Project Henchikurin Project Henchikrin BambooHouse" 竹林日誌2004,, BambooHouse Project Henchikurin Project Henchikurin

東京西多摩、秋川の清流を見下ろす崖上
築二百年の農家を舞台に展開する真木テキスタイルスタジオのお話。

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10月25日(月) Makiの秋「竹林篇」素描

 昨日までの週末三日間、Makiの秋 「竹林篇」が開催された。
 昨年の秋から一年ぶりのスタジオ開放&展示会。
 幸い天候にも恵まれ、多くの人々の来訪を賜る。
 当スタジオにとっても、またひとつ思い出となる催しであった。
 その様子をちょっと御紹介しよう。

 一番上の写真は、二階の窓から見た風景。
 右半分はナーシ布。
 左側には竹林が朝日を浴びて輝いている。
 この二階部分は、かつて蚕室だったところだ。

 それを表側から見たのが次の写真。
 二階から垂らした布の一部を、ヒバの胴にぐるぐる巻する。
 シルクの腹巻きだ。
 こうした大木と遊べるのも竹の家ならでは。
 このヒバのほか、ケヤキが数本。ムクノキが一本。そのほか柿、栗、李など。
 竹だけではないのだ。


 真ん中の写真は、二日目、カゴ編み教室。
 「竹の家」展恒例のイベントだ。
 毎回、真木雅子オリジナルのカゴをみんなで編む。
 このたびは「持ち手のきれいなカゴ」。
 乱れ編みの技法を使ったバスケタリーだ。
 毎回「20人定員」をうたうのだが、40人近い人々の応募がある。
 指導は真木雅子ほか、弟子の先生たち数人。
 初心者も経験者も、約二時間、黙々と手を動かす。
 みなさん筋が良いのか、指導陣が優秀なせいか、最後にはちゃんとカゴができあがるのである。


 この「竹の家」展のときには、青山店も休業して、スタッフ十人ほどがみんな竹の家に集まる。
 またそれと同数ほどの、ボランティアスタッフも参加する。
 近所の娘とか、美大生とか、友人知人とか。
 こうした若人との交流も、また良き刺激となる。
 左写真は、そんなひとり大村風生(ふき/19歳)が会期中、手慰みで作った小品。
 当スタジオのハギレや糸キレを使った、シルク100%のソフトな二連の首飾りだ。
 特に中の赤いキレは、風生嬢が小学生のときに入手したものだという。
 なかなかの佳品であるので、いずれ皆さんのお目にかけることもあろう。

 三日目には、桑都八王子の養蚕農家・長田さんによる「真綿つむぎ」デモンストレーション。
 玉繭や真綿から糸を紡ぎ出す。
 六十人ほどの人々が熱心に聞き入っていた。

 さて、今回の主食は「七穀雑炊」であった。
 キビ、アワ、ハトムギなどの雑穀を使った雑炊だ。
 キッチンで作った後、外にカマドを据えて、焚き火で温める。
 お客さにはけっこう好評のようだ。
 ただ、見てくれがイマイチだったので、私ぱるばはしばし敬遠。
 しかしついに最終日の昼、スタッフ用キッチンが満員で入れなかったため、意を決して挑戦。
 これがなかなかウマかったのである。
 一番下の写真は、雑炊に入れる岩手名物はっと(すいとん)をつくっているところ。

× × ×

 余談)
 雑炊用に買ったキビとアワが余ってしまった。
 既にゆでてあるので、仕方なく当家で引き取る。
 それでここしばらくは、毎夜、雑穀攻めである。
 今日の夕飯も、畑の野菜とか冷蔵庫内の余り物などを入れた醤油味の雑穀おじやであった。
 これも見てくれは非常にイマイチ。
 しかし、食べてみると意外なことに、めっちゃウマいのだ。
  
