1998年6月5日(金)から6月14日(日)まで、東京・青山の真木テキスタイルスタジオにて、『真南風(まーぱい)』が開催されました。
 その準備から展示会の模様まで、お送りいたしましょう
 
前半はイリオモテ日記。当スタジオのキュレーター石田紀佳が、5月7日から十日間、沖縄八重山・西表の紅露工房に派遣され、石垣昭子さんのもとで、染めに励んできました。そのときの記録です。
 後半は真木千秋や真砂三千代らを中心にした、展示会にまでいたる東京近辺の様子。

 

 


イリオモテ日記

5月8日

 日本の南の果て八重山諸島は、もう既に梅雨入り。それでも明けて今日8日は晴天に恵まれ、久しぶりの青空だということです。

 それで朝からさっそく染めの仕事。ぐんぼうの苧麻布(経が綿で緯が苧麻)や、絹麻交織布(西表の苧麻糸などを交えてインドで織った布)といった手織の布を、西表の染料でそめます。紅露(クール、ソメモノイモ)やひるぎ、藍といった植物染料です。

 左の写真は紅露で染めているときの模様。左側が石垣昭子さん。

 染め上がると、今度は洗いです。工房のすぐ近くに、沖縄最大の川、浦内川の河口がある。淡水と海水の入り混じる汽水域です。そこへマングローブをかきわけジャブジャブと入っていき、布を広げて洗います。
 右の写真はぐんぼう布を藍で段染めしたものを洗っているところです。

 

 


5月11日

 梅雨だというのにずっと晴れていて、染めの仕事がはかどります。
 雨が降ると仕事ができないので、晴れているうちにやってしまおう、と朝の八時頃から11時頃まで染めています。
 染めているといっても、ただ染める作業をしているだけではなく、染めるための一連の仕事があります。
 染め材を採る、火をたく、煮出す、布の下準備、海晒し、ムラ点検、などです。

 そして、もっとも忘れていけないのが、染めの道具をきれいに洗うことです。
 布も一行程工程ごとに洗いますが、それも含めて、「洗う」ということが、染める仕事の大半のようです。
 昭子さんの手さばきはそれは見事で、段取りもあざやかです。洗いの動作が難なく組み込まれています。一つのものを染めたら、それに関わった道具を洗う。単純なことですがこれをぬかすと、シミができたりムラになったりして、きちんと仕上がりません。そして何よりも、心に清らかさとはりが生まれるようです。

 そんなことを考えながら周りを眺めると、長く降り続いたという雨のせいか、青い空とつややかな緑がとびきり美しく心にしみました。
 左の写真は紅露で染めた苧麻と黄繭を織り込んだ布を、刷毛で鉄媒染して、縦縞を入れているところ。


5月18日

 今朝、真砂三千代さんに最後の染めの荷物を出しました。これはタッサーシルクを赤芽槲(あかめがしわ)で染めてグレーにする予定だったものです。ところが少しムラができてしまい二度ほど染め直しをしましたが、うまくいきません。それで紅露につけてやっとムラがとれました。紅露は10日前に煮出したもので、水分が蒸発してエキス状になっていました。紅露のエキスは捺染にも使われるそうで、それはそれは濃い素晴しい染料でした。

紅露のおかげでグレーに紫がかかりました。予定外の色ですが、衣の取り合わせ(コーディネート)には問題はないでしょう。

 今回の染めには五つの染料を使っています。紅露、ヒルギ、福木、赤芽槲、藍です。真砂三千代さんのデザインする衣の一覧表には色名がこれら五つの植物名で記されています。昭子さんのところで使う媒染剤はある程度にしぼっているので、植物の名前で色の幅がイメージできます。赤芽槲に紅露がけでも、だいたい想像できるわけです。

 いつもは夕方の潮が満ちる頃に洗うのを、昨日は朝の潮が引く前に洗いました。こちらの染めも潮時です。どうかきれいに染まってますように、布の端から端まで目で追って最終チェック。「昭子さんOKですよ!」これでやっとひとつのステップに区切りがつきました。

 写真上は若いヒルギにヒルギで染めた布を引っかけて晒しているところ。だれかがヒルギ美人と名付けました。


5月26日(東京に帰ってきてから)

