いといと雑記帳

 

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12月29日(火) 福袋

 仕事納めの師走29日。
 出勤した三人のスタッフは、新春恒例のハギレ市に向けて、おもいおもい布と戯れている。
 ときおり陽光の差す縁側では、畑島和代が福袋づくり(写真右)。

 青山店以来の、年初の催し、「ハギレ市」。
 これはMakiの初売りも兼ねている。
 それでいつも福袋を用意している。
 これはおトクなのである。
 わけても今年は、例年より、

・種類が多く
・個数も多く
・値段も安い

 というわけで、おトク。
 まあ、こういう御時世だし…。
 時世に流されるのもシャクだが、あまり頑なに流されないのも問題かと。
 それで、ちょっと奮発したわけ。

 個数が多いから、全部初日に出すというわけではない。
 だから必ずしも初日に来る必要はない。
 もちろん、いちばん豊富なのは初日なのだが。
 ま、何事もご縁だから、きっとご来店の時に、ふさわしいものが待っているのであろう。
 1月9日(土)から17日(日)まで無休で営業。


12月19日(金) 葉っぱの誕生

 一葉と書いて「ヒトハ」と読む。
 下の記事を書いて三日後の12月6日夜、やっと産気づいたようだ。
 女児誕生。
 以下、母親になった大村恭子からの報告。

ヒトハを生んで10日たちました。
12/6の夜に「これが陣痛?」とよくわからない痛みがあり、クリニックに連絡して、「10分間隔で痛みがあるようなら来てくださいね〜」と言われ、日付が変わった12時30過ぎにクリニックに到着。
それから微弱陣痛を促すためのいろいろが始まりました。
スクワットしたり、よもぎ蒸しをしたり...これからの痛みがすごいのなんの。
何度か、もう限界だからお腹を切ってほしいと思ったくらい。
一緒にいた福ちゃん(註1)の服やら手やらを火事場のバカ力なみにわしづかみにしていたらしいです。

無事12時55分に、3370g、52cmの大きめな女の子を出産。
初産としては普通の所用時間らしいです。
最後は力の限りを振り絞って、西表の海を思い出しながら潮が引く感じ?で、ふんばりました!
すぐに抱っこさせてもらい、そのぬくもりが忘れられません。ぬるっとした、ふわっとした、少しの重たさがなんとも言えませんでした。

毎日授乳して、寝て、おむつかえて...の繰り返しの赤ちゃん。
そのペースにすっかりとはまって生活しています。
百面相する顔に一喜一憂しながら、何を考え何を思っているのかわからない我が子に声をかけながら、歌を歌いながら、あやしています。
ときどき笑います。そのとき以外はなかなか男前の顔の女の子。
おっぱいが欲しいときは手をふり、手をなめ、口をぱくつかせ...自己主張が激しいのかな(笑)
何もしてないないような、一日中何かしているような、あっという間の一日。

そんな毎日をいまのところ送っています。

ヒトハと名付けながら、まだお腹の中にいた時のニックネームのチクちゃん(註2)が抜けきらず、みんなチクちゃんと呼んでます。

註1 夫・福原クンのこと。大村は旧姓。従って女児は福原一葉となる。
註2 恭子いはく「妊娠初期のころにお腹がちくちくしてとても不安だったので、ちくちくしないで、ちくちゃん」というのが由来。

 これで、林太郎に続き、当スタジオベイビー二人目である。
 しかし、油断するのはまだ早い。
 もうひとり、身籠もっているのである…


12月16日(水) 台湾にて(その2)

 今、台北空港。
 東京へ帰る飛行機の中。
 成田行き中華航空100便はほぼ満席で、隣にはめっちゃ元気な台湾人のお母ちゃんが座っている。スイス在住で、里帰りついでにこれから娘と老父を連れて東京ディズニーランドへ行くのだという。

 昨日は台北での展示会初日であった。
 場所は「小曼 Art & Space」というところで、ここは二年ほど前まで小曼さんが店をやっていたところだ。
 閑静な住宅街の二階。
 広々した古いマンションという感じで、外に人通りはないし、店の看板もなく、果たしてこんなところに客が来るのだろうかと訝ったが、それも杞憂であった。
 「ぱるばトーク」の刻限が迫ると徐々に来訪客が増え、最終的には40人も集まっただろうか。人が増えるとヤル気も増すものだ。

