絲絲雑記帳

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/01/99-00/「建設篇」






 

9月9日(月) 嵐を呼ぶ用務員

 展示会中に台風襲来。
 9月は台風シーズンであるから、充分予想されることではある。

 竹林用務員たる私ぱるばは、オカベマサノリ古代ビーズ展に向けて、ちょっと前から準備怠りなく進めてきたのであった。
 たとえば、スタジオのアクセスや母屋前に、合計3立米もの砕石や砂利を投入するとか。(上写真)。3立米といえばプロの土建屋の扱う量だ。敷地が広いからそれでも足りないくらい。
 これは一週間前の月曜日。
 
 こういう準備をすると、得てして台風はやって来るものである。あるいは呼んでしまったのか!?
 砂利投入の三日後、関東沖に突如、台風15号が発生。高い海水温にのっかってあれよあれよという間に発達し、昨夜上陸したのであった。関東を襲った台風の中では、過去三十年間で最強クラスであったらしい。

 台風一過の今朝、高温多湿の晴天の下、蝉の鳴き声を聞きながら竹林スタジオに向かう。多摩川の支流である秋川は、濁流が川幅いっぱいに広がって壮観だ。増水した河川を見に行くオジサンたちの気持ちがよくわかる。
 スタジオの敷地は、ケヤキの枯れ枝が一面に散乱し、竹も倒れている。
 砂利投入の効果もあったのか、水はすっかりはけている。

 遠距離通勤者を除いてスタッフみんなで片付け作業だ。
 今朝はたまたまインドからムラ(蘆スツール)百個が届き、その入庫作業も。(下写真・散乱した枯れ枝と屋内のムラ)。運送屋は朝からしっかり仕事をしていたようだ。

 この枯れ枝は、用務員にとっては大事な資源である。
 太いのは薪になり、細いのはウッドチップになって敷地に散布される。

 午前11時の開店時には、あらかた片付き、何もなかったかのように涼しげな顔でお客さんを迎えるのであった。(用務員は汗でドロドロになっていたのであるが)
 ただ、電車ダイヤの回復が捗らなかったようで、その努力のわりには、あまりお客さんはお見えにならなかったのであった。(JR五日市線は、本数が少ないせいもあるのか、朝のうちにしっかり平常ダイヤに戻っていたのに…)。展示会の様子はこちら。






 

9月5日(木) インダスのエッチド・カーネリアン

 オカベアクセサリーを代表する珠、エッチド・カーネリアン。
 赤に白い紋様が印象的だ。
 カーネリアンも先日ご紹介のメノウと親戚筋。赤メノウとも呼ばれる。
 エッチドとはエッチングと同系語だ。
 とは言え、表面を引っ掻いたりするわけではないらしい。

 このビーズを作る技術を有していたのが、インダス文明であった。
 石に赤味を出すために熱を加える。また、白い模様を定着するにも加熱が必要。
 特殊な植物の液体を石の上に塗りつけて加熱するのだそうだ。よく見るとちょっと盛り上がっているようなものもある。
 石というより、キャンディを思わせる可愛らしさだ。

 ビーズにはオカベ氏手製の紐が通る。この紐がオカベアクセサリーのキモなのだ。
 手間のかかる細かい作業だ。今のところオカベ氏しできない。そのせいでオカベアクセは数が限られてしまう。
 弟子を採ったら?と言うのだが、そう簡単な話ではないらしい。

 さて、インダス特産、エッチドカーネリアン。
 今回は、縞瑪瑙と同じく、千点ほど竹林にやって来る。大きいの、小さいの。赤色の濃いの、薄いの。白い模様のくっきりしたの、淡いの。
 好きな珠を選んで、紐の色を選び、オカベ氏がその場で紐を通し、あなたのアクセサリーとなる。
 紐の長さで、ネックレスにも、リングにも、ブレスレットにも、アンクレットにもなる。(日本語で言うと、首飾り、指輪、腕輪、足輪!?)
 後で調整も可能だ。オカベ氏は会期中ずっと在廊。
 9月7日(土)〜9月11日(水)
 詳しくはこちら。


 

