いといと雑記帳

 

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2月15日(日) 青梅の染織

 昨年の晩秋、友人とともに近所の日の出山(902m)から御嶽山(みたけさん)までプチ縦走した。
 御嶽山には有名な御嶽神社がある。
 付属の博物館には、国宝・赤糸威(あかいとおどし)の大鎧(おおよろい)が展示されている。
 平安後期の作で、その名の如く、赤色の美麗な鎧だ。
 その赤色は組糸によるものである。

 そこで気になるのは、その糸の材質と染材だ。
 よく見ると、補修の跡がある。
 補修した組糸はキレイなんだけど、色がちょっと変。
 紫色がかっているのだ。

 当地あきる野市には「西の風」という週刊のローカル新聞がある。
 そこに面白い記事が載っていた。
 あの補修は失敗なんだそうだ。

 組糸は絹で、もともとは茜(あかね)で染色されていた。
 ところが明治になって国宝指定にあたり、抜け落ちた組糸を補修することになり、新しい組糸を化学染料で染めたんだそうだ。
 化学染料の方が堅牢だろうと考えられたからだが、百年たって、だいぶ褪色してしまった。
 元の茜の方がまだ赤いのだ。
 当時の化学染料はまだそれほど進んでいなかったのだ。

 同じようなことが、御嶽の膝元、青梅でもあったようだ。
 青梅は江戸時代、青梅縞という反物で有名だった。
 これはタテ糸に絹を使い、ヨコ糸に木綿を打ち込んだ、交織の織物だ。
 一見すると庶民にも許された木綿布だったが、絹のしなやかさを持ち合わせた独特の風合いで、全国に知れ渡っていたという。
 糸は紺屋が藍染し、農婦たちが手機で織っていた。
 ところが、明治に入って、安価な化学染料が現れると、紺屋がそれに飛びつき、安易に糸染めに使ってしまった。
 おそらく今で言うダイレクト染料のような簡便な染料だったのだろう。
 そして織られた反物が色落ちして、青梅縞はすっかり市場の信用を失ってしまったという。

 ともあれ、この近所の青梅が絹綿交織(けんめんこうしょく)で有名だったというのは面白い。
 南隣の八王子でもやはり絹綿交織の布が織られ、これは浅草縞と呼ばれていたという。


3月1日(日) 土屋さんの少年時代

 竹林母屋の裏に住む土屋さん。
 齢は七十ほどで、こちらも昔からのお家だ。
 庭の脇に「メダケ」という細い竹の藪があって、昔はこの竹を屋根の藁葺きの留め具に使ったそうだ。

 庭仕事をする土屋さんに、いろいろお話しをうかがう。
 昭和三十年くらいまでは、家で養蚕をしていたという。戦後間もない頃だ。
 良い繭は出荷し、悪い繭は家で母親や祖母が糸を手引きしていたとのこと。
 糸を引く時はモロコシボウキという用具を使うが、そのためにコウリャンを栽培したという。
 (この用具は現在でも群馬の赤木山麓で使われており、Makiでも数年前に栽培した)
 

 悪い繭から引いた糸なので、けっこう節があったそうだ。
 その糸に染めを施す。
 染材は近くの山から父親がヤシャブシを採取してきた。
 それから山麓の水田から赤土を採取。この赤土には鉄分が含まれているのだろう。
 ヤシャブシと赤土で、糸を黒く染めあげる。 糸でくくって絣に染めたそうだ。
 そして、母親が紬風の絣地を織り上げた。

 その反物はきっと着物に仕立て上げられたのだろうか。
 まだ十代だった土屋少年はあまり興味がなかったのであろう、記憶は定かではなかった。
 「その反物や着物、残ってますか?」と聞くと、もはや無いとのこと。
 ともあれ、リッチなことだと思う。
 自ら育て、糸を取り、染め、織り、身につける。
 値千金の衣であったろう。

3月8日(日) 竹林カフェの紹介

 エッセイスト
でカフェライターでもある川口葉子さんが、竹林カフェを紹介してくれた。
 All Aboutというサイト。
 「その道のプロが、あなたをガイド」というサブタイトルがある。