 「ニイハオ、歓迎光臨」とだけ中国語で言って、あとは英語と日本語のチャンポン。それを小曼さんが適宜中国語に翻訳してくれる。
 ここは彼女のサロンのようなもので、お客さんもちょっと変わった人々が多い。デザイナーとか、舞踏家とか、物書きとか、俳優とか。
 国民性か気候のせいか、台湾の人々は総じて明るく開放的だ。
 トークの最後には、インターネットを通じて真木千秋も画面に登場しストールの巻き方をライブ指導するなど離れ技も飛び出す。

 南国台湾でストールなど売れるのだろうかという疑問もあったが、お話の後はみなさん熱心に身にまとい、購入してくだすったのである。
 土産に小曼さんから、文山包種茶とか、東方美人とか、凍頂烏龍茶とか、台湾の銘茶をいっぱいもらって、帰途に就くのであった。年末年始に竹林に来る人は飲めるかも。


12月14日(月) 台湾にて

 四日前から台北にいる。
 当地で初めてMakiの展示会をするからだ。
 相手先は「小慢(シャオマン) 」という茶芸館(ちゃげいかん)。
 茶芸館というのは、台湾茶を飲ます処だ。
 オーナーは謝小曼さん。
 日本留学経験や就労経験があって、日本語堪能。
 Makiの布が好きで、この前、竹林まで訪ねてきてくれた。

 彼女の店「小慢」は日本人にもよく知られたところらしく、お客さんの半分は日本人だという。
 クラシカルな雰囲気のお洒落な店だ。
 台北の文教地区にあって、生まれ育った実家を改装したものだそうだ。

 台湾(中国)には台湾の茶道があるという。
 中国茶を嗜む道だ。
 小曼さんはその先生でもある。
 それでさっそく淹れてもらう。(写真右側の人物が小曼さん)
 う〜ん、馥郁たる香り。
 中国茶の世界にはまったく疎い私であるが、茶の銘柄や年代によって味や香りが随分違うものだ。
 同じ「烏龍茶」や「プーアル茶」でも、こっちで専門家に淹れてもらうと別物のようだ。

 明日はこの場所で、展示&ぱるばトークがある。
 外国でやるのは初めてなのだが、さて台湾の人々にMakiの織物がどう映るか。

 12月7日(月) 琉球藍

 知花(ちばな)の花織をする友人の案内で、琉球藍の工房を訪ねる。
 沖縄北部、ヤンバル山中の「やまあい工房」だ。
 工房の主は上山夫妻。
 ヤンバルとは山原と書くが、その文字通り深い森の中、忽然と美しい藍畑が現れる。
 我々にお馴染みのタデ藍ではなく、キツネノマゴ科の琉球藍だ。(写真右上)
 先日刈り取ったばかりで、草丈は低いそうだ。

 その葉っぱから泥藍を作るのだが、その工程はインド藍と似ている。
 刈り取った藍草を水に浸け、2〜3日発酵させ、その液を撹拌して石灰とともに沈殿させる。
 そうしてできた泥藍が写真右下。
 ご主人が蓋を取って見せてくれた。
 藍特有の発酵臭があたりに漂う。

 その泥藍から藍を建てる。
 泡盛を使うところが、いかにも沖縄らしい。(写真左下)
 数メートルの長い生地も染められる、巨大な藍甕だ。
 かき混ぜると、中から緑褐色の元気そうな藍液が湧き上がる。


 生産する泥藍の六割を自家で消費するという。
 ここで奥さんが型染めや糸染めを行う。
 できあがった作品は、日本橋三越などの展示会や、工房で販売される。

 — — —
 水は山からもらい水。
 夜になればあたりに街灯のひとつもなく、ただひたすらなる静寂。
 じつはこちらの娘さんとは、昨年、東京杉並の某瞑想会で御一緒したことがある。
 沖縄とはいろいろなところでつながっている。

