India 2004.9
 

2004年8月22日から9月9日まで、真木姉妹ら四人がインドにて布&服づくり。
十日後に到着した田中ぱるばが最後の一週間を現地からリポートしました。




9月3日 モンスーン明けの機場


 昨夕インド到着。
 往路のインド航空機は空いていて快適だった。
 快適ついでに、定刻より一時間も早くデリーに到着するという偉業も成し遂げる。
 午後四時で地上気温36度という機内アナウンスがあるが、今夏の日本人は特に驚きもしない。
 (あるいは英語がわからないのか…)

 九月の声を聞くとともに、デリー地方の雨期(モンスーン)も終わったようだ。
 やや霞んではいるものの、空は晴れ渡っている。

*  *  * 

 現在、ここデリーでは、真木千秋、真木香、大村恭子、太田綾の四人が、十日ほど前から布および衣づくりに励んでいる。
 若いスタッフは元気そうだが、人生も半ば過ぎんとする手弱女(たおやめ!?)には、北インドの苛烈な夏は少々辛いものがあるようだ。
 (そして一年の半分は夏である)

 幸い今回は経糸職人パシウジャマの御機嫌もうるわしいようで、経糸(たていと)づくりも順調に進んでいる。

 上写真はそんなパシウジャマのひとコマ。
 ちょうど織師ワジッドが通りかかったので、からかっているのである。

 「おい、ワジッド、ソパーリはないのか?」
 「なに、またかよ…」
 
「ちょっと持ってきて、この人たちにやんな!」
 「しょーがないなあ…」

 …みたいな体話が交わされた模様である。(抄訳:真木千秋)
 (聾唖のパシウジャマは、手話ならぬ「体話」の優れた表現力を持つ) 
 ソパーリというのはインドのチューインガムみたいなもので、おそらくはコーラナッツであろう堅い木の実である。
 ワジッドがいつもその実を持っているので、それをせびるのがパシウジャマの日課となっている。
 今日は千秋たちをダシにするという、ちょっとスマートなバージョンであった。
 人の良いワジッドは自分の機に戻って、ソパーリのカケラを幾つか持って来る。
 私もご相伴に与ったが、ちょっと渋い木の実である。

 ちなみに、今かけている経糸は、KINUストール。
 グレー系で、二年ぶりのリバイバルだ。
 以前にもグレー系をつくったことはあるが、当時よりも糸の種類が増えている。
 それゆえ、風合いに微妙な変化が現れそう。



9月4日 半端な時差


 インドと日本の時差は3時間半。
 この「半」というのがクセ者で、おかげで時間の計算が面倒になる。
 たとえば、日本の午前9時は、インドの午前5時半なわけ。
 おそらく世界の主要国で「半」の時差を持つのは、インドくらいではないか。
 この端数は、インドが東西に長いにもかかわらず、ひとつの標準時を採用しているせいであろう。
 だからインド人が海外に出ると、どこへ行っても「半」の時差が出ることになる。
 ただ彼らは数学に強いので、我々ほどには苦労しないかもしれない。

*  *  *

 さて、朝の八時に宿を出て、20分ほどで機場に到着。
 織師たちも仕事を始める時間だ。
 真木香は新作のひとつを織師イスラムディンとともにつくっている。
 無地風のマフラーだ。

 香は八ヶ岳山麓 かぶらスタジオで、年間の展示会に向けていろいろ織りを進めている。
 その中でひとつ、今回のインドで織ってみようというアイデアが生まれた。
 それがこの「無地」風のマフラー。
 今まであまりつくったことのない織物だ。

 たとえば一見すると無地のようなグレー生地でも、よく見ると、生成やカーキ色の糸が使ってあったりする。
 ところが今回は、すべて藍系統の色。
 ほとんどの糸はここで藍染したものだ。

 様々なシルクを濃淡に染め分けた9種類の糸(上写真の右下)を使い、7種ほどのパターンで試し織りする。
 上写真の布がそのサンプルだ。
 その中から二種類選び、本制作に入る。
 織師はイスラムディン
 もう十年以上もMaki 布を織り続けているベテランだ。

