09前/08後/08前/07後/07前/06後/06前/05後/05前/04後/04前/03後/03前/02後/02前/99/98/97/96/TopPage
12月29日(火) 福袋
仕事納めの師走29日。
出勤した三人のスタッフは、新春恒例のハギレ市に向けて、おもいおもい布と戯れている。
ときおり陽光の差す縁側では、畑島和代が福袋づくり(写真右)。
青山店以来の、年初の催し、「ハギレ市」。
これはMakiの初売りも兼ねている。
それでいつも福袋を用意している。
これはおトクなのである。
わけても今年は、例年より、
・種類が多く
・個数も多く
・値段も安い
というわけで、おトク。
まあ、こういう御時世だし…。
時世に流されるのもシャクだが、あまり頑なに流されないのも問題かと。
それで、ちょっと奮発したわけ。
個数が多いから、全部初日に出すというわけではない。
だから必ずしも初日に来る必要はない。
もちろん、いちばん豊富なのは初日なのだが。
ま、何事もご縁だから、きっとご来店の時に、ふさわしいものが待っているのであろう。
1月9日(土)から17日(日)まで無休で営業。
12月19日(金) 葉っぱの誕生
一葉と書いて「ヒトハ」と読む。
下の記事を書いて三日後の12月6日夜、やっと産気づいたようだ。
女児誕生。
以下、母親になった大村恭子からの報告。
ヒトハを生んで10日たちました。
12/6の夜に「これが陣痛?」とよくわからない痛みがあり、クリニックに連絡して、「10分間隔で痛みがあるようなら来てくださいね〜」と言われ、日付が変わった12時30過ぎにクリニックに到着。
それから微弱陣痛を促すためのいろいろが始まりました。
スクワットしたり、よもぎ蒸しをしたり...これからの痛みがすごいのなんの。
何度か、もう限界だからお腹を切ってほしいと思ったくらい。
一緒にいた福ちゃん(註1)の服やら手やらを火事場のバカ力なみにわしづかみにしていたらしいです。
無事12時55分に、3370g、52cmの大きめな女の子を出産。
初産としては普通の所用時間らしいです。
最後は力の限りを振り絞って、西表の海を思い出しながら潮が引く感じ?で、ふんばりました!
すぐに抱っこさせてもらい、そのぬくもりが忘れられません。ぬるっとした、ふわっとした、少しの重たさがなんとも言えませんでした。
毎日授乳して、寝て、おむつかえて...の繰り返しの赤ちゃん。
そのペースにすっかりとはまって生活しています。
百面相する顔に一喜一憂しながら、何を考え何を思っているのかわからない我が子に声をかけながら、歌を歌いながら、あやしています。
ときどき笑います。そのとき以外はなかなか男前の顔の女の子。
おっぱいが欲しいときは手をふり、手をなめ、口をぱくつかせ...自己主張が激しいのかな(笑)
何もしてないないような、一日中何かしているような、あっという間の一日。
そんな毎日をいまのところ送っています。
ヒトハと名付けながら、まだお腹の中にいた時のニックネームのチクちゃん(註2)が抜けきらず、みんなチクちゃんと呼んでます。註1 夫・福原クンのこと。大村は旧姓。従って女児は福原一葉となる。
註2 恭子いはく「妊娠初期のころにお腹がちくちくしてとても不安だったので、ちくちくしないで、ちくちゃん」というのが由来。
これで、林太郎に続き、当スタジオベイビー二人目である。
しかし、油断するのはまだ早い。
もうひとり、身籠もっているのである…
12月16日(水) 台湾にて(その2)
今、台北空港。
東京へ帰る飛行機の中。
成田行き中華航空100便はほぼ満席で、隣にはめっちゃ元気な台湾人のお母ちゃんが座っている。スイス在住で、里帰りついでにこれから娘と老父を連れて東京ディズニーランドへ行くのだという。
昨日は台北での展示会初日であった。
場所は「小曼 Art & Space」というところで、ここは二年ほど前まで小曼さんが店をやっていたところだ。
閑静な住宅街の二階。
広々した古いマンションという感じで、外に人通りはないし、店の看板もなく、果たしてこんなところに客が来るのだろうかと訝ったが、それも杞憂であった。