それで思い出したのは、南インドの絹都バンガロールでのこと。
  郊外の養蚕農家を訪ねる道中、昼食時に国道脇の鄙びた飯屋に入る。
  するとほどんど自動的に飯が出てくる。
  白飯に野菜のゴッタ煮みたいのがかかったやつ。
  見てくれが非常に悪い。
  しかし他にチョイスもないので、勇を鼓して箸をつけると、これがめっちゃウマい。
  ダール(レンズ豆)をベースにしたカレーであった。
 ともあれ、雑穀おじや、これって、昔の人の常食ではなかろうか。
 しかも昔は、ウチみたいな洒落たテーブルじゃなくて、炉辺で食べたわけだ。
 上から自在鉤で鍋が吊され、炉の火でグツグツ煮立っている。
 ただならぬ臨場感である。
 中の野菜は穫りたて無農薬有機。
 しかも、一日の肉体労働の末の夕飯だ。
 これが不味かろうはずはあるまい。
 昔の人って、じつにウマいものを食っていたらしい。


11月3日(水) 「蕪の森」を訪ねる
 「蕪の森(かぶらのもり)」とは、山梨県・八ヶ岳の麓にある真木香のスタジオ。
 一昨日、信州からの帰りに立ち寄ってみる。
 標高八百mを越えるここ長坂町の蕪地区は、既に紅葉も盛り。

 実は真木香、青山での個展を約一ヶ月後に控えている。
 香にとっては初の舞台である。
 それで今、追い上げの真っ最中。

 個展の出品作は、大きく二つに分かれる。
 ひとつはここ蕪スタジオで香が自ら織ったもの。
 もうひとつは香がデザインしてインドの職人が織ったものだ。

 今日はそのうち、香が自分で織り上げた作品をご紹介しよう。
 右側の写真は「包み布」。
 これは今までのMakiにはあまりないジャンルだ。
 風呂敷といえば日本の生活芸術品。
 しかし香にとっては、使いたいような風呂敷がなかった。
 それで自分でつくったという次第。

 二枚重ね。
 内側は、インドのタッサー絹布を草木染めしている。

 外側の布は、糸を草木染めして、織り上げている。
 シルク糸を主とし、ものによってウールや木綿が入る。
 仕上げも全部、香自身が手やミシンで縫っている。

 モノを包むと右中の写真のごとくになる。(photo by Kaori)
 右下の写真は、まだ機にかかっている外側の布。
 この布は、端の部分にスリットの入るデザイン。

 「包み布」は全部で二十点ほど。
 一枚一枚みんな違っているとのこと。
 左側の写真は、細幅のマフラー。
 香自身も首にひとつ巻いている。
 シルクとコットンを使い、やや厚手に織る。
 ラフに使えるマフラーだ。

 自分で織る場合、まず森の中から染材を探すことから始まる。
 コナラとか、クルミとか。
 そして糸を染め、それから糸を巻き、機にかけ…。
 全部ひとりでやることの大変さをしみじみ感じているそうだ。

 「薄くて幅広のストールはインドの職人仲間にお任せ♪」とのこと。
 たとえば、スペースダイとか、大判コード織りとか、シックなパープル系とか。
 それについては、また御紹介しよう。

11月8日(月) 秋の陽のカンテクロス

 
「カンテクロス」。
 じつに耳慣れない言葉であるが、我が国ではどうやら当スタジオくらいしか使ってないらしい。
 ことの始まりは数年前、真木千秋が南アフリカのデザイン学校に講師として呼ばれた時にさかのぼる。
 そのとき出会ったガーナの職人アダデの織っていたのが、カンテクロスと呼ばれる細幅の布であった。

 アフリカで伝統的に織られる細幅の布。
 手作りの簡素な機から生み出される。
 真木千秋はそこに無限の可能性を見るという。
 縞があったり、平織の柄があったり。
 そうした細幅の布をはぎあわせ、絞って染めたり、刺繍をほどこしたり。
 奔放な自在さが良い。
 そんな布で、貫頭衣が仕立てられる。
 五輪開会式などで人々を魅了するあのアフリカの衣だ。