 このイスラムディン、インド人にしてはちょっと数に弱いみたいだ。
 本製作には6種類の糸を使うが、ちょっと手こずっている。
 9種の糸を使ったサンプル織りのときは、助手がつききりであった。
 それでもイスラムディン、がんばっているようだ。
 十時半ごろ、様子を見に行った香が、「スゴーイ!」と言いながら戻ってくる。
 なにがスゴイのかと思ったら、大将、珍しく十時のお茶にも行かずに織っているのだそうだ。

 この作は、小さめでカジュアルなマフラーになる予定。
 シルクで肉厚な風合いは、Maki の中でも珍しい存在になる。
 首にちょっと巻いて買い物に出たりするとき便利。

*  *  *

 別の機では若手のタヒールが緑系のストールを織っている。
 緑というのは、周知の通り、草木染めではなかなか出ない色である。
 まず黄色に染めて、それから青を染め重ねるのだ。
 Makiの場合、西表でフクギを使って黄色に染め、それから藍を重ねることが多い。
 フクギと藍を重ねると、深緑ではない、透明感のある鮮やかな緑が出る。
 そのためには、フクギも藍も元気でないといけない。

 今年始めに緑×茶系のストールを織ったが、今回は春に向けて爽やかな緑×白。
 赤城の節糸やど、様々な糸を染めてあり、緑の陰影も様々だ。
 それを大きな格子模様に織り上げる。
 今はまだ試織の段階。
 緑の糸に白い糸を引き合わせるのだが、その組み合わせ方が数限りなくあるので、自分でも解らなくなるほど複雑なプロセスのようだ。

 いずれにせよ、滅多には織れぬ貴重な色なので、グリーンの好きな人はお見逃しなく。



9月5日 織師シャザッドの周辺


 カリスマ織師シャザッドのもとには、今回も難題が持ち込まれたようだ。
 「Chiaki madam is hard …」という片言英語のつぶやきが聞こえてきた。
 ここ数日、彼がかかりきりになっているのが、新しい格子柄である。

 真木千秋が過日、ある人から古い日本の裂をもらう。
 たとえば、昔の布団地に使われているような、なつかしい色柄の格子だった。
 残糸を使用しているので、定まった規格はなく、自由な意匠で織られている。
 そんな布を手本にして、自分なりの発想でつくっているのがこの作だ。
 今回一番のお気に入りだという。

 数種類の絹糸を使い、すくも藍やインド藍で染める。
 それを更に二本や三本に引き揃えたりするので、ヨコ糸に使用する杼(ひ)の数は13に達する。
 千秋マダムが厳しいと言われるゆえんである。
 中写真に二つ並んでいるのが杼だ。(英語で言うとシャトル)

 ひとつの横縞ごとに数個の杼を使用する。 
 長さ数cmの縞を織り終えると、別の杼に交換するのだが、それがちょっと面倒。
 すなわち、ヨコ糸をタテ糸の間に入れ込んで切り、新しいヨコ糸をそこに重ねて、打ち込む。
 シャザッドにしかできない仕事だ。
 しかしなかなか織り進まない。

 風が吹くと更に進みが遅くなる。
 シャザッドの機は工房の出入り口に位置している。
 外には緑の畑が広がり、明るくて気持ちがいい。
 風が吹き込むと更に気持ちいいはずなのだが、それが織りには障害となる。
 風によってタテ糸が左右に動き、打ち込みの際に切れやすくなるからだ。
 もちろん、それも承知の上で、気持ちいい場所に機を据えているシャザッドである。

*  *  *

 ところで、織師たちはほとんどルンギ姿だ。
 ルンギとはインドの腰巻。
 長さ2m少々の布を腰に巻くのだ。
 これがインドの夏にはすこぶる快適。
 私ぱるばも初日はカディのメンズパンツで出現したのだが、暑くてたまらず、二日目からはモンゴルギリ(超薄地手織り綿)のルンギで御機嫌である。

 今日のシャザッドは格子柄のルンギ。(写真左)
 これもモンゴルギリに劣らぬ薄地の手織り綿である。
 実は、シャザッド故郷の村では、この布を織っているとのこと。
 今度帰郷した折に、土産として持ってきてくれるそうだ。

 しかし、巻き方が少々違う。(写真右)
 左は私でグジャラート風。
 右がイスラムディンでウッタルプラデシュ風。
 (真木千秋がこの写真を見ながら、「イスラムディン、かわい〜!」と言っている)

