Project Henchikurin Project Henchikrin BambooHouse" 竹林日誌2002,, BambooHouse Project Henchikurin Project Henchikurin

東京西多摩、秋川の清流を見下ろす崖上
築二百年の農家を舞台に展開する真木テキスタイルスタジオのお話。

 


3月22日 白樺のゆくへ…

 これは竹林ではなく、それより数km山中に入った、養沢アトリエの話。
 昨日は春の嵐だったらしい。いや、春の嵐どころではない。土地の古老によると、春先にこんな大風の吹いたためしはないそうだ。
 「らしい」というのも、私たちは鎌倉へ展示会で行っていたので、居合わせなかったのだ。
 ところが今朝、起きてみると…。
 外に出しておいたサンダルや板きれが散乱したり、洗濯機のフタは谷底に吹き飛ばされたりで、ちょっと難儀した。
 しかし一番たまげたのは、庭先の白樺が根こそぎぶっ倒れていたこと。

 白樺ってのは、突然死することで知られてはいるが…。
 六年ほど前ここに移ってきたとき、庭には三本の白樺があった。しかし、そのうち二本はほどなく枯死。
 最後に残ったのが、家の脇に生えていた一本。夏の暑さにもめげず、毎年、青葉をつけていた。
 ただ、最近、樹勢が衰えてきたかな、という感はあった。
 しかしこんなにあっさり逝ってしまうとは思わなかった。
 枝には新芽もつけていたのに…。

 しかし、転んでもただ起きないのが当スタジオ。
 それでは染めてみようではないか。
 教科書によると、白樺の樹皮は、その名のごとく、樺色を出すという。
 かつて枯死した白樺で試したことはあったが、ちょっと期待外れだった。
 でも今回は生だから、いい色が出るやもしれぬ。
 今度実験して、またお知らせしよう。
 (たとえ色が出なくても、少なくとも、薪となって次の冬、我が家を暖めてくれることだろう)


3月25日 白樺のゆくへ… (その2)

 というわけで 、 大風でぶっ倒れた我が家の白樺の菩提を弔うため、その樹皮をもって染めようということになった。

 鎌で少し削ってみると…。(写真左)
 ほらごらんの通り、赤褐色というか、サンゴ色というか、そんな色合い。

 そこで樹皮の採取にとりかかる。
 これがけっこう骨なのだ。
 写真でもうかがえるように、白樺の樹皮は、なんかジャリジャリした感じ。ツルンとか、ペロンとか、素直には剥けてくれない。今まで染めに用いた樹木の中でも、いちばん手を焼く部類に入るだろう。枯れた白樺とはぜんぜん違う。
 それでも、鎌やナタを使って、奮闘すること!?時間。どうにか必要量を集める。

 大鍋に入れて、火をつける。
 燃料は、ウチにいっぱいある孟宗竹。きっと油分を多く含んでいるのだろう、非常によく燃える。ただしちゃんと割れ目を入れておかないと、一節ごとに大爆発を起こす。

 沸騰して二十分ほどした染汁。(写真右)
 もうもうたる湯気の中で、ウ〜ム、なかなかいい色が出ているみたい
 しかし、それがそのまま染着するとは限らないので、油断は禁物。

 赤目の色は数日置いて酸化させたほうが赤味が濃くなるので、今日はここまで。染めは今週末かな。




4月1日 白樺のゆくへ… (その3)


 ちょっと遅くなったけども、やっと染めにこぎつける。
 エイプリルフールの朝まだき、降り注ぐ春陽のもと、染液を大鍋に移して火を入れる。
 燃料はケヤキの枯れ枝と、孟宗竹。
 平鍋で熱効率がいいせいか、たちまち液温は70℃くらいまで上がる。(液温計は私の指)

 そこでやおら、染師・若松ゆりえが、前もって下ごしらえをしたタッサーシルクの布を、染液に漬ける。(写真左)
 絹というのは一般的に草木でよく染まるのだが、タッサーなどの野蚕は、家蚕(つまり普通のシルク)に比べると染まりつきがあまり良くない。さて、ウチの白樺、その首尾やいかに…