 ガーナのある部族の織る細幅布が、カンテクロスと呼ばれる。
 それに触発された真木千秋が、四年ほど前からインドの織師たちとつくっているのが、当スタジオの「カンテクロス」。
 今週末から始まるギーポット展には、そうした細幅の布たちがアンティーク木器の周囲を彩る。

 写真は竹林の縁側。
 秋の陽を浴びながら、青山店・壁面を飾る作品を準備している。
 カンテクロスの切れ端や、織出しサンプルを使ったものだ。
 そうした短いハギレを、ナーシ絹小布をはさんで縫い合わせ、二本の細幅布を作成。
 その二本をはぎあわせての、大作ならぬ長作だ。

 竹林の庭は、ケヤキの落ち葉で絨毯のよう。


11月10日(水) Pot の旅立ち

 
平成某年霜月の或る晴れた日、天竺国の木製什器が養沢アトリエから旅立った。
 このアンティークポット、今年の六月上旬にインドから到着
 以来、酷暑や台風の幾星霜を乗り越え、晴れてこのたびMaki青山の舞台を踏むという次第である。

 おそらくお手許に届いているであろう案内ハガキには、「21個のGhi Pot」とうたってある。
 ところが今回、青山店に並ぶ Pot の数は24個。
 じつは案内書印刷の時点まで真木千秋、「いちばん好きな壷(こ)を3点ほど隠匿しよう」という良からぬ魂胆を蔵していたのだ。
 しかしそんなことはイケナイという私の忠烈無私なるアドヴァイスによって翻意。
 ここに全部お見せすることになった。

 写真は積み込みの模様。
 真木千秋がカーゴスペースに座り込んで、ひとつひとつセットする。
 緩衝材には、Makiクッションとか、当家の夏掛けとか。
 10Kgを越す重量級もいるから、「腰が痛くなった」とかこつ真木千秋であった。(平生の鍛錬不足を露呈) 
 車がやや傾いているが、これは真木千秋の体重というより当アトリエのスロープのせい。

11月12日(金) Pot 展の風景

 Ghi Pot 展の初日。
 Maki Textileでこうした「アンティーク展」は馴染みがないせいか、壺影ばかりで人影まばら。
 花器にして使う。
 もちろん、直接水は入れない。
 中に花瓶を仕込んで、花を挿す
 今回のアンティークは木ばかりではない。
 金もある。
 これは真鍮製の大盆。(その上に細幅布をあしらう)
 真木千秋がインド西部グジャラート州で見つけてきた。
 右下写真の水盤も同種のもの。
 直径40cm前後。
 インド風・生花。
 あちらでは、水盤に水を張って、そこに花を浮かべる。
 この菊花は今朝、表参道の花屋で調達。
 「開き過ぎで特売」であった。
 こちらとしても好都合。

12月9日(木) 真木香展・前日レポート

 テキスタイル・デザイナー真木香、初の個展。

 自ら織り上げたストールには「蕪の森STUDIO」という小さな織りネームがついている。
 自分で織ってみて、「イスラムディン尊敬しちゃう」とインドの織師たちを見直したらしい。
 香、千秋の姉妹を含め、五人がかりの展示作業。
 ストールを掛ける枝は、蕪の森から拾ってきた。
 先日の大風で吹き飛ばされた、ナラや白樺の枝だという。
 蕪の森で織り上げた、コットンやウールのストール。
 織りはニューヨークのジャック・ラーセン・スタジオで仕込まれたという。
 
 メイン・ウォールを飾るのは、 五連のウネ織ストール。
 真木香の記念すべきMaki Textile デビュー作だ。
 二階には香デザインのMakiストール。
 色づかいの得意な真木香らしく、カラフルな布の森になっている。
 「途中どうなるかと思ったけど、いい展示になった」と満足気な真木香。