 5ページにわたって、カフェばかりでなく、母屋やShopのことまでも掲載されている。
 う〜ん、すばらしい!!
 ともかく、ひとつ、ご覧あれ。


3月11日(水) 拝島快速

 こんなのがあるとは知らなかった。
 けっこう便利である。
 みなさんにもおススメしたい。

 昨年6月に登場したらしい。
 西武拝島線の新しい快速電車。
 西武新宿・高田馬場 — 拝島間を四十数分で結ぶ。
 西武新宿ってのがチト不便なのだが、高田馬場から山手線や地下鉄東西線に乗り換えて都心の各所に行ける。
 昨日もこの拝島快速を使って銀座・松屋まで出かけたものだ。
 これは西武鉄道が、JR青梅特快に対抗して走らせ始めたものらしい。

 何が良いかというと、まず、すいている。
 拝島駅からだとガラガラで、先頭車両なぞほとんど貸し切り状態。かなり優雅である。

 沿線の眺めも、JRに比べるとかなりローカルで旅情をそそる。
 下りの場合、西武新宿から乗ると座れる可能性も高い。

 そして、速い。
 山手線に到達するのにJRより十分ほど早い。
 JRの場合、立川でまた乗換になる場合もあるので、その手間が省ける。
 拝島での乗換が少々遠くなるが、ま、時間つぶしだと思えばいい。途中に大福を売る店もある。

 そして、安い。
 新宿 — 武蔵五日市間ではJRより150円安い。

 そして、これは推測なんだけど、ダイヤが正確であろう。
 中央線のダイヤは乱れることで有名だ。
 これは、一本の線路で、甲府や松本まで行く特急、中央線快速、特快、青梅線、さらには五日市線や八高線、富士急線の電車まで走らせているので、ま、無理もあるまい。
 一方、西武線の線路には、新宿線と拝島線しか走っていない。
 シンプルだから、乱れも少なかろうと思われる。

 今のところ、一時間に二本程度運行されている。
 みなさんもせいぜい利用して、このローカル線の振興にご協力いただきたい。
 (もちろん拝島駅でJR五日市線に乗り換えるのですよ)


3月25日(水) 野良某

 予期してはいたが、やや困っているかも。
 「のらぼう」という野菜がある。
 名前の由来は知らない。
 野良坊か、野良棒か、はたまた野良某か。

 ここ五日市の名物だ。
 アブラナ科の野菜。
 秋に種を蒔き発芽して、冬を越え、この時期に花芽を出す。
 その花芽をポキポキとかきとって食するのだ。
 ブロッコリーみたいなものかな。つぼみの代わりに葉っぱがついていると思えばいい。
 春の最初の野菜であり、柔らかくて美味。各種ビタミン豊富。

 今年は豊作だろうなあという予感はあった。
 やや多目に蒔いたこともあるが、鳥害がなかった。
 通常、冬の間に、ヒヨドリにやられる。
 野原に餌がなくなると、のらぼうの葉っぱをついばむのだ。
 葉っぱを食われると、当然、花芽の勢いも弱まる。
 ところが、今年に限って、わが畑だけ、鳥が来なかった。
 周りの畑は鳥除けをしているにもかかわらず、みんないつもの通り被害を受けた。
 わが畑は鳥除けもせず、丸裸なのに、鳥が寄り付かないのだ。
 近所の人々も不思議がっていた。

 そして、案の定。
 春を迎え、毎日思案に暮れる。
 上写真は今朝の収穫。試しに計ってみたところ4kgほどあった。
 昨日も3kgほど採れた。明日も採れるだろう。
 花芽だから、採らないというわけにいかない。採らないと巨大な菜の花になるだけだ。
 竹林には昨日供給したから、今日はもう要らないはず。だいたい地元五日市では今これが蔓延しているから、人々もそれほど喜ばない。
 この上は、都心に持って行って配るほかない。幸い、今日は銀座と渋谷に用がある。

 そういうわけで、 のらぼう4kgを両手に提げて、銀座松屋に出かけたわけである。
 今、Maki展示会の開催中。
 Makiのウエアに身を固めて両手にのらぼうというのも、かなり珍妙ないでたちだ。
 豊作というのもなかなかに苦労なことである。


