Project Henchikurin Project Henchikrin BambooHouse" 竹林日誌2004,, BambooHouse Project Henchikurin Project Henchikurin

東京西多摩、秋川の清流を見下ろす崖上
築二百年の農家を舞台に展開する真木テキスタイルスタジオのお話。

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1月3日(土) 新年のご挨拶

 
みなさん、明けましておめでとうございます。
 今年は申年。私ぱるばは年男ということで、わけてもめでたいわけでございます。
 というわけで、めでたい「高砂」風の写真 を→

 あっ、でもちょっとおかしいか!?
 というのも、謡曲「高砂」では、おじいさんは熊手を持ち、おばあさんが箒を持っているはず…。

 ま、それはいいとして、さてこの2004年、真木テキスタイルはいったいどうなるのでしょう。
 まずは三日後の1月6日、真木千秋・香姉妹をはじめ数名のスタッフがインドへと向かいます。
 私ぱるばも1月の後半から合流。
 気持ちも新たに、西方・天竺の国で布づくりです。
 以下は真木千秋のご挨拶です;
  

 明けましておめでとうございます。
 今年もお正月を日本で過ごすことができました。
 1月6日からまたインドで製作をしてまいります。
 この冬も、いろいろと楽しみなことがあります。

 まず、竹の家で座繰りした春繭糸と上州座繰りの春繭糸をあわせて、ストールをつくる予定です。
 3月に予定している「春繭の布」展に出展いたします。
 またこの「春繭の布」展に向け、沖縄西表島とインドで染めた生絹布やタッサーシルク薄地などを使い、重ねて楽しめる衣をつくります。

 久しぶりに緑色のものがつくりたくなりました。
 西表のフクギで黄色に染めた糸に、インド藍を重ねて、緑を出してみようと思います。
 また、インドのザクロと藍を重ねると、深い緑が出ます。
 その緑どうしをあわせてみてもいいかと思っています。

 それから、いつもリクエストをいただいている、「とても小さい首もとのスカーフ」のようなもの。
 いつもより少し鮮やかな色でつくってみたいとも思っています。もちろん先染めです。

 そのほか、薄紅色の春らしい新作ストールとか、薄グレーのストール。
 紋織りで帯地にも挑戦します。
 カンテクロス(12cm幅の細幅布)も、またその時の気分でいろんな縞ができると思います。
 「カンテストール」という30cm幅くらいのカジュアルなストールも予定中。

 Maki 青山店で10月に「真南風の秋」を予定しているので、真南風用の先染めの新しい布も企画中です。
 11月には「真木香展」を予定しているので、真木香もはりきっています。

 な〜んて、よりどりみどりてんこもりですが、さて一寸先もわからぬインドでどうなりますことやら。
 ぱるばがまた現地から実況中継すると申しております(たぶん19日から)ので、どうかお楽しみに。

 真木千秋


1月9日(金) ハギレの使用法

 端裂市
二日目の今日、久しぶりに漆芸家(&占星術師)の赤利衛一氏が来訪。
 毎年、この催しには来てくれるのだという。
 ハギレをどうするのか尋ねると、頭巾にするのだそうだ。
 そういえば赤利氏、十年ほど前に知り合ったのだが、いつも頭巾姿である。
 本日も、先年ハギレ市にて購入のMaki 布を頭にまとって登場。
 ちょうど私も帽子を探していたところだったので、さっそく氏に教示を願う。

 氏いわく、一辺60cmの正方形の布が必要。
 結ぶ必要があるので、薄手がいいという。
 そこで数あるハギレの中から適宜、見つくろって、長さを調整。
 氏の手ほどきにより頭に被ったのが、右写真である。

 ちょっとしたコツが必要なのであるが、簡単に言うと、対角線で折って三角形にし、直角を前にして頭に載せ、二鋭角を左右から引っぱって額の上で結び、両端をそれぞれこめかみのところで内に挿し入れ、最後に額の直角部分を上に巻き上げるのである。
 あんまり簡単ではなかったな。
 詳しくは私に聞いていただきたい。
 ちょうど居合わせたS 嬢も興味をそそられ、薄手のシルク地を購入し、さっそく頭にまとうのであった。
 (本日はあいにくデジカメが手許になく、またウチのスタッフは誰もカメラ付き携帯を所持しておらず、そこで、たまたま来訪した画学生のM嬢に携帯で撮影してもらい、わがパソコンに転送してもらった)