12月14日(火) 端裂のグンディ

 
インドから小さな包みが届いた。
 開けてみると、とりどりのグンディ。
 グンディとは、布でくるんだボタンである。

 これはすべて端裂(はぎれ)から作ったものだ。
 真南風の衣を縫製した残余の、小さなキレでできている。
 もちろん、ひとつひとつ手づくりである。
 生地は、タッサーシルク、苧麻×絹など。
 染めは西表島の紅露(くーる)やフクギ、アカメガシワ、インド藍など。
 微妙な色違いもあって、全部で22種類、四百余個。
 これは来月8日からのMaki青山店「端裂市」で販売の予定だ。
 個数に限りがあるので、あまり一人で買い占めないようご協力を。

 それからヒモ状のものは、ナーシシルクの撚り紐(よりひも)。
 長さ70cmと110cmの二種類ある。
 グンディを縫いつけたり、袋のヒモにしたり、アクセサリーにしたり、それぞれ工夫してお使いいただきたい。


12月18日(土) 上州座繰り紀行

 
座繰りというのをご存知であろうか。
 昔ながらに繭から手で糸を引く作業である。
 今日はその座繰りの縁で、上州群馬に出かけた。

 まずは、糸繭商・石田明雄さんを訪ねる。
 今年の春にもお伝えしたが、今や当スタジオに欠かせない上州座繰り糸を商っている人である。
 かつて日本の基幹輸出品は生糸であったが、その一翼をになったのが上州座繰り糸であった。
 しかし機械製糸に押され、それを扱う人も今では石田氏のほか1〜2人ほどしか残っていない。
 貴重な存在なのである。

 春に訪ねた際、新しい作業場+ショールームを建設中であったが、それが今夏、完成したとのこと。
 中に入ると、若い主婦が熱心に糸を引いている。
 座繰り糸は伝統的に、農婦の副業として自宅でおこなわれる。
 今でも主力は赤城山麓のお婆さんたちだ。
 みなさん高齢で先行きが心配されるのだが、ここにきて、若い世代に関心の芽が育ってきたようだ。
 そんな人々に作業の場を提供しようというのが石田氏の考えである。
 何人かの若手がここに通い、思い思いに糸を引いているという。
 その姿に石田氏も嬉しそう。
 こういう奇特な人がいないと、手仕事もなかなか継承されない。

 座繰りは毎年、当スタジオでもおこなう。
 これはかつて、真木千秋が群馬県の座繰り講座にもぐりこんで学んできたものだ。
 (当時は群馬県民にしか開放されていなかった)
 自分たちで毎年経験しているだけに、そのたいへんさもよくわかる。
 石田氏のもとには、五十種ほどの座繰り糸があるという。
 Makiにとっては宝の山だ。

 ただし、いつも同じ糸があるとは限らない。
 たとえば「特2A-150中」とか「しずえ-200中」とか表記は同じでも、その時その時で、微妙に違うのだ。
 それゆえに石田氏は、自身の扱う座繰り糸を、「出会いの糸」と呼ぶ。
 今、真木千秋はインド行きを一週間後に控えて、様々な織りの構想を練っている。
 そんなとき、ここに来ていろんな「出会いの糸」を見せられると、その構想がふくらむのだ。
 「あっ、あの部分には、この糸を使ったらいいんだ♪」という具合。 
 こうした糸を使ってるわけだから、当然のことながら、布もまた出会い系になるのである。

 ところで、座繰りには欠かせないひとつの道具がある。
 「もろこしぼうき」と呼ばれるものだ。
 モロコシ属の穂でできた小さな箒である。
 これで鍋の中の繭をかきまわし、糸を引っ張り上げる。
 玉繭みたいなクセのある繭でも、この箒があれば簡単。
 「魔法の箒」だ。
 必需品なので私ぱるばが今年、栽培を仰せつかったのだが、何度播いても芽が出ない。
 きっと種が古かったのだろう。
 そこで石田氏にねだって、新しいモロコシの穂を分けてもらう。(下写真)
 褐色の粒々が種であり、それを取り去るとモロコシボウキになる。

