竹林精舎(Bamboo House)
このたび西多摩の五日市にできる
真木テキスタイルの新しいスタジオです。
その誕生までのプロセスを、田中ぱるばがレポート。
この竹林精舎というのは、私ぱるばが便宜的に呼んでいる名前。まだ正式な名称は決まっていない。真木千秋を始め、ほかのみんなは、バンブーハウスと呼んでいる。(変竹林と呼んでもいい)
家主は、この辺の地主である小峰さん。「小峰」という姓はこの留原地区に何軒もあるが、この小峰さんはその本家。
今回私たちの借りるこの家と地所は、そもそもその小峰の本家だったところなのだ。かなり昔の建物で、大工さんに言わせると江戸時代はくだらないだろうとのこと。大家の小峰さん(五十台後半)も、ここの家で生まれたそうだ。
敷地面積は約六百坪。秋川を見下ろす高台にある。
JR五日市線武蔵五日市駅から徒歩約十分。今のオフィスから約五分のところ。こんな近くに、よくもこんな物件が出たものだ。
古い農家を求めて東京からこの西多摩にやってくる人はけっこういるが、そんな貸家は滅多にないのだ。
まずは現在のオフィス機能をここに移す。布の洗濯、仕上げ、アイロン、発送、保管、企画、経理
etc。
百年はゆうに越えている家なので、あちこち傷み、とてもこのままでは使えない。
そこで今日は、真木千秋と、建築家の丹羽貴容子さん(レミングハウス・右写真中央)、棟梁の森屋定男さん(右写真左側)で打ち合わせをする。丹羽・森屋のコンビは養沢のアトリエも手がけており、呼吸もばっちり合っている。 明日から森屋さんが工事に入るので、今日はみんなでお掃除をした。 森屋棟梁もすごくのってるみたい。 今、羽田空港へ向かっているところ。五日市から羽田へ行くのは、なかなかたいへんなのだ。普通は浜松町からモノレールで行くんだが、今日はちょっと趣向を変えて、川崎駅からバスで空港へ。
さて竹林亭なんだけど、おとといから工事が始まった。森屋棟梁は人気があるので、この不況下でも仕事が引きもきらない。その森屋建築がちょうどこの三月はヒマなんだそうだ。それでさっそく工事に入ったというわけ。いいタイミングだ。 ところで三日前に棟梁に会ったとき、工事がどのくらいかかるのか聞いたところ、やあ十日もあれば終わるよ、という答えであった。 今、空港のラウンジで石垣行きの飛行機を待っているんだけど、今アナウンスがあって、なんでも、石垣空港天候不良のため、宮古か那覇に着陸の可能性もあるんだそうだ。 半月ぶりに五日市に帰る。 まず、屋根がきれいになっている。(写真左)。 中に入ると、床がきれいに張られている。 この床の下には木炭が敷かれている。地元・檜原村と新潟県から取り寄せたものだ。 今日はケヤキの木の枝落としをしました。このすぐ上の写真の、右上わずかに写っている部分。 それで一階の屋根から木に登り、上の方から順次、切り落としていきます。 一番難しいのは、切った大枝をどこに落とすかということ。 やっぱり木を相手にしていると、生傷が絶えません。 しかしケヤキの切り口の美しさには感動。
ここのところ私がホームページ更新をさぼっている間にも、竹林精舎では刻々と新しいことが起こっています。 とにかく真木千秋は、このプロジェクトが楽しくて仕方ないようです。
主材料の貝灰は、貝を焼いて石灰状にしたもの。これは沖縄が産地です。 まずつのまたを一時間ほど煮沸して(写真中)、糊状にします。
そこへやってきたのが、左官材料店のダンナさん。 私ぱるばは、竹林でタケノコを掘ったり、近所に住む木こりのおじさんのところへ行って、シイタケのホダ木を買ったり。
夕方、残り火でタケノコ八本を湯がき、それから帰途に就きました。
5月20日 引っ越し!