 名護市源河243  0980-55-8728






12月3日(木) 葉っぱのいろいろ

今日は青山展最終日。
外は冷たい雨が降り、訪れる人も絶えてない。
あわれMaki Textile の命運やいかに…

…と感慨に耽っている折、忽然と現れし人影。
黒っぽい外衣を羽織り、ウエストがほとんどない。
その上、ガラス張りの入口に気づかず、そのまま激突し、我々を恐怖に陥れる。
産休中のスタッフ大村恭子であった。

出産予定日は11月30日。すなわち三日前。
本来なれば産褥の床にて新生の赤児に乳を含ませているはずが、こんなところにひょこひょこ現れていいのか。
我々の疑念をよそに、人気のない会場を颯爽と闊歩し、「これ良いわねえ」などひとりごちつつ、鏡の前で新作ストールを首に巻いてひとり悦にいっている。(写真右)

聞けば、腹の子に出てくる気配がないんだそうだ。
だからヒマを持てあまし、ちょっと青山までお散歩。
そぼ降る雨の中、中野の自宅から電車を乗り継いで。
なかなか産気づかないので、母親から「縄跳びしなさい」と言われてるらしい。
恭子自身、なかなか産まれてこなかったので、母親が縄跳びをして促したそうだ。

ほぼ、女の子であるらしい。
名前はまだない。
「葉」の字をつけたいという大村恭子。
そう言えば、今、外苑前の銀杏並木が見事に色づいている。
紅葉(くれは)なんて美しい名前だ。
もう少しすると枯葉や落葉になるが、シャンソンならいざ知らず、これは無しだな。
ウチでよく染める生葉。「いくは」と読ませるとか。
二葉、双葉(ふたば)もあり。
青葉も良し。
菜っ葉は無しか。
嫩葉(わくらば)も風情あるが、難しすぎるか。


11月29日(日) 図師の西表日記『浜で出会ったおばあ』

先週、真木千秋のお伴で西表島に渡ったMakiスタッフ図師(ずし)潤子。
初めてだったこともあって、学ぶこと、驚いたこと、いろいろだったらしい。
そんな中から、今日は島で出会ったおばあさんの話。
沖縄では「おばあ」と呼ぶ。
「さん」などはつけない。
「おばあ」と聞くと、なんだか矍鑠(かくしゃく)たる響きがある。
そう、沖縄のおばあたちは世界でも一番元気なのである。

遠くから見ても、おばあは明らかに、杖をついて足をかばいながら歩いていた。
リュックを背負い、手にはスーパーなんかでもらうビニール袋を持っている。

私達はその日、最終日ということもあり、朝から、船でしか行く事のできない、『船浮(ふなうき)』という部落へ来ていた。
プライベートビーチのような、人のいない浜を探索していたところ、おばあに会ったのだ。
ちょうど私は、地層から削れ出してできたような、おもしろい模様の岩がゴロゴロしている岩場を横断中であった。
千秋さんたちはそのずっと先に行ってしまい、それを追いかけていたのだ。
ふと、浜のほう見ると、そのおばあが浜を横断してこちらへゆっくり歩いているのは見えた。
けれど、そんなおばあがまさかこの岩場へ足を踏み入れるなんて思いもしなかった。

一時すると、岩場の影からおばあの身体が現れる。
『貝捕りがてら、運動さ〜』
なにしてるの?と聞いた私に、おばあは当たり前のように言った。
そしてまた、杖とおしりと腕の力を巧みに使いながら移動する。

さすが、島のおばあ。海で身体を鍛え、ついでに夕飯の材料を調達するとは!
お見それしました。

そして更にびっくりしたのは、貝を取る時に取り出した包丁!
刃渡り25cmほどの、家庭でよく使うやつをリュックから取り出した。
大きめの貝を見つけると、そいつでさっと引きはがす。

しかし、おばあ、貝捕りに夢中になりすぎて、包丁を手持ちのビニール袋に入れてしまったのだ。
潮が満ち始めて引き揚げる際に気付いたもんで、諦めるほかなかった。
ビニール袋には、包丁の幅にしっかり穴が空き、夢中で取った貝も…
でも、おばあは気にしない。
貝の事は忘れたかのように、海から見える崖の上や、山、浜、岩にまつわる昔話を聞かせてくれた。
若い頃の、おばあの青春の頃の話。
おばあ、80歳。
私はあと54年で80歳。
54年後、岩場で貝捕りをして、いっぱいの思い出のある大好きな土地の話を、浜で出合った若者に語るおばあに、私もなりたいと思った。

