ぱるばのMaki的日記 1999
明けましておめでとうございます。
あっ、ちょっと遅かったかな!?
ホームページ担当の田中ぱるばです。
三日前、真木千秋がインドより帰国したので、やっと始動という感じなのです。
今、夜の七時半。
リビングにある薪ストーブの火を見ながら、これを書いています。
真木千秋はキッチンでスープ・スパゲティを作っています。といっても、同じ部屋なのです。つまりLDK、リビング・ダイニング・キッチンなわけ。
スープを煮るコトコトという音とともに、トマトとニンニクの匂いが漂ってきます。あと十五分ほどでできあがりです。南米チリの赤ワインを飲みながら、待っています。
さて、明日からは、地元五日市での展示会。今年でおそらく五回目かと思います。
地元での展示会ゆえ、地元スタッフが張り切って準備しています。
五日市の中心街、檜原街道の中ほどに、「内野屋」という老舗の菓子屋さんがあります。展示会場は、その内野屋さんに併設された小さなギャラリー。アットホームでいい感じです。
これはヒミツなんだけど、この地元展に来ると、ちょっと得することがあります。青山店も含め、他の展示会には出ないような、お買い得品があるのです。ちょっとした難あり品とかね…。もちろん実用には何の差し障りもないんだけど、正式な展示会には出せないようなものが、割引価格で出たりします。
ま、五日市までの交通費と所用時間を考えると(都心からだと片道890円、約2時間)、みなさんに「ぜひいらっしゃい」とは言い難いんですが…。夏場なら、ハイキングがてらに来てもらってもいいんだけど。
あっ、そろそろスパゲティができるみたい!
それでは今日はこの辺で。
明日も何か書くかもしれないので、またチェックしてくださいね。
明けましておめでとうございます。
あっ、これ、きのう書いたか。
今、夜の九時。やっぱり薪ストーブにあたりながらこれを書いています。
薪ストーブには、大いにあたる必要があるのです。
というのも、今日の午前中、薪をとりに行ってきたからです。
先日、真木テキスタイルの事務所の近所に、大木が切り倒されているのを発見したのです。
土地の人に聞いたら、「ああ、もってっていいよ」と言うので、祝日の今日、友人二人と軽トラックを駆って、とりに行きました。
往復すること三回、手足をすりむきながら、およそ一トンほども運んできたでしょうか。
これからヒマを見ては、電動ノコで輪切りにし、斧で割って、蓄えます。来年の今ごろには、このリビングを暖めてくれることでしょう。
薪運びが終わるころ、雪になりました。
今日は、じつは地元・五日市展の初日。雪空をついて、たくさんの人々が来てくれました。
ところで昨日「Chiaki・ParvaのThis
Week」に掲載した当スタジオの電話番号、まちがっていたのです。今日来たお客さんに指摘されました。ちょうどパソコンとPHSを持っていたので、その場で訂正しました。(ウ〜ン、われながらハイテク!)
見ている人、いるんですね。気をつけなきゃ。
それからもうひとつ、みんなで雪の中、秘密プロジェクトの下見をしました。
なかなかおもしろそう。
これについては、また時期が来たらお知らせしましょう。
昨夜は真木テキスタイルスタジオの新年会がありました。
二月の半ばに新年会ってのもちょっとおかしいのですが、真木千秋の帰国が先日の日曜だったので、今まで待っていたというわけです。
会場は五日市の寿司屋『魚冶』。この寿司屋さんは、当スタジオと大の仲良しです。旦那さん、奥さん、息子、娘、一家そろって毎年当スタジオの製品をたくさん買ってくれます。店内のそこここにMakiの布があしらわれています。高校生のお兄ちゃんなんかMakiの服を着て学校に通うほどです。ユニークな家族なんです。
だから(かどうか知らないけど)、ここの料理はセンス抜群。私なんぞも、独身生活を楽しんでいるときには、よくここに来てご飯を食べさせてもらいます。
昨日の宴会、出席したスタッフは計11人。出席率85パーセント。ひとりが休暇で旅行中、もうひとりパートさんが子供の発熱でお休み。お母さんってのは、いろいろたいへんなものです。
青山の店も五時で閉め、スタッフの大村恭子がはるばるかけつけてきました。ただ立川で電車がなかなか来なくて、40分ほど遅刻。でも若いからいいでしょう。青山店長の大久保さんは、当日、五日市勤務ということで、昼からこっちに来てもらいました。
というわけで、みんなで、魚冶のおいしい刺身とか、茶碗蒸しとか、うなぎとか、天ぷらとか、寿司とか、シャーベットとかを食べたのでした。
パーティ大好きのMaki Textile でした。
今日は例によって、写真家の樋口クンを招いて撮影会。
何を撮影するかというと、DMに使う写真など。
真木テキスタイルのDMはけっこう評判がよく、収集している人もあるとか。そんなDMの写真は、このような機会に撮影されるわけです。
集合時間は朝の十時。樋口クンは例によって軽のワゴンに機材一式を積み込んで、はるばる甲府盆地からやってきます。
真木千秋は例によって遅刻。でも今日はわずか25分の遅刻で済んだので優秀。最近、覚醒が深まってきたのでしょう。樋口クンはとっくに到着し、クルマの中で缶コーヒーを飲んでいました。
さて今日の撮影場所は、近所にある農家の竹林。(写真左)
孟宗竹がにょきにょき生えて、どうです、なかなかの雰囲気でしょう。
モデルになっているのは、当スタジオスタッフの大村恭子。もちろん素人モデルですが、背筋がピンと伸び、動きも自然でなかなかのもの。樋口クンも「いいモデルだ」と誉めていました。
この大村恭子の着ているは、藍で染めた真南風(まーぱい)の衣。なんとなくかぐや姫みたいですね。
いずれみなさんのお手許に、本日撮影の写真の入った案内状が届くかもしれません。お楽しみに。
ところでこの竹林、どうやら真木テキスタイルスタジオに縁がありそうなのです。いずれもっと詳しくみなさんにお伝えすることになるでしょう。(竹を切ったら小判が出てきたとかね)
今、青山の店にいます。
明日から展示会なので、今、真木千秋を始め、店長の大久保すみ子、スタッフの石田紀佳や大村恭子が展示作業をしています。
展示会のテーマは『春を重ねる』。
なんだかよくわかんないタイトルなので、下手人の石田紀佳に話を聞いてみました。
何を重ねるかというと、布を重ね、色を重ねるということ。
シルク100%の透ける素材に、インドや西表の草木で染をほどこす。
インドではザクロや藍、西表ではスオウや藍、車輪梅やアオキ、ログウッドなど。(写真上・左右)
この西表で染めたシルク草木染ストールが、まさに目も彩な亜熱帯の鮮烈色。今まで真木テキスタイルではお目にかからなかったような、深紅とか、スカーレットとか、橙色とか、赤紫とか、暗紫色とか…。最近流行のオーラソーマみたいな透明な輝き。ヒーリング効果もあるかも。
それからインドから到着したばかりの新作ストールがいくつか。
まずは真木千秋のデザインを名手ナイームがジャカード機で織ったもの。中国タッサー大篠糸を織り込んだ、光沢のある薄手のストール。紺をベースにした渋みのある色合い。(写真左)
ただし、名前がまだついていない。新作ができるといつも苦労するのがネーミング。この新ストールに関してもみんなでさんざん頭をひねったんだけども、いまだ名無しの権子。みんな想像力に乏しいんだよね〜。何かいい名前を考えてくれた人には、一枚進呈! (な〜んて勝手なことを書くと真木千秋にどやされるか!?)
そのほか「マルダ」や「グラデーション」、「真夏」の各ストールにも新顔が登場。
服に関しては「チュニック」と呼ばれるロングベスト、そしてノイル空羽の「マオカラー」がお目見え。(写真右/左側がマオカラー、右側がチュニック)
今回特筆すべきは浅野さんという縫製屋さんの登場。彼の仕事により、当スタジオ製品の縫製水準がぐっとアップ。
またインドでは大村恭子が縫製担当として奮闘し、インド側パートナー・アミータ(ニルーの義妹)の努力もあって、今までより美しい仕上がり…。
ここまで書いたところで、驚くべきインフォが!
なんと、DMがお客さんの手許に、まだ届いてないのだ!
9日に投函したはずなのに!
