いといと雑記帳 2003

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1月5日(日) 真木千秋・インドへ発つ

 今ごろはきっとカルカッタ上空であろうか。6:55pm
 今朝、真木千秋がインドへと旅立った。
 私は例によって成田空港までお送り申し上げる。
 ほんとは電車で行ってくれると助かるんだけどね。
 でも荷物が多くて、出発間際まであれこれ作業をしているから、空港宅配便というわけにもいかない。
 ま、布づくりに行くわけだから仕方ないか。

 今朝は抜けるような冬の青空。
 これが一番困るのだ。
 成田行きのアッシー君としては。
 なにしろ、まばゆい朝日を真正面に受け、二時間以上も疾駆しないといけないから。
 わけても冬の空気は透明だから、陽光も強烈なのである。

 日本航空471便デリー行き。
 インド航空の常連だったMakiが、どうしてJALを使うようになったのか!?
 これは今を去る三年前、2000年問題の華やかなりし頃に遡る。
 すなわち、真木香のダンナが、「JALじゃないと香を遣らない」とのたまったのである。
 なんでインド航空じゃいけないのかよくわからないが、ともかくそれ以来、Makiの飛行機は全部JALになってしまった。
 今年なぞJALの運賃はインド航空より4割がた高めで、しかも当スタジオからは今回5〜6人のスタッフが渡印するので、この不況下まことにフトコロ痛き次第ではあるが…。

 私はインド航空で行くのである。(別に自慢じゃないが)
 機材は多少ボロいが、エキゾチックでいい。
 料理もウマイしね。カレー♪
 出立は今月23日。

 同日、漆職人・赤木アキト氏もデリーに向かう。
 (上記リンク中の写真は五年前のもの。今はもうちょっと恰幅がいい。髪の毛も黒いし)
 雑誌「住む」の取材で、Makiの仕事ぶりをレポートするのだそうだ。
 (旅は道連れだから「インド航空で行こう」と誘ったのだが、どういうわけか彼もJALなのだ)
 もともと彼、漆を始める前は、雑誌の編集者であった。
 だから文章を書くのもお手の物。
 どんな取材になるか、楽しみなことである。 


1月15日(水) Ecchu AA7♪

 AA7って知ってますか?
 ま、知るわけないよな。私が勝手に造ったんだから。
 Aoyama Anniversary 7 の略。すなわち「青山店七周年」のこと。

 おかげさまで Maki青山店も今春で満七年になる。
 それを記念してのAA7プロジェクト。
 これは現在インドで秘密裏に粛々と進行中のはずである。
 で、私もひとつ乗ろうと思って。

 名づけて 「Ecchu AA7」(えっちゅーえーえーせぶん)
 なんか語呂いいじゃん♪
 すなわち、七周年記念「越中褌」である。

 布好きの男すべからく越中をつけるべし。
 …というのが私の年来の持論であった。
 ただ、持論ばっかで実際の紹介をあまり致さなかったのは、布屋の会長としては少々怠慢であったかも。
 (むかし「ぱるこれ」と題する越中サイトも作ったんだけどね。現在休止中)

 総じて魅力的な越中が少ないのである。
 デパート和服売場にある晒し木綿の越中じゃ、チト味気ないしね。
 褌といえば布の原点だし、一日中肌に触れてるわけだから、上衣よりもっと上質の布を使ってしかるべきである。
 やっぱ、手紡ぎ手織りの布だよね、少なくとも。

 手紡ぎ手織り布といえば、インドこそ、その宝庫。
 そこで今般の渡印にあたり、私が陣頭指揮に立って、納得のいくような越中を創り、もってAA7の折、世の男性諸氏のご高覧(ご高着)に供しようと思うのである。
 あ、女性のご高着もまったくかまわない。知人で愛用している人もいるしね。快適みたい。
 
 ただねー、まだ真木千秋に相談してないからなー。
 なんせ、当スタジオの形而下学的条項に関しては、まったく権限ないからなー、オレ。


1月21日(火) セーター

 インド行きを三日後に控えた昨日夕方、真木千秋から電話が入った。
 なんでも、デリーは毎日夕方から翌朝まで霧がひどく、飛行機の発着に支障をきたしているとのこと。
 だからインド航空(AI)ではなく、JALで来なさい…と。

