カディの村を訪ねる
■私たちのカディ

 カディというのは、手紡ぎ手織りの木綿布。
 当スタジオでも夏場の服地として欠かせない。
 手づくり布特有のファジーな感触が肌に心地いい。
 かつて国父マハトマ・カンディーによって奨励されたこともあり、今でもインド全土の農村地帯で紡がれ、織られている。

 私ぱるばは昨年南インドのカディ産地を訪ねたが、今年(08年1月)はスタッフともども北インドのカディ産地を訪ねる。
 場所は、首都デリーの東隣、ウッタルプラデシュ州。
 実はMakiで使われているカディもすべてここで織られている。
 私たちが日ごろ身につけているカディ生地の故郷なのだ。
 その現場を見ようと、ある冬の日の早朝、車を一台仕立てて東へと向かう。

 出発は朝の6時。
 広大な国土の西方にあるデリーでは、朝6時といえばまだ真っ暗。しかし朝の渋滞を避けるには、このくらいの早出が必要だ。
 経済発展の著しいインドでは、近年、道路網の整備も急ピッチ。デリーから東に向けてもかなり立派な高速道路ができあがっている。
 しかし油断は禁物。高速道路を走るのは自動車ばかりではない。トラクターからリヤカー、自転車から牛車まで、およそ車と名の付くものすべてが走っている。そればかりではない。こっちの車線を逆走してくる対向車もしばしばだ。安閑と高速ドライブを楽しんではいられない。人口が十億もいると、経済成長のペースに人々の意識がなかなか追いつかないのだろう。

 一時間半ほど走って、「母なるガンガー」にさしかかる。北インドを潤しベンガル湾に注ぐガンジス川だ。川面が朝日に輝いている。
 既にデリーの州境を越え、隣のウッタルプラデシュ州に入っている。
 ここウッタルプラデシュは、世界遺産タージマハールや聖地バラナシなどを擁するインド有数の観光州だ。しかし、幹線道路から一歩内側に入ると、ディープなインドの農村世界が展開する。
 この地方でユニークなのは、乗合馬車の存在だろう。荷台に客を満載してデコボコの地方道をポコポコ走る馬車には、そぞろに郷愁をかきたてるものがある。
母なるガンガーの朝。
写真クリックで拡大。(以下同じ)
■織元ダウッド

 私たちの車はスズキのワゴンR。現在インドで流行の車だ。運転手はラナ君。車も運転手もニルーのお抱えだ。ニルーというのは言うまでもなく、Makiのパートナーである染織デザイナー兼工房主。ホントはニルーと一緒に来たかったのだが、折悪しくフランス出張中。それで、Makiスタッフの大村恭子+服部謙二郎ともども総勢四人のドライブとなる。
 ただし、快適だったのは最初の高速道路だけ。地方道に入ったとたん、穴ボコだらけ、砂塵モウモウで、車もラナ君もかわいそうだった。

 とある田舎町の路上でひとりの男と合流する。ダウッドという名の、ちょっと渋いイスラム教徒だ。ひと通り英語もしゃべれるようで一安心。
 カディの織元で、聞けばもうニルーと15年も取り引きをしているという。このダウッドの案内でカディづくりの現場をいろいろ見せてもらうことになる。

 ところが、最初に案内された場所がちょっと変。
 レンガ造りのかなり立派な手織り工場だ。染め場も完備されている。しかし、使っている素材が、機械製糸の細い木綿糸なのだ。サッカー織とかピンタック織とかジャカード織とか様々な技巧を凝らし、色とりどりの布を手織している。ぜんぜんカディじゃないのだ。
 整然とした織物の街といった風情。いろいろ案内された後、よく聞いてみると、見せられたのはダウッドの義兄の所有する機場だという。遠来の客だからついでに身内の仕事も紹介しちゃおうという魂胆だったのか。残念ながらお互い時間の無駄であった。(まあ向こうさんは時間はいくらでもあるんだろうが…)
 手紡ぎの糸はどこにあるのと聞くと、次の村でやっているとのこと。じゃ歩いて行こうかと言うと、30kmあるから無理だ、ということでまた車に乗り込む。馬車や牛車や輪タクの行き交う田舎道を、ダウッドの先導で進むのであった。
布のサンプルを見せるダウッド。
外国人が珍しいせいか、私たちの回りにはたちまち人垣ができる。
いかにもイスラム教徒っぽいオジサンにサッカー織の生地を見せられながら、でもちょっと違うんだよなあという表情の大村と私。
■アンバー・チャルカ

