牧羊の里を訪ねる・2011

■ガンジスの谷を遡る

 2011年9月6日早朝、私たち一行は頑丈そうなインド国産車に乗って、北インド・ガンガー工房を後にする。
 一行は五名。私(田中ぱるば)のほか工房スタッフ三人、そして運転手だ。
 行き先はガンジス上流のハーシル。工房からは約270kmの距離だ。

24.ヒマラヤ杉でできた家
22.バグーリ村全景


 270kmといっても、そのほとんどが山道である。
 折悪しく、九月上旬といえば雨期の末期で、インドの山道は悲惨な状態になる。
 特にハーシルの手前が崖崩れで通行止めという情報もあり、最後は徒歩になるかもしれないという話だった。
 なぜわざわざそんな時を選んだのかというと、ちょうど羊毛の刈り取りシーズンだからだ。

 羊毛の刈り取りは、年に二度ある。一月と九月だ。
 そのうち一月は近所のリシケシで行われるのだが、言わば準備的な刈り取りで、毛質も粗い。
 九月にハーシルで行われる毛刈りこそ、本刈りで、良い毛が採れる。工房で使っている毛も、九月の羊毛だ。
 九月も末になれば天候も比較的安定し、道路状況も改善するのだろうが、諸種の事情から今回は初旬に決行する。
 むくつけき大男の運転手チョーハン君は、ヒマラヤ山村出身の現地人だ。今まで二度ほど世話になったことがある。この時期にハーシルより上流の聖地ガンゴトリまで運転したこともあるというので、移動に関しては彼に任せることにする。

 通常、工房からハーシルまでは車で一日の行程だというが、やはり道路事情が悪く、結局初日は途中のドンダまでしか到達できなかった。その手前で遭遇した大規模な崖崩れはまことに壮観であったが、その辺はこちらを参照
 何カ所かあった通行止めには難渋したけれども、 緑あふれる渓谷と、周りのインド人を見ていると、けっこう楽しく時間が過ぎた。
■ガンジス谷の牧羊

 ガンジスというと悠々たる大河というイメージがあるが、それは上記地図左下リシケシより先の話。
 それより上流のガンジスは、狭隘な谷間をぬって複雑に蛇行しながら流れる。ガンジスの渓谷だ。上の地図で言うと、水源のガンゴトリから、
ハーシル、ドンダを経て、リシケシまでのおよそ300kmほどだ。
 その後、リシケシで平原に出て、北インドを潤し、ベンガル湾に注ぐ。

 牧羊もこの谷筋に添って行われる。
 その担い手は、伝統的にチベット系のボティア人だった。言語もチベット系のボティア語、宗教もチベット仏教、容貌も私たちと同じモンゴロイドだ。

 ガンゴトリの北方はもうチベットだ。
 ガンジス支流を遡った高地ニロンに住まいしていたボティア人が、渓谷を上下しながら牧羊を営んでいた。
 7〜8月の盛夏には標高3千mを超える高地で草を食ませ、9月になると標高2千5百mのハーシルまで下って採毛。季節の進みとともに谷を下って1月にはリシケシに到達してまた採毛。春になるとまた谷を遡行して行く。
 5百頭ほどの畜群に、牧童が数人、牧羊犬が数頭ついて、野営しつつ進むのだ。
 基本的に遊牧である。

 1962年に中国によってチベット国境が閉ざされると、ボティア人たちはニロンを去り、インド側のハーシルに根拠地を移す。正確に言うと、ハーシルに隣接する小村バグーリだ。
 更に近年は標高千mのドンダが主要な生活の場となる。冬期、ハーシルは雪に閉ざされてしまう。ドンダの方が温かいし、平地にも近く、何かと便利なのだ。かつての遊牧民も今やほとんどが定住生活を送っている。
 現在、ハーシルは夏の避暑地という趣だ。四十℃超は当たり前の北インドの酷暑を思うと、こんなところで夏を過ごせるのは幸運と言えるだろう。