情報を総合すると、いちばんの責任者は佐川急便。
今から九日前の2月9日のこと。佐川の運転手H氏が五日市オフィスに盛んに営業をかける、「そちらのDMを当社にお任せください」
そこでオフィスのスタッフが信用し、郵便局に投函するばかりになっていたDMを託す。
それによって佐川に手数料が入るらしい。
ところがそのH氏が取り扱いを間違え、DMは佐川営業所内に棚ざらしになる。
それが今日、発見されたというのだ!
佐川からの連絡によると、今日それを郵便局から出したということ。
う〜む…。
展示会は明日からなのに。(2/19〜)
それで急遽、会期を3月7日まで延長することにする。
こんなの初めて。
話がまとまりましたので、まずはご報告です。
ここ五日市には、アトリエとスタジオ(兼事務所)の二つがあります。
アトリエは三年ほど前に養沢に完成したもので、なかなか立派です。(でも住居兼用なので残念ながら非公開です)
ところが、スタジオの方が古〜いアパート四間で、ちょっと人にお見せできるような代物ではありませんでした。
そこで二年ほど前から、どこかにいい場所はないかと探していたのですが…。
一月ほど前、現スタジオのすぐ近くに、おもしろい物件が現れたのです。
百年以上も前に建てられた農家で、敷地面積がなんと600坪もあります。美しい孟宗竹の竹林があるので、今は竹林ハウスと呼んでいます。(この40センチ上↑にある「竹林撮影会」も、じつはそこの屋敷を借りて行ったのです)
家自体はかなりボロボロで、使えるかな〜とかなり危惧したのですが、各方面の専門家に見てもらったところ、どうやらOK。
そこで昨日、大家である小峰さんと契約を済ましたというわけです。
そしてここを真木テキスタイルスタジオに変容さすべく、プロジェクトが始まります。
それについてはまた逐一、ご報告いたしましょう。
お楽しみに!
今、石垣市にいます。沖縄の八重山諸島。緯度でいうと台湾北部と同じです。外は雨模様でちょっと蒸し暑いので、クーラーをつけたりしています。
今日はここで真南風のプレゼンテーションがありました。場所は市内の「アトリエ游」。八重山の舞踏家・新城知子さんのホールです。
真南風のプレゼンテーションは、昨年の東京青山、ニューヨークに次いで、三度目。真南風のふるさと八重山にお里帰りです。
今回のイベントに対する真木千秋の入れ込みようは尋常ではありません。既にこの1月、インド・プーナにいるときから、「ぱるばも3月には八重山に行くんだよ」と、こっちの予定も聞かずに決められてしまったのです。
当スタジオからは、真木千秋と私のほかに、プロジェクトマネージャーの石田紀佳、青山店長の大久保すみ子、期待の新人・大村恭子が八重山入りするなど、強力布陣。真木テキスタイル引っ越し公演のごとき様相です。
真南風のパートナーは、西表・紅露工房の石垣昭子さんと、葉山・afaの真砂三千代さん。この二人とはこちらで合流して、今日はここアトリエ游でファッションショーです。
あいにくの雨にもかかわらずたくさんの人々がつめかけ、会場は満員札止め。
モデルたちは全部で十五人。そのほとんどが、ここ石垣の地元の人々です。歴代のミス八重山が何人も含まれていたそうで、モデルぶりもなかなか堂に入ったもの。(ホントは私も男性モデルで出演する予定で、昨日はリハまでしたのですが、直前になって報道班に格下げ? 格上げ? になる。う〜ん、残念!)
ファッションショーは明日もう一度あります。今日以上の人出が予想されるので、見たい人は開演の30分前までに来てくださいね!
行き方は、東京からだったら羽田空港から飛行機に乗って、石垣空港下車。タクシーで十分です。五日市に来るより簡単!
今日はファッションショーの二日目。
昨日とはうってかわっての晴天。でも適当に風があって、暑すぎることもなくて快適。
昨日私は舞台裏にいて特別アングルからの写真を撮っていたので、ショー自体は見られませんでした。そこで今日は客席の一番後方に椅子を置き、その上に立ってショーを見ることにしました。
昨日のショーの模様が八重山毎日新聞の一面にカラー写真入りで紹介されたこともあって、昨日以上の客入り。
モデルの人たちも二日目とあって、だいぶ慣れてきた感じです。写真右手上が舞台。石垣金星氏と真砂ヒデアキ氏による音楽をBGMに、モデルたちが花道を歩いて衣を披露します。写真のモデルは当スタジオスタッフの大村恭子。別にうちのスタッフだからここに登場させたというわけではなく、今日撮った写真の中でたまたま一番よく撮れたというだけの話。(しかし写真うつりの良さも実力のうちか!?)
今、鹿児島市のギャラリー「壺中楽」にいます。
先週の月曜日、西表島に渡り、五日間、紅露工房に滞在。
新たな構想を練ったり、植物学者・花城良廣さんの案内で西表の植物を勉強したりの日々。
残念ながら天気があまりよくなく、海水浴はできませんでした。
そして昨日の夕方、石垣島に戻り、ファッションショーの会場でもあった新城さんの「アトリエ游」に一泊。
今朝早く石垣空港から飛行機に乗り、那覇経由で、鹿児島までやってきました。
ここ「壺中楽」では、今回が五回目の展示会。
今晩は友人のイギリス人マーチンの家に泊めてもらいます。
今、壺中楽のカウンターに座ってこれを書いています。隣にはマーチンの息子で九歳になる理紀也(リッキー・写真左側)がいて、珍しそうにパソコンをのぞきこんでいます。
これからマーチン一家と夕食を食べ、みんなで市内の温泉にでかけます。
今日もまた、鹿児島市のギャラリー「壺中楽」にいます。今日もまた雨です。う〜む、どっかに雨女がいるに違いない。
最近は展示会にトンと顔を出さない私が、なぜ毎日このギャラリーに来るかと言うと、これは縁としか言うほかない。すなわちこのギャラリーは、私の友人であるイギリス人マーチンの縁で紹介されたお店だから。それで私も責任上、毎回来ているというわけです。
さて、鹿児島の織物と言えば、「大島紬」。屋久島の更に南に位置する奄美大島を故郷とする手織の絹織物。
ただ着尺の産地は、最近の着物離れの影響で、どこも苦しいみたい。それで新しい方向を模索しているようです。「大島」の最大手「藤絹織物」なぞも、つい最近、流通レジャー産業に大転身。
そんな状況もあってか、昨日も今日も展示会場には、「大島」の機屋さんたちが何人も訪れ、熱心に研究していきます。(写真右)
真木千秋も同じ「織人」として、彼らの熱意に感ずるところがあるらしい。父親くらい年齢のおじさん方に、いろいろアドバイス。
おじさん「ウ〜ム、よくもこんなに糸を飛ばして織れるもんだ…。じつは、ウチもストールを織ってみるんですが、糸が滑っちゃってねえ、うまくいかないんですよ、ホラね」(と言ってサンプルを見せる)
まきちあき「ああ、なるほど…。そちらの糸はホントにきれいで、スベスベですからね。ウチはちょっとラフな感じの半練り糸を使うんです」
「なるほどねえ。半練りにすれば、滑らなくていいかもねえ…。で、サイズはこんなもんでいいんですか」
「ええ、こんな感じで。ちょっと計ってみましょうか…。ええと、五十センチかける百五十センチですね」
「で、値段はこんな感じ?」
「はい、気に入った方々に買っていただくんです」
「そうですか…。ウチらはねえ、糸にしても、織り方にしても、単純だから…」
沖縄でもそうだったけど、最近はこうした伝統織物の世界とも、いろいろ交流が出てきました。
さて今、午後六時。もうじき壺中楽では、スライド上映会&パーティが始まります。
厨房ではオーナーの牧さんほか女性スタッフ二人が料理に腕をふるっています。う〜ん、いい匂いがただよってくる!
おはようございます。今、午前7時11分。香川県高松市のホテルにいます。真木千秋はまだ熟睡しているので、ひとり静かにパソコンごっこをしています。
昨日の昼頃、鹿児島から飛行機で当地にやってきました。プロペラ機だったので楽しかったのですが、けっこう揺れるので、真木千秋は二度とイヤだと言っています。
なぜ高松にやってきたかというと、高須工芸の蓮井さんに会うためです。市内の呉服屋さんです。
この人は真木千秋と同年の男性なのですが、なかなかケッサクな人で、私ともよくウマがあいます。
三代目なのですが、「これは僕の天職だ」といって、楽しそうに呉服屋をやっています。
あまり楽しそうなので、ついに真木千秋も、生まれて初めて、和服を作ってもらうことになりました。
生地は群馬の紬で、山桜で染めた淡い無地。帯は何だったかなあ…忘れた。
値段もけっこう安いみたい。というのも、蓮井氏は自分で日本各地の織物産地へ出かけ、反物を直接仕入れて来るからです。
さっそく仕立ててくれるようなので、もうじき真木千秋の和服姿を当ページでご紹介できるかもしれません。(ん!?
