インド東北・カーシ族の村を訪ねる


1.広域地図

4.ノンポーの飯屋

Top Page

■GangaMaki工房からメガラヤ州へ

 弊スタジオでは7年ほど前から、こちら東北部で採れるラックを使っている。産地はメガラヤ州だという。
 この貴重な赤色染料は、樹木に「たかる」ラック貝殻虫によって産生する。
 それゆえ、養殖というのか栽培というのか定かでないが、虫のほうが主役っぽいから、ここでは養殖と言うことにしよう。
 随分お世話になっている染料であるが、まだ養殖の現場は見たことがない。いつか見てみたいとかねがね思っていた。

 今年1月末、学会の終了後、メガラヤ州の州都シロンに立ち寄り、コンラン氏およびコリン博士と知り合う。コンラン氏はメガラヤ州蚕糸局の職員で、農村への普及事業を担っている。コリン博士はメガラヤ在住のインド繊維省養蚕専門職員だ。コンラン氏の出自は地元メガラヤのカーシ族、コリン博士は南のミゾラム州ミゾ族である。
 ラック栽培のことを尋ねると、今は冬だから養殖は行われていない、春以降においでなさいと言われる。

 そして7月後半、少しヒマができたので、問い合わせてみると、今ならOKと言われる。
 そこで、二泊という忙しい旅程であったが、7月27日早朝、北インドヒマラヤ山麓のGangaMaki工房を発つ。(1広域地図左上のGM)
 デラドン空港からデリーに向かい、飛行機を乗り継いで、アッサム州の州都グワハティの空港に降り立つ。(2拡大地図の左上。グーグルマップでは「ゴウハティ」と書いてあるが、当マップの日本語表記はかなり不正確)

 コンラン氏がわざわざ自家用車で空港に出迎えに来てくれる。たまたまコルカタの会議から飛行機で戻ってきたコリン博士も同乗し、みんなで南隣メガラヤの州都シロンに向かう。(2拡大地図の下方)
 グワハティ空港からシロンまでは約150kmの道のりだ。

11.エリ蚕ショール

9.蚕室内部

■カーシの家庭

 お茶でもということで、家の中に招じ入れられる。
 煉瓦づくりの小さな家を突き抜けると、そこはキッチンだ。
 割り竹で囲っただけの、シンプルな空間だ。
 写真12左奥の角にカマドが設けられ、火が燃えている。(写真右)。通常の煮炊きはそこで行われるのであろう。燃料費はかからないし、料理も美味しいはず。
 写真12,娘の左奥にガス台があってプロパンボンベが置いてある。これは急ぎの時用か。インドではボンベの入手が一苦労だ。
 キッチンがこんなふうに半野外なのも、カマドがあるからだろう。

 写真13はキッチンのテーブルにて。右端人物がコリン博士。その左隣が主婦。その左の緑シャツが末娘で、今のところ当家の跡取りだ。(順調に育ち、かつ妹が生まれない限り)。帽子がコンラン氏。
 左端が夫。先ほど山の畑からキャッサバの葉を取ってきて、水でも浴びたのだろう。その他二人は次女と三女。長女は既に結婚して家を出ている。ほかに男児が二人いるらしい。

 当家にはつごう四人の娘がいる。
 普通、インドの夫婦に娘が四人いたら、それはほとんどカタストロフだ。というのも、婚姻時の持参金がタイヘンだからだ。性的な抑圧も大きい。Ganga工房のラケッシュ家に四人目の女児(すなわちスープリア)が生まれた時、親戚は哀れんで泣いたという。
 しかしここ、母系制のカーシ族では事情が異なる。女児の誕生は祝福なのだ。
 


