絲絲奮戦記

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/01/99-00/「建設篇」




 

4月11日(日) 菜の花・暮らしの道具店

 小田原にあるギャラリーショップ「菜の花・暮らしの道具店」。
 こちらにはたいへんお世話になっている。
 昨日から弊スタジオの展示会だ。(左写真)

 菜の花といったら、小田原の有名な和菓子屋さん。
 その主人である高橋台一氏は美術工芸に造詣が深い。弊スタジオの布衣についても早くから気に入っていただいており、展示会を初めて開催してもらったのがおそらく今から二十年近く前の2003年。場所は東海道沿いにある現在の「うつわ菜の花」であった。今も工芸ギャラリーとして健在のこの店舗、先日訪れた折には黒田泰蔵展が開かれていた。
 その後、小田原駅の近くに出現したのが「菜の花・暮らしの道具店」 。その名の如く、生活の中で使ってもらいたい物を紹介する店だ。
 現在、この「道具店」は小田原駅地下のハルネに移動して、いっそう交通の便が良くなった。弊スタジオの展示会もこちらで開かれている。 個展が年に2〜3度、そして夏冬のグループ展と、竹林shop以外ではMaki布濃度の高い店である。
 主人の高橋台一氏はインドのganga maki工房オープニングにも長駆参加。我々とも懇意にしていただいている。そこで昨日の初日は、突如思い立って、 小田原とインドを結ぶインスタライブも挙行。通信状況の悪い中、お付き合い頂いたという次第である。(右写真)
 道具店に併設されたムーンカフェは珈琲が美味。もちろん菜の花の和菓子も食べられる。




 

3月31日(水) 銀座 de ベジミールス/その3 「ダクシン八重洲店」

 春爛漫の銀座。
 今日から銀座松屋の弊スタジオ展示会だ。(7F遊びのギャラリー)
 久々に都会に出るのも楽しいものだ。
 そこで思い出したのが、昨年春の銀座 de ベジミールス。 南印料理大好きの私ぱるばが松屋から徒歩圏内の菜食ミールスをチェックするシリーズだ。
 ミールスというのは南印定食。別に菜食でなくても良いんだが、今までの習慣で南印メシというと菜食というイメージなのだ。
 今日はシリーズ第三弾、「ダクシン八重洲店」。松屋から徒歩約10分。京橋駅の近くだ。
 目立たないところにある、B1階の食堂。内装もシンプルで、可もなく不可もなし。ランチミールスは二種類あって、そのうち、バスマティライスミールスを注文する。左写真。1,550 円。基本はノンベジ(肉入り)のようだが、ベジにも対応。カレー二品に、サンバル(豆スープ)、ラッサム(酸味スープ)、サラダ(どこにでもある生野菜千切り)、バスマティ米、プーリー(揚げパン)、パパドだ。プーリーはドーサかナンに変更可能。カレー二品は日替わりで、今日は茄子のココナツベース、オクラ+野菜。特に茄子カレーが美味。ヨーグルトは別注で50円。ご飯とラッサムはお代わり可能。サラダを除いてはかなり好みの味であった。やはりミールスはバスマティで食いたい。南印コーヒーもあるようだが、特に長居したい雰囲気でもないので、今回はパス。次回はドーサ付きにしてコーヒーもトライしてみよう。ベジミールス★★★1/2、雰囲気★★★。




 

3月25日(木) 国際版オンラインショップ、オープン!

 数日前、弊スタジオの国際版オンラインショップがオープンした。
 アドレスは、
 https://maki.international
 言語は英語。
 昨年の8月頃に着手したのだが、アイテムの翻訳に手間取って、今までかかってしまった。

 やっと公開して、現在のところ、海外よりも日本からのアクセスの方が多い。
 みなさんも御覧になったかな?
 ただ、日本から日本人がアクセスしても、あまり意味はないかも。
 というのも⋯
 1. アイテム数が限られている。(国際版掲載アイテムは日本版の一部)
 2. 説明が英語で、しかも真木千秋の想いが英語で表現されているか定かならず。
 3. 価格は同じ。

 しかし、日本在住の外国人や、外国在住の邦人、もちろん外国在住の外国人には大いに意味があると思うので、 お心当たりがあったら拡散よろしく!
 日本在住の日本人はこちら




 

3月22日(月) 藍の芽

 藍の芽が出た。
 と言っても、インドganga maki工房の話。
 2月13日の記事「ピクニック」にも出ているが、工房に隣接した畑だ。今年から借りて、藍畑にした。
 工房総出で二度ほど石を除去し、犂(すき)で耕し、また工房総出で牛糞を施す。というのも、この畑にはアクセス道路がないので、牛糞も工房から人力で運ばないといけないのだ。
 種を蒔き、灌水をすると、一週間ほどで芽が出る。(左写真)
 いかにもマメ科らしい芽だ。インド藍はマメ科の植物である。
 例年、6月初旬の発芽であったが、それはどうも灌水が遅かったせいらしい。今は乾季のまっさかりなので、しっかり水をやらないと種を蒔いても発芽しないのだ。(当たり前!?)
 というわけで、今年は藍の収穫も早めか。

 右写真はきれいに整備された藍畑。
 真ん中の大石はびくともしないので、守護神みたいに鎮座している。




 

3月11日(木) 藍の種取り

 古代ビーズ展も終了して、静かに晴れ渡った東京五日市。
 久しぶりにゆっくり拙畑に出る。
 今日はタデ藍の種取りだ。
 ホントは昨秋のうちにやるべきものだろうが、いろいろ忙しくて今日になってしまった。
 インドの工房だったら用務員は何名も居るし、牛も居るしで畑仕事も捗るのだが、こちらは用務取締役がひとりだけだからなかなか手が回らない。

 左写真、掌の真ん中に見えるゴマみたいなのが、タデ藍の種。
 上方が枯れた藍草だ。昨年10月に花が咲き、 枯れた花の殻の中に種がひとつずつ入っている。藍の種は1年しかもたないから、しっかり採取しておかねばならない。
 枯れた藍草の葉っぱがほんのり青いのがわかるかな?