9月4日(水) 藍の生葉染め 2019

 晩夏の恒例行事、藍の生葉染め。
 その名の如く生の葉で染めるから、生の葉がないと染められない。
 今がちょうど染め時だ。

 朝、藍畑に降りて、藍の刈り取り。
 最近の雨と高温もあって、拙畑のタデ藍もはち切れんばかりに青々と育っている。(上写真。麦わら帽子は私ぱるば)
 3月28日に播種して、5ヶ月余。
 蝶よ花よと大事に育てられてきて、今日になって突如刈り取られるのだから、藍草もさぞやびっくりであろう。(ただ、株が残っているので、またそこから生えてきて、晩秋に種を採る)

 オカベ展を週末に控え、今日はスタジオ総出の作業だ。飛び入りの助っ人二人も含め、総勢十名。
 まずは葉っぱもぎだ。(中写真)
 藍の色素が含まれているのは葉っぱだけなので、茎は捨て去る。
 藍草を真ん中に、ほとんど井戸端会議状態。
 ところで、なぜ、葉っぱの部分だけに藍の色素が含まれているのか?
 思うに、藍の成分は、虫にとって不味いのではないか。というのも、葉っぱはいちばん虫害を受けやすい部分だが、藍草の葉っぱはほとんど虫に食われていないのだ。もちろん、ケミカルフリーの無農薬有機タデ藍である。(蓼食う虫も好き好きというから、タデはもともと不味いのかも!?)

 葉っぱをもぎ終わると、いよいよ染めの作業だ。
 水を加え、ミキサーで砕いて、染めるものを漬ける。
 何を染めるかというと、春繭の座繰り糸だ。
 今年も6月中旬に八王子・長田養蚕から繭を10kgほど分けてもらって、仕事の合間に糸を繰る。そして昨日、ようやく繰り終わったのである。
 艶のある春繭座繰り糸。それを藍生葉で染めると、南の島、白砂の海のような透明感のあるブルーに染まり上がる。

 弊スタジオには欠くことのできない色なので、毎年染めている。
 今年はこの時期、真木千秋がインドで仕事をしているので、初めての遠隔作業だ。インドの真木千秋に写真を送ったり、電話で話したり。
 スタッフも毎年染めているので、今では作業によく慣れている。助っ人もすごく楽しげだ。おかげで良い色に染まり上がった、と真木千秋も満足している様子である。

 四十数カセの座繰り糸を染め終え、次は、インドのオルガンザ絹布。
 夕刻になり、雨もポツポツと降り始めるのであった。
 皆の衆、ご苦労!!
 
 






 

9月1日(日) まほろばの縞瑪瑙

 今、東京国立博物館で開催中の三国志展。乱世の英雄豪傑にまつわる展示の中に、ひとつ、ちょっとかわいらしいアイテムがある。曹操高陵出土の縞瑪瑙だ。(上写真)
 曹操とは言うまでもなく、三国のひとつ魏の建国者だ。劉備玄徳や諸葛孔明の敵対者として三国志中ではどうしても仇役だが、文武に秀で、中国では人気があるらしい。
 直径2cmほどの円盤形。中ほどを横切る数本の白い縞が印象的だ。
 魏と言えば、魏志倭人伝に卑弥呼が登場するくらいだから、日本で言えば弥生時代。その頃からメノウは珍重されていたわけだ。

 そうした古代の縞瑪瑙に会えるのが、今週末から竹林shopで開催されるオカベマサノリ古代ビーズ展
 オカベ氏によると、ビーズには精神的な意味があり、初期には駝鳥の卵殻や、動物の骨や牙が素材となっていた。
 やがて5千年ほど前から、石が用いられるようになる。おそらく最初は、滑石など柔らかめの石だったのであろう。
 オカベアクセサリーに使われている石は、水晶やメノウだ。これはかなり硬い。準宝石(ジェム)の部類だ。
 ビーズは紐を通して身につけるものだから、穴を開けないといけない。石を削るというのは難しい。いったいどうやって水晶に穴を開けるのだろう。それもキレイに開けないといけない。
 メノウも水晶と同じくらいの硬度がある。長さ12cmの管状のビーズまであるという。驚くべき技だ。
 ただ、このあたりが、ビーズ作りの限界だったのであろう。(ダイヤやサファイヤに穴を開けるのは古代ではほとんど不可能だろうし、誰もそんなもったいないことはするまい)。
 もちろん、硬ければ硬いほど後世に残り易いだろう。