* * *

 石田氏の作業場を後にして、今度は群馬県立「日本・絹の里」へと赴く。
 ここ「絹の里」主催で、「座繰り糸による織りの公募展」という企画がある。
 今日がその展示会の初日。
 受賞者の表彰式に続いて、記念講演として真木千秋が一席頼まれたのである。

 この公募展には、北は北海道から南は沖縄まで、百四十点を越える応募があったという。
 主催者もその反響の大きさに喜んでいた。
 審査員の中には、桐生の新井淳一氏も。
 趣旨はもちろん、この伝統技術を保全し、需要増進を図ることだ。
 座繰り糸を50%以上使って織るというのが条件だったという。
 着尺や帯、ストールやインテリア布など、応募作はいずれもなかなかの力作。
 座繰り糸への関心の高さをうかがわせる。

 真木千秋の講演は、まあまあであったかな。
 優しい新井淳一・リコ夫妻はたいそう誉めてくだすったが、本人はいたく不満足の様子。
 ま、そもそもが手工芸家であって、ハナシ家じゃないから、それも仕方ないか。
 展示会は来年2月5日まで。


12月24日(金) おつう

 
インド行きを目前にして、機場(アトリエ)に引きこもる真木千秋。
 日夜、カッタンコットンと機音(はたおと)が聞こえてくる。
 機場は半地下で、ウチでも一番寒い場所だ。
 そして真木千秋は平生、人一倍寒がりである。
 しかしいったん機に向かうと、それも忘れてしまうようだ。

 単調な機音は、そこはかとないノスタルジアをかもす。
 なんとなく、おつうを思い出してしまう。
 『鶴の恩返し』に出てくるヒロインだ。
 むかしむかし、ある雪の降る夜、羽に矢を受けて苦しんでいたところを、よひょうに助けてもらった。
 それで、自らの羽を抜いて、布を織ったのだ。
 きっと私もかつてチアキを助けたのであろう…

 …なんてことを、昔HPに書いた憶えがある。
 もちろん戯れ言であった。
 というのも、当時の目方からすると、とても空を飛べそうな雰囲気はなかったからだ。
 しかし最近は、そんなお伽話にもちょっとリアリスティックな趣が。
 別にダイエットしてるわけでもないのに、かなりスリム化しているのである。
 もしかしたら、恩を返し終わったら、どこかへ飛んでいってしまうのかしらん…

 …な〜んて想像するのは、韓流ドラマの見過ぎか!?
 (最近テレビを新調した)
 ま、インドへ行ってマサラの効いた料理にありつけば、昔日のふくよかさもしっかり回復するであろう。

 
12月28日(火) 藍の種

 真木千秋は一昨日26日からインド。
 来年2月初旬までの長丁場だ。
 私ぱるばは昨日から信州上田の実家にいる。

 ここ上田は本州の真ん中にあるが、気候はどちらかというと表日本型。
 冬場は晴れることが多い。
 そんな日溜まりで、今日は藍の種取りをする。

 8月に生葉染めをした藍草が、10月に花をつける
 それを11月中旬に刈り取って、干しておいたものだ。
 写真右側に写っているのは、月のテーブルを運営する愚妹・田中惠子。
 その更に右には愛犬ネオ。

 藍の種は一年しかもたない。
 それ以上古くなるとまったく発芽しないので、種取りは毎年必要だ。
 今日は2リットルほどの種を取る。
 来年蒔くには十分過ぎる量だ。

 それで、新春の青山端裂市の会場にて、ご希望のみなさんにお年玉として差し上げようかと思う。
 この種を蒔いて、せいぜいアイを育んでいただきたい。
 あっ、青山まで来られない方もあるかな。
 それではHP読者特別プレゼントとして、先着10人のみなさんに進呈いたそう。
 ご希望の方は、par77@itoito.jpまでご一報を。