「ぱるばトーク」の刻限が迫ると徐々に来訪客が増え、最終的には40人も集まっただろうか。人が増えるとヤル気も増すものだ。
「ニイハオ、歓迎光臨」とだけ中国語で言って、あとは英語と日本語のチャンポン。それを小曼さんが適宜中国語に翻訳してくれる。
ここは彼女のサロンのようなもので、お客さんもちょっと変わった人々が多い。デザイナーとか、舞踏家とか、物書きとか、俳優とか。
国民性か気候のせいか、台湾の人々は総じて明るく開放的だ。
トークの最後には、インターネットを通じて真木千秋も画面に登場しストールの巻き方をライブ指導するなど離れ技も飛び出す。
南国台湾でストールなど売れるのだろうかという疑問もあったが、お話の後はみなさん熱心に身にまとい、購入してくだすったのである。
土産に小曼さんから、文山包種茶とか、東方美人とか、凍頂烏龍茶とか、台湾の銘茶をいっぱいもらって、帰途に就くのであった。年末年始に竹林に来る人は飲めるかも。
12月7日(月) 琉球藍 |
今日は青山展最終日。
外は冷たい雨が降り、訪れる人も絶えてない。
あわれMaki Textile の命運やいかに…
…と感慨に耽っている折、忽然と現れし人影。
黒っぽい外衣を羽織り、ウエストがほとんどない。
その上、ガラス張りの入口に気づかず、そのまま激突し、我々を恐怖に陥れる。
産休中のスタッフ大村恭子であった。
出産予定日は11月30日。すなわち三日前。
本来なれば産褥の床にて新生の赤児に乳を含ませているはずが、こんなところにひょこひょこ現れていいのか。
我々の疑念をよそに、人気のない会場を颯爽と闊歩し、「これ良いわねえ」などひとりごちつつ、鏡の前で新作ストールを首に巻いてひとり悦にいっている。(写真右)
聞けば、腹の子に出てくる気配がないんだそうだ。
だからヒマを持てあまし、ちょっと青山までお散歩。
そぼ降る雨の中、中野の自宅から電車を乗り継いで。
なかなか産気づかないので、母親から「縄跳びしなさい」と言われてるらしい。
恭子自身、なかなか産まれてこなかったので、母親が縄跳びをして促したそうだ。
ほぼ、女の子であるらしい。
名前はまだない。
「葉」の字をつけたいという大村恭子。
そう言えば、今、外苑前の銀杏並木が見事に色づいている。
紅葉(くれは)なんて美しい名前だ。
もう少しすると枯葉や落葉になるが、シャンソンならいざ知らず、これは無しだな。
ウチでよく染める生葉。「いくは」と読ませるとか。
二葉、双葉(ふたば)もあり。
青葉も良し。
菜っ葉は無しか。
嫩葉(わくらば)も風情あるが、難しすぎるか。
11月29日(日) 図師の西表日記『浜で出会ったおばあ』
先週、真木千秋のお伴で西表島に渡ったMakiスタッフ図師(ずし)潤子。
初めてだったこともあって、学ぶこと、驚いたこと、いろいろだったらしい。
そんな中から、今日は島で出会ったおばあさんの話。
沖縄では「おばあ」と呼ぶ。
「さん」などはつけない。
「おばあ」と聞くと、なんだか矍鑠(かくしゃく)たる響きがある。
そう、沖縄のおばあたちは世界でも一番元気なのである。
遠くから見ても、おばあは明らかに、杖をついて足をかばいながら歩いていた。
リュックを背負い、手にはスーパーなんかでもらうビニール袋を持っている。
私達はその日、最終日ということもあり、朝から、船でしか行く事のできない、『船浮(ふなうき)』という部落へ来ていた。
プライベートビーチのような、人のいない浜を探索していたところ、おばあに会ったのだ。
ちょうど私は、地層から削れ出してできたような、おもしろい模様の岩がゴロゴロしている岩場を横断中であった。
千秋さんたちはそのずっと先に行ってしまい、それを追いかけていたのだ。
ふと、浜のほう見ると、そのおばあが浜を横断してこちらへゆっくり歩いているのは見えた。
けれど、そんなおばあがまさかこの岩場へ足を踏み入れるなんて思いもしなかった。一時すると、岩場の影からおばあの身体が現れる。
『貝捕りがてら、運動さ〜』
なにしてるの?と聞いた私に、おばあは当たり前のように言った。
そしてまた、杖とおしりと腕の力を巧みに使いながら移動する。
さすが、島のおばあ。海で身体を鍛え、ついでに夕飯の材料を調達するとは!