 オカベ氏のメノウビーズは、千年以上前のアンティークだ。メソポタミアなど西アジアや、インダス文明期のものもあるという。特徴的な縞を生かし、魅力的に造形されている。(下写真)
 今回、大小とりまぜ、千点ほどの縞瑪瑙が竹林に来るという。
 オカベ氏曰く「とても優しい気持ちになる」そうだ。
 乱世の梟雄と呼ばれた曹操も、それを見てホッと優しい気持ちになったのであろうか。
 




 

8月31日(土) 糸芭蕉・葉っぱの行方

 昨日、奄美の芭蕉布の話をしたが、インドganga maki工房では芭蕉の栽培が粛々と進んでいるようだ。

 雨季も半ばを過ぎ、青空の頻度も増えてきたかな…と思える今日このごろ。
 工房敷地内に植えられた糸芭蕉も、インドの雨と太陽の恵みを受け、見事に成長する。
 これはヒミツだけども、先年、八重山の糸芭蕉をスーツケースに忍ばせて持って来たのだ。
 一年前に本数を数えたら198本にまで増えていた。今年は300を超えているだろう。
 敷地には実芭蕉すなわちバナナも植えてあるが、似ているので見分けがつかない。
 数では完全に糸芭蕉が凌駕している。

 今日はスラウチの作業だ。
 スラウチというのは、葉を落として、茎の成長を促す手入れだ。
 このためにわざわざ日本から鎌も持参している。(やはりキレ味が違う)
 この作業、かなりの快感なのではないかと想像する。

 しかし、巨大な葉っぱである。沖縄の1.3倍はあると真木千秋は言っている。
 それをこんなにたくさん切り落とすのだ。なんともったいない。
 竹林カフェではイベント時にわざわざ沖縄から送ってもらっているのだ。インド料理の盛り付けに好適なので。
 ganga makiでは牛の餌だ。雌牛がおいしそうにバリバリ食べている。
 ま、ミルクになって戻って来るからいっか。
 






 

8月30日(金) 奄美の芭蕉布

 縁あって奄美に遊ぶ。
 沖縄のすぐ上(北)にあって、「本土と沖縄の谷間」とも呼ばれる群島だ。
 その中心となる奄美大島は、沖縄本島の6割ほどの面積を持っている。中心都市は名瀬。沖縄の那覇と何となく名前も似ている。
 ところが、両島の人口を見ると、前者は7万、後者は100万ということで、経済規模はまるで違う。そのぶん自然が豊かということは言えるであろう。
 歴史的にその支配権は、地元から琉球王朝、薩摩藩、大日本帝国、米国、今の日本と移り変わる。複雑な歴史を経た群島だ。
 実際に訪れてみると、気候風土は沖縄に近いが、文化的には沖縄と日本の中間という感じか。現在は鹿児島県に属している。

 そのあたりを手軽に探ることのできるのが、奄美市立博物館であろう。(現在、名瀬市は無くなり奄美市になっている)
 先週の土曜、30年ぶりに新装開館し、くしくも私はその最初の観覧者となったのであった。

 真新しい展示の中で、とあるパネルに目が行く。
 上国与人・御目見之図(じょうこくよひとおめみえのず)という絵だ。
 与人(よひと)というのは、薩摩藩支配下における島民の役人。その代表が薩摩に赴き、藩主に拝謁するのだ。(言ってみれば阿部氏がホワイトハウスに赴くようなもの!?)
 上写真・右端に小さく藍色の人物が見える。それが与人代表。左端が鹿児島藩主。下写真は与人代表の拡大。
 解説によると、「糸芭蕉の中心部から極細の繊維を採取し、藍染を施し、貝殻で磨いたりして黒光りをさせた」とある。すなわち最高級の芭蕉布に特別の加工を施した布から作った晴着を召していたわけだ。藍は琉球藍であろうか。
 奄美では古来、沖縄と同じく、芭蕉布が織られていた。奄美にも琉球の影響で神女であるノロやユタが存在したが、その衣は白い芭蕉布であった。きっと芭蕉布は奄美を象徴する織物だったのであろう。
 しかし近年は神女の召し物も木綿の白衣になっている。芭蕉布の伝統は絶えてしまったらしい。(そしてノロやユタもその数を減らしている)。
 残念ながら今回は、奄美の芭蕉布の実物にまみえることはできなかった。

