建物に、整経機が収められている。
 今そこで作業しているのが、真木千秋とシャバーズ君。(左上写真)
 千本近いタテ糸をひとつひとつ真木千秋が選び、それをシャバーズが整経台にセットする。
 それを最終的には、左奥に見える大きな木製ドラムに巻き付けるのだ。

 このシャバーズ君。じつは、弊スタジオ最古参のカリスマ織師サジャッドの長男だ。実家は東方ジャールカンド州だが、この近所に父と一緒に住み、工房に通ってくる。ここで働き始めてもう二年ほどにもなるか。英語もできるし、父親譲りの丁寧な仕事ぶりで、今では真木千秋にとって欠かせないアシスタントとなっている。(左中写真)
 今日のタテ糸の長さは30m。それが春夏用のストール15本になる。黄色い糸はベンガル州マルダ産の黄繭ニスタリ種で、それをマリゴールドで染めている。

 タテ糸をつくり終えると、それをビーム(織機の横棒)に巻き取る。これは担当の織師が同僚の助けを借りて行う。(左下写真)。このストールの担当はタヒールだ。左下写真の右側、ピンクシャツを着用。この人もサジャッドの同郷人で、もう二十年くらい前からMakiのために織っている。

 巻き取った経糸が、タヒールの機の上に載っている。(写真右)。今現在は水色のランチョンマットを織っている。それが終わると、このストールにかかる予定である。



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2月4日(日) メヘンディを重ねる

 今日は日曜日。
 ganga工房も休日だ。
 しかし働いている人々もいる。
 我々の世話係とか、代休を取りたい人とか、仕事の忙しい人とか。
 染師ディネーシュはおそらく仕事が忙しいのだろう。今日も出勤して染色に励んでいる。三ヶ月前に夫婦で日本に来た中核スタッフだ。
 ディネッシュの持ち場は、染色棟。(写真左上)
 塗り直した壁が青空に映える。日中の陽差しは強く、日向で作業すると汗ばむほどだ。

 今日はオーガンジーの布を染めている。
 オーガンジーというのは、生糸で織った張りのある薄手シルク生地だ。南インドで織られている。(弊スタジオでは「ミュージアムピース」とも呼ばれる)
 このシルク生地を、まずインド藍で染めてから、メヘンディを染め重ねる。

 メヘンディ(商品名ヘナ)は、インド人に欠くことのできないコスメ材だ。手足を彩ったり、髪や髭染めに使う。コスメで使う時は、みなさんもご存知の通り、赤系の色を出す。
 ganga工房では染色材として、グレーを出すのに使う。
 乾燥葉を購入し、染色棟のカマドで煮沸する。(左中写真)
 プロパンガスを使えば煙くないし、作業も楽なのだが、火遊び好きな我々は、日本でもインドでも薪を焚いて染めをする。染め色はあまり変わらないだろうが、なんとなく充実感がある。

 煮出して、染液を濾過する。(右写真)。
 煙に涙しつつ奮闘するディネーシュ。染液は褐色だ。

 染め上がったオーガンジー布を干す。(左下写真)
 左端に下がる糸カセは、今朝同時に藍染した絹糸。それに比べると、重ね染めの違いがわかるだろう。
 メヘンディのグレーが加わったのだから、より渋く、暗めの紺色になっている。灰紺色というべきか。
 今後ブラウスなどに姿を変える予定だ。きたる夏、灰紺色のアイテムを見かけたら、この汗と涙の一段を思い出していただきたい。



 

2月3日(土) ベッドカバーを織る

 夕暮れ時のganga工房。
 ただ今、午後5時過ぎ。
 日本だったらもう暗いのだろうが、ここ北インド・ウッタラカンド州は、緯度が屋久島くらいで、しかもインドの西部に位置するため、まだ日が出ている。(本日の日没は17:55)
 五つある作業棟の中で、いちばん賑やかなのが、ここ第四棟。ジャカード(紋織)機が四台据え付けられているからだ。足で踏む度に、カシャン、カシャン、という音がする。

 現在、ジャカードの織れる職人は五人いる。そのうちのひとり、織師サラウディンの機には、今、ベッドカバーがかかっている。ダブルのサイズで、幅230cm、長さ260cm。タテ糸はウール、ヨコ糸はタッサーシルクだ。
 上写真、織師サラウディンの向こうにいるのは、スープリア。真木千秋のアシスタントだ。かつて東京五日市の拙宅に二年下宿し、日本語学校に通うかたわら、竹林スタジオでいろいろ仕込まれる。その甲斐あって、今は真木千秋の右腕として無くてはならない存在となっている。
 インドに戻って一年半あまり。多少ふっくらしてインド婦人らしくなってきた。

