いといと雑記帳  2006前半

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1月1日(日) 新年のご雑談

 
謹んで新年のご挨拶を申し述べたいところであるが、今はそんな元気もないので、ちょっと雑談。
 実は、とんだインド土産に辟易しているのである。
 あちらでは12月末、真木千秋を始め、運転手グルディープ、通訳ディーパック、針場主アミータなどが次々と風邪に罹患。
 それが帰国前日、私に回ってきてしまったのだ。
 18年前からインドに通うようになって初の体験だが、インドで風邪を引いて厳冬の日本に帰国するってのは、かなり辛い巡り合わせと言える。
 寒さが激烈に身にしみるのである。
 悪いことに今回は、真木千秋をインドに残しての単身帰国。
 十四時間に渡る長旅の末に家に帰り着いても、誰も看病してくれないし、冷蔵庫も空っぽ。
 そこで昨日すなわち大晦日、母親の励ましもあって一念発起、車を駆って三時間、信州上田の実家に辿り着く。
 ここには女手が二人半(母妹姪)あるからかなり快適。食べ物も豊富だ。
 ともあれ、大晦日を寝て過ごすなど私の長い人生(!?)の中でも初体験であった。
 ところで織物とはまったく関係ないが、実家ついでにブドウの話。
 モノ好きな父は、今年は巨峰にモーツァルトを聴かせて育てるんだそうな。
 (ついでに「田中巨峰園」を「シャトー・タナカ」に改称しようかという話も)

 今年は青山店も閉店するなど、Maki にとっては節目となる年。
 いつにも増していろんなニュースをお伝えすることになると思うので、定期チェックをお忘れなく!
1月20日(金) 干し上がり

 
早いもので、正月ももう20日を数えようとしている。
 さて、11月初旬に収穫し、皮をむいてヒモでくくられ、長らく竹の家の軒先に下がっていた吊し柿。
 このたびめでたく干し上がったようである。(写真右)

 ほんのり粉も吹いてきて、どうです、うまそうでしょう。
 この白い粉は柿霜(しそう)と呼ばれ、ブドウ糖と果糖なんだそうな。
 今日、試食してみたんだけど、非常にコクがあって、ひとつ食べたらたくさん。
 硬さもちょうど頃合いなので、竿から外し、冷所保存いたすことにする。
 二百個ほどもあるから、とても私たちでは食べきれない。

 そこで、余命わずかのMaki 青山店にて、お客さんのお茶うけに出そうかと思案。
 明日、上京するので、青山まで持参するかも。

2月10日(金) ごくろうさん

 
今日は三谷展初日。
 Maki青山店内、木工作品も山盛りだが、キッチンの甘味も山盛り。
 たねやの大福、湯河原のかるかん饅頭、仙太郎の胡麻最中…
 もうじき店が閉まるということもあってか、お客さんのお手持ちが多い。
 真木千秋が自分で買ってきたのもある。
 たとえば、和菓子屋「菜の花」の「ご黒うさん」。
 これは文字通り、中も外も真っ黒だ。

 「菜の花」は小田原を中心に店舗を展開している和菓子屋である。
 (そのひとつにギャラリー「うつわ菜の花」があって、Makiも何度か展示会を開いている)
 社長は高橋台一氏。
 小田原の地域振興に奮闘している名物男である。
 その「菜の花」最近のヒットまんじゅうが、この「ご黒うさん」。
 餡には黒ごま、皮には竹炭を使っているという。
 なんでも、竹炭は体の毒を抜いてくれるのだそうな。
 「さぞ毒が抜けて良かったでしょう」と高橋社長に言ったのだが、彼の毒はそう簡単には抜けない模様である。

 右写真は、「ご黒うさん」+三谷龍二「黒漆皿とフォーク」。
 一時期、この御両人は熱い中年バトルを繰り広げているというウワサがあったが…。
 そのことに水を向けると、御両人、「いいやボクたち仲良いよ、最近も展示会やったし♪」とのこと。
 う〜ん、怪しい仲だ。
 ところで、このまんじゅうのネーミング、社長みずから苦心の作らしい。
 「誰も考えてくれないんだよ〜」と嘆く高橋社長。

