India 2006 Dec
 


2006年12月〜2007年1月
真木千秋と田中ぱるば、および大村恭子、太田綾が
それぞれのタイミングでインド入りし、
デリーにて布&衣づくりに励みました。


12月24日 タミルの藍


 暮れもおしつまり、師走24日。日本ではクリスマスイブということになるだろうが、こちらインドでは特になんてこともない。
 そして私たちも、ことに衣づくり隊の大村&太田は、帰国を四日後に控え、最後の追い込みだ。

 ここ北インドのデリーは冬なのだが、おそらく今が一年でいちばん良い季節だろう。
 インドでも地球温暖化のせいか、暑い時期が長引いてきているのだそうだ。今年は11月になっても暑かったという。
 日本では人々は「春」を待ちこがれるのだが、こちらで待ちこがれるのは「冬」。
 近年はその冬がなかなか来なくて、人々は困っている。

 今日の機場(はたば)も暖かく、日本で言うと十月中旬くらいの陽気。すこぶる快適。
 周囲の畑では花々が咲き競い、子供たちが半袖で走り回る。

 左上の写真は、今回、南インド・タミル州から持ち帰った藍塊
 重さは5kg。約1トンの藍草から採れる藍のエッセンスだ。
 アンバラガン氏製造のこの藍塊、品質に「上」と「並」があり、値段も倍近く違う。
 写真の左側が「上」、右側が「並」。
 「上」の方が轢断面の藍色がクリアだ。
 上と並にどのような製造上の違い、および染色上の違いがあるのか聞き忘れた。
 それで今日は染め比べてみようと思う。
 これにはニルーも興味を持っている。

 日本で売られているインド藍は液状だが、藍塊の場合は、まず砕いて粉状にする。
 特に硬いものではないから、比較的容易に砕ける。(インドの新聞がご愛敬!)
 それを水の中に入れ、還元剤のハイドロを加えて溶解する。
 その中に糸を漬けて、染めるわけだ。
 今日の糸は、ホワイト・マルダ。
 ベンガル州の黄繭から作る白色の細い手引き糸で、よくストールに使われる。

 染液の濃度を変え、染師キシャンとともに何度も試してみる。
 結果は、染液の濃度によって違った。
 染液が濃いときには、ほとんど色に違いはない。
 右下の写真がそれ。どちらも美しい藍色だ。
 薄いときには、「並」の染め色がかなり淡くなる。

 というわけで、色合いはあまり変わらないが、「染力」が違うということか。
 どちらがコストパフォーマンス的に有利かは、もう少し検討が必要だ。
染め上がった藍の色味をチェックする真木千秋。
「これなら使えそう!」
 染師キシャンの娘グディアと戯れる大村恭子。
 今年三歳になって、工房のマスコット的存在。


12月25日 針場の周辺


 今日は針場に行く。
 針場というのはMakiの衣を縫製しているところで、大村恭子と太田綾にとっては通常ここが仕事場。
 親方を含む五人のテーラーたちとともに頑張っている。
 右上写真がその日常的な風景。
 左から、大村、テーラーのビカース、支配人アミータ、太田、親方テーラー。
 ストール生地「バーク」を服に仕立てる相談だ。
 ゆったりした春用のロングベスト。
 親方が生地を裁断し、ビカースが縫製を担当する。 

 その下は、ダミーを相手に奮闘する太田綾。
 シーチングによる試作品で、今、襟を変えているところだ。
 フラットカラーの春物ジャケット。
 手首の針山がプロっぽい。(プロなんだけど)
 オレンジの麻×シルクの平織地で縫製される予定。
 ところで、針場の女主人、アミータ。
 ニルーの義妹である。(写真左)
 いつもクルタを着ている。
 クルタというのはパンジャビドレスの上の方で、丈が長く、両脇にスリットが入っている。

 今日のクルタは、草木染めタッサーシルク生地によるもの。 
 その上にジャケットを羽織っている。

 「私って、ニルーと仕事してるから、ラッキーなのよね。いつもステキなの着てるって、友達にうらやましがられるの〜」
 「だったら買えばいいのに」(ぱるば)
 「お金使いたくないみたい。使うときには値切るのよ〜(笑)」

 アミータのクルタは、今、絹の季節。
 11月〜4月の半年間が絹、5月と10月が綿カディ、6月〜9月の真夏がマンガルギリなのだそうだ。
 それでは久しぶりに、ニルー登場。
 ← ← ←
 