時は流れ、前回レポートしてから、早一月が経過。 というわけで、とりあえずの工事造作は終了。今週始めから引っ越しが始まりました。 写真上は、真木香が千秋の肩をもんでいるところです。
助っ人陣は、まず香のダンナである相川昌市。愛用の軽トラを駆って、縦横無尽の活躍。大工仕事も得意なので、貴重な男手です。実際、今日の引っ越しに参加した十三人は、彼と私とを除くと、すべて女性なのでした。 写真下は、三時のお茶の時間。背後にはまだ山のように荷物が積まれています。
青山でのカゴ展も山を越えたので、ここしばらくじっくり腰を落ち着けて、五日市でお仕事。 それでもまだ様々な作業が残っています。それで今日はいろんな人々が竹林に集って、ワイワイガヤガヤとにぎやかにお仕事。
室内では壁紙貼り。数年前インド・ラジャスタンから買ってきたコットンペーパーを、壁や天井に貼っていきます。
さて庭では私が薪つくり。 実はこの丸太の山。隣の宅地造成で切り倒された栗の木々を、ダンプ一杯分もらったもの。けっこう場所を取るので、早く片づけてくださいと言われ、ぐわんばっているところ。 ところが格好良かったのもこのときだけ。約一時間後には腰痛を惹起し、しばしダウン。ウ〜ン、鍛錬不足だ。
それでけっこう被害が出ていた。 ところで、この棟梁、バルザックの小説『ゴリヨ親父』にならって、 なぜアイドルなのかというと、 棟梁というのは、単に大工仕事をこなすだけでは務まらない。 ごりや棟梁には、そうした資質が十二分に具わっているらしい。 「仕事を頼むなら、忙しい人に頼め」と言われる。
レミングハウスというのは建築家・中村好文(通称レミー)氏が代表を務める建築事務所で、真木テキスタイル青山店の改装もこの事務所の仕事だった。
森屋棟梁は当地留原の出身。子供の頃、この家に遊びに来たこともあるという。古屋をいじるのが大好きという人で、きっとまたいい仕事をしてくれるはず。
3月2日 お掃除
真木千秋を筆頭に、スタッフの岩崎、若松、大村、それからパートさん二人も参加。
これがすごく楽しかったらしい。
鴨居の裏を覗いたら、昔の繭がざくざく。
今の繭とはぜんぜん違うヒョウタン型の小さな種類。「小石丸」という在来種だろうか。みんな穴のあいた出殻繭だった。おそらく二階の蚕室から落ちてきたのだろう。
やっぱり縁があったんだなあと感動。
じつは、湿気を和らげたいということで、作業室の床下に炭を敷こうと思っている。
そのことを棟梁に相談すると、「じゃあ、オレがちょっくら行って、聞いてくらあ」と言って、今日の夕方、一升瓶を下げて出かけていった。隣村の檜原に、今も炭を焼いている人がいるのだ。その炭焼きのおじいさん、酒好きなんだそうだ。
ついさきほど、棟梁から電話があった。いわく、自分がわざわざ出かけていったんで、じいさん喜んじゃって、7Kg四千円という破格の値段で売ってくれるのだという。(もちろん一級品ではない)
ただ、へべれけに酔っぱらってるから「ほんとかな〜」という感じなんだそうだ。
とにかくおもしろそうなので、今度、みんなで檜原村に訪ねてみようと思う。
3月5日 工事始まる
昨日出かけてみたら、材木屋さんが資材を運びこんだり、トイレの改装が始まったりしている。
この家、じつはしばらくの間、某大手家電メーカーの新人研修所に使われていたのだ。それでトイレが四つもある。いずれも寒々とした汲み取り式だ。当スタジオとしてはもちろん四つもいらないから、その半分にする。そしてせっかくだから、今度は水洗式だ!
