■ポンドルへ行く
■地機で織る
そうして紡がれた糸を機にかけ、生地を織る。
機にかける前には糊付けをするが、糊は米から作るという。
機は地面に穴が掘られた地機(じばた)だ。
綜絖(そうこう)は糸で筬(たけおさ)は竹製。この糸綜絖+竹筬については、同州中部のマンガルギリ、西隣のカルナタカ州、また東部アッサム州の手機でも使われていた。綜絖とはタテ糸を上げ下げする仕組みで、筬はヨコ糸を打ち込む部分だ。近年、手機はほとんど綜絖も筬も金属でできている。金属製だと効率は良いが、繊細な糸を扱うにはやや不向きだ。
インド南部は常夏なので、薄手の布が好まれる。(写真15に見るごとく12月でも裸体で過ごせるくらい)。糸綜絖+竹筬が今も使われている背景には、そうした気候的な要因もあるのだろう。
■チャルカで紡ぐ
この筒状の篠綿から、チャルカ(糸車)を用いて糸が紡がれる。
篠綿を葉で包んで左手に持ち、その末端から繊維を引き出し、右手でハズミ車を回して紡ぐのだ。(写真11)
篠綿が入念に準備され、そして熟練の技もあり、じつに手際よく糸が紡ぎ出される。その糸も、細くて均一。篠綿の先から一本の糸がスーッと伸びていく様が、まるで魔法のようだ。(下写真)
■魚のアゴ
ポンドル・カディについての記述で、いちばん印象的なのが「魚のアゴ」だ。
綿花から糸を紡ぐ際に、魚のアゴを使うという。
糸紡ぎに魚のアゴ!? これは何となく奇っ怪な組合せだ。ヒエロニムス・ボスを思い出す。いったいどんな風に使うんだろ??
ポンドルとその周辺には、約千人の紡ぎ手と、百人の織り手がいるという。
紡ぎ手は女で、織り手は男の場合が多かった。
カディ組合の職員に案内され、村内で行われている糸紡ぎの様子を見せてもらう。
たまたま訪ねたのが村の中心部だったせいか、家も思いのほか小綺麗で、町場の奥様然とした人が紡いでいる。必ずしも前近代的な農村の仕事というわけではないようだ。
ともあれまず、「魚のアゴは?」と尋ねてみる。
すると奥さんは、あ、そう、という感じで、サッと奥に入り、カゴをひとつ持ってくる。そこには、あっさり、魚のアゴが三つばかり入っていた。別に大層なモノではないらしい。奥さんはそのひとつを手にすると、とある作業にかかる。
これは、糸紡ぎにかかわる最初の作業であるらしい。
写真4が当地、スリカクラム地方の綿花だ。
我々の良く目にする綿花に比べると、固く締まった感じがする。
まずはそれを解きほぐさないといけない。
魚のアゴはそのために使われる。
綿屑を取り除きつつ、繊維を平らに展開するのだ。解舒器とでも呼ぼうか。(写真5)
魚は同州北部を流れるゴダバリ川に産する川魚で、身は食用にし、アゴを解舒器として有効利用するのだ。(そういえば同州は魚カレーも美味である)。アゴのサイズからして、かなりの大魚なのであろう。
手にとって見ると、細かな歯が剣山のごとくびっしりと生えている。それを木の棒にくくりつけ、道具として使っているのだ。
決して奇っ怪なものではなく、ちょうど、上州群馬で繭の座繰りに使われる「もろこしぼうき」のような、ごく身近な道具であった。
写真6が、その魚のアゴ(二本)と、展開した綿花。
除去された綿屑は足先に挟んで取り分けておき、枕の中身などに使う。
伝統的チャルカで紡がれた糸は、染色することなく、そのまま生成で織る。あるいは、漂白してごく薄い青色をかける。極薄青というのはインドでよく見かけるが、要するに「まぶしい白さ」を演出するためだ。(不自然で気持ち悪いので私の好みではない)。
というわけで、伝統的チャルカ糸100%の生地の色は、生成白、薄茶、白(青白)の三色。
細い糸を使った薄手の生地ほど価格は高くなる。
薄い生地の問題点は、透けるということだ。
それゆえ、ポンドルのカディは、主に男物の衣料に使われるようだ。
女物衣料の多い弊スタジオとしては、あまり透ける生地は難しい。そこで経緯(たてよこ)60カウント前後の糸を使った薄茶および生成白の布を幾つか求めることにする。
インド伝統のチャルカはマハトマ・ガンディーによってインド独立のシンボルともされたが、最近は機械式の新型チャルカ(アンバーチャルカ)に取って代わられ、木綿紡ぎの現場からは姿を消しつつある。
組合の一室でも少女たちが新型チャルカでガチャガチャやっていた。(下写真)。効率は良いが騒々しくて風情がない。やはりカディには古来のチャルカが似つかわしい。(勝手な思い入れ!?)
