Project Henchikurin Project Henchikrin BambooHouse" 竹林精舎2001,, BambooHouse Project Henchikurin Project Henchikurin

竹林精舎(Bamboo House)
東京西多摩、秋川の清流を見下ろす崖上
築二百年の農家を舞台に展開する真木テキスタイルのスタジオである。


  8月9日 藍の生葉染め

 また今年も藍の生葉染めシーズンがやってきた。
 例年のごとく、隣町に住む農夫の船附クンが丹誠込めて育てたタデ藍。
 彼いわく、今年は牛糞を施したのでなかなか育ちがいい。おそらくは全国でも珍しい有機栽培の藍なのである。(染まり具合がどう違うのか知らぬが)

 
 十日後にはインドへ旅発つので、そのための糸染めだ。
 今年は新顔を染めてみる。
 昨年11月の記事赤城の節糸にもある、繭から引いた絹の座繰り糸だ。

 実は今年の初夏、真木千秋が上州・赤城へ行って習ってきたのだ。
 それをスタジオのスタッフに伝授して、せっせと引いた自家製の糸である。(ま、繭は買ったのだが)。糸引きの模様はまた追ってお伝えしよう。

 今日はそうした糸をまず小さなカセに巻き分ける。(写真左)
 右側の写真が染める前の節糸。ほのかなクリーム色をしている。


 よく見ると、昨年もこの模様はお伝えしたようである。
 そちらも参照しながら見ていただきたい。

 ミキサーでしぼった藍は抹茶のよう。
 ただし味はまさに青汁である。(飲んだことはないが…)



 染液から出したての糸はやはり抹茶色をしているが、それを空気にさらして酸化させると、徐々に、たちまち、青味を帯びてくる。

 右写真に、糸カセが二本写っている。
 右側のカセが、液から出しておよそ二分後。上の写真と比べると色の変化がわかる。
 左側のカセが、およそ十分後のもの。酸化が進んでかなり青味が出ている。

 こうして染められた糸が、秋冬のストールに織り込まれることになる。

 今年は藍草がたくさん採れたので、藍建てに挑戦!
 二階の元「蚕室」に干して、スクモを作ろうというわけ。
 藍建ては約十年前に一度挑戦して失敗している。
 誰かエキスパートがいたらご教授を請う!!


8月17日 真木テキスタイル de Kimono


 当スタジオの生地で着物ができた。
 さっそく試着してみたその様子を、どうぞご覧いただきたし。

 この着物は、つい先日、岐阜・多治見のギャラリー『ももぐさ』から届いたもの。
 『ももぐさ』では今年5月、真木テキスタイルの展示会が開かれた。
 ご観覧になった皆さんも多かろうと存ずるが、それはなかなか力の入った催しであった。
 その折に、当スタジオの生地による初の着物が展示されたのである。

 話は昨年秋に遡るが、『ももぐさ』展示会の企画中、女主人の安藤明子さんから、「着物用の織物をお願いします」という話があった。
 衣をデザインする明子さんにとって、日本の着物は大きなテーマであった。
 真木千秋もかねてより和装用の織物に関心を抱いていたので、それではやってみましょうということになった。

 そうして冬にインドへ出かけたわけだが…。
 千秋いわく、これほど苦心した布づくりも今までなかった。
 すなわち、着物地であるから、強く、美しく、かつ着心地が良くないといけない。
 そこでデリー工房随一の織師ワヒッドを起用し、試織に試織を重ねる。
 構造的には単純な平織が最適に思えるが、その平面的な構成の中に、いかに奥行きを持たせるか…。

 そのためにはまず、様々な素材を織り込むことだ。
 タッサーシルクの生糸や絹紡糸、ナーシ糸、赤城の節糸、中国柞蚕糸、ムガ蚕糸、バンガロール節糸…
 こうした絹糸を様々に組み合わせて二本、三本と引き揃え、杼に入れて、試行錯誤を繰り返す。
 最終的に八本の杼を使い、さらに打ち込みにも工夫を加え、二反の生地を織り上げた。