 というわけで、みなさん様々に創意工夫でハギレを活用くだすっているようで、我々としても欣快の至りである。
 端裂市は14日の水曜日まで。
 ハギレ(&福袋)はまだ売るほどあるので、ぜひ一度、青山にお運びあれ。

 …なんて書いていたら、もう夜の12時を回ってしまった。
 あと7時間もしたら私は家を出て、南方へと旅立たねばならない。
 なのにぜんぜん支度ができていない。

 それではしばらくごきげんよう。
 次回の更新は、おそらく1月19日かな。



2月26日(木) Obi
 
 日溜まりでは梅の花が満開の、ここ五日市。
 うららかな日差しの中、インドから荷物が届いた。
 「春繭」展の布々に交じって、「帯(おび)」が一ロール。
 これは先月インド滞在の折に仕掛けたもの。

 上写真がちょうど一月前の1月27日、真木千秋がインドの職人たちに説明しているところ。
 織り上がったサンプル布を機から外し、腰に巻いて見せる。

Chiaki :「ほら、こうするものよ。日本の伝統的な使い方でね。切ったり縫い合わせたりしないで、そのまま身につけるの。だから、だいじに織ってね。耳をきれいに」
Deepak (千秋の演説を懸命にヒンディー語訳する)
Ramchandan (工房長・頬に手をあてながら) ほー、なるほどねぇ。そんな風にして使うんだ。こんな長いものをねぇ。
Naim (織師・ヌボーっと立ちながら) 四本も杼(ひ)を使って、耳をきれいにだって!?…。

 耳というのは、織物の左右のフチのことである。
 かくして織り上がったものが、今日届いたというわけ。
 これは苦心の作であった。
 生地として面白いものにしたいが、腰に巻くという用途にも添うようにしたい。
 張りを持たせつつ、硬すぎず…。

 使用した糸は、四カ国(印中韓日)の絹や麻。
 それを様々に引き揃え、四本の杼(ひ)を使って、紋織り機にかける。
 デザインは、総柄のもの、柄+無地のものなど、四種類。
 色はマスタードとグレーのツートン。
 ほかに藍と濃灰色のツートンもあるが、それは今織っているところ。

 糸の種類が多いと縮みが出たりして、生地の耳をキレイに織り上げるのが難しい。
 それで千秋が「だいじに」と言ったわけだが、さすが名手ナイームだけあって、上手に仕上がっている。
 千秋もうれしそうな表情。(もしかして真木千秋、インドと同じものを着ている!? スタッフの松田安貴子はカゼ気味)

 とはいえ、和装専門ではない当スタジオ。
 この帯も、遊び心で使ってもらえたら。
 それで本記事のタイトルも Obi なわけ。


3月20日(土) 上州・繭紀行

 
私ぱるばの故郷・信州上田には、毎年一月十五日、「どんど焼き」という行事がある。
 これは、門松やら注連飾りやら古いダルマやらを櫓に組んで、川原で燃やすものだ。
 その火で「繭玉」をあぶり、それを食べるとその一年は無病息災で過ごせるという。
 「繭玉」とは、米の粉でこしらえた紅白の団子だ。
 それを枝の先にくっつけ、燃えさかる火にかざしてあぶるのである。
 なかなか香ばしくてウマいものであった。

 ただ、子供心に不思議に思ったのは、その繭玉が「ヒョウタン型」をしていたことだ。
 ヒョウタンというとちょっと大げさだが、とにかく真ん中が少々くびれている。
 繭といったら普通、ずんどうの「樽型」なのに…。

 そのナゾが解けたのは、つい最近のこと。
 すなわち、昔の繭はヒョウタン型をしていたのだ。
 そして「どんど焼き」なる民俗行事は、その昔の繭玉を記憶していたというわけ。

◇ ◇ ◇

 春分の昨日、上州・群馬へ出かけた。
 目的地は、前々からご縁のある、前橋の呉服店「にしお」。
 群馬と言ったら、繭や生糸の生産量が全国一の養蚕県である。
 だからいろいろ勉強になるのだ。
 先年、この「にしお」ご主人・西尾仁志さんのおかげで、当スタジオに新しい糸が加わった。
 今では布づくりに欠かせぬ、「赤城の節糸」である。