 ところで、ジャカードでベッドカバーを織るのは、今シリーズが初めてだ。
 二ヶ月ほど前から、タテ糸の色を変えて織っている。最初はライトグレー、次は白。それぞれ十枚ずつ織成した。現在、紺で織り始めている。
 タテ糸はいずれもウール。そしてヨコ糸には天然色のタッサーシルク・ギッチャ糸を打ち込んでいる。
 デザインは「ウネ」と呼ばれるもの。(下写真)。ぱっと見は細いストライプなのだが、よく見ると微妙なゆらぎがある。拙畑の畝(うね)のようなものだ。このデザインのストールは、私ぱるばも冬場によく利用している。

 写真のダブルサイズのほか、幅180cmのシングルサイズもある。
 ベッドカバーとしての用途のほか、間仕切りとか、スローなど、広くインテリア布として使える。



 

2月1日(木) 牛が来た

 十日ほど前から、工房敷地の隅でちょっとした建築が行われていた。
 牛小屋だ。(写真上)
 ヒマラヤ地方の伝統的な建物だ。構造は木で、壁は土、屋根は天然のスレート(つまり自然石)。
 実は最近、近所の山村で古い民家が壊されたので、建築素材を格安で入手できたのだ。もうこのような家を建てる人々も減ってきたのだろう。天然スレートなど当地ではなかなか手に入らないので、我々には好都合であった。
 上写真の右端には、同じスタイルのミニチュア版がある。昨年作った鶏小屋だ。

 牛小屋がほぼ完成した今日、牛がやってきた。(下写真)
 三歳の雌牛と、生後一ヶ月の仔牛(雌)だ。
 十数km離れた山村から、徒歩と軽トラで到来だ。(村までは車道が来ていない)

 真木千秋と比べるとわかるが、普通のインド牛に比べると小振りだ。山村タイプの牛である。
 山村タイプの牛は、搾乳量は少ないが、ミルクの栄養価が高いのだそうだ。
 尻尾が長く、なかなか良い牛だ、とラケッシュ父は言っている。
 さっそく麦わらを食わせていた。なぜ麦わらかというと、糞が緩めだったからだ。牛糞も大事な資源である。たとえば、この牛小屋の土壁も、つなぎは牛糞だ。そのほか、肥料にも、燃料にもなる。

 しかしながら、まず第一は、ミルクだ。
 ただ、しばらくはミルクが飲めるかわからない。というのも、仔牛付きで来たからだ。まだ一ヶ月だから、まず牛乳は仔牛のものだ。しかる後、人間ということになるのだが、果たしていつごろ自家製ミルクにありつけるか…

 山村育ちのラケッシュ母のほか、工房勤務の農婦たちなど、牛の飼育に慣れた人々がまわりに幾らでもいるので安心だ。
 インドは牛が居て完結、という風情がある。
 工房も徐々に体裁を整えつつある。


 

1月31日(水) レミーとビジョイ

 今、ganga工房にはけっこう大勢のお客さんが滞在している。日本から4名、イタリアから3名、そしてインドから2名。部屋が足りないからあちこちに分散宿泊だ。特筆すべきはスタジオムンバイ主宰の建築家ビジョイ・ジェイン。「僕はどこでも寝られるよ」と、ギャラリー宿泊だ。「どうだった?」と聞くと、「すごく快適。貴方も寝てみたらいいよ」と勧められる。
 そして日本からは、レミーちゃんこと建築家・中村好文夫妻と、写真家の雨宮秀也夫妻だ。
 レミーとビジョイ、この建築家ふたりは当スタジオと深い縁があり、また東京の「TOTOギャラリー間」でともに個展を開いたという事もあり、お互い存在は知っていた。しかし、共に多忙な身ゆえ、なかなか会う機会もなかった。
 ところが、今回、奇蹟的に同日に来ganという巡り合わせとなり、当地で初対面。左写真は中村氏の著書を見ながら談笑する両氏。(どちらも首にはMakiのストール)
 ビジョイも写真家とともに来訪だ。イタリア人の写真家であったが、ビジョイ作品の写真集を作製中で、ものすごい機材を使って驚きの撮影風景であった。ただインスタグラムはダメということだったので、その様子はお目にかけない方が良いだろう。
 中村氏もganga工房建設を本にしてみたいとの構想で、雨宮氏と同道。まだ出版社も何も決まっていないが、雨宮氏は四日間にわたって工房の撮影にあたる。
 ビジョイも同様の構想を持っているようだから、うまくすりあわせて良い本を作ってもらいたいものだ。