 奄美と言えば、一大産業として島の経済を支えたのが「大島紬」であるが、それはまた別の機会に。
 ちなみに、「島唄」というと沖縄をイメージするが、もともとは奄美の歌のこと。裏声を多用する愁いを帯びたは調べは、一聴に値する。






 

8月23日(金) インド藍の収穫

 インドの真木千秋から写真が送られてきた。
 青空の下、インド藍を刈り取っている。
 今、インドは雨季であるが、一日中降雨というわけでもない。
 このように晴間の出る時もある。
 そうすると気温もグッと上がり、高温多湿の熱帯状態だ。(とは言え、8月上旬の東京の酷暑よりはマシかも)

 6月上旬に蒔いたインド藍も、この気候下、ぐんぐんと伸び、今や人間の背丈を超すようになる。
 南インドから導入した種子だが、ここ北インドにもよく合うようだ。
 牛糞のみの有機栽培。あと、真木千秋・執念の草取りにより、近年になく成長する。

 写真をクリックしてもらうとわかるが、地面から40cmくらいのところで刈り取る。
 インド藍は木藍とも呼ばれ、木本である。日本の蓼藍(草本)とは違って、多年生の灌木だ。
 それゆえ、株をしっかり手入れしておけば、蓼藍みたいな採種・播種の手間が省ける。(草取りは相変わらず大変であろうが)

 毎日少しずつ収穫しては、染めている。
 染め方は、紅露工房で習ってきた半発酵染め。
 生の葉を一昼夜水に漬け、発酵させて染めるのだ。
 液が発酵によって酸性になるので、蛋白質への影響が少なくて良い。
 主に、ウールやパシミナを染める。
 写真はパシミナ糸。7回ほど染め重ねて濃い目の色を出している。

 これだけインド藍が育てば、東京五日市・拙畑の蓼藍は不要かと思われるが、真木千秋によると「全く違うピュアな色だから必要!」なのだそうだ。

 






 

8月14日(水) 紅露工房 in Tokyo

 9月上旬、紅露工房・石垣昭子さんが上京。
 7日と8日(土日)の二日間、都内の別々の会場で昭子さん登場のイベントが開催されるので、そのお知らせ。

 ひとつは9月7日(土)。場所は池袋の立教大学。
 「西表島・紅露工房の上映会」(左上写真)
 上映される作品は、フランスのプロダクションが制作した1時間弱の映像だ。本邦初公開である。
 今までも紅露工房や石垣昭子さんは様々なメディアで紹介されてきたが、このようにまとまった形で映像に収められるのも初めてではあるまいか。
 紅露工房のユニークな活動が、美しい西表の風景とともに収録されている。
 途中、真木千秋や真砂三千代も登場し、昭子さんに導かれつつ、一緒に作業に励んでいる。
 もちろん、工房のフィジカルを支える石垣金星氏も枢要な登場人物だ。
 手仕事に関心のある人は必見。
 上映会の後、石垣昭子さんの対談がある。

日時:2019年9月7日 (土) 16:00〜18:00
場所:立教大学 池袋キャンパス 7号館1階 7102教室
入場無料 要予約
申込方法:ESD研究所 esdrc@rikkyo.ac.jp 宛にメールで、件名に「西表島・紅露工房の上映会」と明記の上、名前、フリガナ、所属、連絡先を記入して申し込み。
問合せ先・申込先:立教大学ESD研究所 TEL : 03-3985-2686

 もうひとつは翌9月8日(日)。
 「紅露工房シンフォニー」出版記念会 (写真左下)
 これは拙HP書評欄で先日お伝えした本の記念会。
 地球交響曲第5番(紅露工房の部)上映や、石垣昭子さん&真砂三千代さんのお話。そしてお二人の布衣展示などがある。

日時:2019年9月8日 (日) 14:00〜17:00
場所:ギャラリーゆうど 新宿区下落合3-20-21
会費 3,000円(お菓子+お茶つき)
●龍村仁監督「地球交響曲第五番」(紅露工房のパート)の上映
●石垣昭子さん、真砂三千代さんのお話 お二人の布・衣の展示
予約申込み先 yu-do@jade.dti.ne.jp 03-5996-6151

 





 

8月9日(金) トコ郎見参

 梅雨明け十日と言われるけれども、ここ関東地方も先月29日に梅雨が明けて以来、十日以上も安定した晴天&高温が続いている。
 特に今日8月9日は、我が温度計によると、今年一番の37.6℃を記録している。
 インドのganga maki工房は、今日の最高気温が今のところ28.6℃だから、じつにこちらの方が9℃も高いということになる。
 ま、夏らしくて良い……と言えないこともないか。