 AIはバンコク経由なので、デリー直行のJALに比べ、夕方、三時間ほど遅くデリーに到着するのである。
 また、最近AIもだいぶ時間が正確になったとはいえ、なにぶんインドが始発だから、日本始発のJALに比べ、成田発は遅れる可能性も高い。
 そこで今朝AIに電話してきいてみたところ、確かに霧のせいでデリー発着に影響が出ているとのこと。
 もしデリーに着陸できなかった場合、最終目的地のムンバイまで飛んで、翌朝デリーに運んでくれるらしい。
 私としてはそれでもぜんぜん構わないんだが、真木千秋は一日も早くオレの顔が見たいらしく、キャンセル料がかかってもかまわないから変更しろという。ま、愛されし者の辛さだ、しょーがねー、やるか。
 エージェントに電話すると、まだ四席残っているとのこと。
 かくして私のインド行きは、あえなくJALへと変更になるのであった。
 ま、そのほうがマイレージもつくし、いいか。

 すると、赤木アキト氏と同便となる。
 旅は道連れだから、そのほうがいろいろ便利だ。
 ところで数日前、真木千秋から私と赤木氏にメールが入った。
 いわく、今年のデリーは例年になく寒く、朝は3℃くらいまで下がるので、セーターを持っておいでとのこと。

 セーターな…
 よし、持っていこう。
 しかしながら、「セーターを持っておいで」と書きながら、きっと真木千秋の心底には、ある種、不安と諦念の入り混じった複雑な感情がよぎったに違いない ― 。
 すなわち、連れだってデリーにやってくる男二人のうち、お洒落な赤木クンはきっと mon Sakata のセーターを着てくるであろう。ひるがえってあの無粋なぱるばは、例のみそづけセーターでやってくるに違いない…。
 みそづけセーターというのは、私がここ二十数年、冬になると引っ張り出して着ている、青いチェックのセーターのことである。

 ヒトの期待にはきっちり応えるのが性分であるから、私もその青いセーターを旅の伴侶にするつもりであった。
 しかし何の運命のいたづらか、今日たまたま、東京・目白に出かける用事ができてしまったのである。

 いつかぱるばを mon Sakata に連れて行って、セーターを一着あてがおう…
 それが真木千秋・年来の悲願であった。
 言うまでもないと思うが、 mon Sakata というのは、目白にある坂田敏子さんのニットの店だ。
 当スタジオに縁のある男たちには、赤木氏を始め、けっこう愛用者が多い。

 目白の駅から歩いて数分。
 ついに私は、敏子さんの見立てで、 mon Sakata のセーターを一着、手にするのであった。
 ちょっともったいなくもあるが、それを来て明後日、渡印である。
 ふっふっふ、驚くであろうな。
 期待を裏切って悪いとは思うが。


1月23日(木) 機中にて

 今、JAL471便の中。日本時間7:50PM。インド時間では4:10PM。もうじきバラナシ(ベナレス)の上空を通過するところだ。
 あと一時間少々でデリー国際空港に到着というところ。
 しかし昨今の情報テクノロジーもすばらしいものだ。こうして遙か天竺の上空からネットに接続できるのだから! (んなわけないじゃん)

 隣には赤木氏が座っている。
 案の定、mon Sakataのセーターを着用である。
 それも私の買ったのと、同型同色!
 おそろいのセーターを着た髭面の男が並んで二人掛けのシートに収まっていたら、さぞ奇っ怪な風景であろうと想像されるが、幸か不幸かそうならなかったのである。

 というのも昨日、新調のセーターを着てルンルンとインド行きのシミュレーションをしたところ、なんか、丈が短いのだ。
 じつはおととい mon Sakata で試着したおり、敏子さんも、「ちょっと小さいかな」と案じておられたのである。
 Mサイズであった。Lサイズがなかったのでそれを買ってきたのだが、やっぱちょっと小さかったみたい。特に袖丈が。
 それで敏子さんに電話して交換を頼んだところ、じゃ、とりあえず返品をということで、送り返してしまったのだ。
 Lサイズができるのはもしかしたら来年かもという(:_;)
 赤木氏はもう五年も着ているのだそうだ。
 同型の黒も持っているんだと。
 ウ〜ム、遅きに失したか!

