茶綿の里を訪ねて2011

■南インドへ

 2011年1月。
 私たち三名は北インドのデリーから飛行機に乗って南下する。
 三名というのは、真木千秋、ラケッシュ、そして私ぱるば。
 目的地は南インド・カルナタカ州のダルワード。その近郊にはインドで唯一、茶綿を生産している村がある。

 四年前の2007年、私ぱるばは当地を二度ほど訪ね、茶綿使用の可能性を探る。しかしながら、現実的な進展はなく、そのままになっていた。(そのときの様子はこちらを参照)。
 環境に優しく、農村振興にも貢献する産物ゆえ、私もいろいろ努力したのである。当スタジオを始め、デリーのニルー工房、そして日本でも数社に働きかけたのだが、なかなか日の目を見ない。
 やや諦めかけていたところ、真木千秋がganga工房で使ってみたいという。
 そこで今回、真木千秋&ラケッシュとともに現地に赴いたというわけだ。

 茶綿を栽培しているのは、ダルワード郊外のウッピナ村というところ。
 村の綿花組合・事務局長アブドル氏に連絡を取って、宿と足の面倒をみてもらう。
 ダルワードへは通常、ムンバイで飛行機を乗り換えて行く。今回は趣向を変えて、ゴアまで直行し、そこから車に乗ってダルワードに向かうことにする。
 
 1月17日。デリーの朝は気温10度を下回っていた。昼過ぎにゴアに着くと、気温31度。常夏の南インドだ。
 空港にはウッピナ村からアブドル君が小さな車で迎えに来ていた。事務局長と同じ名前だ。
 ただ、車で行くというのがやや誤算で、地図上では近く見えたが、実際、移動してみると6時間以上かかることになる。はるばる迎えに来た運転手アブドル君もタイヘンだったろう。聞けば父親が綿花組合の組合長だという。

 夜の九時過ぎ、無事、ダルワードの宿に着く。街一番のホテルだというが、デリーなど大都市のホテルに比べるとかなりシンプルだ。(値段も安い)



■農業試験場

 翌朝、9時になって両アブドルがホテルに現れる。
 ホントは8時集合の予定。どうして遅れたのか聞くと、アブドル氏いはく「寒かったから」。
 ぜんぜん寒くないじゃん。

 その言い訳があまりにも意表を突いていて、責める気にもならない。
 「北国」から来ると、温かくて、まことに気持ち良い朝だ。
 屋外のカフェで朝食を摂る。イドリなど南インドの軽食だ。さすが本場だからウマい。ミルクティーもイケる。
 写真2に見るごとく、当地の人々は北に比べて色黒だ。
 
 ここダルワードは、カルナタカ州第二の街だ。州都バンガロールは「インドのシリコンバレー」として世界的に有名。南インドの人々は数学に強いのだ。
 州の言語はカンナダ語といって、北インドのヒンディー語とはまったく別系統の言葉。日本語と中国語のようなものだ。
 ただヒンディー語は共通語として学校で教えられるから、両アブドルともそれなりに話すことができる。英語はアブドル氏がカタコトでしゃべるくらい。インドの言語事情は複雑なのだ。
 今回はラケッシュが同道していたので、この両人とのコミュニケーションも楽だった。ラケッシュは母語がヒンディー語で、日本語と英語もできる。

 運転手も含め5人、インディカというインド国産小型車に乗り込み、まず目指すは州の農業試験場。
 街を抜けると、周囲にはのどかな南インドの農村風景が広がる。
 いちばん目立つのは雑穀タカキビの畑。この穂を日本では繭の座繰りに使うが、当地でもタカキビを機織りに使うという。タカキビ粉を水で溶いて糊にして、木綿を織る時に使うのだ。米粉や小麦粉より柔らかで良いという。

 そうした農地の真ん中に州の農業試験場がある。
 以前もお邪魔したことあったが、ここには有色綿を研究しているパティル博士とマンジュラ博士がいる。
 両博士に有色綿研究の現状についてお話しをうかがう。
 インド人の学者はみな英語が堪能だ。


