India 2003.4
 

2003年4月4日から4月22日までインドにて春の布づくり。
そのうちの一週間を田中ぱるばが現地からリポートしました。




4月14日 夏!


 昨日、JAL471便にてデリー到着。
 夜八時近くだったにもかかわらず、外気温39度という機内放送にココロも躍る。
 出迎えに来てくれたアジェイ(ニルーの夫)によると、最近インドも異常気象で、数年前まではこの時期こんなに暑いことはなかったのだという。

 アジェイは農場からの帰りで、収穫されたばかりの小麦を一袋、車に載せていた。
 これを粉に挽いて、チャパティに焼いて食べるのである。
 車にはほかにヘチマが一袋つまれていた。
 これは夏のカレーに欠かせない食材だ。
 沖縄にナーベラってあるよね。あれと同じ。
 
 さて、真木千秋・香の姉妹、および大村恭子・金森愛の四人が、十日前からここデリーで布づくりをしている。
 この時期インドに来るというのは、私にとって、じつに久しぶりのことだ。
 いつもは女たちだけが渡印して仕事に励んできたのである。
 しかしさすがの真木千秋も寄る年波には勝てず、私の応援が必要となったらしい。(困ったことに、「気は強いが体は弱い」のだな。逆だったらいいのに…)

 四十度を越えるという気温。さていったいどんなものか?
 ところが、今朝起きてみると、空には一面雲がたれこめている。
 現在朝の九時半だが、外気温は三十度少々だろうか。
 「昨日までよりずっと涼しい」のだそうだ。

 日中は暑くて仕事にならないので、早起きをして、六時過ぎには朝食をとる
 朝からメロンやバナナ、パイナップルなどのフルーツ・サラダを食べるのだが、これがちょうど気候に合っていて美味い。
 そして七時には宿を出る。
 二月ぶりに機場(はたば)に赴くと、馴染みの職人たちがいつも通りに仕事をしている。
 みなルンギ(腰巻)姿である。

 じつは今朝、出がけに気がついたのだが、私ぱるば、不覚にも愛用のルンギを持ってこなかった。
 養沢はやっと春になったばかりなので忘れていたのだ。
 しかたなく甚平を着て出かける。
 真木千秋を始め女たちはみな、クルタ姿である。
 右写真は糸を見ている真木千秋だが、オレンジのクルタはマンガルギリ製。
 マンガルギリというのは、インドのある村でのみ織られる、極薄の綿生地だ。
 盛夏はこれに限るという。

 ニルーから電話がかかってきて、「昼ご飯なに食べたい? カレラ?」ときかれる。
 うん、カレラと、ダールと、ご飯と、チャパティ…と答える。
 カレラというのは、小ぶりのゴーヤだ。(南国だけあって、沖縄と共通する食材が多い)
 カレラのサブジ(野菜カレー)は、ニルーや私の好物なのだ。

 なんとなく不穏な世の中ではあるが、ここにはいつも通りのインド的時間が流れている。



4月15日 経糸職人パシウジャマ


 昨日は、「いつもよりずっと涼しい」という女たちの言葉にすっかり騙されていたが、帰り道の五時半、町なかにある電光掲示板の気温情報を見ると、やっぱり41度であった。
 しかし湿度が低いせいか、体感気温でいうと五日市の三十五度くらいだったかな。
 でもさすがに暑く、甚平を着用していたのだが、特に下半身が蒸れる感じ。

 そこで昼食後、ニルー家経営のラーガ縫製工房に飛び込み、女主人のアミータ(ニルーの義妹)に「ルンギをおくれ!」と頼む。
 マンガルギリ(極薄の綿手織生地)をいくつか見せてもらい、ひとつあつらえむきの紺地があったので、さっそく二mほど裁断。
 Maki専属のテーラーにさっと縫ってもらって、めでたくルンギができた。
 その間、わずかに五分。
 ほんと、インドって便利だと思う。
 (しかし最近のインド人は堕落して、みんな洋式のズボンなどはいている)

 いつもは一枚の布を巻くのであるが、今回は試しに筒状に縫製してもらう。
 筒状にすると布としての汎用性は減るが、前がはだけないから便利だ。
 「昨日よりずっと暑い」今日はコレを着用して、すこぶる快適である。(極薄だから透けて見えると真木香は喜んでいるが)

