India 2004
 

2004年1月6日から約三週間、真木姉妹ら四人がインドにて布&服づくり。
そのうちの一週間を田中ぱるばが現地からリポートします。



1月19日 インド到着


 
本日昼前、田中ぱるばインド到着。
 本来ならば昨日夜に着くはずだったのだが、インド航空の機材やりくりや、デリー地方の天候不良のため、結局、半日遅れとなってしまった。
 ま、ちゃんと到着しただけでも有難い。

 私は所用で一週間ほど北部タイに滞在していたのだが、連日晴天で日中は30℃ほどにもなった。
 ところがデリーに到着すると、空はどんより曇り、気温も十数度。
 今日あたり雨が降るのではないか、と迎えの運転手が言っていた。
 南国だからきっと暖かろうと、本ページの背景色も赤系統にしたのだが、いささか拍子抜け。
 ちなみにこのカラーは、その名も Indian Red (#CD5C5C)と呼ばれるものらしい。
 (もっとも厳冬の日本から直接飛んできたら、それでも暖かく感じるのであろう)

 ようやくホテルにたどりつくと、真木千秋が部屋で休んでいる。
 なんでも昨日あたりからちょっと体調を崩したらしい。
 インドに来て二週間、一日も休んでいないというから、ここいらで一服必要なのであろう。
 ほかの三名、すなわち真木香、大村恭子、太田綾は元気でやっているようだ。

 そこでさっそく機場(はたば)へ…と行きたいところだったが、クルマがなかなかつかまらない。
 なにしろ一台のハイヤーで、ホテルと機場、縫製工房の間を行き来しているから、運転手もたいへんなのだ。
 道もガタガタだし、渋滞は年々ひどくなるし…。
 というわけで三時過ぎにやっと機場に乗りつけると、真木香がひとりでぐゎんばっている。
 こんなのができたよ!と布を広げて見せたのが右写真。

 右半分の色が変わっている。
 真木香が三年ほど前から密かに構想を練っていたという、「スペース・ダイ」という手法だ。
 イカットないしはヨコ絣と類似したもので、板などを使って糸カセを半分くらい染め分け、それをヨコ糸に織り込むのだ。
 (詳しくは80cmほど下↓、1月22日の項を参照)
 写真の作の場合、もともと糸をザクロでベージュに染めた後、インド藍を重ねたものだ。

 これはサンプル織。
 そのほか、模様がジグザグに出るもの、様々な糸をミックスしたものなど、全部で七種類ほどサンプルを織り上げる。
 その中から二つほど選び、本製作に入るのだ。
 カオリが手にしているこのパターンは、そのスマイルからもうかがえる通り、おそらく採用されるであろう。
 (色とかデザインには多少手が入れられるが)

 「うまくできそうかい」と聞くと、
 「うん、うまくいきそう。織師もシャザッドだし!」と答える。
 この最後の「!」には、一種特別の感慨が感じられるのである。
 シャザッドというのは、Maki の一番お気に入りの織師だ。
 私の見るところ、シャザッドはいつも姉チアキのものを織っているようである。
 それを今回は特別に指名し、織ってもらっているというわけ。
 さてその首尾はいかに!?
 



1月20日 先染め真南風


 真南風
(まあぱい)というプロジェクトがある。
 これは、沖縄西表の染織家・石垣昭子さん、服飾デザイナー・真砂三千代さん、そして真木千秋の三人の手による「衣づくり」だ。
 六年ほど前に誕生し、年に一度ほど、Maki 青山店などで発表をする。
 今年は「真南風の秋」と題し、真南風としては初めて、秋9月に展示会を予定している。

 真南風用の生地づくりも、インドでの大事な仕事のひとつだ。
 今回は初の試みとして、先染めの布をつくってみようと思う
 今まではほとんどの場合、インドや沖縄で織った布を、昭子さんが西表の植物で後染めしていた。
 このたびは、糸の状態で先に染めたものを、こちらで布にしようとするわけだ。
 従来とはだいぶ違った趣になるはずである。