■有色綿の現状

 四年前に来た時、インド国内で有色綿が栽培されていたのは、近郊のウッピナ村だけであった。
 隣村で栽培が開始されるという話もあったが、まだ始まっておらず、依然としてウッピナ村がインド唯一の茶綿生産地だった。
 茶綿生産はまだあまり広がっていない様子だ。


 栽培されている茶綿品種も、四年前と同じく「アーモンドカラー」と呼ばれる淡色ひとつのみ。
 ただ、それ以外に二つ、新色がいつでも実用化できる状態にある。
 ひとつはアーモンドカラーより少し濃い「中濃色」。もうひとつは更に濃い「濃色」だ。
 この二つはアメリカ種なのだそうだ。
 アメリカ種というと、通常、多肥多農薬が必要とされる。しかしこの研究所で開発した有色のアメリカ綿は、アジア綿と同じく、化学肥料や農薬なしに栽培できる。
 アメリカ種は毛足が長いから、従来の淡色茶綿とはまた風合いの異なる糸が紡がれるであろう。ちなみにアーモンドカラーは在来のアジア綿。
 
 女性研究者のマンジュラ博士の案内で圃場に出る。
 一月中旬といえば、茶綿が実り始める時期だ。
 あちこちにポップコーンがはじけるみたいに、茶綿の実がワタをつけている。
 はじけた当初は白っぽいが、日光にあたるとだんだん色濃くなっていくようだ。
 マンジュラ博士がいろいろ説明してくれるが、チト専門的すぎてよくわからない。(特に真木千秋は)。

 茶色のほかに、やや青味がかった国防色の有色綿も研究されていた。
 ただ、色の対光堅牢度がイマイチなので(つまり日光で色が褪せる)、今後その面について研究を進めたいということだった。

 熱心に対応してくれる両博士であったが、Makiのような零細スタジオで使用できる茶綿の量は微々たるものだ。
 するとパティル博士いはく、いかに微々たるものであろうとも、茶綿が世に紹介されていくということはとても意義深いことです、とのことだった。

 う〜ん、そのご期待に少しでも添えたら良いのだが…。

■南インドの農大

 お勉強は十分したので、真木千秋としては、早く茶綿の糸や布が見たい。
 するとパティル博士が、それならダルワード農業大学へ行きなさいと言う。
 そこにはテキスタイル科もあるし、いろいろ参考になるだろうとのこと。

 ダルワードは文教都市で、大学や研究機関がいろいろある。
 その中のひとつがダルワード農業大学で、パティル博士を始め、木綿の研究者たちもみなそこの卒業生なのだ。

 雲ひとつない晴天の田舎道。
 トコトコと車を走らしていると、前方に綿花を満載したトラクター。
 白色の綿花だ。
 今ちょうど収穫時期なのだ。(写真8)

 農業大学はやはり農地の真ん中に、広々とした敷地を占めていた。
 アブドル氏の案内で、とあるテキスタイルの研究室に入る。
 イギリスで学んだという女性研究者から、茶綿を使ったいろいろな布を見せてもらう。
 ただ、残念ながら、糸のサンプルがなく、また布も真木千秋にとってあまり参考になるものではなかった。

 ひとつ興味深い見本帳があった。
 その中に、たとえば、タテ糸にムガシルク、ヨコ糸に茶綿を打ち込んだ布サンプルがある。どちらも天然色で美しい色合いだ。
 ただ、写真9に見る通り、ビニールシートの中に標本状態で収まっているので、肝腎の手触りがわからない。
 ともあれ、研究者たちもいろいろ試しているのだ。

 それより真木千秋が興味を示したのは、アブドル氏のハンカチだった。
 白綿と茶綿を使い、シンプルなデザインで織られている。
 どういうわけか、それが気に入った真木千秋、後で氏に数十枚注文する。
 ちゃんと届いたら竹林shopに並ぶかもしれない。
 (こういう小物は私ひとりで来たら見逃すであろう)


 

24.茶綿の糸

■綿花畑の風景

 昼食後、農大を後にして、いよいよ目的地のウッピナ村に向かう。
 ダルワードから北へ20Kmほどのところだ。
 行き交う車もあまりないのどかな道を、のんびりドライブ。
 あちこちに綿花の畑がある。