 この西尾さん、日本から養蚕の伝統が消えていくのを憂えている人のひとりだ。
 昨年は、私財を抛ち(!?)、いにしえの養蚕をちょっと復活させたのだそうな。
 日本古来の蚕品種と言ったら、皇室でも飼われている「小石丸(こいしまる)」が有名。
 小さくて「ヒョウタン型」の繭だ。

 西尾さんの取り組んだのは、「又昔(またむかし)」という品種。
 やはりヒョウタン型で、小石丸より更に小さく、野性的であるらしい。
 まとまった量で養蚕するのは、百年ぶりくらいなのだと。
 60kgほどの繭が採れて、そこからできた糸と布が写真上の通り。
 こころなしか、普通の絹とは輝きが違うみたい…。
 小石丸より更に「練り減り」が少ないという特性があるという。
 ともあれ、最近の改良品種とは違って、かなり大変な作業であったらしい。

◇ ◇ ◇

 更に、西尾さんの案内で、おとなり富士見村の糸繭商・石田明雄さんを訪ねる。
 我々の「節糸」も、多くはこの石田さんを経由している。
 「糸繭商」とは聞き慣れぬ業種だが、拙著155頁に出てくるチュニラル氏みたいな人だ。
 すなわち、糸引きの元締め。
 近隣の婦人たちに繭を供給し、糸を引いてもらうのだ。
 現在三十人くらいのおばあちゃんたちが座繰りしているそうだ。
 手引きの生糸を扱う糸繭商は、現今、かなり珍しいのではあるまいか。
 石田さんのもとには、「節糸」を含め、いろんな「上州座繰り糸」がある。
 江戸時代に開発された「上州座繰り機」で引かれた糸を、上州座繰り糸と呼ぶ。

 写真中は石田氏の倉庫で座繰り糸を見る真木千秋。
 この糸は「本糸(ほんし)」と呼ばれる節のない糸で、特に質の良い繭から引かれる。
 タテ糸用の「特上」座繰り糸だ。
 背景には繭の山。繭には十等級あるというが、これは真ん中くらい。
 節糸はこのへんの繭から引かれるようだ。

 真木千秋はこの日、「本糸」を始め数種類の上州座繰り糸を購入。
 節のある細めの糸とか、四百粒くらいから一挙に引く「1200中」の極太糸とか。
 何に使うかはまだ決まっていないが、いずれも創作意欲をかきたてる糸たちである。
 いずれMaki の布に織り込まれることであろう。

 千秋「ところで、天蚕の糸はないんですか」
 
石田「糸は今はないねえ」
 
千秋「こんど引いたときに、ちょっとわけてもらえませんか」
 
石田「う〜ん、でもあんまりやりたくないんだよねえ」
 
千秋「…」
 
石田「たとえば、フサコさんでもね、体調の良いときに頼むんだけど、ちょっと引くとズルがでて、またちょっと引くとズルが出るという感じ」
 
千秋「たいへんなんですね」
 
石田「ま、今度、S 農協行ったら繭を買ってくるか。まだ売れ残ってるみたいだから…」

 日本の野蚕である天蚕糸は苦戦を強いられている模様である。
 フサコさんというのは、先年雑誌「銀花」にも登場した、昔ながらのへっついで糸を引いているおばあちゃん。
 (糸にはそれぞれ「フサコさん」とか「ナミさん」とか「アキコさん」とか grandma brand がついている!?)
 「ズル」というのは糸にならない部分。
 いろんな座繰り用語があるのである。
 写真下は左から真木千秋、石田氏、西尾氏。
 一時は後継者不足で前途に暗雲のたれこめた上州座繰りであるが、最近は関心を抱く若い人々も出てきた様子。
 そこで石田氏もワークショップ兼ショールームの建設に乗り出すなど、先行きに多少の光明が…!