お見それしました。そして更にびっくりしたのは、貝を取る時に取り出した包丁!
刃渡り25cmほどの、家庭でよく使うやつをリュックから取り出した。
大きめの貝を見つけると、そいつでさっと引きはがす。
しかし、おばあ、貝捕りに夢中になりすぎて、包丁を手持ちのビニール袋に入れてしまったのだ。
潮が満ち始めて引き揚げる際に気付いたもんで、諦めるほかなかった。
ビニール袋には、包丁の幅にしっかり穴が空き、夢中で取った貝も…
でも、おばあは気にしない。
貝の事は忘れたかのように、海から見える崖の上や、山、浜、岩にまつわる昔話を聞かせてくれた。
若い頃の、おばあの青春の頃の話。
おばあ、80歳。
私はあと54年で80歳。
54年後、岩場で貝捕りをして、いっぱいの思い出のある大好きな土地の話を、浜で出合った若者に語るおばあに、私もなりたいと思った。
11月5日(木) インド食講演会 at Ginza
来週土曜(11月14日)、銀座のインド料理屋ナタラジにて、私ぱるばがインド食について講演をすることになった。
なんで私なのか自分でもチト「??」なのだが、基本的に来るモノは拒まないので、やることに。
ナタラジとは浅からぬ因縁があり、じつは、竹林カフェのタンドール(炭火竈)もナタラジから到来したものだ。
銀座松屋でMaki展示会をする時にも、昼食はいつもこのナタラジ銀座店だ。
場所は銀座通り松坂屋向かい。
美味しくて値段もリーズナブル。
シェフのサダナンダ氏は西部インド・グジャラート州の出身で、非常に研究熱心な人だ。
おそらく日本で唯一のベジタリアン・インド料理店だろう。
インド本国ではベジタリアン料理店はごく普通だ。
私たちのパートナーであるニルー家も含め、インド人の多くはベジタリアン。
おそらく在日インド人のレストランオーナーたちも、ホントはベジタリアンで行きたいのだろうが、どうしても日本では肉を使わざるを得ないらしい。
ところがこのナタラジは妥協しない。1989年の創業以来ずっとベジタリアンを通している。
その姿勢が評価されたのか、ここ二十年の間、銀座のほか、青山、荻窪、蓼科、大阪と店舗を増やしている。
まあ私は別にベジではないんだが、地球を救うのはベジであろうと密かに思っている。
それもあって竹林カフェも頑なにベジをやっているのだ。
さて講演なんだけども、某旅行社が「世界食文化セミナー」なるものを企画していて、その「インド編」がナタラジ銀座店。
食事を楽しんだあと、講師が何やらしゃべるという趣向だ。
ナタラジのスタッフは料理は得意なのだが、ステージパフォーマンスはイマイチ。
そこで私にお鉢が回ってきた。
「インド文化研究家」という肩書きらしい。
「インドの染織」についてなら各地でお話させてもらっているが、「インドの飲食」はこれが二回目かな。
長年撮りためた映像なども使いながら、インドの食の世界をご紹介したいと思う。
ま、あくまでも食事がメインなので、なんとかなるだろう。
銀ブラついでにぜひどうぞ!