馬子にも衣装?)
この蓮井氏、和服の楽しさをもっと都会の若い人々に知ってもらいたいと、今度は東京青山に店を出したいと考えています。真木テキスタイルのすぐ近くに…。楽しみですねえ。綿の手軽な着物を主に紹介したいということ。それで僕も物件探しに協力してあげることにしました。ま、店ができるのは二年後かな。
青山の後は、フランスのパリだそうです。日本人がパリで和服を着ると、別格扱いなんだって。
ウ〜ン、オレもシャンゼリゼを着流しで闊歩してみたい!
昨夜、半月ぶりに養沢に戻りました。
思いのほか寒く、真木千秋はストーブを焚いていました。
それで僕もひと安心。
というのも、そう簡単に春になってもらっては困るのです。
なにしろまだ薪の蓄えがたっぷりあるのです。
あと大寒波の三、四回も来てもらわないことにゃ、とても終わりそうにありません。
薪の消費が少ないと、困るのです。
というのも、薪つくりこそが僕の唯一の趣味だからです。
パソコンの前に座ってばかりだと、ろくな人間になりません。
というわけで、遅々と進まぬ春の訪れこそ、最近の私の望むところなのです。
今、真木テキスタイルスタジオ青山店。午後4時30分。
真木千秋を含めスタッフ五名が、立ち働いています。
明日から当店にて、「真南風(まあぱい)展」が開かれるのです。
昨年6月の「真南風展」以来、青山では二度目の展示会。
昨年11月のニューヨーク、そして先日の八重山と続いた、真南風part2のしめくくりです。
今回お目にかけるのは、衣八十余点、そしてストールなど。
生地はいずれも手織の布に西表で染を施したもの。
昨年6月の第一回展以来、更に進化・改良を重ね、より着やすいものが増えました。
素材的に特筆すべきは、家蚕玉糸やタッサーシルクなどを使った生絹の生地。(写真右)
とても涼しそうな風合い感を演出します。
また、染め上がりも、より深みのある鮮やかな色合い。
この布の登場で、一段と広がりが出てきました。
また、西表で織られた麻100%(苧麻×亜麻)、ぐんぼう(苧麻×綿)の生地も、生成で登場です。
染材も新しいものが加わりました。
従来のアカメガシワ(グレー)、紅露、ヒルギ(いずれも赤茶系)、藍、フクギ(黄)のほか、八重山アオキ(赤、オレンジ)、ログウッド(紫…写真一番下)もお目見え。
一段と彩り豊かになりました。
カタチでも新しいものがいくつか。
Kimonoという名の、さらりとしたロングベスト。これは着物からアイデアを得たものです。
また着尺でつくったJuban。これは生地をなるべく切らないで、着尺の幅を生かしたブラウススタイルの衣。西表で織られた麻100%やぐんぼうが、このJubanに変わります(写真左)。
ところで、写真の中の蔓(トウツルモドキ)や枝は、真木千秋が先日、西表の海岸で採取したもの。これは売り物ではありませんので、悪しからず。
真南風・青山展 3月26日(金)〜4月4日(日)
意を決して 石垣昭子さん達三人の女性が今回ニューヨークで発表した仕事は、今までにない暖かくて爽やかな海風が吹いてくるような気がした。日本列島の湿潤の風が、沖縄という迴路をめぐって、ニューヨークまで吹き抜けた。 志村ふくみ |
ニューヨークマンハッタンを、沖縄の染め織りを着て颯爽と闊歩する三人の女性たち、石垣さん・真木さん・真砂さんの写真を見て、正直、「まいったなあ」という気持ちです。 三宅一生 |
そういえば今日4月20日は、青山の当スタジオ直営店・誕生日なのだ。
今日で満三歳。
おめでと〜! おめでと〜! おめでと〜!
(誰も言ってくれないから、自分で言う)
ふつう三周年記念といえば、パーティをやって祝うものだが、どうなってるんだろうねえ、当スタジオは。パーティ好きなくせに!
いやオレは、パーティをやろうと、前々から提案していたのだが、誰も乗ってくれなかった。
で、真木千秋もさすがに良心の呵責を覚えたのか、今朝になって突然、記念品を贈呈しようと思い立った。
本日来店の上、お買いあげくだすったお客さんには、何か差し上げよう。ストールにしようか、小袋にしようか…。
さんざん悩んだ末、やっぱり小袋を贈呈することにした。ストールを突如差し上げてもびっくりするだろう、と思って。
しかしながら、その悩みも徒労に終わった。なぜなら、今日の売り上げはゼロだったからだ。(う〜ん、当スタジオの記念日にふさわしい!? こういうインフォメーションは、来年はちゃんと前もって当HPで流すからね。ご注目を!)
というわけで、夜、真木千秋と二人だけで、350ccのビールをグラスに注ぎ、ささやかな祝杯を上げるのであった。
インド行きを三日後に控え、その準備に忙しい当スタジオ。 実はこの作業は、一昨日からやっていたのである。 ロッグウッドというのは、中米原産の木。その木の心材をチップ状にしたものを染材店で買ってきて、使用する。 |
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写真上の大鍋が煮出し用の鍋。これは実は沖縄八重山の料理用鍋なのだ。真木千秋はこれをわざわざ二つも取り寄せている。 カマドはブロックを積んだだけのシンプルなもの。こういう焚き火みたいなカマド上では、こうした平型の鍋のほうが、効率が良いようだ。 ところでこのロッグウッド染は、先日、真木千秋が西表・紅露工房で習ってきたものだ。美しい紫色を出すので、さっそく自分でも試してみることにした。 紫を出すには、アルミで媒染をする。 |
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しかし驚くほどよく染まる。 写真下は、お気に入りの色に染まってご機嫌の真木千秋。青味の紫だ。 そうした糸をデリーの工房に持参して、ストールなどに織り込むのだ。 |
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先日ご紹介した、私ぱるばの実家「月のテーブル」で、このたびギャラリー「さ蔵」がオープン。
この「さ蔵」は、その字のごとく、蔵を改造したもの。
(「さ蔵」は、「さぞう」ではなく、「さくら」と読む。実はオーナーの田中惠子が一時期「佐倉惠子」という芸名を名乗っていたことがあり、このネーミングはそこからきている)
かつて造り酒屋などもしていたこの家には、蔵が三つある。そのうちの一番大きいひとつを、ギャラリーに改造したというわけ。
一番たいへんだったのが、中に入っていたゴッタクを片づけることだったろう。
大正初期に建った蔵だが、もっぱら物置がわりに使われていた。おそらくは、江戸末期から平成にわたる有象無象がいっぱいにつまっていたのである。
そうした有象無象のうち、めぼしいものは現在、蔵の軒下に展示されている。(左写真の右側にその一部が見える)。
様々な桶や樽、かご、養蚕器具、蓑(みの)、大八車の車輪まである。
中に入ると二階建て。その二階部分の床を半分はがし、ポーチのようにしている。(その作業風景はこちら)
上下あわせて十五坪ほど。
そのオープン記念企画が、当スタジオの展示会だというわけ。(4月29日〜5月8日)
右写真は、ちょうど田中惠子が地元情報誌の取材を受けているところ。
私も当家の長男として、ちょっとばかり取材協力。
ただ、若い男のコだったから、「ランチョンマットって何ですか?」って感じで、う〜ん、大丈夫かなァ。
(かくいう私も、つい最近まで「ストール」ってものを知らなかったのである)
5月14日(金) 真木雅子「かご展」余話 二週間後の5月28日(金)から6月10日(木)までの二週間にわたり、青山の真木テキスタイルスタジオにおいて、真木雅子の「かご展」が開かれる。 真木雅子というのは、真木千秋の母親。 |
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私のごとき門外漢でも、その作品のクォリティーの高さはわかる。 この「真木雅子」、その創作するカゴにも劣らず、おもしろい人なのだ。 |
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拙著「タッサーシルクのぼんぼんパンツ」にも書いた通り、今の真木千秋があるのも、この人あってこそなのだ。 三年前、青山のスタジオをオープンさせたときから、いつか「真木雅子のかご展」をやろうと企画を温めてきた。 |
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昨日の22日(土曜日)、東京小金井にある真木雅子のスタジオ「仕事場・彩」にお邪魔した。(これは「しごとば・さい」と読む) 展示の仕方などどうすべきか、右写真にも見るごとく、真木雅子も頬杖などついて、いつになく真剣な面もち。 |