 だいぶ車を進めたところで、綿花畑に人影が。
 白い綿花の収穫だ。
 農婦が四人ほど畑に入って作業している。
 ウッピナ村の村人たちだ。
 強い日射しの中、若い農婦は帽子も被らず日除けもしない。
 成熟した実を選んで、手で綿毛を摘み、肩から掛けた袋に入れる。
 静かで、のんびりした昔ながらの作業風景だ。
 遠くには案山子(かかし)の姿も。
 手間はかかるが、手で摘むのが綿花の品質にはいちばん良い。

 道路端の木陰に、畑の主がたたずんでいる。
 チェックのパンツにサングラス、首には木綿のマフラー。
 村から自転車でやってきたらしい。
 木の根元に立てかけた木綿の袋には、収穫したばかりの綿花が詰まっている。
 この袋を荷台にくくりつけ、村に運ぶのだろう。

 この農園主氏、道を隔てた畑からチャナ(ひよこ豆)の株を引っこ抜いてくる。
 見ると、枝豆みたいに青い豆が鈴なり。→
 持参の大事な水をサッとかけて、真木千秋に差し出す。いでたちはマフィアみたいだが優しい男だ。
 それをちぎって、生で、サヤごと食う。
 ほんのり甘くて、なかなかイケる。
 おやつに最適。(過食すると屁が出る)

■ウッピナ村の綿花組合

 ほどなくウッピナ村に到着。
 小さな家々が軒を連ねる、南インドの小村だ。あちこちに椰子の木がある。
 人口は約一万。戸数は約四千。ヒンドゥー教徒が60%、イスラム教徒40%で、仲良く混在しているようだ。

 村中の高台、かつて城砦のあったところに、ウッピナ村の綿花組合がある。
 村で一番立派な建物で、組合長がアブドル君の父親、事務局長がアブドル氏だ。(名前からも伺える通りともにイスラム教徒)

 アブドル君によると、綿花による収入は低く、村人たちは他の仕事に移りつつあるという。
 かく言う本人もかつて綿花栽培に携わっていたが、今は不動産関係に進もうとしている。
 でも組合長の父親は今でも頑張っているそうだ。

 組合の広々とした二階ホールでは、数人の農婦たちが木綿糸を紡いでいた。
 四年前は百人ほどの女たちが糸紡ぎに励んでいたが、あれは四月のこと。
 一月は綿花収穫の時期なので、みな畑に出払っている。
 ガラーンとした大広間に、糸紡ぎの音だけが響いている。

 農婦たちが操っているのは、アンバー・チャルカと呼ばれる紡ぎ機。
 これは動力こそ人力だが、ほとんど機械と変わらない。
 伝統的なチャルカ(糸車)より遥かに作業効率が良い。
 紡ぐと同時に、糸カセづくりや、ヨコ糸巻きもこなしてしまう。
 Makiとしては伝統的なチャルカでやってほしいところだが、もうこの村では誰もやりたがらないという。

■茶綿の糸と布

 さっそく茶綿の糸を見せてもらう。
 茶綿収穫シーズンの直前であったため、組合の在庫も払底していた。
 わずかに残っていたのは、33カウントの細い糸が少々。
 カウントというのは糸の太さを示す単位で、数が多いほど糸は細くなる。
 33カウントというのは茶綿の最も細い糸で、また最も多く紡がれる糸だ。
 布もほとんどこの糸で織られるようで、厚手の布は引き揃える糸の数を増やして織っている。
 ただ、真木千秋の興味をそそる糸ではなかった。
 まず細過ぎるということ。それから均一で特徴がないのだ。

 そこで、これから収穫される新綿から紡いでもらうことにする。
 5カウントと10カウントの太目の糸を、茶綿と白綿でそれぞれ少量ずつサンプル注文する。
 それからチリチリした強撚の33カウント細糸も。
 まずはそれらを使って試織してみないと始まらない。
 今月中に一部を紡いで、デラドンのganga工房に発送してくれるというが、果たして届くであろうか。(また「寒かった」りして…)