 これで工房の職人たちとおそろいである。(写真上)
 マンガルギリの生地は張りがやや強く、上半身は甚平だから、なんとなく高松塚の官人ふうである。(ヘアスタイルとサングラスを除いて)

*****

 さて、私の右隣にいるのが、経糸(たていと)職人のパシウジャマだ。
 Maki にとっては、おそらく工房でいちばん大事な存在であろう。
 仕事上いちばん長く接するということもあるが、何よりも言葉を越えたコミュニケーションが交わせるのである。

 このパシウジャマ、聾唖である。
 すなわち、耳も聞こえないし、言葉もしゃべれない。
 しかしそれを補う鋭い感覚を持っている。
 Maki もまた言語は不得手。その分、やはりほかの感覚にすぐれたものがある。
 すなわち似たもの同士、言葉を越えて、通じ合えるのだ。

 だからこのパシウジャマ、しばしば、Maki と織師の間の通訳を務めたりもする。
 織師たちにまつわるゴシップも、このパシウジャマから流れてくる。
 たとえば、あいつまた子供できたんだぜとか、シャザッドは金をしこたま隠匿してるんだとか、長老ワヒッドはいつも良い糸を独り占めして困るよ、とか…。
 う〜ん、どこの世界も同じだ。

 こういう他愛ない話ばかりでなく、「じつはあいつ、ストールに織キズつけたのに、こっそり隠してるんだ」というような大事な情報もリークしてくれる。
 それがそのまま日本に来たら、かなり面倒なことになるのだ。
 (しかしその後で、「あっ、オレが言ったってこと、ヒミツにしといてネ」と忘れずに付け加えるパシウジャマである)
 十年もつきあっているので、Maki 側の事情もちゃんと考えてくれるのだ。

 ひょうきん者でいつも冗談ばかり「言って」いるのだが、いったん整経機の前に立つと、写真のごとく真剣な表情に早変わり。
 経糸というのは普通、織師が自分で作るものだ。
 しかしMaki の経糸は、細さや色合いが繊細微妙なので、そう簡単にはいかない。
 パシウジャマのような鋭い感覚が必要なのだ。
 みなさんのお手許にあるであろうMaki ストールも、彼の存在があってこそ織られるのである。

 ところで、好奇心の旺盛なパシウジャマ。
 私ぱるばのパソコンやデジカメに、一番興味を示すのも彼である。
 ヒマになると後ろから画面を覗きこみ、そこに馴染みの職人たちの姿を見つけたりすると、嬉しそうに声をたてて笑う。
 そして写真を撮られて最も喜ぶのも、彼である。
 今もまたやってきて、画面上の自分の姿にご満悦。(ちょっと実物以上だな。ついでに画面上の日本語にイタク感心している様子)
 真木千秋よりひとつ年少。一昨年結婚して、一歳になる娘がいるのだそうだ。



4月16日 Mango & Mongami


 
私が今回インドにやってきたのは、ほかでもなくマンゴーに釣られてのことである。
 「果物の王様」マンゴーは、インドでもやはり別格な存在であるらしい。
 これは夏期に来なければ食べられない、ご褒美なのである。

 さて、たとえば、日本でとれるリンゴにも、大きいの小さいの、赤いの青いの黄色いの…と、いろいろある。
 マンゴーも同様だ。
 日本の十数倍の広さを持つ国ゆえ、マンゴーの種類もリンゴ以上かもしれない。

 数あるマンゴーの中で最高と言われるのは、アルファンゾという名の、大振りでオレンジ色の品種。
 イギリスのビクトリア女王も愛好したという、ネクタルのごとき濃厚芳醇なマンゴーだ。
 インド西部のグジャラート産で、四月後半から出回る。

 私は毎日、機場にマンゴーを持ち込む。
 そして、労働にいそしむ女たちを尻目に、おやつに食するのである。
 昨日食べたのは Pairi という小振りなマンゴーで、これは驚いたことに、味がアルファンゾとそっくりなのだ。
 ニルーが買ってきてくれたのだが、インド人の彼女も知らなかったという、南部マドラス産のマンゴー。
 これは皆さん、後学のために覚えておかれるといい。
 オススメ度は★★★★☆。
 最後のホシが白いのは、小振りだから。(マンゴーは食べるのがちょっと面倒だから、少しでも大きいほうが苦労が報われる。ちなみにアルファンゾを★★★★★とする)