 遊牧と言えば、今年5月に訪れたインド北端チャンタン高原(4千5百m)のチベット系ラダック人も、遊牧民だった。ラダックでも、もともと羊が最も重要な家畜だった。しかし、最近ではパシミナの流行により、遊牧の首座が羊から山羊に移った。
 ガンジス谷の畜群も、羊と山羊の混成だが、中心はやはり羊だ。ラダックに比べて標高が低いので、山羊からはパシミナのような柔らかい内毛は採れない。乳と肉の利用が主になり、商用価値が羊に比べ低いため、その数も少ない。羊は羊毛および食肉の利用だ。食肉について言えば、どちらもマトンとしてインド料理に広く利用される。(牛や豚は使われない)。

■マンガル・バギラティ夫妻

 今回の小旅行に同行した工房スタッフのマンガル&バギラティの夫妻。
 工房との縁は、そもそも二年前、工房主ラケッシュがドンダを訪れた時に始まる。
 工房のあるここデラドンはウッタランチャル州に属するが、ドンダは州内でウールの一中心地として知られていた。
 そのドンダの町にフラッと現れたラケッシュにウールのことをいろいろ教えてくれたのがマンガルだった。

 年の頃は五十くらい。十代から牧童として羊を追い、後に織りに転向してウールのショールや服地を織ってきた。ウールについては一から十まで熟知しているような人だ。最初ラケッシュはこのマンガルから手紡ぎ羊毛糸の供給を受けていたが、その後、マンガルは織師として工房に加わることになる。現在は工房の指導的なウール織り職人だ。
 その妻バギラティはドンダで糸作りに携わって来たが、今年の夏からやはり工房の一員となる。糸作りの専門家であり、また織り上がった布の仕上げにも詳しい。
 工房内では、布を織るマンガルの織機の脇で糸を紡ぐバギラティの姿が見られる。

 ところで、この二人はボティア人ではない。父祖が隣州ヒマーチャルから移り住んできたアーリア系のインド人だ。言葉もボティア語ではなく、アーリア系の地方言語を母語としている。容貌も普通の(つまりアーリア系)北インド人だ。
 バグーリ村(ハーシル)ではこうしたヒマーチャル人の子孫たちがボティア人と混じって暮らし、牧羊を生業としてきた。宗教もヒンドゥー教ではなくチベット仏教だ。

 マンガル夫妻の家はバグーリ(ハーシル)とドンダにある。ドンダには二十数年前に家を構えたたらしいが、織機なども据え付けられ、近年は生活のほとんどをドンダで営んできた。
 二人の間には娘が二人あり、長女が昨年結婚して、最近孫娘が誕生している。

 マンガル・バギラティ夫妻のほか、同行した工房スタッフがひとり。
 ディネッシュだ。ラケッシュの姉婿である。
 現在、工房の染師として働いている。
 工房にはラケッシュの姉妹の婿たち三名が働いているのだが、その中でいちばん英語ができるので、通訳も兼ねて連れてきたという次第。

 ドンダは谷間の開けた場所にある小さな町だ。わずかながら水田も見られる。
 我々の到着したのが午後五時。予定から遅れること四時間。
 おかげでマンガルは試験が受けられなかった。
 試験というのは、義務教育の試験らしい。
 牧童で長く家を留守にしていたため、学校を終えていなかったマンガル。
 そういう人々のため、州政府が特別に日時を定めて、資格試験を行っている。ちょうどこの日がその試験日だったのだ。午後五時までのうちに二時間の試験を受ける。ところが通行止めのせいで、時間に間に合わなかった。試験はまた後日となる。
 そこでマンガル家でお茶をしたのだが、折から激しいにわか雨となる。
 大きな崩落を間近に目撃した後だったから、これからどうなるのか先が思いやられるのであった。(9/10記)