 そのために、赤城の節糸や、諏訪の座繰り糸、絹紡糸などを、昭子さんが西表で染める。
 染材は、紅露(くーる)、フクギや、琉球藍、アカメガシワなど。
 それをスーツケースにつめこんで、インドまで運び込む。
 またこちらインドでも、ベージュ系の糸を用意する。
 そうした糸々から布をデザインするのだ。

 デザインの参考として、昭子さんが様々な布のサンプルを送ってくる。
 写真上で真木千秋が手にしているのが、それだ
 最近、千秋は格子模様に凝っているので、格子の布を作ろうと思う。
 写真上の左側に写っている布々が、最近の格子柄だ。
 ただ、今回は今までにない色づかいなので、千秋にとっても新鮮で、創作意欲が湧くらしい。

 一昨日からタテ糸をつくり始める。
 写真中が木枠にかかったタテ糸だ。
 赤系の色が紅露、グレーがアカメガシワ、緑がフクギ+藍。
 スケッチを手に、次をどうしようか考えているところ。
 紅露を鉄媒染した紫褐色の糸を入れるのだ。

 下写真が、糸を入れているところ。
 糸を巻いたボビンを、タテ糸整経台にはめこみ、木枠に巻き上げる。
 千秋の奥に写っているのが、タテ糸職人のパシウジャマ

 ただ、昨日から、この機場にちょっとした異変が起こっている。
 どういうわけか、パシウジャマの機嫌が悪いのだ。
 パシウジャマといえば、工房でいちばん大切な存在。
 聾唖なのだが、Maki のみんなと大の仲良しで、冗談を言い合っては楽しく仕事をしている。

 ところが、昨日から、ブスッとして、目も合わせず、ニコリともしない。
 アシスタントのディーパックに聞くと、どうやら一昨日、織師のイスラムディンと大喧嘩をしたらしい。
 Maki 姉妹とは本来、何の関係もないはずなのだが、どういうわけかヘソを曲げて、やつあたりしているようだ。
 ほら、右下の写真を見ても、パシウジャマがなんか暗〜いのがわかるでしょう。

 ちょっと寒さのこたえる冬の機場。
 織師の用意してくれた火鉢に当たりながらの作業である。



1月21日 縫い縫いの面々


 
今日は朝から雨模様。
 さすがに雪は降らぬが、冬の雨というのは南国インドでも、ひたぶるにうら淋しいものがある。
 予報では明後日もまた雨だというから、ちょっとユーウツ顔の真木千秋。
 さきほど妹のカオリとともに、機場へ出かけていった。

 私ぱるばは今日、縫製工房である。
 宿からは、機場と反対の方角。
 Maki はここインドで、布ばかりでなく、衣もつくっているのである

 縫製の担当は大村恭子だ。(写真上・中央)
 真木テキスタイルに加わって早五年。
 毎年三度、インドに通っては、衣づくりに励んでいる。
 インド英語もバッチリだ。
 もはや日本でも有数のインド通になっているはず。

 それから今回は太田綾が加わる。(写真上・右)
 当スタジオに入る前はパタンナーをしていたという新戦力だ。
 彼女の参加によって、衣づくりの様々な微調整がより迅速になった。
 英語はまだまだだが、インドの職人たちにすぐ溶け込むあたり、なかなか頼もしい。

 写真上の左が、ここの工房長、アミータ。
 阿弥陀に通づる有難い名前を持つこの婦人は、ニルー姉御の末弟ラレットの奥さんである。
 昨年ご紹介したイシャンは、この人の長男だ。
 主婦業の傍ら毎日五時間、ここで仕事をしている。
 お人形みたいなカワイイ人で、最初はどうなるかと思ったが、もう十年、しっかり工房長をやっている。
 そして毎日、Maki の娘たちのために、手製の弁当を持ってきてくれる。
 私もご相伴に与ったが、今日のメニューは、ミックス野菜のカレー、オクラのカレー、パニール(乳酪)のカレー、ダール豆のカレー、それにチャパティ。
 どれも油分が少なく、とてもヘルシーで美味しかった

