絲絲雑記帳

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竹林日誌 10前/09後/09前/08後/08前/07秋/07夏/07春/06秋/06夏/06春/05秋/05夏/05春/04秋/ 04夏/04春/03秋/03夏/03春/02後/02前/01/99-00
/「建設篇」



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4月23日(月) パンヤの木

 工房の裏山に一本、パンヤの大木がある。
 前々から真木千秋が目を付けていたものだ。
 この季節、実が弾け始め、白い綿が外に覗くようになった。
 まごまごしていると全部飛び散ってしまう。
 そこで今日、地元の青年に頼んで、採取してもらうことにする。

 上写真、木に二人ほど登っている。
 拡大するとよくわかるが、右側上空には風に乗って綿毛が流れていく。
 左下には工房の屋根が写っている。

 下写真が、下に落ちた綿毛。
 ふんわりとしてパシミナ原毛のようだ。
 よく見ると、真ん中に種子がある。この種子が風に運ばれ、パンヤの木の子孫が拡散するわけだ。
 この種子を除去して、枕などの中綿として用いる。
 木綿とは違って、糸にはしないようだ。

 最近インドでは、ポリエステル綿が主流になって、パンヤはあまり使われないようだ。それで採取することも減ってきている。

 それにしてもあの高さまで平気で登るんだから、ずいぶん木登り上手な連中だ。
 一時間少々で、10kg近い収穫があった。

 まずは私の枕を作ってもらって、使い心地を検証だ。

 




 

4月22日(日) 芒林のジェネレーター

 日曜朝。
 仕事の打ち合わせ中、ラケッシュに電話が来る。
 ジェネレーターが届いたからゲートまで来てくれ、というのだ。

 インドは停電が多い。
 それゆえ、ちょっとした事業所は、自前の発電器が必須だ。
 日本では考えられないが、これがインドの現実である。
 弊スタジオもこれで三台目。
 今度、併設のギャラリーに冷房を設置することもあって、キャパが不足気味なのだ。
 それで思い切って新調する。出力660KVAだという。よくわからない単位だが、先代の三倍ほどパワフルになる。

 敷地内の道の両脇は、芒果(マンゴー)が枝葉を広げ、実をつけ始めている(左写真を拡大すると見える)。ゆえにトラックが入れない。
 それでクレーンで吊るしながら、芒樹をかきわけ、ジェネレーターを運ぶ。赤シャツ姿がラケッシュだ。

 これから盛夏を迎える北インド。
 やっと冷房もつくことだし、来られる人はgallery ganga makiにぜひどうぞ!! 
 (google map にも出ている)



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4月19日(木) 春繭を挽(ひ)く

 今日は朝から糸挽きだ。
 繭は先日購入した当地のローカル春繭である。

 まずは工房の水場で煮繭(しゃけん)する。上写真の奥がカマドだ。
 ただ闇雲に煮るわけではない。温度や時間に何段階もの細かな手順がある。

 そうして煮上がった繭を温湯に移し、糸を挽く。
 今日の挽き方は、「ズリ出し」という最も原始的で時間のかかる手法だ。
 今日は最高気温が35℃、湿度が20%台だから、糸は温湯から出すやいなや、すぐ乾燥してしまう。通常の座繰り機では良い糸にならない。

 それで、機械を使わず、ズリ出しをする。
 80粒くらいの繭から糸を繰り出し、水面のすぐ上で、乾燥する前に、合わせ技で一本の糸にする。(上写真)

 挽いた糸は、カセ上げ機で糸カセにする。(左下写真)
 日本から持参した木製の機械だ。
 奥では織師たちも集まって、ほつれた糸を整えている。やはり糸には興味があるのだ。

 右下写真が今日挽いた糸。
 春繭の糸は透明感があって、やはり美しい。
 幸い人手はじゅうぶんあるので(ちょっと人員過剰!?)、明日からしばらく糸繰りの日々だ。
 

 



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4月14日(土) 繭が来た〈インド編〉

 インド、ganga maki工房もすっかり夏。
 3月初旬から最高気温が三十度を上回るようになる。
 ただ、今のところまだ湿度が低いから、カラッとした陽気だ。

 そんな中、地元の養蚕指導所で、春繭品評会が催される。(上写真)
 ここデラドン地区は、インド国内でも早くから養蚕の普及した土地柄だ。
 そしてこの時期になると、近在の養蚕農家が指導所に収穫したばかりの春繭を持ち寄って販売するのである。
 インドでは、春繭は、グリーン・コクーン(繭)と呼ばれるらしい。なるほどフレッシュな語感だ。

 しかし4月の中旬に春繭とは早い。
 東京・五日市の弊スタジオは毎年6月後半、八王子の長田養蚕から春繭を分けてもらっている。
 インドではその二ヶ月も前に収穫されるわけだ。
 工房のあるデラドン地区では桑が3月早々に芽吹くから、そのぶん養蚕も早く始まるのであろう。

 ラケッシュ夫婦が品評会に出かけ、今日は27kgほどの春繭を買ってくる。
 工房のデザインルームに届いたインドの春繭。(下写真)

 週明けから糸作りが始まる。
 真木千秋が上州群馬で習ってきた座繰りだ。
 もっとも27kgをすぐに繰るわけにもいかないから、三分の一ほど塩蔵する。これも上州で習った繭の貯蔵法だ。
 本家でも珍しくなった伝統の技を、こちらインドでいろいろ使わせてもらっている。

