絲絲雑記帳

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1/99-00/「建設篇」



3月17日(日) ミラノで展示会

 来月、イタリア・ミラノで真木千秋展示会が開かれる。
 場所は Assab One というギャラリーだ。
 このギャラリーはちょっとユニークな場所である。もともとミラノでも著名な印刷所だったのだが、それを展示などの催しに活用できるスペースに改造したもの。3フロアあって総面積が2,400平米、そして中庭もあるという、かなり大規模な施設だ。
 オーナーのエレナ・クアレスターナさんは元ジャーナリストで編集者。世界のアーティストたちに新しい表現環境を提供したいという志のもと、家業の施設をギャラリーへと変身させる。
 このギャラリーでは一昨年、建築科ビジョイ・ジェインの展示会が開催され、そのご縁で真木千秋にもお話があった。エレナさんは昨年GangaMakiを訪れ、真木千秋もその後にミラノに赴き、このたび展示会の運びとなった。
 タイトルは「The Alchemy of Weaving/織の錬金術」。4月1日がオープニングで、会期は4月3日 — 5月5日(基本的に水曜から土曜だが、ちょっと変則もある。一番下を参照)
 場所はミラノのvia Privata Assab 1。スカラ座まで5kmほどの便利な場所だ。ゴールデンウィークにイタリアへ行く人は是非どうぞ! 詳しくは Assab Oneのホームページ参照


 

3月2日(土) 早春の手回し珈琲焙煎機

 本日は増満兼太郎展の初日。
 好天に恵まれ、ウグイスが鳴き始める。梅の花も盛りを迎えている。

 右写真は隣家の枝垂れ梅。
 この梅花を見ながら武蔵五日市駅に至る「禁断の小径」というのがある。
 その小径を辿りたい人は、私ぱるばにお問い合わせのこと。

 さて昼過ぎ、来客も一段落したところで、増満氏の珈琲豆焙煎の実演がある。
 ねじまき雲・長沼慎吾氏と一緒に開発した手回し焙煎機「 Neji Coffee Roaster」だ。
 場所は母屋の縁側。

 まず鉄製のドラムを暖める。熱源はプロパンガスだ。
 じゅうぶん暖まったところで、珈琲豆を入れる。今日は800グラム。豆はペルーだ。(左上写真)
 ペルーはストライクゾーンが大きいので、素人が焙煎するには好適だとのこと。すなわち、技術が多少拙くてもそれなりのコーヒーになるということ。

 豆を入れたら、火加減を調整しながら30分弱、ひたすらドラムを回す。
 これは単純作業で、誰にでもできる。
 左中写真は私ぱるばが回しているところ。(年期モノの増満ポーチに注目。パンツは新調の増満ワークパンツ)

 丸い口から煙が立ち、焙煎の匂いがあたりに立ちこめる。
 水分が飛んで、回転もだんだん軽くなる。
 豆のハゼる音が聞こえ、やがて焙煎終了。
 上がった豆は、文字通り珈琲色を呈している。(左下写真)

 増満氏はこの作業を、ここ二年ほど、週に1〜2回楽しんでいるようだ。
 通常は焙煎後、3〜4日熟成させてから賞翫するのだが、今日は特別、煎りたての豆をトコロカフェに抽出してもらう。いつもの珈琲とちょっと雰囲気が違って、「お茶みたい」と言う人もいる。これは好みであろう。
 3月4日(月)は開発者のひとり「ねじまき雲」長沼慎吾氏が来展し、半日ほどこの焙煎機を回し続ける予定だ。焙煎のプロねじ氏の作業風景もなかなか見られないであろうから、この機会に是非!
 当日はねじ氏焙煎による珈琲豆の販売も予定。焙煎したての豆によるトコロカフェも賞味できる。手回しを体験したい人もOK。


 

2月25日(月) マンガルギリの極薄綿

 毎年6月末に竹林shopで「夏の綿服展」というのを催す。
 その「夏の綿服」の素材となるのが、カディやマンガルギリといった薄手の手織木綿生地だ。
 こうした木綿生地は、GangaMakiスタジオでは織っていない。インドは木綿の原産地のひとつで、木綿生地は伝統的に各地で織られている。そうした布々々々…の中から、自分たちの気に入ったものを選び、服を作る。
 南インド・アンドラプラデシュ州の伝統産地マンガルギリの布も、私たちがデリー時代から愛用してきた極薄木綿だ。デリーは年間8〜9ヶ月が夏だから、この手織地にはずいぶんお世話になった。もちろん、GangaMaki工房も年の半分以上は夏だから、今でもお世話になっている。

 まだ日本はしっかり冬のようであるが、いまのうちから仕込んでおかないと間に合わない。
 インドの北国リシケシから首都デリーで飛行機を乗り継ぎ、滞空計3時間で、アンドラプラデシュ州の州都ビジェイワダへ。マンガルギリはすぐその近所にある。今回はGangaMaki工房からスタッフのスープリヤを連れて来る。彼女にとっては初の南インドだ。スープリヤは二年間日本の竹林工房で研鑽を積み、今はGangaMaki工房の縫製部門を主に担当しているので、マンガルギリの生地選びも適任であろう。(上写真・左側)。
 問屋のチランジービ氏には三年ほど前からお世話になっている。(上写真・右側)。日本から送られてきた生地サンプルを参考にしながら、数百種類ある生地の中からMakiのメガネにかなう布を探す。
 ここアンドラプラデシュ州の公用語はテルグ語だ。この言葉は我々には馴染みが薄いが、昨年はけっこう日本列島中に鳴り響いたのである。ヒットしたインド映画「バーフバリ」がこのテルグ語であった。印欧語とは別系統なのでスープリヤもまったく理解できないのだが、チランジービ氏がヒンディー語を解するので、コミュニケーションには困らない。(インド国内だからといって皆ヒンディー語を話すとは限らない)
 生地選びよりもタイヘンなのが、品質チェックだ。手織ゆえ、織りキズが散見される。100%無瑕疵というのは無理だが、縫製上、実用に供しうるか、一枚一枚精査する。(中写真)。
 昨日は気温38℃まで上がり、マンガルギリも長い夏の始まりだ。当地では年間10ヶ月ほどが夏だという。だからこそ極薄地も発達したのであろう。
 その暑さの中、延々数時間、チェック&日本(大村恭子)との確認作業が続く。たいした購入量でもないのに、日曜日ずっとつきあわされるチランジービ氏も気の毒なことだ。(そしてこの足で冬の日本に帰る私も気の毒!?)