4月3日(金) 夢を紡ぐ

 真木千秋は先週からインドで布づくりに励んでいる。
 三十度を越える暑気の中で糸と格闘しているようだ。
 そして私ぱるばは花冷えの中、コードと格闘している。

 コードと言ってもヒモじゃなくて、記号のコードだ。
 すなわち、皆さんが今ご覧になっているホームページ。

 最近、表示がおかしかったりするでしょう?
 たとえば、ついさきほどまで、このページの
文字色がこんな感じだった
 それは別に私が意図したわけじゃなくて、知らないうちにそうなっていた。

 実は先日、パソコンを新調した。
 そうしたら、今まで長らく愛用していたホームページ作成ソフトが使えなくなってしまった。
 それで泣く泣く、同じメーカーの新型ソフトを大枚はたいて買ったのであるが……。
 それがプロ御用達の一品で、よくワケがわかんないのである。(ほかにチョイスがない)

 ソフトの名前はすばらしい。
 ドリーム・ウィーバーだと。
 夢を織るんだそうだ。
 Makiにとってはたいそうステキなネーミングであるが、現状ではもっぱら悪夢を織りなしている。
 今まで作ったページまでレイアウトが崩れてしまったり……。

 というわけで、当サイトの中に不細工なページがあったとしても、それは私の責任ではない。
 GoLiveを廃してしまったアドビ社が悪い。
 しばらくは皆さんにご不便をかけるかも。
 表示のおかしいページがあったらご一報いただくと有難い。par877@itoito.jp(パソコン環境、ブラウザ名とともに)
 早く夢を紡ぎたいものだ。
 


4月30日(木) 拙著の価値

 
拙著『タッサーシルクのぼんぼんパンツ』。
 1997年の作だ。
 弊スタジオ黎明期の物語。
 自分で言うのもなんだが、なかなかの傑作。
 本邦出版史上唯一(たぶん)、手織タッサーシルク布の装丁で、それだけでも価値がある。
 ただし、既に売り切れで、再版の予定もない。
 欲しい人は古本で買うしかない。

 そこで Amazonにてチェックすると…
 ウ〜ム、7点出品されている。
 最低価格89円。
 高いのか、安いのか。
 装丁のシルク代にもならないなァ。(ため息)
 価格は日々変動するみたいだから、今のうちに買っておくとオトクかも。
 


5月14日(木) 藍の危機

 
ちょっとヤバい事態になりつつある。
 当スタジオでこよなく愛されている色、藍生葉(あいなまば)。
 これは、藍建てした紺色とはまた異なる、フレッシュな水色が魅力だ。
 毎年、信州上田・田中ぱるば実家の父親に頼んで栽培してもらっていた。
 ただ、ちょっと遠いから、今年は自分で栽培しようかということになった。
 数年前にも栽培したことがあったので、問題はあるまい。

 それで3月31日に蒔いたのだが…。
 まだ芽が出てこないのだ。
 ちょっと時間がかかりすぎるので、実家の父親に電話すると、発芽実験をしてみよとのこと。
 容器に布を敷いて、水を入れ、種をセットし、風呂に浮かべておく。

 二日前からやってるんだけどね…。発芽実験。
 昨夜なんか、風呂に入ろうと思ったら、浴槽内で容器がひっくり返っている。
 藍種とともに入浴するなど、本邦藍栽培史上でも稀な珍事であろう。
 水中で藍種を回収するのは困難を極めた。
 かかる辛酸にもかかわらず、藍種はピクリとも反応しないのだ。
 もう死んでいるのかも。

 藍種というのは、一年以上経過すると死んでしまう。
 ウチにあった種は昨秋実家から持ってきたもののはずなんだが…。
 このままで行くと、今年から来年にかけて、あの生葉色がMakiコレクションから消失する。
 どなたか、生きた藍の種を持っていないだろうか。
 持っている人は、par877@itoito.jpまで連絡請う!!

 5月15日付記
 本日、お二方から藍種が到着。さっそく明日播種の予定。多謝!!


