絲絲雑記帳

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竹林日誌 10前/09後/09前/08後/08前/07秋/07夏/07春/06秋/06夏/06春/05秋/05夏/05春/04秋/ 04夏/04春/03秋/03夏/03春/02後/02前
/01/99-00/「建設篇」






 

4月2日(木) タッサーシルクのマスク

 今や生活必需品となりつつある小アイテム。
 私ぱるばも昨日、新宿伊勢丹の店頭に立った際、真木千秋からあてがわれて装着する。
 いかにもというような、不織布を使った淡青色のマスク。
 しかしながら、イマイチ似合わなかったようだ。

 明日も私は伊勢丹に向かう。
 それで決然、真木千秋、弊スタジオのハギレを使って、マスクひとつを作り始めるのであった。(上写真)

 これからは布マスクの世になるようだ。
 昨日は首相も布マスクで登場する。昔、学校の保健室で見かけたような懐かしいフォルム。
 きっとアレが全世帯に二枚ずつ配布されるのであろう。
 洗えば何度も使えるという。
 政府が配給するのだから、それなりの効果はあるのだろう。

 下写真が口鼻を押さえる部分。
 材質はタッサーシルク。それをメヘンディで染めたグレーの布だ。
 タッサーシルクは抗菌性があると言われるが、抗ウイルス性はどうなのか。
 日本野蚕学会の幹部に聞いてみたが、それについては定かでないらしい。
 繊維が多孔性だから、きっとそこにウイルスを閉じ込めて逃がさないのではないか。

 サラッとしているから、付け心地も良いことであろう。
 シルクは洗っても縮まないという長所もある。
 さて、どんなマスクが出来上がるのだろう??


3月31日(火) 明日から新宿伊勢丹展示会

 う〜ん
 私たちとしても複雑な気持ちである。
 ネット上では東京ロックダウンの噂も飛び交う中、メガシティ新宿で展示会!?
 しかも日本最大の百貨店で!?

 新宿伊勢丹のHPをチェックすると、弊スタジオ展示も、この通りしっかり開催である
 ウチのスタッフもやる気まんまんで、今(19:37)、店内で展示作業に励んでいる模様。
 明日の初日、天気はイマイチのようだが、真木千秋や私も会場に赴くつもり。
 時節柄「ぜひお越しを!!」とはなかなか言いづらいのであるが、ひとまず開催のお知らせを。
 なお本日の発表によると、一週間の会期中、4日(土)と5日(日)は伊勢丹も休業になるとのことで、よろしく!!



3月28日(土) 不要不急

 不要不急の外出は控えるように、という東京都のお達しに従い、竹林Shopも今日明日と休業。
 開店14年目の弊Shopであるが、土日に閉じるのは今回が初めてではないか。それだけ常ならぬ状況だということだ。
 普段から開店休業みたいな店だから、閉じたところで感染防止への貢献はほとんどあるまい。都心から離れた辺境の地だし。
 とは言え、来客が見込めないのに開店するのも空しいし、それゆえ、このたびは休業。

 午前中、真木千秋は散歩に、私ぱるばは畑仕事に、それぞれ外出をする。どちらも不要不急であるが、人跡稀な山里だし、家でじっとしているより健康には良いであろう。
 昨日、近所の種苗店に野菜の種を買いに行った。景気はどう?と尋ねると、普段と変わらないとの答え。このへんのおじさんたちはみんな野良仕事に励む所存なのだそうだ。手狭な店内は種を求める人々で溢れ、ちょっとしたホットスポット状態。私もそんなおじさんたちのひとりなわけだ。
 四日前にインドから帰還した真木千秋もすこぶる元気な様子。ただ、チト想定外だったのが、周囲の人々の反応だ。千秋の顔を見ると「家に居なくて良いんですか?」と聞かれたりする。居なくて良いのだ。インドは「帰国後14日間自宅待機」の範囲外なのである。現状ではインドの感染者数は、欧米はもとより日本に比べてもかなり少ない。それでもヨーロッパなどからの帰国者に感染が頻々と見られることから、それといっしょくたにされて敬遠されるのかも。真木千秋もあまり声高に「インドから戻ってまいりました!」などと宣言するのは止めといたほうが良いだろう。
 今、五日市は桜が満開。明日は雪になる模様だ。






 

3月25日(水) 真木千秋の帰還

 ここ数日、真木千秋はインドの急展開に翻弄された。
 22日の日曜は全土で外出禁止令が施行される。
 翌23日になると、外出禁止が月末まで延長となり、真木千秋もやむなく帰国を決意する。29日にJALが飛ぶようだったので、その便を予約する。まだ同日のデラドン — デリー間の国内航空便も予約。陸路は封鎖されているという。
 ところが、同日夜、「25日より国内線飛行停止」が発表される。「えっ、じゃ、29日に飛べないじゃん!」ということで、あわてて24日のJAL便および国内便を予約。それぞれ一席しか残っていなかったという。
 翌24日、朝の便でデリーに飛び、夜のJAL便に搭乗。今朝の6時54分、無事成田に到着するのであった。
 成田までは会長兼アッシーの私ぱるばが迎えに行く。

 11時過ぎに竹林スタジオに到着。するとスタッフの服部謙二郎がまさに山梨に向けて出発しようとしている。目的地は北杜市にある織機製作の「きつつき工房」。
 さきごろ西表・紅露工房から古い撚糸機をもらう。その整備をきつつき工房の松永さんにお願いしようというのだ。それで急遽、三人で山梨に向かうことにする。(写真が松永夫妻と真木&服部)
 撚糸機整備には少々時間がかかるようだが、完了したらインドの工房に持参して糸作りに役立てようと思っている。
 北杜市には増満兼太郎氏の工房もある。それでちと足を延ばして久しぶりに増満一家の顔を見る。真木千秋にとっては初の山梨増満工房の訪問となった。

 実際のところ、JAL便は25,27,28日も運航しており、また陸路についても日本大使館が通行証を用意してくれていたので、本日以降でも帰国は可能であったろう。
 ただ、東京も風雲急を告げているし、これからどうなるのであろう??
 


3月20日(金) 新型メディア

 インドの動きが急だ。昨夜モディ首相の国民向け演説があって、今後数週間の決意と自制を呼びかけている。不要不急の外出は控え、政府や病院などを除き自宅で勤務するように。また明後日22日の日曜日は全国民が7AMから9PMまで自宅待機せよ、とのこと。 ちょっと戦時のようだ。
 自宅勤務と言われても、織機が無ければ機織りもできない。環境の良さを誇るganga maki でもあるし、他のところといっしょくたに自宅勤務と言われても困る。
 ま、日曜の自宅待機くらいは良いが。

 ともあれ、先行きのまったく見えぬ新型のウイルス禍であるから、会長兼用務員の私ぱるばとしても、日夜情報収集に相努めている。
 ここにひとつ、新型のメディアが登場。試しに使ってみている。
 NHKプラスだ。この3月から運用が始まった。
 これがちょっと便利かも。
 NHK受信料さえ払っていれば、誰でも簡単な手続きで、パソコンやスマホ、タブレットでNHKの放送が無料で同時受信できるのだ。
 特に便利なのが、見逃し番組の配信。私は今のところニュースしか見ないのだが、普通、ニュースが見たければ、朝7時とか、12時とか、夜の7時とか、ちゃんとその時間にテレビの前に座っていないといけない。
 ところがNHKプラスだと、そんなのほとんど気にせず、好きな時に、好きな格好で視聴できる。通常のパソコン動画みたいに、途中で止めたり、進めたり、巻き戻したりできる。
 いちばん有難いのは、関係ないニュースを飛ばして時間を節約できること。節電にもなるな。重要箇所は繰り返し見られるし、途中でトイレにも行ける。
 今、21:28。そろそろニュースウオッチ9をチェックするか。







 

3月18日(水) 銀座 de ベジミールス/その2 「ダルマ・サーガラ」

 銀座松屋百貨店から徒歩圏内の南インド料理店をチェックするシリーズ、第二弾は東銀座の「ダルマ・サーガラ」。
 南印料理店としてはけっこう老舗で、私も十年ほど前に一度訪ねたことがある。
 松屋通りを築地方面に歩いておよそ5分。インド系としては洒落た作りだ。
 12時過ぎに入店したが、こんな時節でもしっかりお客が入っている。ただ、メニューを見ると、前回の「アーンドラ・ダイニング」同様、ベジタリアン・ミールスは無い。しかしお構いなく頼むと、ほどなく出てくる。(上写真)
 「アーンドラ」と比べると、カトーリ(小皿)が二つほど少ない。パンは揚げパン(プーリー)で香ばしいが、米は十年前と同じく日本米。
 カトーリの中身は、ポリヤル(野菜料理)、豆カレー、サンバル(南印定番スープ)、ラッサムスープ、ヨーグルトだ。どれもそれなりに美味。サンバルはカレーリーフが効き、ドラムスティックも入っていた。締めのラッサムヨーグルト飯もOK。ただ、日本米だったのがちょっと残念。やはりサラサラしたインディカ米で行きたいものだ。(冷えたインディカ米は繊維質が増えて健康的)。ということで、少々減点。
 ベジ・ミールス ★★★。店の雰囲気 ★★★★。価格はミールス+飲み物で二千円くらい。「アーンドラ」も同価格帯。ただ、アーンドラでは南インドコーヒーが飲めたが、当店では南印コーヒーは夜のみ。
 
 ところで、竹林カフェ第二シェフのティモケ(北村朋子)が今、南インドにいる。
 今日はこんな写真が送られてきた。(下写真)
 金属の食器とか使わず、バナナの葉っぱに盛り付けてある。
 この状態で、スプーンなど使わず、手で食うと、ひたぶるに南インドだ。
 あぁ、こんなセットアップで南印ごっこしたい!
 左下の物体は白身魚のフライ。ノンベジ(非菜食)だ。
 ティモ君、ホントは今日、チェンナイ発ANA便で帰国の予定だったが、飛行機が飛ばないんだそうだ。日本ー南印路線はANAが昨秋就航させたばかりだが、コロナでころんでしまった。北印のデリーまで行って、帰途につくらしい。
 今回は南印料理を存分に味わったようだから、また竹林で披露してくれるだろう。






 

3月17日(火) 羊と牛を巡るお話

 ganga maki 工房の近くに、リシケシという街がある。
 ガンジス川が平野に流れ出す地点にあり、ヒンドゥー教の聖地。ヨガの道場もたくさんあって、日本人も含め世界中から多くの人々が訪れる。独特な雰囲気があって、私ぱるばも好きな街だ。こじんまりしているし、街としてはインドで一番快適かも。
 工房からは車で15分ほどだが、途中、ラジャジ国立公園の森を抜けていく。よく象が出没するので、交通規制されることもしばしばだ。象に出会ったらクルマなどひとたまりもない。(インドでは人命より象命のほうが重い)。私もリシケシへの道中よくこの森を抜けるのだが、幸か不幸か、まだ象に遭遇したことはない。