 そして数時間後 ― 。夕方の光の中、ウラの物干しにへんぽんとひるがえるタッサーの布たち。
 ちょっと整列して、ご登場ねがうと…(写真右)
 左から、鉄媒染鉄+灰灰媒染

 春先の染材で言うと、梅の木に似た色合いだ。でも少々淡いか。特に灰媒染のが。
 染師ゆりえいわく、「梅の方がずっとよく染まる」。(ここ竹林亭の大家さんが毎春、梅の剪定クズをどっさりもってきてくれるのである)
 
う〜ん、それじゃ我が家の白樺もあんまり浮かばれんな。まだ半分残ってるから、もう一度煮出して、重ね染めするか…。

 


4月15日 よろけ品評会

 
インド出張から戻り、約三週間ぶりにスタジオに現れた真木千秋。
 デリーは既にもう夏。四十度近くまで気温が上昇したという。それでも例年よりはマシだったとか。
 それでつい油断をして、朝から午後四時ごろまで昼食も摂らずに仕事をしたりして、同行の娘二人(う〜んちょっとムリがあるか!?)もさぞや迷惑なことであっただろう。なんでも真木千秋自身もダウンして、まっこと難儀なことだったらしい。(『もうインド行かない!』宣言まで飛び出し、真木テキスタイルスタジオの将来に暗雲がたれこめるのである。 …ま、単にトシなのかも)

 そうした艱難辛苦にもめげず、またいろいろ新しいモノをつくってきた模様である。
 さっそく留守番隊長・若松ゆりえを相手に品評会。
 ちょっとその会話を採録すると;

ちあき「ほら、これね、ヨコ糸のよろけを出したいから、タテ糸の密度を変えたの」
ゆりえ「密度を変えると、織っているうちに糸の張りが変わってくるから…」
ちあき「そう、織りにくくて、織師さんもタイヘンだったみたい」
ゆりえ「こっちでカンテクロス*を織ったときもそうでしたよね」(*アフリカの細幅布)
ちあき「この織りには、中国の苧麻と、ここで座繰りした絹糸を使ったの」
ゆりえ「あっ、この糸ですね」
ちあき「白いのを織って、後でインド藍で染めたの。だから、ほかの色でもできるね」


 というわけで、右写真がその拡大図。さて、件のよろけぶりがわかるかな?


4月22日 タケノコ

 タケノコはお好き?
 私は、まあ、人並みに好きかな。
 と申しますのも、ここ竹林では、今まさにタケノコがタケナワなのであります。
 ほら、ご覧の通り、立派でしょう。これ、孟宗竹。
 (ちょっと食うには伸びすぎか、これは→)

 ここ竹林亭の敷地は約600坪あるんだけど、そのうちの百坪くらいが孟宗の竹林かな。
 タケノコといったら孟宗竹。おかげで、毎年、いやというほどタケノコが食えるのである。もちろん今年も、先日さっそくタケノコ御飯を炊いた当家であった。
 まだまだたくさんあるんだよね。だから当家のみならず、スタッフみんな、そして来訪のお客さんも、このころになるとタケノコを手みやげに家路につくことになる。
 ホントはあさってからの真南風展でも売りたいくらいなんだが、いちおうこの竹林は大家さんが管理してるみたいなんで、あまり勝手なまねもできないのである。(かなり勝手してるけどね)

 竹の家オープンハウスもねえ、今年は六月に予定されてるんだけど、今くらいの時期にやればねえ…。
 朝堀りのタケノコをカマドで煮て、生醤油でみなさんに食べさせてやるんだけど…。
 ま、来年だな。

 


4月24日(火) スディナ

 
本日から真木テキスタイルスタジオ青山店で始まった「真南風」展。
 今回のテーマはスディナである。
 今まで真南風で紹介してきた様々な衣も、スディナがその原形のひとつとなっている。