 さて、今回もいろいろ衣のプロジェクトを抱えてやってきた。
 布をたっぷり使ったクロスパンツとか、薄手シルクの七分袖ブラウス、肩幅の小さいショートベスト、それに合わせたスタンドネックのシャツ、更には 山口和宏・木工展(6月)にあわせた綿カディの小物など。

 写真中で四人が鳩首協議しているのが、スプリングコート。
 これは本HPでも先月紹介した、春物のショートコートだ。
 左端がテーラーのジャハンギ、その右がマスタジである。
 マスタジというのは「マスターどの」という意味のインド英語。
 すなわちここの職人頭で、パターン作成と布のカッティングがその仕事だ。
 この四人の間で、英語、日本語、ヒンディー語が飛び交う
 あまりに専門的で私にはよく分からぬが、なんでも襟のロックの部分をどう始末するかというのが議題らしい。

 衣づくりの仕事は、ここだけでは終わらない。
 毎晩、夕食後、みんなで宿の一室に集まって品評会である。
 モデルの恭子が着ているのが、とれたてのフレンチスリーブ・ブラウス。
 コットン×シルクの夏向き上衣だ。
 ボタンの位置をどうしようか、後ろの布の分量はこれでいいか、四人であれこれ相談している。

 女の館ゆえ、私はそろそろ失礼つかまつろう。
 かくしてインドの夜は更けていく。
 



1月22日 ルイルイ


 
久しぶりの晴天。
 今日は仕事がはかどりそうだ。
 勇躍、宿を出て機場に向かう真木姉妹。

 真木香によると、こうしたインド滞在は、なにか特別な訓練でも受けているような感じだという。
 つまり、限られた時間内に、手際よく段取りして、次々に仕事をこなさないといけない。
 何人もの織師と同時に仕事をするから、頭がいくつあっても足りないという。

 たとえば、タテ糸をひとつ作るとしたら、その前々日あたりに糸を選び、量を指示して巻いてもらう。
 それと平行して、別の織師の織り出しがあったり、また別の織師のために糸を染めたりと、様々な作業がある。
 それもクリエーティブな仕事だから、感性が大いに必要とされるのである。
 すなわち、三週間にわたって、乏しい左脳と比較的豊かな右脳を大回転させるわけだ。

 その真木香、さきほどから、「ルイちゃんが待ってるから…」と、少々あせっている。
 ルイちゃん!? 聞いたことない織師だなと思っていると、ワジッドのことだという
 なんでワジッドがフランス人でもあるまいしルイちゃんなのかというと、話は急にいしにえの大衆文化の方向に展開するのだが、かつて日本に太川陽介なる歌手がいて、ルイルイ♪という歌を歌っていて、このワジッドがかつて太川陽介に似ていたから、それゆえにルイちゃんなんだそうだ。
 う〜ん、真木香の右脳はこのように機能するのか!?

 ま、それはおくとして、織師の給金は出来高制なので、仕事がないと困るのである。
 ルイちゃんは性格が良いから、あんまり表だってセカしたりしないのだが、あんまりヒマだと、ときどき機場から姿を現し、真木香の顔をチロッっと覗くのだ。
 
 香は今、ワジッドの紋織り機でミニショールを織っている。
 これは読んで字のごとく、30cm × 90cmほどの小さなショールだ。
 青系、黄系、マルーン系、三種のタテ糸を既に作っている。
 上写真で香が手に持っているのが、そのサンプル。
 ヨコ糸に様々なシルクを使って、カラフルだ。

 ただ、紋紙を何度変えても、一ヶ所、変な模様が出る。
 それで一緒に調べてみると、どうやら、紋織り機の吊糸(上写真・右上の白い糸)の一本に不都合があるらしい。
 修正には一時間半ほどかかるという。