 一昨日、森を通りかかった真木千秋、とある動物の一群に出会う。
 羊だ。(上写真)
 ガンジスの谷筋で遊牧されている羊群で、リシケシ郊外で冬を越えている。
 このあたりは標高400メートルくらい。1月に毛刈りが行われる。ただ、そのときの羊毛は粗いので、機織りには使われない。写真を見るとわかるが、刈られたばかりなので体毛は短めだ。中に一匹、違う動物がいるのがわかるかな? (人間ではない。答えは一番下)
 気温も上ってきたので、もうじきキャンプ地を発ち、ガンジスの谷を北上する旅が始まる。
 夏は遥か上流、標高三千メートル超の高地で涼しく過ごし、9月に遊牧民の村ハーシルで毛刈りをする。その羊毛がヒマラヤウールとしてMakiの布になる。
 秋、気温が下がるにつれて徐々に谷を南下。ここリシケシ郊外の野営地で冬を越えるというルーティンだ。

 本日もまたひとつ、真木千秋から写真が送られてくる。
 このたびは牛だ。(下写真)
 場所はganga maki 工房の敷地内。背後にギャラリーが見える。
 青空の下、二頭立てで畑が耕されている。
 藍畑だ。
 ここにインド藍を播種するのである。
 耕す時に使う道具は、鋤(すき)。
 用務員たる私ぱるばはこちら五日市の藍畑を、備中鍬(びっちゅうぐわ)で耕す。
 それに比べると、牛二頭立ての鋤は遥かに効率的だ。
 そうだなぁ、五十倍は早いだろうか。恐るべきパワー。
 その分、毎日、役牛の世話をしないといけないが⋯
 工房ではそんなヒマはないから、近所の農夫に頼んでやってもらう。

答え)
写真中の左上、畜群の中の立木の右側、白髭のお爺さんみたいな動物、山羊。
山羊と羊は仲良く群をなす。山羊は乳および肉用。







 

3月15日(日) インドの生絹

 昨日、東京で桜の開花宣言。観測史上、最も早い記録だそうだ。
 こちら武蔵五日市でも、別種の桜があちこちで花開き、人間界の騒ぎをよそにめでたく春の到来。
 しかし、彼らも気をつけないといけない。お隣・青梅の名所「梅郷」では、梅がプラムポックスウイルスに感染し、全伐採の憂き目を見る。6年前のことだ。
 ともあれ、早く暖かくなるのは良いことだ。高温と湿気はウイルスの活性を抑えるらしいし。

 それで注目されるのは、インドの状況。南は常夏だし、北ももうじき夏を迎える。
 感染者数は今のところ百人前後で、人口比から言うと感染率は日本の百分の一程度。
 ところがインド政府の反応はえらく俊敏で、さっさと鎖国してしまった。4月15日まで外国人の入国は禁止だという。渡航が認められるのは「真に必要と認められる理由がある場合」のみだそうだ。酷暑の夏になるまでブロックということか。
 ま、混沌の大地で、日本ほど医療事情も良くないから仕方ないか。

 そしてインド滞在中の真木千秋。日本には戻るに戻れない。戻るのは簡単だが、いつ再渡航できるかわからない。
 ganga maki 工房のある北インド/ウッタラカンド州では、まだ感染者発生の情報はない。ヒマラヤの麓だし、やや神経過敏なインド中央政府とは対照的に、きっといつも通りのんびりしていることであろう。
 気候も良いし、真木千秋もスタッフともども仕事に励んでいる様子。

 上写真は、インドの絹都バンガロールの機屋から届いたオルガンザ。セリシン(ニカワ質の保護層)を落としていない生絹(すずし)で織った生地だ。2月初めに同地を訪れ、機屋の親父アスラム氏とともに仕込んだもの。それが届いてきたのだ。

 縫製用の生地だ。生絹だからハリがある。服に仕立てるには精練、すなわちセリシンを落とし、柔らかくする作業が必要がある。
 しかし精練し過ぎてもオルガンザの魅力が失せるので、そのあたりの加減が難しい。日本から持参の蛋白質分解酵素を用いて練る。液温や時間に細心の注意が必要だ。
 その後、インドの草木で染めを施す。下写真はザクロでグレーに染めた生地。
 精練・染色を経て、工房の針場で縫製。衣になって、来月あたり日本に届く。
 ゴールデンウィークの竹林展示会でご披露できるはず。それまでに状況が落ち着いていると良いが。






 

3月14日(土) 銀座 de ミールス

 銀座に出かける。松屋百貨店で開催中の弊スタジオ展示会のためだ。
 はるばる西多摩の山里から出かけるわけだから、何かもうひとつモチベーションが欲しい。
 早朝、新聞を読んでいたら、格好なのが見つかった。
 「アーンドラ・ダイニング」!。南インド料理店だ。
 アーンドラとは南インド・アンドラプラデシュ州。私ぱるばが毎年出かけるところだ。表向きは極薄木綿生地マンガルギリの仕入だが、ホントはアーンドラのミールスを食いに行くのだ。ミールスとは定食という意味。世界中ほっつき歩いた私だが、南インドのミールスは中でも屈指のご馳走だと認識している。
 今年も2月4日にアンドラ・プラデシュの街ヴィジェイワダでミールスに与った。上写真がそれ。まるいプレートにバナナの葉が敷かれ、その上に様々な料理が並ぶ。真ん中に煎餅。その下に揚げパンで、それを食べ終わると、ライスが盛り付けられるという寸法。
 南インドは菜食が基本なので、写真もベジタリアンのミールスだ。めちゃウマ。菜食料理としてはおそらく世界最高峰だろう。写真の奥に写っているのが私だが、物も言わず食事に没頭している。

 そのアンドラのミールスが銀座で食える!?  それも松屋の目と鼻の先だ。
 これは見逃せない。朝、雨の中いそいそと家を出立し、苦節2時間20分、銀座一丁目の同店に到着。なかなか小綺麗な作りだ。満腔の期待をもってベジ・ミールスを注文する。
 ただ、ちょっと気になったのは、メニューにベジ・ミールスが載っていないのだ。トップにあったのは「ビリヤニ・ミールス」で、ウェイターも当然それを注文するものと思っているようだ。ビリヤニは「ノンベジ」すなわち肉入り料理で、それ自体は誠に美味であるが、やはりここは南印の定番、ベジで行きたい。
 メニューになくても、インド料理店はどんな注文でも受けてくれる。もうひとつインド飯屋の良いところは、ほとんど休み無く毎日営業しているところだ。
 ほどなくベジ・ミールスが運ばれてくる。下写真。見たところ、本場ミールスと何ら遜色はない。ただ、揚げパンではなく、普通の北印チャパティ(ローティ)だ。ヘルシーなんだろうが、ちと調子が出ない。
 それより、ポリヤル(野菜炒め)やおかず類がイマイチ。本場の南印おかずは、どうやってこんな味出すんだろう??とびっくりするほど美味い。その驚愕が無いのだ。
 そして仕上のラッサム。左上、朱色のタマリンドスープだが、いろんな野菜のダシが出て、これぞ南印飯のキメ手。それを最後にお茶漬けみたいに飯にぶっかけ、ついでにヨーグルトも全投入し、残余のおかず類とともに手でグチャグチャとこねくり回しながら食う。グランドフィナーレたる混沌のラッサムヨーグルト飯。なのだが⋯、う〜ん、イマイチ感動が薄いかな。期待のしすぎだったか⋯

 思うに、これは日本のインド飯屋に共通することだが、客は一般にノンベジを期待するのだな。チキンとか、ラムとか、シーフードとか。動物性蛋白イコールご馳走なわけだ。
 それに南印飯屋のハンディは、北印飯も出さないといけないこと。つまりアナタがインド飯屋に何を求めるかというと、ナンとかタンドーリ・チキンとかキーマとか⋯。あれは北印料理で、本場南インドの飯屋は提供しないのだ。
 日本の南印料理屋はそうした特殊性を背負うので、ベジ・ミールスにまで手が回らないのかな。
 それゆえ、当店はベジ・ミールスについては★★。店の雰囲気は★★★+½なので、ノンベジ(特にビリヤニ)目当てに行くのは良いのかも。

 ところで、驚いたことに、銀座松屋からは徒歩圏内にミールスを食わせる南印飯屋が同店も含め五つもある。今後ひとつずつチェックしよう。


3月11日(水) 春爛漫 もしくは 春暗澹

 カラリと晴れ渡った空の下、江戸表へ向かう。
 目的地はまず、千鳥ヶ淵のインド大使館。
 日本人入国禁止を押して、今月末のインド入国を目論む私ぱるば。
 真木千秋がひとりでぐゎんばっているので、微力ながら応援だ。
 緊急の場合、特別ビザがもらえるらしい。
 理由書が必要ということで、ザッとしたため、持参する。
 午前10時過ぎに到着したところ、同じような事情をかかえる人々がたくさん居るらしく、待合室はいっぱい。
 二時間ほど待たされ、やっと窓口に理由書とパスポートを提示。すると、ダメです、入国できません、延期してください、と言われる。
 それで引き下がったら、ぜんぜん緊急性が無いわけだ。仕事で行く必要があるんです、と粘ると、それでは審査しましょうと — 。連絡先を伝え、審査を待つことになる。
 早咲きの桜が花びらを散らす春爛漫の千鳥ヶ淵であった。

 その足で銀座の松屋に回る。
 今日から二週間にわたり春の真木テキスタイルスタジオ展だ。
 よりによってなぜこの時期に⋯と思われるだろうが、昨秋から決まっていて、今さら動かせない。
 今日は好天もあって、銀座も松屋もまずまずの人出であったらしい。
 それでも、弊スタジオとしては、展示自体は華々しかったものの、初日としてはひたぶるにウラ悲しいものであった。
 大村恭子&酒井美和の最強コンビも、いささか手持ち無沙汰な様子。
 そう言えば今日は3.11。九年前のこの日、私ぱるばは2:48PMを松屋で迎えたのであった。電車も止まり、自宅に戻れなかった。
 銀座松屋での展示会も今年で18年目。長くお世話になっていると、いろいろある。
 今日もまた、来週の時間変更が通告される。開館時間が1時間遅くなるようだ。インバウンド需要も途絶え、百貨店側にもかなりの危機感が伺える。
 さて、これからいかなる次第になることやら。




 