8.カーシ族の家
17.カーシ族の母子

■カーシ族の村へ

 翌土曜日の朝食後、コンラン氏の車で宿を出発。
 これからカーシ族の村を訪ねる。
 市内にあるコリン博士の自宅に立ち寄って、同氏をピックアップ。養蚕の現地視察を兼ねての同行だ。
 昨日ランチをしたノンポーまで引き返し、そこから田舎道を右に入る。(2拡大図参照)
 車は昨日と同じコンラン氏の愛車。インド製、マヒンドラのSUVだ。同氏はその自家用車を駆って村々を回り、養蚕の技術指導をしている。公用車は無いのかと聞くと、無いのだそうだ。あってもお偉方専用で、現場の普及職員には回ってこないらしい。車のない職員はどんなふうに農業普及活動をしているのだろう。 (バイクとか!?)
 目的地はノンポーから十数キロ奥に入ったモーロン村。峠道をしばらく走って、それから展開する山間盆地の風景は、これもまた郷愁をそそるものであった。
 水を張った田んぼが山際まで連なり、小川が流れ、小橋がかかり、高台には竹小舞の民家、斜面には茶畑が広がっている。緑溢れる湿潤の世界。日本の原風景を見るような思いだ。我が田舎(信州)あたりと少々違うのは、民家の周りにあるバナナの樹や、斜面のパイナップル畑だろう。
 コンラン氏はこのあたりの農民たちをよく知っているのであろう、沿道の至る所で人々に挨拶したり声を掛けたりしている。もともと非常に社交的な人だ。

 ところで、カーシ族は、今は珍しい母系制を保持している。
 すなわち、家は母親から娘に相続される。それも末娘だ。そして男は婿入りする。子供が産まれたら母親の姓を名乗る。末娘以外の娘は、結婚したら家を出る。日本で言う「次男坊、三男坊」と同じ扱いだ。
 コンラン氏もカーシ族の男だから、入り婿だ。家はディピカさんが母親から相続したもので、その母親とともに三人暮らしをしている。
 離婚は稀だが、離婚の場合、男は子供を妻の元に残して去る。特に養育義務は無いようだ。そして女はいくらでも再婚できる。このあたり、女の再婚が非常に難しいインド本体とは大きな違いだ。
 ただ、父子間の技術の継承は難しい。たとえば、コンラン氏の父親はパン屋であったが、氏はそれを継ぐことがなかった。男児は彼ひとりで、家を継いだ妹やその夫にはパンづくりの技術がない。このあたりが母系制の弱点だと氏は言う。

■衝撃のランチ

 空港からしばらくアッサムの平地を走り、それからメガラヤ州に入る。
 木曽路ではないが、メガラヤはすべて山の中だ。(であるからこそインド人が入り込まず、先住の東方系少数民族が残ったのであろう)
 ぐんぐんと高度を上げる峠道のそこここに、露天の青果商が店開きしている。(写真3)
 今はパイナップルのシーズンだということで、しばし小休止。その場で皮を剥いてもらって、おやつタイムだ。これがすこぶる甘くて美味。

 しかしながら、パイナップルより目を惹いたのが、タケノコだ。
 タケノコなど五日市の竹林スタジオでは全く珍しくないのだが、ここインドではちょっと驚き。店頭のタケノコなど、インド滞在30年目にして初めて見る風景であろう。
 今がシーズンらしい。このタケノコ、アク抜きの必要がなく、そのまま料理して食えるのだそうだ。
 写真3をクリック拡大してもらうとよくわかるが、タケノコの右側に冬瓜みたいなもの。その右隣にはスグキ、すなわち里芋の茎。その右には瓶入りの様々なピクルス。その向こうに旬のパイナップルが並ぶ。
 ここに限らず、インド東北部の露天青果商は、品揃えや店のたたずまいなど、妙に我々の郷愁を誘うものがある。