 夕刻、布作りの様子をスープリヤに見せようと、近所を巡る。ここ一帯が伝統的な手織地区で、いろいろ興味深い作業が見られるのだ。しかしながらあいにく日曜日なので、ほとんど作業が行われていない。ただ、織工が二人ばかり、機織りをしているのみだった。
 今回、ひとつ面白いことを発見した。筬(おさ)の材質だ。筬というのはヨコ糸を打ち込む細かなスリット状の部位(下写真・左側)。竹だとばかり思っていたが、これがモロコシだった。タカキビともコウリャンとも呼ばれるイネ科植物で、弊スタジオでは繭の座繰りに「モロコシ箒」を使う。私ぱるばも栽培したことがある。このモロコシ筬は同州内で作られているという。そういえば筬は英語でreedと呼ばれるが、西洋ではそもそもreedすなわち葦でできたいたのだろう。同じイネ科の植物だ。竹筬は日本ではほとんど絶滅状態だが、竹以外の植物が今でも使われているのはここのみではあるまいか。(現在は金属製が主流)。ちなみに、綜絖(タテ糸を上げ下げする部位。下写真・右側)は、絹糸であった。極薄地を織るには、織機もこうした柔らかい素材を使う必要があるのだろう。





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2月21日(木) 村の陶工

 先週末の2月16日〜17日、北インドGangaMaki工房にてオープンスタジオを開催。国内外から大勢のお客さんをお迎えした。
 イベントの一環として、今回、近在の村々から伝統的な手仕事職人を招き、その技を見せてもらった。

 そのひとりが、シータラムさん。当地から車で一時間ほど離れた、ガンジス河畔・聖地ハリドワール近郊の村ジワラプールからやってきた。
 当年とって66歳。8歳の頃からこの仕事をしているというから、もう58年のキャリアということになる。ジワラプール近辺の村々は作陶が盛んで、他にも陶工が多数住んでいるという。
 ただ、手動のロクロを使うのは、今ではシータラムさんだけ。ほかは皆、電動ロクロだそうだ。電動だと回転速度が速すぎて、どうしても仕上が荒くなってしまうという。ロクロは鉄製でずっしり重い。それを棒で回しながら作陶する。(右上写真)
 土は自分で採取する。村の周囲は、ガンジス河畔から畑まで、焼き物に適した土に恵まれているという。

 シータラムさんの作っているのは、素焼きの陶器。
 その焼成が興味深い。
 初日の2月16日に作った器を、翌日、火にかける。(ホントは昼の12時頃に着火するのだが、諸種の事情で午後5時過ぎになる)
 燃料はゴバル。すなわち牛糞を煎餅状に乾燥させたものだ。それを地面に立てて敷きつめ、その上に器を積み上げていく。壺やカップなどだ。(左写真1)

 器を積み終わると、回りをゴバルで蔽う。(左写真2)
 この日は直径1m半ほどの半球であったが、通常は3mほどの大きさになるという。するとかなりの量のゴバルが必要になる。当然自家製のゴバルでは足りないから、どこかから購入する必要がある。1個1ルピーなんだそうだ。

 器をゴバルで蔽うと、その外側全面を更に藁で蔽う。(左写真3)

 藁ですっかり蔽った後、その上に泥を塗りつける。陶土を水に溶いたものだ。隙間ができないよう、手でしっかりと塗る。(左写真4)

 泥を塗り終わると、まるで泥山のようだ。その泥山の上に穴を開け、火種を入れる。
 火種もゴバルだ。(右下写真)

 泥壁に穴があるとそこから煙が漏れるから、その箇所を泥で塞ぐ。それゆえ炎が上がることはない。空気は泥山と地面の僅かな隙間から出入りし、煙もまたその隙間から漏れる。蒸し焼きという感じ。(左写真5)

 通常はこの状態で48時間ほど置いておく。
 すると泥山はすっかり乾いてひび割れ、その中で素焼きの器がゆっくり焼成され、でき上がっているという寸法。
 ただ、この時は火入れの時間が遅かったことと、たぶん泥山のサイズも影響したのだろう、48時間経っても焼き上がっていなかった。そして翌朝すなわち20日の朝になってみたら、泥山がすっかり焼けて消え去っていたという次第。(左写真6)
 その残骸の中に、赤く焼き上がった素焼きの器が埋まっていた。

 素焼きの器は今もインドの日用雑貨であるが、このように焼かれていたとはちょっと想像できなかった。おそらくチャルカ(糸車)と同じくらい古くから伝わっている手法なのだろう。チャルカは2千年ほど前、インドで発明されたと言われている。


 

2月13日(水) インドの竹仕事

 松竹梅と言えば縁起物の植物だ。日本の弊スタジオも「竹林スタジオ」と自称するくらいで、古来日本人にとって竹は非常に身近な存在であり、生活に欠かすことのできない生活素材であった。
 一方、インドでは…。少なくとも、ここ北部ではそれほどは利用されていないようだ。しかし、東へ行けば行くほどその重要性は増す。ミャンマーに隣接する東北部へ行くと、今も竹は現代の日本よりよほど生活に身近な存在だ。
 こちらGangaMaki工房では、作業棟の庇などに竹の構造を採り入れている。インド東部のベンガル地方から竹職人を呼んで作ってもらった。
 ただ、耐久性にはやや難があるようだ。雨季を三度越えて、あちこち綻びが目立つようになる。土に近い根本部分からキクラゲが生えてきたりして…。サラダに入れて食ったりしたが、庇の先行きが心配であった。
 週末にオープンスタジオを迎えることもあり、このたび思い切って修復することにする。
 たまたま近所に、ベンガル地方から竹職人が出稼ぎに来ていたので、4人ほど弊工房に足を伸ばしてもらう。(上写真)。材料の竹は近在から調達だ。日本の竹に比べて、かなり肉厚でがっしりしている。
 しかしながら、また三度目の雨季を迎える頃には、キクラゲサラダが食えるのであろうか…。修繕費がかさんで仕方ないから、今度、設計者のビジョイ・ジェインが来たら相談だ。沙羅とかヒマラヤ杉の材が良いかもしれない。