3月9日(月) マスクとバンスリ

 用事があって、お隣の青梅市にあるクルマのディーラーを訪ねる。
 別に買うわけではない。修理だ。
 道々気づいたのだが、けっこう多くの対向車で、運転者がマスクをしている。同乗者が居なくてもだ。
 コロナ対策で車通勤が奨励されているくらいなのに、なぜわざわざ??
 ディーラーのM氏もマスクをしている。なぜ運転者がマスクをしているの?と聞くと、M氏いはく、コロナのせいというより、今このあたりは花粉なんです、との答え。
 あ、そうか、ここ西多摩は花粉の供給源であったな。車の上にも花粉が積もる。
 M氏も花粉症なので、この時期はマスクが手放せないという。いつも12月あたりに60枚くらい買って、花粉の時期に備えておくんだそうだ。
 はたしてマスクがコロナウィルスの感染防止に役立つか(特に移される方)、については諸説あって、よくわからない。
 なかなか手に入らないようでもあるし、私は今のところマスク無しだ。
 そういえば、弊スタジオも数年前、マスクのサンプルを作ったことがあった。あれはどうなったろう。
 タッサーシルクなど野蚕糸は抗菌性に優れるという研究結果があるが、抗ウィルス性はどうなのか。試してみる価値はあるかも。国際野蚕学会の諸先生方の研究も期待したい。

 さて、そのコロナのせいで、日本に帰りそびれた真木千秋。
 憂さ晴らしか、今、ムンバイに居る。建築科ビジョイ・ジェインの家に滞在し、楽しく過ごしているらしい。
 昨夜はスタジオムンバイでバンスリ(横笛)のコンサートが開かれる。ハリプラサードの高弟だそうだ。動画が送られてきた。う〜ん、確かに私より上手い。
 日本ではコンサートも軒並み中止で、音楽家たちは困っているらしい。
 インドはまだそこまで深刻ではないようだ。
 演奏者はもちろん、数十人の聴衆も誰ひとりマスクをしていない。花粉もないし。




 

3月3日(火) 樹上の孔雀 あるいは 不如帰

 昨日、送られてきた動画から切り抜き。
 やはりキワタであろうか、裏山の大木の枝にとまる雄の孔雀。
 雄の孔雀も飛べるのだということがわかるでしょう。
 これもなかなか見られない風景だ。(私は見たことがない)
 この裏山も、我々が建設を始めた七年前に比べると、木々がだいぶ繁るようになった。孔雀が殖えたのもそのせいだろう。

 この動画を撮った昨日、真木千秋はせっせと一時帰国の準備をするのであった。
 今朝、出立の準備も整い、私ぱるばと電話で疫病情勢を語り合う。
 そして、なんか、イヤな予感がする。
 今夜デリーを飛びたって帰国の途に就く予定だが、はたして十日後にインドに戻れるのか!?
 ちょっと延期して様子を見た方が良いのではないか。

 それで急遽、東京のインド航空(AI)オフィスに電話し、本日分の予約をキャンセルする。
 予約の変更/キャンセルはこの一週間で三度目だ。逡巡の連続。AI東京支社もタイヘンだ。(お世話になります)。AIは調度がややボロいが融通きくのが有難い。

 そして、ついさっき、そのAI東京支社から緊急通知が入る —
 本日より日本人のインド入国が許されなくなるというではないか!
 (既に入国している日本人はOK)

 ある意味、これで真木千秋も腰を据えて、仕事に励むことができる。
 ちょうど今はいちばん気候の良い時期だ。
 もちろん、帰国したくなれば、いつでも帰れるはず。
 北インドが灼熱の大地になるまで、織りに、染めに、専心する所存。
 こんな状況に立ち至るとは、ひと月前には思いもよらなかった。




 

3月2日(月) キワタとインコ

 ワイルドライフシリーズ、その4。
 裏山に生えているキワタの大木。この木からは、4月末にワタが採れる。
 坐蒲の中綿などに使っているが、地産地消のシンボル的存在だ。
 その木の紅い花を美味しそうについばむインコ。
 「犯人見つけた!」とばかりに真木千秋が動画を送ってきた。
 写真の一番上の花に取りついているのがそのインコ。
 ま、わざわざクリック拡大するほどの画像でもない。
 なんか田中一村風で良いでしょう。

 目下、喫緊の課題は、どこも同じ、例の疫病。
 インドの感染率は、WHO発表に照らせば、日本の3000分の1くらい。ヒマラヤの麓、ganga maki工房にいればかなり安全だ。
 しかしながら、真木千秋もそろそろ里心がついて、一時帰国したいらしい。
 帰国するのは容易だが、問題はインド再入国。
 日本から来た人間を、果たして彼の国が入れてくれるのか!?
 相手がインド政府だからね、これは皆目見当つかない。
 日本の感染終息を祈るばかりだ。




 

2月29日(土) インド孔雀

 最近ワイルドライフの話ばかりで恐縮だが、これは一昨日、インドの真木千秋から送られてきた動画の切り出し。
 例によって裏山に散歩に出かけた折、出くわしたもの。
 雄のインド孔雀だ。

 孔雀自体はそんなに珍しくない。工房の敷地内にも最近、毎日のように現れる。
 ただ、ほとんどが雌の群。尻尾も短く、地味である。これは個体数が多いのか、はたまた雌の方が積極的なのか。私ぱるば自身、雄は見かけたことない。
 そして、写真に撮るのも難しい。というのも、必ずしもカメラやスマホを所持しているわけではないし、また、近づくと逃げるからだ。
 この写真の雄孔雀も、真木千秋に気づいて逃げようとしている。

 孔雀はインドの国鳥で、厳重に保護されている。別に逃げる必要はないはずだ。
 思うに、孔雀が保護されるようになったのは、ごく最近のことなのであろう。
 インド亜大陸に人類が出現して数百万年、孔雀はずっと食われ続けたに違いない。雉や鶏の仲間だから美味いはずだし、大きいから食いでもある。ここ数十年保護されたからといって、DNAに刻まれた迫害の記憶はそう簡単には払拭されまい。
 別にインド人が野蛮というわけではない。我が国でもかつて殿中ではよく野鳥が賞味されたそうだが、一番のご馳走は鶴で、二番目が白鳥だったとか。どんな味だったのだろう??

 先日の豹と違って自分が食われる心配もないので、真木千秋も安心してスマホを向けられたようだ。
 動画では尾羽をゆさゆさ揺らしながらその場を去っていく。あんなモノを身につけていたらさぞかし邪魔であろう。動画は竹林5月展の折にでもご披露しよう。




 

2月23日(日) 竹林のコブラ

 インドの真木千秋からは連日、ワイルドライフの写真が送られてくる。
 気温も上がって、いろんな生物が出現するようだ。
 昨日送られてきた動画は、別種の小さな鹿、そして孔雀。
 
 こちら竹林も、現在「2月展」、終盤の三連休だ。
 気温も上がり、毎日いろいろ出現。
 今日はコブラ!
 アメリカ製のオープンカーだ。
 排気量7000cc。エンジン音も並大抵ではない。ご本人は恐縮しておられたが、ここ竹林はチェーンソーを使ったりもするし、そういうのはまったく問題ない。
 居合わせたお父さんたちの注目を浴びていた。
 日本には珍しいクルマで、レプリカも多いらしいが、これはホンモノだという。

 ホンモノと言えば、ganga maki工房のコブラはもっとホンモノだ。
 正真正銘のが、敷地に現れるのである。
 夏も近づくし、これからちょっと気をつけねば。
 さて、2月展も明日で最終日、どんな生物が出現するか!?
 






 

2月19日(水) ganga makiのワイルドライフ

 現在、真木千秋と服部謙二郎の二名がインドganga maki工房に滞在中。
 もっとも、真木千秋は年の四分の三ほど工房で布づくりに励んでいるので、もはや滞在というより在住と言うのかも。

 その真木千秋が日々、写真や動画を送ってくる。
 だいたいが織物関係だが、ときどき奇妙なものが写っている。

 たとえば、上写真。機場の布天井に枯葉が引っかかっている?
 いや、これは虫である。
 コノハチョウだ。
 その名の如く、木の葉の擬態をする蝶だ。
 翅を閉じると、まさに枯葉。
 脚がかわいらしい。
 (動画切り出しなので少々不鮮明)

 下写真も動画切り出しなのだが、昨日、「今度は鹿」というタイトルで送られてきた。
 真木千秋は朝夕、裏山に散歩に出かけるのだが、そのてっぺんに鹿がいたというのだ。
 この辺りには、鹿もいるし、羚羊(カモシカの類)もいる。

 ところで「今度は⋯」と言うのは、その前々日、同じ場所で、豹に出会ったのだ。
 お互い眼が合って、その刹那、両者とも踵を返して、その場から逃げ去ったそうだ。
 インドの豹については、私もとある保護施設の檻の中で見たことがある。体長はさほどでもないが、飛びかかる時のスピードと迫力には舌を巻いた。
 インドではよく幼児がさらわれる。もし真木千秋と戦ったら⋯
 お互いかなりなワイルドライフ同士、どちらも痛い目に遭っただろう。両者踵を返したのは賢明な選択だったと言えよう。
 一方のワイルドライフはそれにも懲りず、翌日からはボディガードを連れて裏山散歩。もう一方はしばし身を潜めているようだ。






 

2月13日(木) チャイ・タイム

 どこの国でもお茶の時間は、ささやかな楽しみ。
 日本の真木テキスタイルスタジオでも、北インドのganga makiスタジオでも、毎日、午前と午後にティータイムがある。
 竹林の場合、日本茶とか中語茶とか、その日の気分によっていろいろだ。日中各地の皆さんから、それぞれ貴重なお茶を頂戴するのである。ホント有難いことだ。
 インドの場合、ズバリ、チャイである。
 毎日、11時と16時の少し前に、農婦スタッフのマンジュがキッチンにやって来て、チャイの準備をする。

 誰がチャイを準備するか?
 ここにインド特有の難しい問題がある。
 弊スタジオでは、ヒンドゥー教徒も、イスラム教徒も、仏教徒も仲良く仕事している。そして、ヒンドゥー教徒の中には、最上カーストのバラモンもいれば、カースト外のいわゆる不可触民もいる。法律上もスタジオ内でもいっさい差別は無いのだが、数千年の伝統は一朝一夕には無くならない。ヒンドゥー教徒の中には、下層カースト民の準備した食物は口にしないというケースがある。宗教的タブーの問題だ。
 それゆえに、農婦スタッフのマンジュが登場する。実は、工房のすぐ隣の集落が、バラモンの部落なのである。昔ながらのシンプルな農村だ。そこから4名の農民たちが工房に働きに来ている。教育も技能もないから、掃除とか畑仕事をやってもらっている。
 そして特筆すべきは、カーストが最上級のバラモンだということで、食物に関するタブーの問題が生じないのだ。(そしてバラモンたちはトイレ掃除だけはしない)
 それでチャイづくりにマンジュの登場となるわけ。