 


 4月8日(日) 山里の農夫

 Maki Textileの用務員である私ぱるばは、最近つとに忙しい。
 というのも、農繁期が始まっているからだ。
 種蒔きのシーズン突入。
 いわゆる有機農法をやっていて、できるだけ金肥は使わないようにしている。
 幸い、竹林スタジオ敷地には巨大なケヤキが何本も生えていて、その落ち葉が肥やしになるのだ。

 数年前、ラケッシュが染め場脇に積んでおいた落葉が、ちょうど良いころ加減の腐葉土になっている。
 今それをせっせと運び出しているところ。
 母屋前庭にかなりの面積を占めているから、運び出すと駐車スペースが増えるし、一石二鳥である。
 多量にあるから、欲しい人がいたらお裾分け致そう。(ただしけっこう砂利が混じっているから、分別が手間である)

 腐葉土というのはたいして養分がないからね、化成肥料みたいな目覚ましい効果はない。
 しかし、できた野菜は美味いと思う。
 拙畑のある養沢の里は、今、まさに花の盛り。
 ソメイヨシノはほとんど散ったが、八重桜とか、枝垂れ桜とか、花桃が咲き競っている。
 一心に鍬を振るう脇を、ハイカーや散歩人が通って行く。
 道を聞かれたり、花の名を聞かれたり、作物を聞かれたり。
 きっと山里の農夫だと思われてるんだろうなぁ。
 (今どき農夫は鍬なんか振るわないのだが)



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3月30日(金) Maki布を使ったafa

 afa「アファ」というのは真砂三千代さんの創る衣。
 三千代さんのスタジオは、三浦半島・葉山にある。
 今日は三千代さん、長途、車をとばして、桜の花咲くここ武蔵五日市の竹林スタジオにお出ましだ。

 三千代さんはつい先日、インドのganga工房に十日ほど滞在する。昨年に次いで二度目のganga訪問である。当地での布作りの様子もよくご存知だ。

 そしてこのたび、三千代さんに、Maki布を使って衣を創ってもらおうという話になる。
 左側の写真は、本日、真木千秋や大村恭子と、反物を見ながら構想を練る三千代さん。真木千秋は昨日インドより戻ったばかりだ。(今回は一週間ばかりのショートステイ)

 実は、今年九月中旬、ここ竹林shopにて、Maki布を使ったafaの展示会を企画している。
 afaの展示会は、Maki青山店以来だ。(たとえば2002年のafa真砂三千代展とか)

 今年は九月ということで、秋冬物が中心となる。ウールを使った生地などは、真木千秋がインドに戻って企画・製作だ。
 久々のMaki布を使ったafa、さて、どんなものになるかお楽しみ。

 三千代さんとは、そのほか、石垣昭子さん+真木千秋とのコラボ、真南風(まあぱい)でも長いおつきあいだ。この真南風展は竹林shopでも開催している。当頁でも先日(2/15)お伝えしたが、真南風の次回発表は2020年。こちらも現在、粛々と進行中である。

 




 

3月15日(木) 春の足音

 昨日から始まった銀座松屋の弊スタジオ展示会。
 初回が確か1993年だから、考えてみれば、今年で四半世紀だ!
 記念品出さないと。(もう遅いか)

 手前に見える看板も上辺が桜色。「春の足音」と書いてある。
 ちとベタなのだが、ちょうど一ヶ月前、インド滞在中に考えたタイトルだ。
 当時、インドは春爛漫。でもきっと日本の3月中旬は三寒四温の時期で、春の足音が聞こえてくる頃だろう…と想像したわけだ。
 ところがなんの、足音どころか、昨日や今日なぞは、去りゆく春みたいな陽気ではないか。
 春風に乗って、真木千秋も昨朝インドより到来。そのまま松屋に直行したのであった。(写真中・右端人物)。今回は帰国というより訪日という趣で、一週間後の21日にはまたインドに向かう。短時日ではあるが日本に戻って、ホッと一息ついた様子。
 私ぱるばにとってもおかげさんで、花粉舞い散る西多摩山中から銀座に出てこられる良い機会だ。「春の足音」〜3月27日。



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3月4日(日) ランチプレート「旅の記憶」

 オカベマサノリ「春色のビーズ」展第二日目。
 ぽかぽか暖かい春の日曜日。
 竹林cafeの厨房に立つのは、ティモケこと北村朋子。(上写真)。年初の「ハギレ市」以来の登場だ。
 今回のランチプレートには、「旅の記憶」というタイトルがついている。

 このティモケ嬢、ハギレ市後、まるまる一ヶ月、インドを旅していたのだ。
 南インドが主であったが、ganga工房にも一週間ほど滞在する。
 各地でいろいろ食べ歩いた成果が、今回の「旅の記憶」というわけ。