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今回出品されるのは、点数にして二百点以上。 モノで言うと、うつわ(皿、ボール型、舟型)、花器、バッグ、アクセサリ、オブジェ、明かりなど。 スタジオ内にはご覧の通り、編みかけのカゴやら、素材の蔓やら、道具やらが、所狭しと並んでいる。(左写真はカメラをちょっと意識してよそゆき顔の真木雅子。右写真はカメラをつい忘れて鉄人28号風の真木雅子) |
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この真木雅子展、5月28日(金)から6月10日(木)までの二週間にわたって開かれる。
しかし、ここだけの話、もはや二度と作れないなんてものも多数あるので、早めに来場するに越したことはない。
本人も5月28日から6月2日まで在廊するので、暇を見ていろいろお尋ねになるのもいいだろう。きっと口角泡を飛ばしてカゴ作りの蘊蓄を披瀝してくれるにちがいない。
なおこの「仕事場・彩」は「カゴ編みスクール」も兼ねており、生徒も随時募集している。教室は全国各地にあるので、関心のある人は0423-81-0830までお問い合わせのこと。
ただいま午後六時半。青山の真木テキスタイルスタジオ。
階上では、真木千秋と石田紀佳がなにやら遊んでいる。
「ヒマだったら取材してよ」とせがまれたので、別にヒマじゃないんだが、二階に上がってみる。
すると、二人して、紙を切ったり貼ったりしている。
「何してるの」と聞いたら、「キューレーターの見習い仕事」だという。
キューレーターというのは、日本語で言うと「博物館学芸員」。つまり博物館や美術館で展示企画をする専門家だ。
その企画の中には、展示に合わせて壁を塗ったり、展示台をつくったりするのも含まれる。
その展示台づくりを今やっているところらしい。
展示会というのは、明後日28日から始まる『真木雅子のかご展』。
初日の二日前から展示作業をするなんて、当店開店以来だ。それだけ熱が入っているということだろう。
台は五日市「竹林精舎」から出てきた廃品。紙は数年前インドで購入した綿の手漉き紙。
紙貼りのワザは、竹林の壁紙貼りで磨いたもの。
まさに手持ちのコマの総動員。
はたしてこれが、真木雅子の「カゴの下の力持ち」になるであろうかっ!!
ところで、画面後方に見慣れぬチェストがあるのにお気づきだろか。
これこそ、当スタジオお抱え建築家・中村好文氏の新作「桐のチェスト」なのだ。
先週まで、新宿オゾン『中村好文・桐展』に展示されていたこの一品。それを真木千秋が一目見て気に入り、つい一週間ほど前に搬入されたばかり。
これもまた当店の最新必見アイテムだ。(ただし非売品)
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南青山のスタジオ。 明日から始まる「真木雅子かご展」に向けて、ただ今、総勢十二人で飾り付け中。 写真はウィンドー部分のオブジェをつくっているところ。 右写真の右端が久方ぶりにカムバックの真木香。自分のお気に入りのカゴをしっかり抱えている。 |
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本HPでも何度かお伝えした通り、昨年末、真木香は、七年にわたる真木テキスタイル生活に一応ピリオドを打ち、インドへ渡ったのであった。
当地で三ヶ月の修行を積んだ後、帰国。
なにやら変容を遂げた様子の香を見て、千秋もまた一緒にやりたいと思う。
香もまんざらではない感じ。
さて真木香の処遇をいかにすべきか?
ここ一月あまり、三人(千秋、香、私)で、いろいろ頭をひねっていたのだ。
その結果、本日めでたく、一応の決着を見たのであった。
それではアナウンス。
今日から、真木香は、当スタジオの、常務取締役!
えっ、常務取締役!?
別に驚くことはない。当スタジオだって、レッキとした有限会社。常務の一人や二人いたっておかしくはないのだ。
取締役社長は真木千秋。
私ぱるばは定款上は専務なのだが、それでは千秋の下になって気分が悪いので、勝手に会長に就任。
ここに真木テキスタイルのトロイカ体制が誕生したのであった。(写真は本日の会議で熱弁を振るう真木新常務)
今日はそれを祝うかのごとく、竹林の庭にアナグマが出現。
みんなの見守る中、この珍客はノソノソ小走りで庭を横切り、茂みの中へ消えて行ったのであった。
これは瑞祥だ!…ということにしておこう。
朝起きてリビングのテーブルの上を見ると、ほれこの通り。
焼き物がいっぱい。
実はこれ全部、陶工・黒田泰蔵の作品なのである。
陶工というと、ちょっと違うかもしれない。
なぜなら彼の焼くものは、磁器だからだ。
先日、伊豆にある彼の工房を訪ねた。
多忙の中、快く迎えてくれた。
そしていろいろ話を聞かせてもらった。
なんでも彼は、二十歳になるまで、焼き物のことは全然知らなかったのだそうだ。
60年代のあるとき、彼はパリの日本食レストランで皿洗いをしていた。
そこに客としてやってきたのが、益子の島岡達三(現人間国宝)だった。
その島岡に頼まれ、オペラ座の切符を取ってやったりした。
わずか一日ほどのつきあいだったが、彼はその陶芸の大家に気に入られたらしい。
島岡は彼を、アメリカとカナダの陶芸家に紹介する。
そうして渡った北米の地で、黒田は陶芸に開眼するのであった。
Makiと相性のいい工芸作家といったら、木工の三谷龍二、漆芸の赤木アキト、そしてこの黒田泰蔵だろう。(それからカゴの真木雅子も!)
いずれも、素材の美、ないしは用の美、ときには「無為の美」みたいなものを感じさせる。
たとえば、黒田のカップでコーヒーを飲んでいると、それが醸しだす静謐なオーラによって、騒々しいマインドが停止する。
自然に無駄話が止み、be here nowになるって感じ。
もしかしたら、これが現代の「茶の湯」かも。
一度お試しあれ。
みなさん、おいしいシイタケはいかがですか?
明後日15日から、青山の真木テキスタイルスタジオで、すっごくおいしいシイタケを販売いたします!
織物ギャラリーでシイタケ販売なんて変な話だけど、これには長〜い裏話があるんです。
二年ほど前から、青山の当スタジオに、素朴な感じの男性がちょくちょく現れるようになりました。
布が大好きなようで、よく買われて行きます。
店長の大久保さんとも懇意になり、お話をうかがうと、なんでも伊豆でシイタケを作っているとのこと。
飯田健次さんといって、歳は五十くらい。物静かな感じの人でした。
「伊豆においでの節は、ぜひお立ち寄りください」と言って、店を去るのでした。
それで先日、伊豆に温泉旅行に出かけた折り、初めて立ち寄ってみたわけです。
中伊豆町にお住まいの飯田さんは、私たち六人を快く迎えてくれました。
茶室を思わせる質素な客間には、座卓の代わりに、二畳ほどの板が置いてあります。
その板の上に、陶器や茶器に混じって、当スタジオのストールが丸めて置かれています。
「こんなにして見ていると、気持ちいいんです」、飯田さんは訥々と語ります。
ふと壁を見ると、「最後の禅師」山本玄峰老師の掛け軸がありました。
それからみんなでシイタケ農園にでかけます。
農園といっても、広大な山中のところどころにシイタケのホダ木が置いてあるだけ。
ホダ木は合わせて二万本。それを奥さんと娘さんの手助けだけでやるというのだから驚き。
というのも、私ぱるばも今春四十本のホダ木の種つけをしたんだけど、それだけで腰痛を起こしてしまったからです。
まったくの自然状態で栽培するので、収穫は春と秋の二回だけ。
福島正信さん(自然農法の世界的権威)に傾倒するなど、あくまで自然とともに生きる農業にこだわる飯田さんです。
帰りに干しシイタケを少々いただいて帰りました。
それをウチで煮物にして食ったのですが、驚くほどうまい。
飯田さんも言っていました、「シイタケというのは、品種や、その年の気候や、ホダ木の置き場所で、味がぜんぜん違うものだ」と。
(そして、一番うまいところは動物たちに食われてしまうんだと)
一昨日、私ぱるばは再び飯田さんを訪ねるのでした。
(私は所用で月に一度は伊豆・修善寺に行く)
ちょうど雨で農作業もなかったので、茶室のような客間でいろいろお話しました。
飯田さんいわく、「都会を歩いていて青山のお店に入ると、なんだか自分の山の中に入ってきたような感じがします」
ウ〜ン、実際、いろんな人からオホメを頂く当スタジオですが、こんなに強烈なのは初めて!