 そう、誰も考えてくれないのだ。
 ストールの名前しかり、展示会のタイトルしかり。
 たとえば、Maki青山店にとってとりわけ大事な、本年四月、最後の展示会。
 青山店十周年であり、かつ閉店祝賀の記念イベントであるが、そのネーミングに七転八倒。
 当初『最後の燦々(さいごのさんさん)』で行く予定であった。
 これはもちろん「最後の晩餐」のもじりである。
 ところが、ウチのキュレーター石田紀佳の気に入らない。
 「じゃ対案を出せ!」と言うと、『グッバイ青山』が良いという。
 それじゃチップス先生みたいで嫌だから、三日三晩寝ずに考える。
 そしてヒネリ出したのが、『四月のエピローグ』。
 どうです、なかなか洒落てるでしょう。
 ところが、それも気に入ってもらえない。
 対案を出せというと、やっぱり『グッバイ青山』。
 そこで本日、みんなで鳩首協議の結果、『十年の絲なみ』に決定したという次第。
 「じゅうねんのいとなみ」だ。(この「絲」はパソコン上では「糸」が二つだが、実際には「糸」が三つ)
 なかなか良いかも♪

 というわけで、やっと懸案解決!
 ほんまに、ごくろうさん。
2月11日(土) 往く店・来る店

 
三谷龍二展二日目。
 真木千秋と私ぱるばは青山泊まり。
 残り少ない表参道ライフを有効に活用しようということで、朝の散歩がてらEchika表参道を探検する。
 このエチカというのは、メトロ表参道駅に新しくできた専門店街だ。(エチカというのはたぶん駅地下という意味だろう)
 昨年からずーっと長いあいだ工事をしてたが、最近オープンしたらしい。
 もちろん地下鉄の駅だからして、ぜんぶ地下にある。
 今朝、真木千秋とでかけたのは、その一画、Marche de Metro(マルシェ・ド・メトロ)。
 なんとなくパリの街角っぽい広場の周りに、幾つかのフードショップが並んでいる。
 パン屋、イタ飯屋、ベトナム飯屋、ビストロ、クレープ屋、ケーキ屋、チョコレート屋…
 そうしたショップで買ったものを、広場の椅子に座って食べる。
 私たちはフランスパン屋でパンを買い、カフェで飲み物を買って、朝食とする。
 ちょっとお洒落で、手軽なのがGood。
 駅で腹ごしらえという向きには屈強のスポットだ。
 場所はややわかりづらいのだが、表参道交差点「みずほ銀行」脇のB4出口から入ると一番わかりやすい。

 新名所といえば、もうひとつ。
 本日オープンの表参道ヒルズ
 じつは、おととい、行ってきた。
 オープン前の内覧会というやつ。
 ただし、これには招待券が必要。
 無論ぱるばを招待するような奇特な人はいないのだが、たまたま三谷龍二氏が招待券を所持していたので、氏にくっついて真木千秋ともども見物に赴く。
 ご招待といえども、入口には長蛇の列。
 中に入ると、UFOの母船みたいな地下大空間にビックリ。
 安藤忠雄のデザインだという。
 どの店もオープニングレセプションをやっている。
 三谷氏を招待したのは、奈良に本店のある工芸系ショップ。
 Maki もかつてお世話になったことがある。
 奈良だけあって、柿の葉寿司がテンコ盛り。
 これ、見栄えも良いし、食べやすくて、パーティには最適だ。
 それから、奈良のイチゴも、とってもウマい。
 …というのが、Newヒルズ内覧会の感想であった。
 なにしろ、あまりににぎにぎしくて、ゆっくり観る余裕がないのだ。
 また日を改めてご報告しよう。


2月21日(火) ノープロブレム異変

 おそらくインド人がいちばん最初に覚えるであろう英語、No problem。
 我々も随所で直面するのである。
 たとえば、織りムラを指摘しても、「No problem!」
 「大丈夫、問題ない」というような意味だ。
 確かに多少ムラがあっても、実用には何ら差し支えない。
 しかし、相手はQCに関して世界に冠たる日本マーケットなのだ。
 No problem で片付けられても困るのである。
 ま、そういう大らかな精神風土だからこそ、我々もこうして仕事を続けられてきたのだが…。

 しかし、それにも徐々に変化が起きつつあるようだ。
 現在、インドでは「コールセンター」というのが一大産業に成長している。
 これは、消費者からの問い合わせや苦情に対応するテレフォンセンターだ。
 昨今のIT網の整備により、アメリカの大企業が次々にインドにコールセンターを設けている。
 インド人は英語が達者で、優秀なわりに人件費も安く、またアメリカとは昼夜が逆なので、その地の利を生かしてのビジネスだ。
 高等教育を受けたインドの若者たちが受話器を握る。