*  *  *

 さて、この「格子柄」に平行して、もう一台の機では「生葉」の試織だ。
 限られた時間内で様々な織りの準備をしないといけないので、シャザッドも二台かけもちで忙しい。

 生葉というのは、藍の生葉染めのこと。
 今年はつい先日の八月中旬に信州上田で行う
 それを今回持参して、さっそく機にかけているのだ。
 今年の生葉染めはいつもより濃い目だという。

 五日市座繰り糸を使っているので、少々打ち込みが難しいようだ。
 これは私たちが手で引いた糸なので、太さが不均一なのである。
 ただ、いちばん白くて透明な春繭糸なので、生葉染めには欠かせない。

 「生葉」を使ったストールは以前もつくってきたが、今回はハッキリと色が別れるデザインだ。
 真木千秋の手許にあるサンプルのように、生葉色とカーキベージュの色が対比をなす。
 「ちょうど夕陽が雲を染め分けるよう」なイメージだそうな。

*  *  *  

 右写真は機場内での典型的な風景。
 みんなてんでに好きなことをやっている。

 太田綾(左)と大村恭子(中)は糸カセからサンプル取り。
 真木千秋(右端)は仕上がったばかりの「緑系」を大村の肩にかけて、出来具合をチェック。
 奥では真木香が助手のディーパックを相手に、服地の指示を与えている。

 戸外だから、もちろんエアコンなどない。
 頭の上で大きな扇風機がパタパタと回っている。



9月6日 梅干


 通常、Maki のスタッフは朝、二手に分かれる。
 真木千秋と香は機場(はたば)へ、そして大村恭子と太田綾は針場(はりば)へ。
 「針場」という言葉があるかどうか知らないが、要するに縫製をする場所だ。
 年頭にもお送りした通り、Makiの衣を縫製している職人たちがミシンに向かっているのである。
 
 さて、クルタに身を包んだ大村と太田、なにやらマスタジ(職人頭)と協議している。(上写真)
 これはひと月前に竹の家で準備していたスリットスカートの実作サンプルだ。
 型紙では85cmになるはずなのに、仕上がってみると83cmしかない。
 なんでかなーと三人で考えているのだ。
 厚手の生地なので、おそらくは折り返しなどで思ったより長さが取られてしまうのだろう。
 それにしても2cmの誤差って大きいなーと思案顔の二人である。

*  *  *

 針場には工業用ミシンが何台も並んでいる。
 もちろんすべて電動式だ。
 しかしここはインドだから、よく停電する。
 するとミシンがいっせいに止まり、あたりはしーんと静まりかえる。
 職人たちもなすすべなく、ただ静かに座るばかり。
 このあたりが、オール人力である機場との違いだ。

 今回は14点ほどの新作を作る予定。
 右の写真は、そのひとつ、ピンタック入りのブラウスだ。
 ミシンで1ミリほどの小さなヒダを作っていく。
 ピンタックはインドでよく使われる技法だが、Makiでは初めて。
 あまり全面的に施すと少々インドチックになってしまうので、袖口と裾に三筋ほど入れてみる。
 生地はタッサーナーシ。

*  *  *

 針場にいるのは縫製職人ばかりではない。
 ミシンではできない細かな作業をおこなう、お針子たちもいる。
 サリーを来た婦人たちだ。
 右の写真は、グンディを作っているところ。
 布でくるんだ「くるみボタン」だ。
 使っている生地は、ワヒッドウール。(膝の上に載っている)

 このポコポコした生成の布を使って、新作の「丸襟ジャケット」が作られる。
 そのジャケットに使われるグンディだ。
 生地を裁断した端裂から作る。

*  *  *

 縫製職人たちも、やはり上京組が多い。
 ビハール州から来た人々が中心だ。
 みんな弁当持参だが、今日は魚カレーを食べている人たちがいた。
 内陸のデリーで珍しいと思っていると、ガンジスで獲れた川魚らしい。

 我々の昼食はすばらしい。
 工房長アミータのお手製だ。
 アミータというのは、ニルーの弟嫁である。
 右の写真はその一部。(あと二品あった)
 注目すべきは、右端にある黒っぽい固まり。
 これ、インド版・梅干である。