「じつはウチの店で飯田さんのシイタケを売ってみたいと思うんですが」と申しますと、とっても喜んでくれました。
もともとおいしい飯田シイタケですが、当スタジオで売るんだから、とにかく最高のものを送ってください、と頼みました。
それが今日、届いたのです。(写真上・うれしそうな真木千秋)
とゆーわけで、あさってから店頭に並びますので、よろしく。
まあ、だまされたと思って、食べてみてください。
青山まで来られない人は、直接、飯田さんから買ってね。(TEL
0558-83-0640)
うまいよ〜!
久しぶりに晴れ間ののぞいた今日、養沢のスタジオでは、葛糸づくり作戦がおこなわれた。 葛というのはウチの周囲にいくらでもある。 |
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専門家によると、女性の指くらいの太さの葛がいいのだという。 葉を取り去り、一本の長い蔓にして、それをクルクルッとリング状に巻き取る。 それを今度は、熱湯で煮沸する。 |
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煮沸すること、二、三時間。 軟らかくなったところで、湯から上げ、今度はちょっと奇妙なことをする。 というわけで、次の作業は、来週の水曜日。 |
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真木千秋が西表島から帰ってきた。
例のごとく、両手の爪を藍色に染めている。
知らない人が見たら、まったくマニキュアだ。
実際、チアキはよく藍色の衣を着るので、コーディネートされているとも言える。
実はこの爪、ほんものの藍染めなのである。
十日余り、毎日のように藍染めをしていると、爪が染着いてしまうのだ。
これは取れない。除光液なんかも効かない。
伸びるのを待つばかりだ。
さて、西表では、ちょっとかわいらしいプロジェクトが進行していた。
島の子供たちが中心になって、ハンカチを草木染めしているのだ。
実はこれ、教育活動の一環なのである。
島の子供の視野を広げようと、香港への海外研修が企画されている。
そのための資金づくりの一助としての草木染め。
材料集めから仕上げまで、村人総出でやっている。
色は四種。いずれも西表の代表的な染材を使っている。
琉球藍(藍色)、フクギ(黄色)、クール(小豆色)、アカメガシワ(グレー)だ。
いずれも絞り紋様が入っている。
当スタジオでもその趣旨に賛同し、青山店で販売協力することにした。
値段はどれでも一枚800円。
また当HP読者のみなさんには、送料サービスでネット販売。
欲しい人はparva@din.or.jpまでご一報ください。(ただし絞り紋様はいろいろなのでご了承いただきたい)
先日NHKでも紹介されたインドネシア・ジャワ島の野蚕。
それに関する展示会が今日から東京で始まったので、真木千秋と行ってみた。
場所は神楽坂を上ったところにある、Gallery
Muu。今年六月にできたばかりの、広々としたスペースだ。
五年前に始まったこの野蚕プロジェクト、その名も「ジョクジャカルタ・ロイヤル・シルク」。
中心となっているのはジャワ島ジョクジャカルタの王室。火付け役は国際野蚕学会会長の赤井弘博士だ。
今回の展示会は、このプロジェクトに深く関わっているフィトリアーニ黒田さんと、その夫君・黒田正人氏が開いている。
今日は都合でフィトリアーニさんは来場できなかったので、正人氏にいろいろ話をうかがう。
彼の本職は建築家なのだが、海外案件などでインドネシアと関わるうちにジャワ島出身のフィトリアーニさんと知り合い、五年前に結婚。最近は本業そっちのけで、この野蚕プロジェクトに入り込んでいるそうだ。(写真左側の人物)
急ごしらえの展示会ということで、野蚕関係のものはあまり多くないが、それでも興味深いものがいくつか。
写真手前のボールに入っているのが、アタカス(ヨナグニサン)の繭。その右側の糸カセが、それを紡いだ糸。
奥の方にある二つのボールが、クリキュラ(黄金繭)。正人さんの前にあるのが、それを紡いだ糸。
NHKの番組では黄金繭の方が主だったが、ジョクジャカルタ・ローヤル・シルクでは、まずアタカスの方から本格的に取り組みたいとしている。
ところでこのアタカス、日本では「世界最大の蛾」ヨナグニサンとして有名だが、沖縄・与那国島にのみ棲息しているわけではない。同じ八重山の西表島にもいるし、おそらく台湾にも、そしてインドネシアにもいるのだ。
繭自体はくすんだ褐色だが、それが糸になると美しい光沢を示す。
そこで真木千秋もさっそく糸を購入。これから試してみるらしい。
今まで研究と普及活動に時間を費やしてきたこのプロジェクト、これからやっと市場の大海原に船出するというところ。
この荒波に多少はもまれてきた当スタジオも、ささやかながら協力できるところがあるかもしれない。
いや、私にとっても、ジョクジャは思い出深い土地なのだ。84年ジャワ日食の際には、ボロブドゥール遺跡のてっぺんで黒い太陽を眺めたり、プランバナンの遺跡で三夜にわたってラーマーヤナ・バレエを見物したり…。
あの周囲の森に、このような虫たちの世界が展開していようとは、知らなかった。
「インドネシアの染織と黄金繭」
1999年8月23日(月)〜9月8日(水)
(11:00〜19:00 最終日は17:00閉場 : 木曜は休み)
Gallery Muu
新宿区神楽坂3-6-10ヒルサイド神楽坂2F TEL: 03-5227-3627
八月も今日で最後。
現在、インドには当スタジオから四人の女たちが出かけている。真木千秋・香の姉妹、大村恭子、金森愛。
暑いのにご苦労なことである。
私ひとり信州・上田の実家で涼しい思いをしているが、これも平生の精進の賜物であろう。
さて、インドという国は、あまり通信事情が良くない。
とはいえ、電話もFAXもちゃんと通じる。
ただ、遠いヒマラヤの向こう西方天竺と毎日電話でおしゃべりってのも、まっこと風情のない所行であるから、私たちはできるだけそうしたことは避けたいと思っている。
ただ、仕事上、いろいろ連絡すべきことも多いので、それにはインターネットを使おう…ってことにした。
しかしそれがなかなか大変なのである。
もともと論理的思考にたけパソコンソフト産業も隆盛を極めるインドであるが、インターネット接続という点では、世界でも最低水準ではないか。
つい最近までプロバイダも国営電話会社ひとつだけ。それに人々が殺到するもんだから、いつも話中。
接続を難しくして情報流入を制限するというのが国策なんじゃないかと、勘ぐりたくもなる。
そんなところへパソコン音痴の真木千秋がでかけていって、インターネット接続しようってんだから大変。
だいたい彼女の場合、パソコンの調子が悪いと、怒鳴ったり悲鳴を上げたりして、それで直してしまう。
いや別に超能力があるわけではない。私がおっとり刀で駆けつけ、直してやるのだ。
インドに到着して数日。
やはりネット経由では音沙汰もない。
二度ほど電話で悲鳴を送ってきたが、さすがインドでは私も駆けつけるわけにはいかない。
しかしインドも努力しているのだ。
今年から民営のプロバイダもぼつぼつ誕生し始めたらしい。
そしてニルーの息子・シッダルタも、いちはやく自分のアカウントを持ってネットに接続している。
そんな彼の協力があって、真木千秋もやっと開通にこぎつけたらし。昨晩、ようやくメールが届いた。
どうやら四人とも元気でやっているらしく、まずは目出たし。
編者註
昨日夜、インドの真木千秋よりメールがあった。
なんでも新しい民営プロバイダの調子がよく、それでつい調子に乗って、一文をしたためてしまったらしい。
私もざっと一読したのだが、かなり真面目な内容で読者のみなさんにはちょっと退屈やもしれぬ。
しかしインドの熱暑にも劣らぬ真木千秋の熱意をおくみとりいただこうと、お伝えする次第である。
みなさんこんにちは。
今日でほぼ一週間目のデリー滞在ですが、この頃は来た翌日から、まるでずっとインドにいたかのように馴染んでしまっているので、すべてのことがそれなりに普通に順調にすすんでいます。
デリーだけが雨期に雨がふらなかったせいで、今でも日中38度まで上がっている毎日ですが、(ほんとうはこの時期はもっと気温が低いはずなのですが)、そういうものだとあきらめたとたんに暑さにも慣れてきました。