 インドの竹製品と言えば、バンスリ(竹笛)。これもベンガル地方のコルカタが名産地らしい。
 私もじつは何本か持っていて、ときどきいじっている。力の抜けた、柔らかな音色が良い。
 下写真、上側がG管で長さ約64cm(西洋のフルートと同じくらい)。こちらの竹は非常に肉薄で、しかも節が無い。バンスリ用の特別な竹なのであろう。下側は約50cmのC管。週末の衣ショー用に猛練習しているのだが、さてうまく吹けるか!?
 


 

2月11日(月) 文化財 その保護と修復

 東京五日市・竹林shopでは2月イベントまっただ中だが、こちらインドGangaMaki工房も週末のオープンハウスに向けて準備に勤しんでいる。
 弊工房も完成から丸二年以上経って、多少の経年劣化が見られる。当地は気候が激しいから、建築物の傷み方も日本より早い気がする。
 たとえば、雨季(モンスーン)。その降雨は日本の梅雨の比ではない。そうすると、斜面の土砂が流されてしまうのだ。弊工房は斜面を利用して建設されているので、土砂の流出はちょっと問題。
 それが顕著なのが、メインストリートだ。石を組んだ階段になっている。漬物石サイズの川石だ。その石と石のギャップを土が埋めている。その土が雨で流されてしまった。そして深い凹みが現れ、かなり歩きづらい。危険ですらある。
 土で補修しても同じことだろう。そこで一計を案ずる。弊工房の畑は石だらけだ。その石でギャップを埋めたらどうだろう。
 道の補修には砕石が最適。そこでハンマーで石を砕いてみたら、それがなかなか面白い。
 畑の石は土まみれで一様に土色なのだが、割ると一変してカラフルになる。赤、白、グレー、ベージュ、緑、青、オレンジ、ピンク、紫…。(左写真参照)。落ち着いた色調で、ウチのストールみたいだ。石割というと囚人の仕事みたいなイメージがあるが、鉱物が好きならけっこうハマる。
 ただし、石段のギャップを埋めると言っても、闇雲にやってはいけない。この工房の建築物には、真木千秋が異様なほどの愛着ないしは執着を抱いている。ビジョイ・ジェインと楽しく苦労して作り上げたせいだろう。昨年も細かな砂利を購入して敷設したところ、たちまち除去されてしまった(もちろん地元人夫を使って)という悲劇も起こっている。重要文化財みたいなもので、やたらに手を入れてはいけないのだ。
 地元建材屋の砂利は色が一様で、自然な感じがしないらしい。その点、畑の石は多種多様。おそらく太古、ヒマラヤの山々から流されてきた川石なのであろう。それに、自家の畑だからね、まさに地産地消。
 恐る恐る敷設したのだが、そこに真木千秋が通りかかって、「歩きやすい〜」と一言。これでひと安心。ただ、毎日箒で掃き掃除してると、そのうち無くなるのではないか。常に供給する必要があるかもしれない。やはり囚人仕事!?
 


 

2月9日(土) 花のゆくへ

 今日東京は大雪!? の予報であったが、結局大したことはなかったようだ。大雪ならぬ大袈裟!?。 おかげで、スタッドレス未装着のトコロカフェは、積雪を恐れて夜中の3時にアイスクリームを竹林カフェに納品するという騒ぎであった。(その甲斐あってアイスは完売したそうな…寒中なのに)

 こちらインドも、1月なのに雷雨があったりしてちょっと変。それでも今日は気持ちの良い晴天であった。
 染め場の前に広げられた花。マリーゴールド。(写真)
 この花はインドでは祝い事などによく使われる縁起の良い花だ。
 今はインドの観光シーズなので、GangaMaki工房にも来訪者が多い。そのたびにいろんな花がお出迎えする。先日はスイスの建築学校からビジョイ・ジェインの教え子十数名が、二日間にわたって見学にやってきた。
 お出迎えの後も、ただ捨てられるわけではない。マリーゴールドは良い染料になる。生でも利用できるが、三日ほど陽に干すと、すっかり乾いて長期保存できる。必要な時に煮出して、糸や布を染める。鮮やかな黄色だ。藍と染め重ねると緑にもなる。縁起も良いに違いない。


 

2月8日(金) インドの用務員

 竹林スタジオは坪数六百ちょっと。その敷地&建物を世話する用務員は私ぱるばひとりである。
 インドのGangaMaki工房はその五倍ほどの面積があり、かつインドの気候は苛烈、植物の成長も早いから、世話する用務員もそれだけ多く必要になる。
 左写真はそのひとり、通称アンクルジ。アンクルは英語のuncleで、ジは敬称だ。おじ様といったところか。今日はキッチンの上でメンテ作業だ。雨季の間に外壁が黒ずんできたので、それを掃除している。じつはこのアンクルジ、カースト的には最上位のブラフマン(僧侶階級)。他の用務員もブラフマンが多い。カースト混淆、宗教混淆のGangaMaki工房である。
 そして私もここGangaMaki工房でやはり用務チームの一員だ。そのために作業衣や長靴も日本から持参。畑から小石を除去したり、アクセス道路を整えたり。
 今朝もツルハシとスコップを両手に勇躍、畑に繰り出したのだが…。昨夜の雨量が思いのほか多かったため、畑がぬかるみ、思うように仕事ができない。

 雨と言えば、なんと東京は明日、雪だそうではないか。2月セールの初日だというのに。
 竹林愛車のEVミニキャブは昨年12月早々、スタッドレスを履かせて準備万端。降雪を心待ちにしていたのだが…。年が明けてもぜんぜん降らない。
 そして2月になり、いちばん降ってほしくなかった2月9日に雪というのだから、この世はままならぬものだ。今日は比較的好天のようだから事前作業はラクなのだが…
 竹林スタッフもトコロカフェもずいぶん前から準備を重ねてきたので、お暇な人は、雪ニモマケズご来訪よろしく!