■巡礼の道

 リシケシからガンゴトリに向かう国道は、古来よりの巡礼路でもある。
 ヒマラヤ四大聖地と呼ばれるヒンドゥー教の「奥の院」が、ここウッタラカンド州に
ある。そのひとつがガンゴトリ寺院だ。ガンゴトリはガンガー(ガンジス川)の源として神聖視されている。インド各地から多くの人々がバスや車でこの道をたどる。車が通るようになったのは第二次大戦後のことだ。それ以前は皆、徒歩で聖地に向かった。敬虔なヒンドゥー教徒は今でも徒歩だ。
 この巡礼の道が、また牧羊の道でもある。

 朝七時、私たち一行はドンダを発つ。
 車は曲がりくねった道をたどりながら徐々に高度を上げ、ガンジスの川幅はだんだん狭くなる。昨日降った雨のせいか、道路がぬかるみ、補修のための通行止めにも数箇所出くわす。
 三時間ほど走った標高1800mほどの小さな町で、羊の群にでくわす。(写真8)
 私にとってはガンジス谷で出会った初めての羊群だ。
 勇んでカメラのシャッターを切ったのだが、マンガルが妙なことを言う。
 「これは若い雄の羊で、これから食肉にされる」とのこと。

 通常の羊の群は雌が大半で、種羊となる雄は群全体の中で数頭だ。
 子を産まない雄はそのほとんどが、若いうちに食肉用として売られる。
 「牡羊座」という星座があるが、ああいう立派な牡羊は稀な存在なのだ。
 ちなみに英語で雄羊はram、雌羊はewe、子羊はlambであり、すべて一次名詞だ。(日本語のように合成語ではない)。いかに羊が身近な存在であるか推測できよう。ヒンディー語でも事情は同じだと思われる。

 確かに我々の最初に出会った羊群の多くは、角の具合から若い雄だとわかる。一歳半くらいで処分されるのだそうだ。それから年嵩(としかさ)の雌も混じっている。こちらも七歳くらいになると食肉用に売られるという。
 数日前に毛を刈られたということで、みな毛が短い。
 なんだか哀れな話であるが、これも牧羊の現実なのだ。

 しばらく進んで、標高2100mのところで、別の羊群に出会う。(写真9)
 こちらは通常の畜群だ。
 子羊もいるし、山羊もいる。
 昨日、毛を刈ったばかりだという。
 ハーシルの近いことがうかがえる。
 ちょうど昼頃だったので、羊飼いたちが昼ご飯を食べている。
 羊たちも三々五々、散らばって草を食んでいる。
 牧夫たちの脇には、毛布が幾つも重ねてある。
 粗めな羊毛で織られた毛布だ。このくらいの高度になると今の季節、夜も冷えるので、この毛布にくるまって寝るのであろう。
■サラとモコ


 一口に羊と言っても、種類がいろいろある。
 一番有名なのが、スペインで開発されたメリノ種だろう。現在オーストラリア始め各国で飼育され、世界の羊毛生産量の多くを占めている。柔らかな毛質が特長だ。
 ガンジス渓谷で遊牧されてきた在来の羊はクンナと呼ばれている。足腰が強靱で急斜面も平気で上り下りする。ただ毛質は硬めだ。
 インドにも外国からメリノウールが輸入され、その柔らかさで市場を席巻する。
 ガンジス谷の遊牧もこのままではいけない。
 だからといって、メリノ種をそのまま連れ回すわけにもいかない。気候との適性もあろうが、そもそも平原の羊だから、斜面は苦手なのだ。
 そこで行政当局は、メリノ種を導入し、在来のクンナ種と交配させる。それで生まれたのが「ハーシル・クロス」と呼ばれる品種だ。おそらくその交配作業がハーシルで行われたのだろう。