 5月19日帰京する朝、交布を織っている女の人たちにさよならの挨拶をしました。真南風ではこの交布を衣にするということが重要課題となっています。
 今まで着物用だけを織っていいた方々が、真砂三千代さんがデザインするとはいえ、伝統的な和服ではない現代の生活でまとう衣のための布を織ろうとしているのです。織の目のつめかた、糸の種類、全てがまるで新しい試みです。それに70才くらいの女性が挑戦しています。そして「これからだよね」というのです。
 一方で昭子さんは、女の人は織ることによって、自分自身の場所と時間をもってきた、といいます。

 織り手の歴史には複雑な背景があり、私のような何も知らない者がのんきに、女が織るのはいいことだ、とはいえません。しかし、今の日本にあっては、生涯の仕事(多くの人は副業)として、個人をみつめるような作業がごく平凡にできるということは意味深いことです。
 おばさんが織って、おばあさんが績む。生涯にわたって、自分だけの世界をもち、かつ社会とつながりつづける……。この島で私は未来の生き方のエッセンスを感じました。このようなことは織でなくても何でもいいわけですが、この八重山には、そのプロトタイプとして織があるようです。
 真南風はしなやかな人の思いと知恵だけをうけついで、さわやかな未来に吹く風になろうとしているのでは? 私はそんなふうに願います。(終)

 写真右は刷毛染めした布が真南風をうけているところ。今回刷毛染めは二点だけですが、とても迫力があります。どんな衣になるか楽しみです。



5月28日

 

 今日は服飾デザイナーの真砂三千代さんのもとを訪ねました。
 五日市から真木千秋が、そして渋谷から石田紀佳が、神奈川県の葉山にある真砂さんのアトリエに集まります。
 
 真砂さんのアトリエには、既に完成した真南風の衣がいくつも並んでいました。
 さっそくみんなで腕を通して着心地を確かめあいます。

 写真右上は真砂さんに作品を着せてもらって、うれしそうな真木千秋。
 紺色のスカート状のものは、「パー」と呼ばれます。八重山の言葉で、はかま状のパンツを意味します。タッサーシルク製で、西表の藍で染めてあります。

 その左側で真砂さんの着ている上着は、「羽織」です。西表の苧麻と、インドの黄繭、タッサーシルクを使って織り上げた生地に、西表のフクギで染めを施してあります。
 写真左は「長羽織」。おなじく苧麻、黄繭、タッサーシルクの生地に、西表のアカメガシワで染めを施してあります。

 それから展示会に向けて、いろいろ詰めの作業です。衣の名前を考えたり、表示やディスプレーの仕方など、三人でいろいろ智恵をしぼります。(写真右下、右から石田紀佳、真砂三千代、真木千秋)。

 初日までもう一週間あまり。三人ともいつになく真剣なおももちです。


6月4日

いよいよ明日から真南風本番です。
 今日は朝から、メンバー、スタッフあわせて8人が青山に集合し、準備に余念がありません。
 この「真南風」、真木テキスタイル青山店始まって以来の大がかりな展示会となりました。店での展示作業も二日がかりです。昨日は夕方から石垣昭子さんも駆けつけ、真砂三千代さんや真木千秋等と夜の9時ごろまで作業をしていました。
 写真左上は今日のディスプレーの様子。上から真木香、真木千秋、真砂三千代です。

 真南風の衣は八品目。羽衣(短い上衣)、羽織(お尻までの上衣)、長羽織(膝までの上衣)、サラリ(チョッキ風)、ドゥンギ(タンクトップ風とフレンチスリーブの二種)、パー(はかま風)、カカン(腰巻スカート)で、合わせて八十点ほどが展示されます。

 布の素材は西表の苧麻とインドのタッサーシルクおよび黄繭。これはインドの工房で織られたものです。また少量ですが、西表で織られた「ぐんぼう」(苧麻と綿の交布)もあります。

 染めは昭子さんの工房で行いました。染材は、紅露(クール、赤茶)、福木(黄)、ひるぎ(赤茶)、藍、あかめがしわ(グレー)です。また福木と藍でグリーンを出したりもします。また生成りのものもあります。

 そうして染め上がった布を、真砂三千代さんのスタジオafaで衣に仕立て上げたというわけです。

 会場には、当プロジェクト専属キューレーター石田紀佳の手になる、染織の素材についての説明展示があります(写真左下)。また「真南風」という名の通信も用意されています。

 またこの展示会にあわせ、西表島の友人たちから、島の産物がいろいろ送られてきました。
 バナナやパイナップル、日本一早い新米の稲穂、パパイヤや月桃の木などです。
 写真右の真木千秋(右側)が持っているのがパパイヤの木、石田紀佳(左側)が持っているのが巨大な芋(たぶん)の葉。