 インドのチャイは、アッサムティーである。
 アッサムと言えば、インド東北部の州で、ムガシルクとかエリシルクなど野蚕の王国だ。
 たっぷり砂糖を入れ、ミルクで煮出す。(上写真)
 茶こしを通して、大きな薬罐に注ぎ(中写真)、中庭に運ぶ。
 11時ないし16時に、カーンと鉦(かね)が鳴ると、みな仕事の手を休め、おのおのカップを持って中庭に出てくる。(上写真)
 めちゃ甘である。極陽の国インドには、こうした極陰の飲み物が良いのか。
 私は別に砂糖抜きのチャイを作ってもらう。

 チャイタイムにせよ終業時にせよ、仕事を止める時のインド人労働者の素早さは瞠目に値する、とインド経験豊富な田村朋子。
 実際、17:30の終業鉦が鳴ると、ものの十数秒でバイクのエンジン音を轟かせ帰途に就くスタッフが必ず居るのである。ああいうのは日本人には無いなぁ⋯。終業に向けて入念に準備しているのであろう。
 ま、メリハリがあって良いのか。(ちゃんと働いていればの話だが)

 今、デリー空港。
 これからJAL740便にて帰国。
 竹林2月のお楽しみ用に、インドみやげを大スーツケース2個に満載!!
 ご縁があったらお会いしましょう。
 






 

2月12日(水) 溢れる光

 これから最高の季節を迎える北インド。
 今日は最高気温が23℃を超える。日本で言えばゴールデンウィークの陽気だ。
 日本から穿いてきた股引(レギンス!?)を脱皮したくなる。

 左上写真は工房第2棟。
 工房の中心となるデザインルームで、真木千秋や服部謙二郎はだいたいここで1日を過ごす。
 手前で機(はた)に向かっているのが服部。
 ウールの糸を通している。
 相手をしているのが織師タヒール。
 これはちょっと奇妙だ。
 タヒールはシルク織りの名手で、その機は第4棟にある。
 なんでこんなところでウールを通しているのか。

 実を言うと、タヒールの機にかかっていたタテ糸が、終了してしまったのだ。
 もはや織るものがない。
 それで今、真木千秋が助手のシャバーズを相手に、奥でタテ糸を作っている。
 手の空いたタヒールを、これ幸いと服部が使っているというわけ。
 何が始まるのか聞いたら、いえ、ちょっと、ストローを使って、もじり織りをしようと思って⋯と。
 もじり織り!? 聞いたこともないが、服部の新企画らしい。
 脇で真木千秋が、ちゃんと生産に乗るのかなぁ⋯と心配顔。
 というわけで、皆さん覚えておいてください。ウールのもじり織り。

 奥の真木千秋とシャバーズ。
 タヒールの次のタテ糸は、春らしくカラフルな絲絲をちりばめたストール「フルオライト」。
 これは「蛍石」という意味で、ほとばしる色が蛍光のような輝きを放つ絹織物だ。
 それゆえ、十年ほど前、私ぱるばがそう名づけたのであった。
 なんの気なしにデザインファイル(下写真・左手前)を覗くと、いつの間にか、fluorite が flow light になっている。溢れる光!?
 ま、いっか。



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2月11日(火) 衣織住接近

 Maki Textile Studio は三十年前からインドで活動している。
 長きにわたって首都デリーが仕事の舞台であったが、移動の距離が長かった。
 ホテルで寝起きし、機場(はたば)までは車で1時間、針場(はりば)も別方向に1時間、夕食はパートナー宅でご馳走になったり⋯という感じ。
 機場と針場も車で1時間くらい離れていたから、容易に行き来はできない。勢い、機場組と針場組は朝夕しか顔を合わせないということにもなる。

 ganga maki工房を新設して便利なのは、その、衣・織・住がすべて徒歩30秒圏内にあるということだろう。職住接近ならぬ衣織住接近だ。(ついでに食も)

 左上の写真1は今朝の針場。
 新しいクッションカバーの製作について、パタンナーの田村朋子に意見を聞いている。
 こうした厚手の生地を縫う場合、たとえば四隅をどのように処理するか、ファスナーを付ける場合はどうするか等々、検討課題がいろいろある。

 写真2はその拡大図。今までにないクッションカバーだ。
 それもそのはず。今、新たに織っている生地で企画しているからだ。

 右上写真が、その織現場。針場から歩いて10秒。
 織師ママジの機で織られている裂織生地だ。
 製織の様子を随時チェックできる。

 写真3も新企画。
 カットマフラーだ。
 三枚分を一度に織り、縦長にカットして、マフラーにする。
 カットした両端は、糸がほつれないように縫わないといけない。(ついでに両耳も)
 これを端始末(はししまつ)と言う。
 今回は三つ折にして始末する。
 田村朋子がその処理の仕方をテーラーに指示している。
 右側は針場主任のスープリヤ。トモコの日本語での指示をヒンディー語でテーラーに伝える。私ぱるばはトモコの日本語はわかるのだが、意味がよくわからない。スープリヤは意味までわかって通訳するのだから大したものだ。(茶髪がご愛敬。最近のインド娘にはときどき居る)
 またカット処理しやすい布の構造もトモコからアドバイスがある。
 やはり徒歩10秒のところで織師サラウディンがジャカード機で織っているので、調整も楽だ。(右下写真)
 春に手軽な麻×シルクの小型マフラーになる。



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2月10日(月) バンガロールの機屋

 先週の金曜、南インドのバンガロールへと飛ぶ。オリッサを訪ねた翌日だ。
 現在はIT都市として有名なこの街は、また伝統的にインド絹産業の中心地であり、シルク関連の産業が発達している。同国の絹行政を統括するインド繊維省蚕糸総局の本部もここに置かれている。
 真木千秋や私ぱるばも、二十数年前に当地を訪れて以来、家蚕糸や絹織物の産地としてバンガロールとは常に縁があった。

 初めて当地を訪れた際、蚕糸総局に赴くと、そこに小さな博物館があった。展示品の中にひとつ心惹かれる絹織物があった。未精練の絹糸で織られた薄手の生地だ。案内してくれた職員は親切にもその展示品の一部を切り取り、プレゼントしてくれた。当時のインドはのんびりしたものだった。(今もそうだが)。その織物は我々の間で「ミュージアムピース」と呼ばれている。museum piece とは英語で「傑作」という意味だ。
 以来、その布を元にしたシルク生地「オルガンザ」を、当地の機屋(はたや)に織ってもらっている。夏場に欠かせない服素材だ。

 今回の来訪は、そのオルガンザに新たな工夫を加えようという試みだ。
 金曜朝、バンガロール空港に到着。機屋(はたや)の主アスラム氏が迎えに来てくれる。甥のシャワール君が運転する大型のトヨタ車であった。
 ここバンガロールもインドの他の大都市と同じく、近年渋滞が甚だしい。市内にある同氏の機場まで二時間ほどかかる。

 アスラム氏は53歳。養蚕に携わる家に生まれ、市内の大手織物会社で二十年ほど技師を務める。その後、自身の機場を立ち上げ、現在に至る。五年ほど前から弊スタジオ向けにオルガンザを織ってもらっている。
 機織りが大好きなアスラム氏。機場経営は誠に天職であろう。繊維省の蚕糸総局もここ十年ほど、何か新しい製織企画があると、彼に開発を依嘱するするそうだ。実際、彼を紹介されたのも蚕糸総局を通じてであった。

 写真1は真木千秋に糸を見せるアスラム氏。
 バンガロールは絹の都だから、様々な絹糸が手に入る。アスラム氏自身も機織りのみならず、糸づくりもしている。玉糸(デュピオン)などの絹糸だ。
 今回の試みは、タテ糸を変えて新しい布を作ること。そして、ヨコ糸に様々な糸を打ち込み新たな表情を作ることだ。

 ganga makiみたいな手織の機場とは違い、自動機の機場はまことに騒々しい。会話もままならぬほどだ。
 そんな中で、職人たちがつききりで、織機をゆっくり回し、様々な糸を入れる。アスラム氏も興味津々の様子。
 写真2の手前が織機のオペレーター。耳にナイフを挟んでいる。奥の青シャツが主任技師。隣の赤シャツが助手だ。
 真木千秋のリクエストはかなり面倒なものだが、アスラム氏は嫌がるどころか、嬉々としてエネルギッシュに立ち回っている。その風貌がなんとなく小田原「菜の花」の高橋台一氏と彷彿とさせるので、私など秘かに「台ちゃん」と呼んでいる。

 写真3は織機を拡大したところ。
 今回新しく作ったタテ糸だ。来訪前に設計図を送って作ってもらった。
 「コレを懸けるのに一週間かかったよ」とアスラム氏。
 タテ糸に疎密のある空羽(あきは)織りだ。
 このタテ糸にいろいろな絹糸を入れて試し織りをする。絹強撚糸、タッサーシルク糸、麻糸⋯。
 こうした自動織機を巡るやりとりに、真木千秋は、かつてアライラマこと新井淳一氏の許で桐生に過ごした若かりし日々を想い出すのであった。

 写真4は試し織りした部分を切り落とし、上階の作業場で広げて見分しているところ。
 この布は写真3とは別で、疎密のないフラットなものだ。
 ピンクっぽいヨコ糸は強撚の絹糸。目印のために着色している。
 左側で布を広げているのが、アスラム氏の甥っ子シャワール君(30)。機場の後継者だ。英語が達者で数字にも強く、アスラム氏とは良いコンビだ。氏には息子もいるが、銀行に勤めており、機織りは継がないという。奥の青シャツは主任技師。

 帰りがけにアスラム氏の店舗兼事務所に寄って、布や糸を見せてもらう。
 その中にひとつ、氏の工房で繰った玉糸を使った織物「デュピオン」があったので、二反ほど購入する。今週末から始まる竹林2月のお楽しみに「インドのお土産」として出品する予定。

 ganga maki工房に戻って、今日、サンプルを精練して、田村朋子や服部謙二郎らとともに様子を見る。(写真5)
 精練というのは絹のセリシン(保護層)を落として柔らかくする作業だ。
 強撚糸は精練すると縮むので、布にシボができる。
 今までのMakiオルガンザにはない風合いだ。そのままストールになるかもしれない。染め方で服地としての可能性も広がるだろう。
 そのサンプルをもとに、ヨコ糸の種類と打ち方を考え、発注をかける。
 ホントは土曜のうちに発注する約束だったので、アスラム氏も首を長くして待っているはずだ。
 夜になってやっと発注書を仕上げた真木千秋であった。