 中間地点のノンポー(2拡大図の真ん中)でランチ休憩をする。道の脇にある小さなカーシ料理の飯屋だ。
  好奇心から私が希望したのだ。途中でタケノコを見たのでタケノコ料理モードに入ってしまい、また納豆があるというので味見もしたかった。とは言え、少数民族の料理だから、あまり期待はしていなかった。ついさっきパイナップルを飽食したばかりだし…。
 ところが、これが思わぬヒットであった。
 なにやら東南アジアの飯屋のよう。白飯の上に、できあいの料理を載っけてもらう。
 カーシ族はよく豚を食うらしい。豚料理が幾つかある。その隣には魚の煮付け。豚も魚も、北インドではあまりお目にかからない。
 写真4が私のランチ。大皿の上部に魚。これは地元の淡水魚のようだが、醤油味っぽく煮付けられて誠に美味。骨ごと食える。そのほか、瓜の煮付けやナスの揚げ物。下の緑色は納豆と青菜であろうか。納豆と言っても糸引きではなく、大徳寺納豆のような硬めのやつ。左手の小皿はタケノコの漬物。唐辛子入りでちと辛い。
 どれもウマかった。別に腹も空いていなかったのに、いっぺんでカーシ料理のファンになってしまった。
 

5.コンラン夫婦と

■ラックの養殖

 近所の集落ではラックの養殖が行われていた。
 貝殻虫だから、生きた立木を使う。
 主に山の木々で養殖するようだが、あいにく雨季で断続的に雨が降っているので、ちょっと山には入れない。
 里の木でその様子を見せてもらう。写真右、小屋の前に生えている木に、ラックが仕掛けてある。樹種は「ゴムの木」ということだ。ちょっと目には菩提樹である。この村ではラックの養殖には三種類の木を使うという。

 写真14。木の枝に白くまつわりついているのが、ラック貝殻虫。木にとっては疥癬みたいな厄介者なんだろうが、これが村人にとっては大事な生活資源なのだ。日本の貝殻虫に似ている。
 この白い部分がそのうち赤褐色の樹脂状の物質となる。それがラックだ。日本ではそれを砕いて粉末状にして売られている。

 GangaMaki工房の染色用に買って帰りたかったのだが、残念ながら余分な在庫は無いようだった。
 ラックの収穫は、5月の第2〜3週、およ10月の15日ごろだという。
 その頃にまた来て、収穫作業を見学したいものだ。

 収穫後、残余の枝を、1〜2日のうちに、立木の枝に結びつける。そうすると貝殻虫が新しい枝に移動し、新たな樹脂状物質を作るのである。写真15は木の枝に結びつけられた古い枝。(中央の黒っぽい枝切れ)
 このラックは、現地民の間では、染料のほか、刃物を柄に固定する接着剤などに使われてきた。そのほか、封印やレコードにも利用された天然樹脂素材である。

6.魚頭のタケノコ煮

■染め & 織り

 染めもまたほとんど自家素材で行う。
 写真10はエリ蚕の手紡ぎ糸を染めたもの。左側はラックで染めた糸カセ。染材の量で色に濃淡がある。手にしているオレンジ系はラックにウコンをかけたもの。
 右側の国防色(古い!? カーキ色!?)はウコンを鉄媒染したカセ。糸で絞っている。
 面白いのは鉄の媒染剤で、近所で採れる鉄鉱石を砕いて使っている。
 右写真はウコンと鉄鉱石。この小鉢ですりつぶして媒染剤として用いる。
 写真11がこの家で織られたエリ蚕のショール。主婦が織ったものだ。ウコン+鉄の系統が多い。ひとつシブい色合いの作があったので、それを購入して持ち帰る。竹林8月展に出品するかもしれないので、請うご期待!! (ただし8月5日以降)

10.糸染め

■カーシ族の家を訪ねる

 今、インドは雨季だ。それゆえ道が悪い。山中の隘路で車を切り換えしつつ、カーシ族の集落を訪ねる。
 このあたりは、どの家もエリ蚕を飼い、機織りをしている。
 写真8の民家もそんなひとつ。左手に竹壁の小屋がある。屋根は草葺きと、トタンだ。もしかしたら古い家なのかもしれない。その小屋でエリ蚕を飼っている。
 右奥の煉瓦モルタルづくりの家が住居だ。