糸の細さであるが、60~100カウントであるという。1カウントというのは、1kgの綿から1kmの長さの糸を紡ぐこと。100カウントといえば1kgで100kmということになる。
伝統的チャルカで木綿を紡ぐ例は北インドのウッタルプラデシュ州にも残っているが、いちばん細くて30カウントであった。極薄木綿として知られるマンガルギリ(機械紡糸)も80カウント前後なので、ここで紡がれる糸がいかに細いか知られよう。
原料である綿花はパナサと呼ばれる繊維長の短い品種だ。通常、繊維長が短いと細い糸を紡ぐのは難しい。にもかかわらず100カウントという極細糸を紡ぐというのは驚きである。
前述のクルマラオ氏(国立工芸大学教授)によると、パサナ種の繊維は、太さは普通なのだが、真っ直ぐではなく、緩やかな縮れがある。それで撚りをかけると良く絡まり、細い糸が紡げるのだそうだ。もちろん、綿繰りや弓打ちを手で行うというポンドル伝統の技による部分も大きいであろう。
この繊維の特質がまた、ポンドルカディの軟らかな手触りをもたらしているものと思われる。
写真8の婦人が紡いだ糸のサンプルを持ち帰ってきたので、また竹林でご覧に入れようと思う。
ところで、ここポンドルで紡がれる木綿は、白の他、茶もある。
二百キロほど南に下ったGollaprulluというところで採れる茶綿だ。有色綿については隣州カルナタカのダルワードで開発中のものは見たことがあるが、こうして既に実用されていたとは驚きだった。(写真13)
茶綿と言っても色は明るく、薄茶といった風情。現地ではレッドと呼ばれていた。
茶綿糸の太さは、44~63ということで、白綿よりも太目だ。これは綿花の性質によるものだろう。
■綿繰り+カーディング+弓打ち
魚のアゴで展開した綿花から、今度は種子を除去する。
そもそも綿とは種子(綿実)に生えた綿毛なのだ。
実を除去する作業は、綿繰り(わたくり)と呼ばれる。
ポンドルの綿繰りも、ちょっと珍しいのではないかと思われる。
鉄の棒を使うのだ。
木製の台の上に、展開した綿花を載せ、両手で鉄棒を転がして押しつけ、綿をむしり取るのである。繰綿(くりわた)づくりだ。(写真7)
民家の並ぶ横町のあちこちで、のんびり糸紡ぎが行われていた。
家事の合間に主婦が携わっているのであろう。生活をかけて仕事をするというような切迫感は特にない。
あちこちで「ジャパニ、ジャパニ」という声が聞こえる。日本人が珍しいのであろう。「ポンドルのカディは世界的に有名だ」と組合の職員は胸を張るが、「日本人は来るのか」と聞くと、「来ないなぁ」と言っていた。
はす向かいの家では、カーディングが行われていた。
鉄製の小さなカーダー(カーディング機)だ。
綿繰りの次に来る工程だと思われる。
おそらくこれが当地で一番機械化された部分であろう。
クルクルとハンドルを回すと、篠綿(しのわた)がにょろにょろと出てくる。(写真8・篠綿とは糸に紡がれる前段階の整った綿)
もしかしたらこれも手で行われているのかもしれないが、今回は目にしなかった。
続く作業が、弓打ち。
弓の弦を綿の中に入れ、ポンと弾く。(写真9)
すると綿がフワっと盛り上がる。
それを綿全体に、縦横二度ほど施す。 台の上には軟らかな綿が山を成す。打綿づくりだ。
この弓打ちの技法は日本でも行われていたようだ。
弓打ち後、その軟らかな打綿を、一本の棒の周りにきりたんぽ状にクルクルっと巻きつける。その棒を抜き取って、篠綿づくりは完了だ。 (写真10)
■ポンドルという名
英語の綴りではPonduruとなる。発音はポンドゥルーという感じだが、面倒だからポンドルと表記する。
その名を初めて耳にしたのが、昨年夏。東京のオーストリア大使館で会ったインド青年からだった。南インドのアーンドラ・プラデシュ州の出身だという。アーンドラ・プラデシュと言えばいろいろ縁がある。たとえば、真夏の服生地として重宝しているマンガルギリもアーンドラ産だ。瞑想修行にでかけたこともある。それで彼とも意気投合したのだが、彼いはく、アーンドラにはすばらしいカディがあるという。産地はポンドルという所だ。
それまで南インドのカディは西隣カルナタカ州のものしか知らなかった。同州はインドでもカディの生産が一番多い。(カルナタカ州のカディについてはこちらを参照。北インドのカディについてはこちらを参照)
ふ~ん、アーンドラにもカディがあるのか、ポンドルなんて初耳だ…と試しに調べてみたところ、これが尋常のモノではないらしい。なんでもマハトマ・ガンディが激賞し、愛用していたというのだ。ガンディと言えばカディ中興の祖である。彼がいなければおそらく我々もカディを手にすることはなかったであろう。
カディというのは、言うまでも無く、手紡ぎ手織りの生地だ。
木綿生地である場合が多い。
インドは木綿の原産地でもある。古くからこの優れた植物性繊維素材が実用に供されてきたのだ。
我々も春から秋まで、長くカディを愛用している。
毎年のようにカディ展も催して、皆さんにご紹介もしている。(今年は5月に予定)
当スタジオで用いるカディ生地は、自分たちの工房で織ったものではない。インドでは太古の昔からカディが織られ、そしてガンディのおかげで今にまで伝わってきているので、有難くそれを使わせてもらうのである。
ただ、広いインド亜大陸のあらゆるところで、おそらくはもともと自家用として織られてきたものだ。地方によって綿花の品種からして違うわけだから、「これが標準的なカディだ」というものは無いのである。ちょうどオフクロの味みたいなもんで、その家その家のカディがあったはずだ。
■ピュア・カディ
糸紡ぎから織りまですべて手仕事で行われるカディは「ピュア・カディ」と呼ばれる。数十年前までは、インド全土でごく普通に行われていた営みであろう。
それが今でも、南インドの一角、ポンドルとその周辺に、密やかに息づいている。
その特質は、風の通るような薄さにある。
このようなピュア・カディに接するのは初めてであり、まだ実際に身につけたことはない。
まずは何か自分用に仕立てて、その感触を体験してみたいと思う。
来る2014年1月10日からの竹林shop反物市(ハギレ市)でご紹介できるかもしれないので、関心ある向きは問い合わせていただきたい。