 

2月9日(日) 日曜の針場 あるいは 光の三原色

 今日は休日。
 であるにもかかわらず、針場は活況を呈している。
 針場(はりば)というのは弊スタジオの造語で、機織り工房の機場(はたば)に対する縫製工房の呼称。
 なぜ日曜の針場が活況であるかというと、パタンナーの田村朋子が3日前から来ganして活動しているからだ。トモコの居るganga 針場は月月火水木⋯状態である。今日も主任スープリヤを含め6名の針場スタッフが出勤。(もちろん弊スタジオはインド労基法をしっかり遵守)

 上写真の田村朋子、コート縫製に際しての、生地の取り方をテーラーのマヌ君に指示している。
 ヒマラヤウールの生地だが、今回は綾織なので、平織とは取り方が違うのだ。もちろん来冬用の製作だ。
 そこにテーラーのアニール君が縫製したてのコートを持ってやって来る。タッサーシルクにキルト加工した生地で縫製した上衣だ。かなりゴージャスな雰囲気。またご紹介することもあるだろう。
 冬場だからみなジャンパー姿で仕事している。

 光あふれる中庭には見慣れぬ姿が⋯
 日本でも同じだが、日曜出勤というと、特にお母さんスタッフは子供の問題がある。それで子供連れの出勤だ。左からテーラー・レカの子、テーラー・アニールの子、お針子タニヤの子。みんな男児である。着ているパーカーの色が、赤、黄、緑。いみじくも光の三原色だ。(おなじみ赤黄青は「色の三原色」)。
 それを見たテーラーたちが「信号機だ」と言う。ま、それもそうだ。
 ところで、信号機を「赤黄青」と表現するのは日本だけだろう。英語でもヒンディー語でも、信号機は「赤黄緑」だ。日本でも信号機を良く見ると、青信号は緑であるはず。ただインドでは、そもそも信号機自体あまり存在しない。みなお互いを信じつつ、信号なしで車を操っている。
 その三原色少年たち、日向で何をしているのかというと、それぞれ自分のスマホでゲームをしている。それを見た服部謙二郎、「どこも同じだなぁ」とつぶやく。然り。息子の謙三郎(2歳)もすぐにその仲間入りをするであろう。



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2月8日(土) オリッサ、タッサーシルクの村を訪ねる

 二日前の2月6日、真木千秋&ラケッシュとともに、インド東部、オリッサ州にあるタッサーシルクの村を訪ねる。
 ファキルプールという名の村で、タッサーシルクの繭から糸を取り、布に織り上げている。十年前に私ぱるばひとりで訪ねたが、その時の訪問記はこちら
 十年前と同じく、まずは村の世話役ブラージと連絡を取って出発。オリッサ州の州都ブバネシュワルまでは空路、そこから車で150kmの道のりだ。
 十年ぶりのブラージ、そしてファキルプール村であるが、それほど変わったという印象はなかった。
 半分以上の家は、土壁で、屋根は稲藁の藁葺き。道路は未舗装だ。(写真1)

 村を歩くと、あちこちでタッサーシルクに関わる作業が行われている。
 養蚕自体は行わない。繭は州の内外から調達する。また家蚕(桑蚕)も扱わない。ひたすらタッサーシルクだ。

 写真2は家の前で日干しされるタッサー繭。大振りのダバ種だ。丸々とした一級の繭で、こうした繭からは生糸が挽かれる。
 タッサー特有の蔕(ヘタ)部分は既に除去されている。ヘタはまとめて隣州のバガルプールに送られ、そこでナーシ糸になる。ファキルプールにはナーシ糸を作る設備がないのだそうだ。

 糸を取るには、まず煮沸して解舒(かいじょ)する。アルカリを加えて一時間以上煮るのだ。村のあちこちで煮繭(しゃけん)が行われている。燃料は薪かプロパンだ。
  写真3は煮繭の様子。庭の真ん中にカマドが作られ、繭が煮られている。水の量は少なめで、煮るというより蒸すような感じだ。

 煮繭が終わると糸作り。
 右上写真がその様子。
 これは一級の繭から生糸を挽いているところ。数個〜十数個の繭から、好みの太さで糸を挽く。繭から糸を繰り出し、左腿の上で軽く撚りをかけて、右手に持った糸繰り器に巻き取る。糸作りは女の仕事だ。

 挽かれた生糸は、糸繰り器から外され、三角おにぎり型にまとめられる。右中写真でおじさんが手から提げているのがそれ。色はもちろん天然色。
 色艶の良い糸なので、真木千秋もブラージに頼み込んで譲ってもらうことにする。
 また、かつて、この生糸をタテヨコに使って当地で織られた薄手の平織絹織物があって、Makiでも重宝していた。ところが、いつの間にか織られなくなっていた。タテ糸に掛けるのが煩雑で、価格が上がり、どこからも注文がないのだという。そこで真木千秋はそれをリバイバルしようと思案している。ただ最低ロットが100mなので、零細テキスタイルスタジオとしてはちょっと冒険なのであるが⋯。

 二級の繭からは紡ぎ糸が作られる。二級繭とは、絹層が薄かったり、穴開きだったり⋯。
 そうした繭も、同じようにまず煮繭する。その後、繭ひとつを右手に持ち、左手で繊維の束をズッと引き出し、左腿の上で軽く撚りをかけ、左脇に置かれる。道具は何も使わない。
 写真4がその模様。広場に老若の女たちが集まり、お喋りをしながら糸紡ぎをしている。こうして作られる糸がギッチャ糸だ。
 このギッチャ糸紡ぎ作業だが、太腿の代わりに、壺をひっくり返して壺底で行う仕方もある。ただ、腿を使う伝統的な手法の方が効率が良いので、腿を使う場合が多い。二百年前には日本でも山繭から太腿を使って糸が紡がれていたが、それと同じだ。(ただし日本の場合は男が右腿を使って紡いでいた)

 ところで、この広場で糸紡ぎをしていた集団は、アディバシすなわち先住民系の人々であった。そういえば何となく顔つきも我々に近いかもしれない。インド亜大陸には、アーリア人進出以前から住んでいる人々がいる。総称してアディバシと言われる。オリッサ州の公用語はアーリア系のオリヤー語だが、アディバシたちはアジア系の別言語を使う。(もちろん教育によってオリヤー語もしゃべる)。こうした先住民系の家が村内に2〜30軒あるのだという。タッサーシルクの利用も、もしかしたらアーリア人進出以前の先住民に遡るという可能性もある。興味あるところだ。

 写真5は、そうしたギッチャ糸を軒先で乾かしているところ。天然色で柔らかい糸だ。 
 真木千秋もその糸を使って織ってみたくなり、世話人ブラージから購入することにする。右下写真、ブラージがギッチャ糸を計量している。

 タッサー繭からは、他に、カティヤ糸やルディ(Rudhi)糸も紡がれる。
 カティヤ糸は生皮苧(きびそ)から紡がれる。生皮苧とはすなわち、繭の一番外側の部分で、生糸を挽く前に引き剥がされる。それを真綿状にして紡いだのがカティヤ糸だ。タッサー繭は外側ほど濃色なので、カティヤ糸は一般的に生糸やギッチャ糸より色が濃い。野性的な趣を持つ糸だ。
 ルディ糸は、皮巣(びす)すなわち、生糸を挽いた後の繰糸屑から紡がれる糸。ゴツゴツした太目の糸だ。

 今回ファキルプールに来た主な目的のひとつは、このカティヤ糸をタテヨコに使ったカティヤ100%の布を作るためだ。
 十年ほど前までは手に入ったのだが、やはり織られなくなってしまった。これも注文がないのだという。
 私ぱるばがズボンに仕立てて穿いていて、リバイバルの要望も多かった。そこで某零細スタジオとしても清水舞台ジャンプで、先日、世話役ブラージに100mのオーダーをかけたのである。その機織りが始まっていた。(写真6)。まだ織り出しの段階で安定ておらず、やや心配顔の真木千秋であった。
 さてどんな布が上がってくるか!?



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2月5日(水) マンガルギリの分業

 昨日、少し触れたように、マンガルギリの村では、分業によって布作りが行われている。
 その工程を見てみたかったので、チランジービ氏に尋ねてみた。氏は織物問屋の若旦那である。すると氏はスクーターの後ろに私を乗せて、いろいろ見せてくれた。昨日の糊付け屋も氏の案内である。(昨日の写真1、真ん中に小さく写っている緑シャツがチランジービ氏)
 その工程の一部をご紹介しよう。

 まず染めであるが、それについては14年前のこの記事を参照
 染め上がった糸は、専門の整経所に持っていかれる。
 その整経所で、まず糸カセがボビンに巻かれる。
 そして、そのボビンから、大きなドラムを使ってタテ糸が作られる。(写真1)
 整経所と言っても別に大きなものではなく、昨日案内された整経所は民家の中にあった。家の入口に電動チャルカが置かれ、糸カセからボビンに糸を巻いている。そして家の中に入ると、床に大きな穴がふたつ掘られていて、大きなドラムがふたつ据えられている。

 タテ糸は整経所から糊付け屋に送られる。
 糊付けについては昨日の記事を参照。

 糊付けされたタテ糸は、次いで、「繋ぎ屋」に行く。
 この「繋ぎ屋」という名称は私が勝手に考えたもので、正式な日本語があるのかもしれない。
 すなわち、こういうことだ。
 マンガルギリの反物の経糸は4000本前後ある。
 それが一本一本、筬(おさ)と綜絖(そうこう)の目を通っている。綜絖は二枚あるから、都合3つの細かい目を通っている。(しかも綜絖は糸でできているからなおさら扱いが面倒)。その目通し作業を4000本やっていたら途方も無いことになる。そこで「繋ぐ」という作業をする。つまり、以前のタテ糸を使うのだ。ひとつ前に織った布のタテ糸の末端を残しておいて、そこに新しいタテ糸を繋いでいく。するとかなり手間が省ける。
 たとえば、写真2。これは繋いだ後の様子。ひとつ前の織物はタテ糸がオレンジ色だった。(そこに青いヨコ糸を打ち込んでいたらしい)。そのオレンジ色のタテ糸の末端に、次の白いタテ糸が一本一本結ばれている。
 今回は時間の都合で、繋ぎ屋の見学はスキップだ。
 いっぺんに全部見てしまわず、次の楽しみに取っておこう。

 それ以降は織工の仕事だ。
 繋ぎ屋によって筬と綜絖にセットされたタテ糸を、道路上に長く展開し、絡まないように調整しながら、ビームに巻いていく。(写真3)