 写真9が蚕室の内部。人物はこの家の主婦だ。
 三段の棚に、竹竿が渡され、その竹にキャッサバの葉の束を掛け、エリ蚕を飼育する。幼虫はもうだいぶ大きくなっている。

 モーロン村の人々がエリ蚕の飼育をするのは、もちろん糸を採るためであるが、そのほかに食用にするからだ。エリ蚕の繭は上部に穴が空いている。そこから蛹が生きたまま取り出せるのだ。それが重要なタンパク源となる。また、野生の蓖麻(ヒマ)や畑のキャッサバの葉で容易に飼育できるのも理由のひとつであろう。
 小屋の外には大きな竹カゴが置いてあり、キャッサバの葉でいっぱいだ。この家の夫が山の畑から採ってきたものだ。(右写真)

12.キッチン



19.ムガ蚕の繭を数える

7.モーロン地区の田園風景

■シロンの街

  州都シロンは標高1500mの高地にある。だから夏でも涼しい。
 イギリスの植民地時代はここに行政府が置かれアッサムも含め一帯を統治したというから、やはりイギリス人も快適だったのであろう。今年1月に泊まった時は、かなり寒かった憶えがある。
 メガラヤ州の主要民族はカーシ(Khasi)族とガロ(Garo)族だ。ここシロンはカーシ族の中心地で、人口の過半を占めている。ちなみに、カーシ語とガロ語はまったく違う言語で、お互い話が通じないそうだ。共通の言語は英語となる。
 ヒンディー語もほとんど通じない。コリン博士などは、「我々とインドには何の繋がりもない。中国に入ったほうがマシだ」とまで言う。確かに人種的・文化的には中国の方が近い。経済的にも有利だろう。ただ政治的な自由度はインドの方が上だ。インドにしても東北部を中国に渡すわけにはいかないから、現在は当地に様々な手を差し伸べている。

 街中にある州蚕糸局の普及所に立ち寄る。ここには手機(てばた)が置かれ、機織りの訓練が行われている。ムガ蚕やエリ蚕の糸も置いてあった。なかなか良い糸だったので買いたかったのだが、あいにく在庫がなかった。ちょうど端境期であるようだ。

 シロン自体、山の中腹に開かれた街だ。それゆえ道路が狭い。
 そこにもってきて近年の経済成長によって車の数が増えているので、朝夕の渋滞は途方もない。だいぶ暗くなってから、コンラン氏の私宅に立ち寄る。市内でも高台にある閑静な住宅街だ。いろいろお世話になるからと、日本酒を一本持参する。インドでは高級酒と見なされているから、手土産には最強だ。
 奥さんのディピカさんに、お茶を振る舞われる。明日の夜はぜひ夕食にいらしてくださいと誘われる。やったー! カーシ族の家庭料理だ。

 渋滞の中、コンラン氏がホテルまで送ってくれる。到着したのは9時前。
 チェックインして、さあ夕飯だ。東北料理だ! 納豆かタケノコが食いたい。
 ホテルの向かいに、ちょっと洒落た現地料理店があった。
 どうやらマニプール料理屋らしい。東北の東部にある州だ。
 納豆料理はあいにく切らしているらしい。そこでタケノコ料理をボーイに勧められるまま適当に頼む。
 ややあって運ばれてきた料理は、小鉢の中に、薄切りのタケノコとともに魚の頭が入っている。鯉くらいの大きさの頭だ。そういえばフィッシュ・ヘッドと書いてあったな。
 なんだ頭だけかよ、と思いつつ料理をつつくと、これがまたなかなかイケる。ご飯のおかずに最適。タケノコも発酵しているのだろう、酸味があって美味。なにより、煮汁が日本的(!?)でウマいのだ。おそらく納豆でも使っているのか、味噌的なコクが食欲をそそる。現地の言葉でローフー(rohu)という代表的なコイ科の魚だそうだ。鯉濃(こいこく)みたいなものか。
 

 