 道の左右にはサトウキビの畑が広がる。ちょうど収穫期を迎えたらしく、キビを満載したトラクターや牛車が道路を盛んに往来する。インドはこの作物の原産地なのだ。
 やがて幹線道路から、のどかな農道に入る。行く手には小さな集落。ようやくそれらしき村に到着だ。土壁の小さな家々が並ぶ。そのたたずまいは、先月(07年12月)に訪ねた中部インド・チャッティスガール州の農村とよく似ている。カタイ村というのだそうだ。

 とある農家に案内されると、農婦が中庭で糸を紡いでいる。
 昨年春、南インドでも見たアンバー・チャルカだ。
 チャルカとは、後でも述べるが、手紡ぎの器械のこと。
 金属製で、上に篠綿(スライバ)の束を八つ載せ、八本同時に綿糸を紡ぐ。人間は右手でハンドルを回すだけだ。
 確かに人力ではあるが、果たしてこれが手紡ぎと呼べるか、論議の分かれるところであろう。
 原料となる篠綿さえしっかりしていれば、機械と見紛う均一な糸が紡げる。ワタシ的に言うと、均一過ぎてちょっとつまらないかも。
 篠綿というのは、綿花から種を除去し、梳(くしけず)ってキレイに繊維をそろえ、紡げるばかりにした棒状の綿(ワタ)だ。

 南インドと違うのは、あちらではカディ協同組合の大きな建物に農民たちが集まって糸紡ぎの作業していたが、ここ北インドでは各家庭にチャルカが置かれて紡がれている。生産性や機器の保守管理などを考えると、南インドの協同組合方式の方が一歩進んでいると言えるだろう。
 もうひとつ、私の訪ねた南インドの村々は綿花の産地だった。農民たち自らが綿花を育て、農閑期に糸を紡いで織っていた。ところがここ北インドの村では綿花は栽培されおらず、同州内の別の地域や、南隣のマディヤプラデシュ州、西部グジャラート州などから運んで来るらしい。
 ただ、言葉の問題もあって、原料となる綿花の詳細はわからなかった。今後の課題である。

 ガンディー・チャルカはあるのか、と織元のダウッドに聞いてみた。
 すると、「ある」との答え。
 これはちょっと意外であった。
カタイ村の入口で牛糞燃料を作る農婦。
その向こうはサトウキビ畑。
農家の中庭。
アンバー・チャルカで糸を紡ぐ農婦。上の白い固まりが、篠綿を巻いた物。
■ガンディー・チャルカ

 
ガンディー・チャルカとは便宜的な名前。
 糸車のことだ。
 かつて世界中で糸紡ぎに使われていたので、皆さんもご覧になったことがあるだろう。
 そもそも大昔にインドで発明されたらしい。この国では「チャルカ」と呼ばれる。
 マハトマ・ガンディーがチャルカによる糸紡ぎを奨励・実践していたことはよく知られている。
 改良型のアンバー・チャルカと区別するために、ここでは、ガンディー・チャルカと呼ぶことにする。
 ガンディーが裸でチャルカを回す上掲の写真はお馴染みだ。ただ20世紀も前半の話で、今でも実際に使われているとは思わなかった。

 そんなガンディー・チャルカがあると聞いて、ダウッドに案内を頼むと、また別の村に連れていかれる。今度はカダナ村だ。
 車を降り、土壁の家並みを抜けて、とある農家の門口をくぐる。
 すると、回っているではないか、ガンディー・チャルカ!
 土で固めた中庭の、日差しの中。嫁と姑であろうか農婦が二人、チャルカを二台並べて木綿の糸を紡いでいる。今はインドも冬だから、日向がすこぶる気持ち良い。
 嫁の方が伝統的な木製チャルカだ。イスラム婦人だから写真は憚られるのか、頭からチャドルをかぶり、端を口にくわえている。
 姑の方はもうちょっと近代的な、ハズミ車に自転車の車輪を使ったチャルカだ。もう二十年のキャリアがあるということで、紡ぐ手の手際も良い。