 2月6日(水) エア・インディア、その傾向と対策

 成田・デリー間に直行便を飛ばす航空会社は、現在三社ある。JAL、ANA、そしてAI(エアインディア)だ。
 それぞれ特徴があるので、状況に合わせて使い分けると良い。
 まず、JALとANAは毎日運行している。これは便利。そして定時運航率も高い。 日本人CA(スッチー)が搭乗しているので、日本語で日本的サービスが期待できる。日本食も選べるはず。
 AIは週4便。最近頑張っているとは言え、定刻率は日系キャリアほどではない。日本人CAもひとり乗るくらいかな。基本的にCAはインド人だと思って良い。だから成田で搭乗するとすぐにインド的雰囲気に浸れる。インド人乗客も多いし。そしてインド飯がウマい。比較的空いていて、運賃も安め。我々にとってひとつ重要なのは、融通が利くということだ。日系キャリアの割引チケットは日にち指定で変更が利かない。AIの場合、空席があれば数千円で帰国日が変更できる。これは我々のような明日をも知れぬ仕事をしているとかなり重要なのだ。
 ただ最近、AIには妙なクセがある。出発日が近づくと「時刻変更通知」なる英語のメールが届くのである。しかし良く調べてみると、予約時と時刻がぜんぜん変わっていないのだな。これはまあリマインダーみたいなもんだろうが、だったら最初から「時刻変更」じゃなくてリマインダーと言って欲しいものだ。AIの東京支社に電話して聞いてみたら、無視してくれとのことであった。(蛇足だがAI東京支社の人はけっこう親切である)
 日印間の最安はおそらく中国系キャリアだろう。上海ベースのMU(中国東方航空)と北京ペースのCA(中国国際航空)だ。最近は中国で用事も多いので、私ぱるばはよく使う。機材も新しいし、中国茶も飲めるし、なかなか気に入っている。西日本在住の人など、成田まで飛ぶより上海経由の方が時間的にも早かったりする。ただ、やはり定刻率は日系ほどではない。特に注意すべきは、上海なり北京で乗り継ぎ時間が短いチケット(2時間とか)。荷物を預けた場合、飛行機が遅れると上海なり北京で受け渡しができず、デリーで荷物が受け取れなかったりする。だから、乗り継ぎが短い場合は、荷物は機内持ち込みのみすすべし。それから乗り継ぎにもちょっとしたコツが必要だから、海外旅行慣れしていない人にはややハードル高いかも。


 

2月5日(火) Ganga ノンベジ・ランキング

 昨夜はラケッシュの両親を工房に呼んでディナー。
 ひとつ珍味があった。鹿だ。正確に言うとバラシンガ鹿(インド沼鹿)というやや大型の鹿。
 工房のあるこの一帯では、野生動物の狩猟は禁じられている。ところが、近所の山の上で、立派な角を持つバラシンガ鹿の雄が二頭、角突き合わせて争い、その角が絡み合って、二頭とも谷川に転落して死んでしまった。これは狩猟ではない。事故だ。そのままにしておいたら環境にも悪いから、村人たちが肉を切り分けた。その分け前が、工房にもやってきたというわけ。

 左上写真。姑と嫁が並んでクッキング。姑すなわちラケッシュ母は山村育ちなので、野生肉の扱いに慣れている。それで今、サイコロ状に切った鹿肉を鍋で調理している。
 左下写真はオヤジ席。インドには長幼の序が存在していて、親世代と子世代が一緒に飲酒することは無いようだ。オヤジ世代がテーブルに就いて一杯始めると、ラケッシュなど子供世代はちょっと離れたところで一杯やる。女たちはあまり大っぴらには飲酒せず、調理場に立っていることが多い。

 インドは菜食が広く行き渡っており、肉や魚など非菜食は「ノンベジ」と総称される。Non Vegetarianの略だ。
 ここGangaMaki工房は基本的に菜食だが、パーティの時などはノンベジも出る。
 野生肉も含めて、どのノンベジが好きかスタッフに聞いてみた。
 ラケッシュや染師ディネッシュは、1.豚(イノシシ)、2.山羊、3.その他(チキン、魚、鹿etc)の順番。スープリアは、1.チキン、2.山羊、3.その他(豚、魚、鹿etc)、だそうだ。
 豚はインドではあまり良いイメージがなく、日本みたいには常食されないのだが、脂肪分が多いこともあって、ラケッシュたちは好きみたい。山羊はインドでは人気が高く、価格もチキンや豚の倍ほどする。牛肉はイスラム教徒などが食べるくらいで、大っぴらには売られていない。
 調理法は、いわゆるカレーだ。スパイスで煮る。
 その鹿肉カレー煮を食べてみる。柔らかく調理され、わりあい食べやすい。味もなかなかだ。テクスチャーがあまりなく、食べているうちに、粉々になる感じ。
 次に山羊肉が出てきたので、食べ比べる。こちらはやや山羊的な匂いもあるが、テクスチャーに富み、香ばしい風味がある。やはり軍配はこちらに上がるか。
 でもまあ、インドでは野菜料理が美味しいし、ローティやナン、インディカ米、そして各種の豆、パニールなど乳製品も豊富だから、オレ的に言うとノンベジは無くても良いかな。


 2月4日(月) 印度糞尿譚

 アーリア系の特質であるのか、インド人もジョークが好きだ。
 ちょっと前の話だが、こんなのがあった。

 アメリカのブッシュ大統領が訪印した。ガンディー首相とともに首都デリーを車で移動していると、街のあちこちにしゃがんでいる人々がいる。それを目にするたびに、ブッシュ大統領は、「あれは何をしているのですか」と尋ねる。そのつどガンディー首相は恥ずかしい思いをするのであった。
 翌年、ガンディー首相が訪米した。ブッシュ大統領とともに首都ワシントンを車で移動していると、道端にしゃがみこんでいる人がいる。ガンディー首相は勝ち誇ったように「あれは何をしているのですか」と尋ねる。ブッシュ大統領は真っ赤になって怒り、傍らにいたSS(シークレットサービス)長官に、「あいつを引っ捕らえろ!」と命じる。しばらくして長官は汗をかきかき手ぶらで戻ってきた。「どうしたんだ?」とブッシュ大統領が尋ねると、長官のたまはく、「インド大使閣下でした」…。