 主食はポハ。ライスフレークだ。それをヒマラヤ山村特産のスパイス「ジャキヤ」で炒めている。これはganga工房の朝食によく供されるもので、今回の「記憶」のひとつである。
 スープはラッサム。南インドの代表的なスープだ。酸味と辛味が食欲をそそる。
 そのほか、「菜の花とうどのポリヤル」(下写真・左端)も南インド風だ。
 言うまでもあるまいが、最近、日本でも、南インド料理が注目されている。竹林カフェで時々供するドーサも南インドの料理だ。基本的に菜食で、ココナツや各種スパイスを用いて、野菜の旨味がじつによく引き出されている。私もそれが楽しみでわざわざ南インドに出かけるくらいだ。

 春の野菜がふんだんに、エキゾチックに、盛りつけられたランチプレート。
 ティモケの「旅の記憶」。3月7日まで。




 

3月1日(木) 立米投入

 昨日夜、北京経由で私ぱるば帰国。
 休む間もなく今朝から用務員仕事だ。というのも、明後日からオカベマサノリ「春色のビーズ」展が始まるからである。
 インド滞在中からずっと頭の中で気になっていたのが、母屋の前の地面。
 砂利が敷いてあったのだが、いつの間にか消失し、土が露出していたのだ。雨になるとその部分が水路となり、往来の障害となる。昨夜も大雨であったが、きっと水溜まりになっていたに違いない。なにしろ屋根の面積が広いからね。落ちてくる水の量もハンパではないのだ。
 そこで今日、近所の資材屋さんに頼んで、一立米持って来てもらう。立米とは「りゅうべい」と読む。立方メートルのことだ。
 砂利の一立米はけっこうな迫力だ。四トントラック一杯分くらいある。おかげで、母屋前の地面はすっかり小石で蔽われた。
 もちろん、人力でキレイに整地するのである。それは用務員の仕事。先日の大雪時に買ったのであろう、真新しい雪かきスコップが役立った。
 これでいくら雨が降ろうと平気。(ま、イベント中は降らないで欲しいが。3/3〜3/7)



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2月26日(月) サモサのあるチャイタイム

 工房には、二度のティータイムがある。
 午前11時と、午後4時だ。インドではチャイタイムと呼ばれる。
 左上写真、右端に見える真鍮の円盤が鐘。木槌でカーンと敲かれると、みな、仕事の手を休める。ほぼ同時に、お茶係のマンジュがチャイの薬罐を持って現れ、みんな自分のカップを持って集まってくる。上写真をクリック拡大するとよく見えるが、今、お茶係から織師グラムがチャイを注いでもらっている。(ついでに鐘のすぐ左上に安らう木槌も見える)
 チャイはインドでお馴染み、甘くて濃厚なミルクティー。私ぱるばもときどき御相伴に与るが、じつに美味である。でもちょっと甘すぎるかな。だから通常は砂糖無しのチャイを特別に作ってもらう。
 今日はそのチャイタイムに、各自ひとつずつサモサが配られる。下写真は私に配られたサモサだ。けっこう巨大で、小腹が満ちる。これは、雑務マネージャー・アショクからの差し入れである。彼の長男アビシェークが、今日九歳を迎えたからだ。そういえば一週間ほど前も、誰かの誕生日で、サモサ+お菓子の配給があった。今回は一ヶ月で三度ほどサモサ配給があったか。
 油で揚げたこの美味しいインドスナックと、甘いチャイ(そして激甘菓子)。いちいち忠実につきあっていたら、ちょっと問題あるかも。
 今日私はほとんど腹が減っていなかったので、巨大サモサを食いあぐねる。ちょうどそのとき、工房の愛犬ドグが近寄ってきた。鼻先から尻まで1メートルはある巨大な犬で、一歳になったばかりの甘えん坊だ。そしていつも腹を空かせている。
 そこでサモサをちょっと与えてみると、喜んで食うのだな。さすがインド犬。あまりウマそうに食うものだから、手許に残っていたサモサ半分を、結局全部与えてしまった。それも残らずウマそうに食う。私も助かった。空腹でないのにモノを食うのは体に悪いし。
 右写真は食後、日向に寝そべるドグ。



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2月24日(土) フルオライト

 フルオライトという名のストールがある。
 十数年前に私ぱるばが命名。ワケのわからぬ横文字で申し訳ないが、もともとは「蛍石」という意味だ。

 織るのは名手シャザッド。(上写真)
 二十有余年Makiのために織り続けているベテランだ。真木千秋の信頼も厚い。
 今日も黙々と機に向かっている。

 下写真は、織り上がったサンプルを検分する真木千秋。
 このフルオライト、久々の復活である。
 目立つものではないが、澄んだ春の光を感じる薄絹だ。黄色はインド夜香木、水色はインド藍の生葉染め、ピンクはインド茜。
 30cm×160cmと、サイズも小さめだ。

 最近はパワーストーンとしても注目されている蛍石、斯界では「フローライト」と言うほうが通りは良いらしい。
 淡色に染められたシルクの光沢が、なんとなくその貴石を思わせる。
 羽衣のように軽やかな布だが、もしかしたら癒やしのパワーを秘めているのかも。

 



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2月15日(木) 真南風2020

 真南風(まあぱい)とは、手短に言うと、石垣昭子・真砂三千代・真木千秋が一緒になり、自然素材を使って、沖縄や八重山の衣裳をベースに、現代の暮らしに生きる衣を現代に紹介しようという試みだ。
 1998年に、今はなきMaki青山店で最初の発表会。それから今年でちょうど20年になる。(当時の様子はこちら)

 先週の2月10日、昨年に引き続き、その八度目の発表会が、ここganga工房で行われる。上写真がそのときの一場面。モデルは建築家ビジョイ・ジェインと真木千秋。(ビジョイは当地がお気に入りのようで、ことあるごとに現れる)

 今回、石垣・真砂・真木の三名がganga工房に集う。そして九日間に渉って寝食を共にする。
 なんでも、次の発表会は、二年後の2020年、東京になるらしい。

 下写真は、縫製工房で打ち合わせをする三人(+織り手の雪絵さん)。
 真南風の帯プロジェクトだそうだ。そういえば今までなかったか!?
 