 


11月5日(木) インド食講演会 at Ginza

来週土曜(11月14日)、銀座のインド料理屋ナタラジにて、私ぱるばがインド食について講演をすることになった。
なんで私なのか自分でもチト「??」なのだが、基本的に来るモノは拒まないので、やることに。
ナタラジとは浅からぬ因縁があり、じつは、竹林カフェのタンドール(炭火竈)もナタラジから到来したものだ。
銀座松屋でMaki展示会をする時にも、昼食はいつもこのナタラジ銀座店だ。
場所は銀座通り松坂屋向かい。
美味しくて値段もリーズナブル。
シェフのサダナンダ氏は西部インド・グジャラート州の出身で、非常に研究熱心な人だ。

おそらく日本で唯一のベジタリアン・インド料理店だろう。
インド本国ではベジタリアン料理店はごく普通だ。
私たちのパートナーであるニルー家も含め、インド人の多くはベジタリアン。
おそらく在日インド人のレストランオーナーたちも、ホントはベジタリアンで行きたいのだろうが、どうしても日本では肉を使わざるを得ないらしい。
ところがこのナタラジは妥協しない。1989年の創業以来ずっとベジタリアンを通している。
その姿勢が評価されたのか、ここ二十年の間、銀座のほか、青山、荻窪、蓼科、大阪と店舗を増やしている。
まあ私は別にベジではないんだが、地球を救うのはベジであろうと密かに思っている。
それもあって竹林カフェも頑なにベジをやっているのだ。

さて講演なんだけども、某旅行社が「世界食文化セミナー」なるものを企画していて、その「インド編」がナタラジ銀座店。
食事を楽しんだあと、講師が何やらしゃべるという趣向だ。
ナタラジのスタッフは料理は得意なのだが、ステージパフォーマンスはイマイチ。
そこで私にお鉢が回ってきた。
「インド文化研究家」という肩書きらしい。
「インドの染織」についてなら各地でお話させてもらっているが、「インドの飲食」はこれが二回目かな。
長年撮りためた映像なども使いながら、インドの食の世界をご紹介したいと思う。
ま、あくまでも食事がメインなので、なんとかなるだろう。
銀ブラついでにぜひどうぞ!

11月14日(土) 14:00〜16:00
ナタラジ銀座店 中央区銀座6-9-4 銀座小坂ビル9F
会費:3500円(昼食・1ドリンク付)
申込:ビーエス観光 担当/小坂 03-3595-8035 「世界食文化セミナー・インド編」

なお、今月末から始まる「Makiの青山・09年秋展」会場のすぐ近くにナタラジ青山店があるので、ご来展の方は一度お試しを。


10月10日(土) 謎のH氏

大阪に来ている。
梅田・阪急百貨店での展示会だ。
今年でなんと19回目。
1991年から毎年開催している。
最長不倒距離。
しかしこれは、弊スタジオの力だけではない。
その裏には、 Makiをこよなく愛してくれる地元の皆さん、そして、H氏の尽力があるのだ。

拙著「タッサーシルクのぼんぼんパンツ(1997年刊)」にも登場するH氏。
工芸作家を世に紹介する仕事をしている。
氏に出会ったのは、今を遡る1990年、台風の最中のことだった。
大阪郊外・私市(きさいち — 交野市)のとある体育館の片隅に店開きした、生まれたばかりのMaki。
今はなき関西クラフトフェスタという催しだったが、そこにH氏も来合わせていた。
そして、翌年、氏の力により、梅田阪急の一画で初の展示会を開催。
これが言ってみれば、Makiのデビューであった。

H氏自身、社長さんで他にスタッフもいるのだが、Makiの展示会には毎日のように駆けつけ、お客さんに作品を紹介してくれる。
それも、すごく楽しげに。
もともと呉服屋さんだったから知識豊富で目も確か。私なぞ出る幕がない。
今日たまたま訪れた二十代の女性いはく、「ほんとに作品を愛しているご様子。マフラーを巻いている姿がカワイイ」とのこと。