 

1月29日(月) 知られざる東北インド

 目下、日印関係は絶好調のようである。我々も先年末、商用ビザを申請したところ、思いがけず長期のビザを取得できてビックリしているところだ。きっと日本からの渡航者も増えることだろう。定番の北インドに加え、最近は南インドも人気がある。
 そんな中、日本人にわりと馴染みのないのが、東北インドだ。
 左上地図に見るように、バングラデシュを挟むようにインド本体の右上に飛び出ている。(本体とは最狭部約32kmのシリグリ回廊によって結ばれている)
 左中がその東北部の拡大図。中央のアッサムから時計回りに、アルナチャル・プラデシュ、ナガランド、マニプール、ミゾラム、トリプラ、メガラヤの七州ある。(第二次大戦中、日本帝国陸軍は東辺のナガランド、マニプール、ミゾラムに侵入している。マニプールの州都がかのインパールであり、ナガランドの州都はコヒマ)

 アッサムを中心とするこのインド東北部は、野蚕資源が豊富だ。そのゆえもあって、今回の国際野蚕学会はアッサムの州都グワハティで開催となった。
 野蚕に限らず養蚕業一般は、山がちな土地でも行うことができる。未利用の山地が多いインド東北部では、在来の少数民族に収入をもたらすという意味もあり、期待の大きな産業だ。特に野蚕飼育は樹木の保全にもつながるので、メリットが多い。インドでは近年、野蚕種の産額が大きく伸びている。それもあって今回の野蚕学会は特にインド研究者たちの熱気に包まれていた。(地元でもあるし)

 弊スタジオもアッサムのお世話になっている。州の養蚕局からムガ蚕糸およびエリ蚕糸の供給を受けているのだ。
 ただ、面白いことに、最高級のムガ蚕糸は、隣州メガラヤのガロ山地産のものだ。繊維がしっかりしており、光沢も豊か。もともと高価なムガ蚕糸だが、その中でもとびきり高い。(もちろんウチもそれを使っている)
 今回、学会終了後、現地の友人と一緒に、そのメガラヤ州を訪ねた。
 友人というのは、下写真右側人物、パッチャウ氏。ミゾラム州のミゾ族出身だ。風貌はほとんど日本人だが、国籍はインドである。左側人物は同じくミゾ族のコリン氏。真ん中はコンラン氏で、メガラヤ州のカシ族出身だ。三人ともインド繊維省蚕糸局に勤める研究者である。ただミゾ族とカシ族は言葉が通じないから、英語で意思疎通する。インドだからヒンディー語じゃないの?と聞くと、ヒンディー語は嫌いだという。彼らはいわゆるインド人ではないのだ。宗教もクリスチャンだし。
 友人のパッチャウ氏に夕食に誘われる。焼麺(中華風ヤキソバ)を食べに行こうというのだ。インドで中華!? 私はインドではインド飯以外食わない。しかしよく考えてみると、彼ら少数民族にとって、インド飯も中華も等しく外国料理なのだ。と言うより、たとえば納豆も常食するミゾ族にとっては、中華の方がインド飯より親しみがある。
 ということもあるのか、ここ東北部、特に東北端のアルナチャル・プラデシュ州は、中印国境紛争の地だ。中国とインドが取り合っている。
 中国に支配されたら、きっと経済発展も加速するであろう。それを睨み、インド政府も最近、東北部開発に力を入れている。
 中国とインドのどっちが良い? とパッチャウに聞くと、やっぱりインドだそうだ。多少発展は遅れても、自由には代えられないと…。インドにはいちおう、言論や宗教の自由がある。
 というわけで、まだまだ奥の深い亜大陸である。


 

1月28日(日) ムガ蚕 — 意外な天敵

 インドの至宝、黄金のシルク — ムガ。
 世界的にもその生産は、アッサムを中心とするインド東北部がほとんどを占めている。
 ムガ養蚕に従事するのは、その中でも少数民族に属する人々が多い。我々と同じモンゴロイドだ。
 上写真は訓練センターでムガ養蚕をするボド族の人々。