現在4人、真木香、大村恭子、金森愛、真木千秋で毎日デリーに点在する、工房(織り、染め、縫製、ほか。)を一台のアンバサダーで行ったり来たりしています。
お昼はニルーの家でしっかりと家庭料理をいただいています。
今日のメニューは、カレラ(にがうり、これは口のなかがしびれるほど苦いです。でも美味しい。)、パニールマタール(カッテージチーズとグリーンピース)、ミックスベジタブル、ダール、チャワル(ごはん)、にチャパティ。それに日本の味を求めてごま油で野菜炒めを毎日作っています。これはニルーの息子のchottuも好きとみえて、いつも一番に食べています。
もちろんパパイヤや洋なし、リンゴなどのフルーツもたくさんです。
おなかいっぱいのあとは日本から持参のコーヒー豆で金森愛ちゃんのいれてくれるスペシャルコーヒーを飲んでいます。
今回は秋に向けてウールとタッサーシルクや、この頃使えるようになったいろいろな絹糸を試しています。インドでも中国や韓国からの糸の輸入が増えてきているようです。
糸の種類はたくさんあるほうが作るほうとしては面白いのですが、中国の柞蚕などはそうとうな量産になりつつあるようで、糸がだんだん均一で面白みがなくなってきたようにも思えます。もちろん使いかたで生きも死にもするとおもいますが。わたしはやっぱり野蚕の味は野生のため不揃いで繭ひとつひとつに個性があるようなインドのタッサーシルクが好きです。
色々な大きさや柔らかさや色があるタッサーシルクはおなじように紡ごうとしても紡げない。太細があったらそのようにつむいで、その特徴をいかしてやれば良いのです。糸を均一にするような努力よりはもっとていねいに手をかけてその自然な素材の良さをひきだせばいいのです。
西表で石垣さんたちにおしえてもらったのですが、健康な蚕は健康な繭をつくり、その繭からひいた糸はつよくて美しい。とのことでした。
西表のように空気も汚れていず、豊かな水や太陽にめぐまれて、そこで育った桑の葉を食べた蚕は本当に美しい繭を結んでくれると思います。
インドのバンガロールの郊外に家蚕の飼育を見るために訪ねたことがあります。そこは行けども行けども鮮やかな緑の桑畑が広がり、同じインドでも豊かな自然に幸せな気分でした。
絹糸を使わせてもらうことのもとをたどっていくと最後にはやはり環境や自然につながっていることを思い知らされます。
今こうして滞在しているデリーも毎回来るたびに車がふえ、排気ガスもひどくなったのを感じます。
小さな力ではありますが、自分たちの実行できる方法で、織物づくりも見直していきたいと思います。
残暑厳しきおり、みなさまにおかれましては、いかがお過ごしのことでせうか。
おかげさんで、真木千秋も香も、そしてスタッフの大村恭子も金森愛も、インドから無事帰国。
今回は行きも帰りもJALで、すこぶる快適だったらしい。
私ぱるばはインド航空しか知らないんで、一度、JALにも乗ってみたいものだ。
しかし、JALの格安航空券は帰りの期日指定なんで、ちょっと使いづらい。インド航空は90日間オープンなのだ。
さて、これから秋のシーズンに突入なのであるが…。
真木香は既に札幌&旭川の展示会に出かけている。こちとら連日の真夏日。ちょっとうらやましい。毎日、北国の秋の味覚を満喫しているのだろう。
真木千秋は一昨日帰国。「インドより暑いじゃない…」とぼやいている。
それでもウチの実家から巨峰が送られてきたり、知人から梨が送られてきたりと、こちらも秋の味覚を楽しんでいる。
そして週末からは、千葉でちょっとおもしろい展示会がある。
市川市のNIKKEこるとん銀花で開かれる『作家たちの海外』。
これは海外との関りを持つ12人の工芸作家の展示会。
それぞれが自分とゆかりある外国をとりあげ、そことの関りの中から生まれてきたものをテーマに展示する。
この12人の中には、陶芸の前川俊一さんやレギーナ・アルテールさんなど、当スタジオと縁の深い人も。
それぞれが、たとえばコーンウォールとか、カメルーンとか、マルセイユとかとりあげるんだけど、その中で、真木千秋は「ロードアイランドからムニルカへ」
これには笑ってしまった。というのも、途方もなくローカルだからだ。
ロードアイランドはいいとして、ムニルカというのは、東京で言えば、浜田山とか千住河原町みたいなもん。近所の人しか知らない、なんの変哲もない一地区だ。たまたまニルーの工房がそこにあったというだけ。
しかしそんな事情を知らない人にとっては、なにやら大層な場所のように響くのかもしれない。
この展示会には、真木千秋手織の布とか、彼女の撮った写真(写真上)なども展示される。
普通の展示会ではなかなか見られないものだ。
作家たちの海外
9/18〜9/26
千葉県市川市鬼高 1-1-1 ニッケコルトンプラザ 「NIKKEこるとん銀花」
TEL 047-370-2244
― 真木千秋・敬老の日の日記 ―
例のウールのふわふわなストールの風合い仕上げを、一日中やっていました。
今から15年くらい前ということになるのか、テクスチャー、立体、感触ばかりの織りものしか興味がなくて、初めてニルーに出会った12年前に自分の織ったぼこぼこの織物ばかりみせて、「シュリンキングヤーン(撚りの強い糸)をさがしてくれ〜〜〜〜〜」とくりかえしていたことを思い出します。
結局そんなものは見たことも聞いたこともない、という感じで、可能な方法でできあがったのが二重ビームだったりするわけです。(2本の巻き取り棒をつかって経糸をかけて、それぞれの張りをかえることで立体的に織り上げる。)
注文した織りのサイズが違ったり、織りが悪かったりで、それをいかにしてよくしていくかを続けているうちに、今に至っています。
太い綿の糸を細番手にしてみてVahid織りが生まれ、ウールを使いはじめ、次は麻だ麻だと大騒ぎして一年くらいで、麻を取り寄せてくれたはいいけれど、麻を織ったことのない織師たちは次々にストライキ。麻はのびないからねえ。難しいんだよね。
その壁をやっと越える頃に黄繭と出会い、こんな細いの大丈夫かしらあ…と心配したものの、意外と大丈夫でした。
その頃かなあ、パシウジャマ(経糸整経の職人さん ―
耳が聞こえずしゃべれないのですが、その他の感覚がものすごく敏感でわたしたちも彼となら本当に良く分かり合うことができて、身振り手振りと目とかんで話ができて、いまでは大切な友達なんです)の存在が大きくなってきた。
彼が一緒に経糸をかけてくれるようになったから、私たちも手渡しで、一本一本糸を好きなように変えられるようになった。
それから草木染めもウールと太めのシルクしかできなかったのに、黄繭で染めてみたらきれいできれいで大感激だった。
それからバンガロールへいってdupionが手に入るようになり、それもはじめは硬かったりで相当苦労したけれど…。
いまではムガまで手に入るようになった。
八重山の苧麻まで織り込んでいる。(おかげで、真木テキスタイルのスタッフは糸巻きがとっても上手になってしまった)。
前回からはタッサーの生糸も経にいれられるようになっている。
そして今回白色の生糸の種類が増えて夢のようです。
で、今回遊び心で懐かしいふわふわなウールとかりかりシルクでつくってみたわけです。
以前特別につくってもらったウールの糸があったので、ふっとやってみようかなあ…と思って。
ウールはこれまた色々に変化する面白い素材です。どんなものか見てのお楽しみ。
ニッケに一枚持っていきます。青山の店にもまずは一枚送ります。
真木千秋
トップページの一番下にアクセス・カウンターがついていたのをご存じだろうか? (注・今は一番上に移動)
さきほどチェックしたところ、975*台になっている。
なんともうじき一万の大台に乗るではないか。
思えばこのホームページをオープンしたのが、ちょうど三年前の九月。
手織物関係のHPとしては、かなり珍しかったのではないか。
見てくれる人のほとんどが女性ということもあって、アクセス数もそれほど多くない。
だいたい一日5人から10人の間というところ。
だからこっちも、それに合わせて、のんびり更新をしていた。
ところが最近、iMacの人気もあるのだろうか、かなりアクセスが増えているようだ。
ちょっと計算してみたところ、一日平均で25件ほどにもなっている。
いったいどんな人々が見てくれるのだろう?