 最近はインド政府も家庭へのトイレ普及に努めている。
 弊日誌でも先日ご紹介したアクシェイ・クマール(「パッドマン」主演)のインド映画「トイレット」(2017)も、トイレの無い伝統的バラモン家庭にトイレを作るという悲喜劇であった。

 確かに、現在のように人口の増えたインドでは、衛生的にも、また社会的にも、トイレの普及は必要であろう。
 ただ、昔のように、野外で用を足し、大地と循環するという営為にも、大いなる意味があるのではあるまいか。生命発生以来、数億年にわたって我々はそうしてきたわけだから — 。排泄は食事と並んで大切な営みである。自然食を志すなら、自然泄にも意を用いるべきでは?
 昨日、ごく短時間であったが、ケンジィこと臼井健二さんが当GangaMaki工房にお見えになった。臼井さんは安曇野でたしか「野糞講座」なるものを開講しておられたと思う。私もかつて甲州山奥の禅寺で一週間のリトリートに臨んだ折、一度も寺の東司を使わずに過ごし(東司が原始的な代物だったせいもあるが)、修行が大いに進んだ(!?)経験がある。仏陀も出家以来ずっとそうしてきたわけだし。
 この工房を作る際にも、ぱるば的には、インドの伝統に従ってトイレを作らずにおこう…とか秘かに思ったものだ。しかしながら、まあ、外国人も多いし、さすがにそういうわけにもいかなかった。
 で、キレイな近代的水洗トイレが完備されたのだが…

 どういうわけか、よく詰まるのである。もちろん私は、紙を使うなどという非衛生的なことはしない。インドの伝統に従って水洗だ。ところが、日本のトイレだったら何の問題もないはずなのに、よく詰まる。
 工事段階からかかる問題に遭遇したので、スタジオムンバイの建築家カルティック君に指摘すると、へぇ、そう…!?、と怪訝な表情であった。如何に予算の限られた工事とは言え、スタジオムンバイの選定した便器だから、欠陥品ということはあるまい。建築家ビジョイ・ジェイン自身も、私より遥かに大男であるにもかかわらず、当スタジオにしばしば逗留するも、そうした事態に直面している様子はない。
 私が異常なのか…。これはおそらく、日印の生理的ないしは食習慣的な違いに起因すると思われる。

 〈以下、スカトロ的描写になるので要注意〉

 絵文字の中に、ウンチの絵がある→
 見事にトグロを巻いている。
 しかし、日本に居てこういうモノに出会うことは稀なのではあるまいか。「理想の便はバナナ型」とか言われているし。
 一方、インドの野原では、絵文字通りのモノに出くわすことがある。(あまり詳細には観察してないが)。思うに、インド人は軟便なのではあるまいか。だから、モノが大きくても詰まらないのであろう。
 軟便の理由はいろいろ考えられる。まずはスパイス。胃腸の動きを促進するのだろう。それから、野菜を良く食べる。主食のサブジ(野菜カレー)など、加熱調理した野菜がてんこ盛りだ。そして、スパイス効果で食欲も増すので、野菜摂取量が日本の比ではなくなる。それから、インディカ米は冷やして食べると繊維質が増加するという話もある。
 というわけで、インドに来たらできるだけインド飯を食ったほうが良いと思う。便秘や痔の防止にもなるだろうし。
 ただ、弊工房ご来訪の折、不幸にもトイレ詰まりという事態に遭遇したら、それなりの対処法はあるので、遠慮なく私に相談して欲しい。


 2月2日(土) 州首相との会見

 先日発表された国際透明性機構による2018年世界腐敗ランキングで、インドは180カ国中、第78位であった。(政府行政の腐敗度を示すもので、1位が最良、180位が最悪)
 この78位というのは、アジア途上国の中では、まあ、そんなに悪い方ではない。(ちなみに中国は87位)
 しかしながら日本の17位に比べるとだいぶ落ちる。
 良く言えばユルいんであり、悪く言えば不合理で効率が悪い。法規法律というより、コネや実弾で物事が進む。

 こういう環境の中で事業を営むのは、我々みたいな人間にはタイヘンだ。
 大企業であれば豊富な資金力や人脈を活かし、地元有力者と組んで事業を進める。
 ところが我々といえば…。資金力も無いし、人脈といえば村人とか職人とか地元無力者のみ。
 まあ我々は、別に事業を興そうと思ったわけではない。環境の良いところにささやかな手織工房を設けようと思っただけだ。

 そして我々は、ヒマラヤの麓に環境の良いところを見つけた。
 そしてささやかな工房を…と思ったところで、スタジオ・ムンバイと出会ってしまったわけだ。ビジョイ・ジェインと真木千秋の間で夢が膨らみ、現在見るようなモノが出来上がってしまった。
 仕事自体はささやかであるが、外見はあまりささやかではない。

 これが都市近郊の工業団地だったら問題もなかっただろう。しかしそれではつまらない。
 自然豊かな山裾に、あまりささやかならぬ工事が始まったもので、現地政府機関との間で許認可の問題が起こってきた。もう5年も前になるだろうか。
 その交渉がさっぱり進まないのだ。どきどき下っ端役人が現場にやってきては、工事中止命令をチラつかせつつ、いろいろ難癖をつけてくる。目的は言うまでもない。
 役人の中には見識ある人もいて、我々の仕事の意義を認めてくれる。いはく、日本から自己資金を投入し、農村部に仕事を与え、輸出により外貨獲得に貢献し、環境にも優しいのに…と。しかしながら、部署が違っては如何ともしがたい。
 最終的に問題になったのは、工房への取付道路だ。規定では11メートル幅が必要なのだが、我々のところは5メートル前後しかない。しかしながら手織という前近代的な業種上、11メートルなどという広大な道路はまったく必要ない。軽トラや牛車が通れる4メートルもあれば充分なのだ。無闇に農地を潰して道路にする必要がどこにある。
 いかにインド官僚機構の硬直を打破するか!?