 今日のマンゴーもニルーからもらったものだが(写真上)、やはり未知の品種らしい。
 (彼女は私へのマンゴーの供給を自らの責務と考えているようだ)
 赤・黄・緑と、なんとなくレゲエっぽい色合い。
 さていったいどんな味がするのかっ!?
 試食レポートはまた明日お伝えしよう。

 ところで、モデルになってもらった真木香の眉間に注目。
 よく見ると、二本ほどタテ筋が入っている。
 じつは彼女、あわれにもマンゴー・アレルギーなのだ。
 昔は私とともに浴びるごとく食べていたのだが、1996年9月のインド滞在中、突如アレルギーを発症したのである。
 爾来七年、インドに来てもまったくこの美果を口にしない。
 「こんな写真じゃなくて、仕事してるとこ撮ってよ!」という眉間のタテジワなのである。

*****

 さて、機場の傍らでは、紋紙職人のアスラフが盛んにトンカチやっている。
 この風景ももはや、日本ではほとんど見られないものであろう。
 紋織り(ジャカード)機で使う紋紙を作っているのだ。

 紋織りの手順は、まずデザイナーがホシ紙という設計図を作る。
 それをもとに、紋紙職人が厚紙で紋紙を作る。
 その紋紙を織師が紋織り機にセットし、織っていくわけだ。

 日本の織物業界では、おそらくコンピュータ制御の自動紋織り機が大勢であろう。
 しかし当工房の紋織り機は、非常に原始的な木製の手織機。
 コンピュータなぞとっても馴染まない。
 まだまだアスラフのカナヅチとノミが頼りなのだ。
 彼とのつきあいも、もう十年以上になる。

 彼の目の前にあるのが、真木香の手になるホシ紙。
 それを見ながら、目にも止まらぬ早さでツチを振るう。
 グレーの厚紙の上に金型を置いて、小さな丸形ノミで打ち抜くのだ。
 ひとつの打ち間違えも許されない作業。
 ところが、このアスラフ、ほとんど神業的な手際である。
 この道ウン十年のプロということもあろうが、ひとつには数学的思考にたけたインド的DNAのせいでもあろう。

 これは余談だが、数字に関するインド人の記憶力というのは、驚異的なものがある。
 オレなんか十年以上も乗っている愛車のナンバーすら覚えていないのに、たとえばデリーのホテルのドアボーイなんか、たまたま立ち寄るタクシーのナンバーまで全部そらんじているかのごとくである。

 というわけで、紋紙職人アスラフ。
 Maki お抱えのジャカード織師、ナイームワジッド、ニアズルも、この人がいないと仕事にならない。
 「コーズ」も「シャディ」も「アンデス」も、全部こうしてできあがってきた。
 ちなみに、今日アスラフがトンカチやっている紋紙は、ナイームの綾織りストール用。
 三種類の綾を使用した秋冬用の新作で、150枚ほどの紋紙が必要なのだという。



4月17日 諦念


 
なんだか夏休みの絵日記をやっているような気分だ。
 今日はわけても暑い。
 現在、朝の八時半だが、気温は四十度近いだろう。
 (でも暑いと蚊もいなくなっていい)

 真木千秋は、ここ数日、織師タヒールにつききりである。
 青山7周年記念ストールを織っていた職人だ。
 (ちなみに今回、AA7ストールは百枚で打ち止めらしい)

 一番のお気に入り織師シャザッドが、今回は休暇で不在。
 そこで、若いタヒールと一緒に新作をつくっているのだ。
 仮名「ニューふわふわ」という新作ストール。
 その一枚目が、今朝までにできあがっている…はずであった。

 ところが、朝来てみると、様子がおかしい。
 十センチも織られていないのだ。
 タヒールに事情を聞くと、「よくわからなかったから、やめたんだ〜♪」と、嬉しそうに言う。
 わからなかったなら、携帯電話もあるのだし、連絡をくれたらいいのに…!
 千秋は怒り心頭である。
 「シャザッドさえいてくれたら…」という思いが頭をよぎる。

 帰国を三日後に控え、彼女の頭の中には時間刻みのスケジュールが詰まっていた。
 (インドだから分刻みというわけにはいかない)
 朝のうちに「ニューふわふわ」実作の検分を終え、今度は別の機にかかっている生地の織り出しをタヒールとともに行う。生地の織り出しが終わったら、それを水通しして、冬用の服地として適するか検分する…。
 そうした目論見が、もろくも瓦解してしまったのである。

 ともかく、もう一度、指示書を手に、タヒールに指示を与える。

 C : ほらココは、パターンBよ。
 
T : パターンB !?
 