 フサコさんの仕事ぶりも見学したかったが、お彼岸だからお休みであった。
 この日はほかに、前橋市内の撚糸(ねんし)屋さんにもうかがう。
 この道六十年というK撚糸のおじいちゃんが頑張っておられた。
 こちらもまた興味深いところなので、いずれご紹介する機会もあろう。

 というわけで、何度行っても勉強になる上毛野国(かみつけのくに)である。
 〈ちなみに、現在の群馬・栃木あたりは、古代、「け」の国と呼ばれた。それが二つに分かれて、西が「上毛野国(かみつけのくに)」、東が「下毛野国(しもつけのくに)」)となり、それが上野(こうずけ)・下野(しもつけ)となり、そんな因果で、群馬は上州と呼ばれるようになったわけ〉


3月26日(金) 入竺の準備

 
かつて玄奘三蔵は入竺求法の旅に出た。
 そしてもうじき真木千秋以下 Maki girls 総勢4名も、春のインドへと旅立つ。
 (春といってももう最高気温が35℃を上回るらしいが)。

 ここ武州・養沢のスタジオでは、真木千秋、その準備に余念がない。
 きっと甲州・長坂のスタジオでも真木香が準備に余念なきことであろう。(希望的観測)

 一昨日、群馬の糸繭商・石田さんから上州座繰糸が七種類、約7kgばかりドサッと届いた。(前項参照)
 千秋にとっては宝の山である。
 そこで今朝は窓辺に陣取り、布の山の中でさっそくそれをいじくり回している。
 夜来の雨がやっと上がり、外は曇り空。
 このくらいの光が、色を見るのにいちばん良いらしい。
 
 今、千秋の手にしているのは、「1200中」という極太糸。
 ざっくりしていて、存在感がある。
 普通、このくらい太い絹糸というと、キビソなど繭クズから紡いだ糸がお馴染みだ。
 しかしこれは繭から引いた糸なので、太くてもキレイ。
 よほど気に入ったらしく、石田氏に電話して2kg ほど追加注文している。
 インドに持って行くらしい。

 何を作るの? と聞くと、
 「ふっふっふ、今、たくらみ中」と不気味な笑み…。
 さて、何をたくらんでいることやら。
 なお、写真左手前に見える白い糸の山は、最上級の座繰り糸である「本糸」。(1200中よりもずっと細い)


4月8日(木) 明日からAfa展

 
「afa」というのは古代の日本語で「太陽」という意味だそうだ。
 真砂三千代さんがそのAfaを立ち上げ、今年で18年目。
 ここMaki 青山店は、もうじき丸8年。
 そしてAfa展も今回で8度目。
 おまけに今日は8日だから、これは末広がりでなにやら縁起がいい。

 店内ではみんなが先ほどから展示作業に勤しんでいる。
 三千代さん(写真)も、エプロン姿で首からメジャーを下げ、いかにもクチュリエっぽい雰囲気。
 きっと葉山のスタジオではこんな格好で仕事をしているのであろう。
 ちなみに、手にしているのは展示会案内やDMにも出ている「シルクのひもえりシャツ」。
 下はどこにも出ていない「チェック地のシルク腰巻きパンツ」。

 今、午後五時半。
 作業も大方終了したらしい。
 「よかった、明るいうちに終わって」という安堵の声も聞こえてくる。
 これは必ずしも、三千代さんの手際が良くなったということを意味するものでもない。
 春四月だからである。
 今まで七回のAfa展はすべて秋。
 それも11月が中心だったから、五時半といえば外はすっかり暗くなっていたのである。

 それゆえ、今までのAfa展と比べると、だいぶ趣が違っている。
 言うまでもなく、薄物が豊富だ。
 素材はインドの手織り絹や麻が中心。
 そのほかにラオスの紬風生地とか、もちろん当スタジオ製の薄地もある。
 今回は120点ほどお目見えだ。
 今年はもはやカディ展もないから、夏物をゲットしたい向きにはチャンスかも。

 先日、17年ぶりにインドを訪れたという三千代さん。
 ラジャスタンにあるブロックプリントの村を訪れ、いろいろ感じるところがあったらしい。
 (ちなみに今、真木千秋はじめ四名が入竺しているが、彼地はすでに気温38度に達しているという)
 五月にはパターンブックも出版されるというから期待しよう。
 三千代さんは9日、10日、14日、在廊予定。