 それから生地も見せてもらう。
 33カウントの細糸を束ねて手織している、しっかりした茶綿生地だ。
 しかしながら織りキズが多く、日本向けの服地としてはちょっと使えない。
 ただ、裂き織りの材料としては良いかも。
 同じ裂き織りでも、材料が手織と機械織では、出来栄えが違うのだ。
 そこで茶綿生地、白綿生地、白茶杢(もく)生地とりまぜ、数反購入して持ち帰ることにする。

 それから生地の注文もする。
 細かな凹凸のある薄手の生地だ。
 これはおそらく33カウント強撚の単糸で織っているのであろう。
 試しに白茶二反ずつ注文する。春〜秋の衣に気持ちよさそうだ。

 これお土産です、とボール状の物体を手渡される。
 見ると、茶綿の塊だ。
 こんなもんもらってどうしようかと思ったが、じゃ、自分たちで紡いでみようということになる。

■オーガニック農園

 ミルクのせいもあろうが、このあたりのチャイは美味い。
 夏のような気候に喉も渇き、いつチャイが出てくるか期待していたのだが、ぜんぜん出てこない。どうやら閑散期で、そういう用意がないようだ。
 その代わり、組合を後にして、村に降りてすぐ、椰子の実をふるまわれた。
 これがチャイに増してウマかった。
 
 次に案内されたのが、茶綿の畑だった。
 それも有機農園。
 「オーガニック」を称するには何らかの基準があるらしい。
 四年前に来た時は、まだその基準を満たしていなかった。
 今回は満たしているらしい。十年かけて有機農園にしたという。(写真18)
 化成肥料や農薬はおろか、牛糞すら施さない。除草もしない。
 茶綿とダール(レンズ豆)を混栽している。
 黄色い花がダールだ。おそらく土壌に窒素分を与えるためだろう。もちろんその豆も有機食品となる。

 アーモンドカラーの茶綿は土着のアジア綿に由来する品種だから、もともと有機栽培には馴染みやすいのだ。
 更にこの畑では、アメリカ綿に由来する中濃色および濃色の茶綿も有機農法で栽培するという。
 四年前には濃色茶綿を栽培するには最低1トンの注文量が必要だと言われたが、今後はどんな少量でもOKだという。
 来年には濃色のオーガニック茶綿糸が紡がれるかもしれない。
 ともあれ、こうした農民たちの意欲に些かなりとも応えていきたいものだ。

 その農園主の家を訪ねた。
 伝統的な木造の家で、二十数人の大家族で住んでいた。
 牛まで家の中に住んでいた。
 写真19がその家。左から二番目が主人。男たちはたぶん働きに出ているのだろう。
ちなみに私(右端)の着ているシャツは、四年前にこの村で入手した茶綿生地で仕立てたもの。

 台所には土のかまどが作られ、柴を焚いて調理する。
 写真20は、私たちのためにチャイを沸かしているところ。
 かまどの上には煙突があるので、とくべつ煙たくはない。

■南インドの家々

 次に案内されたのは、織りをやっている家。
 こちらはイスラム教徒のお宅だった。(先ほどはヒンドゥー教徒)
 戸口を入ると、やや広目の居間。
 婦人が二人ほど木綿の糸巻きをしている。

 奥には地機(じばた)が据えられている。床に穴を掘って、その上に据えるのだ。
 家の主人であろう初老のおじさんが、機に就いている。
 インドでは一般に、糸作りは女の仕事、機織りは男の仕事だ。
 おじさん、今まさに一反織り上げたばかり。機から布を切り離したところだ。
 白綿を使ったしっかりした生地で、青とグレーの細かな縞がある。
 真木千秋は気に入ったらしく、その場で一反まるまる購入。(かかる果断な行為はやはりデザイナーじゃないとできない)

 後日それをデリーに持ち帰り洗ったのだが、なかなか良い布だ。
 メンズのパンツなどに好適だと思われるので、まずは私用に作ってもらって人体実験を致すことにする。

 機織りの家を後にして、夕暮れ迫る村の通りをそぞろ歩く。
 横町を曲がると、ある家の前でおじさんが竹を削っている。
 どうやら竹細工の材料にするらしい。
 家の中に入ると、石の床の上でおばさんが竹籠を編んでいる。(写真22)
 我々の周りにはたちまちのうちに人垣が!!!!!!
 まるでボリウッドのムービースターだ。(ボリウッドとはインド版ハリウッド。デリーから来たラケッシュ君、南インドではほとんど外国人)