5月22日(金) 日本昔話

 青山での展示会は昨日無事終了。
 今日は山里・養沢で、久しぶりに外仕事をする。
 家の前にある小溝の清掃。
 水は無いが、土砂や草でいっぱいだ。

 汗を拭き拭き掃除をしていると、近所の畑から怪しい物音がする。
 スコップを置いて畑に向かうと —
 猿だ。
 ハシバのおじさんの畑から、数匹が逃げていく。
 大きくなったジャガイモを引っこ抜いて、食っていたのだ。
 猿は森の中に入って、見えなくなる。

 また溝に戻って清掃をする。
 するとほどなく、また怪しい物音がする。
 おじさんの畑に向かうと、また猿だ。
 さっきよりもいっぱい引っこ抜いて食べている。
 収穫を前にして、おじさん、きっと嘆くだろう。
 今度はもっと念入りに追い払う。

 また溝に戻って清掃を始める。
 今度は石の間から蟹が這い出てくる。
 沢蟹だ。
 団子みたいで愛らしい。
 しばし仕事の手を休めて、蟹とたわむる。
 手の上にのっけたりして。
 向こうは迷惑だったろうが。
 遊んだ後も、逃げずに、溝の脇でじっとしている。
 なんとなく美味しそう。(もちろん味噌汁の具にしたりはしない)

 で、思い出したのが猿蟹合戦。
 あれは、憎らしい猿とケナゲな蟹の物語。
 そのへんの気持ちが、今日わかった。
 


6月1日(月) 藍の芽

 半月ほど前、皆さんに助けを求めた「藍の危機」。
 (5月14日の記事↓)
 その後記にも書いた通り、翌日、お二方から藍の種が届く。

 ホント、有難いことである。
 皆さん、ホームページ見ていてくだすって、ありがとう!
 これからも何があるかわからないから、こまめにチェックをよろしく!

 と、心に念じつつ、翌々日の16日、畑に蒔いたのである。
 ところが、なかなか発芽しない。
 何日たっても、ひたすら静かな畑であった。
 それもそのはず、5月中旬はずーっと晴天で、畑もカラカラだったのだ。
 ちょうど青山展が始まったところで、私も会場に日参していたので、畑まで手が回らなかった。

 ウチにはジョーロもない。
 五木の子守歌のごとく、水は天からもらい水なのだ。
 しかしそんなことも言っていられないから、街へ出たついでにジョーロを購入。
 余談ながら、ジョーロは、ブリキ製がいい感じ。趣がある。ちと高いけど。
藍の芽
 それで下旬になって、せっせと水を撒き始めた。
 そうしたらほどなく、雨がちの天気になる。
 皮肉なものだ。
 まあ、楽で良かったが。
 先週末など三日連続で雨。
 これくらい降れば、いかにガンコな種だとて、さすがに発芽するだろう…。
 と思って、週明けの今日、畑に出てみると、見事に発芽していたというわけ。

 ところで、これ、なんとなく美味しそうに見えない?
 そう、刺身のツマに使われる芽タデを彷彿とさせる。
 藍もタデ科だから、それも当然であろう。
 しかし、もちろん、食べたりはしない。

 それよりも問題は、8月のインド行きまでに染められるくらい成長するかだ。
 刺身のツマが…。
 せいぜいしっかり水をやって育てるとしよう。


6月2日(火) 餅にひかれて中尊寺

 東北に来ている。
 今日は岩手県の平泉にある某ギャラリー。
 中尊寺のふもとにあって、今日がMaki展示会の最終日だ。

 ここを訪ねると、いつも餅をふるまってくれる。
 コレ、今日の昼飯。
 手前から、あんこ餅、ずんだ餅、ショウガ餅。
 つきたて!

 ずんだっていうのは、言うなれば、枝豆のあんこ。
 もちろん、こちらはまだ枝豆のシーズンではないので、昨年の豆を冷凍保存したものだ。
 そのわりに冷凍臭もなく、香ばしくてうまい。
 作り方は企業秘密だそうだ。(店主の知り合いの作)
 