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2月8日(木) gangaで芭蕉糸

 明日から竹林shopでは「2月のお楽しみ」sale!。きっと賑やかなことであろう。
 こちらganga工房も、沖縄から五人のお客さんを迎えるなど賑わっている。

 今日は西表・紅露工房の石垣昭子さんが、工房メンバーに芭蕉の糸づくりを手ずから伝授してくれた。

 ganga工房には、現在、糸芭蕉の木が数十本育っている。
 今日はそのうち二本を切り倒しての講習会だ。
 そもそもこの糸芭蕉は、まだ新工房建設中の三年前、紅露工房の芭蕉畑からはるばる移植したものだ。(写真1)
 よほど気候があっているのか、石垣さんたちも驚くほどよく育っている。
 夫君の石垣金星氏によると、西表とインドは相性が良いとのこと。そう言えば、西表から移植したインド藍や月桃も、ここganga工房で青々と繁茂している。

 その石垣金星氏(写真1・左端)が芭蕉を鎌で切り倒し、昭子さんが苧剥ぎ(うーはぎ)をする。苧剥ぎとは、繊維を含んだ表皮を剥がすことだ。内側に行けば行くほど、繊細な糸が採れる。

 その表皮を束ねて、灰汁で煮る。(写真右上)
 この灰汁炊きによって、芭蕉の繊維が柔らかくなる。

 次は苧引き(うーひき)だ。(写真2)
 柔らかくなった表皮から、不順物を掻き取る。竹で作ったエービーという道具を使って、繊維だけを引き出すのだ。この道具も、工房敷地に植えた篠竹から作る。写真2は、染師ディネッシュに苧引きを伝授する昭子さん。ディネッシュもすぐ要領を憶えたようだ。

 それに引き続き、苧績み(うーうみ)。
 繊維を繋いで糸にする。この作業は、「紡ぐ」ではなく、「績(う)む」と呼ばれる。繊維を端と端で結び合わせるのだ。(写真3)
 伝授の相手は、絹糸主任のサンギータ。真剣な面持ちで習っている。
 いつも様々なシルクの糸を扱っているサンギータ、昭子さんの指導により、一発で習得する。日本人より早いと昭子さんも驚いていた。

 サンギータは、工房スタッフの中から手の器用な二人を選んで一緒に連れてきた。そして自分の会得した技をさっそく二人に教え込む。(写真4)。インド人は人間同士の距離が近いから、教える時も密着指導だ。
 二人もその期待に応え、早々にマスターする。彼らがしっかり手業を会得すれば、ここgangaでも芭蕉糸を織る道が開ける。
 右側では真木千秋も苧績み作業。やはり昭子さんのところで学んでいる。

 そうやって績まれた芭蕉の糸。(写真右下)。昭子さんに出来栄えを聞くと、なかなか良いとのこと。ムガシルクと交織すれば、とのアドバイスも。どちらも特別な光沢を具えている。もうじきアッサムから手挽きのムガシルクも届く。お楽しみに!




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2月6日(火) タテ糸を作る

 経糸と書いてタテイトと読む。
 ただ、経糸と書いてタテイトと読める人は、あんまり居ないんじゃないか。かく言う私もかつてはおそらく読めなかったろう。それで弊HPでは、「タテ糸」と表記するのである。(読める人ごめんなさい)
 ついでに言うと、ヨコイトは緯糸と書く。これもやっぱり難読だ。タテとあわせて経緯となる。これは訓で「いきさつ」と読む。そもそもは製織用語だったというわけだ。

 製織では、経緯の順番で、まず経、すなわちタテ糸が作られる。
 タテ糸を作る装置を、整経機と呼ぶ。
 ganga工房の第二棟。床も壁も土仕上げの建物に、整経機が収められている。
 今そこで作業しているのが、真木千秋とシャバーズ君。(左上写真)
 千本近いタテ糸をひとつひとつ真木千秋が選び、それをシャバーズが整経台にセットする。
 それを最終的には、左奥に見える大きな木製ドラムに巻き付けるのだ。

 このシャバーズ君。じつは、弊スタジオ最古参のカリスマ織師サジャッドの長男だ。実家は東方ジャールカンド州だが、この近所に父と一緒に住み、工房に通ってくる。ここで働き始めてもう二年ほどにもなるか。英語もできるし、父親譲りの丁寧な仕事ぶりで、今では真木千秋にとって欠かせないアシスタントとなっている。(左中写真)
 今日のタテ糸の長さは30m。それが春夏用のストール15本になる。黄色い糸はベンガル州マルダ産の黄繭ニスタリ種で、それをマリゴールドで染めている。