 そんな中、7日目を迎える「8月の竹林」sale。
 今日からカフェはtocoroだ。
 母屋で出店の多いtocoroであるが、今回は竹林カフェで店開き。
 トコ郎を引っ提げての登場である。
 トコ郎というのは、tocoro愛用のエスプレッソマシンだ。(写真手前の銀色)。今は無き三軒茶屋tocoro cafeで活躍していたイタリア製である。
 このマシンを使って、三種類のラテを出すのが、今回のメニュー。
 トコ郎が出てくるのは、今のところ竹林カフェの時のみなので、貴重な機会だ。私ぱるばも二年ぶりのラテ。大きなカップで出てくるので、何かトクした気分になる。
 12日月曜の最終日まで今日を入れて四日間。お見(飲み)逃しなく。(気温もたぶん下がるであろうし…)


7月28日(日) 玉もの

 私(田中ぱるば)くらいの年齢になると、老親の介護も身近な問題となる。真木千秋も三週間少々の日本滞在のうち数日を両親の世話にあてていた。
 昨朝、信州上田の実家にいる妹から「緊急」のメッセが入る。老父の具合がおもわしくないから来てくれと言うのだ。
 スーパー爺の異名をほしいままにしてきた父・田中一夫も、齢九十を超え、近年とみに足腰が弱ってきた。今月初め、転倒により腰を痛め、人生初の入院を体験。しかしながら慣れない病院生活に馴染めず、数日前、力ずくで退院してきたのだ。86歳になる我が母・和子、妹・惠子(ギャラリー「月のテーブル」店主)およびその婿の三名で、自宅介護を始める。ところが婿が所用で数日家を離れることに…。男手を欠いて不安になった妹が、私にSOSを送ってきたというわけだ。ウィークエンドでもあるし、おっとり刀で駆けつける私。
 ただ、幸いなことに、父の容体も安定してきたようで、それほど男手が必要な状況でもない。
 それで妹からブドウ園の草刈りを仰せつかる。
 実家にはブドウ園がある。田中巨峰園と称している。今は妹と婿が中心となってやっている。その雑草刈りをしてくれというのだ。草刈りは私も竹林用務員として手慣れたものだ。「ブドウ園の中は日陰だから涼しいわよ」という妹の甘言にのせられ、真夏の野良に出向く。
 「さわやか信州」とは言え、日中の気温は東京に負けない。そしてブドウ園の労働環境は、竹林ほど生易しくない。というのも、ブドウ棚が女手に合わせて設計されているので、低いのだ。男子は屈まないと入れない。わけても今は、ブドウの房が30cmほど下垂している。その中でエンジン付きの草刈機をブン回すというのは、かなりの重労働である。場所によってはひざまずいて作業したり。数分で滝汗状態。
 ま、しかし、それによって愚妹の負担も減り、老父の世話にもそのぶん手が回せるようになるのだろうだから、間接的な介護行為と言えよう。
 弊スタジオでは初秋、お世話になった皆さんにこのブドウ園から巨峰などお贈り致すのであるが、そのブドウ数十玉のうち、ひと玉くらいは、私の労働のたまものと言えるかも。
 






 

7月20日(土) 藍の東西

 雨季に入っておよそ三週間経ったGangaMaki工房から写真が送られて来た。
 藍畑の様子だ。(左上写真)
 これは工房敷地内の藍畑。インド藍がもう腰の高さほどに育っている。
 5月初めに播種。6月11日の様子がこちらだから、40日ほどでいかに成長したかがわかるだろう。
 乾季は毎朝の灌水が必須だったが、6月中旬から周期的な降雨があり、雨季入りしてからはほぼ連日の降雨と30℃前後の高温で、マメ科の低木であるインド藍もぐんぐん成長する。
 そして今年の藍は健康だ。というのも、種子を新しく南インドから導入したからだ。
 昨年の種子は弊工房の自家採取で、南インド種と沖縄種の混淆。そのせいか、昨年のこの時期、新芽に害虫がついて苦労した。
 今年は今のところ順調な生育を見せている。(気候のせいなどもあるのかも)