やはりシルクのクルタ着用。
 その上からキルティングのジャケットを羽織っている。

 実は、秋向けにカンタを使った衣を作ろうという企画がある。
 それに使うカンタを持ってきてくれたのだ。
 ニルーはインドのこうした伝統的な手仕事も大好き。

 カンタというのは古サリーを何枚も重ねて縫い合わせた刺し子だ。
 服に仕立てると、こんな感じ。
 ← ← ←

 クルタついでにもうひとつ。
 昨日、ニルーの店で撮影したもの。
 → → →
 絹クルタ(両脇)と綿クルタ(私)。
 実はある事情により、クルタを購入することになったのだ。(その事情についてはまたいずれ)
 新しいワンピース。(左)
 二種類のシルク生地を合わせて作る。
 上は織師イスラムディンによるテクスチャのあるストール生地。
 下は薄手の手織り絹布。
 直線断ちを意識した結果、ふっくらしたバルーン形に。
 下にタンクトップやTシャツ、ブラウスなどを着て、春に。
 宿へ帰っても仕事は続く。
 真木千秋が春物ロングベストの試作品を着て、二人が細部を調整している。

 ほかの二人も試作品を着用。
 大村恭子は、緑の綿カディ・ワンピース。
 太田綾は、左のワンピースの黒バージョン。


12月26日 デリー昨今


 昨日、ニルーの店の話をしたが、こんな場所の一画にある。
 デリー市内に数ヶ月前にオープンしたばかりのショッピング・モール「スクエア・ワン」。
 大理石のフロアにはクリスマスツリーまでしつらえられて、ちょっとインドとは思えないでしょう。
 インドというと、小さな店が並ぶバザールや商店街が普通の風景。
 ところが今、「小売り革命」が進行中。
 デパートや大規模なモールが、建設中のものも含めると全土でその数七百にのぼるという。
 この「スクエア・ワン」などは、まだ小振りなんだそうだ。

 ま、たまにはこんなところでショッピングも楽しいかも。
 最上階には握り寿司を出すレストランまである。(インド人は食わないと思うが)
 ところは変わって、今朝の機場。
 どんな革命が来たってビクともしない風景が広がる。
 左写真は隣の畑で大根を収穫する農夫。
 彼が手にしているような小さくて曲がった大根は、日本ではとても売り物にならない。しかしインドでは大丈夫。
 なりは小さく、曲がっていても、味は日本のよりシッカリしている。大根に限らず、野菜は何でもそう。
 右上ではカリフラワーを収穫。
 しかし、ここ北インドの農夫のいでたちは、洋風のシャツとパンツで、あまり風情がない。

 十日ほど前に出会った南インドの農夫はこんなであった。→
 黒い肌と白い褌、そして頭巾がめちゃシック。
 二重織り(パストラル)のサンプルをルーペで見る真木千秋。
 組織を研究しつつ、春向けの新ジャカードストールの構想を練る。

 それを見下ろす経糸職人パシウジャマ。タテ糸づくりの仕事がないので、ちょっとヒマそう。
 顔に浮かぶ笑みはカメラを意識してのこと。

 真木千秋、マスクをしている。風邪を引いたのだ。
 そこで今日は早めに切り上げ、部屋で休養。
 私の背負ってきたマンガルギリ綿布サンプルを検分して、オーダーをかける。
 63種もあるから、検分のしがいもある。
 夏に向け「カディ+マンガルギリ衣展」を企画中。「ぱるばのおかげで仕事が増えた(笑)」と真木千秋。
 Maki好みの渋いマンガルギリ布は生地売りもする予定なので、請うご期待!


12月27日 えりのカタチ


 大村恭子&太田綾にとっては、インド滞在もあと二日。
 朝から真木千秋をモデルにして、春物ジャケットの本生産サンプルをチェックしている。
 本生産サンプルというのは、実際に使用する生地で作るサンプルだ。
 生地は麻×シルクの平織地。一昨日、太田綾がダミーを相手に奮闘していた型だ。
 写真は襟の具合を見ているところで、まだ袖はつけていない。

 どうでしょう、みなさん、下の二枚の写真、襟の違いがわかるかな?
 左側が最初の形。襟どまりが深く、Vネック型。テーラーメイドのジャケットのような、ややクラシックな印象。
 右側は襟どまりを浅くしてみたところ。襟が小さく丸くなり、よりかわいらしく見える。
 2cmほどの違いで、このくらい印象が変わってくる。
 三人で協議の結果、今回は右側を採用。
 窓辺の自然光の中で、薄地シルク衣のオーダーを考える。
 インナーとしても重宝する薄地シルクの衣。
 このシルク地は、タッサーシルクの手引き糸を使って、中部インドの伝統的な産地で手織りされるもの。
 それを工房の染師キシャンが、インドの草木で染色。
 そして、ブラウス、タンクトップ、スカート、ワンピースなどに縫製される。
 ニルーの事務所の近くに、オーロビンドのアシュラム(道場)がある。そこに小さな売店があって、「オーロシカ」ブランドの線香が置いてある。
 竹林Shopに置いてある線香も、全部ここで入手したもの(あまり売れないが…)。
 このオーロシカ線香は、南インドにあるオーロビンド・アシュラムの本部で手作りされている。
 インドの線香はえてして匂いが強烈だったりするが、このオーロシカは渋めで日本人の嗜好にもあう。
 今日売店に寄ってみたら、四点ほど知らないのを発見。宿の自室で試してみて、良かったら持ち帰ろうと思う。


12月28日 メヘンディ&メンズ!