 下写真は今回の学会にも参加した学生のコーシック君。(右側人物)
 大学で蚕の遺伝子工学を専攻する聡明な若者で、ganga工房にも二度ほど来たことがある。アホム族に属しており、アッサム東部Golaghatにある実家はムガ蚕飼育に従事していたという。
 ところが同君によると、最近、ちょっとした異変が起きている。ムガ養蚕をやめる家が増えてきているのだ。原因はアッサムティー。

 ムガは上写真のように立木に幼虫を放って養蚕する。畑に食樹を植えてムガ農園にするのだ。
 ところが近所に茶園ができると、そこで散布される農薬によってムガ飼育に悪影響が出てくる。
 そのせいでコーシック君の実家もムガ飼育をやめざるをえなかった。
 これは難しい問題だ。というのも、現状では、茶栽培の方が、仕事も楽で収益も高いからだ。同君の親族も茶栽培に転換し始めているという。
 これは思わぬ天敵であった。

 みなさんがアッサムティーを飲めば飲むほど、ムガ蚕は減っていくのである。
 あるいは、無農薬有機栽培のアッサムティーなら、ムガ飼育に影響が出ないのだろうか。


 

1月27日(土) 虫のいろいろ

 アッサムを含む東北インドに野蚕資源が豊富なのは、気候的・地理的に恵まれ、生物多様性に富んでいるからだ。ちょっと専門的になるが、今日は虫々の話。

 野蚕とは、家蚕(桑の蚕)以外で利用されている絹糸昆虫だ。主に ムガ蚕、エリ蚕、タサール蚕、柞蚕、天蚕の五種類。このうち日本に生息するのは天蚕、および中国から移入された柞蚕(さくさん)だ。
 今回、州都グワハティおよび、ブータン国境に近いウダルグリの野蚕の養蚕訓練センターを見学する。農民に養蚕技術を伝授する普及所だ。
 訓練センターには大きく育った野蚕の幼虫がいた。

 上写真はムガ蚕。
 食樹であるソム樹に放たれて育つ。屋外の立木で飼育されるので、半養蚕と呼ばれる。
 幼虫は緑色で、タッサーシルクの幼虫に似ている。近縁種なのだ。
 頭部は褐色で、尾部には黒地に緑の星がある。
 左下の手は私ぱるばのもの。もうじき糸を吐くまでに育っている。

 中写真はエリ蚕。
 雑多な葉を食べるが、一番好むのは蓖麻(ヒマ)の葉だ。エリ蚕の「エリ」もサンスクリット語の蓖麻に語源があり、日本でも別名「蓖麻蚕」と呼ばれる。蓖麻はインドに広く野生し、また蓖麻の実(蓖麻子)を採るために栽培される。またキャッサバの葉もよく食べるので、農業の傍らに養蚕できる。
 訓練センターでは様々な品種が飼育されている。私の手に乗っけてもらって撮影。モゾモゾと良く動く。幼虫の姿はいろいろだが、繭はみんな白色だ。一部、濃いオレンジ褐色の繭を作る品種もあるが、糸にすると灰白色になる。

 ウダルグリ訓練センターの昼食で出たのが、下写真。
 同地はボド族の居住地であるが、ボド族は蚕の蛹(サナギ)を好んで食べる。養蚕の主目的が糸よりも蛹だったりするほどだ。
 写真はエリ蚕の蛹料理だ。エリ蚕の繭は穴が開いているので、煮繭(繭を煮ること)前に蛹を取り出す。家蚕のように蛹ごと煮繭すると、絹のニオイが蛹に移り、蛹の風味をチト阻害する。(だから中国では柞蚕の繭をわざわざ切り開いて蛹を取り出し、食用にしたりする)。
 煮繭前に取り出すエリ蚕の蛹は、それゆえ美味なわけだ。写真の蛹は油で素揚げしている。左側の大きな二つは、繭を作った直後の蛹。チト幼虫っぽい。右側の小さなのは繭を作ってしばらく経ったもの。より凝縮している。個人的には左側の方が、見かけはややグロテスクだがカリッと揚がっていて好みであった。エビみたいなもので、ビールのつまみに良いかも。
 糸を採った後の蛹は、飼料や肥料にするより、人間が直に食ったほうが経済効率が良い。実際、蛹は蛋白質など、栄養豊富だ。昆虫食は人間の未来を救うとも言われている。