11月14日(土) 14:00〜16:00
ナタラジ銀座店 中央区銀座6-9-4 銀座小坂ビル9F
会費:3500円(昼食・1ドリンク付)
申込:ビーエス観光 担当/小坂 03-3595-8035 「世界食文化セミナー・インド編」
なお、今月末から始まる「Makiの青山・09年秋展」会場のすぐ近くにナタラジ青山店があるので、ご来展の方は一度お試しを。
10月10日(土) 謎のH氏
大阪に来ている。
梅田・阪急百貨店での展示会だ。
今年でなんと19回目。
1991年から毎年開催している。
最長不倒距離。
しかしこれは、弊スタジオの力だけではない。
その裏には、
Makiをこよなく愛してくれる地元の皆さん、そして、H氏の尽力があるのだ。
拙著「タッサーシルクのぼんぼんパンツ(1997年刊)」にも登場するH氏。
工芸作家を世に紹介する仕事をしている。
氏に出会ったのは、今を遡る1990年、台風の最中のことだった。
大阪郊外・私市(きさいち — 交野市)のとある体育館の片隅に店開きした、生まれたばかりのMaki。
今はなき関西クラフトフェスタという催しだったが、そこにH氏も来合わせていた。
そして、翌年、氏の力により、梅田阪急の一画で初の展示会を開催。
これが言ってみれば、Makiのデビューであった。
H氏自身、社長さんで他にスタッフもいるのだが、Makiの展示会には毎日のように駆けつけ、お客さんに作品を紹介してくれる。
それも、すごく楽しげに。
もともと呉服屋さんだったから知識豊富で目も確か。私なぞ出る幕がない。
今日たまたま訪れた二十代の女性いはく、「ほんとに作品を愛しているご様子。マフラーを巻いている姿がカワイイ」とのこと。
来年は記念すべき二十回目(!)の展示会。
何か記念行事をしたいところだが、どうかなぁ。
というのも、今、梅田阪急は建て替え工事をしているからだ。
大阪駅の正面玄関に、なんと地上四十階の巨大ビルが立ち上がっている。
阪急百貨店はそのうち14階までだが、完成まであと3年はかかるらしい。
半分は完成し、先月、新規オープンしたばかり。
美術ギャラリーはその11F部分にある。
Maki展示会は来週火曜(13日)まで。
インドの夏と言えば、果物の宝庫というぐらい、どの店でも、たくさんの種類の果物が店先を飾っている。
パパイヤ・洋梨・リンゴ・パイナップル・バナナ・マンゴー・ざくろ…
大の果物好きの私。 その中でも好物のパッションフルーツやグァバはないか探すが…見当たらない。
そこで、縫製場のボスであり、いつも美味しい手作りランチを用意してくれるアミータに聞いてみた。
食べることが大好きなアミータは、私の大好物ももちろん知っていた。
しかし、パッションフルーツはデリーでは手に入らないそうだ。
そしてグァバは、もうシーズンではなく、少し前まではあったんだとか…。 残念…。
ところが、アミータ、昨日、グァバを4つ持って工房にやってきた。
私の目はキラッと輝く。
jun「どうしたのーー?グァバじゃないですか!」
amita「お店で見つけたの。うふふ」
ランチ時はご飯だけでお腹いっぱいになっちゃって、食べれらなくてお預け。
仕事をしている間中、部屋の中はグァバの素敵な誘惑に包まれて、私の頭んなかもグァバでいっぱい。
だけど、おいしいもんは最後に残すタイプの私、なぜか、我慢大会を始めて、結局帰るまで食べずにいた。
ご褒美のグァバは、千秋さんと私の分、ちゃっかりお持ち帰り。
帰りの車の中はグァバのいい香りに包まれ、後ろ座席で千秋さんと話をしながらも、バッグの中のグァバを何度も確認しては、口元をゆるませていた。
さあ、ホテルにも着いて、ひとっ風呂浴びて… 食後に千秋さんと食べようと、ミネラルウォーターで綺麗にすすぐ。(普段は水道水を使うんだけど、なんとなく)
念のため、皮を剥く。(日本なら、皮ごとかぶりつきますが、なんとなく)
皮を剥きながら、小さな穴がいくつかあいていることに気づく。 (あれ?)