C : そう。パターンB! パターンA から変えたのよ。
 
T : そっか…
 
C : そう。八回打つのよ。
 
T : 八回ね。
 C : それからここも八回。ここも八回。
 
T : うん。
 C : さあ、言ってごらん。ここは何回?
 
T : 八回。
 C : ここは?
 
T : 八回。
 C : よろしい…。ここは十回よ。いい?
 
 
T : うん…

 という具合だ。
 この「八」という部分は、ヒンディー語で「アート」という。だから実際は、二人で「アート、アート」と言い合っていたわけだ。(このくらいのヒンディー語は千秋でもできる)

 素直に耳を傾けるタヒール。
 きっと改心して、今ごろせっせと織っていることだろう…
 …と思って、しばらくしてから見にいくと…
 いっ、いない!!

 近くで織っているワヒッドに聞くと、
 「ああ、チャイを飲みに行ったよ」とのこと。
 別の織師の報告によると、チャイ屋で嬉しそうにお茶を飲んでいたそうだ。

 「生地はもう諦めようかな〜…」と、更にショックの真木千秋。
 やっぱ「諦念」の国である。



4月18日 執念


 
昨日の某大事件であるが、なんとなく解決したようである。

 いったんは諦めかけた真木千秋であるが、やっぱり生来の往生際の悪さで、あれこれ次善の策を練る。
 タヒールにはアシスタントを張りつけて、とにかくストールを一枚織り上げてもらう。
 そして織師ユスフの機をやりくりし、自分はそこに張りついて、生地の織り出しを始めたのだ。

 宿に帰った後の午後七時近く、アシスタントのディーパックが二枚の布を部屋まで届けてきた。
 24歳になるこのディーパック君、Maki 専属の通訳兼アシスタントなのだが、昨日の某大事件の責任者でもあるので、がんばって仕上げてきたようだ。
 ストールと生地、二枚ともよく織れていた。

 右側がタヒールの織った「New ふわふわ」ストール。まだ水通しなどの仕上げをしていない、生機(きばた)の状態だ。
 昨年つくったオリジナルの「ふわふわ」ストールは白色であったが、今回は草木で先染めして、ベージュ系と茶系の二種類つくった。(写真はベージュ系)

 左側がユスフの織った生地。
 「織り出し」なので、様々なパターンで織っている。
 既に水通しをして、風合いを出しているので、これをもとにして、実作の指示を与えるわけだ。
 「でも織りっておもしろいよねえ。予想がつかないから」、と今さらのごとく真木千秋。「ヨコ糸を黒で打ったらあまりよくないんだけど、カーキにしたらよくなった」…。

 …というわけで、なにはともあれ、これもインドという国である。
 なにより諦めが肝腎なのであるが、また一方、諦めないで執念深くやっていると、どうにかなってしまうのだ。
 まことにフトコロの深い国であると言えよう。
 (諦念を極めるとマハトマになり、執念を極めるとマハラジャになる)

*****

 さて、機場のあるここカルギルは、首都デリーの西部に位置している。
 市心から車で40分ほどか。(もっとも最近はデリーも渋滞が激しいので、時間によってだいぶ違う)
 お隣のハリヤナ州に接する、のんびりした農村である。
 ここに工房ができたのは、今から三年半前のこと。

 Maki がニルーと仕事を始めた十数年前、工房はニルー家近くのムニルカというところにあった。
 その後、ニルー家の経営するTal Textile の成長に伴って、織り工房が市内に幾つか設けられる。
 Maki お抱えの職人衆十人は、そのうちムニルカとメローリという二つの工房に分散していた。
 その最初の工房ムニルカを舞台に十年前、ワヒッドを首謀者とするストが起こって、ニルーたちを震撼させたことは、拙著「タッサーシルクのぼんぼんパンツ」に述べた通りである。

 経済発展に伴って、都市化の波が押し寄せ、ニルーの工房も移転を余儀なくさせられる。
 まずメローリ工房が、七年前、デリー西郊のカパセラに移る。
 十人衆の中では、ジャカード機のナイームワジッド、ニアズル、フェローゼといった職人たちが引っ越しをした。
 そして三年半前、ムニルカから、ワヒッドシャザッド、イスラムディンといった織師たちが、カパセラにほど近いここカルギルに移ってくる。