 スディナというのは、琉球の伝統衣装。沖縄本島では「ドゥジン」と呼ばれる。
 今でも西表では祭の際に女性たちが着るのであるが、ゆったりとした上衣だ。
 伝統的には苧麻で織られ、下にはカカンというプリーツ状の巻スカートをはく。
 横に深いスリットが入り、帯を使わず、ひもで留める。暑い気候には最適だ。
 ベトナムのアオザイ、朝鮮半島のチマチョゴリ、ブータンのゴーなどに通じるものがあるという。
 西表の石垣昭子さんはいつもこれを愛用している。
 このいでたちで現れる昭子さんは、小柄ながら実に存在感がある。

 日本ではコート的に羽織ってみたり、中に着てもいい。
 写真は今日、石垣昭子さんを真ん中に撮影したもの。
 左端の真木千秋はスディナを中に着ている。外側はフクギで染めた真南風の上衣。
 私ぱるば(右端)は今日初めて着てみたのであるが、どうだろうか。
 自分ではなかなかカッコいいと思っている。キリッとした和装とはまた違い、リラックスしていい感じだ。
 何より簡単に着られるのがいい。
 写真では見えないが、下には普通のゆったり目のズボンをはいている。
 このスディナ、実は真木千秋のものである。
 一着あると二人で着られるというのも、スディナの便利な点だ。すなわち男女兼用。
 今度は昭子さんに、ぐんぼう(綿×苧麻)の布を使って白いのを作ってもらい、自分用にしようと思っている。
 みなさんにも一度ぜひ足を運び、試着していただきたいものだ。(〜5/6)


4月26日 種まく人

 
たしか、どっかの県立美術館にもそんな名前の泰西名画があったような気がするが…。
 こちらの種まく人、モデルは当スタジオのCである。

 何をまいているのかというと、タデ藍の種。
 私ぱるばが草をかきわけウネを作り、Cに種まきをさせる。
 でもこの腰つきがちょっとなあ…。
 ま、しょーがないか、町育ちだし。なにしろ最近まで「種をまく」という言葉を知らず、「種をうめる」とかのたまっていたくらいだから。
 それでも本人は楽しかったらしい。
 夏になったら、このタデ藍で、生葉染めをするのだ。

 ついでに、綿の種もまいた。
 これはおととい、青山店でお客さんにもらったもの。
 和種の綿なのだそうだ。
 これもどのようになるか楽しみだ。


5月15日(水) かご展・のぞき見

 先日、東京・小金井にある真木雅子宅にお邪魔した。
 すると、リビングには、できあがったばかりの籠(かご)、作りかけの籠、籠になる前の籠(すなわち素材類)などが、山をなしている。
 真木雅子不在をいいことに、何点か盗み撮りしてきたので、ちょっとご紹介しよう。
 本番は、5月24日(金)より

 サルトリイバラの枝をU字形にして、三つ使う。
 底の三角形は、クルミの木の皮を結んでつくる。
 さらにカラムシの縄をない、それを使って、まわりをネッティング。
 花を活けたり、果物を入れたり、多目的に。

 白いきれいな白樺の枝があった。
 それを見て、さて、何を作ろうか…。
 やおら、ドリルで枝に穴を開け、アケビの芯を通す。

 そして、上から下へと編んでいく。
 白樺に似合う、白っぽい素材を使って。
 アケビの皮とか、アケビの芯とか、芭蕉を編んだものとか…

 サルトリイバラのU字形を二つ。
 芭蕉の縄でネッティング。
 底は椰子の葉っぱみたいなもの。

 今回はU字形が気に入って、たくさんこしらえた。
 二面にしたり、三面にしたり、大きくしたり、小さくしたり、高くしたり、低くしたり。

 ふたまたのケヤキの小枝を使って。
 ケヤキや桜は小枝がとてもきれい。
 秋や冬に採っておく。(今頃だと水分が多くて乾燥させるとしわしわになる。)
 反対に、木の皮は六月頃の梅雨時がいい。水を吸い上げているので、よくはげる。冬だと皮がぴたっとしていて、はがれない。