来年は記念すべき二十回目(!)の展示会。
何か記念行事をしたいところだが、どうかなぁ。
というのも、今、梅田阪急は建て替え工事をしているからだ。
大阪駅の正面玄関に、なんと地上四十階の巨大ビルが立ち上がっている。
阪急百貨店はそのうち14階までだが、完成まであと3年はかかるらしい。
半分は完成し、先月、新規オープンしたばかり。
美術ギャラリーはその11F部分にある。
Maki展示会は来週火曜(13日)まで。


10月2日(金) 三周年!

おかげさまで、ここ竹林Shopも、昨10月1日でめでたく三周年を迎えた。
満三歳。
天秤座。(私と同じ)

ただ、この時期、秋の展示会シーズンということもあり、 どうも皆に忘れられてしまう。
まだ一度もしっかり誕生日を祝ってもらってないのだ。
可哀想なことに。
じつは春先、真木千秋に「今年は三周年をやろう」と言ったのだ。
しかし遺憾ながら、言った当人からして忘れていた。
そして当日、真木千秋は西表だし、私ぱるばを含め三名は銀座松屋だったし。

それにもめげず来てくだすったお客さんには、もれなく特別プレゼント。
シェフのラケッシュ特製「バルフィ」のパッケージだ。(写真右)
バルフィはインドの甘味。
そしてランチにはお目出い時に食べるプーリーが。
これはインドの揚げパンで、とても香ばしいのだ。

…でもなんとなくお目出た感がささやかであるな。
来年はもっとちゃんとやらないと。



9月19日(土) 拝島駅の周辺

拝島。
そこはかとない場末感の漂う名前である。
電車で当スタジオに来る人は、すべからくこの拝島の駅を利用もしくは通過することになる。
JR五日市線の始点。
武蔵五日市駅までは、11.1km、十数分の道のりだ。

きたる10月1日から、この五日市線の駅が全面禁煙になる。
これは慶賀の至りだ。

じつは、今年の春から首都圏のJR駅が禁煙になった。
しかしそれも都心から立川駅までのこと。
青梅線と五日市線は除外。
どうやらここは首都圏ではないらしい。
かかる措置によって、五日市線をめぐる環境は却って悪化したのであった。
というのも、首都圏の駅からずっとガマンを強いられてきた愛煙家連中が、拝島駅に到着するや一斉にニコチン補給を開始するからであった。
また、都心に向かう面々も、拝島駅で喫いだめをしていたかもしれない。
おかげでホーム突端は近寄りがたき状況であった。
地方ローカル線の悲哀。
しかし、それも漸く改善されるらしい。

ところで、ひとつ、拝島駅で注意すべき点がある。
これは先日お客さんに言われたのだが、ドアが自動ではないということ。
五日市線の電車は、ボタンを押さないとドアが開かないのだ。
これは室内保温を考えると、合理的なことだと思う。
ただ、知らない人は、閉じたドアの前でいつまでも佇むことになる。
やがて電車はそのまま発車するであろう。
その点を注意して欲しい。
なお、ボタンを押して出入りしたら、もう一度ボタンを押してドアを閉じること。
特に、暑さ寒さの厳しき折は。



9月12日(土) もうひとつの募集中

スタジオスタッフ酒井美和に男児の生まれたことは先日お伝えした。
じつはもうひとりいるのである。
大村恭子だ。
現在8ヶ月。
昨日、性別が判明した。
女。
これは目出度い。
二人とも男だったらどうしようかと思った。

で、名前を募集中とのこと。

一方が林太郎だから、森はどうか。
「もり」。
トトロの森みたいで良いじゃないか。
でもダメみたい。

じゃ、竹林にかけて、竹はどうか。
「たけ」。
私の大伯母も竹であった。
松竹梅で縁起がいい。
今どきクラシックで良いじゃないか。
でもやっぱりダメみたい。

というわけで、募集中。
森と竹以外で良いのはないだろうか。
姓は福原である。(大村は旧姓)
華とか良いかもな。「はな」。外国でも通じるし。
綾も糸へんで良いけど、元スタッフに居たな。(太田綾)
絲とか。どう?「いと」。
織…ありかもな。友人に居るけど。(小山織)
染…はないだろうな。
紬…ツグミと間違えそう。
絹…良いかもな。
蚕…これはないな。