 周囲は一面の花畑である。
 首都に生花を供給する近郊農業の地帯なのだろう。
 例のごとく、牛や水牛もいっぱいいる。

 写真中、右半分の白い部分が、メインの建物。
 そのメイン建物・左端にある白い四角の部屋が、Maki 用の糸倉庫だ。
 今私はその中にいて、キーボードを打っている。

 その右側には、ちょっとわかりにくいが、よしずが垂らしてある。
 その中にはタテ糸用の整経機などが据えてあり、Maki がいちばん多く時間を過ごす場所である。
 今も真木千秋と香が、布や糸に囲まれて、いろいろ作業をしている。

 メイン建物の右半分が、機の置いてある織り工房だ。
 夏期の暑気を防ぐため、壁は厚く、開口部はできるだけ少なくなっている。
 このほか、写真左端のレンガ色の部分も、織り工房だ。
 Maki 滞在中にはしばしば、近所のカパセラ工房からナイームやワジッドらも移ってきて、ここで仕事をしたりする。
 その裏に染め場がある。染師キシャンの仕事場だ。
 Maki スタッフの金森愛は、今そこで一緒に色見をしているようだ。
 もうひとりのMaki スタッフ大村恭子は、今日もデリー市内の縫製工房で仕事をしている。



4月19日 縫製工房にて


 
本日はスタッフの大村恭子にくっついて、縫製工房に行ってきた。
 五日ぶりのことである。

 十五日の日誌にもある通り、五日前にルンギ(腰巻)をひとつ作ってもらった。
 それがこの真夏の気候にすこぶる快適だったのである。
 この五日間は、どこへ行くにもコレのみで通した。
 ただ、ずっと同じのをつけるのも飽きるので、また別なのを作りたいと思っていたのだ。

 ニルー家の経営するこの縫製工房。
 義妹(弟ラレットの妻)アミータが取り仕切っている。
 ここにはMaki の衣を縫製する職人(テーラー)たちが五人いる。
 大村恭子は毎日、そこに通って仕事をしている。
 もう四年以上も同じ職人たちと働いているので、すっかり気心も知れているようだ。

 さて、布の倉庫に山をなす手織生地の中から、美しいのを三つほど見つけた私。
 マンガルギリ(極薄綿)二反と、綿カディー一反だ。
 それをさっそくチャーンに頼んで、裁断および縫製してもらう。
 
 チャーンというのは、大村恭子のお気に入りテーラー。
 繊細な感覚と優れた理解力の持ち主だ。(それに男前だ)
 機場で言うとちょうどシャザッドのごとき存在である。
 写真は、カディーでルンギを作っているチャーンと恭子。
 ミシン音の合間に二人の会話が聞こえてくる;

 K : チャーンって、ルンギをつけることあるの?
 
C : うん、あるよ。
 
K: へえー、どんなとき?
 
C : ウチで着るよ。
 
K : 家着なんだね。
 
C : うん、家に帰ったらサッと着替えるんだ。
 
K : …ところで、ルンギって、サイズ決まってるの? 布の幅とか?
 
C : 幅はどうかなあ…
 
K : 長さはどう?
 
C : それは決まってるよ、225センチ。
 
K : ふーん、225センチなんだ…
 P : えっ、225センチ!?

 この親密な会話の中に、なぜ突如 P が闖入してきたのか!?
 すなわち、私 P はヤマ勘で、200センチに布を裁断し、ルンギを作ってもらっていた。
 200センチでも日常生活に不自由はないのだが、ただ深く股を割ったときに、どうも窮屈な感じがしていた。
 それで思わず「225センチ!?」となったわけ。
 そこで今回は、マンガルギリを225センチに裁断し直し、ルンギに作ってもらうことにする。

 実は今、宿の自室に帰り、それをつけているのだ。
 やはり、股を割っても突っ張らないし、あぐらをかいてもゆったり感がある。
 着物を思わせる細縞の生地で、真木千秋も「ずるいな〜自分だけ」と、しきりにうらやましがっている。
 明日写真を掲載するかもしれないので、請うご期待!