 小枝に編みつけたバスケタリー。


5月20日 キッチンにて

 養沢の谷では一昨日ホトトギスが忍び音をもらし、はや「夏は来ぬ」なのかと思わせたが…。
 連日の雨模様に、「寒の地獄」と言われるここ竹の家では、今日はストーブに火が入る。
 真木千秋はキッチンで合切袋を広げて、なにやら作業にいそしんでいる。
 部屋は幾つもあるのに、なんでわざわざキッチンで…とか思うが、糸を見るには自然光が必要なのだ。
 古い家のせいか採光がイマイチで、ここキッチンが一番明るい。

 拙著「タッサーシルクのぼんぼんパンツ」を読んだ人ならご存じだろうが、インドの工房にワヒッドという織師がいる。
 労働者ストなど組織して工房主ニルーには手強い存在なのだが、また工房一の腕利き職人でもある。
 ガンディーのような風貌の彼には、いつも服地を織ってもらっている。真木千秋は今その指示書を作っているところ。
 手前のサンプル帳に並ぶのが、「バンガロール・シルク」。これはインド南部の絹都バンガロール周辺で引かれる生糸で、ふくらみがあってしなやかなのが特長だ。

 なお、左上に見える小動物は、当スタジオのペットである野良猫・パンチ。
 かつて餌を与えようとすると人にパンチを食らわすので、その名がついたという。


5月23日(木) かご展イブ

 明24日から十日間開催される真木雅子「光と風の薫る籠」展。
 今日はその飾り付けだった。
 朝から真木雅子とその「仕事場・彩」スタッフ二人、それから真木千秋と当スタジオスタッフ三人、総勢七人でディスプレー作業。
 当スタジオでは三年ぶり二度目の展示会ということで、ひときわ力も入る。
 小さいものも入れると270点ほどの作品がお目見えする。

 今回はとにかくいろんな素材が登場し、長年つきあってきた娘の千秋もちょっと見ただけではわからない。
 たとえば同じ苧麻でも、外皮つきだったり、半晒しだったり、くるくる巻いてあったり…。
 いろんな工夫が施してある。
 真木雅子は明日から一週間、午後に在廊するというので、興味ある方は直接聞いてみるといい。
 きっと口角泡を飛ばして説明してくれるにちがいない。

 写真は本日夕方、作業を終えてしばしくつろぐ雅子(左)と千秋(右)の母娘。
 雅子は前夜三時まで籠を編んでいたそうだ。ソツセイのノリだったという。(ソツセイとは卒業製作のこと)


5月31日 It's Cool!

 竹の家 0pen House」を一週間後に控え、その準備に大わらわの日々。
 なにせ六百坪からある敷地だからして、CEO 用務員のおじさんである私もいろいろ忙しい。
 あるときは翁となって竹を取り、あるときはヤマトタケルのごとく草を薙ぎ、あるときは星一徹となってツルハシを…という具合。

 西表からは染めの材料も到着。
 写真が、かの紅露(クール)である。
 でかいですねぇ、4〜5年は経っているのではないか…。
 紅露というのは山中に育ち、一株に十個ほどの芋が鈴なりになっている。その中の若いのは残し、古いのを掘ってくる。そうすれば株は枯れずに残るのだということ。
 この芋は薬にもなるんだそうで、イノシシはそれをよく承知していて、虫下しとして囓るんだそうだ。それも古くて色の濃いやつを。
 だから、イノシシの囓った芋で染めるとよく染まるのだという。

 紅露といえば外見はゴツイんだが、包丁を入れたときに顕れる鮮烈な深紅というか赤黒というか、その色がまことに衝撃的。
 この衝撃は、染めの現場に居合わせないと味わえない。
 味わいたい人は、五日市まで来るしかない…でしょうなあ。
 (体験染めもできます)

 


6月12日 Open House 点描

 6月7,8,9日の三日間にわたって開かれた、当スタジオのオープンハウス「竹の家 de 西表」。
 天候にも恵まれ、自分で言うのもなんだけど、これがとっても楽しかったのである。
 そこでスナップ写真を交え、イベントの雰囲気をお伝えしよう。