 タテ糸をつくり終えると、それをビーム(織機の横棒)に巻き取る。これは担当の織師が同僚の助けを借りて行う。(左下写真)。このストールの担当はタヒールだ。左下写真の右側、ピンクシャツを着用。この人もサジャッドの同郷人で、もう二十年くらい前からMakiのために織っている。

 巻き取った経糸が、タヒールの機の上に載っている。(写真右)。今現在は水色のランチョンマットを織っている。それが終わると、このストールにかかる予定である。



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2月4日(日) メヘンディを重ねる

 今日は日曜日。
 ganga工房も休日だ。
 しかし働いている人々もいる。
 我々の世話係とか、代休を取りたい人とか、仕事の忙しい人とか。
 染師ディネーシュはおそらく仕事が忙しいのだろう。今日も出勤して染色に励んでいる。三ヶ月前に夫婦で日本に来た中核スタッフだ。
 ディネッシュの持ち場は、染色棟。(写真左上)
 塗り直した壁が青空に映える。日中の陽差しは強く、日向で作業すると汗ばむほどだ。

 今日はオーガンジーの布を染めている。
 オーガンジーというのは、生糸で織った張りのある薄手シルク生地だ。南インドで織られている。(弊スタジオでは「ミュージアムピース」とも呼ばれる)
 このシルク生地を、まずインド藍で染めてから、メヘンディを染め重ねる。

 メヘンディ(商品名ヘナ)は、インド人に欠くことのできないコスメ材だ。手足を彩ったり、髪や髭染めに使う。コスメで使う時は、みなさんもご存知の通り、赤系の色を出す。
 ganga工房では染色材として、グレーを出すのに使う。
 乾燥葉を購入し、染色棟のカマドで煮沸する。(左中写真)
 プロパンガスを使えば煙くないし、作業も楽なのだが、火遊び好きな我々は、日本でもインドでも薪を焚いて染めをする。染め色はあまり変わらないだろうが、なんとなく充実感がある。

 煮出して、染液を濾過する。(右写真)。
 煙に涙しつつ奮闘するディネーシュ。染液は褐色だ。

 染め上がったオーガンジー布を干す。(左下写真)
 左端に下がる糸カセは、今朝同時に藍染した絹糸。それに比べると、重ね染めの違いがわかるだろう。
 メヘンディのグレーが加わったのだから、より渋く、暗めの紺色になっている。灰紺色というべきか。
 今後ブラウスなどに姿を変える予定だ。きたる夏、灰紺色のアイテムを見かけたら、この汗と涙の一段を思い出していただきたい。



 

2月3日(土) ベッドカバーを織る

 夕暮れ時のganga工房。
 ただ今、午後5時過ぎ。
 日本だったらもう暗いのだろうが、ここ北インド・ウッタラカンド州は、緯度が屋久島くらいで、しかもインドの西部に位置するため、まだ日が出ている。(本日の日没は17:55)
 五つある作業棟の中で、いちばん賑やかなのが、ここ第四棟。ジャカード(紋織)機が四台据え付けられているからだ。足で踏む度に、カシャン、カシャン、という音がする。

 現在、ジャカードの織れる職人は五人いる。そのうちのひとり、織師サラウディンの機には、今、ベッドカバーがかかっている。ダブルのサイズで、幅230cm、長さ260cm。タテ糸はウール、ヨコ糸はタッサーシルクだ。
 上写真、織師サラウディンの向こうにいるのは、スープリア。真木千秋のアシスタントだ。かつて東京五日市の拙宅に二年下宿し、日本語学校に通うかたわら、竹林スタジオでいろいろ仕込まれる。その甲斐あって、今は真木千秋の右腕として無くてはならない存在となっている。
 インドに戻って一年半あまり。多少ふっくらしてインド婦人らしくなってきた。

 ところで、ジャカードでベッドカバーを織るのは、今シリーズが初めてだ。
 二ヶ月ほど前から、タテ糸の色を変えて織っている。最初はライトグレー、次は白。それぞれ十枚ずつ織成した。現在、紺で織り始めている。
 タテ糸はいずれもウール。そしてヨコ糸には天然色のタッサーシルク・ギッチャ糸を打ち込んでいる。
 デザインは「ウネ」と呼ばれるもの。(下写真)。ぱっと見は細いストライプなのだが、よく見ると微妙なゆらぎがある。拙畑の畝(うね)のようなものだ。このデザインのストールは、私ぱるばも冬場によく利用している。

 写真のダブルサイズのほか、幅180cmのシングルサイズもある。
 ベッドカバーとしての用途のほか、間仕切りとか、スローなど、広くインテリア布として使える。



 

2月1日(木) 牛が来た

 十日ほど前から、工房敷地の隅でちょっとした建築が行われていた。
 牛小屋だ。(写真上)
 ヒマラヤ地方の伝統的な建物だ。構造は木で、壁は土、屋根は天然のスレート(つまり自然石)。
 実は最近、近所の山村で古い民家が壊されたので、建築素材を格安で入手できたのだ。もうこのような家を建てる人々も減ってきたのだろう。天然スレートなど当地ではなかなか手に入らないので、我々には好都合であった。
 上写真の右端には、同じスタイルのミニチュア版がある。昨年作った鶏小屋だ。