 

2月28日(日) 余禄

 芭蕉を育てていると、良いことがある。
 皿として使えるのだ。

 ここganga maki 工房は北インドにある。
 シェフのマニッシュ君も北インド人だから、基本的に北インド料理が出る。北インド料理というのは、きっと皆さんもお馴染みだろう。日本のインド料理店もだいたいにおいて北印料理がベースだ。私も大好き。だから毎日幸福である。
 ただ、私は、南インド料理も大好きなのだ。そこで今回は試みに、マニッシュ君に南印料理を所望してみた。ポリヤルとサンバルとラッサムだ。
 ポリヤルというのココナツを使った野菜炒め、サンバルは豆+野菜スープ、ラッサムは酸っぱい野菜スープ。これがけっこうイケるのだ。

 


 上写真、黄色いのがサンバル、緑のがサヤインゲンのポリヤル。ラッサムは最後にぶっかけて食う。その上にヨーグルトを載っけてぐじゃぐじゃさせると、まさに至福の境地だ。
 手で食うと更に美味。
 そして、皿が芭蕉だったら、気分も南インド。
 この皿は食後、洗う必要がない。折りたたんで牛小屋に持って行く。すると母牛が喜んで食う。まずカレーの部分をペロペロと嘗め、それから葉っぱをムシャムシャ食う。娘牛の方はそれほどでもない。結局母が全部食ってしまう。嗜好が開発されていないのか。

 日本でも最近人気の南印料理。ひとつ当地と違うのは、とあるスパイスの存在だろう。
 それは生のカレーリーフだ。日本では沖縄八重山で栽培が試みられているくらいではないか。だから入手が難しい。同じミカン科の山椒にやや近いピリ辛の風味は、カレーリーフの生葉ならではだ。
 これが工房内外にいくらでも自生している。だから新鮮なのが労せずして手に入るのだ。下写真、マニッシュ君が手にしているのが、カレーリーフの木。工房正門の外に生えている。
 というわけで、ganga maki 工房の楽しみが増えた。 (マニッシュと真木千秋はやや辟易していたが)




 

2月26日(金) シーズン最後の芭蕉収穫

 今朝は9時半から芭蕉の収穫。
 三度目で今シーズン最後となる。
 前回は本頁でもご紹介したが、2月9日であった

 今日収穫した芭蕉は、主に正門脇の芭蕉畑。
 あまり日当たりが良くなく、成長がイマイチの場所だ。
 「バショウのバショを移動しないとネ」とはラケッシュの寒い駄洒落。(外国人だから許される)
 作業場まで約200m、芭蕉を担いで移動する。(上写真)

 今日切り倒した芭蕉は二十数本。
 数は多いが、サイズは小振りだ。
 作業場の牛小屋前にはスタッフが集まり、既に準備ができている。
 用務、畑、糸取りスタッフなど、合わせて十人ほどだ。
 さあこれから作業開始、という場面。(中写真)
 もう何度も芭蕉収穫を経験しているから、みんな要領を飲み込んでいるようだ。

 下写真でシステムをご紹介すると⋯
 写真、左端で男がひとり、立って、芭蕉の外皮を剝く。
 手前で男二人が、剝かれた外皮を鎌で短くカットし、鍋に入れる。これは芭蕉紙用。
 右上、女二人が、芭蕉の内皮を剥く。
 左奥、小さな女二人、内皮から薄皮を剥き取る。一番繊細な作業だ。
 真ん中で真木千秋がその薄皮をロープに掛けている。
 薄皮を除去された芯は、右手にいる牛たちのご飯だ。

 左手前には芭蕉の実。小さなバナナであるが、中には種が入っている。(ちなみにバナナは種の無い芭蕉の実で、人類初の畑作物と言われる)
 この種を蒔いて、芭蕉を栽培するというわけだ。
  右写真が芭蕉の実。前回収穫した時のものだ。黄色くなってきたので中身を割ってみたところ、種がいっぱい。バナナは本来こういうものだったのだ。ためしに食べてみたところ、ものすごく渋い。まだ熟してなかったようだ。成熟すればきっと甘くなるに違いない。




 

2月25日(木) 竹細工作戦

 近在の山村から竹職人スニルが来訪。
 左上写真の左端人物だ。

 彼には今までいろいろ作ってもらっている。
 たとえば彼の足許にあるカゴ。これは弊スタジオで使っているゴミカゴだ。
 敷地のあちこちに設置されたいる。(竹林shopでも販売したことがある)

 今日は、彼にあるものを作ってもらおうという魂胆だ。
 それは、 左上写真で彼が手にしている物体。
 真木千秋が芭蕉紙を手に説明している。
 その拡大写真が左中。極細の竹ひごでできている。

 これは実は、建築家ビジョイ・ジェインの差し金である。
  先日真木千秋がスタジオムンバイを訪れた折、ビジョイに提案されたのだ。
 この物体を作ったのは、竹職人マクルー。スタジオムンバイに所属し、ganga maki 工房建設の際には当地に常駐して竹細工の総指揮を執る。(右写真/左側人物 — 2016年)

 ビジョイは月初ganga maki 工房に来訪。その際目にした芭蕉紙をいたく気に入り、その使い方についていろいろ考えてくれる。そのひとつがランプシェードで、その一助として竹職人マクルーに細工をさせたというわけ。

 こちらの竹職人スニル、その精巧なモデルを見つつ、さてどんな素材でどんなふうに作ろうか、いろいろ思案を巡らす。
 これから村に帰り、試作してくるという。
 どんな村なのか一度訪ねてみたいものだ。なんでも道路が通じておらず、途中から歩かねば到達できないらしい。

 昨日から急に夏めいてきて、気温は三十度を上回る。
 日本では三寒四温の季節だろうが、こちらは一気に三暑四温という趣。
 私ぱるばはこちらでも用務員仕事に余念がないが、外ではTシャツ姿だ。
 頭は麦わら帽子の代わりに、芭蕉帽子。これも試作品の人体実験だ。




 

2月22日(月) 墨染め

 グレーというのはいちばん人気のある色のひとつだ。
  皆さんの周囲も、衣服のみならず、インテリアから車、電子機器に至るまで、グレーの面積が一番広いのではあるまいか。(私のパソコンも「スペースグレー」)
 グレーというと日本語では、灰色、あるいは鼠色。江戸時代には四十八茶百鼠と言われるくらいたくさんの鼠色があったらしい。
 当スタジオでも、グレーはいろんな染料で染める。代表的なものは、ザクロとメヘンディ。メヘンディとはヘナのもととなる植物だ。
  同じ「グレー」でも、色合いが微妙に異なる。ザクロはこっくりとしたグレーで、メヘンディはMakiも大好きな少し緑がかかったグレーだ。