 そこで香は染め場へ向かう。
 三日前の本ページでご紹介した、「スペース・ダイ」の糸染めだ。

 糸はバンガロールの生糸。
 チャップフラワーでグレーに染めた上に、インド藍で重ね染めする。
 ただし、部分染めなので、工夫が必要だ。

 まず、板を使って、正確に糸カセを計り、ヒモでしっかりしばる。
 そして染めたくない部分を、ポリ袋でおおう。(写真中)
 そして染師キシャンに染めてもらうのだ
 しばらく干した後、糸をほぐすと、写真下のように染め分けられるというわけ。
 (これはグレーで染めてない糸。背景は織師ワヒッド)

 ただ、今日はちょうどクリケットの国際マッチをやっていって、職人達は気もそぞろ。
 クリケットといえば、英連邦の国々ではサッカーと並んで人気のスポーツだ。
 なんでもインド対オーストラリアの試合なんだそうだ。
 染師キシャンの心もラジオ中継に向かい、どうしても手が止まってしまう。
 そこで香も心を鬼にして、ラジオのスイッチを切ってもらうのであった。

 更に悪いことには、今日は一日中停電。
 それで水の供給がストップし、思うように染められない。

 ま、郷に入りては…で、のんびりやるほかあるまい。



1月23日 「デリー職人列伝」その五・織師イスラムディン


 
今回のインド滞在も、残すところあとわずか
 昨夜は豪雨が降るなど天気はイマイチだが、そのおかげでホコリも鎮まっていいか。
 幸い雨もやみ、機場では朝からいろんな作業が進められる。

 タテ糸整経機では、男たちが三人がかりで、タテ糸を巻き取っている。
 これは真木千秋が昨日、夕方までかかって作ったもの。
 新しい綿タビーの服地だ。

 Makiの服地というと、「ちりめん」とか「ワヒッド」など、「よそ行き」の高級服地がお馴染みである。
 今回はもう少し普段着に近い生地をつくろうと計画。
 タテ糸に微妙な色の綿やシルクを様々に使い、繊細でありながら、コシがあって丈夫…なんだそうだ
 若手の織師・ディルモハメッド(上写真いちばん手前)の機で、これから織り出しだ。

 その隣では、真木香が指示書を前に、デザインの手直し。
 これは織師イスラムディンの織るストール「あかね」である。
 昨年初めて織ったものだが、タテを少し変え、ストライプっぽくなっている。

 ところが、肝腎の織師イスラムディンの姿が見えない。
 「すぐいなくなっちゃうのよ」と真木香。

 そういえば、七年前に書いた拙著『タッサーシルクのぼんぼんパンツ』の中に、以下のような記述がある;

 チアキたちが工房に到着すると、案の定、イスラムディンがいない。
 「あの人どこへ行ったの?」とタテ糸職人のパシウジャマに聞くと、
 「お茶だよ」と答える。
 そこで近くで暇そうにしていた織師をつかまえて、呼んでくるよう頼む。〈中略〉

 そのうちイスラムディンが現れる。
 「イスラムディン、キャー・カルデオ!」とチアキから声が飛ぶ。 
 「なにしてたの!」という意味だ。
 別になにをしていたか知りたかったわけではない。
 これはニルーから習った彼への挨拶なのだ。


 というわけで、七年たっても相変わらずのイスラムディン。
 きっとチャイ屋に行っているに違いない。

 そこで私は、歩いて数分のところにあるチャイ屋へスパイしに行くことにした。
 すると案の定、イスラムディンの姿が ― 。
 シャザッドやカリファなど、同僚の織師たちと、よろしくお茶をしている。

 インドのチャイは、牛乳で煮出し、スパイスを加えた、とっても甘くて美味しいものだ。
 値段を聞くと、2ルピーだという。
 あいにく持ち合わせはなかったが、せっかくだから私もご相伴に与ることにした。
 左から、イスラムディン、シャザッド、私。

 そのうちに、ナイームやディルモハメッド、タテ糸職人パシウジャマといった、お馴染みの面々も現れる。
 粗末な掘っ立て小屋だが、みんなの社交場なのだ。
 そういえば数日前、このイスラムディンとパシウジャマは大喧嘩していたのではなかったか!?
 今ではお互い、何事もなかったかのごとく、ケロッとしている。
 ま、仲が良いから喧嘩もするのであろう。
 (結局、誰が私におごってくれたのであろう?)