 ただし、このハーシル・クロス、いまだ品種として固定されていない。
 羊群を見ると、その毛並みが千差万別だ。
 サラッとしたものもいれば、モコッとしたのもいる。
 この「サラッ」がクンナ系で毛質が硬く、「モコッ」がメリノ系で柔らかい。
 もちろんその中間もいる。
 足腰について言えば、おそらく「サラッ」が強く、「モコッ」が弱いのであろう。
 だから、放置しておくと、「モコ」は「サラ」に淘汰されることになる。
 必要なのは、足腰の強い「モコ」を創り出し、品種として固定することだ。
 ところが、現在、そのような方向にはなっていない。
 というのも、サラの毛もモコの毛もいっしょくたに羊毛公社によって買い取られるからだ。
 価格差が無い限り、羊飼いたちも飼いやすい羊を好むだろう。そしてそれはたぶんサラなのだ。

 ganga工房で手織りされているウールの魅力は、一般的なメリノウールには無い野性味だ。
 ただ、人によってはもう少し柔らかい触感を好みもする。
 そうした声に応えるため、gangaでは仕上げに工夫を加えるなどして、柔らかさを出す努力をしている。
 もし、もともとのウール素材から柔らかいものが手に入ったら、ganga製品の幅もひとつ広がるであろう。
 そうしたウールの探究も、今回の旅の目的であった。

20.ビシャン・ラナ夫妻

1.ガンジス渓谷ウール関係地図


4.農婦から瓜を買って食べる旅の一行・左からマンガル、バギラティ、運転手チョーハン、姉婿ディネッシュ、右端がインド国産車
17.ハーシルの広場(右から二番目がバギラティ)


7.ドンダの朝(標高1000m)

■リンゴと金時豆の里


 ハーシルは標高2500メートル。
 ガンゴトリからおよそ30km下流にあって、聖地に至る一中継地点だ。
 狭隘なガンジス渓谷もこの辺りでややゆったりと広がり、ちょっとした平地が現れるようになる。
 日本の上高地より千メートルも高く、周囲の峰々は四千メートルを超える。
 岩がちの山肌に濃緑のヒマラヤ杉が、点在あるいは群生し、高地の雰囲気を演出している。
  まだ夏の盛りの北インドから来ると、その冷涼な空気がまことに心地良い。

 ハーシル自体は小綺麗な小村で、中心部には宿屋や商店がいくつか並ぶ。
 ただ、軍隊の駐屯地なので、外国人の滞在は許されない。
 中国領チベットとの国境が近いので、軍車両の通行も多く、それなりの緊張感はある。

 このあたりはリンゴの産地だ。
 日本の種子島ほどの緯度だから、このくらい標高が高くないとリンゴができないらしい。
 リンゴというと、インドではちょっと高級な果物だ。バナナやパパイヤなぞよりグッと格が高い。
 ちょど収穫の季節だったから、あちこちで手に入る。インドでこんなにリンゴを食べたのも初めてだ。
 赤くて小振りなリンゴだ。国光や紅玉といった類の日本では半世紀ほど前によく見られたようなやつ。皮ごと丸かじりする。シンプルでリンゴらしい味だ。
 ここハーシルから首都デリーへと出荷される。この近辺の主要な農産物だ。

 そのほか、金時豆もこの辺の特産品だ。
 インドではラジマ豆と呼ばれる。
 よく家庭やレストランでカレーにして供される。
 お腹にも優しく、私のいちばん好きな豆カレーだ。
 思わぬところで出会えて嬉しかった。

 ハーシル到着は二日目の午後二時過ぎ。
 この時間はもう採毛作業をやっていないので、まずは一休みすることにする。
 3kmほど先の街道沿いにあるダラーリという小さな町に宿を取る。
 部屋は三階で、ベランダに出ると、下にリンゴ畑が広がっている。
 その向こうにはガンジス川、そして対岸の山腹にひとつ集落がある。
 見たところ畑も何もなく、いったい何を生業にしているのかマンガルに尋ねると、「パンディット」だという。すなわちバラモン、僧職だ。
 ガンゴトリ寺院に奉職する僧侶たちの家族が住んでいるという。
 その集落から1kmほど上流の川縁に、ひとつ小さなヒンドゥー寺院が建っている。
 冬の間、ガンゴトリ寺院から神々がその寺院に移るのだそうだ。
■ガンジス河畔の毛刈り