 さあどんな具合になるでしょうか。

 


 6月6日

 
昨日から真南風の展示会が始まりました。
 あいにくの空模様にもかかわらず、遠路はるばるたくさんの人々が訪れました。
 二日目の今日になってもです。来訪者が引きも切らず、休む暇もないほどです。
 今日はここで、当展示会のためにキューレーターの石田のりかが編集した「真南風」
 という通信紙をお送りしましょう。(中の写真は今日撮影した展示会風景です)

西表という場所に
時を違えてすいよせられた三人が、
今ここにある素直な感じをカタチにしようと、
つくりはじめたのが真南風。
八重山の風をはらむ衣は、
苧麻を植え、芭蕉をたおし、糸を紡ぎ、機にかけ、
紅露で染めて、つくられます。
人の想いも、風の音も香りも、海の光も色も、
いっぱいつまった世界です。

真南風がこれからどのように深まり進んでいくのか、
石垣昭子、真砂三千代、真木千秋の三人と、彼女らをよく知る今井俊博氏が、その思いをつづりました。


 

真南風が吹く       

石垣昭子

 この秋、私は待望の還暦がめぐり来る。人生も峠を越すと見晴らしがよくなって、いろんな事が視えてくるような感がしてきた。
 いよいよ自分のなかで暦がぐるりひとめぐりして、また元のはじまりに立つということらしい。まさに今、さわやかに真南風「まーぱい」が吹き透る。  
 藍を建てるごとくに、八重山のこの地で葉山から---青山から---志の通いあう個性がめぐり逢い発酵しはじめた。ひとつの器に建てるのにさほど添加の必要もなく自然に冴えた色を呈しはじめた。藍は器の中で静かに時を待つのであるが、そのうち機嫌の良い日にポッポッと華をさかせはじめる---。この時点から手を染めるたのしみがわくわくとしてくる。このわくわくしさが三人のつらなりとなった。

 原初の糸から布を織り上げ衣となるプロセスは女性の産み育む行為に似ている。手をかける程に深く、手をぬけばそれなりの仕上がりとなる。昔、「女は織ることによってより女になっていく」といい、私の島では織る事が当然のこととして今に継がれてきた。祖母は糸を苧み、主婦は布を織り、祭りがくると家族に着せる。祭り事は島人の魂のよりどころとして、くらしのなかに生きているから、身の花、手の花として作り物は神に奉納するのである。

 祖母と祭りが私の原点だと自覚したのは東京でのくらしからであった。10年近い都会での生活は青春そのものであったろうか---。エキサイティングな日々は私の感性をかなり柔軟にしていた。時を経て気がつくと島で機に向かう日々に充実し、流れに棹をさすかのようにしていたが、実は一つの流れにのっている事に気がついた。

 自然の中での木や草花のいのちにもサイクルがめぐるように、人との出逢いにも見えないつらなりのサイクルがあるらしい。真砂三千代と真木千秋とのコラボレーションによって私の中にひとつのはじまりを感じた。織るという仕事は決して終りのないはじまりにきまっているのに、とめどもなく思いが湧き、しかもかろやかに創りだされていく。

 「真南風」はこのように三つのクリエーションが結晶して、今、海を渡ろうとしている。 


風がはこぶもの

真砂三千代

 自分にとって服をデザインするという行為が何処から生まれるのか知りたいという思いが、それまでの仕事をやめ、アジアへの旅を重ねるきっかけとなったのはもうずいぶん昔のこと。それは布との出会いとそこに生きる人々の暮らしに根づいた装いのあり方を学ぶことでもあった。
 東洋の衣、それは形の中に人が入るのではなく、人の体にそって布をまとうというもので、西洋とはまったく逆の発想を持った着衣のあり方だった。もちろんそれぞれの気候風土にあった合理的な形として発展してきたものに違いないのだが、私にはそれらが新鮮で魅力的なファッションとして目に写り、それ以後の衣づくりの大きな要素となっている。

 形から物づくりに入った私が、素材の重要性に気づきはじめた頃、真木千秋さんとの出会いがあった。彼女のつくる風合い豊かなテキスタイルは私の創造性を刺激したが、ある日突然始まった彼女の西表熱もかなり刺激的だった。島の美しさと石垣昭子さんの織の世界と祭を軸にした暮らし等々……。毎回聞かされるそれらの話は、南の島への憧憬をますます高め、昭子さんに初めて会ったときにはそこが東京であったにもかかわらず、私はすっかり西表フリークになっていた。