 なんて書くと、イスラムディン、遊んでばかりでぜんぜん仕事しないみたいだが、そんなことはない。
 今も機場へ行ってチェックしてきたのだが、ご覧の通り、ちゃんと仕事していた。
 (チェックが必要なのが悲しい!?)

 だいたいMaki の織師をもう十年以上もやっているのだから、ウデは確かなものがあるのである。
 ただ、性格が単純なせいか、杼(ひ)を何本も使うような複雑な織はちょっと苦手かな。

 顔はいかついが、心根は優しいイスラムディンである。
 (なお「デリー織師列伝」1〜4はこちら)
 (なお昨日のクリケット国際マッチは、インドが最終回に大逆転負けを喫したらしい) (やっぱラジオを消されたせいか!?)



1月24日 カリスマ織師


 
「ほんと、シャザッドって華麗なる織師! 見てるだけで気持ちいい」
 これは昨日の午後、先染めの真南風用生地をシャザッドが織り出したとき、思わず真木千秋の口から洩れた感想だ。(写真上)
 彼の織りを見ていると、今までの疲れが吹っ飛んでしまうのだという。
 要するに、千秋と感覚が合うのだ。

 タテ糸に対してヨコ糸を入れるのが織師の仕事。
 ヨコに入れる糸の種類や、色、密度などは、デザイナーが指示をする。
 ただ織師によっては、何々の糸を何回何cmと、細かく指示しないといけない。
 ところがシャザッドの場合、細かな部分は彼の感性に任せて、のびのび織ってもらう。
 そうするとイメージしたような織物が姿を現していく。
 気持ちいいのも当然であろう。

 そうして織上がったサンプル数十センチを宿に持ち帰り、夜のうちに洗い、乾かす。
 朝になって検分し、デザインを再検討するのだ。
 この生地は、基本的に平織だが、ところどころに「綾」すなわち小さな模様が入っている。
 その綾部分の密度が少々足りなかったかな、というのが千秋の反省点だった

 今朝のデリーは濃い霧がたちこめ、肌寒さもひとしおだ。
 機場にやってきた千秋は、さっそく昨日の布を取り出し、シャザッドに伝える。
 シャザッドは片言の英語ができる。

C : これ、織りはすごくよくできてる。
S : (ニヤッとする)
C : でも、ほらよく見て、この綾のところ。これはショールじゃなくて生地だから、綾の密度をもうちょっと高くしたいのよ。
S : OK。
C : それから綾の数を少し減らしたいんだけど。
S : ああ、このあたりだね。
C : うん、そこのへんを省いてもらえる?

S : OK。

 そうして華麗なる織師は機に戻っていくのであった。

***

 ここで私は一時、機場を離れる。
 ニルーの弟、ウダイ家に昼食によばれたのだ。
 ウダイの妻アニータは料理が得意。
 インド料理、それも徹底してベジタリアンしか作らないが、そのレパートリーは二百種類に及ぶという。
 二百種類の野菜カレー!
 ウダイも毎日の食卓が楽しくてしょうがないだろう。
 今日は、ゴビ・パラック(カリフラワー&ほうれん草)、ミックスベジタブル、ダール豆、ラジマ豆のカレーが出る。

 写真は私にアツアツのチャパティを供するアニータ。
 インドの主婦は、客や家族のみんなが満足するまで、食卓に座ることなく、ひたすらチャパティを焼き、供し続けるのである。(photo by Mani)