 そのうちの一反を用いてできたのが、この着物。
 見た目には単純だが、これほど複雑な織物は真木千秋もつくったことがないという。


 私ぱるばは寡聞にして (いつもそうだが)、そのような織物の存在を知らなかった。
 今春『ももぐさ』を訪なった折、着物の姿をとったこの織物を目にして、我にもあらず慾心が芽生えたのである。
 それで明子さんにお願いしてつくってもらったというわけ。

 ついでに言うと、併せてつくってもらった長襦袢が、またすばらしい。
 綿麻交織・生成の三河木綿 。
 長襦袢だけで外を歩きたい気分。

 さらに言うと、今日の帯。
 これはアフリカの織物「カンテクロス」に想を得た、細幅の布。
 インドの壺底(モトゥカ)シルクとタッサーで織られている。
 これが帯にちょうど良かった。

 というわけで、試着はおしまい。
 またお目にかかるまで、御機嫌よろしゅう。

     着付&Photo by 岩崎香織  
ヘアメイク by 近所の床屋  




8月28日 インド便り  

 現在、インド・デリーで布づくりに励んでいる真木千秋から便りが届きました。
 ちょっとご紹介いたしましょう。


 昨日の朝、ニルーとアジェイ(注・真木千秋のパートナー夫妻)と待ち合わせして、彼らの農園に育ったインド藍の仕込みに行ったのよ。
 それがすごく良く育っていて、ちょうど今が刈り取りの時期、という感じだったので、全体の50分の一くらいかなあ、刈り取って泥藍づくりの仕込みをしました。
 カメラを持ってこなかったので、明日にでももう一度行くときにはニルーにカメラを借りて、写真をとってきます。

 明日か明後日には多分もう藍の成分が出つくしていると思うので、泥藍づくりを教えに行きます。
 といっても私も昭子さん(注・西表在住の染織家)に習って、初めて自分だけでやってみるということなんだけど。
 何回もやっているのでさすがにできると思います。

 それにこの太陽。泥藍づくりには本当に持ってこいです。
 竹の家には船附くん(注・隣町在住の農夫)がほとんどの蓼藍を刈り取って持ってきて干してあるそうだし…。
 藍、藍、藍 の真木テキスタイルスタジオです。なんとかスクモづくりも成功させないといけない。誰か教えてくれる人いないかしら?

 このインド藍の種は、一昨年と去年、西表に行った時に昭子さんからもらってきた種。
 私たちが染めるときに刈り取った木からもらってきたものです。
 インドに持ってきて一年目はそれほど良く育たなかったけど、今年はものすごい勢いで育っています。
 西表のも元気だけれど、お里帰りしたインディゴはやっぱりインドに合っているみたい。

 ニルーも超はりきっていて、量も結構あります。西表よりも多いくらい。
 今度は、ベンガル地方・ガンジス流域の肥えた土地で、インディゴ畑を作ってもらうという構想。

 このあいだニルークマール展に出品した、カンタ(刺し子)があったでしょう。
 あれはベンガル産なんだけど、そのベンガルから来ている織師さんたちが工房に何人かいます。
 その織師さんたちに、デリーでとれた種を渡して、育ててもらおうというわけ。

 そして2,3年後には、またうちの店で"Indian Indigo from Japan"「帰ってきたインド藍」というタイトルで展示会しよう!!だって。
 なんでもベンガル地方のその織師さん達の年寄りは、昔イギリス統治時代に藍作りをしていたとかで、藍さえ育てれば、やりかたも教えてくれる人がいるだろうとのこと。
 おもしろいね。インド藍復活なるか?

 ニルーにとって今回の日本旅行は本当に刺激になったようです。



9月20日 里帰りしたインド藍  

 先日お伝えしたインドでの藍実験。
 やっと写真ができてきましたので、ご紹介しましょう。
 これは八月末、インドでのお話です。
 

 西表島でわけてもらったインド藍の種。
 インドのデリーへ持っていって、ニルー家の農園に蒔いてもらいました。

 昨年も試したのですが、あまりうまく育たず、今回が二度目の挑戦。
 蒔いたのは今年の二月ころ。
 ちょうど日本の四月頃の気温で、乾期に当たるため、毎日せっせと灌水をおこなったそうです。
  