 ただし、梅ではなくて、マンゴーを使う。
 未熟なマンゴーを収穫し、切って干し、塩と菜種油、スパイス十種で漬け込む。
 これが梅干と同じく、酸っぱくて、辛くて、ちょー食欲をそそるのだ。
 マンゴーは自家の庭にある。
 その実を取って、兄嫁と一緒に漬けるのだそうだ。
 どの家でも作る、一番ポピュラーな漬物。
 やっぱり梅干だ。



9月7日 リスの囀り


 本日まず登場は我らがアッシー、グルディープ・シン&スズキ1300。
 彼らの働きあってこその、インド滞在なのである。
 アッシーくんといえば私の主なる職掌なのだが、インドの路上で必要とされる運転技術は、私の能力を遙かに超えるものがある。

 まずは右側のグルディープ・シン。
 頭のターバンが示す通り、誇り高きシーク教徒だ。
 シーク教徒というのは一般にメカに強く、リキシャ(三輪タクシー)からエアバスまで、ありとあらゆる乗り物の運転席に座っている。
 このグルディープ氏は中でも厳格な一派に属するようで、毎朝三時半に起床して祈りを捧げ、肉食はもちろん酒も煙草も(女も)一切やらない。ついでにヒゲも剃らない。
 故郷のパンジャブ州に11ヘクタールの農地を持ち、人を雇って米や麦やジャガイモやカリフラワーを生産しながら、自分は都のデリーでタクシー会社に雇われ、運転手を勤めている。
 Maki とのつきあいも足かけ6年におよび、市内に分散する数々の仕事場や関係先を熟知していて、まことに便利。
 運転手というのは待つのが仕事だから、インド人にはわりかし向いてるかも。
 特にこの機場はデリーの郊外にあるから、田舎人のグルディープ・シンにとっては、ここでのんびりしているのも良いみたい。
 見てくれはややイカツイが、真木香いはく「すごく真面目で、インド人とは思えないほど時間に正確」だそう。(う〜ん、ちょっと差別表現か!?)
 
 片や左のスズキ1300。
 日本のスズキ自動車が現地との合弁で作っている1300ccの車だ。
 かなり古びてはいるが、やはり日本車のハシクレだから、よく走ってくれる。
 グルディープ・シンは通常、三菱ランサーという1600ccの高級車を運転しているのだが、値段がちょっと高いのでMaki はこれで我慢。
 ウチの女衆は皆スマートなので、ときにはこれに六人乗って走ることもある。

*  *  *

 さて、機場でフルに働けるのも、今日が最後。
 簡単には戻って来られないのだから、遺漏なく進めねばならない。

 右写真は織師ナイームに託す新作ストールだ。
 昨日、最終サンプルが織り上がったところ。
 それを真木香が宿に持ち帰り、水通しして仕上げてきた。
 ヨコ糸に強撚のナーシ絹を使っているので、水通しによって収縮し、ポコポコした凹凸が現れる。
 「えー、こんなになっちゃうんだ…」
 という、ちょっと怪訝な様子のナイーム。
 というのも、機にかかった状態では、あくまでもキレイに、フラットな姿を示しているからだ。
 一見単純な色合いだが、この中には、様々な植物で染めた12色の手引き絹糸が入っている。
 そして、よーく見ると、ジャカード(紋織)機ならではの小さな模様も。

*  *  *

 これが現場オフィスである。
 タテ糸整経機の横。
 屋根があるだけの野外だ。
 テーブルは「コット」を利用。
 木と竹とロープでできた簡易ベッドだ。
 その上に、糸やらサンプルやら書類やら明治のチェルシーやらが満載されている。

 昼食はニルー家から届けられる。
 するとこのコットがランチテーブルに早変わりだ。
 日本の真夏以上の気温だが、それでも食欲が落ちないのはスパイスの威力だろう。
 ニルー家の料理人が作ったもので、野菜カレー三品と、和風一品と、チャパティと、ご飯とフルーツ。
 和風一品というのは、マッシュルームを醤油味で煮たものだ。
 真木姉妹のためにここ十年間、毎日供されている。
 判で押したような、全く同じ料理。
 私は空恐ろしくて一度も口にしたことはないのだが、姉妹も十年食べ続けて、最近「だんだん飽きてきたね」と話し合っている。