3.峠の青果店

■インドの東北部

 インドの東北部は、一風変わったところだ。
 インド本体の右上に突き出ていて、7つの州から成っている。左地図の右側、クレーの線で囲んだ部分だ。周りをバングラデシュ、ミャンマー、中国、ブータンに囲まれ、インド本体とは最狭部32kmの「シリグリ回廊」によって繋がるのみ。
 その7州とは、左端のメガラヤから時計回りに、アッサム、アルナチャルプラデシュ、ナガランド、マニプール、ミゾラム、トリプラ。一番東部のマニプールは州都がインパール。かつて日本帝国陸軍が侵攻作戦を展開し(て惨敗し)たところだ。
 7州の経済的中心は北部のアッサム州で、東西に流れるブラマプトラ川沿いの平地にはアーリア系(インド系)のアッサム人が居住している。それ以外の東北7州の山地は、モンゴロイド少数民族が盤踞する別世界だ。

 このインド東北部とは、我々もいろいろ縁がある。ムガ蚕やエリ蚕といった野蚕糸、そして染料のラックもここ東北産だ。
 今年(2018年)1月末に開催された第8回国際野蚕学会も、アッサムの州都グワハティがその舞台となった。

2.拡大地図

18.メガラヤ州立ムガ蚕試験場

■紡ぎと織り

 この集落ではまた、エリ蚕の紡ぎと織りを見せてもらった。

 エリ蚕の繭は始めから穴が空いていて、通常は生糸を挽くことができない。
 繭を解舒(かいじょ)して真綿にし、それを右写真のごとく、紡錘を使って糸に紡ぐ。
 こうした手紡ぎエリ蚕糸をGangaMaki工房用に分けて欲しかったのだが、やはり余分な在庫がなく、入手できなかった。そもそも村人は自分の織る分しか紡がないらしい。これも母系制ゆえか知らないが、良く言えばあまり欲が無いというか、やや発展性に乏しいようだ。コンラン氏も嘆いていたが、村人たちは自分が指導したうちの5%くらいしか実行しないという。(ま、発展すれば良いというわけでもあるまいが)

 家の傍らでは、娘がひとり機織りをしていた。(写真16)。これは練習だという。というのも、カーシ族の女は、機織りができないと一人前と見なされず、嫁のもらい手…いや婿の来手が見つからないのだ。このあたりは一昔前の日本の事情に似ているところもあるだろう。
 竹製・組み立て式の簡単な地機(原始機!?)だ。糸綜絖(いとそうこう)、竹筬(たけおさ)、竹杼、そして打ち込みは刀杼を使う。タテ糸や布を巻き取る棒がないから、織物の長さも限られる。

 カーシ族の女たちが着る衣裳は特徴的だ。一枚の布を片方の肩上で結わえて垂らす。これはジャインキンシャーという日常着だ。この日常着には、木綿など安価な機械織りの生地が使われる。
 伝統的な正装はジャインセムと呼ばれ、ムガ蚕や家蚕布を使い、両肩から羽織る。

■ムガ蚕試験場

 昼食後、 集落から10kmほど離れた、メガラヤ州立ムガ蚕試験場に立ち寄る。
 ムガ蚕と言えば、アッサムの特産で、「インドの至宝」と呼ばれる野蚕だ。インドのみに産し、アッサム州が収量の九割方を占める。
 ここメガラヤ州でも、ムガ蚕の飼育は行われている。特に同州山岳地帯に産するムガ蚕の優れた品質については、本場アッサムのムガ蚕研究者も認めるところだ。その糸は力強い黄金色の光沢を示す。

 写真18がその試験場。遥か山裾までその敷地で、あちこちにソム樹やスワル樹といったムガ蚕の食樹の林があり、養蚕が行われている。真ん中にいるグレーTシャツが、責任者のアロム氏。
 ちょうど7月の収繭が終わったところだという。
 奥の一室に入ると、繭がトレーの上で乾かされていた。初めて見るメガラヤのムガ蚕だ。
 日本に居る真木千秋に電話してムガ蚕繭が欲しいか聞くと、欲しいとのこと。そこでアロム氏にかけあうと、これらはすべて売約済みとのこと。でも、1トレー分だったらお譲りしましょうという。
 ムガ蚕の繭は、家蚕などと違って、重量ではなく、個数で取り引きされる。価格は1個、1.6〜2ルピーだそうだ。
 居合わせた男たち皆で1トレー分の個数を数える。(写真19)。左端がアロム氏、右端がコンラン氏。九百少々あったので、別のトレーから少し頂戴して、合計千個にする。
 それを袋に詰めながら、「ま、お代はいいですよ」とアロム氏。人の良い研究者だ。しかしながら、そういうわけにもいかないので、千ルピー払ってきた。1個1ルピーである。市価よりだいぶ安い。ちなみにこのアロム氏はカーシ族ではなく、お隣のベンガル出身(インド系)だ。それゆえコンラン氏やコリン博士とは英語でやりとりする。