 左写真は入口付近から撮ったもの。
 幾本ものケヤキが枝を伸ばし、前庭をすっかり覆っている。
 緑の木陰には涼風がそよぎ、駅から十余分歩いてきた人もホッと一息。

 まずは、門口に置かれた「銀蛇の白水」で、渇いた喉をうるおそう。
 これは私(ぱるば)が毎朝、近所の光明山中腹の泉から汲んでくるもの。

 染め場では、西表から来た石井佐紀さんが、西表の素材で染めを行う。
 南国西表は染材の宝庫だが、今回はその中から、紅露(クール)とフクギの染めを紹介。

 クールは山芋の一種で、赤茶色を出す。
 フクギは沖縄で広く屋敷林にも使われる大木で、鮮やかな黄色を染める。
 写真はフクギで絹を染めたもの。

 遠くに見えるのは秋川の流れ。

 江戸時代の末期に建てられたという屋敷内には、当スタジオの布が展示されている。
 写真は二階の風景。
 かつてはここで養蚕も行われていた。

 昔はわらぶきで涼しかったはずなのだが、数十年前にトタンに葺き替えられ、夏日にはちょっと暑い。

 

 Open House はお祭りなので、食べ物も豊富。
 写真左は受付の風景。
 テーブルの上には、竹器に盛られた「タケノコ御飯」、竹皮に盛られた「赤米」。
 それから、煎餅とか、クッキーとか、コーヒーとか…
 運がいいと、赤米しるこやパイナップルなどがタダでふるまわれたり…

 右写真は、そんなランチタイムの様子。

 今回のスペシャルは、沖縄の炊き込み御飯「ジューシー」
 石井佐紀さんが腕をふるう。
 西表では祭の際などに作る、おめでたいメニュー。
 石垣島から取り寄せた大鍋を使い、カマドの火で、いっぺんに数十人分炊きあげる。
 これがとっても美味しかったのである。

 写真は炊きあがったジューシーに、芭蕉(バナナ)の葉で覆いをしているところ。
 こうすると、いつまでもみずみずしく保てる。

 六月といえば「からむし」が伸びる季節。
 近所から刈ってきたからむしを使って、糸取りの実演だ。
 ここ五日市でも、戦時中のモノのない頃、このからむし糸で服も作ったそうだ。
 (ただしあまり着心地はよくなかったらしい)

 真木千秋の左側に青々としているのが、からむし。
 その上方、作業ズボンに軍手の人物が私。
 参加者多数によりからむしが足りなくなり、急遽、裏のヤブからからむしを調達してきたところ。
 (こんなことして何がおもしろいんだろ…と心の中では思っている)

 最終日におこなわれた真南風・衣ショー。(まあぱい・ころもショー)
 来訪のお客さんに即席モデルとなってもらう。

 写真で颯爽と歩くモデル嬢は、
 上にアカメガシワで染めたドゥンギ(胴着)をつけ、
 肩からアカメガシワ染めのサラリ(長目のベスト)を垂らし、
 腰にはスオウで染めた布を巻いている。

 やはり真南風は自然の中が美しいっ !! とは、識者の一致した見解であった

                                                photo by Tamawo

 


6月17日 繭が来た

 今日はここ竹の家にお客さんがあった。
 お隣の八王子からだ。
 八王子といえば、かつては「桑都」と呼ばれる養蚕の一大中心地で、どの農家でも蚕が飼われていた。
 しかし時代の流れとともに養蚕農家は減少の一途をたどり、今ではわずか11戸を数えるのみとなっている。

 そんな農家の中でも一番若い後継者が、今日のお客である長田夫婦 (写真左側の二人)。
 実は去年秋のOpen House で知り合い、繭をわけてもらいたいとお願いしていたのだ。
 ちょうど一週間ほど前「はるご(春蚕)」が繭を結んだので、持ってきてくれたのである。
 ウチから車で十五分ほど。こんな近いところでまだ繭が生産されているというのは、ちょっと感動モノだ。
 
 このカゴいっぱいで5Kg。数にして約二千粒。ちょうど着物一反分の繭だそうだ。
 生のうちがいちばん美しい糸が引けるので、これから十日間ほどのうちに糸にしないといけない。
 これから数日、スタジオ総出で座繰りだ。