そこで今日新たに◆Maki
Textile
掲示板◆をオープンしたので、ぜひ一言残していってくだされ。
このHPもおかげさまで四年目を迎え、アクセスも一万になろうとしているのだから、これはひとつ記念品でも…
と思っていたところ、真木千秋から電話があった。
彼女、明日からの梅田阪急・展示会のため、大阪入りしているのだ。
それでこの話をしたところ、「じゃ、ミニ・ストールでどう?
」ということになったのである。
ではアナウンス。
めでたく一万人目の入場者になった方には、当スタジオからオリジナルのミニ・ストールをプレゼント!
で、技術的にちょっと難しいのは、その一万人目をどう判定するかということ。
じつはこの掲示板は、その意味もあって作ったのだ。
一万人目に当たった人は、即、掲示板を開いて、その旨を宣言してください。
その場になってあわてないように、前もって掲示板に書き込む練習をしとくといいよ。
なに、別に難しくはない。
掲示板という字の上をクリックすれば、フォームが現れる。
その「お名前」欄に自分の名前かニックネームを記し、「タイトル」の欄になんでもいいから題を書き、そして「コメント」欄に書きたいことを書く。
「メール」欄と「リンク」欄は、書かなくても良い。
そして下の「書き込む」というボタンを押せばOK。
書いてる途中で、やっぱり出すのやめた!
と思ったら、「リセット」ボタンを押す。
一日25アクセスということは、あと十日後に一万という計算になる。
でもこうしたプレゼントをアナウンスすると、とたんにアクセスが増えるものだから、私の誕生日(9/26)前には一万人目が誕生するかも。
万一、10000人目の名乗りがないときには、当選の権利は10001人目に移るものとします。だから10001人目の人も、がっかりせずに名乗りを上げてください。
ところで、このアクセス・カウンタは、再読込をかけても増えないので、無駄な抵抗はしないように。
それでは幸運を祈る!
現在、青山の真木テキスタイルスタジオで開催されている展示会、『茜色の布』。
その名の通り、赤い色をした布でいっぱいだ。
「今年の夏は暑かったので、赤い色でみんなに元気を出してもらおう」というのが、担当・石田紀佳の弁。
この赤い色、日本、琉球、インドの三カ国で一年にわたって染めたものだ。
日本で使った染材は、ビワ、杉。
琉球では、紅露(クール)と、ヤエヤマアオキ、ヒルギ。
インドでは、印度茜、レッドチャンダン。
それが、ストール各種、縮緬織のスカート、シャツ、生絹のブラウス、そして、真南風新作の腰巻きや羽織などなって、展示されている。
(真南風はアカメガシワで染めたグレーも入り、秋らしく渋い色合いを出している)
タッサーシルクの平織り布を紅露で染めたものもあるので、自分で何か作ってみてもいい。
右側で、みの虫のようにぶらさがっているのは、赤色に染めた糸カセのサンプル。
10月5日まで。
昨日朝、つつがなく、カウンター10000に達せし旨、読者のみなさんには厚く御礼申し上げる次第…。
いや、つつがはあったんだよね。
それは、ブラウザによってカウンタの数字が違っていたこと。
インターネットエクスプローラとネットスケープでは、数値に二千近い違いがあったのだ。
で、現在エクスプローラは市場で六割以上のシェアを占めているゆえ、多数決という民主的原理に従い、エクスプローラの数字を採用することに決定…。
というのはウソで、こちらのちょっとした手違いにより、ネットスケープ上では正しいカウントができていなかったことが判明。
現在ではどちらのブラウザでも同じ数字が表示されているはずである。
というわけで、10000万人目のにきーらさんには、お約束の小ストールをプレゼントすることにあいなったのである。(写真右・モデルは私)
今回惜しくも受賞を逃したみなさん、二万人目を目指して、ともに手を携え、がんばろうではないかっ!
(と檄を飛ばしたところ、隣で真木千秋が、「二万人目!?
そんなのないよ」と冷たい視線…。さてどうなることやら?)
昨9月29日、京都・西陣で開かれた日本野蚕学会の研究会で、真木千秋、ちょっとした発表をする。(写真右)
タイトルは「インド・タッサーシルク、その特性について」
会場には日本各地から研究者・染織関係者、およそ百人あまりがつめかける。
来賓として招かれたインドネシア・ジョクジャカルタの王妃・王女も、興味深そうに耳を傾けていた。
明けて30日。
さて、今日一日どのように過ごすか…という問題について、三つのオプションがあった;
1. 同じく京都で開かれる繊維学会に出席する。
2. 京都見物をする。
3. 下村撚糸を訪ねる。
これに関して検討を加えた結果、
1.
繊維学会は合繊関係の発表が八割前後を占めるということで、つまらなそう。
2. 京都見物については、老後の楽しみにとっておこう。
というわけで、下村撚糸(しもむらねんし)を訪ねることにする。
場所は市内・右京区。
主の下村輝(ひかる)さんとは、八年来のおつきあいだ。(写真左側の人物)
今年、待望の長男が生まれて、いつになく幸せそう。
この下村氏、実にユニークな仕事をしているのである。
それは、手織用の糸を供給しているということ。
普通、撚糸屋さんというのは、機屋さんの注文により、糸に撚りをかけるのが仕事だ。
現在、日本の機屋はほとんどが機械織りなので、糸も撚りも機械向けのものとなる。
当然のことながら、そうした糸を手機にかけても、あまりおもしろくない。
ところがこの下村氏は奇特な人だ。
手織用の糸を自ら企画し(普通これは糸屋さんの仕事)、それを撚り合わせて、織り糸にしている。
ここ数年、彼が最も力を入れているのが、中国柞蚕を使った糸。(中国柞蚕というのは、インドのタッサーと親戚関係にある)。
水繰糸、葯水糸といったフィラメント糸(生糸)や、太條糸というギッチャ風の紡ぎ糸から、様々な手織り用の糸を作る。
こうした糸は、下村撚糸以外では、まず手に入らない。
インドは野蚕糸を糸の状態では輸出しないから、その意味でも下村氏の糸は貴重なものだ。
また、一般向けには、柞蚕糸100%のニット製品をいくつか製作販売している。
五本指靴下とか、手袋、スパッツ、シーツなど。
いずれも野蚕の特性を活かした製品で、私たちも常々愛用している。
とにかく中国柞蚕については非常に詳しい人なので、私たちもいい勉強になる。
下村氏の製品について関心のある人は、下村撚糸 075-313-1348
まで問い合わせのこと。
また東京・玉川高島屋の『道具展』(10/14〜19)にも、当スタジオともども出展するので、お近くの向きは実地見分なさるがよかろう。
先日もお伝えしたように、インドネシア・ジャワ島では、ジョクジャカルタ王室を中心に、野蚕プロジェクトが進行中。
その名もジョクジャカルタ・ロイヤル・シルク。
その中心人物であるジョクジャの王妃および王女が、現在、来日している。
先日京都で開かれた野蚕および繊維学会に出席の後、一路、東京へ。
そして本日は、青山の当スタジオにお見えになる。
ジョクジャカルタ(略してジョクジャ)というのは、日本で言うと、京都にあたる古都。(実際、京都とは姉妹都市になっている)
そして、スルタンを中心とするジョクジャ王室とは、いわばかつての将軍家みたいなものか。
現在の共和制下で政治的権力は保持していないが、今なお国民の間に大きな精神的影響力を持っている。
私もこのジョクジャという街が好きだった。
若きみぎりには、下町のロスメン(安宿)に泊まり、あっちこっち遊んで回ったものだ。
そういえば街の真ん中に、大きな宮殿がデーンとましましていて、なんか邪魔っけだなァと思ったおぼえがある。
そこの女主人であらせらるるわけだから、いったいどんなお人なのか…
と思いきや、けっこう気さくなお方で一安心。
上の写真は、真木千秋がインド野蚕の敷物をご説明申し上げているところ。
このたび王妃は、長女であるSali王女を同道。この王女がロイヤル・シルクの代表を務めている。
豊富な天然資源と染織的伝統に恵まれた同国。
あとは、それを使ってどのようなものをつくるかだ。
実はそれが一番難しい。
それで研究のため、お二人で来日とあいなる。
野蚕糸を使って織物づくりをしているところとして、当スタジオ見学となったわけ。
最後にみんなで記念撮影。