 こうしたチャルカ自体は、じつは私たちにはお馴染みだ。
 デリーの工房にも幾つかある。
 しかし木綿を紡ぐのではなく、もっぱら糸カセからヨコ糸を巻き取る作業に使っている。

 ダウッドによると、現在インド国内でガンディー・チャルカを使って糸を紡いでいるのは、ここ北インドのウッタルプラデシュ州と、西インド・グジャラート州の一部だけだという。どうりで「先進的」な南インドでは見かけなかったわけだ。
 ことにここウッタルプラデシュ州では、まだ村々で広くチャルカが使われているとのこと。
 広大なインド亜大陸のただ中、工房からわずか二百kmほどのところに、こうして今でも伝統的な糸車で木綿糸の紡がれていたというのは、考えてみればラッキーなことかもしれない。
カダナ村。土壁と草屋根の農家。
刈り取った草を頭に載っけて運ぶおじさん。
中庭で糸を紡ぐ嫁。
この写真をクリックすると動画が見られる。
中庭で糸を紡ぐ姑。
右側には屋外キッチン。
■チャルカで紡ぐ

 
チャルカは右手側にハズミ車があり、左手側に紡錘がある。
 右手でハズミ車を動かすと、紡錘はクルクルと回る。
 左手で篠綿をつまみ、その篠綿が紡錘の先端で撚りをかけられ、糸になって巻き付いていく。
 姑は大きな自転車ハズミ車を、一秒に一回転くらいさせている。かなりのスピードで糸が紡がれる。
 大村恭子も古式チャルカでチャレンジしてみたが、けっこう紡げるようだった。

 じつは大村恭子、先年ラオスを訪ねた際、とある村でやはりチャルカによる木綿糸紡ぎにチャレンジしたことがあった。そのときはほとんど紡げなくて、村人に笑われたそうだ。
 知らないうちに腕が上がったのであろうか!? 
 否、おそらくこれは綿花の性質と篠綿の品質によるものだろう。
 篠綿を解いて繊維を良く見てみると、繊維長が2cm以上あるようだ。これは品種改良されたインド綿であろう。綿花の国インドでは、国を挙げて綿花の品種改良と普及に努めている。繊維長が大きいほど紡ぐのも楽になるのだ。ラオスの村々ではきっと、昔ながらの原生種に近い短繊維の綿花を育て、糸にしているに違いない。

 農婦たちが紡いでいたのは、「6カウント」という太目の糸だ。1カウントというのは、1kgの綿から1kmの糸を紡いだ時の太さだ。6カウントだったら6kmということ。カウント数が増えるほど細くなる。
 ダウッドによるとガンディーチャルカでは30カウントの細さまで紡げるという。
 アンバーチャルカでは更に細く、40カウントまで紡げるそうだ。
 ちなみに極薄木綿マンガルギリで使う機械紡績糸は80カウント前後とのこと。
 価格的に言うとガンディーチャルカ糸はアンバーチャルカ糸の1.5倍だそうだ。

 この農家にはアンバーチャルカもひとつ置いてあった。
 ただ、小さな娘がときどきガラガラ回すだけで、大人たちはもっぱらガンディーチャルカに携わっていた。
 何の技もいらないアンバーより、こちらの方が楽しいのであろうか。
 音も静かで、農家の中庭にはガンディーの方が似つかわしい。

 紡錘に糸がいっぱいになると、それを糸カセにする。
 この家ではちょっとカッコいい道具を使ってカセ上げをやっていた。名づけて「雄羊型カセ上げ器」。
 紡錘から抜き取った糸塊を両脚の間にはさみ、木製の雄羊型に手早く巻き取ってカセにする。
 このときの糸カセはサンプルにもらってきた。
小分けして棒状に固めた篠綿から繊維を繰り出し、紡錘の先端で撚りをかける。
チャルカ体験の大村恭子。けっこう紡げている。
■染めと織り