 ところがひとつ問題が生じた。
 それがこの「No problem」癖。
 顧客からの問い合わせに、つい「No problem」で応じてしまうらしい。
 たとえばあなたが夜中にパソコントラブルに見舞われ、24時間サービスのコールセンターに電話して窮状を訴えると、「No problem!」という言葉で片付けられそうになる。
 こっちはプロブレムがあって電話してるのにノープロブレムとは何事だッ! という苦情がアメリカ人から殺到。
 ついにインド側も「No problem」という言葉を禁句にしたという。

 これは先日渡印した友人から聞いた話。
 IT立国の道も険しい!?


3月14日(火) 閉店の経緯

 あれは昨年の七月であったろうか。
 竹の家に、青山から来客があった。
 不動産仲介のS社であった。
 このS社を通じて、私たちは青山店の店舗を賃借しているのである。

 しばしの雑談の後、社長のA氏が本題を切り出す。
 なんでも、このたびS社が浅野ビルを買い取ったのだという。
 浅野ビルというのは、Maki青山店の入っているビルだ。
 すなわち、S社は自分の仲介していたビルを買い取ったわけだ。

 そしてS社は、そのビルを自社使用したいとのこと。
 ついてはテナントに退去いただきたいというわけだ。
 契約では、家主から退去要請があったら、六ヶ月のうちに出ないといけない。
 それに従って、年明けの1月いっぱいで明け渡してほしいという。
 テナントは三軒あったが、そのうち三階の帽子屋さんは既に撤退、地階の美容室も退去に同意しているという。
 突然のことに、私たちはびっくり。

 そのとき脳裏に浮かんだのは、明け渡し期限の三ヶ月後、06年4月20日のこと。
 その日、青山店は満十歳を迎えるのである。
 それでつい、「惜しいなぁ、もうちょっとで十周年なのに!」と言葉を漏らす。
 するとA社長、しばし思案の後、「それは是非とも、やっていただきましょう!」とのたまう。

 私たちとしても誠に残念なことではある。
 いささか手前味噌ではあるが、あんな店、ほかにはない!
 青山・表参道地区の賃料が高騰する中、いったんやめてしまったら、私たちの力ではもはや二度と同じような店は営めまい。
 ただ、Maki の本業は「つくる」ほうにある。
 お洒落な街に店を出すというのはいと楽しきことであったが、維持もまたたいへんであった。
 十周年を間近にして、「もういいかな…」という思いも、正直言ってあった。
 それでも、ご愛顧のお客さんも少なからずある。
 このような次第がなければ、まだしばらくはそのまま続けていたことであろう。

 というわけで、突然の引導であった。
 けだし、これが世の流れであり、Makiの流れであるのだろう。
 そして、はからずも、十周年のその日が、最後の日となるのであった。

4月7日(金) 山岳の静謐

 今、Maki青山店。
 20日の閉店まで、ほぼ毎日の上京である。
 しかし十年も青山に通いながら、いつまでたっても田舎者だ。
 今朝も山手線渋谷駅に降り立って、「さてハチ公口は…?」としばしプラットホームを徘徊するのであった。
 外見はMakiのストールや衣でキメてカッチョイイんだが、中身は悠久不変の鄙の人である。
 (単に覚えが悪いだけか!?)

 かかる精神的田夫野人にオススメのスポットをひとつご紹介。
 都会の雑踏の中、わずか千円少々でスイスアルプスのただなかにワープできる。
 その名も「スイス・スピリッツ」。
 渋谷のBunkamura(東急本店)で開催中だ。
 セントラルピース「アルプスの真昼」(セガンティーニ)の前に佇めば、アナタはたちまち山岳の冷涼な空気につつまれ、都会の喧噪もしばし忘却の彼方。
 ただし、このワープもあと三日間。(あさっての日曜まで開催)
 セガンティーニ作品は日本で見る機会もあまりなかろうから、Maki青山店見物の帰りにでもどうぞ!
 (スイス・スピリッツは金・土、午後9時まで)


4月8日(土) やな予感

 みなさんはいかがだろう?
 実は今日、青山店に来たお客さんだが、大いなる誤解をしておられた。
 「十年の絲なみ展 ― その三・そして竹林」の会場を、「五日市・竹の家だ」と思っていたという。
 もちろんそうではない。
 「絲なみ展」は一から三まで、すべて会場は青山店だ。
 案内状をよく読めばわかるはず。