 そして最近、もうひとつグレーのバリエーションが増えた。それは墨染め。
 これは昨夏、真木千秋が西表・紅露工房で合宿した折、石垣昭子さんに手ほどきをうけたもの。彼の地ではユウナの木を使うのだが、混じりけのないピュアなグレーで、こういうのを銀鼠と言うのであろうか。
 インドで染めるならガジュマルだろうなと思っていたところ、ちょうどガジュマルの気根が手に入る。(2月19日の項参照) 。樹皮で赤茶色を染め、木部を炭にして墨染めに挑戦する。右上写真はガジュマルの炭を粉砕しているところ。

 墨染めというと、僧侶の黒い衣を連想するが、あんなふうに真っ黒に染まるわけではない。
 何度も染め重ねて、左上写真のように染着する。これは湿った状態だから、乾くともう少し明るくなる。シルクだから光るので、銀鼠色、シルバーグレーだ。右奥に見えるのがガジュマル樹皮で染めた赤茶。

 左中写真はその銀鼠糸で作ったタテ糸を、織師シャザッドの機にかけたところ。ザクロやメヘンディで染めたグレーとの違いがわかるかな?

 左下写真はサジャッドと織りのデザインや織り具合をチェックする真木千秋。

 織り上った作を水通しして、仕上がりを見る。(右下写真)
 順調に行けば、4月の銀座松屋展示会でご紹介。(私ぱるばが持ち帰って3月6日からの竹林オカベマサノリ展でデビューも!?)




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2月19日(金) ガジュマルで染める

 ガジュマルという樹がある。
 英語ではバニヤン樹(banyan tree)と呼ばれる 。(日本語ではバンヤンとか表記されるが音声学的に不適切)
 インドには広く自生し、当地ヒマラヤの麓にもあちこちで見られる。右上写真は弊スタジオの裏手、新しい藍畑を睥睨するバニヤン樹の大木。
 枝から気根を垂らし、それが地に到達すると新しい木として成長する。インド西部コルカタの植物園には世界最大と言われるバニヤン樹があって、一本の木が今では森のようになっている。大元の木は既に枯れていたが、世にも稀なる奇観であった。気候さえ適切であれば永遠に生きるのではあるまいか。
 そんなこともあって、インドでは縁起の良い樹とされている。大きなバニヤン樹の根本によく祠が祀られているのはお馴染みの光景だ。また街路樹としても広く植えられている。

 しかしながらそれが逆に災いし、最近はよく伐採されることもある。というのは、インドの経済成長に伴って道路の拡張工事があちこちで行われているからだ。大きな木だから移植するわけにもいかない。弊工房の近所でも、そうして伐られたバニヤン樹が痛々しい姿をさらしていたりする。
 それを目にした真木千秋、その材で染められないかと思い立つ。そういえば沖縄で染めていたという話もある⋯。
 日本では沖縄でガジュマルと呼ばれている。妖精キジムナーが住んでいたりするから、インドのバニヤンと似たような存在なのだろうか。

 そこでさっそく伐られた気根を入手し、その樹皮(左写真1)を煎じて絹糸を染めてみた。
 そうしたら、見事な赤茶色に染着する。(左写真2)
 沖縄のヒルギ染に似た色合いだが、それよりやや赤味が強いかも。
 製作意欲を刺激された真木千秋、さっそく黄金のシルク・ムガなどを引き揃えてみる。左下写真3はそのときのタテ糸。
  そうして昨秋、新しい空羽ストールを織り上げる。(写真右下)。オンラインショップでも既に紹介されているのでお手にしている人もあるだろう。(きっと縁起が良いに違いない)

 このガジュマルでは、ほかにいろいろなことを試している。
 たとえば、芭蕉紙に混ぜてみたり。(左写真2)
 やや赤味が加わっているのがわかるかな? 紙の草木染めだ。
 そのほかもうひとつ面白い試みがあるのだが、それはまた明日。





 

2月16日(火) 泣きぬれてカミとたわむる

 今朝は真木千秋、開口一番、「手が痛い⋯」と泣き言を言う。こっちは医者じゃないんだから、病院に行けとしか言いようがない。まだ先月の傷が癒えていないのだ。
 ただ、心当たりもある。昨日も夜なべして芭蕉紙と遊んでいたのだ。それで出来たのがこのような物体。 (右上写真)
 手近な箱に張っただけなので地が透けて見えるが、芭蕉紙の素材感がなかなか良い具合。
 おそらくこうして紙と戯れている時は、いっさい痛みを感じないのだろう。 エンドルフィン全開状態だ。

 そして数時間後の水場。(左上写真)
 嬉しそうに紙と戯れる真木千秋。
 痛いはずの右手はどうなったのか。
 もう昼食時間なのに、文字通り寝食を忘れて没頭している。
 リバウンドが来ないよう祈るばかりだ。

 今朝の一番仕事は芭蕉の収穫。水場では女性スタッフが倒したばかりの芭蕉を処理している。 (右下写真)
 そして、芭蕉紙スタッフを集めて製作ミーティングだ。(左中写真)
 農家出身である用務スタッフが中心となって芭蕉紙づくりに励んでいる。
 なにしろみんな始めたばかりなので、検討すべきことが多々ある。
 ただ、毎日やっていれば、いろいろ見えてくるものもある。
 要は経験を重ねることだ。

 下写真は最近の作。
 なかなかの出来栄えではあるまいか。
 向かって左側が、内側の繊維を使った繊細な芭蕉紙。
 右側が、外側部分も少し入った野趣に富む芭蕉紙。
 どちらも捨てがたい。外側部分の配合具合で様々に微調整ができる。
 私やラケッシュ君などは不適切にも海苔を想起して、思わず食べたくなるのであった。






 

2月15日(月) 昔取った犂柄

 ヒトコブ牛につけた犂(すき)で耕作。
 エキゾチックな風景だ。
 日本ではあまり馴染みの無い耕作法だが、インドではこれが普通である。

 一昨日石拾いをした藍畑の予定地。
 今日は近所の農民に頼んで耕してもらう。
 朝、 二頭の牛を連れて農民がやってくる。7歳になる役牛だ。(去勢した雄牛)
 さっそく耕作にかかる。
 ただ、あまりスムーズに耕せない。今まで牧草しか育てていない畑で、土が堅いという。たしかに日本の畑みたいなフカフカの土質とは程遠い。
 役牛でも3〜4時間しか犂は引けないそうで、とても一日では終わらないという。