4月23日(金) インドより帰還

 
本日、真木千秋以下4 girls、インドより無事帰還。
 Maki 専属ドライバーである私が成田まで出迎える。
 ここ五日市から成田へは、行き帰り都心を通過しないといけないので少々しんどい。
 しかし、連日四十℃近い烈日の下で仕事してきた由、そのくらいは辛抱しよう。
 昨夜9時にデリーを出て、朝8時半に成田着のJAL472便。
 
 かつてインド航空を利用していた頃には、一目で見分けがついたから良かった。
 駐車場の屋上に佇み、飛行機の到着を待つ。
 飛来した747の尾翼に踊るケンタウロスを目にすると、「よくも西方天竺から、はるばるやってきたものだ」と深い感慨にふけったものだ。
 ところがJALだと、やたらめったらあちこちから飛んで来るから、あんまり有り難みがないし、どれが天竺から来たのやら定かでない。
 (もっともインド路線はMD11という比較的少ない三発機なので、推測はできそうだが)

 ともあれJALだと、時間が正確でいい。
 表示の到着時刻から30分もすると、ゲートから大きな荷物とともに真木千秋が現れる。
 続いてほかの三人も。
 機内泊だから少々眠たそうだが、みな思いのほか元気そう。
 そこで記念写真を一枚。
 左から真木千秋、真木香、太田綾、大村恭子。
 千秋の背後に変なインド人が写っているが、遠路はるばる付いてきた守護霊か!?
 この大きな荷物の中には、たとえば、来月の「ストール展」の際、お客さんに差し上げる「おばあちゃん袋」などが詰まっている。

 こうした大荷物をワゴン車に積み込み、真木姉妹を乗せて、一路、中央高速方面へと向かう。
 東関道から中央高速への最短路は、私の研究によると、レインボーブリッジを渡ったところで、左手の渋谷・新宿方面には行かず、右手の銀座方面に移り、汐留ジャンクションで左手の八重洲線(北池袋方面)に入り、都心環状線に出て新宿線に入るというもの。
 この八重洲線は比較的流れがよく、道中、有楽町マリオンとか中銀カプセルタワーとか不二ラテックス本社とか名物ビルがあって、わりかし楽しめたりする。
 ところが、今日は肝腎の八重洲トンネルが渋滞で、けっこう辛い。
 ただ、姉妹はぐっすり寝入っており、トンネル渋滞というおぞましきシーンも安らかに通過。

 途中、武蔵小金井の真木家に寄って、真木香を落とす。
 貞治・雅子夫婦も娘の顔を見て一安心。
 ついでに昼飯を馳走になる。
 私のおかずはインド風コロッケ。これは昨日ニルー家で作られ、真木香が土産に持たされたもの。スパイスが効いててうまい。
 姉妹は水戸納豆。これは成田近くの酒々井サービスエリアで買った「わらずと納豆」で、これも香ばしくてうまい。(成田帰りにはおススメ)

 夕方近くに真木家を辞し、五日市に向かう。
 奇しくもこの道は五日市街道と呼ばれる。昔はこの道をたどって、五日市周辺の山々から江戸の市中へ木炭などが運ばれたのだ。
 下写真はその街道上、車中でのワンショット。

 織上がったばかりの布サンプルを取り出して見入る真木千秋。
 「あめつち」の赤系である。
 「あめつち」というと、こちらにもちょっと見えるが、藍を使った青系。
 そこが赤に変わると、こんなにも印象が違うものだ。
 「ここに黄色が入ったらよかったかなあ…」とひとりごつ真木千秋である。
 まんざらでもない出来栄えのようだ。
 「なにか良い名前考えて」とか言われるが、運転しながらそう簡単に出てくるものではない。
 (ちなみに「あめつち」とは天地のこと。「あかつち」にでもするか!?)。

 それから今回は、今まで染め貯めた緑(フクギ+藍)でストールを織るなどもしたらしい。
 こうしたものも、きっと来月のストール展にお目見えすることだろう。


5月9日(日) ストール展・余話

 
真木千秋がインドの工房で初めてストールをつくったのは、今から16年前の1988年。
 まだ真木テキスタイルスタジオが存在しない頃だ。
 ある会社のデザイナーとしてインドに渡り、当地でニルーに出会う。
 そして最初にできたのが、タッサーやモトゥカなど手紡ぎシルクを使ったストールだった。