 デリーまでは九時間半のフライトであるが、道連れがいるとけっこう短く感じるものだ。
 現地の地上気温は22℃。霧もなく晴れているらしい。


3月9日(日) 星一徹

 今日の日曜。
 風は少々強かったが、天気は素晴らしい。
 その好天のもと、小金井市から真木貞治・雅子夫妻が訪れ、真木千秋と味噌づくり。
 今年で三回目である。
 年中行事となりつつあるこの手前味噌づくりのため、数日前から、有機栽培大豆を用意したり、麹を調達したり、甕を買ってきたり、母娘ともどもおおわらわである。
 「高い味噌だなぁ…。ま、美味しいから良いか」とひとりごつ真木千秋。

 まず、庭にカマドを据えて大豆を数時間煮るのである。私はその火の番。
 火遊びは楽しいが、カマドひとつだけなので、かなり閑職。
 それで、ときどき抜け出しては、隣の畑を耕すことにする。
 これは隣家のものだが、先日、お願いして、貸してもらったのだ。
 人間、土に親しむのは良いことである。

 この畑、ウチの庭からフェンスを隔てた所にあるのだが、昨年までまったく放置されていて、葛が伸び放題。
 この繁殖力旺盛な植物は、夏になるとフェンスを乗り越えウチの庭まで侵入してきて、かなり手を焼いたものだ。
 そういう畑だから、借りたはいいものの、整地するまでがタイヘン。
 ほとんど開墾という感じである。
 葛の強靱な蔓が、縦横無尽に走っているのだ。

 葛と言えば、その蔓の皮から葛布(かっぷ,くずふ)という布がつくられる。
 昔は武士の裃(かみしも)用に重宝されたらしい。
 今でも高級フスマ地としてよく使われる。
 詳しくは大井川葛布のHP参照。
 
 布に織られるくらいだから、丈夫な蔓なのだ。
 最初は三叉の備中鍬(びっちゅうぐわ)を使っていたのだが、その刃が曲がってしまう。
 そこでしょうがないから、物置からツルハシを持ち出して来る。
 畑でツルハシを使うなんてこれが初めて。
 「竹の家」では路地の補修によく使うけどね。

 この道具を手にすると、決まって私の背後に響き渡る、あるテーマソングがある。
 「思いこんだら試練の道を、往くが男のド根性…♪」
 オレはどちらかというとアンチ巨人なんで、こんな歌はハナハダ迷惑なんである。
 ところが、ツルを手にすると、ほとんど条件反射的にこの歌が全地に充満し、いつまでも止む気配がない。
 そして、明子さんの弁当を腰に、ツルハシを振るう日雇人夫・星一徹の姿が…。

 石をも砕く道具であるから、さしもの葛もおとなしく従うほかない。
 ところで葛というと、もうひとつ有名なのが、葛粉である。
 これは葛の根から採れる澱粉(でんぷん)だそうな。
 今、店で売ってる「葛粉」はほとんどサツマイモ澱粉らしいが、本物は高価なのだ。「吉野葛」とかね。
 「いったいあの蔓々しい植物からどうやって澱粉を採るのか」と、常々疑問に思っていたのだが、その謎が今日解けた。
 葛には「イモ」があるのである。

 何年も生きているような大葛の根を掘ると、根の一部が、細いサツマイモみたいに肥大しているのだ。
 その「イモ」の皮をツルッとむくと、中から純白の身が出てくる。
 なんとなくバナナみたいな風情で、どう見ても食えそうだ。
 それで囓ってみると、ちょうど山芋のような食感。
 シャキシャキ、ややヌルヌルしていて、無味無臭、噛んでいるとほのかな甘みがある。
 これが葛粉のモトだったのだ。

 葛原を開墾する時には、弁当は要らないかも。
 けっこうイケルものである。
「葛根湯」というくらいだから、風邪にもいいかも!?


3月25日(火) ライオン・キング

 私の実妹・田中惠子と、真木千秋の妹・真木香がウチに泊まり込んでいる。
 惠子は「楓」での展示会のため、そして香は十日後に迫ったインド行きの準備だ。
 千秋も含め女が三人もいると、まことカシマシくはあるが、快適な部分もある。
 食卓に座っていると、まさに上げ膳据え膳で、何もしなくていい。
 なんとなくライオンのファミリーを思い出した。