 夜はマンジュラ博士の招きで自宅にうかがう。
 こちらはインテリカップルの家だから、ぐっとモダン。
 旦那のチャンドラシェカール氏も農大の同窓生だったが、研究の道には進まず、税務署に勤務している。「キャンパス・ラブだね」と言ったら、恥ずかしそうに笑っていた。(奥の人物)

 研究所ではけっこうシカツメらしい様子のマンジュラさんであるが、家に帰ってくるとごく普通の愛らしい主婦に早変わり。夫と一人息子(12歳)のために料理は全部自分でするという。
 この日も7時に帰宅して、我々のお邪魔した8時までの間に手早く夕食の準備。

 当夜のディナーはこれ。→
 南インドはベジタリアンが多い。マンジュラ家もそうだ。
 一番上から反時計回りに、野菜サラダ、人参のサブジ(マサラ味)、レンズ豆カレー、サヤインゲンのサブジ、チャパティ(インドパン)。
 動物性食品に慣れてるアナタは「えー、これだけ!?」と思うかもしれない(私もそう思った)が、実際に食べてみると十分満ち足りるのである。真木千秋など一番好む料理だ。こんなもん毎日食べてたらさぞ健康に良いだろう。
 特筆すべきはチャパティ。写真のモノは、タカキビからできている。冒頭に紹介したこの地方の特産品だ。特にクセはなく、淡白で美味しい。夫君チャンドラシェカール氏によるとタカキビは蛋白質などが豊富だという。
 もうひとつ、名前は忘れたが別の雑穀から作ったチャパティも。これはパリパリしていて香ばしかった。そのほか、小麦のチャパティと米飯も出る。
 生の赤唐辛子から作ったチャツネも秀逸であった。
 もちろん、アルコールなんかは出ない。チャンドラシェカール氏に聞くと、ビールを飲むのは半年に一度くらいだそうだ。こんな気候なのに。卵も半年に一度だという。南インドというのはフシギなところだ。(インダス文明の末裔らしい)

 かくして南インドの長い一日は終わる。
 翌朝、両アブドルに送られて近隣のフブリ空港へ。
 朝夕に一本ずつしか便のない地方の小空港だ。
 その朝の便、ムンバイ行きのプロペラ機に乗り込む我々三名。
 前回までとは違って、このたびは茶綿の布を何反か携えている。
 さて今度こそ実を結ぶだろうか!? 〈完〉


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1.デリーから南へ


3.タカキビ畑
20.かまどでチャイを沸かす


4.パティル博士(左)とマンジュラ博士(右)

8.綿花を満載したトラクター

17.茶綿のプレゼント
18.有機農園


10.茶綿入りハンカチ
 ところで、なんでハンカチが出てきたかというと、ときあたかもランチタイムだったからだ。
 せっかくだから農大の学食をトライしようということになった。
 じつはこれ、東京農大の影響だ。昨秋、東農大で国際野蚕学会があった。それに参加の折、学食で昼食を摂ったのだが、なかなか良かった。
 南インド農大の学食では、試しに定食を頼んでみた。野菜カレー二品(グリーンピースとビート)、ヨーグルト、インドパン、ご飯、キュウリ、ピクルス。なかなかウマかった。これで30ルピー(60円弱)。最近とみに諸物価高騰のインドであるが、まだまだ学食はリーズナブル。
11.綿花の収穫
13.ウッピナ村

」16.茶綿の布

15.茶綿の細い糸

19.農園主の家
14.綿花組合で糸を紡ぐ農婦

22.竹籠を編む

23.マンジュラ博士の家



7.左から、中濃色、濃色、淡色、国防色
(糸や布になるともっと濃色になる)

12.綿花畑とその主

 

6.濃色の茶綿

5.試験場の茶綿圃場

2.アブドル氏(手前)とアブドル君

 


9 .生地の見本帳
21.地機と綿布