 羊の採毛は九月いっぱい、ここハーシル周辺で行われる。
 雨天でなければ、だいたい朝六時から昼の二時くらいまでの作業だ。

 ganga工房を出て三日目の朝。
 六時前に起きて外に出ると、空は一面雲に蔽われている。果たして今日は毛刈りが行われるだろうか?
 前日農婦にもらった赤いリンゴを囓りながら、インド国産車に乗り込み、数キロ下流のバグーリへ向かう。

 途中、ガンジス川のほとりで、採毛作業をしている畜群に出会う。(写真15)
 さっそく車を降りて見学。
 二人の羊飼いが河原に座り込み、羊を押さえつけながら毛を刈っている。
 もちろん電気なぞないから、大きなハサミで手刈りだ。
 その様子を見ていたマンガル。ちょっとオレにもやらせろという感じで、牧童のひとりからハサミを受け取り、羊の毛を刈り始める。(写真16)
 昔取った何とかじゃないが、牧羊から離れて幾久しいはずであるが、けっこう手際よく毛を刈っていく。ハサミはかなり鋭利だから、羊の肌や自分の指を傷付けないよう気をつけないといけない。
 刈られている間、羊たちは、マナイタの鯉よろしくオトナしくしている。気持ちイイのか、それとも諦念か。

 今まで目にしてきた羊群に比べて、黒や茶の有色羊が多い。
 そのことをマンガルに聞くと、この羊群はハーシル・クロスではないという。
 羊飼いたちはバグーリ村の人々ではなく、もっと下流の村人たちだった。そして羊も在来のクンナ種だということ。
 ただ、盛夏の間、3千メートルを超える高地で放牧し、その間に他の群と交わることも多く、その際にメリノの遺伝子が混入したのだろう。
 しかしながら基本的にクンナ種が強く、毛も硬そうだったので、この羊群から原毛を購入するのは止めにする。

 ちなみに羊は人間と同じで、一年中発情し、子供ができる。ただ発情期の痕跡はあるようで、冬(1〜2月)と秋(9〜10月)に出産を迎えることが多いという。
 子羊は生まれた日に立ち上がり、歩けるようになる。ただ、長距離の移動は難しいから、そんなときには牧童が抱えたり、母羊の背中にくくりつけたりして、移動することになる。
■バグーリ村へ


 そして目的地バグーリ村へ向かう。
 ハーシルの町の真ん中にある小さな広場で車を降りる。
 広場には小綺麗な格好をしたボティアの婦人たちが、ドンダ行きのバスを待っている。(写真17)
 みな祭礼のため、故郷のバグーリ村に来ていたのだ。
 バギラティ(マンガル妻)が女たちと親しげに言葉を交わす。
 バギラティはヒマーチャル系だが、子供の頃からボティア人に混じって暮らしてきたので、ボティア語に堪能なのだ。

 広場で車を後にし、あとは徒歩だ。
 町と言っても、徒歩五分で通り抜けてしまうくらいのサイズだ。
 町のはずれに小さな橋があって、その下を清冽な水が勢いよく流れている。
 ぜんぶ飲み干してしまいたいくらいの、きれいな水だ。
 橋の横に色とりどりのタルチョ(祈祷旗)がはためき、いよいよチベット文化圏に突入である。
 植生の乏しい野中の小径を進むと、やがてバグーリの集落が現れる。
 入口にゲートがあり、「バグーリにようこそ」とヒンディー語で書かれている。

 ゲートをくぐると、すぐ左に白い囲いがある。
 その囲われた一画が採毛場だ。既に多くの羊たちが集められ、採毛作業が始まっている。
 十人ほどの男たちが小さな敷物の上に座り、それぞれ羊を前にして作業に勤しんでいる。やはりハサミを使っての手刈りだ。刈り手の多くは羊飼いたちだ。さすが現役だけあって、マンガルよりも手際が良い。一頭から1.5kg〜2kgの原毛が採れる。
 採毛は群ごとに行われる。この時は三群の羊から同時に採毛していた。それぞれの群の羊をどのように見分けるかというと、耳に目印の切り込みが入っている。