 爾来、十有余年、途中から真木香も加わり、Makiの手がけたストール/ショールは数知れない。
 その中には、AA7ストールのように一度だけしか織られなかったものもあれば、「定番」として比較的長期間つくられ続けたものもある。
 真木千秋によると、織物のアイデアは、後から後から尽きることなく湧いてくるのだそうだ。
 それがまた、インドに渡ってつくり続けるパワーの源泉になるのであろう。

 その数知れぬ作品ひとつひとつには、素材や織師たちにまつわる様々なドラマが秘められている。
 それゆえ、ようやく織り上がってインドから送られてきた一作を、全部手放すには忍びないものがある。
 もはや二度と織られないかもしれないし、同じ素材が手に入るとも限らない。
 それで、特に思い出深い作については、一枚二枚と、ここ養沢谷のアトリエに保存しておくのである。

 そうした「ヴィンテージ」の秘蔵ストールも、五十点以上にのぼる。
 しかし、いつまでも使わずにしまっておいても仕方ないし(これを隠匿という)、毎年の虫干しも大変だし、これからも増え続けるだろうし…
 というわけで、今回、stole & stoles!! と銘打って手放すことに。
 秘蔵ストール五十余点、それに新作を含めて現在スタジオにあるストール五十余点(色違いを入れると百点弱)、合わせて百数十点が出品される。
 これだけたくさんのMakiストールが一挙に見られるのも、さだめし空前絶後のことであろう。
 ほんとは全部ここにご紹介したいのだが、お互いそんなヒマもないので、今日は四点ばかり。

 写真中で真木千秋の手にしている赤いストール。
 これは98年の「黄繭格子」。
 黄繭というのは、インド西部ベンガル地方で採れる、原生種に近い黄色くて小さな繭。
 その黄繭を使い始めた当時の作で、黄繭糸とタッサー絹紡糸の二重織りだ。
 写真のストールは茜などで先染めしたもので、ほかにブルー系もある。
 大判ストールだが、和装にもあうということで人気があった。

 その左手、紺色に丸まっているストール。
 これは95年作の「デュピオン」。
 デュピオンとは玉糸。すなわち、二匹以上の蚕が一緒になって作った繭(玉繭)から採った糸だ。
 その前年にインド南部の絹都バンガロールで見つけた玉糸を、ヨコ糸に使っている。
 当時の玉糸はかなり不揃いで、ために織物には力強い風格が出る。


 
その右手前にある水色の一作。
 これは今春つくった「バーク交ぜ織り」。
 赤城の節糸およびMakiの座繰り糸を昨年夏に藍の生葉で染め、それをタテ糸にする。
 ヨコ糸にはナーシ糸などを使うが、リピートがなくて、横段の織ひとつひとつが全部違っている。

 最後、いちばん右手前。長年あこがれていた緑。
 これも今春の作で、名前はまだない。
 緑という色は、草木では直接染められない色だ。
 それで黄色と青の組み合わせで染めるのだが、これはフクギと藍。
 フクギとは琉球王朝の黄色を染める貴重な染材で、Makiも西表島などで何年もかけて少しずつ糸を染めためてきた。
 それに藍を染め重ね、緑を出す。
 そして今回の展示会にあわせて、特別に織り上げる。
 これはかなりスペシャル。

 スペシャルついでに、もうひとつ。
 今展の二日目、すなわち15日の土曜日には、福岡から沼田みよりさんをお招きする。

 「暮らしの提案」沼田塾を主宰するみよりさんとは、かれこれ十年ほどのおつきあい。
 ラッピング・コーディネーターなる肩書きも持つ沼田さんは、また人間のラッピングも得意。
 別に決まった巻き方があるというわけではない。
 Makiのストールを手にし、そして人を前にすると、天来のひらめきがあるのであろう。
 無限のバリエーションの中から、その人に適った装いが、忽然と現れる。
 土曜の午後二時に注目。

 また、その時間に間に合わなくとも、みよりさんは土曜は一日中在廊のはず。
 特に、Makiストールがタンスの肥やしとなっているアナタは、それをご持参になるといい。
 みよりさんのマジックタッチにより、肥やし変じて綺羅の衣になること必定。