 「HAREGI」というテーマで一回目の個展を開いたのが12年前。ハレのもつ意味さえおぼろげで、だけどその言葉をたよりに続けてきた。衣づくりの旅も西表とそこの織にふれることでより深い意味と答えを見い出すことができたように思う。

 自分の中であちこちにちらばっていたものが今やっとつながった。この何年かの間にそれぞれがそれぞれの場所で考えてきた新たな物のあり方としての真南風を自然な形でスタートさせることができて本当にうれしい。ぐんぼうを再生してゆくことや八重山全体につくり手がひろがってゆくことなど、夢は沢山あるけれど、気持ちよく楽しくクリエーションできることも含め、千秋さんと私にとって西表に出向く正しい理由ができたことが最大の喜びかもしれない。

 "真南風"、この風がどこへどのように吹いてゆくのか、その先を見続けたいと思っている。


真南風によせて

真木千秋

 美術学校を卒業してテキスタイルデザインの仕事をしていた。そして次第に自分の内側から渇きを感じ、休みや夜に自分の織機に向かうことでバランスをとっていたが、そのうちそれだけでは足りなくなり、休暇とお金を全て費やして、染織が暮らしの中にある国々、民族を訪ねるようになった。  
 中国の雲南省、タイ、インドネシア、メキシコ、グワテマラ、東欧諸国……。そこでは織物が自分たちの暮らしの為に行われるものであり、織るということは、本来は自然との共存なのだと知った。
 私はそれまでの仕事をやめて、自分が納得いくような織物づくりを手探りで始めた。はじめてインドに行った時に自然素材の数々、手によって紡がれる糸にたくさん出会い、その中でも特に野性の繭から紡ぐタッサーシルクに魅せられ、この糸を自分自身の暮らしの中に生かしたいと思いながら、織物づくりを続けてきた。

 5年ほど前、そんな気持ちで作った織物を沖縄の展示会で紹介してもらうことがきっかけとなり、石垣昭子さんに出会った。昭子さんの織る布、昭子さんという人、そして織の背景にある島での暮らし。あれから何度となく西表に通っているが、私にとってはインド以上の衝撃だった。文化圏は違っても少なくとも日本という境界線内にある西表島に、今現在”織る”ということが暮らしの中にある。糸作り、その糸となる苧麻や芭蕉を育てる。琉球藍やインド藍を育て、山から紅露などの染料を採って、川にあるひるぎから頂いた彩で糸を染める。自分たちのお米もつくる。五穀豊穰を祈願する祭の為の衣装を今でも毎年織っている。

 あるとき昭子さんが、織ることは自分と向き合うことだと言ったときにはっとした。そうだ糸に触れることによってわたしは自然とのつながりを取り戻す。糸に撚りをかけたり、巻いたり、染めたり、経糸をつくったり、緯糸を打ち込んだりすることは一つ一つが単純な作業である。しっかりと糸に触り見つめていると瞬間時が止まったかのような感じになる。喜びに包まれる。このひとつひとつの今を生きること、それがすべての事と織重なってくる。

 そんな生きる事の原点をいつも思い出させてくれる八重山、西表、そして石垣昭子さんとの仕事は、私にとってこのうえない喜びである。

 この度、真砂三千代さんとともに八重山で生まれた布にカタチを与えることができた。自然の流れの中で物事がどんどん進んでいった。衣に至るまで関わってくれた皆さん、そしてこの衣を見て下さっている皆さんに感謝したい。

それぞれの本来

今井俊博

 石垣夫妻とは、ここ何年かの間に二度ばかり、糸芭蕉、苧麻、そしてヤエヤマアオキ(モリンダ)の素材と技をたずねて、インドネシア、フィリピン、台湾を歩いている。
 東に出会うためには、どちらがルーツか、ということではないようだ。それぞれに独自のものがあり、共通したところもあるのが東と東の出会いである。
 西欧化とか、近代化、あるいはヤマト化の場合は、征服する、される関係である。

 八重山でなぜ着尺なのか? 沖縄の現代になぜ広巾の洋服なのか?
 そうしたことではなく、それぞれの本来がそれぞれの本来の姿で出会い直す。スディナやぐんぼうは、ここから浮かびあがってくる。
 石垣昭子さんと、真砂三千代さん、そして真木千秋さんたちそれぞれの個性が、ひとつの意識を共にして、たぶんそれぞれちがったストーリーのもとに、土地に根ざし、時代に棹さしメッセージする。

 真南風に期待したい。


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