 羊たちの八〜九割が白色だ。
 白は染色が可能なので、取引価格が高いのだ。
 もともとの在来種クンナは、五割近い有色率かと想像される。
 おそらく導入したメリノ種が白色で、更に種羊を白にすることで、徐々に白色率が高まったのであろう。
 ただ、gangaで使うウールの有色率は現在五割以上なので、原毛があまり白ばかりになるとちょっと困るのである。

 通常、原毛は州政府の羊毛公社が買い取る。
 公社は買い取った原毛を、上等と下等に分ける。上等は羊の背側の毛であり、下等は腹側だ。腹側は泥や糞尿で汚損され、また体重で圧縮されたりするので、毛質が劣るのだ。下等の原毛は粗い毛布や敷物に使われる。
 マンガルのような織り職人は公社から上等の原毛を購入し、更に一級と二級に分ける。一級の原毛は服地やショールに使われ、二級の原毛は上等な毛布に使われる。
■原毛を買う


 羊たちを見ると、サラ系、モコ系、こもごもだ。
 最もメリノ形質の羊をマンガルに選んでもらう。
 面倒を避けるため同一群の羊から選抜し、刈り取ってもらう。
 白四頭、黒一頭だ。これはヨコ糸用に使う。
 別に中間系の白羊二頭分の原毛。これはタテ糸用だ。タテ糸には張力がかかるので、より繊度の大きな(太い)繊維が必要なのだ。

 群の主はビシャン・ラナというボティア人だった。
 驚くべきことに、英語が堪能だった。
 というのも、今回の旅の前、マンガルに「現地に英語のできる人いない?」と聞くと、「英語できるくらいなら外に出ちゃうよ」と笑っていたからだ。
 手織というとインドでも比較的底辺に位置する業種だから、織職人もほとんど英語を解さない。ましてやこんな山奥の羊飼いの村で英語を聞こうとは思わなかった。
 実はビシャン氏、この村の出身であるが、通常は山麓の町で公務員をしている。羊の世話は義兄に任せているそうだ。羊の頭数も170頭ほどに抑えている。
 ビシャンも種羊を四頭ほど養っているが、いずれも白羊だった。黒い種羊もいたが先ごろ死んでしまったという。今回原毛を買ったメリノ系の黒羊は若い雄だったので、なんとかこの雄は潰さず、種羊にするよう頼んでおいた。さてこの雄羊の命は救われるであろうか。
 会話の最中、茶をふるまわれる。塩気のあるバター茶だ。熱帯インドのチャイは砂糖をたっぷり入れて体温を下げるのだが、高冷地では塩を入れて身体を引き締めるとともに、バターで脂肪分を補給する。まぎれもなくここはチベット文化圏だ。

 ひとつ分からなかったのは子羊の毛、ラムウールだ。
 ラムウールは一般的に柔らかいとされ、マンガルも同じことを言っていた。
 生まれて六ヶ月経てば刈ることができる。
 そこでマンガルに子羊を選ぶように言うのだが、なかなか事が運ばない。
 なんでも繊維長が短いので、柔らかい糸ができないというのだ。
 繊維長が短いと撚りをきつくする必要があるので、糸が硬くなるのだろうか。
 そういえばマンガルはかつて、ラムウールにアンゴラうさぎの毛を混ぜて紡ぐというような話をしていた。
 この辺はもう少し研究する必要があろう。

 畜群の脇には常にボティア犬がいる。チベット種の牧羊犬だ。
 色は黒、茶、および黒茶のツートン。
 夜間、野獣から畜群を守るのが主なる役目だ。
 昼間は眠っていることが多い。採毛場でも、忙しく動き回る人畜におかまいなく、あちこちで寝そべっている。
 そういえばganga工房のボティア犬二頭(熊五郎と松五郎)も昼間よく寝ている。