9月2日(水) 潤子のインド日記『私のグアバ』

インド滞在中の楽しみと言えば、まず食べること。
ことに、縫製工房の昼食がイイ!
工房の女主人アミータが、いつも弁当を作ってきてくれるのだ。
今回は果物にまつわる話。

インドの夏と言えば、果物の宝庫というぐらい、どの店でも、たくさんの種類の果物が店先を飾っている。
パパイヤ・洋梨・リンゴ・パイナップル・バナナ・マンゴー・ざくろ…
大の果物好きの私。 その中でも好物のパッションフルーツやグァバはないか探すが…見当たらない。

そこで、縫製場のボスであり、いつも美味しい手作りランチを用意してくれるアミータに聞いてみた。
食べることが大好きなアミータは、私の大好物ももちろん知っていた。
しかし、パッションフルーツはデリーでは手に入らないそうだ。
そしてグァバは、もうシーズンではなく、少し前まではあったんだとか…。 残念…。

ところが、アミータ、昨日、グァバを4つ持って工房にやってきた。
私の目はキラッと輝く。
jun「どうしたのーー?グァバじゃないですか!」
amita「お店で見つけたの。うふふ」

ランチ時はご飯だけでお腹いっぱいになっちゃって、食べれらなくてお預け。
仕事をしている間中、部屋の中はグァバの素敵な誘惑に包まれて、私の頭んなかもグァバでいっぱい。
だけど、おいしいもんは最後に残すタイプの私、なぜか、我慢大会を始めて、結局帰るまで食べずにいた。

ご褒美のグァバは、千秋さんと私の分、ちゃっかりお持ち帰り。
帰りの車の中はグァバのいい香りに包まれ、後ろ座席で千秋さんと話をしながらも、バッグの中のグァバを何度も確認しては、口元をゆるませていた。

さあ、ホテルにも着いて、ひとっ風呂浴びて… 食後に千秋さんと食べようと、ミネラルウォーターで綺麗にすすぐ。(普段は水道水を使うんだけど、なんとなく)
念のため、皮を剥く。(日本なら、皮ごとかぶりつきますが、なんとなく)
皮を剥きながら、小さな穴がいくつかあいていることに気づく。 (あれ?)
頭にある光景がよぎる。 (まさか・・まさかねえ・・)
動物的カンというのか、なんか嫌な予感を覚えた私は、息を飲みつつ、グァバをまっぷたつに切ってみることに。 (とりゃーーーっっ)
そこに広がっていた世界は、パラダイスではなかった。
無念。
無数の、白いうごめくモノたちに、私の、私のグァバは占領されていたのですよ。とほほほほ・・(涙)
車の中での千秋さんの一言が頭をよぎる−「先に食べていいよ。丸かじりしちゃえー!」
青ざめる。
そして、ほっと、胸を撫で下ろす。

教訓:インドで果物を買い求めた際は、どんなにそれを欲していても、大好物であっても、少しひと呼吸してから、一度まっぷたつに切ること。


8月27日(木) 立ちはだかる

インド滞在中の図師潤子から来た絵日記。

DM写真撮影中の出来事。
農家のお宅の門の前をお借りしての撮影。
モデルを務める私の半径50cmぐらいの距離には、そのお宅の皆さんが集結。
母さん、子供たち、そして近所のおじおにいさん(おじさんのようなお兄さんのような風貌の方)、ご近所のご婦人方…。