 たぶん本日の日誌は史上最長になるだろうから、ま、暇な人だけ読んでください。

 まずは昨夜(27日)の話。
 仕事を終えてから、皆でお呼ばれする。
 行く先はラケッシュ家のメヘンディ。

 竹林のシェフであるラケッシュ君が今、一時インドに帰国している。
 妹のサビータが結婚するのだ。
 昨夜は結婚式の前夜祭にあたる「メヘンディ」。
 メヘンディというのは私たちも染色によく使う植物。
 日本でも最近は染料の「ヘナ」として親しまれている。

 式の前夜、新婦の手足にメヘンディで装飾を施すのだが、それが「前夜祭」全体を指す言葉となっている。
 その前夜祭に私たち四人も招かれた。
 そこで、上から下(ストールから靴)までインド式に準備して、いそいそ出かける。

 ラケッシュ家に着くと、家族で迎えてくれる。
 写真はラケッシュとそのお母さん。どうやら母親似のようだ。→
 ラケッシュは5人きょうだいの真ん中。上に姉が二人、下に妹が二人。
 上の姉たちは既に結婚し、今回はすぐ下の妹が嫁に行く。
 ←奥の部屋では新婦のサビータがメヘンディの施術中。
 メヘンディ師が三人招かれ、そのうち二人が新婦の両手に装飾を施している。

 使う道具は、デコレーションケーキに使うような「絞りペン」。
 ペンの中に水で溶いたメヘンディを入れ、精巧な模様を描いていく。

 この前夜祭では、新婦のみならず、希望者はみな描いてもらえる。普通はご婦人たちだ。
 そこで当スタジオの婦人連三名も、さっそくメヘンディをやってもらう。

 右写真は真木千秋。→
 写真の左下には、デコレーションの完成した太田綾の手が。

 完成した新婦の手と足。
 描き終わってから一時間半ほど乾燥を待たないといけない。
 だから新婦は描き始めから数時間、手を差し出したままの格好で、ちと大変そう。
 ま、一生に一度だからガマン。(基本的に再婚は無し)
 ←右手の中心には横笛を吹くクリシュナ神。

 →左手の中心には、ハートの中に男女のカップル。

 この盛り上がった線描はとっても見事なのだが、乾いてしばらく経ったら落とされる。
 そしてその下の皮膚が朱く染まるというわけ。
 この日の招待客は二百人以上。
 新婦側の人のみだ。
 みんなに夕食が振る舞われ、希望者は酒も飲める。(インドでは伝統的に飲酒の習慣はあまりない)
 場所は家の近所の広場に設けられた大きなテント。
 DJが雇われ、大きなスピーカーから大音響でダンス音楽が流れる。
 前にステージがしつらえられ、みんなで大ディスコ大会だ。
 インドのモダンなポップスから、北部ウッタランチャルの民俗音楽まで。
 しかしインド人は大人も子供もよく踊る。
 ま、私たちも負けていないんだが。
*  *  *
 さて、明くる28日。
 今日は大村&太田の帰国日だ。
 昨夜11時過ぎに宿に帰ってから、二人は早朝五時まで仕事をしていたという。
 朝、私にひとつ試着して欲しいというので、着たところ。
 こういうケースは珍しい。というのも、男物は少々疎外されているからだ。
 ただ、竹林にShopが移動してからアッシー君がてら来店される諸氏も多く、紳士物の淋しさにいささか申し訳なく思ってはいたのだ。

 そこで今回はメンズ春物シャツ!
 今までMakiの紳士物はスタンドカラーが多かったが、今回はシャツカラー。
 背面にタックをとってゆとりを持たせている。
 写真はシーチングによる試作品だが、本製作では綿×ギッチャの白やタヒールタビーの黒などの布が使われる。
 ←その「タヒールタビー」布。
 今日織り上がった試作を水洗いして乾している。
 六丁杼(ろくちょうひ)の平織。
 すなわち杼を六つ使って織った服地だ。

 それぞれの杼には、様々な絹糸や麻糸、ウール糸が、二本、三本と引き揃えて込められている。
 たとえば、ウールを入れるとふくらみが出て仕立て映えがし、麻は重いので落ち感が出てくる。
 その辺を考えながら、引き揃える糸を案配する。
 それを六つの杼に収め、ヨコ糸としてランダムに打ち込んで織った布がこれ。
 機場から戻ってきて、みんなの手を見せてもらうと、ほれこの通り。
 不思議なことに、昨夜より色が濃くなっている。
 左上・真木千秋、右上・大村恭子、右下・太田綾。
 数週間消えないらしいから、実物を見たい人は一月中に御来竹のこと。