 


6月19日 座繰りの日々


 列島涙雨の夜が明けて、今日は清々しい青空。
 真木テキスタイルでは黙々と生糸を引く日々が続く。

 まず台所で繭を煮る。
 それから、小さなボウルに百個ほどの繭を取り分け、右写真のごとく縁側に陣取り、座繰り機を操りながら、木枠に生糸を巻き取る。
 数十本の絹繊維が寄り集まって、一本の生糸になるのだ。

 一見、のどかな風景。
 窓ガラスに映る木々のこずえ。
 その二人の間に交わされている会話を採録すると…

  ちあき「たいへんだよね〜、糸取るって」
  
ともみ「そう、やってみないとわかりませんね〜」
  ちあき「遊びならいいけど、生産するとなるとね〜」

  
ともみ「でもこういう風合は、こうしないと出ませんし〜」


  

 木枠に巻き取った生糸は、乾かないうちにカセ上げする。
 左写真の手前にあるのが木枠に巻き取った生糸で、それをカセ上げ器を使って、カセに巻き上げる。
 カセにして初めて、染色などの処理ができる。

 右写真がカセ上げされた糸。
 ナチュラルなウェーブがご覧いただけよう。
 座繰りの場合、一手間かけることでこうした風合いを出すことができる。
 春繭は特に透明感がある。

 「たいへんだ」とは言いながら、娘たち、時の経つのも忘れて巻き巻きごっこ。
 しかし、油断は禁物だ。
 このあと、真木千秋によるキビシイ検閲があるのだ。(むろん自分の引いた糸も含めて…。いかにファジー好みの真木テキスタイルとて、おのずと限度というものがあるのである)

 それにパスした上等な糸だけが、たとえば「ヨロケ」とか、「風花」とか、「生葉」といった、当スタジオのストールに用いられるのである。

 ともあれ、諸嬢の健闘を祈る!

 

 


7月12日(金) レミングハウス訪問記

 当スタジオのお抱え建築家に、Lemmy Nakamuraという人がいる。
 最近は中村好文という名で本を出したり、芸術新潮に記事を連載したりしているので、お聞き覚えの方も多かろう。
 このレミー中村氏には、今を去る七年前、養沢アトリエの設計、および青山店の店舗デザインを手がけてもらった。
 言うまでもないが、住宅設計の腕前については自他共に認むるものがある。

 ただし、この人の場合、「歌う建築家」なる異名を取る通り、設計を依頼する際にはひとつ注意が必要だ。
 ことに、建築設計が成功裡に終わったあかつきには、要注意である。
 すなわち、その物件のオープニングパーティの席上で、自作の怪しい替え歌を、施主・施工・来賓を問わず参加者全員に歌わせるのである。
 当スタジオの場合、養沢アトリエおよび青山店ともよほど満足のいく出来であったのか、通常は一曲の被害で済むものを、それぞれ二曲ずつの大合唱とあいなり、同席していたファイバー・アーティストSheila Hicks女史をして、「What is this cult?」と驚き呆れさせる有様であった。

 ええい、ついでだ、迷曲中の迷曲をひとつ、ここで御披露しちゃおう!
 題して『織物坂のこの家』。これは養沢アトリエ完成時に歌われたもの。
 元歌はナポリ民謡の名品『帰れソレントへ』!

 織物坂のこの家           作詞:Lemmy Nakamura 作曲:De Curtis 歌唱指導:Parva Tanaka


 1.
 手間ヒマ惜しまず 手塩にかけて
 育てたこの家 今日の日のため
 マキの夢多く 予算は限られ
 悩んだ日もある 泣いた夜もある
 それさえ今では なつかし思い出
 今日はあなたに 渡すこの家
 ああこれが 私の定め
 ただひとつの 生き甲斐


 2.
 森屋棟梁なら できぬはずはない
 にらんだこの目に 狂いたがわず
 屋根の波打ちも 柱の曲がりも
 なんするものぞの 職人気質
 目の覚めるような 見事な仕上がり
 これがあの家 面影いずこ
 ああぱるば こころして住め
 織物坂の この家