頭にある光景がよぎる。 (まさか・・まさかねえ・・)
動物的カンというのか、なんか嫌な予感を覚えた私は、息を飲みつつ、グァバをまっぷたつに切ってみることに。 (とりゃーーーっっ)
そこに広がっていた世界は、パラダイスではなかった。
無念。
無数の、白いうごめくモノたちに、私の、私のグァバは占領されていたのですよ。とほほほほ・・(涙)
車の中での千秋さんの一言が頭をよぎる−「先に食べていいよ。丸かじりしちゃえー!」
青ざめる。
そして、ほっと、胸を撫で下ろす。
教訓:インドで果物を買い求めた際は、どんなにそれを欲していても、大好物であっても、少しひと呼吸してから、一度まっぷたつに切ること。
DM写真撮影中の出来事。
農家のお宅の門の前をお借りしての撮影。
モデルを務める私の半径50cmぐらいの距離には、そのお宅の皆さんが集結。
母さん、子供たち、そして近所のおじおにいさん(おじさんのようなお兄さんのような風貌の方)、ご近所のご婦人方…。
(近すぎますよ、あなた達)
と思いながらも、カメラのシャッターは止まらない。
人が人を呼び、徐々にギャラリーが増えてくる。
「まあいんだけどさあ…。しっかし、近すぎるよね」
なんて、話しながら。撮影は続く。
撮影も終盤に差し掛かった頃、突然、子がひとり、カメラの前に立ちはだかる。
じっと、カメラを見つめ、石のように固まる。
じっとにらめっこ。
カメラの目と向き合った。
好奇心と、緊張と。不安。
カメラの前に凛と立ちはだかる小さな身体。
(どきどきしたよね、わくわくしたよねっ、ちょっぴり怖かったよねっ)
って。
この、何とも言えない表情に、どうしても、声をかけたくなった。
日記はここで途切れ、声をかけてどうなったのかは不明。
たとえ声をかけても、なかなか退きはしないだろう。
やはり、稲作農耕民と畑作牧畜民は違う。
竹林cafeのシェフ、ラケッシュ宅に行きました。
マルと私にとっては、初のラケッシュ家でした。
団欒中、ふいにラケッシュのパパがマルを呼んだのです。
「マル、マル、マル!」って、連呼で。
そしたら、ラケッシュ家の皆さん、眼光するどく足許を見る。
お母さんが台所から駆け込んでくる。
手には何か持って。
それから、ラケッシュ家の皆さん、顔を見合わせて大笑い。
何何何?って聞くと —
インドではね、マルマルマルっていうのは、
「そこにネズミがいるから早く叩いてぇ!」とかいう時に使うんだよーー!って。
どひゃあ!びっくり。今度は全員で大笑い。
それから、わざとみんなで「マルマルマル」って言ってみたりした。
言葉は通じないけど、そんな下らないことで一緒に笑えて、冗談言い合えて、そんなんがとっても楽しくって — 。
胸のあたりがじんわりあったかくなる夜でした。
P.S.
余談ですが、わたしのジュンって名前も、連呼するとね、インドではよく使われる言葉みたですよ。
赤ちゃんをあやす時使うものなんだって。
日本でいう「よしよし」だか、「ねんねんころりーよ」だかわからないけれど。
インドで赤ちゃんをだっこする機会がある人は、ぜひ「ジュンジュン」も使ってみて欲しいもんだわ。
P.P.S
たまたま竹林に赤児がひとりいたので(酒井美和の子)、さっそく「ジュンジュン」を試してみる。
とりたてて効果はなし。
やっぱり日本じゃ通じない!?
8月18日(火) 古木
現在、信州上田のぱるば実家に滞在中。
気持ち良く晴れ上がった朝、ブドウ畑に招じ入れられる。
愚父・田中一夫は今、巨峰づくりに情熱を傾けている。
もう齢81になるが、今のところは矍鑠(かくしゃく)という言葉も憚られるほど元気。
今年は巨峰をぜんぶ種なし化したというのが、いささか自慢のようである。
なんでも、農協などの指導とは一線を画する、独自の手法を編み出したらしい。
種なし化というのは、ちょっと画期的なことである。
田中家の巨峰は、房に農薬がかかっていないので、洗わずに皮ごと食べられる。
皮には抗酸化作用のあるアントシアニンが含まれ、健康に良い。
種を出す手間がないから、味に集中できる。
果肉の甘さと皮の渋みのコンビネーションが絶妙。
今日早めの試食をしてみたが、従来の巨峰とは別種の食体験だ。
今年は雨が多く、各地で農作物への影響が心配されている。
しかしここ信州上田はもともと乾燥地だ。
例年は梅雨明けからしばらくは灌水に明け暮れる。
今年はその必要がなく、そのぶん楽だったようだ。
写真の巨峰は樹齢45年。
子供の胴体ほどの太さがある。
こんな古木はそうそうない。
幹に白い波板を巻き付けているのはハクビシン対策だという。
巨峰を待っているのは人間だけではない。
この樹を含めて、ブドウ園の80%は40年を超える老樹だ。
「老樹のブドウのほうがずっとウマい」と愚父。
「でも幼樹のブドウも遜色ない」と、やや意味不明の発言。
ともあれ、老樹のブドウからまず出荷するので、欲しい人は早めに予約を。
8月14日(金) 初インド
Makiも変化の時を迎えている。
昨日は、二人の新人が初めてインドの土を踏んだ。
スタッフの図師潤子と手伝いの丸山佳代だ。
その図師潤子から、今朝、さっそくメールが届いたのでご紹介しよう。
じゅんです。
おはようございます。
今朝は、ずっと日照りが続いていたインドの土に恵みの雨が…。
すごく歓迎されてる気がする、と、みんなで話しています。
昨日は、飛行機の出発が遅れて、1時間半遅れでデリーに到着しました。
日本時間は夜の9時半だというのに、デリーは夕方の6時。
まだ空も明るく、不思議な感覚でした。
夕方だからか、気温もそんなに高くなくて、30度あるかな?というくらい。
ただ、とってもムシムシしてました。
インド航空機内での面白い出来事は、また今度お話しますね。(笑)
ついにインド上陸!
