竹林精舎(Bamboo House)
東京西多摩、秋川の清流を見下ろす崖上
築二百年の農家を舞台に展開する真木テキスタイルのスタジオである。
1999年6月16日 苧麻あそび おそらく本邦で一番古い繊維素材のひとつ、苧麻(ちょま、からむし)。 今日はそうした「野からむし」を採取して、糸づくりに挑戦してみる。 |
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それを持ってスタジオへ下る。(距離にして7キロ、標高差80メートル) 千秋の友人や、スタジオのスタッフ、子供たちまで加わって、苧麻の皮をはぐ。 |
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皮をはぎ、表皮をそぎ落とし、繊維部分だけにする。 この繊維部分を、沖縄では「もとぶー」と呼ぶ。(日本語では何と言うかわからない) 遠くから眺めると、さながらお相撲さんの前ダレか、聖所の結界のよう。 |
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そして夜、養沢のアトリエ。 麻の糸は「紡ぐ」のではなく、「績む(うむ)」のだ。 けっこうな手間だ。今日つくった「もとぶー」を全部糸にしても、ハンカチ半分も織れないだろう。 でも楽しい作業であるらしい。 |
昨27日、「竹の家」オープニング・パーティが開かれた。
あいにくの雨模様であったが、大家さんや建築家、大工さんや職人衆、不動産屋さんや地元の人々など、約四十人ほどが集まって、House
Warming Party。
この日のメインイベントは餅つき。
この家では、事あるごとに餅つきをすることになっているのである。
というのも、私ぱるばも真木貞治(真木姉妹の父親)も、餅つき大好き人間だからだ。
餅つきがなぜ楽しいかというと、まず外で薪を焚いて餅米を蒸かすこと。これが楽しい。
それから、餅米の強飯(おこわ)ができるんだけど、そのつまみ食いがめっぽう美味い。
それから、あいどり(相棒)と息を合わせて杵をうち下ろす行為が心地いい。
そして、つきたてのあんころ餅が食える。
というわけで、この日は八升ばかりの餅をついたのであった。(写真は真木貞治とその娘・千秋)
なおこの家にはまだ臼と杵がないので、大工のごりや棟梁に一式貸してもらう。
(また棟梁は当日朝、雨の降りしきる中トラックで駆けつけ、家の前にビニールシートで屋根をつけてくれたりして…)
しかしながら私ぱるばは、ホストとして招待客の相手をしていたので、この楽しいイベントにはほとんど参加できなかったのである。
それからもうひとつ、これは半ば飛び入りだったのだが、五日市エイサー隊によるエイサー披露。
この五日市エイサー隊というのは、真木姉妹と、相川昌市(香のダンナ)、そして私の四名。
実は我々、数年前には、喜納昌吉のエイサー隊の一員として、東京に、インドにと、彼の舞台に上っていたのだ。真木千秋なんぞも、仕事そっちのけで練習に打ち込んでいたものだ。
昨日は、昔取った杵柄で、二曲ほど披露。
これが自分で言うのもなんだが、なかなか格好良かったのだ。
ただ、人前で踊るのは久しぶりだったので、かなりバテた。やはり平生の体力作りが肝要である。
このエイサー隊、当スタジオのイベントのたびに出没するかもしれないので、お楽しみに。
1999年7月5日 会議
当スタジオでは、だいたい毎週月曜日にスタッフ・ミーティングが行われる。
円滑に仕事を進めるにあたっては、相互のコミュニケーションが大事。
それで今日はスタッフやパートさん合計11名が集まって、粛々とミーティング。
お茶菓子は沖縄銘菓「ちんすこう」。
私ぱるばはMPM(Metaphysical
Manager)なので、あまり実務にはタッチしていない。よって、ミーティング中には、警策がわりに物差しを持って周囲をのし歩いたり、電話が鳴ると対応し「ただいま会議中。後ほどお電話ください」とリピートしていたりする。
だいたい当スタジオに電話して男の声が出るのはこのときだけ。相手は予期せぬ応答にしばし絶句したりする。
もしも私が電話に出たら、これはミーティング中だということなので、素直にあきらめていただくほかない。
写真は土間から撮ったもの。
まだ四時前なんだけど、梅雨どきゆえに周囲は薄暗い。
幾星霜を経た上がり端の床板が、電灯の白い光を映している。
1999年7月18日 アナグマ!?
初めて目撃したのが、一月ほど前の6月22日。
ミーティングの最中に、なにかゴソゴソ音がする。
私は別に気に留めなかったのだが、スタッフが「何か石の上を歩いてるみたい」と言う。
しばらくして庭に目を遣ると、灰褐色の球体のようなものがノソノソと小走りに走っていくではないか。
「あっ、アナグマだっ!」
「竹の家」から6キロ奥にあるここ養沢の谷には、確かにアナグマが出る。
実際、一年半前のある夜、ウチのゴミバケツをアナグマがあさっているのを目撃したこともある。
こんな山際だから、アナグマが出没してもおかしくないとは思っていた。
しかし、市街地に近い「竹の家」で、真っ昼間からアナグマたァ驚いた。
以来このアナグマくん、毎週のように出現する。
よくウチに遊びにくる船附(ふなつき)クンが、ある日、家の土台のところに小さな穴を見つける。
「これアナグマの出入り口じゃないかな〜」
(船附クンというのは隣町に住むナチュラリストで、ごりや棟梁とならんで当スタジオのアイドル)
そして三日前、ついに真木千秋が、家の床下にアナグマの姿を目撃したのだっ!