 巻き終わったら、それを織機にセットし、織り始める。(写真4)
 マンガルギリの機場は、土に穴を掘り、その上に機を置いている。地面から立ち上がる水分がタテ糸に適当な湿気を供給し、弾力性を与えるのだ。極細の木綿糸だからそのような配慮も必要となる。

 というわけで、糸から布まで、染色、整経、糊付け、繋ぎ、機織り(ビーム巻き+製織)、という五段階の分業となっている。
 ganga maki の場合、これをひとつの工房でやっているわけ。ただ、少し違いはある。糊付けは無い。そして繋ぎも無く、その代わりに、整経の後、ビームに巻き、その後、織工が一本一本筬と綜絖に通していく。
 また、その前後もある。一部であるが、藍やインド夜香木など染料植物、そして芭蕉など繊維植物を育てている。そして縫製工房で衣に仕立てている。そして販売までも⋯。

 本日私ぱるばはマンガルギリのあるアーンドラプラデシュ州からオリッサ州のブーバネシュワルに飛び、真木千秋&ラケッシュと合流。
 明日早朝から、タッサーシルク糸の産地ファキールプールに赴く。
 何か面白そうなものがあったら、またご紹介いたそう。



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2月4日(火) マンガルギリの糊付け屋

 昨日から南インドのヴィジェイワダにいる。
 アーンドラプラデシュ州の街で、マンガルギリの近く。
 マンガルギリと言えば、極薄手織木綿で有名だ。弊スタジオでも毎年6〜7月「カディ&マンガルギリ展」でご紹介している。
 それもあって、私ぱるばは毎年、このマンガルギリを訪れるのである。

 英語表記はMangalagiri。どう見てもカタカナでは「マンガラギリ」のはずだが、googleでカタカナ検索すると、マンガラギリより「マンガルギリ」の方がずっと多い。これはひとえに、弊スタジオがこの十数年にわたって不適切なカタカナ表記を繰り返してきたせいであろう。(もとはと言えば真木千秋がモンゴルギリと呼んでいたのがいけない)。今さら仕方ないので、マンガルギリで通すことにしよう。ま、あいまい母音だからどっちでもいっか。

 暖房と革ジャンの欠かせないganga maki工房を出て十数時間。
 ヴィジェイワダの空港に降り立つと、そこは夏であった。
 ホテルの部屋では、夜も冷房を効かせている。
 そう、ここは常夏、南インドだ。
 それゆえ、極薄木綿も名産なのであろう。

 マンガルギリは伝統的な織りの村だ。
 織りにかかわる様々な作業が行われている。
 その中に、糊付け屋という業種がある。
 タテ糸に糊を施す仕事だ。
 極薄綿では重要な工程なのである。
 というのも、糸が細いため、製織中に切れ易いのだ。
 そのため、糊を付けて強くする必要がある。

 作業場には、竹と椰子で日除けが作られている。(そうでないと暑くて仕事にならない)
 そこに、タテ糸をピンと張る。タテ糸は整経屋から運ばれてきたものだ。今日は白い糸だ。
 そのタテ糸の上に、左右から糊を散布する。(写真1)
 糊は米から作られている。(舌切り雀と同じ)

 間髪を入れずに、大きなハケを二つ使って均す。(写真2)
 それぞれ二人がかりだ。
 なかなかの重労働である。
 作業は裸足だ。
 もともと南インドでは靴など履かない。(そのあたりヒマラヤ山村と同じ)

 この大きなハケは、きっと棕櫚かなんかだろうと勝手に想像していたが、そうではなかった。
 海辺に生える植物の根っこなんだそうだ。(写真3)
 どんな植物かは糊付け屋も知らなかったが、ともあれ糊付け専用の道具で、専門の職人が作るのだという。
 糊を散布してはハケで数往復し、タテ糸をパタンとひっくり返し裏面をまた数往復。この一連の作業を、ひとつのタテ糸に対し四回行う。回数はその日の天気によって変わるのだそうだ。

 しばらくたって糊が乾くと、それを捻ってロープ状にまとめる。(写真4)
 1日4本ほどタテ糸を糊付けするそうだ。今日は全部白いタテ糸であった。染料による汚損もあるだろうから、同一色をまとめた方が良いのだろう。
 糊づけの終わったタテ糸は、「繋ぎ屋」に渡される。「繋ぎ屋」というのは、タテ糸を筬&綜絖にセットする業種だ。伝統産地マンガルギリでは分業で機織りが行われている。

 こちらの親方はクリシュナ氏(55)。写真4の真ん中、上半身裸、腰巻姿の人物だ。基本的に家族労働で、右側が奥方、左側が息子(33)。父親の代からこの仕事をしているという。雇い人も居るのだが、最近は人手不足だとのこと。
 かつては百を超えた同業者も、今では数軒に減ってしまったという。

 極薄木綿マンガルギリを支える人々である。



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2月1日(土) 2月のお楽しみ絲絲

 2020年、早くも2月に突入。今年のインドは例年より寒いが、日本は暖冬のようだ。五日市の拙宅に設置した温度計によると、2月1日現在で最低気温がマイナス3℃を下回った日は、昨冬は18日あったのに、今冬は1日も無い!

 その暖かい武蔵五日市であるが、二週間後には「竹林・2月のお楽しみ」が始まる。それに向けて、今日、ganga maki工房では、糸倉庫の整理を実施。一昨日に到着した服部謙二郎も交えて在庫の検証をするのであった。
 倉庫の中は、インド亜大陸のあちこちから集めた糸の山。
 その中から日本の皆さんに喜んでもらえそうな絲絲を、真木千秋と服部謙二郎が選ぶ。その一端をご紹介しよう;

1.ギッチャ糸
タッサーシルクの手紡ぎ糸であるギッチャ糸。
「もったいなくて出したくない」と真木千秋が言うくらい、艶があって柔らかい。(写真1の上側)
下側はギッチャの手撚り糸。チャルカで撚りをかけている。

2.手撚りカティヤ糸
タッサーシルクの生皮苧(きびそ)から紡いだカティヤ糸。
繭の外側の部分なので、ギッチャ糸よりも濃色。(ギッチャは繭の本体が主)
それをチャルカで撚ったもの。

3.ナーシ糸
タッサーシルクのヘタ部分から紡がれた糸。
蚕が最初に吐き出す部分なので、タンニン質が多く、タッサーシルクの糸の中でいちばん濃色。かつ繊維が縮れているのでウールのような風合いも。

4.手撚り細ギッチャ糸
細目のギッチャ糸をチャルカで撚ったもの。
撚りがかかっているので、毛羽立ちにくい。

 その他、これから発掘されて加わる絲もあるかも。
 というわけで、楽しかるべき2月をもっと楽しくしようと奮闘中。

 今日の思わぬ収穫は、コレ。(右下写真)
 コットンの手紡ぎ糸だ。
 数年前に作った糸で、ganga maki工房で育てた初の綿花が原料。
 それを大事にしまっておいて、ついでに忘れてしまったのだ。
 白棉と茶棉である。
 これは少量であるし、まだ試し織りもしたことがないので、誠に残念ながら2月に来日はしない。昨年もganga maki綿花の収穫があったので、ちかぢか合わせて布になるかも。それもお楽しみに!






 

1月30日(木) 柴刈

 工房の裏山は、ヒマラヤ山脈の最後の一片だ。(左上写真)。その裏山から毎朝、トクトクトクトクという音が聞こえてくる。柴刈だ。
 昔々おじいさんは山へ柴刈に⋯というアレである。
 今、シバカリというと、みなさん、芝刈を連想する。芝ではない。柴。雑木だ。
 山の小さな木々を刈って、乾かし、煮炊きに使うのだ。今みたいに便利な熱源は存在しなかった。
 ここインドの農村では、今でも柴刈が日常的に行われている。それを担うのは、おじいさんではなく、農婦たちだ。
 昔話の「柴刈」と聞くと、なんだか優雅な響きだが、実態はそんなに生易しいものではない。裏山には私も何度か潜り込んだことがあるが、急峻で、足場が悪く、雑木が密生し、ちょっと動くとあちこちかすり傷を負う。そんな中でナタを振るい、束をこしらえるのだ。右写真、鬱蒼と茂る木々の真ん中にその姿がうかがえる。
 左下写真はちょうど7年前の1月31日。柴刈から帰る農婦。場所は左上写真とだいたい同じだ。当時私たちは既に土地を取得していたが、囲いが無かったから農民たちは自由通行していた。
 7年経ってすっかり様変わりだ。左下写真・中央のチーク樹は、左上写真では手前の木々に隠されている。それよりも驚いたのは、裏山がほとんど禿山だったということ。山の木々がずいぶん育っている。これは、柴刈をする人々が減ったということだろう。
 弊工房の燃料はプロパンガスだが、近在の農家もプロパンを使うようになったのか。あるいは、自由通行を妨げられて、柴刈しづらくなったのか!?






 

1月29日(水) ganga makiのノマドワーカー

 ここのところ、竹林と当地で、天候がシンクロしているようだ。
 昨日こちらは一日中雨。
 今朝もその延長のような暗澹たる空模様であったが、昼前から忽然と晴れ渡り、気持ちの良い冬空となった。

 朝のうちはみな工房の中で縮こまっていたが、陽が差すと空気は一変。移動できる人は中庭に道具を移し、日向ぼっこをしながら仕事する。
 いわるゆ「ノマドワーカー」であるな。最近は日本語にもなったようで、ノマドとはすなわち遊牧民のこと。場所に縛られずに仕事をする人だ。

 たとえば、チャルカ係。チャルカというのは二千年前にインドで発明された糸巻き器だ。かつてマハトマ・ガンディーがよく操っていたやつ。
 弊スタジオでは、チャルカは、染め上がった糸カセをボビンに巻いたり、ボビンからヨコ糸を巻いたり、必要欠くべからざる道具だ。常時数人が糸巻き作業に携わっている。
 チャルカは軽量だから、冬場に晴れると、いつも中庭に持ち出される。上写真の奥に写っているのがそうしたノマドたちだ。
 完成品のショールにネームタグを付ける人々もいる。

 手前にもうひとりノマドがいる。真木千秋だ。手軽な機を持ち出し、陽を背に受けて機織り作業に勤しむ。
 近寄ってみると、ヨコ糸が変わっている。残布を糸にしているのだ。麻とタッサーシルクで織られた平織の残布だ。それを裂き、撚って、糸にしている。通常の杼には入らないから、厚紙に巻いてヨコ糸に入れるのだ。
 ウールの手紡ぎ糸と交互に打ち込む二重織り。
 何を織っているのかと聞くと、ヒミツだとのこと。
 何ができるのであろう。(何もできないかも)