入国審査も無事に終わり、空港の外に出ると、元気そうな千秋さんの笑顔が出迎えてくれました。
体調を崩していたと聞いていたので、安心しました。
ホテル到着後、今回たくさん持参した、ナチュラルハウスのおそばとうどんで乾杯しました!
ついにインドに来たどーーーーーー!!乾杯!
まあ、日本のおそばとうどんだけども。(笑)今日は、本場のカレーが食べられるかしら?!
そんなことも楽しみにがんばってお仕事してきます。
今、千秋さんと丸さんはヨガ中!
あたしも参加せねば!!(笑)また連絡いたします☆
という具合で、今はフレッシュだから元気いっぱいの様子。
しかしながらそれがいつまで続くかは、シバ神のみぞ知る。
インド航空機内での珍事も含め、続報を待つことにいたしたい。
7月10日(金) おかしな奴
ここ五日市に、黒茶屋という名物料理店がある。
竹林から徒歩で30分くらい。レトロな建物や造作を活かして炭火焼き料理を供している。併設の喫茶店『絲屋』は私たちもよく利用する。
その名から推測されるとおり、かつては絹糸の製糸業を営んでいた。
オーナーの高水家は、本拠の黒茶屋ほか、近在に燈々庵や井中居など趣ある食事処を経営し、Makiのお客さんもよく訪れるようだ。
この高水家のY氏が、先日、竹林にビデオを持ってきてくれた。
渥美清主演『おかしな奴』という映画。
落語家、三遊亭歌笑を描いた昭和38(1963)年の作品だ。
この歌笑、五日市の出身。高水家の息子であった。
けっこう落語好きな私。
黒茶屋の歴史の中にそんな噺家がいたことは聞いていた。
戦後の一時期、一世を風靡し、かの林家三平もあこがれていたという存在。
ところが、人気絶頂の昭和25年、銀座通りで進駐軍のジープにはねられ、32歳の若さで散ってしまう。
極度の弱視。一風変わった容貌と『歌笑純情詩集』で、敗戦直後のすさんだ人心に笑いをもたらす。
わずかに残された音源を聞いてみると、その詩文調がなかなか良い。
七五調の口語詩句と、文語調の詩句。
なかなか文才のある人らしい。
それが高座でスラスラと口をついて出てくるのがプロたるゆえんだ。
今、こういう名調子を聞かせる人は珍しい。
私の知っている中では、先代の柳亭痴楽くらいか。(この人も歌笑の影響を受けたらしい)
今から46年前の映画だ。
いろいろ脚色はあろうが、製糸を生業とする一家の様子、五日市小学校(たぶん)、武蔵五日市駅の場面など、現地民としては非常に興味深い。
もちろん、落語家の話だから、修業時代の苦労談などもコミカルな筋立てで楽しい。
そして、寅さん以前の主演である若々しい渥美清、清楚なヒロイン三田佳子&南田洋子など、役者も揃っている。
ビデオは絶版なので高価だが、ネット配信で鑑賞できるようだ。
一見の価値有り。
7月5日(日) テディベア |
||||
私ぱるばの弟子に大村風生(おおむらふき)という者がいる。 |
||||
09前/08後/08前/07後/07前/06後/06前/05後/05前/04後/04前/03後/03前/02後/02前/99/98/97/96