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昨日作った経糸です。 パストラルというストールの、新しい糸使いと色合いになります。 ここまで来る行程も長いのですが…。 まず繭から手や機械座繰りで糸になり、植物染料でおのおのの色に染めます。 フクギの黄色などは昨年の3月に西表島に行った時や、その後、竹の家で染めたものもあります。 その黄色に8月の藍の生葉を染め重ねて、黄緑や緑。 生葉で染めた水色や、ビワのピンク、インド茜の朱色、ラックの紫など。 その糸を織り師の奥さんたちがギッタに糸巻きしてくれます。(左上写真) それからタテ糸整経(せいけい)。右上の写真は経糸を作り終えて、ビームに巻かれた姿です。 二重織りなので、タテ糸の段階では裏と表の糸が交ざっています。 そして既に今朝、ナイームが試織りを始めてくれました。 すごくダイナミックに作業が進んでいきます。 ヨコ糸に玉糸、黄繭、南インドの家蚕糸で、まず織り出してもらいます。左中の写真がその試織布。その下に見えるのが、ヨコ糸の指示書です。 |
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昨日はパートナーのニルーといろいろ話していたのですが、手織り、特に足踏みの織りはもう「消えゆくアート」となりつつある、と言うのです。 私たちの織は、大きく2つに別れています。 ひとつは足踏みの織り、もうひとつはジャカードによる手織り。 今日のナイームのタテ糸は、ジャカードです。 足踏み機でも似たような感じのものはできるのですが、足踏みの織りができる織師が今4人しかいません。 なので工夫してジャカードでもできるようにしています。 せっかくジャカードで織るなら、足踏みではできないような柄域にできるので、せいいいっぱい活用しているわけです。 確かに見回してみると、足踏みの織り師さんよりジャカードの織り師さんのほうが多いのです。 私たちの織り師さんたちはだいたい半々ですが。 ジャカードは作業が分担されています。 柄は紋紙に打ち出して、それを機の仕組みにはめ込んで、あとは一枚の板を踏んで柄がでてくるのを織っていけばいいのです。 もちろん緯糸が複雑だとそれなりにジャカード織りも複雑ですが。 足踏みの方は、綜絖(そうこう)に糸を通し分けて、織りの組織が出るように、何本もの足踏み棒を踏み分けながら、織っていきます。 その上、ヨコ糸を5〜6種類以上の杼(ひ)で織り分けていたりすると、足と手両方意識しなければならず、かなりの集中力と技術が要ります。 私たちの尊敬していた織師、ワヒッドも足踏み織り師でした。 ワヒッドの織りも、遠目には無地に近いように見えますが、実はあの中に綾織りやバスケット織なども入っています。 それを織りつつ、6本〜7本の異なる糸を巻いた杼をランダムに入れてもらっていたのです。 それでいて、あの打ち込み。ほんとうにすごい織師さんでした。 そんなワヒッドも引退して数年が経ち、その後、2〜3度ワヒッド織りと名付けて他の織り師さんで織りましたが、なかなか続かないのです。 ちょっとしたことで同じようにはならないので、新しい織りを新しい織師さんらしく織ってもらうほうが良さそうなので、いつの間にかワヒッド織が少しづつ遠いところにいっています……。でも諦めたくはありません。 面倒な織ほど、織師さんを激励しつつ、その織りがどんなに良いか伝えつつ、作っていきたいのです。(右下・注参照) この写真はジャカードですが、内容的にはジャカードと足踏み織りの中間に近いくらい、面倒なジャカードです。 でもこうやって、なんとかかんとか進めてくれる手の仕事の匠たち。ときどき改めて感謝の気持ちでいっぱいになります。 ほんとうにすごいなあ、と思いながら、今日も機場で一日すごしました。 |
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紋紙を替えているナイーム。 パストラルは6種類の紋紙を使用。 |
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ジャカード機で織るナイーム |
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注) 「ワヒッド織」は伝統的にあったわけではなく、25年ほど前ニルーが機場を始めた頃、彼は敷物を織っていた。 その技術と感覚の良さを見て、私たちが作ってみたい手紡ぎのタッサーシルクなどを織ってもらったのが始まり。 当初は太目の綿、次にもっと細い綿、ウール、麻、そして生糸をタテ糸とするまで10年ほどかかった。 |