なんでここに「!」マークが入るのかというと、今までMakiオフィスは古〜いアパートにあって、ずっと汲み取り式だったからだ。
ところがおととい床をはがしてみたところ(写真右)、根太が思いのほか傷んでいたのだ。全とっかえらしい。当然費用もかさんでくる。昨日大工さんのひとりに聞いてみたところ、「こんなにひどきゃ、十日で終わるわけないよ」と言っていた。
いろいろたいへんんだ。
こっちもたいへんだ。
3月23日
今日は、建築家の丹羽貴容子さんと、棟梁の森屋さんがやってくる日だ。
竹林亭を訪ねると、工事もだいぶ進んでいる。
いままでの赤いトタン板の上に、黒いトタンを張ったのだ。そして雨樋もつけられた。
あわせて40畳ほどの広さにわたって、杉板が敷かれている。
これでだいぶイメージが違ってくるものだ。この床の上をスリッパで歩こうものなら、森屋棟梁に叱られる。だからみんな靴下姿だ。(写真右・左から真木、丹羽、森屋)
木炭は湿気を調節してくれるなど、布と人間の健康にいいらしい。
この家の入口下の地下にも木炭が敷設されていた。昔から人々はその効果を知っていたのだろう。
それで今回は七百キロほどの炭を床下に入れることにした。(写真左)
そのせいかは知らぬが、なんとはなしに気持ちいいスペースになっている。
4月1日 枝落とし
この部分が一階の屋根を圧迫していたので、切ることにしました。(屋根の右端がわずかに反り上がっているのが見えますね)
枝といっても、このケヤキの半分を占める大枝。
根本の方で切れば簡単なのですが、そうすると屋根の上に倒れかかって、家を破壊してしまいます。
真木千秋は変に心配して、「やめて」と言うのですが、そう言われるといっそうやりたくなるのが私の性分。
そもそもサル年なので、木登りはわりかし上手なのです。
木に登って、生木用の片手ノコで枝を切ります。
屋根にぶつけたり、電線にひっかけたりしないように細心の注意が必要。
生木だからけっこう重いのだ。
ザザッっと落ちてくる枝に、こっちをぶつけたり、あっちをぶつけたり。
おかげで今もちょっとビッコをひいています。
きめ細かな木肌に、幾重にも年輪が浮かび上がります。
まあ、切られる方は迷惑なんだろうけど。
4月17日 しっくいの実験
カタクリの開花とか、タケノコ掘りとか。いや、もちろん、建築の方も進んでいます。大工仕事はほぼ終了し、内部は見違えるようになりました。トイレも水洗のが二つもついたし。
インド出張を一週間後に控えながら、毎日のように現場に通っては何やらやっています。
今日はスタッフの岩崎香織とともに、しっくいの実験。
実は、先日、奄美大島に行った折、当地で真木千秋は、貝灰によるしっくいを目にしたのです。
それをぜひともここ竹林精舎でやってみようというわけ。
糊料はやはり南海の海草・つのまた。(写真上)
更につなぎとして、麻くずを入れます。
こうした材料を左官材料店から仕入れ、今日の実験になりました。
昔はみんなそうしていたそうですが、現在は粉状のものが使い、ただ水で溶くだけだそうです。
つのまたが糊状になったら、貝灰と麻くずを入れてこねます。
そうしてできたしっくいを、こてで壁に塗るというわけですが…。
どうしたわけか、しっくいがなかなか軟らかくなりません。
それで真木千秋と岩崎香織は一所懸命モミモミしています。(写真下)
実は、現在、つのまたや貝灰を使うなんてことはめったにないので、珍しがって見に来たのです。
この二人の様子を見るなり、「もうちょっと水を足さなきゃ」とアドバイス。
「な〜んだ、そんなに簡単なことだったのか」…。ま、しろうとだからしょうがない。
ともあれ、そんなこんなで、実用の目途もついたようです。
インド出張から帰る五月中旬には、みんなで壁塗り大会をするそうです。