 

 歌唱上のポイント
 築三十余年の陋屋を見事に変身させた建築家および棟梁の労苦、
 その完成の喜びと、惜別の悲哀、
 そうした悲喜こもごも、複雑なる心情を、切々、かつ朗々と歌い上げる。


 …と言うわけで、話はあらぬ方向に赴いてしまったが、要するに、表題にもある通り、本日7月12日、世田谷・奥沢にある中村氏のスタジオ「レミングハウス」を訪れたのである。
 実は1996年4月に青山店がオープンしたおり、今度ぜひLemmy氏の家具展をやりましょう! という話になったのである。
 氏は家の設計のみならず、こちらのページ写真内の「桐のチェスト」のごとく、木を使った家具調度のデザインも得意としている。
 そもそも自分で手がけた店舗なのだから、氏の調度が合わぬはずはない!
 …と思いつつ、お互い忙しかったこともあって、以来、六年余の歳月が経過してしまった。

 そこで今年こそは、という意気込みを胸に抱き、当スタジオスタッフともども四人で久しぶりに氏のスタジオに赴いたわけ。
 二年前に引っ越したという新スタジオ、入ってみると、さすがに美しい! (わがアトリエと比ぶるに)
 スタジオのそこここに、氏のデザインないしは見立てによる木製の家具や小物が案配され、実に心地よい空間が創出されている。

 中村好文展は今年11月。
 「さて、どんなもの作ろうか」
 「箱なんか欲しいですね。裁縫箱とか」
 「文箱とか、宝箱。CD箱とかもいいね」
 「ウチの布を使ったもの。たとえば、青山店に置いてあるような椅子」
 「布を使った屏風とか、扉とか」
 「ストールを保管できる抽出が欲しい」
 「壁掛タンスなんてのもある」
 「地袋もいいね。つまり床面に接してつくられる戸棚」
 「踏み台もほしい」
 「折りたたみ式のお盆テーブルなんてどう?」
 「ストール掛けも!」
  …という具合に議論百出。

 中でも一同の興味を最もそそったのが、Maki布で作る幕屋 (Maki屋?)だ。
 パオのようにコンパクトに折り畳め、タタミ二畳ほどの広さ。四囲と天井は半透明のMaki布で覆う。
 床面はMaki布を使ったキルティング風のマット。これも折り畳める。
 屋内でも、屋外でも、使える。
 中で何をするかというと、茶を喫したり、静坐したり、寝ころんだり…。あるいは蚊帳がわりに使ったり。
 「僕もひとつほしい」、とは中村氏の弁。
 さていったいどんな具合になることやら。以後の展開が楽しみである。


7月18日(木) ヌエの啼く夜は

 文月の夜も更け、遠くにヌエの声のこだまする養沢の谷…
 階下のアトリエから突如、「きれいなのできたよ〜」という声がする。

 実は先週のレミングハウス訪問後、真木千秋にはひとつ課題ができたのである。
 それは幕屋(パオ)用の布だ。
 今までつくったことがないだけに、創作意欲をかきたてるらしい。

 千秋いわく、風は通すが、虫は通さず、人影がほのかにうつる官能的な織り…なのだそうだ。
 そのために、空羽(あきは)織、すなわち、タテ糸の粗密に変化をもたせる織り方を採る。
 生糸やタッサーシルク、苧麻などを使って、様々に密度を変えながら試行錯誤。

 ヨコ糸もまたポイントだ。
 均一でスムーズな糸を使うと、洗うたびごとにタテ糸が移動し、粗密のない平織のようになって、透け感がなくなる。
 タテ糸を固定できるようなヨコ糸が必要だ。たとえば、手紡ぎ糸など凹凸のある糸。
 しかし手紡ぎ糸は一般に太い。太いとやはり透け感が損なわれる。

 そこで今おもしろいと思っているのが、当スタジオ特製の座繰り糸だ。
 この糸なら取り方で太さを調整できるし、天然のウェーブがあるから、タテ糸を固定してくれるのではないか…。