つまりこの竹の家、床板一枚を隔てて、別種の動物たちが棲息していたのだ。
ウチの専任キュレーターである石田紀佳によると、アナグマは極度に清潔好きだとのこと。
なんでも、自分の手足についた泥を落として、巣穴に入るんだそうだ。
それで真木千秋も一安心。
さらに石田紀佳のイマジネーションは、はるか遠野物語の世界に飛んでいく。
「アナグマくん、尻尾にピンク色のリボンが結ばれてるの」
もしかしたら、飼われていたのが逃げ出したのかもしれない。
「船附クンの胸にも、この前ピンクのリボンがあったし」
それがどうした。
「もしかしたらあのアナグマくん、船附クンじゃないかって」
馬鹿なこと言うなって。
「だって、船附クンの来るとき、アナグマくん、一度も出てきてないでしょ…」
1999年7月19日 フォト・セッション
今、午後八時半。
「竹の家」はまだ活動の真っ最中。
昼前からずーっと、フォト・セッションだ。
写真家は山梨の樋口雄樹クン。
当スタジオの専任フォトグラファーだ。
もう七、八年のつきあいになる。
秋の案内状に使う写真の撮影。
モデルはこれまた専属モデルの大村恭子。
実は当スタジオのスタッフなのだ。
なかなかいいモデルだ … と樋口クンは言っている。
千秋も香も、疲れも知らず、嬉々としてやっている。
まだまだ終わりそうもない。
夕飯はいったいどうなるのだろうかっ!?
四ヶ月ぶりの竹林精舎日誌。
この「竹の家」もおかげさんで成長を遂げ、今ではすっかりスタジオとしての機能を果たすようになった。
ただ、前面すなわち南側をケヤキの大木と竹林が覆いつくしているせいで、光があまりささない。
広い縁側があるのだが、室内は昼間でも電灯が必要。
(ケヤキの葉がすっかり落ちると、その状況も多少は改善されるのだろうが)
そしてかなり寒い。
それで十月末から暖房を入れる。
この家の土間を上がったところに、囲炉裏が切ってある。
かつては木を燃やしたりしたのだろう。
それで天井などが美しく黒色にすすけている。
僕たちも囲炉裏が大好きなので、何とか使いたいと思っていた。
しかし布を扱っているので、木を燃やすというわけにはいかない。
煙の匂いが移ってしまうからだ。
そこで新潟の炭屋さんから炭を取り寄せ、火を起こすことにする。
今日は囲炉裏を囲んでみんなで昼食のうどんを食べたのだが、う〜ん、これがなかなかよかった。
灯油に比べると暖房費がかさむので毎日というわけにはいかないが、ときどきはこうして炭火を楽しみたいと思う。
2000年6月2日(金)〜4日(日)
11:00〜18:00
このたび、毎年恒例の地元での展示会を、ここ『竹の家』で行うこととなりました。
手織り布の展示とあわせて私たちの仕事場もご覧ください。
なお、会期中は下記の催しもいたします。
・6月2日(金) 11:00〜12:00 「素材の話」
スタジオで使っている身近な染織素材について。
・6月3日(土) 13:30〜16:00 「みだれ編みの籠づくり」
(残念ながら、定員に達したため、申し込み締め切りました)
・6月4日(日) 14:00〜15:00 「スライド会」
インドでのものづくりの現場を紹介。
餅つき
今、その準備にてんてこまいです。
壁にしっくいを塗ったり、掃除をしたり、竹おこわを試作したり。
なんせ、初めての試みなので、いったいどうなることやら。
だから皆さん、あまり期待せずに、ピクニックがてら遊びに来てください。
行き方
JR五日市線・武蔵五日市駅(新宿駅からだと約1時間20分・780円)下車、徒歩12分
駅を出て右手100mほどのところに、下りの階段あり。そこを下りて、道なりにまっすぐ歩いて約10分。
車は原則としてダメですが、どうしてもという人には、付近に駐車場あり。
軽い食事の用意はありますが、お弁当持参もよいでしょう。また付近のおいしい食事処もご紹介します。
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生葉染めというのは、「藍建て」をせず、つまり発酵させずに、生のままで染めるやりかた。 |
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この藍草は、「蓼藍(たであい)」と呼ばれるタデ科の植物。姿形は「タデ」すなわち「あかまんま」にそっくり。ただ、葉の枯れた部分が青色に変色するので区別がつく。日本ではもっぱらこの藍草が使われてきた。 |
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生葉染めは、よく晴れた日にやらないといけない。 |
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それから絞って、風にあてる。 |
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こちらは絹の生糸。 参考文献:山崎青樹著『草木染染料植物図鑑』美術出版社 |
前橋に行ってきました。 |
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その次に原始的な方法がこの座繰りといわれていますが、手で回せるだけの早さだし、そのおかげで糸に空気が入ってふっくらとするんだそうです。 |
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彼はそれでもこの糸の取り方をどんなかたちでもいいから誰かに教えたいと行っていました。商売云々ではなく手の技として続けて行ってもらいたいのだそうです。 |
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