 
こうして糸カセにしてから、染めを施す。
 今までMakiで使ってきたカディ布の染めには、すべて化学染料が使われている。色落ちのしない上等の染料だ。
 天然染料はあるのかとダウッドに聞くと、注文に応じて染めるとのこと。今まで藍で染めたことがあるという。南インド・タミル州産の藍だ。
 注文の最小ロットを尋ねると、一色100mだという。

 一色100mというのは、当スタジオみたいな零細企業にはちと辛い。一色で夏着を50着つくっても、さばくのがたいへん。一色だけじゃ済まないわけだし。
 それで、パートナーのニルーと協力しあってやっている。ニルーはインド市場向けにカディ生地をたくさん使うのだ。ま、協力って言っても、のっかるという方が正しいんだが。
 ちなみにMakiのカディは、染めも凝っている。段染めと言って、色に濃淡をつける染め方だ。すると布にした時、絣のような陰影が現れ、表情に深みが出る。

 このカダナ村を発とうとする時、パリにいるニルーから携帯に電話がかかってきた。こんな寒村(!?)でフランスと無線電話できるってのがスゴイ。
 そのときニルーに「今度ガンディーチャルカの6カウントの糸をタテヨコにして織ってよ!」と頼む。すると「いいわよ!」との答え。
 後述するが、今までMakiの使ってきたカディは、タテがアンバー・チャルカ、ヨコがガンディー・チャルカであった。それをタテヨコともガンディーの、しかも厚手の布を織ってもらおうというわけ。これも最低ロット100mであろう。実現しないかもな。

 お次は織りだ。
 また車に乗せられ、別の村に赴く。
 また南インドとの比較だが、彼の地では綿の栽培から篠綿づくり、紡ぎ、織りまで、全部ひとつの村でやっていた。ここ北方のウッタルプラデシュ州ではそれぞれが分業であるらしい。
 バサラという名の少々大きめな村だ。とある農家に案内されると、土間で婦人が機の前に座り、カディを織っている。土の床に穴を掘った地機(じばた)だ。今度は服部謙二郎が体験で機に就く。なかなか心地良いようだ。
 他にも1軒、農家を訪ねたが、そちらも婦人が機に向かっていた。
 Makiの機場では織師はみな男だが、農村では紡ぎも織りも女の仕事なのだろうか。そのあたりはかつての日本と通ずるものがあるかもしれない。
 農家を出て、ふと上を見ると、屋根の上に鈴なりになって子供たちが私たちを見物している。その様が面白かったのでカメラを向けると、みんなサッと消え去ってしまった。よほど外界と隔絶した昔ながらの村なのだろう。
雄羊型カセ上げ器。この糸カセは頂戴してくる。(下に写真あり)
この写真クリックで動画が見られる。
土でできた屋外キッチン。かまどの焚き口にはジャガ芋が…。右側の土壁には、すりこぎ(上)とチャパティ用のし棒(下)が挿されている。
■年来の疑問

 
じつは私には年来の疑問があった。インドの手織木綿生地についてだ。
 インドは綿布の発祥地と言われるくらいの木綿王国なのだが、なかなか気にいるような木綿生地に出会わない。
 私の好きな布は、たとえば中国では土布(どふ)と呼ばれるような、ざっくりした厚手の手織り木綿布だ。東南アジアの奥地でも同様の布は織られているようだ。
 ところがインドでは、ここ十数年いろいろ見て回ったが、なかなかそういう布に出会わない。これが不思議だった。

 今回、その謎が解けたような気がする。
 まず第一に気候だろう。
 インドは暑い。一番寒い時期である12月・1月でも、写真で見るような格好で過ごすことができる。2月も半ばを過ぎると日中の日差しは夏を思わせる。これは北インドの話。南インドは常夏だ。だから、厚手の木綿生地は流行らないのである。
 それから国を挙げて、綿花や手紡ぎ技術の改良に勤しむ。その結果、機械製糸と見紛う細くて均質な糸が手で紡げてしまう。そうした糸を使って布を織ると、それがたとえ手織であったとしても、かなり均質な出来上がりとなる。
 そもそもガンディーの提唱したカディ運動にしても、その動機は別に、着心地いい手紡ぎ手織り布を人々に供給しようということではなかった。あくまでも当時インド市場を支配していたイギリス製の機械綿布に対する政治的な抵抗だった。だからできるだけ機械織の布に近いものを作ろう思うのも自然であろう。