 

1月25日(木) アッサムにて

 今、アッサムに滞在中。インドの東北部にある州だ。
 アッサムというとみなさん紅茶を思い出すだろう。
 しかし我々みたいな染織に携わる者は、野蚕を思い出すのである。
 アッサムは野蚕の王国と言われる。インド野蚕の主要四種すべてを産し、殊にムガ蚕、エリ蚕に関してはその故郷であるとともに、特産地でもある。
 今回当地で第八回国際野蚕学会が開催される。そこで私ぱるばもヒマラヤ山麓ganga工房から駆けつけたというわけ。
 世界十数カ国から三百人近い人々が参加する。研究者、技術者、染織関係者など様々だ。ここインドは近年、野蚕の生産が顕著に増加しており、会場もなかなかの熱気であった。
 左上写真は学会初日の模様。左方の演壇で国際野蚕学会会長・赤井弘博士が冒頭の基調発表をしている。それに先立つ開会式では、赤井会長を始めとする演壇上のお歴々に、ひとりずつエリ蚕のストールが贈呈され、肩に掛けられる。このあたりはいかにもアッサムだ。
 左中写真は、夕暮れの会場入口。学会の舞台となったのは、州都グワハティにある大きなホテルの会議場であった。
 アッサムも今は冬ではあるが、日本で言うと五月くらいの陽気であろうか。まことに快適。日中は日陰に入りたくなるような陽差しだ。

 アッサムと言えば、やはりムガ蚕。世界で最も高価な黄金のシルクだ(天蚕を除く)。アッサムはその九割以上を生産する。
 学会では、研究発表のほか、様々な文化行事も行われる。そのひとつがアッサムの民俗舞踊。(写真右下)。この美しい衣裳はムガ蚕だ。ムガ蚕は天然の黄金色をそのまま用い、そこに赤糸を織り込んでいる。
 この衣裳はサリーではない。メカラ(上)とチャダル(下)に分かれたツーピース。アッサムの民族衣装だ。ムガ蚕のメカラ&チャダルは一張羅であり、アッサム婦人ならみな一着は持っているようである。男の太鼓隊も上衣はムガ製であった。(左下写真)



 

1月19日(金) 新春のタッサーラグ

 昨18日朝、私(田中ぱるば)は北インドのganga工房到着。
 真木千秋は一週間ほど前から当地で仕事をしているが、もう寒さは峠を越えているという。確かに今日は、日中23℃まで気温が上昇し、車に乗っているとエアコンが欲しくなるような陽気であった。しかし夕刻から気温はぐっと下降し、今(9PM)は部屋でストーブを焚いている。インドの家は夏向きにできているので、冬の低温には弱いのだ。

 そんな中、隣州から来客がひとり。手織の織元サジット・カーンだ。25年を超える付き合いがある彼には、現在、木綿カディの織成を委ねている。それに加え、昨年からもうひとつ頼んでいたものがある。タッサーラグだ。
 タッサーシルクを使ったラグは、ずいぶん昔、遥か彼方のインド中部、チャッティスガール州で織ってもらっていた。そのワイルドな趣がけっこう人気で、拙宅でもあちこちで使っている。ただチャッティスガールはあまりに遠く、注文するのもたいへんで、製作はしばらくとだえていた。
 しかしながら、みなさんからのご要望も多く、なんとかせねばと考えていたのである。そこで、タッサーシルクの産地である同州から糸を取り寄せ、織元サジット・カーンに織ってもらうことにした。
 その第一作が昨日届いた。今までに無い巨大ラグだ。幅175cm、長さ300cm。(左上写真)。じつはこれ、ギャラリーの中に敷くのである。
 さっそく水洗いをする。三人がかりだ。(左下写真)。一番手前でホースを持っているのが、先日来日した水場主任のディネッシュ。一番上、真木千秋の横にいるのが織元サジット・カーン。隣州から数時間、バスに揺られて担いできたのだ。
 聞けば、このサジット・カーン、このラグ用に織機を作ったのだそうだ。その写真を見せてもらった。インドでも今は何でも携帯電話に収まっている。右写真がその織機。鉄製で、木綿のタテ糸を上から垂らし、下から太いタッサーシルクのヨコ糸を織り込んで行く。織機を使わなかったかつてのチャッティスガールに比べて、一歩近代化している。
 今後はもっと小さな家庭用サイズのラグも織成する予定なので、請うご期待!


 

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