 そんな我々の力になってくれたのが日本大使館であった。昨秋、当地ウッタラカンド州で開催された「ウッタラカンド投資サミット」の折、平松大使が弊スタジオにお見えになり、州首相に口利きしてくれたのだ。
 そうしたら、認可機関である地区開発局の局長セムワル氏がおっとり刀で工房に駆けつけてきた。そして数日前、我々の一件は無事に開発局を通過したのである。この局長は見識ある廉吏で、弊スタジオのことをよく理解してくれた。今まで彼のところには我々の一件は上がっていなかったらしい。
 しかしながら、地区開発局は通ったが、件の道幅の問題には、州建設局の認可が必要だという。またかよ…
 開発局長セムワル氏によると、建設局の窓口となる局長秘書官は、あまりおススメの人物ではないらしい。実際、ウチの工房長ラケッシュが同秘書官に電話すると、ちょっと権柄ずくの対応で、こっちとしてもご遠慮申し上げた。
 ここは正面突破しかあるまい。ウッタラカンド州のトップである州首相ラワント氏に直談判だ。
 当地のような田舎州では外国人は珍しい。州首相の秘書官に電話をかけ、「オレは日本人だ、州首相に会わせてくれ」みたいな、やや尊大な調子で言うと、わりあい簡単に、「では明日の3時半にいらっしゃい」と言われる。一昨日の話。

 ホントかよと思いつつ、昨日、真木千秋&ラケッシュともども午後3時半ピッタリ(さすが日本人)に州首相官邸に到着。秘書官に面会希望を伝えると、今、州首相は閣議中なので、一時間ほど待ってくれと言われる。
 そして、とある小さな執務室に通される。中には誰も居らず、チャイとビスケットが振る舞われる。ややあって、ちょっとむさ苦しい感じの中年男が現れる。この部屋の主であるらしく、執務机に着座する。我々も「ああ、すみません、お邪魔しちゃって」という感じで、ヒマだったから、チャイをすすりながら話をする。バルーニ氏という州首相補佐官で、元来は医師なのだが、現在、州の医療行政を統括している。閣議が長引く間、つれづれにウチの仕事の話をしていると、バルーニ氏は熱心に耳を傾ける。そして、だんだんと義憤に駆られていく。「道路幅!? そんな些細なことか。当州にこんな貢献をしている人々に対し、いったい何をしている!」という感じ — 。そして弊スタジオのパンフを手に、あちこち駆け合いを始める。しまいには閣議を終えた州首相にしっかり説明してくれた様子。

 州首相は閣議が長引いたようで、私宅で休憩の後、午後6時になって地元テレビ局の記者会見に現れる。我々は会場前で一瞬だけナマステーと挨拶。バルーニ補佐官によれば、「もうじゅうぶん説明したし、これで帰っても大丈夫」とのことだったが、せっかくだから会見終了まで待つことにする。チャイとビスケットがまた出てくる。補佐官によると州首相は「良い人」だとのことでちょっと安心。
 記者会見後、会議場に通される。いろいろ説明しようと思っていたのだが、話すヒマも、必要もなかったみたい。握手して、真木千秋が花束を手渡し(これは官邸で用意されたもの)、ラケッシュと二言三言言葉を交わしてお終い。ラケッシュいはく、州首相は英語を話せないのではないかとのこと。
 これで5年越しの認可問題にも片がつくことだろう。バルーニ補佐官など、「キミたちは別に認可なんか要らないよ。何かあったらいつでもオレに言ってくれ」という感じで、心強い限りである。

 夜、工房に帰宅後、YouTubeにupされたウッタラカンド投資サミットの動画をチェックすると、インドのモディ首相やラワント州首相を前に平松大使がスピーチの中でこんなことをおっしゃっている — 「昨日、私はGangaMakiテキスタイルスタジオを訪ねました。環境に配慮したスタジオで、日本の染織家&テキスタイルデザイナーであるチアキ・マキが運営しています。そこで作られる手紡ぎ手織りの美しい布は、日本とインドが一緒になって達成できることのすばらしい一例です」という、まこと身に余るお話であった。昨日ラワント州首相に会えたのもきっとこのお陰だったのだろう。興味ある人はこちら。(二時間半以上の動画であるが、その58分目あたり)


 

2月1日(金) 落葉と春野菜

 田中ぱるば、三日前から北インド、ヒマラヤ山麓のGangaMaki工房滞在。
 真木千秋は正月明けから当地で布作りに励んでいる。

 昨夜来、風が強く、朝起きたら部屋の前は枯れ葉がいっぱい。(左写真)
 落葉のシーズンなのだ。
 落葉と言えば、東京五日市の竹林スタジオの落葉は11〜12月。紅葉にしても落葉にしても二ヶ月ほど遅い感じだ。
 竹林スタジオでは落葉掃きはもっぱら用務員である私の仕事だが、こちらでは毎朝女性スタッフが掃いている。私がやっても良いのだが、農村部女性の雇用創出は地元政府喫緊の課題だから、私もそれに協力している次第。

 落葉は二ヶ月遅れだが、工房の畑に行くと、もう春野菜が!! (下写真)
 手前がサヤエンドウ。もう収穫できる。
 そして、ホウレン草、サニーレタス、小松菜、サラダ菜…。みんな収穫できる。
 なんか日本と同じような野菜だが、それもそのはず、日本から種を持参して育てているのだ。真冬でも新鮮な自家製野菜が食べられるのは有難い。
 日本の弊畑でサヤエンドウが採れるのはいつだろうか?? 少なくとも二ヶ月は先行しているであろう。菜の花まで咲いている。

ちなみに今朝の最低気温は13.4℃。曇っているせいか高めだ。夜中に風が吹いて部屋の窓が開け放しになっていたけど、ぜんぜん平気な温度であった。


 