 秋には栗をからめたやつとかも。
 ぜいたくなもんだ。
 ここ岩手県南部は餅を食する文化が発達している。
 よるとさわると餅料理が供されるらしい。

 餅好きの私としては、思わず12個も食ってしまった。
 そこで一句、

  餅食えばここは浄土か平泉


6月5日(金) 奇跡のリンゴスープ

 弘前のギャラリーを訪ねる。
 Makiの展示会があって、そこでお話会をさせてもらった。

 その打合せの時、ギャラリーの娘さんにまず尋ねたものだ —
 「木村さんとはお友達?」

 弘前近郊に住む木村秋則さん。
 その存在を知ったのは、今年の春のことだ。
 立川の書店でたまたま『奇跡のリンゴ』という本を見かけて購入。
 これが思いがけずヒットだった。
 先年NHK『プロフェッショナルの流儀』で放映されて反響を呼んだ人だという。
 さっそく番組DVDも取り寄せて鑑賞。
 この人、往っちゃってるんじゃないかと思う。

 無農薬・無肥料でリンゴを育てている。
 それは不可能とされてきた。
 リンゴとはそもそも、農薬と化学肥料を前提に品種改良されてきた。
 どちらも使わず育てるということは、たとえて言えば、あなたを素っ裸でただひとりアマゾンの密林に放り込むようなものだろう。
 まともに生きられはしまい。
 木村さんのリンゴも、以後9年間、実をつけることがなかった。
 無収入の中、文字通り身命を賭して、木村さんは志を遂げた。
 試練をくぐって蘇ったリンゴの木の実は、えもいわれぬ味わいだという。

 そのリンゴを食べてみたかった。
 しかし入手は容易ではない。
 ある代理店がネットで販売しているが、申し込みは開始後十数分で締め切りになるという。
 しかもその申し込みというのも、抽選権を得るための申し込みだ。
 運良く申し込めたとしても、入手できるとは限らないのだ。
 それにもうシーズンはとっくに過ぎているし。

 ギャラリー娘いわく、直接の知り合いではないとのこと。
 でも、近所に木村さんのリンゴスープを出すレストランがあると言う。
 リンゴスープかぁ…。
 そういえばDVDの冒頭で、白銀台のフランス料理屋が木村さんのリンゴでスープを作り、おばさま方が「おいしー!」とか言っている場面がある。
 アレか。
 なんでもそのレストランは数週間先まで予約でいっぱいだそうだ。

 リンゴは食べたいけど、スープじゃなぁ…
 と、それほど興味をそそられないオレ。
 それでも、二日目の夜、ギャラリー母娘が連れて行ってくれる。
 弘前では一番のフレンチだという。
 とは言っても、シンプルな店構えだ。
 レストラン山崎。
 木村さんのリンゴを使ったスープが自慢だという。

 オレがあまりにかまびすしく「木村さん、木村さん」と言うもんだから、前菜の中に、特別に木村さんのリンゴの切れ端を入れてくれる。
 そいつをつまんで食べてみると、確かにウマい…ような気がする。
 でもやっぱ、スタンダードなサイズのやつを囓らないと比較はできないだろうなあ。

 ややあって、そのスープが運ばれてくる。
 冷製スープだ。
 スープには冷淡なオレだが、もうこれは、出てきた段階から、あたりを払う存在感がある。
 この先は言うまい。
 とにかく、風味絶佳、至福の極致だ。

 まじ、スープとフランスパンだけで、オレは身もココロも満たされた。
 でもコースだから、いろいろ運ばれて来る。
 「鰺ヶ沢産幻の魚イトウとホタテ・木村秋則さんのリンゴとシードルのクリームソース」とか。
 木村さんのアップルパイとアールグレイでしめくくった後、オーナーシェフの山崎隆さんが現れる。
 ギャラリー母娘とは旧知の間柄だ。
 いろいろ話をうかがう。

 なんでも今から二十年前、弘前市内のホテルのシェフをしていた頃、木村さんと出会ったそうだ。
 山崎シェフは自然素材にこだわっていたのだ。

 何とかこのリンゴを活かせないかという想いで山崎シェフの考案したのが、このリンゴスープだったというわけ。
 困難な時期の木村さんを支えてきたのだ。
 (そもそもフレンチにリンゴスープなど存在しないのだと)
 木村さんのリンゴ以外ではこうはいかないという。
 リンゴの本場・津軽人の言うことだから間違いはあるまい。