 ライオンは一夫多妻なんだけど、女系家族である。
 すなわち、姉妹の中に一匹のオスが迎え入れられるのだ。
 で、オスは普段ゴロゴロしていて、何もしない。
 姉妹が協力して狩をし、苦労の末に獲物を運んでくると、オスがのそのそと出てきて、最初にいちばんウマいところを食う。
 腹がいっぱいになると、のそのそと獲物から離れ、またゴロゴロしはじめる。

 うらやましい?
 いや、いいことばかりじゃない。
 自分より強いオスが現れると、戦いの末、その王座を逐われるのである。
 王朝交代があると、いささか悲惨な事態が起こる。
 新王が、旧王の仔たちを喰い殺すのだ。
 仔等が死ぬと、王妃たちは再び発情し、新王との間に仔を設けるにいたる。

 野蛮?
 いや、オレたちも同じようなことをしている。
 個人レベルじゃしょっぴかれるが、国家間では今もってやり放題。
 あんまり進化してないようだ。


4月13日(日) 成田にて

 今、成田空港で、JAL471便デリー行きの搭乗を待っているところ。
 まだ一時間半以上時間があるので、「さくらラウンジ」でネットごっこをしている。
 じつは夏期にインドへ行くのは久しぶりなので、かなり楽しみだ。
 思い出せないくらい久しぶり。7〜8年は行ってないのじゃなかろうか。

 今日の成田は20度を越えTシャツ一枚でもいいくらいだが、デリーはとうに真夏だ。
 十日前に渡航した真木千秋の報告によると、おそらく40度を越えているとのこと。
 おととい五日市・養沢では暖炉に火を入れたくらいだからね、40度か、う〜ん腕が鳴るぜ。

 摂氏30度を越えると養沢では褌一丁が正装なのだが、インドではいちおうMakiの旦那だからなあ、そうもいかないのがチト辛い。
 ときあたかもマンゴーを始め果実の最盛期。
 せいぜい浴びるように食って、内側から冷やすといたそう。

 さきほど真木千秋がメールを寄こして、機内では絶対マスクをしてきて! だと。
 そんなもん九時間もやってられるかよ。
 ま、もしスッチーたちがそのうるはしきかんばせを無粋な白布で覆っていたら、オレもそれに倣うことにしよう。


5月11日(日) 平泉にて

 今、奥州平泉。
 藤原三代、栄華の跡。
 中尊寺山麓のギャラリーせき宮にて、現在、当スタジオの展示会中。

 私(ぱるば)の場合、片道200kmを越える遠方の展示会にはあまり出かけない。
 ただ、ここに関しては、牛に引かれて善光寺ならぬ、餅に引かれて中尊寺で、ついついやってきてしまうのだ。
 前回(2001秋)の展示会の折、餅でイイ思いをしたのである。
 昨日、東北道を一路北上しながら、もしや忘れられているのではあるまいか!? と一瞬不安がよぎったのであるが、着いてみると無用の心配。
 つくりたてのずんだ餅とあんころ餅が、二段の重箱に堂々と鎮座ましまして私を待っていたのである。

 ずんだ餅とは初耳という方に、ちょっとご説明申し上げよう。
 これは簡単に言うと、枝豆のあんころ餅である。
 すなわち、枝豆をすりつぶして、砂糖を加え、あんこ状にし、餅にまぶして食うのである。
 爽やかな黄緑色が印象的。
 味は枝豆由来。ちょっと青臭くて香ばしい。

 このずんだ餅、やはり枝豆のできる夏頃が一番うまいという。
 せき宮のオーナー関宮さと子さんの用意してくれた餅は、友人の手になるものだそうで、自家で栽培した昨年の枝豆を上手に保存してあって、じゅうぶん私の餅慾を満たすのであった。
 その後、「女わざ」を主宰する森田桂子さんから、私あてに草餅が届く。
 よもぎの香り高い手作りの草餅であった。

 みんなよく覚えていてくれるなあと感に耐えないのであるが、思えば前回こちらを訪ねた折、私はずいぶん餅餅と騒いだようであり、ギャラリー紹介の欄も餅のことでモチキリである。
 やはりこういうことは騒いでおくに限るようだ。
 というわけで、今日の昼食も、昨日食べきれなかったずんだ餅とあんころ餅と草餅である。
 関宮さと子さんが暖めてくれるという。