 また初日、二日目と真木千秋も在廊。
 それぞれのストールにまつわるよもやま話も披露してくれるはず。
 


5月13日(木) ストール展・飾り付け実況中継

 今、午後4時。
 真木テキスタイルスタジオ青山店。
 明日から始まる「ストール展」に向け、総勢八名でディスプレーの最中である。

 今回は青竹を使おうということで、古民家再生師の神保祥二氏を招き、竹を組んでもらうことにする。
 青竹は先週、私ぱるばが竹林から孟宗竹とマダケを合わせて25本ほど切り出したものだ。

 青竹は昨年の「青山七周年記念展」のときにも使ったが、同じじゃつまらないので、今回は神保氏の発案でトライアングルに組むことにする。
 マダケは色艶が美しく、孟宗は渋めの質感。(ちなみに、竹材としての用途はマダケの方が広いが、タケノコは孟宗が優るようである)

 ナップサック一個というわずかな道具類で、器用に作業を進める神保氏。
 写真は一階の模様で、今はそれを終了し、二階にとりかかっている。
 氏の実家は上州群馬で、私とほとんど同年であるが、中学の頃まで養蚕をしていたそうだ。
 今秋あたりからその実家(大正期)を移築し、氏の住宅兼アトリエにするという。
 一部の作業をワークショップ形式で公開するそうで、真木千秋もさっそくその土壁塗りを志願していた。

 二階では娘たちがヴィンテージのストールを展開中。
 「このこ、どうしようか」
 「う〜ん、あのこの隣かなあ…」
 とかのたまっている。
 託児所ではないが、当スタジオでは、ストールも反物も「このこ」なのである。(少子化の反動か!?)
 そういえば青竹まで「このこ」になっていた。

 さて、そんなこたちに囲まれて、どんな展示が出現するのであろうか!?

5月15日(土) ストールを*倍楽しむ法

 ストール展二日目の本日、福岡から招いた沼田みよりさんによる、ストールのまとい方プレゼンテーションがある。
 じつはこれ、初めての試みだったので、実際どうなるか私にも定かではなかった。
 真木千秋いはく、自分は布をつくる人だが、沼田さんは布を育てる人。
 これは目からウロコの一時間であった。

 ストールというのは、ごくシンプルな長方形の布である。
 それを首からサッと垂らすというのが一番基本的な使い方であるが、それだけではない。
 その長方形の布には、じつにいろいろな可能性が秘められているのである。

 たとえば、ストールの端と端を持ってギュッと結び合わせる。(写真上)
 当スタジオのストールは遠慮なく結んでもらってかまわない。
 そうすることによって、布に新しい形と機能性が生まれる。

 写真の中で使っているのは、張りのある新しいストール。
 使っていくうちにだんだん柔らかくなっていくので、そうした風合いの変化も楽しめる。
 沼田さんいはく、布は使えば使うほど、言うことを聞くようになる。
 だから皆さんも、飾っておかずに、どしどし使ってほしいものだ。

 ストールは別に上半身専用ではない。
 腰に巻くことで、新たな用途が生まれる。
 結び合わせてもいいし、写真中のようにヒモを使ってもいい。

 沼田さんは他に、輪ゴムやピン、ペンダントなど、小物を使った布の留め方も披露してくれる。
 もともと形のないものだから、工夫次第でいかようにも生きてくるのだ。

 今日の催しは、真木千秋をはじめ当スタジオスタッフにとっても大きな刺激になったようである。
 みな食い入るように見ていた。
 (これが一番の収穫であったか)

 実際、ビデオで撮影しておけばと悔やまれる。
 写真ではやはり、手の運びとか、布の動きがわからない。
 そしてまた、沼田さんの含蓄ある語りも聞き物である。
 DVDに編集して、ストール購入のお客さんに無料進呈したいと思った。
 (今日見られなかった人は、ともあれ、当スタジオスタッフにいろいろ聞いていただきたい)
 
 まだ他にも、頭に巻くシリーズなどがあるようだが、今日は時間の都合で割愛。
 また近いうちにやってもらいたいものである。
 一枚のストールが何倍にも楽しめるわけだから、当スタジオの布愛好者にとっては必見であろう。

 写真下は沼田さんにストールを「着つけ」てもらい、嬉しそうな真木千秋。
 こうなるとほとんど衣である。
 ストールづくりに新たな可能性を感じたMaki であった。

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