 「リンゴもすばらしいが、シェフの腕も良いのでしょう」と聞くと、「いやあ簡単なもんですよ。木村さんのリンゴでしょ、リンゴジュースでしょ、それに塩と…」と、いとも簡単そうだ。それでも「ウチのスタッフにはまだ作れない」と言うあたり、実はそんなに簡単ではないのだ。二十年のつきあいと積み重ねがあってこそ、この絶品が生まれたのである。
 白銀台の井口シェフも実はこのレストラン山崎のリンゴスープに感動し、自分のところでも出し始めたとのこと。ただNHKとしたら弘前より白銀台の方がインパクトがあるので、番組冒頭にシェ・イグチ登場という演出になったのだ。山崎さんとしたら内心忸怩たる想いがあろうが、「木村さんを世に出すためのものですから」と屈託がない。
 実にこういう人があってこその、あのスープの風味なのである。
 今や木村さんは全国区の有名人になり、すっかり立場が逆転したという。この不況の中、木村さんのおかげでだいぶ助かっていると山崎シェフ。いや、あなたの姿勢がすばらしかったのだよ。
 曰く、「料理は腕ではなく、材料が命。自分には技術がないから、食材にこだわる」。

 先日、木村さん宅の冷蔵庫から最後のリンゴを運んで来たという。
 スープに使う調理用リンゴだ。それが払底すると、秋の収穫シーズンまでおあずけだ。
 ちなみに、この夜、拝食したのはフジのスープ。
 ほかに、紅玉と、ジョナゴールドと、ハックナインを使うそうだ。
 山崎さんの個人的嗜好では、秋口の紅玉とハックナインのスープが酸味があって良いらしい。
 じゃ、新リンゴの時期にまた来ないとな。
 
 まじ、オススメ。
 弘前まで行けない人は、冷凍でも買えるみたい。

 


6月26日(金) 今どきの妊婦

 既にご存知の方も多々あろうが、スタジオスタッフ酒井美和が妊婦をしている。
 7月4日が予定日だったが、今朝破水ということで、現在、病院の陣痛室にいる。
 なんで他人の私がそんなことを知っているのかというと、陣痛室からメールが来たからだ。
 最近の妊婦というのは、携帯を持って陣痛室に入るらしい。
 内部がどうなっているのか知らないが、想像するに、幾人もの妊婦達が横になって、それぞれに携帯に向かっているのであろうか。
 ともあれ、母子の健やかなる誕生プロセスを願うばかりである。


6月29日(月) りんたろう

 いちおうご報告すると、産科入院中のスタジオスタッフ酒井美和から、一昨日の土曜日夜、メールがあった。

やっとこ産まれた〜。
3250グラムの元気な男のこ!一回と言わず三回ぐらいヤマも美和も死んだ気がする。お産とはすごいもんでした。
でもとてつもなく、幸せな気分です。
色々ありがとうございました。山&美和

 ということである。
 「山(ヤマ)」というのは父親の山崎和彦のことだ。

 昨夜、そのヤマに電話してみた。
 彼自身、22時間も分娩室に詰め、けっこう大変だったようである。
 最近の「誠実な父親」はお産につきあうんだそうだ。
 名前は「りんたろう」だとのこと。
 男児だということは事前にわかっていたので、既に名前も用意していたらしい。
 どういう字? と聞くと、林太郎だという。
 ヤマが文字通り山仕事をしているので、それにちなんで林太郎。

 「どうすかねえ、まわりの評判はイマイチなんだけど」
 「いいんじゃない、べつに」
 「そうすか。ぱるさんの了承を得られるなら、そうしようかな」
 「べつにオレの了承なんかいらんじゃない…。じゃ、いっそのこと木をもう一本増やして森太郎なんてどう?」
 「それも考えたんすが、ちと重たいかなあと思って…。ぱるさん、なんか良い名前ありませんか」
 「名前かぁ…。締め切りはいつ?」
 「退院するまでかなあ。でも採用するとは限らないけど」
 「うん、じゃ、もし良いの考えついたら」

 とは言ったものの、採用されるともわからない他人の子の名を考えるほどオレもヒマじゃない。
 こんなふうに名前は決まるのであろうか。

 画像はさきほど美和が携帯から送ってきたもの。


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