 この写真の左側に小さなキッチンがあって、そこで私がパソコンごっこをしている。
 先程この状態で久方ぶりの姉妹喧嘩が勃発し、私は身の置き所に困った。
 幸い丸く収まったようで、これから仲良くお昼である。

 屋根の上ではリスが鳴いている。
 インドのリスは、小鳥のように囀るのである。

*  *  *

 さて、既に何回か登場している助手のディーパック。
 彼とのつきあいも、もう三年ほどになる。
 最初は、Maki と織師たちと間の通訳であった。
 織師はヒンディー語しかしゃべらないから、彼がそれを英語で仲立ちしてくれるのだ。

 その後、ニルーから織りの手ほどきを受けたりして、だいぶ技術的なこともわかってきた。
 今では助手として、Makiの仕事全般を補助してくれる。
 Makiが日本にいるときには、彼を通じて織師に指示を与えることになる。
 仕事上で一番接する機会の多いインド人が、このディーパックである。
 まさに欠くことのできない存在だ。

 写真は玉糸(デュピオン)からサンプルを採っているところ。
 織師や私などより少々ハイソな階級に属するので、ズボン&靴を着用である。(暑そ)
 現在24歳。ニルーのもとで働きながら、通信教育で商学を学んでいる。
 長身のハンサムボーイなので、Maki のお姉様方にも可愛がられている様子。



9月8日 母の悩み


 今日はいわゆる「ファイル・デー」。
 千秋と香は一日中ホテルの自室にこもって、織師たちへの指示書づくりだ。
 右写真は真木千秋。
 窓辺に陣取り、自然光のもと、ルーペで糸の種類を確認しながらの作業である。
 五日市も含め、唯一空調の効いている作業環境がここ。
 ルームサービスでカプチーノを頼んだりしながら、よろしくやっている。

 私は大村恭子や太田綾とともに、針場に向かう。
 ホテルのフロントは超気取ってるので、なかなかルンギ(腰巻)というわけにもいかない。
 面倒この上ないのだが、ズボンに穿き替え、どっかのダンナみたいな風をして通過する。

*  *  *

 針場の作業もいろいろだ。
 右の写真は、助手のビジェイと生地をチェックしているところ。
 生地には往々にして、織りキズやら、シミやらがついている。
 それに気づかず、縫製して製品となり、日本にまで送られてくると、かなり面倒なことになる。

 だからビジェイ君の鋭い視線が注がれるのだ。
 しかし人間だからね、見逃すこともある。
 そもそも、日本ほど細かな欠点を気にする国もない。
 (世界各国のクライアントと仕事をするニルーによると、ウルサイ順番は、一にニッポン、二に欧州、三四がなくて五にアメリカなんだそう)
 ときとして、ビジェイ君もテーラーたちも気づかず、そのまま縫製され、海を渡り、日本に到着してから我々が発見するということもある。
 そんなときは、泣く泣く、「竹の家展」などの折にお買い得品となる。(実用に差し支えない場合が多い)
 あるいは自分たちで着るとか。

*  *  *

 その傍らでミシンを操るのは、テーラーのウスマン。
 先日も御紹介した、ピンタック入りシャツに携わっている。
 縫製途中の作を、手前に広げてみた。
 ちょっと解りづらいかと思うが、スソと袖口、黒↓の下にそれぞれ二本、白↓の下に一本、小さなヒダが入っている。
 これがピンタック。
 ウスマンは今、このシャツにつけるポケットを製作中。
 Maki 専属テーラーの中では一番の年長だが、自分自身でも小さな工房を構え、テーラーを何人か雇っているそうだ。

*  *  *

 さて、針場の女主人、アミータ。
 今日も我々の昼食の世話をしてくれる。
 どちらかと言うと家庭婦人タイプ。
 毎朝二時間ほどかけてクッキングし、夫や子らを送り出し、それから12時近くに出勤してくる。
 料理が大好きなのだそうだ。
 徹底してインドのベジタリアン料理。
 25種類のスパイスを使い分けるそのプロセスは、とてもクリエーティブな作業であるらしい。
 単純に計算すると625通り。
 分量の多寡や調理法の種類を考えると、確かに可能性は無限大になる。