 さて、肝腎の展示会のほうだが、昨日の初日には、真木千秋「布の話」という催しが午後二時からあった。
 ところが吾輩、餅をたらふく食ったため、食後にわかに眠気を催し、その間ほとんど車の中で眠りこけていたのである。
 それでも夢路より帰りて、遅まきながら会場に出向くと、ギャラリーは人でいっぱい。
 一年半前の前回と同じくらいの盛り上がりを見せている。

 実はここ平泉・一ノ関かいわいには、強力な Maki 応援団が存在しているのである。
 団長は千秋・美大時代の友人、佐藤弓。
 もともとは東京の人間なのだが、ギャラリー紹介の中にも書いた通り、嫁ぎ先であるこの地の活性化のため大活躍なわけ。
 まわりにはおもしろい人々がいっぱいいて、それゆえに、当地はほんとにおもしろいところだ、というのが私の印象である。


5月14日(水) 養沢動物誌

 
ここ養沢といえば、青山から一番近い山里のひとつ。
 Maki 青山店から車で一時間少々(渋滞がなければ)で、緑濃き別世界に突入である。
 ここには人間ばかりでなく、いろんな住人がいる。

 昨日はホトトギスの初鳴きが聞こえた。
 夜にはミゾゴイがホーホーと鳴いている。
 (ミゾゴイとはサギの一種。この鳥をめぐる昨夜のお話はこちらを参照)
 夏を間近にして、ウグイスやキビタキ、クロツグミやイカル、ガビチョウといった歌自慢たちがにぎやかだ。
 (昨年本欄でお伝えしたホオジロのしゃく太郎は死んでしまったのだろうか、今年は姿を現さない)

 鳥類ばかりではない。
 獣たちもよく出没する。
 その筆頭はニホンザルだ。

 よく、「先進国で猿がいるのは日本だけだ」と言われるが、それは必ずしも正しくない。
 日本が先進国であるかどうかは別として、正しくは、「先進国に猿はいない。ただし先進国日本の後進地域にはいる」。
 たとえばここ養沢にはいまだ、週三回、北島三郎のド演歌をボリュームいっぱい流しながら行商に来る八百屋がいたりするのである。
 こればかりはご勘弁願いたいので、苦情を言って、ウチの前を通るときだけは他のテープに変えてもらった。
 かくして週三回、午後三時頃になると、「月の砂漠」とか「椰子の実」とか「この道」といった「名歌」をボリュームいっぱい聞かされるのである。

 ところが最近、この猿たちが、私の仇敵になったのである。
 いや別に近親憎悪というわけじゃない。
 じつは、私が丹精して植え付けたネギを、ゴールデンウィーク中に、ほとんどみんな食い散らかしよったのである。
 どうせ食うなら全部食ってくれりゃいいのに、根本の白くて柔らかいところを少しだけかじって、あとはポイっと放ってしまう。
 食い物のウラミは深い。
 皆の衆、ゴールデンウィーク中、もしどっかにネギ臭い猿たちがいたとしたら、それは私の畑を荒らした連中なのだ!

 一方、今朝はかわいいケモノを目にした。
 リスだ。
 ウチの庭の一方は、養沢川に向かって切れ落ちる谷に面している。
 その急峻な斜面がヒノキと杉の林になっており、動物たちの通り道なのだ。
 今日はその森の道に、多分つがいであろうリスが二匹遊んでいた。

 リスといえば、インドにはたくさんいる。
 背中に白い筋のあるシマリスだ。
 首都デリーでも、緑のある住宅地にはごく普通にいる。
 人間をあまり恐れることなく、じっとしていれば、2〜3mの至近距離にやってくることもしばしばだ。

 日本ではほとんど見かけることのない、この小動物。
 私もここ養沢に住むようになって、初めて見た。
 ただし非常に稀で、この七年間に、二〜三度ほどか。
 それも遠くに見るだけだ。今日も最短で20mほどの距離だったか。
 シマのない焦げ茶色のリスで、ワイルドな感じ。
 シマリスより大きくて、毛もふさふさしているから、最初はイタチかなんかかと思った。
 杉やヒノキじゃなくて、昔のような雑木林だったら、獣たちももっと住みやすいのだろうに。
 (花粉症にならなくてすむし)