 というわけで、今夕、数十キロの大荷物とともに、大村・太田の両名は18日間のインド滞在を終え、帰途に就いたのであった。
 今ごろはJAL472便の中で眠っていることだろう。


12月29日 冬晴れの機場


 大村&太田の二人は今朝、無事に成田に到着した模様。
 JAL472便はスキスキだったが、あまり良く眠れなかったという。(年末の繁忙期なのにスキスキで、JALインド路線、大丈夫か!?)
 二晩も満足に寝ていないにもかかわらず、大村恭子などは空港から自宅のある中野を通過して武蔵五日市に直行。竹の家で仕事をするという張り切りよう。ま、家に帰れば雑煮とかおせち料理とかが待ってるんだろうから、いいのか。

 こちらは、ウェディング&スタッフ帰国というイベントを終え、いつもの静けさを取り戻した機場。
 日本も暖冬のようだが、ここ北インド・デリーも、年末とは思えないような陽気だ。ちょうど日本の五月晴れのように、限りなく気持ちいい。
 空気もカラッと乾燥しているから、布を干すにも好適。
 水通しされた試織布が吊され、そよ風を孕む。

 左は織師アビディンによるタヒールタビー。
 昨日も同名の布が干されていたが、今日はヨコ糸を変えて織られている。

 右側は織師イスラムディンによるマトゥカ格子。
 これも服地で、ワンピースなどに用いる予定。
 今日つくっているタテ糸は春のストール。
 フクフクしたかわいい感じの小品になる予定。
 紫かかったピンクはラックで染めたもの。
 このインド特産の染料は、中部のチャッティスガール州から取り寄せている。
 機場の周囲には冬の花々が咲き競っているが、その中でも最大の花、バナナ。
 その上にはもうおいしそうな実が実っている。
 あと一月もすれば食べられるのだろうか。
 隣人の持ち物だが、織師ももらって食べるそうだ。


12月31日 大晦日の機場


 今日は大晦日。
 明日はいちおう休日のようだが、日本ほど特別な日ではない。
 機場もいつも通り稼働している。

 右写真は、タテ糸を梁(ビーム)に巻きとっているところ。
 真南風(まあぱい)用の生地、「苧麻」だ。
 男四人がかりの大仕事。
 左からタテ糸職人パシウジャマ、織師イスラムディン、長老織師カリファ、織師ワジッド。
 名前のごとく、沖縄苧麻糸のほか、ギッチャ、タッサースパン、黄繭など絹糸を5〜6本の杼で打ち込んで織られる。
 仕上がった布は、沖縄西表の紅露工房で染められ、葉山のafa(真砂三千代)もとで衣になる。
 ←これが長老織師のカリファ。
 タテ糸職人パシウジャマの実兄だ。
 自分で織るというよりも、織師の総まとめ的な役割で、機の仕様変更などを行う。
 この人もMakiにとって、なくてはならない存在で、染めからタテ糸づくり、織りに至るまで、いろんな場面で面倒を見てくれる。
 最近は携帯電話を所持するようになったようだ。
 眼鏡をかけ、慣れない手つきで操作している。

 インドは今、携帯電話会社が百花繚乱。
 実は私ぱるばも今回インドでひとつ手に入れ、重宝している。
 南インドの藍の村、これは超田舎なんだけど、そこから五日市の竹林に電話がつながったときなど、ちょっと感動。

 写真の右上にリスが写っているのに注目。
 この工房に限らず、インドはリスだらけだ。
 染め場ではそのタミルの藍を使って藍染。
 黄緑が出ているが、じつはこれ、黄色との重ね染めだ。
 先月始め、沖縄・波照間島からフクギの樹皮が送られてきたが、その樹皮で絹糸を黄色に染め、インドに持参したのだ。
 その黄色に明るめの藍を重ねて、黄緑。
 ストールのタテ糸に使いたいとのこと。

 赤いセーターは、ニルーのアシスタント、スチャリタ。
 ニルーと同じNID(国立工芸大学)のテキスタイル科出身だ。
 ニルーの事務所ではデスクワークが主で、こうした染織の現場に接する機会があまりないらしい。
 それでMakiの滞在中には、よく日曜を利用して見学にやってくる。
 それでは最後に、昨日、工房の近くで撮ったインド孔雀の写真。
 オスだが、まだ若いのか、尾羽がそれほど長くない。
 この近辺には野生の孔雀がけっこう生息している。

 今回のインドレポートはこれでおしまい。
 明朝から私は再び所用で南インドに赴く。
 真木千秋はこのままデリーにとどまって仕事を続け、1月8日に帰国の予定。

 それではみなさん、よいお年を!

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