 ところで、弊スタジオの男性用務スタッフは4名ほど居るが、いずれも農家出身で、犂耕作ができる。みんな代わる代わる犂を手にして牛の後に続く。昔取った杵柄ではないが、この耕作セットを目にすると血が騒ぐのか。
 上写真は電気/水道係のスニール。やはり実家でやっていたそうだ。インドの農家では牛が扱えて一人前なのだろう。

 それで私も少々犂柄を持たせてもらう。(下写真)
 私も武蔵五日市の拙宅ではよく鍬を手に耕作をするのであるが、やはり役牛二頭はパワーが違う。こんな石だらけの土地500坪を鍬で耕したら、一年かかるんじゃあるまいか。三世一身法モノだ。真木千秋が嬉しそうに写真を撮っている。

 背後がganga maki スタジオ。その地続きだから、藍畑としては便利な立地だ。
 日当たりも良さそうだし。
 種まきは3月半ば過ぎの予定。






 

2月14日(日) また織元来訪

 昨日のことだが、キッチンに意外な人物が出現。
 カディ織元のサジッド・カーンだ。
 四日前に来たばかりではなかったか!?  170kmの彼方から。

 織り上がった手織タオルのサンプルを持参してきた。
 2月10日の奮戦記にも書いた、手回しチャルカの糸を使った木綿タオルだ。そのとき指摘した糸の太さや耳の仕上もちゃんと修正し、指定したデザインで織ってきた。
 これなら大丈夫と満足げな真木千秋(左上写真)。

 そのタオルを目にした私ぱるば、目がキラッと光る。
 これは私のシャツ地に良いのではないか!?
 私は木綿が大好きなのだが、どうもインドには冬物シャツに良さそうな手織生地がない。木綿の原産国であるが、南国なので薄手が多いのだ。ところが、この手回しチャルカ糸は太目だから、それで織られた生地は日本のスリーシーズンに心地よさそう。
 それを聞いた真木千秋、確かにそうかも⋯♪、ということで、タオルのみならず、生地としても発注することになった。
 私はあくまで私利私欲のため目をつけたに過ぎないが、それが図らずも今夏「カディ・マンガラギリ展」のコレクションを増やすことになるのかも⋯。ま、ウチの製品はえてしてそういう経緯を辿って誕生したりする。
  ということで、あまり期待せずに次の来訪を待つことにしよう。ちなみに次はいつ?と聞くと、わからないとのこと。

 ところで昨日は少年をひとり帯同。息子のムザキール、12歳だ。
 四時間の道のりを父親のバイクの後ろに乗ってきたのだ。
 う〜ん、12歳のオレだったらそんなことしただろうか? しかもインドの道だ。
 大丈夫だったのかとサジッドに聞くと、本人が来たがったとのこと。
  実際、そんなに急ぎの仕事でもなかったから、息子とバイクライドがしたかったのかも。
 昼過ぎ、注文ももらえたことだし、二人は嬉しそうにまた170kmの帰途へと就くのであった。







 

2月13日(土) ピクニック

 今日は正午からみな一斉に職場を離れ、工房外に繰り出す。
 敷地に隣接する畑だ。
 広さは約500坪。
 ここを借りて、今年は藍を栽培する予定である。
 ただ、この畑、石がゴロゴロしているのだ。日本人の感覚からすると、こんな石だらけの土地が畑?と驚くほど。
 だいたいこの周辺は石が多く、工房の敷地も石だらけだ。だから私ぱるばも毎日石と格闘している。(ただ道法正徳氏によると多少の石は収穫増に貢献するらしい)
 弊スタジオには農業スタッフが4〜5人居るんだけど、仕事がゆっくりで、とても藍の種蒔きには間に合いそうもない。そこで、ピクニックも兼ね、今日は全員で石拾いだ。
 織師もテーラーも糸巻きも掃除係も事務方も総出。室内で着座のスタッフが多いから、春の日和に外仕事も気分転換になって良いだろう。
  ざっと数えて三十数名。(上写真)。真木千秋も交じって働いているのが見えるかな。(ヒント:藍色の衣+白手拭い+帽子)
 軽く一時間ほどみんなで働き、表面の石はだいぶ除去された。この時の様子はインスタグラムのIGTVでも見られる。
 石拾いの次は、地元の農夫が牛で鋤をかける。
 するとまた土中から石が出現するのだが、まあ仕方ない。

 作業の後は、給食タイムだ。
 工房の食堂に移動して、 みんなでランチ。
 通常はそれぞれ弁当持参だが、今日は福利厚生である。
 メニューは、ひよこ豆カレー、ご飯と揚げパン、野菜サラダ、ライタ(ヨーグルトサラダ)、デザートなど 。シンプルなものだが、カレーは何だって美味い。一同に会して同じ釜の飯を食うとひときわ美味い。(下写真。私ぱるばが見えるかな)
  皿は沙羅樹の葉っぱ。みんな手で食うから食器不要。
  こういう機会に給仕するのは、決まって水場の男性スタッフだ。(どこかの組織委員会と違って女性上位の職場である)
 いつも水場スタッフに給仕させるのも悪いから、次回は我々事務方が致すことにしよう。






 

2月12日(金) 工房四周年

 もうじき、ganga maki 工房・公式オープンから丸四年経つ。
 2017年2月中旬にオープン記念イベントを行い、日本からもたくさんのお客さんが見える。その中には今竹林2月のお楽しみ展で飲食出店しているティモケやtocoro夫妻も交じっていて、サモサやコーヒーを提供したものだ。
 上写真はその折、ちょうど四年前の一昨日(すなわち2月10日)に撮影した織成工房の外観。真木千秋デザイン室のある第二棟だ。
 そして下写真は、今日。ほぼ同時刻に撮影したもの。
 だいぶ木々が育っていて、木陰も多い。一番目立つのは、真ん中の一本。上写真では植えたばかりで、人の身長くらい。
 それがだいぶ大きくなっている。カダムと呼ばれる南洋樹だ。インドの樹木は成長が早いが、カダムは特に早く、もう工房の屋根を超えている。iPhoneに入っている測定アプリで計ったところ、樹高16mほど。根本50cmの太さが直径27cmほど。(どのくらい正確かはわからぬが)
  敷地にカダムは一本だけで、これは建築家ビジョイが選定して、この場所に植たものだ。建物とのバランスを考えて場所と樹種に決めたのだろう。高さ45mにまで成長するらしい。
 工房の南西に位置し、いずれは、夏の強烈な西日から真木千秋を守ってくれるはず。今の16mでは何の役にも立たないので、早く45mになってほしいものだ。
 このカダムばかりでなく、敷地の木々はみなずいぶん大きくなっている。その成長を見届けるためにも、長生き(および工房維持)しなくちゃと思うこの頃である。
 下写真のあちこちに写っているバナナ様の植物は、糸芭蕉。工房内でいちばん多い木だ。