 しかしだ、そのお客さんだけではない。
 三日ほど前だが、展示会をやっていると勘違いして近所の人が竹の家を訪れたという。
 それだけではない。
 あきる野市の週刊新聞「西の風」が昨日発行されたが、そこに「絲なみ展」の紹介記事があり、なんと「会場は竹の家」となっているのだ。
 
 こうした誤解の数々は、私たちにも責任あるかもしれない。
 それは絲なみ展の案内状だ。
 「その三」のタイトルが「そして竹林」。
 さらに「竹の家」の写真も掲載されている。

 私たちとしては、「さらば青山」にしたくなかった。
 それじゃちょっと寂しい。
 「これで終わりじゃないんだよ」という意味を込めてのタイトリング。
 「もっと楽しいことをやるんだよ」という心意気で、「いざ竹林」なのである。

 ただ、ウチのお客さんって、けっこう天然系だったりする。
 まあ、ヒトのことは言えないんだが、展示会の日時まちがえなど茶飯事だ。
 だから私は危惧しているのである。
 再来週の月曜(17日)、十周年記念ストールを目当てに武蔵五日市を目指す人々が現れるのではないかと…。
 その頃はおそらく竹の家もカラっぽであろう。

 もちろんMakiHPを読んでる皆さんは問題あるまい。
 しかしもし、親類縁者友人知人の中に、MakiHPを読まず、かつ天然系の人がおられたら、ちょっと念を押しておいてはもらえまいか。
 十周年のその日まで青山店は不滅です! と。


4月18日(火) Beautiful Weaver

 青山店もあと二日。
 私たちも連日、最後の青山ごっこで、今帰ってきたところだ。
 明後日の最終日、6時に店を閉めた後、内々でしめやかに追悼式…じゃなくて、祝賀会をする。

 ところで、Maki関係の祝賀会に欠くことのできないのが、「レミーちゃんの替え歌」だ。
 レミーちゃんというのは、当スタジオお抱え建築家の中村好文氏。
 氏には養沢アトリエの建て替えおよび青山店の内装を依頼し、その完成祝賀パーティはいつも氏の替え歌の合唱で盛り上がるのであった。

 今回の青山閉店祝賀パーティについても、昨年末からレミー氏に連絡し、出席を要請。
 氏も快諾し、替え歌も一曲作ってくれることになる。
 元歌はフォスターの「夢路より」。
 私も三谷龍二氏に指揮棒の製作を依頼し、歌唱指導に備えるのであった。
 そして一週間ほど前、氏より歌詞がFAXで届く。
 いはく;

君知るや あの店
路地の奥に たたずみ
糸たちが 織りなす
布と人の 語らい

マキテキと 呼ばれて
愛された 幾年(いくとせ)
思い出は とこしえ 糸と糸と糸の字
糸と糸と糸の字(繰り返し)

 ところが、あろうことかレミー氏、海外出張があるとかで、パーティには出られないという。
 これは一大事。
 というのも、替え歌の下手人なしで、私たちの方から「マキテキと呼ばれて愛された云々」などと歌いましょうなんて、なかなか言えない。
 それで合唱も沙汰止みとなる。

 ところが数日して、氏から電話がある。
 なんでも、この曲の二番の歌詞が完成したという。
 更には、よんどころなき事情により出張が延期され、パーティに出席できるようになった、とも。
 そしてFAXで送られてきた二番の歌詞は以下の通りだった;

Beartiful Weaver あなたと
布を愛(め)でる悦び
Beartiful Weaver 舞台は
都(みやこ)離れ 里山

Beartiful Weaver 新たな
幕開け いざ迎えん
友がきを 誘(いざな)い
竹の家に おいでよ
竹の家に ようこそ
アーメン

 Beartiful Weaver(美しき織り手) とは、言うまでもなく、この歌の原曲「Beartiful Dreamer」のもじりである。
 なかなか上手いもじりだ。
 「よんどころなき事情」というのは、実は、「このもじりを思いついたこと」だったのではないか…。
 (かなりありうる)
 ところで、Beartiful Weaver というのは、別に真木千秋のことを指すわけではない。
 手で織るという床しき営為を擬人化したものだ。
 ついでに末尾の「アーメン」は賛美歌仕様。
 ま、いろいろありますが、最後はすべて神の御手に委ねましょう、ということ。この部分だけ三部合唱。