 牛小屋がほぼ完成した今日、牛がやってきた。(下写真)
 三歳の雌牛と、生後一ヶ月の仔牛(雌)だ。
 十数km離れた山村から、徒歩と軽トラで到来だ。(村までは車道が来ていない)

 真木千秋と比べるとわかるが、普通のインド牛に比べると小振りだ。山村タイプの牛である。
 山村タイプの牛は、搾乳量は少ないが、ミルクの栄養価が高いのだそうだ。
 尻尾が長く、なかなか良い牛だ、とラケッシュ父は言っている。
 さっそく麦わらを食わせていた。なぜ麦わらかというと、糞が緩めだったからだ。牛糞も大事な資源である。たとえば、この牛小屋の土壁も、つなぎは牛糞だ。そのほか、肥料にも、燃料にもなる。

 しかしながら、まず第一は、ミルクだ。
 ただ、しばらくはミルクが飲めるかわからない。というのも、仔牛付きで来たからだ。まだ一ヶ月だから、まず牛乳は仔牛のものだ。しかる後、人間ということになるのだが、果たしていつごろ自家製ミルクにありつけるか…

 山村育ちのラケッシュ母のほか、工房勤務の農婦たちなど、牛の飼育に慣れた人々がまわりに幾らでもいるので安心だ。
 インドは牛が居て完結、という風情がある。
 工房も徐々に体裁を整えつつある。


 

1月31日(水) レミーとビジョイ

 今、ganga工房にはけっこう大勢のお客さんが滞在している。日本から4名、イタリアから3名、そしてインドから2名。部屋が足りないからあちこちに分散宿泊だ。特筆すべきはスタジオムンバイ主宰の建築家ビジョイ・ジェイン。「僕はどこでも寝られるよ」と、ギャラリー宿泊だ。「どうだった?」と聞くと、「すごく快適。貴方も寝てみたらいいよ」と勧められる。
 そして日本からは、レミーちゃんこと建築家・中村好文夫妻と、写真家の雨宮秀也夫妻だ。
 レミーとビジョイ、この建築家ふたりは当スタジオと深い縁があり、また東京の「TOTOギャラリー間」でともに個展を開いたという事もあり、お互い存在は知っていた。しかし、共に多忙な身ゆえ、なかなか会う機会もなかった。
 ところが、今回、奇蹟的に同日に来ganという巡り合わせとなり、当地で初対面。左写真は中村氏の著書を見ながら談笑する両氏。(どちらも首にはMakiのストール)
 ビジョイも写真家とともに来訪だ。イタリア人の写真家であったが、ビジョイ作品の写真集を作製中で、ものすごい機材を使って驚きの撮影風景であった。ただインスタグラムはダメということだったので、その様子はお目にかけない方が良いだろう。
 中村氏もganga工房建設を本にしてみたいとの構想で、雨宮氏と同道。まだ出版社も何も決まっていないが、雨宮氏は四日間にわたって工房の撮影にあたる。
 ビジョイも同様の構想を持っているようだから、うまくすりあわせて良い本を作ってもらいたいものだ。


 

1月29日(月) 知られざる東北インド

 目下、日印関係は絶好調のようである。我々も先年末、商用ビザを申請したところ、思いがけず長期のビザを取得できてビックリしているところだ。きっと日本からの渡航者も増えることだろう。定番の北インドに加え、最近は南インドも人気がある。
 そんな中、日本人にわりと馴染みのないのが、東北インドだ。
 左上地図に見るように、バングラデシュを挟むようにインド本体の右上に飛び出ている。(本体とは最狭部約32kmのシリグリ回廊によって結ばれている)
 左中がその東北部の拡大図。中央のアッサムから時計回りに、アルナチャル・プラデシュ、ナガランド、マニプール、ミゾラム、トリプラ、メガラヤの七州ある。(第二次大戦中、日本帝国陸軍は東辺のナガランド、マニプール、ミゾラムに侵入している。マニプールの州都がかのインパールであり、ナガランドの州都はコヒマ)

 アッサムを中心とするこのインド東北部は、野蚕資源が豊富だ。そのゆえもあって、今回の国際野蚕学会はアッサムの州都グワハティで開催となった。
 野蚕に限らず養蚕業一般は、山がちな土地でも行うことができる。未利用の山地が多いインド東北部では、在来の少数民族に収入をもたらすという意味もあり、期待の大きな産業だ。特に野蚕飼育は樹木の保全にもつながるので、メリットが多い。インドでは近年、野蚕種の産額が大きく伸びている。それもあって今回の野蚕学会は特にインド研究者たちの熱気に包まれていた。(地元でもあるし)