 一方、左下写真は東京五日市、拙畑の藍草。
 こちらは蓼藍(たであい)だ。歴史的には中国から伝わったという。
 4ヶ月ほど前に蒔いたもので、5月末に畑に定植。やっと20cmほどになった。
 上写真のインド藍は播種後2ヶ月半だから、彼我で成長具合にかなりの差がある。おまけに藍色素含有量はインド藍の方が多い。日本での藍染はそれだけ大変だということだ。ただ、生葉染めのスカイブルーは日本の藍でないと出ないので、毎年こうして蓼藍を育てているというわけ。

 右下写真はGangaMaki工房の藍甕。
 一ヶ月ほど前に仕込んだものだ。
 なかなか発酵が進まず、ちょっと気を揉んだのであるが、先週あたりからブクブクと泡立ってきた。
 インドも例年より気温が低目に経過してきたので、液温も上がらず、藍建菌の活動も不活発だったようだ。
 それでも徐々に藍を染めるようになってきた。
 藍は南インド産の泥藍。タミルナド州のアンバラガン氏から買っている。氏とはもう13年の付き合いだ。
 今年はGangaMaki工房でも例年の倍以上のインド藍を作付けしたから、自家製の泥藍製造も考えている。さてうまく行くか!?


7月17日(水) アオい衝撃

 拙宅は竹林スタジオから6kmほど離れた山中にある。
 今朝のこと。寝室の板壁をたたく音がする。
 寝床から起き上がって、外に顔を出すと、大ぶりの鳥が二羽飛び去っていく。
 鮮やかな黄緑が印象的 — キツツキのアオゲラだ。
 毎年この頃になると、ウチの家をたたく。
 板壁なぞたたいたところで、虫もいないだろうに —
 と思いつつ、もし私が今の百分の一のサイズだったら、顔を出したところでアオゲラに食われていたのだろう。大きくて良かった。

 午前中。久しぶりに日が出たので、洗濯物を干す。
 ふと見ると、拙宅書斎の窓際、積み上げた薪の上に、見事トグロを巻いた蛇がいる。
 アオダイショウだ。
 甲羅干しならぬ、ウロコ干しであろう。(右下写真)
 アオダイショウはウチにとって貴重な存在である。ネズミの天敵だからだ。どうりで最近、屋根裏が静かだと思った。(よくハツカネズミが跳梁する)
 薄曇りの陽気が快適だったのか、すぐ脇で戸を開け閉めしても、写真を撮っても、まったく平気でくつろいでいる。おそるおそる手で触ってみたが、やっぱり平気でくつろいでいる。よほど信頼されているようだ。
 野生の蛇に触るのは初めてだったが、生暖かく、骨肉を具え、人間の身体を触っているよう。これなら友達になれそうだ。
 ただ、やはり、私が今の百分の一サイズだったら、丸呑みされていたことだろう。大きくて良かった。
 


7月15日(月) 工房発掘

 よく古代遺跡に「工房跡」の発掘例がある。縄文時代の石器工房とか土器工房とか。
 昔の工人たちの営みがしのばれる。
 今、弊染織工房でも発掘作業が行われている。
 縄文ほど古くはないが、様々な織物が姿を現している。

 じつは来月3日から始まる「8月の竹林」向けの作業だ。
 この「8月の竹林」展には、例年、変な物が出品される。
 真木千秋の掘り出し物だ。
 ちょうど今、本人が一時帰国している。
 雨の連休でもあるし、その作業に勤しんでいるというわけ。

 皆さんもご存知のごとく、モノって、知らないうちに増殖するものだ。
 加齢につれて忘却速度も早まるから、納戸や物置にもぐりこむと、思わぬ貴重品も出てくる。
 懐かしの新井淳一布とか、パリで買った眼鏡とか、ポータブルHDとか、スマホ充電コードとか…
 ま、そういうのは余禄として、けっこうご紹介できそうなのがある。
 敷物や袋物、衣類やインテリア — 試作品や参考品が主だ 。その中には往年の名手ワヒッド製織の布を使った上衣も。
 あと、真木千秋が古道具屋で購入したきり全然使っていなかった長火鉢とか、レモングラスで作ったスクリーンとか、アンツクの籠とか、ちょっと変わったものもある。欲しい人いるだろうか??