1月27日(日) 相州・トコロ工房を訪ねる

 トコロカフェの工房が相模原に誕生して早一年。
 このほど念願叶って、昨日、やっと訪ねることができた。
 
 五年ほど前、三軒茶屋の店を閉めて、さすらいの珈琲屋となったトコロカフェ。
 神奈川県相模原市に設けられた新アトリエは、ひらたく言うと「焼き菓子製造所&販売所」で、その名も「atelier 十五六」。アトリエいそろく!? いや、「アトリエところ」。
 上写真が販売スペース。衝立の陰にトコロ名物のエスプレッソマシン「トコ郎くん」が隠れている。このトコ郎くん、来月は久しぶりに住み処を離れ、竹林カフェに出張する。(2/9からの2月セール)。
 ここで月一度、OPEN DAYSと称して焼き菓子や珈琲をテイクアウトで供する。たまたま昨日はそのオープンデー。夫婦揃ってMakiマフラー姿で店頭に立っていた模様。その効果か、私が訪ねた時には、卓上をご覧の通り、菓子もきれいさっぱり売り切れていた。
 このスペースでは、販売のほか、お話会や展示会、ワークショップも開かれる。

 その奥にあるのが、焼き菓子製造所。
 弊竹林スタジオイベントの際に並ぶ焼き菓子は、ここで手作りされていたのだ。そぞろに感慨深いものがある。
 トコロ氏と細君のナオコさんが代わりばんこに厨房に立って、夜な夜な菓子作りに励む。下写真は午後6時過ぎの製造所。ナオコさんがバターに甜菜糖を混ぜて、クッキーの生地を作っている。それを寝かして、深夜に焼くのだ。ときどきとんでもない時刻にメールが来たりする。いったいいつ寝てるのだろう。
 とにかく毎回いろんな菓子が出てくるので見逃せない。それから竹林に出現するアイスクリームはかなりレアな作であるらしい。
 
 竹林出店などさすらいカフェやオープンデーなどの情報は、トコロのインスタを参照のこと。

 


 

1月24日(木) 甲州・増満工房を訪ねる

 増満兼太郎氏の工房が武蔵国分寺から甲州山梨に移転して早三年。
 このほど念願叶ってやっと訪ねることができた。
 
 じつは1ヶ月ちょっと後の3月1日から、竹林スタジオで増満兼太郎展が開かれるのである。前回の個展は2012年だったから7年ぶり。その間、氏は二度もインドのGanga工房を訪れ、弊スタジオの制作現場に親しく触れている。

 展示会を間近に控え、今日は作品制作の進捗具合をチェック。
 弊スタジオスタッフの大村恭子ともども、中央道を下る。(標高的には上るのであるが)
 遠くに富士山、前面に南アルプスの秀峰を望む甲州須玉(すたま)。大寒の空は青く、吹く風はすこぶる冷たい。南国薩摩出身の氏は、しかしながらその気候にもすっかり慣れたようで、元気溌剌、仕事に励んでいる。
 上写真は真鍮のバングルを制作中の増満氏。作業スペースは以前の国分寺工房よりだいぶ広くなり、職住も接近して、仕事もしやすい様子。
 昼時に来襲したせいで、かたじけなくも細君セトキョウコさん手製のランチに与り、大村恭子も私ぱるばも非常にラッキーであった。(キョウコさんも増満展にはジャムや調味料などストックフードや焼き菓子を出品してくれる予定)
 下写真は併設のshop「On the river」。氏と大村恭子が展示作品についていろいろ検討している。私やマキスタッフが常々愛用している革ポーチやサボ、ベルト、金属製アクセサリーはもちろん、革バケツ、革バッグ、コンテナ、ペンケース、端革(ハギレならぬハガワ)作品、瓶の蓋、時計、版画、新作ピアス、布バッグ、木綿パンツ等々…造形作家・増満兼太郎の玉手箱だ。ひとつ面白い出品作が珈琲焙煎機。これは変態珈琲屋ねじまき雲との共作であるらしいが、会期中にはそのネジ氏も出現して珈琲を焙煎実演するなど、いろいろ謀議を重ねている。

増満兼太郎展 2019年3月1日〜5日 竹林shopにて

 お楽しみに!

 


 

1月20日(日) インドGangaMaki工房オープンハウス2019

 きたる2月16日(土)&17日(日)、GangaMaki工房のオープンハウス開催!
 工房は仕事場なので通常非公開ですが、内外の見学希望者のため、年に一度、日を決めて一般公開します。昨年二月に続いて二度目の開催。
 インフォメーションとプログラムをざっとご紹介すると…

時間 各日 11:00〜17:00
入場料 500ルピー
ランチ 500ルピー

2月16日
■ワークショップ 家蚕糸取り 12pm〜 参加費1000ルピー 要予約
■ミニ衣ショー(真砂三千代)&布巻き会(沼田みより) 3pm〜

2月17日
■ワークショップ インド夜香木染め 12pm〜 参加費1000ルピー 要予約
■紙芝居(田中ぱるば)&布巻き会(沼田みより) 3pm〜

両日
■機織り体験
■実演 — ビーマル(科の木)繩綯い・ヒマラヤ竹カゴづくり・ヒマラヤウール紡ぎ
その他、工房通常業務の見学可能

参加申し込み、お問い合わせは
par866@itoito.jpまで
 


 

1月16日(水) ハギレの転生

 ハギレ&反物市の6日目。
 毎日いろんな皆さんがお見えになるのだが、今日の午後は白石母娘がご来訪。
 娘のユイちゃんには昨年、猫をかたどった自作のブローチを頂戴したのでよく覚えている。まだ小四なのに上手なものだと感心した。
 しかしそれも道理で、お母さんの恵美子さんは小物の作り手だったのだ。
 囲炉裏の端でトコロの珈琲を飲みながら、作品を見せてもらう。(上写真)

 下写真がその作品。印鑑ケースだ。当スタジオの布を使っている。先年のハギレ市で求めたそう。
 左側がkoti生地(麻×シルク)、右側がウール×シルク。
 私ぱるばはちょうど先日、銀行印を紛失して新調したばかりだったので、この右側のケースを頂くことにする。帰宅してさっそく銀行印を収めたところ、ぴったり。しっかりした作りで、手触りも良い。これできっと預金残高も増えるに違いない!?