 弊スタジオもアッサムのお世話になっている。州の養蚕局からムガ蚕糸およびエリ蚕糸の供給を受けているのだ。
 ただ、面白いことに、最高級のムガ蚕糸は、隣州メガラヤのガロ山地産のものだ。繊維がしっかりしており、光沢も豊か。もともと高価なムガ蚕糸だが、その中でもとびきり高い。(もちろんウチもそれを使っている)
 今回、学会終了後、現地の友人と一緒に、そのメガラヤ州を訪ねた。
 友人というのは、下写真右側人物、パッチャウ氏。ミゾラム州のミゾ族出身だ。風貌はほとんど日本人だが、国籍はインドである。左側人物は同じくミゾ族のコリン氏。真ん中はコンラン氏で、メガラヤ州のカシ族出身だ。三人ともインド繊維省蚕糸局に勤める研究者である。ただミゾ族とカシ族は言葉が通じないから、英語で意思疎通する。インドだからヒンディー語じゃないの?と聞くと、ヒンディー語は嫌いだという。彼らはいわゆるインド人ではないのだ。宗教もクリスチャンだし。
 友人のパッチャウ氏に夕食に誘われる。焼麺(中華風ヤキソバ)を食べに行こうというのだ。インドで中華!? 私はインドではインド飯以外食わない。しかしよく考えてみると、彼ら少数民族にとって、インド飯も中華も等しく外国料理なのだ。と言うより、たとえば納豆も常食するミゾ族にとっては、中華の方がインド飯より親しみがある。
 ということもあるのか、ここ東北部、特に東北端のアルナチャル・プラデシュ州は、中印国境紛争の地だ。中国とインドが取り合っている。
 中国に支配されたら、きっと経済発展も加速するであろう。それを睨み、インド政府も最近、東北部開発に力を入れている。
 中国とインドのどっちが良い? とパッチャウに聞くと、やっぱりインドだそうだ。多少発展は遅れても、自由には代えられないと…。インドにはいちおう、言論や宗教の自由がある。
 というわけで、まだまだ奥の深い亜大陸である。


 

1月28日(日) ムガ蚕 — 意外な天敵

 インドの至宝、黄金のシルク — ムガ。
 世界的にもその生産は、アッサムを中心とするインド東北部がほとんどを占めている。
 ムガ養蚕に従事するのは、その中でも少数民族に属する人々が多い。我々と同じモンゴロイドだ。
 上写真は訓練センターでムガ養蚕をするボド族の人々。

 下写真は今回の学会にも参加した学生のコーシック君。(右側人物)
 大学で蚕の遺伝子工学を専攻する聡明な若者で、ganga工房にも二度ほど来たことがある。アホム族に属しており、アッサム東部Golaghatにある実家はムガ蚕飼育に従事していたという。
 ところが同君によると、最近、ちょっとした異変が起きている。ムガ養蚕をやめる家が増えてきているのだ。原因はアッサムティー。

 ムガは上写真のように立木に幼虫を放って養蚕する。畑に食樹を植えてムガ農園にするのだ。
 ところが近所に茶園ができると、そこで散布される農薬によってムガ飼育に悪影響が出てくる。
 そのせいでコーシック君の実家もムガ飼育をやめざるをえなかった。
 これは難しい問題だ。というのも、現状では、茶栽培の方が、仕事も楽で収益も高いからだ。同君の親族も茶栽培に転換し始めているという。
 これは思わぬ天敵であった。

 みなさんがアッサムティーを飲めば飲むほど、ムガ蚕は減っていくのである。
 あるいは、無農薬有機栽培のアッサムティーなら、ムガ飼育に影響が出ないのだろうか。


 

1月27日(土) 虫のいろいろ

 アッサムを含む東北インドに野蚕資源が豊富なのは、気候的・地理的に恵まれ、生物多様性に富んでいるからだ。ちょっと専門的になるが、今日は虫々の話。

 野蚕とは、家蚕(桑の蚕)以外で利用されている絹糸昆虫だ。主に ムガ蚕、エリ蚕、タサール蚕、柞蚕、天蚕の五種類。このうち日本に生息するのは天蚕、および中国から移入された柞蚕(さくさん)だ。
 今回、州都グワハティおよび、ブータン国境に近いウダルグリの野蚕の養蚕訓練センターを見学する。農民に養蚕技術を伝授する普及所だ。
 訓練センターには大きく育った野蚕の幼虫がいた。

 上写真はムガ蚕。
 食樹であるソム樹に放たれて育つ。屋外の立木で飼育されるので、半養蚕と呼ばれる。
 幼虫は緑色で、タッサーシルクの幼虫に似ている。近縁種なのだ。
 頭部は褐色で、尾部には黒地に緑の星がある。
 左下の手は私ぱるばのもの。もうじき糸を吐くまでに育っている。

 中写真はエリ蚕。
 雑多な葉を食べるが、一番好むのは蓖麻(ヒマ)の葉だ。エリ蚕の「エリ」もサンスクリット語の蓖麻に語源があり、日本でも別名「蓖麻蚕」と呼ばれる。蓖麻はインドに広く野生し、また蓖麻の実(蓖麻子)を採るために栽培される。またキャッサバの葉もよく食べるので、農業の傍らに養蚕できる。
 訓練センターでは様々な品種が飼育されている。私の手に乗っけてもらって撮影。モゾモゾと良く動く。幼虫の姿はいろいろだが、繭はみんな白色だ。一部、濃いオレンジ褐色の繭を作る品種もあるが、糸にすると灰白色になる。