 半年余りたって来てみると、ほれこの通り。私の背よりも高くなっています。
 高さばかりでなく草勢も旺盛で青々しています。
 さすがに「インド」藍です。

 写真でもうかがえると思いますが、日本の藍草とはだいぶおもむきが違います。
 日本のはタデ科の一年草。こちらのはマメ科の小灌木です。

 さっそく藍を仕込んでみます。
 西表で習った泥藍です。

 藍草を刈り取り、ポリバケツの中に押し込みます。
 水をひたひた位に入れ、上から重石で押さえつけます。
 そして一番暑そうな日向に出しておきます。
 日中は40度近くありますから、発酵はどんどん進みます。

 今回は四日目に次の作業。
 ポリバケツの周囲はものすごい匂いです。
 でも藍の匂いと思えば、我慢もできる…(かな)。

 重石を外して、藍草から汁を搾り出します。(写真)

 そのときの液で染めてみたのが右側の写真。   
 藍建ての前のいわば「生葉染め」なのですが、自然発酵を経ているので、五日市でやった生葉染めに比べると、かなり濃い色が出ました。
 糸はマルダシルク。

 さて、泥藍づくり。
 その搾り出した液に石灰を加え、よく撹拌します。(写真左…後ろでお茶を手にしているのはニルー)
 そうして二〜三日おいておくと、藍の成分が分離沈殿してきます。
 注意深く上澄み液をこぼすと、底に残るのが泥藍。
 その名の通り、深いブルーグレーの「泥」です。

 今回の実験はここまで。
 この泥から藍を建てて染めるのですが、それについてはまた今度、お伝えしましょう。
 上の記事(8月28日)もご参照ください。



11月5日 焼き芋大作戦  

 このたび、竹林で「秋を楽しむ会」という催しがある。〈11月17日(土)、18日(日)、19日(月)〉
 もう案内状をご覧になった方はご存じだろうが、そこに「ほかほか焼き芋もあります」と書いてあるわけ。
 これは真木千秋が自らの食い気から半ば独断的に企図し、「あとはよろしくネ」と私にお鉢が回ってきたものである。(これは当スタジオによくあるパターンなのだが、けだし、ものごとの始まりというものは、えてして、かくのごときものである)

 晩秋を迎え、火遊び大好きな私(ぱるば)としても、こういう企画は苦しゅうないのだが…、う〜ん、焼き芋かぁ…。
 思い起こせば、かつて草木染めの折、カマドの隅っこに二つ三つ薩摩芋をころがしておいて、糸や布を染め上げた後、夕暮れの冷気の中で食ったものだ ― ほかほか焼き芋
 しかしながら、二つ三つじゃとてもご婦人方の食欲に応えられまいし、カマドの隅にころがっていた芋は、ときとして半ば黒こげに炭化していたものだ。
 案内状にまで印刷されている「ほかほか焼き芋」が、黒こげじゃあちょっと困るのである。
 そこで私は近所の友人たちに聞きながらリサーチを始めたわけ。

 私の心中には、街で引き売りしている「石焼き芋」が去来するのである。せっかく焼くなら石でやりたいもんだ…。
 というわけでたどり着いたのが、ご覧の方式。
 釜にあたる部分は、隣町在住の農夫船附くん提供になる、縦切りのドラム缶。
 その中に、建材店から買ってきた玉砂利を四袋入れる。
 たきぎは竹林にいくらでもあるから、さっそく試し焼きをしてみた。

 で、わかったんだけど、最初から芋を入れておくと、石の温度にムラがあって黒こげになりやすい。
 だからまず、一時間半ほど強火で石を焼き、あとは火を弱め、石をかきまわして温度を均等に保ちつつ、残熱で芋を焼くのがいいみたい。そういえば焼き芋屋のおじさんたちも、よく石をジャラジャラかき混ぜてたなあ。
 かくして焼き上がったほかほか焼き芋は、当スタジオの女性スタッフのあいだでもかなり好評であった。
 「楽しむ会」当日には、八重山直送の紅芋なども焼いて進ぜるので、請うご期待! (あんまりご期待されるとプレッシャーになるんだが…)

11月9日 シイタケ  

 秋も今頃になると、私(ぱるば)には一刻の油断も許されないのである。
 なんとなれば、ある菌類が竹林で盛んに繁殖活動を行うからだ。
 それはいうまでもなく、シイタケだ。