 ヌエの啼く夜更け、千秋の暗躍は続く。

 (…と、ここまで書いたときに真木千秋がやってきて「ヌエってなに?」という。辞書を引いてごらん。トラツグミのこと)


8月3日(土) 百草来五

 百草…これは「ももぐさ」と読む。
 今注目のギャラリー、岐阜の多治見にあるギャルリ・ももぐさだ。
 安藤雅信/明子夫婦がやっている。
 その明子さんが、ここ五日市にやって来たというわけ。それで百草来五。

 今秋11月に百草にて「蚕衣無縫展 ― 真木千秋と百草が提案する布と衣2」がある。その打ち合わせだ。
 昨年春の展示会もそうだったが、この展示会はちょっと驚きである。
 たとえば、私の愛用しているMaki初の着物も、この百草展を機縁に生まれたものだった。

 この明子さん、自身が作り手だ。
 「毎日の暮らしで使いたいものを作りたい」ということ。
 たとえば、服。
 「洋服」ではなく、日本人の体にあった服を提案していきたいという。
 (この点で私ぱるばとも意気投合し、褌や腰巻談義でしばし盛り上がるのである)

 今回もMaki布を使って、サロン(腰巻)、イカコート、上衣などを作るということで、真木千秋の山のような織りサンプルを手にしてあれこれ糸や風合いの話しをしている。。
 「明子さんの手になる一枚の完成された衣服は、なんとも存在感があって、ほんとに布や糸を慈しんでつくってくれている。こちらもとっても刺激になる」と真木千秋。
 自身、サロンを常用している明子さん、今日は十年来愛用しているという生成の苧麻製サロンをお召しであった。
 さて今度はどんな衣が生まれてくるか、楽しみなことである。(私向けに男性用サロンも作ってくれるってゆうし…)


8月14日(水) 蚕衣無縫プロジェクト 其の一・「先従褌始」

 「蚕衣無縫」ってのは無論、天衣無縫に虫をくっつけた洒落なんだけど、ネーミングいまいちだったかなぁ…オレが考えたんだけど。
 ま、ともあれ、上↑8月3日(土)の項にも述べた今年11月に多治見「ギャルリ・ももぐさ」で行われる展示会のことである。

 その最初のサンプルが、昨日、ももぐさの明子さんから届いた。
 驚くなかれ、手縫いの褌なのである。
 それも見たことのないような一品。

 普通、褌といえば、布をタテ取りにする。
 ところがこのmomofunは、布幅を利用して、横づかいしている。
 すなわち、褌の上端と下端に、布の耳が来るのである。
 それでナチュラルな横縞が上下に走り、壮観な印象。

 そしてヒモは、左右の縫い目から立ち上がるような格好で、脇縫いにくっつけてある。
 このあたり強度がちょっと気にかかるので、しばらく試着してテストである。

 素材の布は、タテ綿×ヨコタッサーシルク。これは本邦屈指の我が褌コレクションの中でも初だ。
 今の時期にはちょっと暑いかなという気もする。

 褌にも季節があるのである。
 今のごとき盛夏には、薄くてシャリ感のある生地がいい。たとえば、無精練タッサーシルクとか、薄手の麻。
 それが過ぎると、様々なシルク生地。
 だんだん寒くなると、綿が恋しくなる。あるいは、絹紡糸の生地だ。(絹紡糸というのはクズ繭などから紡いだ絹糸)

 私は三年前、越中褌に出会って以来、それ以外の下着はつけられなくなった。
 人間存在における原初かつ究極のオシャレなのだな、これが!
 肌につける最初で最後の布であり、形がシンプルであるだけに、何にも増して素材が重要となる。
 またこれほど素材をじかに楽しめる「衣服」もないのである。
 明子さんがまず褌を作ってきたというのも、さすが慧眼! と言うべきものかもしれない。
 古人ものたまっているではないか ― 先従褌始「まずfunより始めよ」
 女性用も考案中とのことで、これも楽しみだ。(誰がモニターするんだろ!?)


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