 雨はそぼ降り、発掘作業はいつ果てることもなく続く。
 (物置も片付くしちょうど良い)
 


7月12日(金) ヒグラシ記録

 こちら関東地方は、梅雨らしい日々が続いている。
 太陽というものの存在を忘れそうだ。
 気温も低目だから、楽と言えば楽。
 そんな今日の夕暮れ、畑に出ると、遠くの森からヒグラシの声が聞こえてくる。
 今年初めてだ。
 いそいそとカレンダーに書きこむ。

 ヒグラシは私の最も好む生き物のひとつだから、毎年初鳴きを記録している。
 紀元2000年から、インド滞在時を除き、昨年まで18年分の記録がある。
 それによると、初鳴きの平均は、7月2日。
 今年7月12日は、今までで一番遅い記録だ。
 平均から10日も遅れている。
 同時期に鳴き始めるニイニイゼミも、まだ鳴いていない。

 今年はちょっと異常なのかも。
 新聞紙上では1993年の冷夏も取り沙汰されている。
 あの時はウチもタイ米を買って食べたものだ。
 残念ながら当時はヒグラシ記録をつけていなかったので、同年の初鳴き日はわからない。
  (わが愛用のパソコンにカレンダーソフトがついていなかったせい)
 タイ米は好きだから別に問題はないが。
 インドでも似たような米を毎日食っているし。


7月7日(日) そういえば牽牛織女

 今日は7月7日。
 神奈川の平塚あたりでは七夕祭が行われているはずだ。
 ただ、太陽暦の7月7日は関東地方では通常、梅雨の最中。牽牛織女のランデブーもなかなか叶わない。
 本来の七夕は太陰暦の7月7日だ。太陰とはお月さんのこと。

 今、私ぱるばは信州上田の実家にいるのだが、このあたりの七夕は毎年、月遅れの8月7日だ。有名な仙台七夕も同日である。
 今年はたまたま朔日(新月)が8月1日なので、月遅れの8月7日がピッタリ太陰暦の7月7日にあたる。これはおそらく29.5年に一度の現象であろう。
 ともあれ、本日にしても空模様はイマイチであるから、七夕は月遅れの方が良かろう。子供も夏休み中だし。

 ところで、GangaMaki工房の様子を目にする日本人がよく口にする感想は、「織り手は男の人なんですね」というものだ。
 中国には「男耕女織」という言葉があるが、日本も機織りは女の仕事という感覚がある。
 GangaMaki工房の織工は現在8名ほどいるが、すべて男なのだ。それで日本人などは奇異に感じたりするのだろう。

 インドでは、主として男が、職業として機織りをする。
 そもそも手織の作業はけっこうな力仕事なので、織り手も体力が必要だ。大機を操るには手足も長い方が良いし、ジャカード機の上によじ登ったりもする…。それゆえ、職人として機織りを生業とする場合、男性的ボディの方が有利だとされる。
 そうした事情で弊工房の手織職人も今のところすべて男だという次第。

 ただ、インドも日々変化している。工房も日々変化している。
 数年後には、世界中から元気な女子が集まって、機の前に座っているかもしれない。






 

7月6日(土) 緑の絨毯

 今朝、インドのGangaMaki工房から写真が送られてきた。
 畑の様子だ。(左上写真)
 若草が一面に茂っている。牛を連れてきたらさぞや喜ぶだろう。
 しかし、そういうわけにもいかない。大事な藍畑だからだ。

 工房敷地に隣接する畑を借りて、一ヶ月前にインド藍の種を蒔いたのだ。
 右写真がそのときの様子。
 カラカラに乾いて、不毛の荒れ地のようだ。こんなんで藍が育つのだろうか?という風情。
 しかしその後、ときおり降雨を見るようになり、ついに数日前、この地方も雨季入りしたようだ。
 左右の写真を見比べるとわかる通り、一ヶ月間で大きく様変わりだ。北インドの気候の極端さがわかるだろう。

 この一面の若草。ほとんどが雑草だ。
 これを人手で除草し、藍を育てる。
 左下写真、白い↓の先が、藍の芽。クリック拡大すると、マメ科特有の複葉がわかるだろう。
 やっと芽生えたばかりの小さな藍の木だ。(インド藍は小灌木である)。藍だけ残して除草するのも容易ではない。
 もうちょっと効率的な栽培法もあるんだろうが、このあたりで藍を育てているような話も聞かないので、自分たちで試行錯誤するほかない。
 病害虫対策とか、いろいろ難しい問題がある。


 

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