 ムガ蚕生糸は、日本の天蚕糸を除いて、世界でいちばん高価な絹糸だ。
 1kgの生糸を挽くには、五千個の繭が必要だという。
 ということは、千個の繭からは200gの生糸が挽ける勘定だ。千個の繭の重量は5kgにもなるから、いかに繭層が薄いかわかるだろう。
 このメガラヤ産ムガ蚕繭を、これからGangaMaki工房に持ち帰って挽くことになる。さてどうなるか!?

■家庭料理とジャインセム

 ムガ試験場の後、州都シロン近郊のボリンボンに移動。地元の若者たちの起業したエリ蚕糸の紡績所を見学する。
 なかなか面白い糸があったので4kgほど購入。

 そんなこんなで、渋滞の中、シロンのコンラン氏宅に帰着した時には午後10時を回っていた。
 奥方のディピカさんが夕食を準備して待っていてくれた。なかなか戻らないので心配していたようだ。このディピカさんも夫と同じく州蚕糸局の職員だ。織成の技術指導で村々を回っている。
 この日は土曜で仕事も休みだったので、ディピカさんもゆっくり台所に立つ時間があった。いわゆるインド料理とはまったく違うカーシ族の手料理だ。(写真20。冷めてしまって申し訳なかったが)。豚肉のうま煮や、川エビの佃煮(!?)、里芋料理など、いろいろ。昨日昼のカーシ飯屋よりも上品な味わいであった。一番嬉しかったのが、モチ米。コンラン家ではモチ米が常食なんだそうだ。タイの東北部と同じだ。モチ米大好きな私は、モノも言わず、ただひたすら、カーシ料理とモチ米ご飯を手で食うのであった。
 夕食後、コンラン家を辞し、コリン博士の運転で宿に送り届けてもらう。

 その夜、帰着が遅くなったせいで、ひとつ忘れたことがあった。
 カーシ婦人の正装、ジャインセムである。
 ディピカさんにムガ蚕のジャインセムを披露してもらうはずだった。
 ジャインセムは日本で言えば着物みたいな晴着で、今回滞在中に街や村で着用姿を見かけたことはなかった。
 そこで、後日、コンラン氏に写真を送ってもらうことにする。

 その写真が昨日(2018/8/8)届く。(写真21)
 100cm×175cmのツーピースだそうだ。実際に着用するところを見ていないので想像だが、おそらく二枚の布をそれぞれ両肩から羽織るのであろう。
 写真、左側の二人のジャインセムが家蚕布、右側二人がムガ蚕布だ。コンラン氏によると、カーシ婦人はたいていムガ蚕のを一着は持っているとのこと。なかなかエレガントではないか。簡単そうだから皆さんもいかが?
 右から番目人物の肩から、ストールが一枚垂れている。これは村で織られていたのと同様の布で、エリ蚕の手紡ぎ糸をウコンで染め、原始機で織ったもの。この娘さんの自作であろうか。

* * *

 一夜明けて翌朝早く、コンラン氏がまた150km離れたグワハティ空港まで送っていってくれた。
 衣食住こもごもに魅力的なインド東北・メガラヤ州。ラックの採れる頃、また訪ねてみたいものだ。    〈おしまい〉

16.機織りの練習
13.カーシ族の家族と
15.結ばれた古い枝
14.ラック貝殻虫
20.カーシ家庭料理とモチ米
21.カーシの晴着ジャインセム