 以上、パーティに出席しない人のご参考までに。
 出席する人は予習のこと。


4月26日(水) The Last of Aoyama

 連続の横文字タイトルで申し訳ない。(今回は The Last of Mohican のもじり)
 すなわち青山の最後。
 一般の皆さんには先週の20日が最後だが、我々にとっては今日がその最終日だ。

 本日は店の引っ越し。
 朝、早く起きて、車をころがし、青山に向かう。
 中央道八王子インタから首都高四号線。
 この十年間、なんど通ったかわからない通勤路だ。
 その間つちかった混雑時のドライビング Tips、
 たとえば…

首都高永福料金所では一番左の窓口を利用。
そのまま一番左の車線をたどって本線に合流。
合流後、速やかに右車線に移動。
永福入口合流後は左車線に移り、新宿出口付近までそのまま巡航…
 

 など丸秘テクニックは、今後の人生に永く生かされることであろう。

 そして今、青山店のカウンターでパソコンに向かっている。(右写真)
 店内はガラーンとして、何もない。
 さきほど引っ越し屋さんが来て、あらいざらい持って行った。
 すれ違いのできない細い路地だから、ご苦労なことであった。
 連絡によると、引っ越し便は無事、東京の西涯・竹の家に到着した模様。

 午後五時に不動産屋さんに鍵を渡して、今生の別れ。
 既に工事屋さんが入って、地階などかなり騒々しい。
 まだ時間があるので、近所の根津美術館を見物して来よう。
 この名物スポットも、来月八日から改築のため三年半の休館だそうだ。
 いよいよ遠くなりそうな青山である。


5月8日(月) ソラ豆サブジ

 シェフのラケッシュ君と近所のスーパーへ出かける。
 ラケッシュ君、今日はカボチャのサブジを作ってくれるという。
 サブジというのはインドの言葉で「野菜」という意味。
 野菜だけで作る料理だ。
 インドにはそうした「野菜カレー」が数限りなくある。
 スーパーの野菜売場で、美味そうなソラ豆に出会う。
 これでサブジができるかと聞くと、「できる」という。
 そこで予定を変更して、ソラ豆のサブジを作ってもらうことにする。
 
 二時間ほどかけでできあがったのが、右写真。(右半分はチャパティ)
 使った材料は、ソラ豆、ジャガイモ、トマト、玉ネギ、香菜、青唐辛子、生姜、ニンニク。
 いわゆるマサラ(スパイス)は、ターメリックと赤唐辛子のみ。
 じつはソラ豆カレーというのは、インドでは見たことがない。
 北部の限られた地方でしか穫れないので、一般レストランのメニューに載ることはないらしい。
 これ、なかなかイケる。
 来春には皆さんにもご賞味いただこう。

 真木千秋+三人娘は現在インド滞在中。
 四十度を越える猛暑の中、仕事に励んでいる模様である。
 明日あたり、絵日記が届くかも。


5月14日(日) 藍の芽

 新緑の信州・上田。
 私ぱるばの実家である。
 
 父親の田中一夫には、今年も藍の栽培を依頼している。
 5月3日に播種したものが、やっと芽を出した。(写真)
 私の手と比べて、その小ささがわかるだろう。
 よく刺身のツマに出てくるタデの芽と同じだ。
 日本有数の乾燥地だから灌水がポイント。

 やはり、もう少し早目に種蒔きしても良いようだ。
 4月中旬とか。
 近所に藍を栽培している人がいないので、試行錯誤である。
 今年もお盆の頃には恒例の「藍生葉染め大会」だ。

 ここには愚妹の運営するカフェギャラリー「月のテーブル」がある。
 先のゴールデンウィークには当スタジオの展示会を開催。
 田舎ながらもけっこうにぎわったようだ。
 今月からは週末の土日オープンする。
 当スタジオの布も常設されているので、よろしく!