***

 機場に戻ってパソコンを開くと、いつものとおりタテ糸職人パシウジャマが覗きこむ。
 そしてアニータの写真を見ると、「これ誰?」と聞く。
 真木香が手話で「ウダイの奥さんだよ」と言うと、珍しそうにしげしげと見つめている。
 きっと初めて見るのであろう

 タテ糸整経台では、今日最後の巻き上げ作業だ。
 真木香が手塩にかける「スペース・ダイ」。
 担当は、華麗なる織師シャザッドだ。
 タテ糸はグレーと藍でグラデーションをつくっている。
 真木香はまるで愛しの我が子を見守るような面持ちだ。

 シャザッドらに見送られて六時過ぎに機場を出ると、西の空には鎌のような月と金星が並んでいる。
 月や星だけはどこで見ても同じだな…と、ちょっと仲麻呂チックな気分。
 ― 天の原ふりさけみれば武蔵なる多摩のお山に出でし月かも ―



1月25 てんこもりの一日


 
今日も朝から霧がたちこめる
 「今年はなかなか暖かくならない」と、昨日アニータがこぼしていた。
 平年だと、一月の下旬には、かなり暖かくなるのだ。

 機場に到着すると、今日もラクシュミの元気な声が聞こえる。
 五歳になる工房のマスコットだ。
 母親(上写真・右端)は毎日、機場の脇で糸巻きをやっている。
 ちょうど今、織師シャザッドの先染めの真南風用に、二種類の絹糸を引きそろえているところだ。

 ラクシュミもその横で糸を押さえてみたり、空の糸巻きをバケツに入れて運んだり、一応お手伝いもしている。
 長老織師ワヒッドとも仲良しで、よくお話している
 そうかと思うと、今度はチアキの横で綾取りだ。
 インドにも綾取りがあるのである。
 ホントだったらチアキも一緒に遊びたいところだが、今日はそんなこともしていられない。

 機場でフルに作業できるのも、今日が最後だ。
 現在Maki のために織っている八人の織師、すなわち、ナイーム、イスラムディン、ワヒッド、バブー、シャザッド、ディルモハメド、ワジッド、ジャバールに、三ヶ月分の仕事を準備しないといけないのだ。
 (なぜ三ヶ月かというと、今度インドに来るのが三ヶ月後の四月だから)

◆◇◇

 さて真木千秋には、昨日からひとつ、課題があったのだ。
 織師ジャバールを相手に織っている、「あめつち」というショールがある。
 「あめつち」とは、すなわち天地のこと。
 一年ほど前、「ギャルリももぐさ」展示会のため「あめつち」という作品を織り上げたのだが、そこから構想を得た一作だ。

 タテ糸に中国柞蚕のギッチャ糸を日本から持参して使う。
 これは初めての試みだ。
 ヨコ糸にはナーシとかカティアという太目糸を入れ、ざっくりモコモコした風合になる。

 数日前から織り出しをしているのだが、どうしてもサンプル通りに上がらない。
 その謎を解こうと、昨日は夜の11時まで、宿のバスルームにこもってヘアドライヤーで乾かしたり、ベッドの上じゅう布だらけにしたり、まことに騒々しい限りであった。
 その結果、達した結論は、織師ジャバールが機のセッティングをいじったに違いない! ということだった。

 それで今朝さっそくジャバールを呼んで真相究明である。(右写真)
 ジャバールいわく、自分は機などいじっていないという。
 それで考え込む真木千秋。
 結局、自分にちょっとした勘違いがあったようだ。
 機の踏み方を少々変えることにして、一件落着。

◇◆◇

 その向かいの機では、ジャカード(紋織)機のスペシャリスト・ナイームが、いつもの通り黙々と織っている。
 今回は帯(おび)だ。
 以前も試したことはあったが、本当の帯幅で織るのは今回が初めて。