 

2月11日(木) 水場の変容

 今日、日本は建国記念日で休日。
 竹林shopでは今日から20日までの十日間、竹林2月のお楽しみ展が開催されている。
 これは毎年2月の恒例行事だが、東京はまだ緊急事態宣言下にある。山間の僻地であるあきる野市は幸いここ二日間ほど新規感染ゼロなのであるが、注意するに越したことは無い。それで今年は特別、オンラインショップでも一部ご紹介することに。

 さて、こちら北インドganga maki 工房は、今日も春の日和だ。
  現在、外気温は20.7℃。まことに快適である。
 上写真は工房、メインストリートの様子。
 向かって左側が織成工房、右側が水場だ。
 水場は読んで字のごとく、水を使う場所。煮たり、染めたり、洗ったり。そして奥には藍の部屋もある。メインの仕事は染色なので、「染め場 dyeing workshop」 とも呼ばれる。 (ちょっと英語のお勉強。「染める」はダイdyeであるが、「死ぬ」dieと同音。現在進行形ダイングも同音だが、区別するためdyeingとdyingに綴り分ける)
 屋上では春の陽の中、織り上がったばかりの古布つづりが水通しして干されている。

 この染め場、最近は半分、漉き場になっている。
 それは一昨日もご紹介した、芭蕉収穫の影響だ。
 芭蕉糸になる素材よりも、ずっとたくさんの紙素材が採れるのだ。
 それでせっせと、今日も四人のスタッフが紙漉きに励んでいる。インド農村地区の雇用創出に貢献しているわけだ。
 で、漉いた紙をどうするのか??
 真木千秋も漉きながらいろいろ考えているようだ。
 たとえば、昨日は、水場電灯のランプシェードにしてみた。(下写真)
 弊スタジオの電灯は、「蛍光灯」も含めてすべてLED。(竹林スタジオより進んでいる)。 水場の電灯も、手前が電球色LED、向こうが昼白色LEDだ。
 昼間だから点灯してもあまり関係ないのだが、なかなか趣がある。
 しばらくこのままにして様子を見てみよう。






 

2月10日(水) 機元来訪

 機元(はたもと)というのは機織りの元締めだ。
 手織木綿カディの機元、サジッド・カーンがganga maki 工房に来訪する。
 「カーン」がつくと、ジンギスカンみたいで物々しいが、イスラム教徒によくある名前だ。インド映画界の「三大カーン」とか、インド古典音楽の名手連とか、この国にカーンはたくさん居る。
 このサジッド(上写真・右側)はえらくいかつい外見のオッサンであるが、実は私ぱるばは、彼がまだ高校生だった時に会っているのだ。隣州ウッタルプラデシュの機屋一族の生まれで、Makiとは二十数年来の付き合いである。
 毎年6〜7月に竹林shopで開催するカディ展のカディは、彼の機場で織ってもらっている。その打合せに、この時期、サジッドはよくganga maki までやってくる。
 昨日はバイクで片道170kmの道のりを、四時間かけてやってきた。

 上写真は糸サンプルを見せているサジッド。
 指示書の色や織り方と見比べる真木千秋。
 要望を受け取ると、その場でサジッドは機場に電話し、指示を与える。すると機場では手早く試織を行い、その写真を送ってくる。二十数年前に比べるとやりとりが非常にスピーディだ。
 そのほか、新たに、手織タオルのサンプルを持って来る。ヨコ糸は手回しのチャルカ糸だ。マハトマ・ガンディーでお馴染みの伝統的糸車。ガンディー・チャルカと我々は呼び習わしている。ただ、糸が太目で、どうしてももったりした手触りになり、耳の状態もイマイチ。ちょっと工夫が必要だ。
 一緒に昼食を摂り(この日はサンバル+ラッサムの南インド飯) 、昼過ぎ、家路に就くサジッド。(下写真)。後部にはMakiのハギレをたくさん袋に詰めている。このハギレを使ってラグを作っているのだ。一部は既に竹林shopに到着しているはず。
 また四時間のバイク旅だ。日が暮れると気温も急下降するから、マフラーやジャンパーをしっかり着込んでいる。キミたちの町ではコロナはどうだいと聞くと、そんなモノ聞いたことがないとのこと。そのくらい鄙の地だ。




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2月9日(火) 一物全体・芭蕉編

 こちら北インドは、もう日中の気温が二十度を上回る。
 陽の中で作業すると、少々汗ばむほど。
 今日は朝から芭蕉の収穫だ。

 ganga maki 工房には沖縄渡来の糸芭蕉が数百本、育っている。
 きっと気候が合うのだろう。
  実芭蕉(すなわちバナナ)もたくさん植えたのだが、いつの間にか絶えてしまった。 だからこの工房でバナナっぽく見えるのは、すべからく糸芭蕉だと思って良い。

 糸芭蕉の収穫は、冬がシーズンだ。 今日はこの冬、2度目の収穫作業となる。
 収穫と言っても、もちろん実の収穫ではなく、繊維の収穫だ。その繊維が糸になるのである。
 今日は成熟した3〜4年モノの芭蕉を16本ほど倒す。
 倒したそばから、まず外皮を剥ぎ、内側の薄皮を採取する。
 この薄皮の中に繊維が含まれている。芭蕉の維管束だ。その繊維は茎の内側に行けば行くほど繊細になる。その薄皮を剥がし、ロープに掛ける。(写真1)
 繊維が採れない中心部は、牛の餌になる。写真1、左側で愛牛が美味しそうに食べている。私ぱるばもちょっと囓ってみたが、ほのかな甘味がある。

 その薄皮を灰汁で炊く。
 採取した直後は白色の薄皮だが、灰汁で1時間近く炊くと赤っぽい色を呈する。
 赤っぽい部分は非繊維質の不要部なので、竹製の道具を使ってこそげ落とす。(写真2)
 そうすると生成色の繊維部分が現れる。沖縄八重山で「うー引き」と呼ばれる作業だ。
 こそげ落とされた不要部分はバケツの中に、そして繊維部分は右下の芭蕉葉の上に収まる。作業にあたるのは真木千秋の一番弟子であるタニヤ(奥)、そしてサロチナ。
 左側では染師ディネスが芭蕉を炊いている。