 その点、Makiのカディは手づくりの趣を残している。
 それはガンディーチャルカで紡がれた糸がヨコ糸に使われているからだ。
 タテ糸はアンバーチャルカ糸だが、それもガンディー糸に替えると趣も倍増であろう。
 ダウッドに聞いてみると、それも可能だという。
 それでパリのニルーに「6カウントのガンディーをタテヨコに」と頼んだのだ。
 6カウントと言えばこの地で紡がれる一番太い糸で、私の好きな中国土布の糸とだいたい同じくらい。だからかなり厚手の布になるだろう。
 ただし不均一な手紡ぎ糸をタテヨコに使うと、えてして織が甘くなり、仕立て映えがしなくなる。またガンディーチャルカ糸は価格が高い。
 ニルーは「いいわよ!」とは言うが、そんなに簡単な話でもないのだ。
地機でカディを織る
上で嫁がカセ上げをしていた糸(左側)。太さは6カウント。
他は20カウントのアンバー糸。左右の糸カセは生成。中は化学染料で染めたもの。
■カディの村を後にして

 
ダウッドが一枚の布サンプルを見せてくれた。
 生成のカディだ。これは初めて目にする。
 通常はこれを漂泊し、白色のカディ布にする。
 私たちは生成が好きだ。来月(08年3月)に迫った新井淳一展のテーマも「生成」であった。こんな生地で自分用にシャツを作りたいものだ。(すぐ私利私欲に走る)

 ホントは、昨年見つけた南インドの茶綿を、ここのチャルカで紡ぎ、布にしてもらったら面白いんだけどね〜。
 まあ無理だろう。なんせお互い二千キロも離れた僻村同士だ。
 生地にして何万メートルもの大口注文ならまだしも、百メートルぽっちじゃ、私が南から茶色い篠綿を背負ってくるほかあるまい。
 まあ、皆さんがどうしてもってんで飛行機代だしてくれるなら、やらないでもないが。

 織のバサラ村を後にして本道に出る。両側はずっとサトウキビの畑だ。
 しばらくするとダウッドの車が路肩に停まる。なんだろうと思っていると、脇のサトウキビ畑から男がひとり、数本のサトウキビを担いでやってくる。私たちに食べさせようというのだ。
 もう陽もだいぶ傾いている。村から村へと案内されるうちに、昼食のことも忘れていた。
 このあたりでは、道往く人々がけっこうサトウキビを囓りながら歩いている。それで私たちもトライしたわけ。
 生まれてこのかた、こんなに固い食品を口にするのも初めてだ。外側の殻の部分がめっちゃ固い。インド人の歯が強いのはこのせいかも。
 前歯では歯が立たないので、小臼歯を使って食いちぎる。そしてその中身は…。
 これが思いのほか、ウマい!
 中身を噛むと、適度に冷たく甘い汁がジワッとしみ出す。その感覚が極上であった。労働の後の報酬という感じ。あれはジュースでは味わえない。インド人がみんな囓っているその気持ちがわかる。殻の固さも忘れて、しばしむさぼり喰らう私たちであった。空腹だったせいもあろうが。
 畑の持ち主に断ったのかと聞くと、そんなことをする人は誰もいないとのこと。インド的おおらかさだ。畑から失敬したものを洗わずに囓ったのであったが、誰も腹はこわさなかった。

 ダウッドが「ガンディーチャルカの糸をタテヨコに使った布サンプルがあるが、見たいか」と聞く。
 私は大いに見たかったのだが、運転手のラナ君が非常に悲しそうな顔をするので、断念することにする。これからデリーまで二百キロの道程。夕刻には道も混むであろう。
 かくしてカディの村を後にして、私たちを乗せたブルーの軽自動車は、宵闇の中、インドのハイウェイを西に向かってひた走るのであった。
 今夏にはまた西多摩・五日市の竹林Shopにカディの衣が並ぶであろう。
 そのときには、はるか西方、天竺の小村にて営まれる紡ぎや織りの模様に、思いを致していただければと思うのである。

〈完〉

生成のカディ。
私たちの昼食。
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