 タテは1:4のツートンカラー。
 ヨコに沖縄苧麻や韓国柞蚕、バンガロール絹を使うという極めてインターナショナルな組み合わせで、凹凸のある地模様が出る。
 着用したとき粋な感じになるようなデザインだそうだ。
 今回は八本織るが、それぞれ違ったものになるという。

 ナイームはその後、艸(くさ)、および枯れ野のストールを織る。
 艸は、今回初めてラックダイで紫褐色で染めた糸、および藍系統の糸を用いる。
 枯れ野は春色になるとのこと。

◇◇◆

 一方、機場裏の染め場では、Maki の娘たちが、染師キシャンとともに布染めの真っ最中。
 スプリング・コートやサロンに使うシルク生地(ミュージアムピース)の染めだ。

 染め材は、チャップフラワー
 これは四年ほど前から使い始めたものだ。
 きれいなグレーや、紫がかった鼠色が染まる。

 薬種店から乾燥した花を買ってくるので元の植物はよくわからないが、赤くて小さな、長細い花であるらしい。
 嗅いでみると、刻み煙草みたいな匂いがした。

 染め場では引き続き、藍で生地染めが行われている。

 まだまだいろいろあるのだが、ま、読む方も大変だろうから、今日はこの辺で。



1月26日 たまにはメンズ


 
今日は共和国記念日。
 インド国民の祝日である。
 機場も縫製所も休みだ。
 「働くとお巡りさんに捕まる!」と言って、織師たちも堂々と働かない。

 朝起きて窓の外を見ると、いつになく濃い霧が立ちこめ、まさに一寸先も見えない。
 まさにインド共和国の行く末を象徴するかのごとく…
 な〜んてことはなく、インド経済は今や中国に次ぐ高成長を見せ、世の注目を集めているのである。
 ま、経済成長すればいいってもんじゃないけどね。

 我々の投宿するホテルは「エコテル」という別名があって、いちおう環境にも配慮しているらしい。
 たとえば、連泊の場合、ベッドシーツを交換しないようリクエストもできる。
 その洗濯だけでかなりの水を消費するからね。
 だから私はできるだけぐゎんばってシーツを連用し、少しでもインドの環境保全に協力しようと努めている次第である。

 ここの朝食はすばらしい。
 バイキングなのだが、洋食のほかに、インド料理、そして豊かなフルーツ類が出るからだ。
 インドの朝食というと、よく南インドの料理が供される。
 北インドの料理より油分が少なく、朝食向きだからかもしれない。
 Maki の女衆はパンなど洋食を好むようだが、私はいつも印食だ。

 写真が今朝の朝食風景。
 外の濃霧がわかるでしょう。
 手前中央の皿内、右側に二つ並んでいる茶色いのが、ウタパムという南インド料理。
 ホントは私はイドリという「米粉の蒸しパン」みたいのが好きなんだが、残念ながら今日は出なかった。
 このイドリやウタパムを、いろんなチャツネと一緒に食べる。
 皿内の左側にあるのがチャツネ類。
 一番手前の緑色がコリアンダー・チャツネ、その上のオレンジ色がトマト・チャツネ、その上に白いのがあってココナッツ・チャツネ。
 ちなみに「チャツネ」の原語は、「chatni」というヒンディー語である。

 ところで、私の着ているこのシャツ、新調である♪
 先日、テーラーのレヘマンに仕立ててもらったのだ。
 いや別に私利私欲のために特別あつらえしたわけではなく、あくまでも新製品開発のための人体実験、いやモニタリングである。

 メンズのシャツといえば、かつてはギッチャ×ギッチャ、最近はワヒッド生地のものが定番であった。
 このたびはタヒールの生地だ。
 中国柞蚕糸など四種のシルクを先染めし、織り上げた服地である。
 この生地に合わせ、ソデ丈を2.5センチ短くし、肩の部分でソデと身頃の寸法を3ミリずつ縮めるという極調整を施す。
 今回はこのメンズシャツを四枚仕立てるのだそうだ。