 七頭分の原毛を麻袋に詰めて、ラナ氏の自宅まで運ぶ。
 途中、チベット仏教のゴンパ(僧院)があった。ラマ僧がひとり住している。
 ラナ氏宅はヒマラヤ杉を使った木造の伝統的な家屋だった。
 ヒマラヤ杉の材は特別強くはないが、特有の匂いがあって害虫を寄せつけないそうだ。
 大きな天秤で量ったところ、原毛の重量はおよそ20kgだった。
 彼の家では他にリンゴもつくっていた。それでディネッシュは工房への土産として二箱購入するのであった。
■羊の里を後にして


 このバグーリの集落は、まさにインドの中の別世界だった。
 一本道の両脇に石塀が巡らされ、その奥にヒマラヤ杉の木造家屋が並んでいる。
 庭先では人々が糸を紡いだり、編み物をしたり、機を織ったり、ラジマ豆を干したり — 。その先には岩山がそびえ、ヒマラヤ杉と、青い空、白い雲がある。
 夏期にはここバグーリに約350家族、1500人ほどの人々が生活する。

 マンガルの自宅は更に先、集落の終点あたりにあった。
 なんでも昨年、家の外壁が崩れたそうで、現在修復中だった。
 どうりで前夜、私たちと一緒にホテルに泊まったわけだ。
 家の裏には果樹園があって、リンゴやナシの木があった。ただ、家の損傷やganga工房での仕事の関係であまり村に戻れず、今年は手入れができなかった。
 それでも果樹は小さいながらも実をつけ、それなりに食べられるのであった。

 マンガルの少年時代、ここバグーリの男たちの90パーセントは羊飼いだったという。
 現在の羊飼い比率は25パーセントほど。ほかの人々は、リンゴを作ったり、建設工事に携わったり、他家の羊の世話をしたり。
 渓谷に羊を追う牧童の生活は楽なものではなく、そこから離れる人々の数は多い。先のラナ氏もそうだし、マンガル自身も結婚を機に牧童を辞め織り職人の道を歩んだ。
 ガンジス谷の遊牧は、この先どうなるのであろうか。

 マンガル家を辞して、時計を見ると昼の12時。
 小腹の空いた男たちは村内の小さな店に入り、羊の腸詰めを焼いてもらう。なかなか他では食べられないものだ。

 マンガルは法事があるということで、ひとり村に残る。
 私たちは、原毛とリンゴを積み込み、インド国産車でハーシルを後にする。
 冷涼な空気や清冽な水、峨々たる岩山やヒマラヤ杉とも、お別れだ。
 二日間雨が降らなかったおかげで、道路も応急処置され、通行止めもなかった。

 四時ごろドンダに到着し、バギラティと原毛を下ろす。
 バギラティはこれから、原毛を仕分け、洗い、梳(くしけず)り、そして糸に紡ぐ。
 果たしてどんな糸ができてくるか楽しみだ。
 ディネッシュと私は、すっかり暗くなった渓谷の道を、チョーハンの運転に任せ、ひたすら下るのであった。


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15.ガンジス河畔の畜群(羊と山羊)


9.昼食を摂る牧夫と羊たち(標高2100m)

10.羊飼いの毛布を広げるディネッシュ
12.モコ

13.ハーシル手前の谷(標高2500m)。左端にインド国産車

25.畜群と私

16.毛刈りをするマンガル
14.リンゴ畑の農婦

23.村のメインストリート

19.採毛場の内側




11.サラ
21.ganga工房用に採毛(左ディネッシュ)

 


6.タテ糸をかけるマンガルとバギラティ(工房にて)

5.ドンダ近くのガンジス渓谷

2.復旧作業とそれを見守るインド人

8.最初に出会った羊群(標高1800m)

18.バグーリ村の入口と採毛場