左端が王妃、右端が王女。
おみやげにストールを一枚プレゼントする。中国柞蚕とインドのタッサー&黄繭を織り込んだ赤系の一点で、見学中に王妃の気に入ったものだ。
さて、インドネシアの野蚕から、どのような織物が生まれてくるか。
当HPでも、7月の葛糸づくりや、掲示板などで、葛関係のトピックが展開されているが、昨日、その本場にうかがってきた。
静岡県西部、いわゆる遠州の、金谷、掛川地区は、江戸時代から葛布の産地として有名だった。
葛布はその張りと輝きから、たとえば武士の裃(かみしも)の素材として最高のものとされていた。そのほか、袴(はかま)や襖(ふすま)地などの高級素材として珍重され、明治に入っては壁紙用として盛んに海外輸出もされるなど、当地方で一大産業を形成していた。
ところがご多聞にもれず、近年の手織産業衰退とともに、この葛布づくりも次第に斜陽となり、現在ではわずか数社を数えるのみになっている。
その中のひとつ、大井川葛布。
その名のごとく、大井川のほとり、榛原郡金谷町にある。
金谷と言ったら蒸気機関車で有名な大井川鉄道の始発点。この日も現役のSLを幾つか目にして感動。
さて、この大井川葛布の社長・村井龍彦さんは、静岡市ガレリ・ヴォワイヤンとの縁もあって、当スタジオではお馴染みの人。掲示板にも何度か書き込んで頂いている。
大学を卒業して大手自動車メーカーに就職するが、故郷・金谷で「静岡壁紙工業」を営んでいたお父上に呼び戻され、家業を継ぐ。
当時、葛布産業はどん底の時代であったようで、相当のご苦労もあったらしい。
近年は手仕事が見直されてきたこともあり、一時よりは持ち直しているという。
しかしそれでも難儀であることには変わりなく、お父さんの時代から、葛布の生産先を韓国や台湾、中国に求め、技術指導を行い、なんとか活路を開こうと工夫されてこられた。(上写真・奥の男性が龍彦さん)
現在は工房を中国に持ち、主に襖地を生産している。
布製の襖地としては、葛布は最高の素材だという。
村井家の襖に使われている葛布は、十年の歳月を経て飴色に色を変え、素材に由来する色調の濃淡と、手仕事ゆえの柔らかさがあいまって、高雅な味わい。(写真下)
葛布だけではビジネスとして成り立たず、絨毯やカーテンなどのインテリア関係の仕事も手がける。
しかし葛布の持つ魔力にとりつかれ、これだけは捨てまいと頑張る。
地元でも葛布教室を開いて、技術の伝承と普及に努めている。
ただ、糸づくりに多大の手間のかかる葛布。すべてを国内でやろうとすると、1メートル数万円という高値になってしまうそうだ。
その葛布に新たな可能性を開こうと、現在は服地を考えている。
上の写真はそのための葛布を、奥さんの良子さんが手織しているところ。
葛布専用の織機で、経は細い絹糸。緯に葛糸を織り込む。
彼女が着用している上衣も、自作の葛布を墨染めしたものだそうだ。
キャンパス・ラブで龍彦氏と知り合った良子さん。つい最近までは、染織にまったく関心がなかったそうだ。
ところが今では、織りが楽しくて仕方がない様子。
奥で龍彦氏が、「だいぶ上手くなってきたじゃないか」と感心の面もち。
さてこれからどんな展開となることやら。楽しみなことである。
天高く人肥ゆる…いや、恋うる秋。
というわけで、当スタジオにも、諸方からいろんな秋の味覚が送られてくる。
(いや別に、まだ送っていないアナタに催促しているわけではない。でも、松茸がまだ、来てないなあ…)
その中にひとつ、「メルヘン」という名のカボチャがあった。
北海道は旭川の、とあるギャラリーよりの贈り物。
風連という町の産物だという。
これがウマイのだ。
ウチの場合、塩だけで炊いて、ヨーグルトをかけて食べる。
天然の甘味とヨーグルトの酸味がマッチして、おやつに、デザートに、絶品!
ビタミンAも豊富でヘルシー。
食養の専門家に言わせると、カボチャは陽性の食物なんだそうだ。
写真は、さきほどの私のおやつ。
皿は赤木アキト、スプーンはインドのニルーがくれたもの、そしてテーブルはこのたび真木テキスタイル青山で展示会をする斉藤衛の作。
ついでにヨーグルトは小岩井
。(森永ナチュレや明治ブルガリアみたいに、変な砂糖が付属してないのがいい)。
このメルヘン、あまりにウマくて、思わず現地の八百屋から1ダース取り寄せてしまった。
今年の秋冬は当分楽しめそう。
ウチの庭にはサルスベリの木がある。
(私がサル年なので、パルスベリと呼ばれることもある)
先週の土曜に、何か草木染めをしようということになり、何か秋にふさわしいものということで、この木が選ばれた。
ものの本によると、黒染めにいいんだそうだ。
タンニンが多量に含まれているらしい。
ほんとは、八月から十月の枝葉を使うとのこと。
確かに、葉っぱが半ば散ってしまっている。
この木は毎年冬になると、枝を全部切り落とす。
それで今年はちょっと早目なのだが、枝を全部切って、染色に使ってみることにした。
そしたらよく染まるのである。
鉄媒染で黒を出す。
写真は薄い絹地。
絹糸も染めてみたが、まるで「緑の黒髪」のごとく黒々と染まる。
写真の背景にあるのが、我が家のサルスベリ。
ぬけるような秋空の中、まるで沖縄のカチャーシーみたいに、拳を握って踊っているようだ。
現在、当スタジオから、五人の女たちがインドへ物づくりに出かけている。
真木姉妹、金森愛&大村恭子。以上四人はいつものメンバー。更に今冬は、「竹の家」マネージャーの岩崎香織も研修のため同道したのであった。
岩崎香織にとっては初めてのインド。さてどんなふうに映っているか。
先日オフィスに届いたメールをご紹介しよう;
香織より
皆さん毎日おつかれさまです!
こちらはみんなすこしずつ風邪ぎみであったりしますが、毎日めいいっぱいがんばっています。
こちらは暖冬で、11月頃の陽気ということです。すごくあったかいです。(日本の気候だと10月くらいの暖かさです)。袋に詰めてそっちに送りたい、と話しています。
私は、最初の2日間はおなかを下してましたが、今はもうすっかり治り、もりもりたべています。今日は、午前中はインドの染師と一緒に、香さん、恭子ちゃんと3人で、ブラウス用のミュージアムピースや、糸の染めをしました。
午後はクッションカバーの縫製をするところと、服の縫製をするところへ行きました。
途中、ズボンのポケット用の生地を買う為、生地屋にも寄りました。暗い店内で生地にあった裏地を探すのはほんとにたいへんそうです。
服の縫製所では、新しいブラウス、パンツ、スカートのサンプルができあがってきています。恭子ちゃん、奮闘、大健闘しています。今回、ここでスディナを作ろうとしているのですが、今日サンプルができあがり、とてもいいできです。インド人テーラーはスゴイいい腕です。愛ちゃんと千秋さんは、朝から機場で経糸をかけていました。
これはまだ様子を聞いていないのでまた今度報告します。千秋さん、香さんたちもみんなによろしくといっています。
それでは、また。
みんな体に気をつけて下さい。
12月15日(水) ケヤキで染める 草木染めの教科書によると、ケヤキの樹皮で赤味の色が出るという。 まず樹皮を剥ぐ作業であるが、これがちょっと手間。
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剥いだ皮を押切で細かく切り、鍋で煎じると、赤茶色い煮汁が出る。 普通、赤味の色は、染液が酸化することによって更に赤味が増すので、煮出してから日を置いて染めたりする。 (右の写真はタッサーシルクを染めたもの)
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今日は誰の誕生日かご存じかな?
そう、真木千秋、26回目の誕生日なのである。
ん!? ちょっとサバ読んでないかいって?
ま、それはともあれ、めでたくインドでハッピーバースデーの真木千秋から、五日市のスタジオに便りが届いたので、ちょっとご紹介いたそう;
一枚はナイームの織った「KINU」、2枚は新しいストールで「風の布」の親せき(?)。幅が60センチで10センチ間隔で空羽になっています。 インドと出会った始めのころ、日本でモハマドさんという敷物を扱っているインド人に出会いました。そして、手紡ぎ手織の布のことをいろいろと教えてもらいました。 楽しみにしていてくださいね。 |