 一番左下にあるグリーンっぽい一品は、ひとよんで、スタッフド・ゴーヤ。
 すなわち、小さなニガウリの中をくりぬいて、マサラ風味の詰め物をするのだ。
 このニガウリ料理はインドでも大人の味で、暑い夏を乗り切るには最適。

 ニルーの末弟ラレットとの間に、二人の子供がいる。
 下の男児が今日、11歳の誕生日を迎える。
 「最近、子供たちは、ピザとか、ケーキとか、チョコレートとか、そんなものばかり食べたがって…」と、母の悩みは尽きない。



9月9日 サンスクリット


 宿の部屋には毎朝、新聞が届けられる。
 こちらで広く読まれている英字紙「ヒンドスタン・タイムズ」だ。
 スポーツ面を開いてみると、昨夕カルカッタで行われたサッカー日印戦の模様が写真入りで報じられている。
 経済面以外でJapan の活字が踊るのは、まことに珍しいことだ。
 嬉しくなって目を通してみるのだが、これがさっぱりわからない。
 もしかしたらサンスクリット語か…!?
 と思われるくらい、難解な署名入り記事である。
 おぼろげにインドの負けたことが推察されるくらい。
 スポーツ欄でも哲学してしまう始末だから、サッカーしても負けるのだろう。

 もっともこの国ではサッカーはあまり盛んでない。
 一番人気はなんといっても、英連邦伝統のクリケットだ。

*  *  *

 さて、今日はインド最終日。
 様々な手配を終えて機場に駆けつけると、織師たちが木陰で待っている。(上写真)
 風が強いので、あまり機に向かう気も出ないのだろう。
 今日は彼らにしっかりと仕事を託さねばならない。

 機場の中では、千秋が織師シャザッドに指示を与えている。
 指示というより、一緒にデザインを考えているという方が正しいかも。

 実は生葉ストールの織りにひとつ問題があるのだ。
 左写真の藍染糸4種、上から1、2、3、4の番号がついている。そのうちの1、2、3番をヨコ糸に使っているのだが、糸が細すぎて滑ってしまう。それでどうしたらいいか検討しているのだ。
 そのやりとりの一部をピックアップしよう;

 Chiaki:ちょっとデザイン変えるからね。
 Shazad:OK。
 C:1番の糸を二本取りにしようと思うの。
 S:そりゃダメだよ。ここが、こんなふうになっちゃう。
 C:そんなことないでしょー、シャザッド先生!
 S:いや、それは難しい。
 C:だったらどうしようか。1、2、3かな。それとも2、3、4かな。
 S:う〜ん…
 C:じゃ、1、2、3、4ってことにしよう。
 S:〈苦笑いする〉

 
なぜシャザッドが二本取り(二本引き合わせること)を嫌がったかというと、滑り易い極細糸を二本合わせると、途中でどうしてもズレが生じ、耳の部分がキレイに織れないのだ。イスラムディンだったら気にせず織ってしまうのだろうが、几帳面なシャザッドはそれが我慢できないのだ。
 それで最終的に四本使うことになるのだが、シャザッドは苦笑いする。なぜならこれでまた一本杼が増えて、織りが複雑になるからだ。

*  *  *

 というわけで、今回のインド滞在も、もう少々。
 帰りは真木千秋のたっての望みで、みんなと一緒にJALで帰ることにする。
 ところが、そのJALがなんと四時間遅れ。
 一方、行きに乗ったわれらがインド航空は、定刻より一時間も早くデリーに到着しているのだっ!!
 次回からはインド航空だな。

*  *  *

 …と心に誓ったのも束の間、JAL機に乗り込んで驚いた。
 なんと最新機材のB777-200ではないか!

 JALのインド路線はやや迫害されていて、機材もちょっと古目のMD11であった。
 乗務員によると、それを今年他社に売却し、最新鋭の飛行機を導入したのだそうだ。
 このトリプルセブンが今後、日印間を結ぶのだという。
 全席に個人用テレビとMAGICコントローラがついているし、パソコン用電源もある。
 もちろん、新しくてキレイ。
 う〜ん、ここまでやられると、やっぱJALかな〜。
 (わりとあっさり裏切る)

 というわけで、今回のインド滞在も、無事終了したのであった。 〈完〉



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