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先日、ヤドヴィとアミータが機場の見学に来ました。 アミータというのは針場(縫製場)の女主人。そしてヤドヴィはその長女です。 私がこの仕事を始めた頃、ヤドヴィはまだ赤ちゃんでした。小さな小さな子なのに、赤ちゃんの時からおしゃべりでした。東洋人に馴染みがなかったみたいで、私のことを「チニ・アンティ」って呼んでました。中国のおばちゃん。という意味です。 そのヤドヴィも今19歳。ファッションのカレッジに通って、かなりみっちりと勉強している様子です。 服づくりには布が一番大切だと、彼女自身しっかりと感じているとのこと。その布がどうやって作られるのかに、今 一番興味があるのですって。 機場でも質問がなかなかおもしろかった。 「どうやって同じ繭から生糸と紡ぎ糸やギッチャーの糸がとれるのか?」 「タッサーのような野蚕と家蚕の違いは何?」 そんな素材への質問など、アンティ(おばちゃん)もとっても嬉しくなって、かなり張り切って数時間いろいろな講義をしてしまいました。おかげで声が涸れました。 本当は学外実習として、私の織物作りの手伝いをしたいとのことでした。 でも今年5月の夏休みの間ということで、その頃は耐え難いほど暑く、とてもインドで布作りはできません。 それで今回は無理ですが、いずれ私たちのアシスタントに…なんて考えたりするチニアンティでした。 |
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ヤドヴィとチニアンティ
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左端が母親のアミータ
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左写真、緑の糸の上に載っている小さな布が、秋の服地用の試し織りです。 昨日から織り出しが始まりました。(写真クリックで拡大) 緑もほとんどが、こちらで染めた糸です。 まず「テス」という花で山吹色のような色に染めてから、藍をかけて、少しこっくりとした緑。 そのほか、ざくろの黄土色に染めた上に藍で深緑。 いろいろな黄色に藍をかけて。いろいろな緑を出しています。 西表の福木で染めて藍だと、かなり澄んだ緑色になります。 それらはストールでだいぶん使っていますが、服地には強すぎるので少しだけ使いました。 緑は直接染めることができないので、ほかの色よりも手間がかります。 面白いのですが、大変。 それで、今まではストールに使うのが精一杯でした。 今回たくさん染めることができたので、緑の服地にチャレンジ。 |
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タテ糸は、バンガロール産の絹、ベンガルの黄繭、赤城の座繰り糸、麻も少し。 ヨコ糸はかなり複雑な「ミックス・ウィーブ」。 これは、太・細二種のナーシ絹糸やカティア絹糸、ギッチャ絹糸、緑に染めた家蚕糸を、幅3cm,5cm,10cm,8cmという風にすべて違った糸の組み合わせて、いろいろな織りを入れていきます。 以前にも赤系や藍系でミックス・ウィーブをやってきましたが、今回は少し厚みと重みを出すために、秋ですが少しだけ麻を入れています。 この布で、かぶりのワンピースやベストなどができる予定。 まだまだ秋は先ですが、今から織り始めないと間に合わないのです。 |
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今回は、一番難しい無地の布づくりにも挑んでいます。 昨年から竹の家で試織を始めていましたが、なかなか機場で織り出すところまで至りませんでした。 今回はもう待てず、来てすぐに織り出しを始めています。 今日は試織用のタテ糸、約8mを作りました。(左写真) タテ糸整経機にかかっている糸巻きは、上から、綿、タッサー絹紡糸、黄繭、黄繭。それぞれ先染めしてあります。 微妙に異なる色ですが、だいたいチャコール系。 下写真は、タテ糸の一部。上記のような様々な糸をランダムに並べ、全体的には均一感を持たせました。 これにタッサーナーシの細い糸を引きそろえて織り込む予定です。 たとえば、パンツやスカートに使える丈夫な無地の生地を作りたいと思います。そうすると、少し柄やテクスチャーのある上着にも合わせやすくなります。 今までは、ナチュラルウールとタッサーナーシなどでも作っていました。ウールが入るので、わりと秋深くに着るものでした。ただ、いつもすぐに売り切れてしまい、無地がもっとほしいとのリクエストもたくさん頂きました。 今回は、ウールの代わりにタッサー絹紡糸を入れた無地ができればと試作中です。 う〜ん… 無地は一見簡単そうで、いちばん難しいのです。 ねじりはちまきでがんばります。 |
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昨日ご紹介した織師ナイームの息子、タブレッジ。 ジャカードの機に就いています。 織っているのは、二重織りの布。 |
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右上は父親のナイーム。 タテ糸を巻いているところです。 左写真が、そのタテ糸。 今日作ったものです。 縞に見えますが、織り上がると、グレーの筋は沈み、あかねの縞がふくらんで、よろけます。 艸(くさ)というストールがありますが、それよりもう少しおとなしい感じの、テクスチャーのあるストールになる予定。 |