 気温は20℃に迫り、雨上がりということもあって、日向はすこぶる気持ち良い。
 織師やテーラーなどは、愛機を持ち出すのも叶わぬから、こうした僥倖には与れない。
 






 

1月28日(火) 春節 の料理

 私ぱるばは、日本の新聞をネット経由で二紙購読している。印刷されたのと同一の紙面が、海外でも同時刻に読める。朝刊のみならず夕刊も来る。
 ここのところ連日一面トップは、中国の新型肺炎だ。中国と言えば私もここ数年、展示会などでよく訪れるので、他人事ではない。
 今、中国は春節の休暇中だ。皆どうしてるだろうと、あちこちの友人に微信(メッセンジャーアプリ)で様子を聞いてみた。家で家族と静かに過ごしている人が多いようだ。
 友人にひとり、宜琳(イーリン)という人がいる。古都・杭州の花卉アーティストだ。杭州郊外にある黄山の実家で春節を迎えている。何を食べてるの?と聞くと、写真を送ってくれた。(左上)。蒸す前の餃子?  いや、蒸す前の「米粿」だそうだ。「べいか」とでも読むのか。地元の料理だという。中身は肉や筍やキノコや漬物だ。(右上写真)。家族みんなで米粿を作るのが春節の習慣だそうだ。
 翌日には餃子の写真も送られて来た。(左下写真)。母親が作ったという。やはりまだ料理の腕は母親が勝るようだ。見たところほとんど米粿と区別がつかないが、餃子と米粿の違いは、皮が小麦粉か米粉かということだ。味も少々違うのだという。どちらが好きかと聞くと、「両方!」との答え。「米粉の餃子」、どんな味なのだろう。ちなみに、中国の家庭では、皮も自分で作る。さすが本場。
 もちろん、米粿や餃子ばかりではない。近在の千島湖で獲れる白花魚(右下写真 70cmもある)なども食膳に上がる。新鮮で美味なのだそうだ。こちらは毎日インド飯だから、ちょっと中華がなつかしいかも。
 インドでは日本同様、春節などまったく関係ない。また中国との関わりも日本ほどではないから、コロナウィルスの報道もそれほどではないようだ。ともあれ、1日でも早く治まってほしいものだ。






 

1月26日(日) ビーマル・ナウ

 ビーマルという木がある。
 西部ヒマラヤ地方特有の樹種で、和名も英名も無いようだ。
 当地ウッタラカンド州にも広く分布し、古来より人々に利用されてきた。その葉は良い飼料となり、枝は燃料、材は堅く柄などに加工される。それゆえ、民家や畑の周囲によく見かける。
 弊スタジオにとっては、繊維植物だ。シナノキやケナフと近縁で、種皮から繊維が取れる。
 ただし、そんなに簡単ではない。枝を二ヶ月ほど水に漬け、樹皮を腐らせて、繊維を採取する。
 左上写真がそうして取られたビーマルの繊維。この辺りの農民はみなビーマル繊維の扱いに慣れている。写真中の二人の用務員(プーランとモヒット)も農家出身だから、ビーマル繊維は身近な存在だ。
 モヒット(若い方)の背後に見えるのが、隣家のビーマル樹。右写真の鬱蒼と繁った木がそれ。二階の屋根を超えるくらいのサイズだ。やはり飼料などによく使われている。
 当地の農民は、このビーマルの繊維から繩を綯(な)う。通常は野太く綯って、野良づかいされる。日本の「わら縄」の感覚であろうか。
 弊スタジオでは、もうちょっと繊細なロープを作り、いろいろに使う。東京の竹林shopに置かれたりもする。

 今回はスタジオムンバイからけっこう多量の注文が入る。
 建築家ビジョイ・ジェインのデザインによる椅子に張りたいんだそうだ。
 ただ、繊維づくりからして手間のかかるものだから、そう簡単には納品できない。そもそも染織スタジオだからね。縄屋ではないのだ。そうこうしているうちに納期はとっくに過ぎ、先方も焦慮の様子。いくら友人だからとは言え、いつまでもおろそかにはしていられない。それで真木千秋も用務員プーランとともに、綯い方の研究をしているというわけ。(左下写真)






 

1月25日(土) 竹と孔雀

 東京五日市のMaki Textile は「竹林スタジオ」と自称するくらいで、竹にはいろいろお世話になっている。
 ここganga maki工房にも、五日市ほどではないが、竹が生えている。(左上写真)
 五日市の竹は二種類あって、孟宗とマダケだ。
 インドの竹は、サイズ的にはマダケであるが、やや荒々しい感じ。藪は密集している。そして、それなりにお世話になっている。
 たとえば、竹箒。用務員のスニール君が藪から竹を切って来て、サッと作る。出張用務員の私ぱるばがさっそく屋上の落葉掃きに使ってみたが、それなりに使える。(右写真 — 人物はもうひとりの用務員モヒット君)
 あるいは、竹柵。(左下写真)。畑作物を害鳥から保護するためだ。

 害鳥とは、工房の鶏なのだが、それ以上に問題なのが孔雀である。
 背後の森から集団でやってきて、工房の野菜をついばむのである。森との境界には2mほどのフェンスがあるのだが、そんなものは簡単に飛び越える。チークの大木の高枝に止まっていたりするのだ。
 だいたいが雌だが、尾の長い雄もやってくる。尾羽を開いて見せてくれれば多少の野菜も我慢しようが、我々に向かって披露することは決してない。
 国鳥で厳重に保護されているので、捕まえてタンドーリピーコックというわけにもいかない。(サイズから言って七面鳥みたいなものかと思うが)。人間を見るとすぐに逃げるから、保護されるようになったのも歴史的には最近のことなのだろう。
 というわけで竹柵で守る。柵の中ではサヤエンドウの花が咲いている。



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1月24日(金) 棘の糸巻き

 夕食後、真木千秋が炉辺で夜なべ仕事をしている。
 糸巻きだ。(写真1)
 糸といっても、ちょっと変わっている。
 バスケットの中には様々な色の糸くず。
 シルクの残糸だ。
 機織りで余った糸がだいぶ溜まってきたのだ。

 余ったと言っても、工房で繭からズリ出した糸々だから、貴重なのである。むざむざとは捨てられない。
 そこで、色々な糸を繋ぎながら、糸巻きに巻いていく。
 真木千秋はこの作業が大好きな様子。
 糸を巻いていると無心の境地に入るのだという。一晩中でもやっていられると。

 ところで、この糸巻き棒が驚きだ。
 ヤマアラシの棘なのだ。(写真2)
 工房裏の森にも棲息しているらしく、ときどき棘が落ちている。
 抜け毛みたいなものだろう。残念ながらまだ実物には出会っていない。
 その棘は、まるで樹脂でできているよう。すべすべで、しましまだ。
 中空なので、軽い。
 糸を巻くには手頃なサイズだ。

 ヤマアラシはこうした棘を全身にまとい、外敵に出会うと身体を丸めて針千本になる。
 齧歯類、すなわちネズミの仲間だという。(ハリネズミとは異なる)
 ヤマアラシを漢字で書くと豪猪だ。
 「猪」とは中国語で、豚のこと。
 英語ではporcupineと言うが、語源を辿ると、ラテン語で porcus + spinus。すなわち「棘豚」。
 齧歯類のヤマアラシが、なぜ洋の東西で「豚」なのか。
 それは、食味だ。
 ポークみたいなのだ。私も40年ほど前に食べたことがあるから知っている。意外にイケると感心したものだ。そんなに大きな動物でもないが、中国でも西洋でもジビエとして珍重されたのだろう。
 ここヒマラヤ山中の村々でも食するらしい。美味であるからこそ、棘で武装するのかも。

 この豪猪の棘は、首都デリーあたりではひとつ数百ルピーで売っているという。
 もちろん、ganga maki工房の棘は、自前である。敷地で拾ったモノだ。
 写真3に見るごとく、けっこう鋭い。
 すべすべの紡錘型だから、巻いた後も、スッと抜ける。

 このカラフルな糸束をヨコ糸にして、今、機で布が織られている。(写真4)
 極薄のシルクショール。織り手はタヒールだ。真木千秋のお気に入り職人で、「ホントにタヒールは良い織師!」とのたまっている。腕は良いし、融通も利く。
 藍ベースのタテ糸に、夜なべで巻いたヨコ糸が打たれる。
 残糸を繋いだものだから、色の変化はランダムだ。
 二枚と同じモノのない作となる。
 私ぱるばが持ち帰り、2月15日からの「竹林2月のお楽しみ」に並ぶはず。三枚くらいは織れるかも。

竹林2月のお楽しみ展
2/15(土)~24(月祝) 期間中無休
11時~17時
ランチ:魚冶
カフェ:tocoro cafe






 

1月23日(木) 藍の種〈インド編〉

 十日ほど前の1月12日の日誌に「藍の種」を掲載した。これは東京五日市・拙畑の蓼藍の種だ。
 ここganga maki工房でも、藍の種取りの季節を迎えている。

 ご存知の通り、インド藍はマメ科の木本(灌木)だ。
 工房の藍畑では、葉を落とした藍の木が、莢だけつけて立っている。(左上写真)

 その莢を摘み取って、屋上で陽に干す。(右写真)
 灌木だから、木の世話さえしていれば毎年蒔く必要は無い。新たに藍畑を作る時に蒔くのだ。

 左下写真が、莢と種。
 写真をクリック拡大するとわかりやすいが、マメ科であるから、藍の種も小さな豆である。きっと蛋白質も豊富なのだろうが、これを豆カレーにして食うという話はあまり聞かない。


1月21日(火) インド弁当

 午後1時。
 「カ~ン」と鐘の音。
 シャバーズ君が鳴らしているのだろう。真木千秋のアシスタントだ。わりあい正確である。
 それを合図に、工房スタッフは仕事の手を休め、建物を出る。
 昼休みだ。
 工房内での飲食は禁止。インド料理につきもののターメリック(うこん)などが布や糸についたら一大事だ。
 スタッフ用には、ちゃんと屋根のあるカンティーンも用意されている。しかし今日みたいにわりあい晴れた冬日には、陽の中でピクニックが好まれるようだ。
 四十数人のスタッフが、それぞれお気に入りの場所で、三々五々集まり、あるいは一人で、弁当を広げる。
 左写真のグループは、男女混合で、機場、染め場、針場から集まっている。
 それぞれ持ち寄った料理を分け合って食べている。カリフラワーカレー、金時豆カレー、レンズ豆カレー、マンゴーピクルス…。それらと一緒に主食のローティ(全粒粉のパン)を食べる。わりあいシンプルで少量だ。