5月17日(土) タンスのゴム

 
昨日からここ青山店にてAA7(青山店七周年)が始まったのだが、その最中、奥州平泉ギャラリー「せき宮」の関宮さと子さんから電話があった。
 あちらでも当スタジオ展示会のさなかなのである。
 担当の若松ゆりえが接客に忙殺されていたので、私が用件だけ聞いておくことにした。
 なんでも、タンスのゴムをどのように替えるのかという問い合わせであった。
 「タンスのゴム!?」
 いったい何のことやらわからぬ私は、何度も聞き返すのであるが、周囲も騒々しく、どうも要領を得ない。
 それで後刻、電話をかけ直すことにした。
 受話器を置きつつ、隣でレジを打っている若松ゆりえに「タンスのゴムって何だ?」と聞くと、ゆりえ嬢、こともなげに「パンツのゴムでしょ」と言う。

 なるほどそういうことだったのか。
 しかし「ンツ」のことを「パンツ」と言うほうが悪い、と私がブツブツ言っていると、真木香いわく、「ンツ」とは下着であり、「パンツ」とはいわゆるズボンのことだという。
 ウ〜ン、そいつは知らなかった。
 みなさん、分かるかな、この抑揚の違い。
 すなわち、「ンツ」というのは伝統的な頭高型で、「」の上にアクセントがある。
 一方、「パンツ」というのは最近使われるようになった平板型の発音で、「パ」が低く、「ンツ」が少々上がるのである。
 「扇子」とか「電柱」とか「パソコン」とかが平板型だ。
 「タンス」もまた平板型なので、私は聞き間違えたというわけ。
 (東京弁での話。ほかの地方では違うかもしれない)
 
 そういえば、頭高型が平板型に移行するときには、新たな意味が付け加わるようだ。
 先日18歳の娘ッコに聞いたんだけど、たとえば、ダンサー。
 伝統的・頭高型の「ンサー」とは、今注目の金森穣クンみたいな舞踏家。
 それに対して現代的・平板型の「ダンサー」といえば、「クラブ」あたりでよろしく踊っている人々のことなんだと。
 (ちなみに金森穣クンは、当スタジオ特別スタッフ金森愛の実弟なんである)

 あるいはみなさん、「レシ」と「カレシ」の違いは分かるかな?
 すなわち伝統的な「レシ」は、「本命ボーイフレンド」。
 ひるがえって現代型の「カレシ」は、「ちょっとした遊び相手」なんだそうだ。
 ウ〜ン、けっこう豊富なボキャブラリー!
 (正確に言うと、「カレシ」じゃなくて「カレシェ」とか発音するんだな、最近の首都圏ギャルたちゃ)
 (それで思い出したんだけど、フランス語で yes のことを「ウィ」というが、若い娘たちゃ「ウェ」とか発音しゃがんだよな ― 。もう二十年も前の話だが…)
 
 というわけで、今日はAA7第二日目。
 もうお客さんも来始めたことでもあるので、現代言語学講座はこのへんでおしまい。


6月6日(金) カオリの消息 part2

 
一年ほど前、八ヶ岳の麓で自ら丸太小屋を建てている真木香の様子をお伝えした。
 よもや覚えている方もおるまいが、中には気にかけてくださる奇特な向きもあるであろう。
 そこで続報である。
 
 甲州は長坂町、一名「蕪の森」(かぶらのもり)なる現場を訪ねると、やや! もうできあがっているではないかっ!
 北欧風の立派な丸太小屋である。(最近はログハウスとか言うようであるが)
 聞くところによると、めでたく三月に引っ越してきたという。
 基礎を打ったのが昨年の五月だから、一年と少々。
 よく二人で築きあげたものだ。

 基本部分は既にできあがり、あとは内装および外回りを少々残すのみである。
 先日、リビングの前のウッドデッキが完成。
 今朝は、高原の爽やかな空気のもと、両親の真木貞治・雅子夫妻ともども外で朝食にあずかり、まことに結構な次第であった。
 
 姉・千秋もうらやむ住環境。
 今日は、カオリの新アトリエをご紹介しよう。
 どうです、かなりお伽話チックでしょう。
 壁面と窓枠の北欧材、したたるような木々の緑…。

 まずは簡単な機を据えて、織り始めた真木香。
 何種類かの絹糸を使って、ストールのサンプルづくりだという。

 昨晩は夕食後、ここ一年間の「建築記録」写真を、TVモニタで延々一時間半にわたって拝見つかまつる。
 父・真木貞治は爆睡、私も寝ぼけ眼の体であったが、雅子・千秋の母娘は興味津々であった。
 (やはり女のほうが「家」には関心ある模様)

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