 ウダルグリ訓練センターの昼食で出たのが、下写真。
 同地はボド族の居住地であるが、ボド族は蚕の蛹(サナギ)を好んで食べる。養蚕の主目的が糸よりも蛹だったりするほどだ。
 写真はエリ蚕の蛹料理だ。エリ蚕の繭は穴が開いているので、煮繭(繭を煮ること)前に蛹を取り出す。家蚕のように蛹ごと煮繭すると、絹のニオイが蛹に移り、蛹の風味をチト阻害する。(だから中国では柞蚕の繭をわざわざ切り開いて蛹を取り出し、食用にしたりする)。
 煮繭前に取り出すエリ蚕の蛹は、それゆえ美味なわけだ。写真の蛹は油で素揚げしている。左側の大きな二つは、繭を作った直後の蛹。チト幼虫っぽい。右側の小さなのは繭を作ってしばらく経ったもの。より凝縮している。個人的には左側の方が、見かけはややグロテスクだがカリッと揚がっていて好みであった。エビみたいなもので、ビールのつまみに良いかも。
 糸を採った後の蛹は、飼料や肥料にするより、人間が直に食ったほうが経済効率が良い。実際、蛹は蛋白質など、栄養豊富だ。昆虫食は人間の未来を救うとも言われている。



 

1月25日(木) アッサムにて

 今、アッサムに滞在中。インドの東北部にある州だ。
 アッサムというとみなさん紅茶を思い出すだろう。
 しかし我々みたいな染織に携わる者は、野蚕を思い出すのである。
 アッサムは野蚕の王国と言われる。インド野蚕の主要四種すべてを産し、殊にムガ蚕、エリ蚕に関してはその故郷であるとともに、特産地でもある。
 今回当地で第八回国際野蚕学会が開催される。そこで私ぱるばもヒマラヤ山麓ganga工房から駆けつけたというわけ。
 世界十数カ国から三百人近い人々が参加する。研究者、技術者、染織関係者など様々だ。ここインドは近年、野蚕の生産が顕著に増加しており、会場もなかなかの熱気であった。
 左上写真は学会初日の模様。左方の演壇で国際野蚕学会会長・赤井弘博士が冒頭の基調発表をしている。それに先立つ開会式では、赤井会長を始めとする演壇上のお歴々に、ひとりずつエリ蚕のストールが贈呈され、肩に掛けられる。このあたりはいかにもアッサムだ。
 左中写真は、夕暮れの会場入口。学会の舞台となったのは、州都グワハティにある大きなホテルの会議場であった。
 アッサムも今は冬ではあるが、日本で言うと五月くらいの陽気であろうか。まことに快適。日中は日陰に入りたくなるような陽差しだ。

 アッサムと言えば、やはりムガ蚕。世界で最も高価な黄金のシルクだ(天蚕を除く)。アッサムはその九割以上を生産する。
 学会では、研究発表のほか、様々な文化行事も行われる。そのひとつがアッサムの民俗舞踊。(写真右下)。この美しい衣裳はムガ蚕だ。ムガ蚕は天然の黄金色をそのまま用い、そこに赤糸を織り込んでいる。
 この衣裳はサリーではない。メカラ(上)とチャダル(下)に分かれたツーピース。アッサムの民族衣装だ。ムガ蚕のメカラ&チャダルは一張羅であり、アッサム婦人ならみな一着は持っているようである。男の太鼓隊も上衣はムガ製であった。(左下写真)



 

1月19日(金) 新春のタッサーラグ

 昨18日朝、私(田中ぱるば)は北インドのganga工房到着。
 真木千秋は一週間ほど前から当地で仕事をしているが、もう寒さは峠を越えているという。確かに今日は、日中23℃まで気温が上昇し、車に乗っているとエアコンが欲しくなるような陽気であった。しかし夕刻から気温はぐっと下降し、今(9PM)は部屋でストーブを焚いている。インドの家は夏向きにできているので、冬の低温には弱いのだ。

 そんな中、隣州から来客がひとり。手織の織元サジット・カーンだ。25年を超える付き合いがある彼には、現在、木綿カディの織成を委ねている。それに加え、昨年からもうひとつ頼んでいたものがある。タッサーラグだ。
 タッサーシルクを使ったラグは、ずいぶん昔、遥か彼方のインド中部、チャッティスガール州で織ってもらっていた。そのワイルドな趣がけっこう人気で、拙宅でもあちこちで使っている。ただチャッティスガールはあまりに遠く、注文するのもたいへんで、製作はしばらくとだえていた。
 しかしながら、みなさんからのご要望も多く、なんとかせねばと考えていたのである。そこで、タッサーシルクの産地である同州から糸を取り寄せ、織元サジット・カーンに織ってもらうことにした。
 その第一作が昨日届いた。今までに無い巨大ラグだ。幅175cm、長さ300cm。(左上写真)。じつはこれ、ギャラリーの中に敷くのである。
 さっそく水洗いをする。三人がかりだ。(左下写真)。一番手前でホースを持っているのが、先日来日した水場主任のディネッシュ。一番上、真木千秋の横にいるのが織元サジット・カーン。隣州から数時間、バスに揺られて担いできたのだ。
 聞けば、このサジット・カーン、このラグ用に織機を作ったのだそうだ。その写真を見せてもらった。インドでも今は何でも携帯電話に収まっている。右写真がその織機。鉄製で、木綿のタテ糸を上から垂らし、下から太いタッサーシルクのヨコ糸を織り込んで行く。織機を使わなかったかつてのチャッティスガールに比べて、一歩近代化している。
 今後はもっと小さな家庭用サイズのラグも織成する予定なので、請うご期待!


 

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