 あきる野市内在住の恵美子さんだが、自作品のネットショップを運営されておられる。peana-shopというお店だ。
 ページをスクロールしていくと、弊スタジオハギレを使った作が幾つも出品されている。財布やポーチ、シガレットケースなど。
 Maki布をよく活かし、シックな仕上がりだ。

 こうして弊スタジオのハギレが有効活用されるのは嬉しい限りである。恵美子さんのお客さんたちにも好評だそうだ。
 ハギレ市、明日まで!


 

1月3日(木) 富岡製糸場

 上州名物からっ風の中、群馬県・富岡製糸場を見学する。
 2014年に世界遺産になったことで一躍注目を浴びたところだ。同年末には主要三棟が国宝に指定される。
 明治5年(1870年)にフランスの技術援助によって設立された、生糸を取る官営の工場だ。
 左上写真は国宝に指定された建造物のひとつ、東置繭所。その名の通り、東にある繭の貯蔵庫だ。当時は年に一度、春にしか繭が取れず、それゆえ多量の繭を貯蔵する必要があったので長大な建物となる。
 木骨煉瓦づくりという珍しい工法。太い木材で骨組みを作り、煉瓦で壁を作る。当時日本には煉瓦がなく、埼玉の深谷から瓦職人を呼んで焼かせたという。

 煉瓦の積み方は「フランス積み」と言って、煉瓦の長辺と短辺を交互に積む。コンクリートも日本にはなかったので、繋ぎには漆喰が使われた。
 このあたり、ちょっとGangaMaki工房を思い出す。インドの弊工房の煉瓦積みも「小端フランス積み」という工法だ。普通の「フランス積み」とは少々違い、内部に空間ができて断熱効果がある(熱暑対策)。もちろん、繋ぎは漆喰。というわけで、150年前にできた国宝と似たような作りだということ。

 左中写真は、開業当時に設置されたフランス式繰糸機のレプリカだ。(オリジナルの機械はもはや残っていない)。東置繭所でスタッフが実演を見せてくれる。背後にある黒い動力装置によって、小枠がクルクル回転している。同時に二本の糸を取るのだが、女工の仕事は常に同じ太さの「良い糸」を作ることである。ひとつの繭の糸が尽きたらすぐに新しい繭を次ぎ足すとか、ゴミを混入させないなど、器用さと勘が必要だ。女工には一等から三等および見習いまであり、みな一等女工を目指して勤労に励むのである。一等になれるのは全体のうち3%ほどだったというから狭き門だ。ちなみにこの女性スタッフに「あなたは何等くらい?」と聞いたら「私なんか3.5等」と謙遜しておられた。
 教育養成機関も兼ねての官営工場だったので、労働時間も8時間ほどで日曜も休みという日本初の西洋式労働環境。年限も三年。後の女工哀史みたいなことは無かったという。
 ちなみに、小枠に巻いた後、揚返(あげかえし)器を使って大枠に巻き返すが、これは小枠に巻いたままだと日本は湿度が高いので糸同士が粘着して品質が落ちるからだという。

 上州群馬と言えば上州座繰器。江戸末期に群馬で開発された木製歯車の手動糸繰り器だ。弊スタジオには日印合わせて三台ほどあり、毎春お世話になっている。(右写真)。
 この富岡製糸場の狙いは、その上州座繰器を最新の動力繰糸機に置き換えようということだ。その後、当初のフランス式繰糸機は、日本のプリンス(ニッサン)製の繰糸機に置換される。この繰糸機は糸の細さを自動的に検知し、自動的に繭糸を供給するという驚くべきものだ。それにより絹糸は一挙に大衆化するのである。

 弊スタジオで作る絹糸は、今もって上州座繰器によるもの。そして、インド工房ではそれすら使わないズリ出しという原始的な繰糸法だ。(左下写真)
 150年を経て煉瓦の積み方は似ていても、やっていることの方向性は正反対というわけ。いずれインドの国宝に……なるわけないか。





 

1月1日(火) 初日の出 in India

 田中ぱるば、信州上田の実家に滞在中。
 今朝、妹夫婦に誘われ、初日の出を拝もうと、近くにある愛宕山(標高556m)に登る。(標高だけ見るとチト高そうだが、実家がそもそも標高485mの所にあるので、実質70mしか登ってないわけだ)
 外は快晴。東の空には細い月がかかり、金星が輝いている。氷点下8℃の冷気の中、同じ志の村人四十有余名+上田ケーブルテレビ取材人ともども日の出を待つ。ところが、日の出が近づくにつれ、東方、浅間山に続く峰々の上に、どんどん雲が出てくる。結局、7時15分になっても陽が出ず、あたりもすっかり明るくなってきたので、寒いし、興醒めするしで、家に戻ることにした。
 せっかく新年の挨拶がてら、初日の出の写真を当雑記帳にupしようと思っていたのに…

 …と思っていると、その約3時間半後、インドから初日の出の写真が届く。(左写真)
 友人の養蚕研究者、パッチャウ博士からだ。インド東端ミゾラム州在住。やはり故郷の村で新年を迎え、近くの山頂から初日の出を拝んだのだという。標高約1400m。太陽の前に広がる山々はミャンマー領だそうだ。
 ヒンドゥー教徒やイスラム教徒にとって太陽暦の1月1日は特別な日ではなく、通常の火曜と同じで工房も稼働している。しかし、パッチャウ氏はキリスト教徒なので、クリスマスイブから明日まで休みを取っているらしい。(写真の手前にキリスト教会が見える)。インド人もいろいろだ。
 ちなみに今朝の日の出はインド時間6:05だったそうだ。当地と比べると約2時間半ほど遅い。(インドと日本の時差は3時間半。ミゾラム州はインド東端だから日出・日没の時間が早い)。しかしインドで初日の出を見るという話も初めて聞いた。

 ともあれ、今年もよろしく!


 

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