 今日の収穫である芭蕉繊維を見分する真木千秋。この繊維は八重山では「ぶー」と呼ばれる。
 一回毎に工夫を加えているので、また一段と上等な「ぶー」が採れたようだ。
 作業を進めながら、この繊維で何を作ろうかいろいろ思案を巡らせている。
 「ぶー」は干し上げ、巻いて保存する。そうしておけば、いつでもそれを裂いて、芭蕉糸を績むことができる。
 右上写真が、前回収穫した芭蕉繊維から績んだ糸。今、タニヤが その糸を巻いている。

 16本の芭蕉を倒しても、採れる「ぶー」はほんの僅か、数百グラムほどだ。
 それ以外、残りの部分も、実は繊維分に富んでいる。たとえば、写真4は外皮の内側。ただ捨てるのはもったいないから、短く切って炊く。
 また、「うー引き」の際に掻き取られた部分。(写真右下) 。こちらも繊維がいっぱいだ。
 こうした繊維を使って、1月30日にご紹介した芭蕉紙を漉くのである。
 最後の残りは、肥料として芭蕉畑に戻される。

 というわけで、繊維、紙、飼料、肥料⋯ 。
 貴重な芭蕉であるから、一物全体の利用を心懸けている。
 






 

2月3日(金) 楽園清掃

 私もインドのいろんな染織工房を見てきたが、弊工房ほど環境の良いところもなかなかあるまい。今は気候も良いから、「この世の楽園」的たたずまいだ。設計者ビジョイ・ジェインが精魂込めただけある。
 今日は朝から工房の掃除だ。というのも、明日、 そのビジョイが来訪するからだ。

 竹林スタジオも、そして皆さんのお宅も同様だろうが、お客さんが来る前にはいつもより入念に掃除をする。おかげでキレイになって良い。ビジョイは多忙だから、来ると言いつつ来ないことがけっこう多い。それでも副作用として工房がキレイになるのだから、まあ良しとしよう。
 弊スタジオは平生から朝夕2回の掃除をしている。織師もテーラーも糸巻き人も用務員も区別無く総出のお勤めだ。日本人からすると普通のことかもしれないが、インドではちょっと珍しい光景だろう。日本では学校でも毎日掃除の時間があったが、インドの学校には掃除人がいる。子供たちが掃除することはないのだ。
 しかしビジョイは設計段階から、清潔さについては日本水準を考えていた。だから、工房の日常的運営についても、「誰かひとりウルサいおばさんが必要だね。軍人の妻みたいな」とかのたまっていたものだ。残念ながらまだそういう軍人の妻は見つからないのだが、その部分も真木千秋が受け持っているようだ。自ら陣頭に立って奮励努力している。だいたい男の職人たちは掃除など自分の仕事だと思っていないところもあるから、このように習慣づけるのも容易なことではない。まずは率先垂範が必要となる。
 そういう私も用務員であるから、毎日、地面に近いところで工房の環境改善のため肉体労働に勤しんでいる。
 今回のビジョイ来訪も、ひとつには工房メンテナンスの相談がある。じつは当地はいつも楽園だというわけではない。酷暑、モンスーン(雨季)、暴風など、けっこう気候が苛烈なのである。日本水準での維持管理も大変なのだ。




 

2月2日(火) 印豆列伝・その1 ウラッド豆

 ganga maki スタジオは平生ベジタリアン。豆は重要なタンパク源である。
 昼夜とだいたい豆カレーを一品出してもらう。(シェフはマニッシュ君)
 最近好んで食しているのが、ウラッド豆のカレー。
 この豆は非常にユニークな特長を持っている。アメリカ農務省のデータによると、必須脂肪酸のオメガ3:オメガ6の比率がなんと14:1。豆類の中では飛び抜けて高い。オメガ6系油脂摂取過多の現代人には有難い食材だ。
 味も最高。写真は殻つきの「黒ウラッド」。コクがあってウマい。和名をケツルアズキと言うらしいが、何となく小豆っぽい雰囲気もあって我々には親しみやすい。
 この黒い殻を除去した中身は白ウラッドと呼ばれ、それを使うと黄色いカレーになる。(黄色はターメリックの色)。粘り気のあるサラッとした食感で、 それもまた美味。白ウラッドはその粘性を生かし、パパド(インドせんべい)やドーサの原料にもなる。
 最近、インドカレーの妙な食べ方を覚えてしまった。日本の海苔と一緒に食べるのだ。この黒ウラッドカレーも、米と一緒に、海苔で巻いて食うと、もうヤバい。
 かつてラケッシュ君が竹林カフェでこのウラッドカレーを供したところ、お客さんから「魚が入ってます?」と聞かれたそうだ。オメガ3系油脂の由縁であろうか。よっぽど敏感なお客さんだったのだろう。私が食べてもそんな感じはしないのだが⋯。
 日本でも容易に手に入るし、調理も簡単らしいから、皆さんもお試しあれ。




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1月30日(土) 紙工錯誤

 昨年秋から取り組んでいるプロジェクト。
 芭蕉紙づくり。

 ganga maki 工房の敷地には多くの芭蕉が生い茂っている。数年前から糸取りが始まり、布に織り込まれている。
  ただ、一本の芭蕉から採れる繊維は、重さにしてわずか数十グラム。 残りは廃棄され、堆肥になる。その中にはまだ繊維が残存しており、ちょっともったいない。
  沖縄ではそうした繊維から紙が漉かれ、芭蕉紙となる。昨年、真木千秋は西表・紅露工房にて手ほどきを受ける。そして、当地ganga maki 工房にて、織物づくりの合間に芭蕉紙づくりに取り組んできた。

 先週こちらに合流したMakiスタッフ横田裕子は、沖縄県立芸術大学の出身であるが、たまたま同大学院で手漉き紙の研究をしていたという。思わぬ助っ人の参上である。
 素材こそ沖縄と同じ芭蕉であるが、それ以外はほとんどすべてインド産品。芭蕉紙づくりも試行錯誤だ。その一端をご紹介しよう。

 右上写真
 染め場の一画が紙漉き場。
 芭蕉屑の繊維分を煮沸し、マル秘の糊料を加えた原料から、横田裕子が紙漉き具を引き上げているところ。この紙漉き具も、当地の木材と金網で工夫して手作りしたものだ。右側の助手サンディープ君は新加入したスタッフ。もともと畑要員なのだが、こうした作業も好むようで、真剣な眼差しで横田の仕草を観察している。いずれ芭蕉栽培から紙づくりまで一気通貫してしまいそう!?