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さあ、誰でしょう? 実は織師ナイームの一人息子のタブレッジ。 今から十数年前、機場(はたば)が今とは別の場所にあった頃、ナイームは奥さん&小さな男の子と住んでいて、私一人のときはよくその部屋でランチを食べさせてもらっていました。 そのとき小学生だったタブレッジ。 数年前に機場で見かけた時はギョッとしました。 ナイームより背も高いし、何より立派な青年になっていて… でもそのとき、タブレッジはテーラーになったと聞いて、なんとも複雑な気持ちだったことを覚えています。 腕利きナイームの一人息子が織師にならなかったのはなぜかなぁ?と寂しい気持ちでした。 が、今回機場に来てみたら、タブレッジがジャカード機でタン、タン、タンタンターン!と織っているではありませんか。 結構リズム感があります。 まだまだ修業中ではありますがなんだか嬉しくなりました。 今日は紋紙を組み立てる作業を一生懸命やってます。 織ってるところの写真もまた撮りましょう。 いつか私たちのものも織ってもらう日がくるかもしるないなぁ…と思いつつ、ついつい日々、彼の織を覗いてしまいます。(写真クリックで拡大) |
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今日は機場行きはお休みして、宿でゆっくり仕事をしています。 私の滞在している部屋からは、空と鳥たちとこんもりとした森が見えます。 街中ですが、わりと広々とした空間が目の前に広がっていてます。 初日にお目にかけた赤やピンクの糸を巻いたのが上の写真。(クリックで拡大) それを使って一昨日、タテ糸を作りました。その記録が中写真のノートです。 そのノートを眺めつつ、ヨコ糸を思案しました。 茜で染めた赤系の糸に、ラックの赤紫の糸を合わせ、そこに補色の緑の糸を散らします。 更に、ムガシルクやタッサーシルクの生糸をところどころに入れました。 今までにやったことがない、4本ずつの細いタテ縞。 遠くから見ると少し紫がかった赤の無地のようですが、近寄ると紫、茜、朱がランダムに細い縞を作っています。 透明感のある糸なので、ヨコもごく細くて軽い仕上がりにしたいなぁと、思い描いています。 ヨコは限りなく可能性があるので、私もワクワクしています。 織るのはシャザッド。 織り始めたらまたレポートします。 今回はまた、同じシャザッドの格子を作りたいと思ってインドに来ました。 今日じっくりと向かいあうことができたので、それもできそうです。(下写真) 太細の微妙な直しができたので、良いのが織れそう。 後は機場で感覚を研ぎ澄まして一本一本選ぶのが仕事。 |
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「日本で言ったら、だいたい五月の連休くらいの暖かさかしらね?」 インドに到着したばかりのスタッフ大村恭子と、そんな言葉をかわしました。 本当に気持ちの良い機場(はたば)での一日でした。 今日は日曜日なので、少し遅く到着。 上の写真は機場に着いたときの感じ。 みんな日なたぼっこしています。 経糸職人のパシウジャマは、織師ナイームのジャカード機の糸綜絖(そうこう)を組み立てています。 右側に立っているのが織師シャザッドの奥さん、シャザッドとなんだか雰囲気が似ていて、クールな感じです。息子のサルバラージ(弟)はずっとひとりで遊んでいます。どうやら、木っ端に釘を打ちつけて何かを作っているようです。木っ端は機(はた)を製作した時の端材です。 今日のタテ糸は織師ユスフ用の「バーク」。 春用にモトカ紬の細い糸を何本か引きそろえて筋にして、そのほかは福木の黄色、藍の生葉の水色やその2色を重ねた黄緑、薄青緑、薄カーキなど。 楽しい色合いで、わりとはっきりとした縞にしました。 ヨコ糸に、紡ぎたてのカティア絹糸を浮かして織るのでチェックのような見え方になる予定。 幅をかなり狭くして、長めの細長い春のストールになります。 お楽しみに! |
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いつからか、朝一番の太陽礼拝と、気持ちのよいヨガのポーズいくつかが、私の日課になった。 2000年から始まったからもう9年。自分でもびっくりしてしまう。 それが面白いことに、インドに来ると何かが違う。 冬だと日本より暖かいから体が動いてやりやすいからかな?と思うのだが暑い夏もやはりこちらは何か違う。 空気かな?窓から見えるもやもやした風景かな?など、考えてみるがそういうことではないようだ。 ……頭の中が違うような?何か考えさせない?ようなのんびりした波動があるような気がしてならない。 インドの持つおおらかなバイブレーションがゆったりと流れていて、人々はその大きな懐の中に生かされているような……。 だから、できないことはできないけれど、あまり誰も気にしない。存在に身を任せるのが普通なのだ。 そんなわけで、私の毎朝のヨガも平和で、その後のお茶もおいしく、そんなふうに一日が始まる。
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