 

1月19日(日) 静かなるハチ

 昨日と打って変わって、気持ち良く晴れ渡ったganga maki工房。
 やはり冬の北インドはこうでなくちゃいけない。
 日曜の静かな朝、キッチン前のベンチで日向ぼっこのハチ。(上写真)
 外気温は9℃。チベット犬で寒さには強いはずだが、やはり冬場は陽が恋しいようだ。
 思えば工房犬にも歴史がある。
 初代のリンとコロが来たのが9年前の2011年初頭。ともに♂。
 その三年後に♀のハナ。これら三頭はいずれも遊牧民のキャンプからもらわれてきた大型犬だ。
 そして、一年後の2015年、それらの間に生まれたのが、ハチ。新工房建設に忙しかった頃のことだ。下写真の奥が当時のハチ、手前が兄弟のポチ。こうした日本名はラケッシュの仕業だ。両方とも黒く見えるが、ハチは真っ黒、ポチはブラックタンであった。
 ハチは色からしてリンの子供だろう。
 新工房で生活を始めたハチとポチ。兄弟でも性格はまるで違う。ポチはやや小柄だったが、かなりやんちゃで、すぐに工房を飛び出していく。それでいつもマンゴーの樹に繋がれていた。ハチは大人しかったから、繋がれることもなく、放し飼い。
 一昨年のこと、ポチは塀を乗り越え、外に飛び出したまま、戻ってこなくなった。風の噂によると、昨年一度、ボロボロになって戻ってきたそうだが、またすぐに消え去る。どこまでも自由を愛する男なのだろう。

 ハチはいつも静かに私たちの許にいる。
 もう五歳になった。
 牧羊犬の血筋だから、夜はいちおう番犬もしているのだろうか。
 






 

1月18日(土) 冬の工房

 インドというと一般に、「暑い」という印象であろう。
 よく冗談で「インドには季節は三つしかない。hot と、hotterと、 hottestだ」とか言われるが、冗談じゃない、cold もあるのだ。
 あまり暖房設備が整っていないから、もしかしたら日本よりcolder かも。

 今冬はことに寒さが堪える。日本も同じだが、年によって気候が異なるのだ。
 今年の北インドは天候が不順だ。通常今ごろは乾季なので、連日太陽が出るはずなのに、ここのところ左上のような空模様が続く。裏日本のような風情だ。湿度も雨季なみに高い。

 太陽が出れば気温は20℃前後まで上がるはずだが、曇っていたら暖房も必要だ。
 そこで工房には火鉢が持ち込まれる。
 熱源は木炭だが、品質がイマイチなので、ちょっと煙たい。
 エアコン入れたら?と言うのだが、年に十日ほどだから大丈夫!と真木千秋はのたまふ。
 ジャンパーを着込み、パシミナショールを首に巻いて奮闘だ。(左下写真)
 助手のシャバーズとともに、薄手シルクショールのタテ糸を作っている。
 ここのところ、タテ糸の終了した織師が続出しているので、真木千秋も大忙しである。

 聞くところによると、今日、五日市の竹林スタジオは降雪があった模様。
 ま、お互い、冬らしくて良いか!?




 

1月16日(木) 幸福のチキン

 本日早朝4時過ぎ、私ぱるばganga maki 工房到着。家を出てから26時間にわたる長旅であった。しかし考えてみれば、東京の西端からヒマラヤの山裾まで26時間で来てしまうのだから、それもまたスゴいことである。
 当地・北インドも真冬。今朝の最低気温は11.5℃であった。
 工房のキッチンは壁のない吹きさらしだ。日本で使わなくなった革ジャンを着込んで朝食に赴く。(牛革製であることは当地では内緒)。
 ganga maki名物の焼きたて雑穀チャパティをちぎっていると、雄鶏が許可無く土足で上がり込んでくる。(いちおう土足禁止)
 工房で飼っている鶏だ。現在は写真の1カップル、二羽のみだ。前はもっとたくさん居たのだが、工房の畑を荒らすので人員整理された。今は特に採卵することもなく、放し飼い状態。
 鶏卵やチキンと言えば、我々にいちばん身近な動物性蛋白であり食肉だ。原産地はインドだと言われる。その祖先は当地にも棲息している赤色野鶏だ。写真の雄鶏も見たところ、野鶏の形質をかなり残している。
 野鶏の寿命は10~20年と考えられているが、チキンは生後40~50日で食肉となる。若鶏と呼ばれる由縁だ。
 二歳の鶏ともなると肉が硬くてダメ、とgangaキッチンのシェフ、マニッシュ君は言う。ということは、このカップルも当面、食肉になることもなく、工房の庭で、自由なニワトリライフを楽しむことができるようだ。(しかしやっぱり畑作物を荒らすので、真木千秋は「食べちゃうぞ!」と言っている)




 

1月12日(日) 藍の種

 はぎれ&反物市もお陰様で無事終了。
 今年も多数お越しいただき、めでたい年の初めであった。

 翌土曜日から世間は三連休であるが、用務員は休むいとまも無い。
 三日後の15日から一月ほどインド出張があるので、仕事が山積なのだ。
 そのひとつが、藍の種取り。

 拙畑では、昨秋9~10月に咲いた蓼藍が、種をつけている。
 本来なれば晩秋に種を採るべきものだろうが、つい年を越してしまった。
 アカマンマみたいな花の咲いたところに、殻ができ、ひとつずつ種が入っている。
 左写真、掌の上方にあるのが藍花の殻。掌の真ん中にあるのが種。
 写真をクリック拡大するとよくわかるが、藍の種はちょうどゴマみたいな形をしていて、ツヤがある。
 これを保存しておいて、春に蒔くのだ。

 掌の背景にあるのが、枯れた藍草。
 よく見ると、葉っぱが青色を呈している。
 藍の葉は緑だが、枯れると葉に含まれるインドキシルが酸化して、葉が青変するのだろう。
 藍生葉染めの天然版だ。
 古人はそれを見て藍染を発見したのかも。






 

1月8日(水) 竹林の火遊び

 現在、竹林スタジオにてはぎれ&反物市開催中。
 冬場の竹林イベントのお楽しみは囲炉裏。
 この囲炉裏は竹林母屋にもともとから切ってあったもので、母屋と同じ歴史を持つとすれば、江戸時代に遡る代物だ。
 用務員たる私ぱるばは、この囲炉裏のため、秋口からせっせと木炭づくりに励んでいる。火の番は用務員の重要な仕事のひとつだ。

 その任務に必須なのが、火箸。
 母屋の囲炉裏には、古い鉄製の火箸が一組添えられていた。
 この二十年、その火箸を当然のごとく使用してきた。
 ところが、4日前、はぎれ市の初日であるが、火箸が何となく変だ。良く見ると、先が欠けているではないか。
 業務に支障を来たしかねないので、夕刻、近所のホームセンターでひとつ買ってきた。531円。真鍮製の黄色く光るやつ。しかし実際に使ってみると、ちょっと短いし、グリップや保持力もイマイチ。
 やっぱり、母屋オリジナルみたいな、渋い黒金(くろがね)の火箸が良い。
 ネットで調べると、鉄製火箸の通販はいろいろある。しかしながら、やはり織物と同じで、実際に手で触れて選ばないと後悔するかも。それで更に調べを進めると、大田区にあるさる炭屋さんで扱っているらしい。
 それで昨日、東京に用もあったので、その炭屋さんまで足を延ばし、南部鉄製の火箸を一組ゲットする。(しかし大田区は遠い…)。下写真・左側が母屋オリジナル、右側が新品。長さはだいたい同じ28cmくらい。
 今日、下ろして実際に使ってみる。先端部が滑らかな分、炭の保持力にはやや劣るが、灰に突き刺す際の鋭い感触が良い。総じて及第点というところか。ここしばらくはまた、新鮮な気持ちで火遊びに励むことができるだろう。

 囲炉裏は明後日の10日まで。
 火の番をやってみたい人はお申し出のこと。
 (けっこう楽しい)




 

1月3日(金) ハギレ市のパーキング

 みなさん、明けましてナマステー!
 今年初出勤の用務員・田中ぱるば。(左写真)
 何をやっているのかというと、相変わらず駐車場の拡張作業。
 年末からずっと、暇さえあればこの地味な仕事に携わっている。
 というのも、明日に迫る「ハギレ市」初日は、一年でいちばん来客の多い日だからだ。
 「駐車場完備」を謳う弊スタジオであるが、この日ばかりはチト厄介。それで1cmでも1mmでもスペースを削りだそうと、寒空の下、涙ぐましい努力を続けているという次第。いささか悪あがきの感もあるが、これで収容台数15台になったかな!?
 お客さんがたくさん来てくれるのはひたぶるに嬉しいのだが、電車で来てくれるともっと嬉しいかも…。JR五日市線、なんせ東京のローカル線だからな、いつ無くなるかわからないし…。
 今さら言っても遅すぎるのであるが、そういうわけでよろしく!
 あ、もちろん、車でのご来訪も大歓迎!






 

1月1日(水) 謹賀新年 あるいはインドの「元旦」

 みなさん、Happy New Year!
 今年もよろしく!

 私ぱるばは信州上田の実家で新年を迎える。元旦とは思えないような好天。真木千秋も東京小金井の実家、スタッフもそれぞれの在所にて、めでたく正月を迎えた(ようだ)。

 竹林スタジオは12月28日から明日(ないし明後日)まで休みであるが、インドでは太陽暦1月1日は別に目出度い日ではない。(他に目出度い日がいっぱいある)
 従ってganga makiスタジオは、昨日も今日も普段通スペースり稼働している。

 掲載の写真は今日1月1日の様子。
 左上は工房の中庭。女性スタッフが日向に繰り出し、ラグの仕上やら糸巻きやら、思い思い作業に励んでいる。
 夏期には考えられない光景だが、12月~2月の冬期は当地でも陽差しがなつかしい。
 本日の最高気温は18.3℃、最低が8℃少々。東京五日市と比べ10℃ほど高いが、インドではじゅうぶん真冬と言えよう。

 左下写真は製織工房の中。
 手前は織師グラム。ウールのベストに頬被りをしている。頬被りというと日本では怪しげな雰囲気だが、インドではごく普通の冬装束だ。
 グラムの機にかかるのは春夏の服地で、麻とタッサー紡ぎ糸を使っている。その奥にいるのが織師シャザッド。青い薄手のシルクショールを織っている。季節は冬だが機の上はもう夏到来の風情だ。
 現地時間は今17:17。そろそろ帰り仕度を始める頃だろう。
 かくしてインドの正月1日は坦々と過ぎていくのである。


 

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