5月17日(水) 代掻き

「しろかき」と読む。
知ってるかな?
田植えの前に、田んぼに水を張って土を細かく砕く作業だ。
今日はその代掻きをやってきた。
初体験。

じつは、竹林から歩いて数分のところに、通称「下田」というところがある。
秋川の対岸に広がる6ヘクタールほどの農地で、山間の地・五日市では唯一、まとまった水田のあった場所だ。
ただし現在は後継者がおらず、ほとんどが畑となり、残っている水田はほんの少々。
その貴重な水田を維持している一人が、我々の友人である整体師の中村氏。
もう五年、ここで米作りをしている。
今日はその中村氏の田んぼで、代掻きを体験させてもらったというわけ。

ホンダの「こまめ」というミニ耕耘機に代掻き用のローターをつけて作業する。
左側の人物が中村氏、右側が私。
カエルやオケラ、ムクドリにカルガモまで遊びに来る。
「大人の泥遊び」という感じで、なかなか楽しい。
そういえば一昨日、信州上田の実家でも老父田中一夫がトラクターに乗って喜々として代掻きをやっていた。 

なぜ突然代掻きかというと、Makiでも米づくりをしようという計画があるからだ。
私が勝手に計画しているだけだが、やっぱり国のモトは農、そして農のモトは米であろう。
衣食住をトータルに面倒見るMakiとしては、米づくりも試さざるべからずである。

ところで、今日の夕食は、パラック、すなわちホウレン草カレーであった。
三月に蒔いたホウレン草が収穫期を迎えたので、ラケッシュ君に作ってもらったのだ。
やはり素材と鮮度の勝利であろうか、いつになくメチャうまであった。
ウチのホウレン草は、化学肥料を施していないせいか、味が濃厚。
それゆえ、しっかりアク抜きする必要がある。


6月4日(日) 田植え

「竹の家」すぐそばにある下田の田んぼで、今日、田植えがあった。
前項の日誌にもある、整体師・中村氏の田んぼだ。
中村氏はいつもこの時期、友人達を募って「田植えパーティ」を催す。
それで私たち三人(千秋、ラケッシュ、ぱるば)も参加したというわけ。

都内外から三十人以上の人々が集まる。
米国人やカナダ人、そしてインド人など、国際色も豊か。
千秋とラケッシュは初体験。私ぱるばは約四十年ぶりだ。(信州の小学校で体験)
裸足で泥に入り、苗を一本ずつ挿していく。
手足に伝わる泥の触感は、何物にも代えがたい。
実際、この植物があったればこそ、日本人は一億二千万まで増殖したのだ。
そもそも私どもの名字も「田中」である。

千秋もラケッシュもすこぶる楽しかった模様。
ま、この前の準備が大変なのであるが。
田んぼの手配さえつけば、来年からホントにMaki米が獲れるかも。


6月28日(水) こまめ

 
養沢アトリエの近所に小さな畑をひとつ借りる。
 何年も放置され、草ぼうぼうになっていたところだ。
 過疎や高齢化などで誰も耕さなくなったのだ。
 そうした畑は、タダで借りることができる。
 地主にしても、荒らしておくよりは、誰かに耕作してもらったほうが良い。
 そこで私が借りたというわけ。
 アトリエ周辺では、三つ目の畑だ。

 そこで、さっそく草刈り機で雑草を刈り払う。
 そして本日は耕耘機で土起こしだ。
 畑の耕耘は三十数年ぶり。
 これがなかなか難行であった。
 何年も放置されていたため、雑草の根が跋扈(ばっこ)し、土壌が固くシマっている。
 それに山あいの斜面だ。

 じつは、小型の耕耘機を導入したのだ。
 Honda の「こまめ」というやつ。
 わずか27kgの極小サイズ。
 山間の小畑だから、アクセスが悪く、こういうのじゃないと入らない。
 Hondaという会社はクルマばかりじゃなく、こんな農機具も作っているのだ。
 私の草刈り機もHonda製。
 (そういえばかつてイタリアの田舎でFerrariのトラクターを目撃!?)

 今日買ったばかりで、農機具屋さんに届けてもらう。
 その農機具屋さん、畑の惨状を見て、「これは何回か耕耘機をかけないとダメですね」とのこと。
 小型で非力だから、一回やそこらじゃ畑に戻らないらしい。
 彼から手ほどきを受け、さっそく耕運開始。

 写真は一時間ほど経ったときの様子。
 運転にも慣れ、まだ余裕のVサイン。
 しかしこの後がタイヘンであった。
 梅雨の合間の高温多湿の中、排ガスを吸引しつつ、四時間ほどかけて三往復。
 馬力のない分だけ運転者は重労働で、終わった時には疲労困憊の体(てい)。
 暑気アタリで夕食も満足に食えない。
 ともあれこれでMakiの畑も一枚増え、まずは目出度い。

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