 左上写真1
 これがマル秘の糊料、ビーマル。
 この名前にはお聞き覚えがあろうだろう。そう、当スタジオで長年、縄の材料に使ってきた木だ。竹林shopにも手作りロープが置いてあるはず。有用な樹種で、当地ウッタラカンド州の農家は地所に必ず植えている。その樹皮から繊維を採り、枝葉は良い飼料となる。
  実はこの木、アオイ科なのだ。アオイといえば、和紙の糊料として使われるのがトロロアオイ。このビーマルも樹皮を水に漬けると御覧の通り、ネバネバした樹液が滲出する。それでひらめいた真木千秋、ganga maki 芭蕉紙に使ってみようと思ったわけ。
 日本ではトロロアオイも生産中止になるらしいが、こちらのビーマルはいくらでもあるので便利。糊料の採取も簡単だ。

 左上写真2
 掬い上げた芭蕉繊維を板の上で伸(の)すサンディープ君。良く見ると葉っぱを使っている。庭に生えている波羅蜜(ジャックフルーツ)の葉だ。空気を追い出すのに良いということで横田が考案した方法。
 手前では真木千秋が、金属カゴの外側に芭蕉繊維を貼り付けている。曲面を出そうという試みだ。

 左上写真3
 曲面を出そうと丸石を使ってみたところ。
 帽子みたいで愛らしいのであるが、乾いた後、取り外すのが難しい。
 風船を使って、乾いたらしぼませたらどうかという案も。 

 左上写真4
 上手に乾いた芭蕉紙。なかなか良い出来だと満足顔の真木千秋。
 乾かし方も工夫が必要で、たとえば直射日光の下ではすぐに乾くが、板から離れて波打ったりする。
 さて、どんなものができるかお楽しみ!






 

1月29日(金) マンガラギリの糸つなぎ

 織物産地マンガラギリの布づくりは分業で行われている。
 以下の順序だ;
 1.糸染め
 2.整経(タテ糸づくり)
 3.糊付け
 4.経継ぎ(タテ糸をつなぐ)
 5.織成(機織り)
 これについては昨年のマンガラギリ訪問記事を参照。
 ただ、この中の「4.経継ぎ」だけは、 今まで見たことがなかった。そこで今年は織元のチランジービ氏に頼んで連れて行ってもらった。
 きっと「つなぎ屋」なる専門業種が存在するものと思っていた。というのも他の四工程にはそれぞれ専門の作業所が存在するからだ。
 ところが、チランジービ氏に案内されたのは、とある織工の自宅であった。軒先でその家の主婦とおぼしき婦人が糸つなぎの作業にあたっていた。(上写真)

 この作業は、薄手生地の産地マンガラギリならではの工程であろう。
 ganga maki 工房ではこの作業は存在しない。タテ糸を作ったら、それを二人がかりで機にかけるのだ。すなわち、タテ糸を一本ずつ綜絖(そうこう)と筬(おさ)に通す。綜絖とはタテ糸を上げ下げする装置、筬とはヨコ糸を打ち込む装置だ。
 ところが、マンガラギリのタテ糸は、4千本前後の細糸だ。そして綜絖は糸で作られ、筬の目も細い。タテ糸を一本一本通していたら厖大な仕事量だ。(中写真の手前に見える白い部分が糸綜絖)
 そこで登場するのが経継(たてつ)ぎ。以前に織ったタテ糸の末端部を残しておいて、そこに糸を繋いでいけば、綜絖と筬に通す作業を省略できる。
 省略とは言え、4千本もの糸を一本一本繋ぐわけだから、大変な作業であることには変わりない。
 中写真で作業者が左手にざっくり持っている赤い糸束が新しいタテ糸、その下に見える赤と黒の糸列が旧いタテ糸。 その新旧のタテ糸を一本一本指で繋ぐのだ。
 繋ぎ方は沖縄八重山で苧麻糸を績む時と同じで、撚りをかけて継ぐ。
 チランジービ氏によると、この作業は1〜2年続けると、それ以上はできなるという。指がもたないらしい。そうしたら君のビジネスはどうなるんだ、と聞くと、また別の人を探すとのこと。
 糸つなぎをやってくれる人が継続的に見つかるように祈るばかりだ。

 下写真は町角で見かけた露天のドーサ屋さん。
 きっと美味なのであろうが、昼食は他に予定があったので、今回は見合わせ。
 ドーサというのは南インドのクレープ風軽食で、原材料は米と豆。最近日本でもお馴染みになっている(と思う)。
 朝だけの出店であった。次回はトライしてみよう。


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1月28日(木) 手織り木綿の里マンガラギリ

 マンガラギリとは、南インド・アンドラプラデシュ州にある布の産地だ。
 当地で織られる薄地木綿は、夏物生地としてMakiでも長年重宝している。
 毎年6〜7月、竹林スタジオにて開催される「カディ・マンガラギリ展」はお馴染みだ。その準備のため、毎年、この時期にマンガラギリを訪れる。
 今回はスタッフの横田裕子を伴っての南行だ。今まで三名ほどのスタッフと同道したが、横田のような染織科出身者は初めてだったので、また別の角度から見ることができるはず。

 一昨日の1月26日朝、北インドのganga maki 工房を出発する。(右上写真)
  地元のデラドン空港は旅行客でいっぱいだ。コロナ前と同じような賑わいで、デリー行きの飛行機も満席。
 デリー空港で乗り継ぎ、夜、ビジェイワダ空港到着。同地も最近は感染数が大幅に減少し、タクシー運転手も「もう平常に戻った」とのこと。マスクをしていない人も多い。インドはワクチン接種も始まったこともあり、全般的にポスト・コロナ的なムードが広がっている。ただ、外国人の場合、飛行機の搭乗やホテルのチェックイン時にPCR陰性証明の提示を求められることも多い。
 我々の取引先であるマンガラギリの織元でも、店の入口で店員に、手の消毒およびマスク着用を求められる。ところが、その店員自身はマスクをしていないのだから、我々は病原菌か!? おそらく当地ではほとんど感染が発生していないのだろう。
 というわけで、手織木綿の産地は昨年と同じように、何もなかったかのごとくに稼働していた。