 あっ、ここでちょっとウンチクを傾ければ、シイタケというのは、じつに摩訶不思議な生物なのである。
 みなさんの知っているあのキノコは、じつはシイタケなる生物の一変化(いちへんげ)に過ぎない。
 シイタケの実体とは、朽木内に充溢している無形の生命体なのである。
 それが春秋の一時期に、胞子を発散すべく、自らの一部をキノコとして外側に顕現させるわけ。それが我々の知っているシイタケなのである。
 いわば我々はシイタケなる生物の生殖器を食っているようなものだ。
 (もしかしたら我々人間も、「顕現したシイタケ」なのではないか!? と思う今日このごろである)

 さて、竹林内のシイタケ。これは私が二年半ほど前に、種をつけたもの。
 ホダ木はクヌギ。養沢在住のきこりのおじさんから譲ってもらったものだ。
 それが去年の秋ごろから、キノコを出し始めたわけ。
 特に雨の後など、この写真のごとく、どっさり採れる。
 そしてこれがまたウマイのだ。味が濃厚。
 「秋を楽しむ会」でも味わってもらいたいと思っているのだが、さてどのように料理するか!?



11月14日 翁の日々  

 「竹の家で秋を楽しむ会」を三日後に控えて、最近はこればかりである。
 すなわち竹切り。
 けんちん汁の椀に使うのだ。
 ま、その辺の椀を使ってもいいのだが、「竹の家で…」と謳っているからには、やっぱり竹を使おうではないかっ!! というわけで、誰にも頼まれないのだが、ただひとりせっせと竹を切る。こういうどーでもいいことばかりやっているから(当HP編集も含め)、当スタジオにおける私の地位は極めて低いのである。

 ここの竹林は100坪ほどもあるのだが、日照問題や雪害問題があって、100本ほど切ることになった。
 ただ切るだけじゃもったいないから、椀やカップを作って、当スタジオを訪れる人にせいぜい使ってもらおうというわけだ。使った椀は進呈申し上げるので、ま、たいした代物ではないが、記念にでも…

 そういえば昔、竹取物語ってあったなあ。竹取の翁(おきな)ってのがいて。
 ある日、竹を切りに藪に入ると、ぴかぴか光る竹があって…。
 そーゆー僥倖にはまだあずかってないなぁ、オレの場合。


12月2日 事後報告竹の家で秋を楽しむ会その他…

 う〜ん、ウカウカしていたら師走に突入してしまったが、思い起こせば、今を遡る二週間前、「竹の家で秋を楽しむ会」なる催しが行われた。
 これは文字通り、けっこう楽しかったのである。
 みなさん、よくぞ東京のカシミールまでお運びただいた。(お隣の檜原村がまたの名を「東京のチベット」と言うので…)

 で、例の焼き芋大作戦であるが、これはまずまずの合格点であった。
 しかし、野天で焼き芋ってのは、なかなかタイヘンなものがあるな。
 自家のだけ焼くなら楽しい火遊びで済むのだが、一日中焼いているといいかげん飽きてくるものだ。煙でいぶされて、まさにスモーク・サーモンの心境。おかげで晴着を着てホストを相務めることもできなかった。だから来年はもうやらないかもしれないな。(そもそも来年というものがあったらの話だが)
 でも焼き上がった芋は大方において好評だったのでよかった。
 (写真は特別イベント「真木雅子・カゴ編み講座」のひとこま。)
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 というわけで、いにしへの出来事について書くというのは、なかなか難しいことだ。
 今じつは私、成田空港のASKAラウンジにて、インド航空AI301便の搭乗を待っているところ。
 おそらくは海外出張に向かうのであろうビジネスマンらの群に交じって、お茶を飲みつつ、これをしたため、やがて電話につなげてupしようと…。
 あっ、電話のモジュラーケーブル忘れたっ! (ださ〜)

 あわてふためき、受付のお姉さんに相談に行ったら、搭乗券と引き換えで貸してくれた。(その上、東京23区内だったら無料で電話接続できるらしい)
 う〜ん、世の中、まんざら捨てたもんじゃない。

 ともあれ、これからインドへ行ってまいります。
 帰国は来年になってから。
 みなさん、よいお年を!


竹林日誌1999-2000/竹林精舎日誌「建設篇」/ホームページ