その間、電気工事や水道工事が完了。その後はスタッフの手によって、内装や掃除が行われました。
内装というのは主に、部屋の壁紙として、インドの「綿紙」を貼る作業です。
インドでは、多量に出る綿布の裁断クズを利用して、紙が作られます。ちょうど厚手の和紙のような手漉き紙で、コットンペーパーと呼ばれています。(青山店でも売っているのでご存じの方もいるでしょう)。それを壁紙に貼ると、とてもいい感じなのです。
特に今日明日は、スタジオ総出、助っ人も加わっての本番です。
今回は引っ越し屋さんを使わないで、自分たちだけでやろうという算段。
香はこの四ヶ月間ほど、インドおよび日本で瞑想やボディーワークの修業に励んできました。
そしてこの六月から満を持してスタジオに復帰、またヒーラーとしての活動も始めるみたいで、そのウォーミングアップとして、姉の肩もみをしているというわけ。
写真の前景にある魚のような影は、囲炉裏の自在鍵です。寒い冬にはここで火を焚き、鍋でも吊り下げてグツグツやるのでしょう。
それから建築家の丹羽貴容子サン。この人は気功の心得もあるので、みんなに家の浄化法を伝授。丹田に気を蓄え、「エエイッ!」という掛け声とともに、部屋の四隅に気を飛ばすのです。
真木姉妹も私もけっこうそういうのが好きだから、あちこちまわって、エエイッ!、エエイッ!。おかげで家中に私たちの気が充満しました。(でもこれってなんとなく、犬があちこちにオシッコをかけるのに似てる!?)
はたしてうまく収まるかどうか。
6月3日 作業パーティ
竹林精舎も先週で引っ越しを終え、スタジオとしての機能を開始。(八年間お世話になった「リバーサイド青木」よ、さようなら!)
今日のゲストは、建築家の丹羽貴容子さん、そして横浜から駆けつけた野沢兄弟(右写真の左側二人)。まだ二十台前半なのですが、織物に関心があるということで、手弁当でやってきました。
ふだん女所帯の当スタジオのこと、ヤングボーイが加わると、なんとなく華やいだ感じ。
スタジオに復帰した真木香(ピンクのエプロン)もなにやら嬉しそう。手前はハウス・マネージャーの岩崎香織。
このハウスには囲炉裏があるので、たきぎが必要。それでこの暑い最中に、もう冬の準備というわけ。何事も備えが肝心。(2000年問題もあるしね)
チェーンソーを手に、作業ズボンと安全靴に身をかため、見よ、この颯爽たる姿!
6月8日 ごりや棟梁
今日は家の前で、棟梁がユンボを操っていた。
排水用のパイプを埋め込む作業だ。
これは梅雨前にぜひとも終えてもらいたかった仕事。
というのも、雨が降るごとに屋根の雨水が家の前にたまり、一帯が泥沼化していたからだ。
たとえば、売り物の白いストールをその上に落としてしまったり、
あるいは、靴に泥がついているのを知らずに車で青山に乗りつけ、店中泥だらけにしたり。
「ごりや棟梁」と呼ばれている。(ホントは森屋棟梁)
愛称がつくことからもわかるとおり、
真木テキスタイルのアイドルなのである。
きっぷのいい職人気質、
そして、大工の棟梁という仕事を天職として楽しんでいるからだろう。
家造りに関わる他の職人たち、たとえば左官、建具、屋根、電気、水道といった人々を束ねる、いわば総合プロデューサーなのだ。
いろんな人々の能力を活かしつつ、ともにクリエーションを楽しむという資質が必要だ。
それで、当スタジオお抱え建築事務所のレミングハウスも、「工事は森屋建築」とご指名。
養沢のスタジオも、この人にやってもらった。
だから、建設不況もどこ吹く風で、いつも忙しい。
それで当スタジオも、いつもごりやさんに頼む。
ごりやさんも当スタジオの仕事が好きらしく、いつも都合をつけては、手回しよくやってくれる。
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