 昔からの織物産地マンガラギリは小さな町だ。あちこちに機場(はたば)が設けられ、機音が聞こえる。
 写真1がその機場。地面に穴を掘り、その上に高機が据えられている。穴を掘るのは、地中から湿気が供給され、糸の弾力性が保たれるからだ。細番手の木綿糸を扱うので、糸が乾燥すると織成時に切れてしまうのだ。写真下にボウルがあってヨコ糸が水に漬かっているが、それも同じ理由だ。初老の職人が紺色の生地を織っている。
 筬(おさ⋯ヨコ糸を打ち込む部分)も葦でできていて、柔軟だ。一般的な金属製の筬では細いタテ糸が切れてしまうのだ。また、写真には写っていないが、綜絖(糸を上げ下げする部分) も金属ではなく、糸でできている。
 職人のランニング姿が、当地の気候を物語っている。午前十時前であったが、気温は三十度近い。常夏の南国だ。

 写真2は、織元の倉庫に入り込み、山と積まれた手織布の中からMaki用に反物を選ぶ横田裕子。踏み台に乗っているのは、経営者のチランジービ氏。
 日本で待機の大村恭子とネットで連絡を取りながらピックアップだ。反物を写真撮影して送り、大村の判断を仰ぐ。ただ実物と写真とで色合いが微妙に異なるので、その調整が難しい。
 棚の反物はインド人の好みを反映して色とりどり。さてその中から大村&横田のコンビはどんな布を選ぶのか!?

 選ぶのも大変だが、その先はもっと大変。
 選んだ全品をチェックだ。
 織りキズとか汚れなどを、反物の端から端まで調べる。
 倉庫の前にゴザを敷き、チランジービ氏と延々数時間の作業だ。(写真3)
 人間の仕事でもあるし、小さな不都合はどうしても存在する。ただ、タテ糸切れなど目立つキズが反物の真ん中にあったりしたら、縫製時に大きな支障となる。購入前に入念な検品が必要だ。選んだものの三分の一ほどがこれでハネられる。横田裕子はもとより、特にチランジービ氏としては残念なことであろうが、毎年のことだからもう慣れているか。
 ちなみに横田裕子着用の紺色ワンピースもマンガラギリ生地で仕立てたもの。夏の気候にピッタリだ。

 半分ほど検品したところで、昼食タイム。
 近所にあるインド飯屋でランチだ。
 これぞ、近年日本でも噂の、本場南インドミールス(定食⋯写真4)。
 じつは私ぱるばはこれがやりたくて、毎年苦労してマンガラギリまで来るのだ。
 バナナ葉の上に、いろんな料理を載せて、手で食う。素材や料理法は不明なんだが、とにかくウマい。おそらく世界最高の(菜食)料理であろう。 南インド人がうらやましい。ただウマすぎてどうしても過食するから、健康には良くないかも!?

 初めての南インドランチでエネルギー補給した横田裕子、 いっそうパワーアップして検品作業に勤しむ。なんでも学生時代はサッカーのゴールキーパーをしていたらしい。体力と保守管理には自信があるようだ。
 そうして選び抜いたマンガラギリ極薄反物58反。協力してくれたチランジービ氏&スタッフともども記念写真に収まる。(写真5)
 反数にして昨年の二倍の収穫があった。写真1に見る機屋在庫から見ると、かなり落ち着いた色合い。Maki顧客の好みを良く知る大村恭子のチョイスだ。
 この生地を使って、これからganga maki 工房の針場で縫製。今夏の「カディ&マンガラギリ展」でご披露する。今年のマンガラギリは昨年より豊富な品揃えになることであろう。昨年の同展はこちら


 




 

1月22日(金) 冬のganga maki 工房

 一昨日の1月20日。私ぱるばインド到着。今回はスタッフ横田裕子も伴っての渡印だ。コロナ禍のインド入国はけっこうハードであった。(詳しくは私のブログ参照)。デリー空港にてPCR試験を受け二人とも陰性。翌日、すなわち昨21日の午後、ganga maki 工房に到着し、二週間前に工房入りしていた真木千秋と合流するのであった。
 ところで、真木千秋は現在、文字通り手負いである。週初めに裏山で竹材採取中、転倒。右手首を痛め、ギブスを嵌めている。昨夜は左胸にも疼痛を覚え、先ほど病院でレントゲン検査。こちらは幸い骨に異常はなく、打撲であったようだ。毎度ながらお騒がせ人間である。少しは歳も考えて慎重に行動すべきであろう。
 それ以外は至って平穏な工房だ。例の疫病も、新規感染はインド全土はもとより、当地ウッタラカンド州も最悪期の十分の一にまで減少。まだ油断はできないのであるが、人口あたりの日毎の新規感染数は現在日本の四分の一ほどで、とりわけ当地は田舎であるゆえ、わりにリラックスして仕事に励んでいる。
 左写真は工房の藍畑。スタッフのサンディープが昨年の藍ガラや落葉などを集めて焼いている。これはちょっとうらやましいかも。というのも、今日本ではこういう落ち葉焚きはなかなか盛大にはできないからだ。 何でもOK、裏返すと混沌の亜大陸である。


1月6日(水) 真木千秋インド到着

 昨日はハギレ&反物市初日。その夜、真木千秋は成田空港に向かうのであった。そして空港近くのホテルに投宿。
 本日朝10時、インド航空307便に乗って成田離陸。
 日本時間19時過ぎに無事デリーに到着する。現地時間では午後4時前だ。

 現在はコロナ禍のため、国外渡航はかなり難しい。
 インドは観光での渡航はできず、ビジネスビザ以上を所持していないといけない。
 それとともにPCR試験の陰性証明も必要だ。真木千秋は一昨日都内の診療所で試験を受け、昨日その英文陰性証明を取得する。
 それでもやはりデリー空港での手続きはいろいろ面倒だった様子。 右下写真はPCR試験陰性が認められた通行手形。右手首に押される。これで晴れて空港外に出られる。

 ともあれ、インドに入国できてひと安心だ。
 というのも、コロナの感染拡大で、いつまた入国禁止になるかもわからないからだ。インドは周知期間などお構いなしに、突如決定が下されたりするから、油断できないのである。
 今晩はゆっくりデリーのホテルで過ごし、明日にはひと月ぶりのganga maki 工房に到着だ。


 

 

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