 ま、ここだけの話だが、Maki の布で縫製するというのは、いと難しき作業であるらしい。
 手紡ぎ手織りの布だから、不均一に立体的なのである。
 それで、たとえば、縫製の際に生地が泳ぎやすい。
 そこを真っ直ぐに、伸ばさず、縫うわけだ。
 何の変哲もないようなシャツであるが、その裏側には、大村恭子やテーラーたちの涙ぐましい努力が隠されているのである。

 さて、今日はファイル・デー。
 Maki のみんなはそれぞれ自室にこもり、「ファイル」すなわち指示書の作成にいそしむ。
 私はアジェイ(ニルーの夫)の招待で、南インド料理店におでかけだ。(経営者は胃腸が勝負!?)
 



1月27日 しばしの別れ


 
旅立ちの朝は、今までで一番の晴天であった…。

 昨日は滞在中で最も忙しい「ファイル・デー」。
 すなわち織師たちに渡す指示書づくりに忙殺され、真木千秋は朝方の3時、娘たちは4時に就寝という有様。
 そして今晩は機内泊だ。
 日程はあらかじめ決まっているのだから、もっと早く寝られるよう案配すればいいのに、なかなかできない。
 もっとも、以前は徹夜していたみたいだから、少しは進歩しているのかも。
 (すなわち、欲張りすぎというわけ)

 で、欲張りついでに、午前中の二時間、最後の機場仕事にでかける。
 昨日作成の指示書を携え、最後の打ち合わせだ。
 写真上は真木香が織師ナイーム向けの指示を与えているところ。
 ストールの艸(くさ)、および枯れ野についてだ。
 右端の黄色いセーターがナイーム、その左ベージュのセーターが工房長のラムチャンダン、その左ブルーのジャケットがアシスタントのディーパック。

 指示は直接織師に与えるというより、工房長とアシスタントに与える。
 工房長のラムチャンダン一家は、父親ビジェイの代からMaki と一緒に仕事をしているという、ニルー工房の要だ。
 けっこうオジサン体型だが、まだ28歳のラムチャンダン。
 子供の頃からニルーのもとで織りを仕込まれているから、技術的なことも詳しい。
 織師の管理や、糸の手配など、この人がいないと仕事にならない。

 アシスタントのディーパックは、まだ23歳の青年。
 毎朝カッコいいバイクにまたがってやってくる。
 Maki 専属のアシスタントだ。
 英語ができるから最初は通訳として雇われたのだが、なかなか勉強熱心で、織りのことも大分わかるようになってきた。
 Maki が帰国した後も、毎日指示書を手に機場に通い、織師たちの仕事をチェックする。
 こうした人々の働きがあって、Maki の織物ができてくるのである。

 打ち合わせの合間に、織師たちの様子を見てまわる
 写真下は長老織師のワヒッド
 キモノ地を織っているところだ。
 三年ほど前から、和服にも使えるような生地を織っている。(私の着物姿参照)
 これは真木千秋にとって一番苦心の織物であるらしい。
 一見、無地のようだが、その中にいろんな糸が織り込まれている。
 紡ぎ方、太さ、練り方、引きそろえ方などに微妙な工夫を凝らし、しっかりしたコシを与えるのだという。

 二時間半ほど滞在し、みんなに見送られながら機場を後にする。
 (みんなきっとホッとしていることであろう)
 急いでいたものだから、香はルイちゃんにさよならするのを忘れてしまった。

◆◇◇

 というわけで、そろそろ出立の時間だ。
 今回は諸般の事情により、私だけがインド航空302便、女衆は日本航空472便である。
 インド航空はバンコク経由なので、1時間早くデリーを出て、1時間45分遅く成田に着く。
 うまく成田で落ち合えるか!?

 機材はちょっとボロいが、食事、特にベジタリアンに関してはインド航空の方が上。
 この期に及んでまだインドカレー!?と思われるかもしれないが、カレーこそクールな機内食なのである。

〈完〉      




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