4月20日 ニルー家にて


 
まずは昨日の写真なんだけど、この男の子はイシャーンという名前。
 ニルーの末弟ラレットの長男で、母親は縫製工房の女主人アミータだ。
 
 ついでにもうちょっと説明しよう。
 ニルーには三人の男兄弟がいる。兄のカムレッシュと、弟のウダイおよびラレットだ。
 そのうち弟ウダイとラレットが、ニルーの仕事に加わっている。
 詳しくは拙著に譲るが、かつてニルー自宅の一画で始めた手織の仕事が徐々に成長し、やがて次弟ウダイ、そして夫アジェイを巻き込み、更に末弟ラレットとその妻アミータが加わり、最近では義姉シルパ(長兄カムレッシュの妻)まで関わるという、複合家族産業にまで発展したのである。

 弟二人はそれぞれ家庭を持ち、デリー市内にあるニルーの実家に住んでいる。
 その実家の庭先にはマンゴーの巨木がある。
 ちょっと前置きが長くなったが、昨日、そのラレット家に立ち寄った。
 すると庭の芝生で息子のイシャーンが遊んでいる。
 今年九歳になるが、英語で教育を受けているので、私とも会話ができる

 P : イシャーン、なにしてるの?
 I : マンゴー拾ってるの。
 P : へえー、すいぶん小さいんだね。
 
I : うん、いっぱい落ちてるよ。
 P : あ、ほんとだ。
 
I : 木にはもっと大きいのなってるよ。ほら…。(と指さす)
 P : うん、なってるね。
 
I : もっと大きくなったら、ウチのおじさんにあげるんだよ。青いままで。
 P : それをどうするの?
 
I : おじさんが***にするの。(***はヒンディー語なのだが多分「漬物」)
 P : おいしい?
 
I : うん、おいしいよ。
 P : この小さいのは食べられるの?
 
I : うん、食べられるよ。ちょっとレモンっぽいけど…。待ってて、洗ってきてあげる。
(イシャーン、家の中に入り、しばらくして出てくる。手にした皿の上に小さなマンゴーがひとつ。きれいに皮をむいてある。P それをつまんで、おそるおそるかじってみる。確かに酸っぱいが、カリッとした食感が意外に爽快)
 
I : どう?
 P : うんおいしい。ちょっとレモンっぽいけど。

         
****
 

 さて今日は千秋&私のインド滞在最終日。
 今夕には機上の人である。(香およびスタッフ二人は明後日まで滞在)
 そこで朝からニルー家にやってきて、ニルーやアシスタントたちも含め、みんなで最後の打ち合わせだ。
 日曜だから夫のアジェイは暇みたいで、所在なげにリビングを歩き回っている。
 私もヒマだから、さきほど撮った写真を一枚掲載いたすとしよう。
 題して、『ニルー家のバルコニーにて』

 これが昨日作った、マンガルギリ製のルンギ(腰巻)である。
 昨晩はこのルンギと甚平の上衣で、インド古典音楽のコンサートに行き、レストランで食事をした。
 (「キミも変わった日本人だなあ」と同行のウダイ。…インド人もビックリ!?)

 写真の上衣は、やはりマンガルギリ製のシャツ。(Sorry! 非売品)
 涼しげでいいでしょう。

 ま、確かに活動的ではないんだけどね。
 階段を登ったりするときには、少々たくし上げる必要もあるし。
 しかしそんな余分な所作が、また優雅でいいわけだ。

*****

 あんまり腰巻談義ばかりだと「いったい何しに来たのか」と疑われるから、もうちょっとマジメな話を。
 真木香の手がけたストールから、二枚ご紹介しよう。
 いずれもナイームの紋織り機から上がったばかりの実作サンプルだ。
 一見わかりづらいが、真木香の腕から、二枚のストールが垂れている。

 左側は『ハニコーン』(蜂の巣)。
 ワッフル織とも呼ばれ、ベルギー菓子みたいな凸凹のある立体的な構造だ。
 シンプルなグレーに見えるけれども、様々な色を使い、いろんな服にあわせやすい。
 シルクのストールだが、秋にも使えるよう、タテ糸にウールが入っている。

 右側は『トウィル』。先日アスラフが紋紙を作っていた綾織だ。
 写真ではよくわからないが、ジグザグに斜めの綾が三種類入っている。
 縮む糸(ナーシ糸など)と縮まない糸(黄繭糸など)を配合し、縮絨によってふっくらとした風合いを出している。
 男女を問わず、秋の初めごろから。
 これもタテにウールが入っているから、ちょっと柔らかくて、巻きやすいタイプだ。

 …というわけで、今回の滞在もタイムアップ。
 あと一時間ほどで、空港に向かって出発だ!
 
 



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