(近すぎますよ、あなた達)
と思いながらも、カメラのシャッターは止まらない。
人が人を呼び、徐々にギャラリーが増えてくる。

「まあいんだけどさあ…。しっかし、近すぎるよね」
なんて、話しながら。撮影は続く。
撮影も終盤に差し掛かった頃、突然、子がひとり、カメラの前に立ちはだかる。

じっと、カメラを見つめ、石のように固まる。
じっとにらめっこ。
カメラの目と向き合った。

好奇心と、緊張と。不安。
カメラの前に凛と立ちはだかる小さな身体。
(どきどきしたよね、わくわくしたよねっ、ちょっぴり怖かったよねっ)
って。

この、何とも言えない表情に、どうしても、声をかけたくなった。

日記はここで途切れ、声をかけてどうなったのかは不明。
たとえ声をかけても、なかなか退きはしないだろう。
やはり、稲作農耕民と畑作牧畜民は違う。


8月21日(金) マルとジュン

現在、丸山佳代と図師潤子の新人二人がインド滞在中。
それぞれ、「マル」「ジュン」と呼ばれている。
この二人が真木千秋に伴われて、デリー市内のラケッシュ実家に行った時の話。
(筆者・ジュン)

竹林cafeのシェフ、ラケッシュ宅に行きました。
マルと私にとっては、初のラケッシュ家でした。

団欒中、ふいにラケッシュのパパがマルを呼んだのです。
「マル、マル、マル!」って、連呼で。

そしたら、ラケッシュ家の皆さん、眼光するどく足許を見る。
お母さんが台所から駆け込んでくる。
手には何か持って。

それから、ラケッシュ家の皆さん、顔を見合わせて大笑い。
何何何?って聞くと —

インドではね、マルマルマルっていうのは、
「そこにネズミがいるから早く叩いてぇ!」とかいう時に使うんだよーー!って。

どひゃあ!びっくり。今度は全員で大笑い。
それから、わざとみんなで「マルマルマル」って言ってみたりした。

言葉は通じないけど、そんな下らないことで一緒に笑えて、冗談言い合えて、そんなんがとっても楽しくって — 。
胸のあたりがじんわりあったかくなる夜でした。

P.S.
余談ですが、わたしのジュンって名前も、連呼するとね、インドではよく使われる言葉みたですよ。
赤ちゃんをあやす時使うものなんだって。
日本でいう「よしよし」だか、「ねんねんころりーよ」だかわからないけれど。
インドで赤ちゃんをだっこする機会がある人は、ぜひ「ジュンジュン」も使ってみて欲しいもんだわ。

 P.P.S
 たまたま竹林に赤児がひとりいたので(酒井美和の子)、さっそく「ジュンジュン」を試してみる。
 とりたてて効果はなし。
 やっぱり日本じゃ通じない!?


8月18日(火) 古木

現在、信州上田のぱるば実家に滞在中。
気持ち良く晴れ上がった朝、ブドウ畑に招じ入れられる。
愚父・田中一夫は今、巨峰づくりに情熱を傾けている。
もう齢81になるが、今のところは矍鑠(かくしゃく)という言葉も憚られるほど元気。
今年は巨峰をぜんぶ種なし化したというのが、いささか自慢のようである。
なんでも、農協などの指導とは一線を画する、独自の手法を編み出したらしい。

種なし化というのは、ちょっと画期的なことである。
田中家の巨峰は、房に農薬がかかっていないので、洗わずに皮ごと食べられる。
皮には抗酸化作用のあるアントシアニンが含まれ、健康に良い。
種を出す手間がないから、味に集中できる。
果肉の甘さと皮の渋みのコンビネーションが絶妙。
今日早めの試食をしてみたが、従来の巨峰とは別種の食体験だ。

今年は雨が多く、各地で農作物への影響が心配されている。
しかしここ信州上田はもともと乾燥地だ。
例年は梅雨明けからしばらくは灌水に明け暮れる。
今年はその必要がなく、そのぶん楽だったようだ。

写真の巨峰は樹齢45年。
子供の胴体ほどの太さがある。
こんな古木はそうそうない。
幹に白い波板を巻き付けているのはハクビシン対策だという。
巨峰を待っているのは人間だけではない。
この樹を含めて、ブドウ園の80%は40年を超える老樹だ。
「老樹のブドウのほうがずっとウマい」と愚父。
「でも幼樹のブドウも遜色ない」と、やや意味不明の発言。
ともあれ、老樹のブドウからまず出荷するので、欲しい人は早めに予約を


8月14日(金) 初インド

Makiも変化の時を迎えている。
昨日は、二人の新人が初めてインドの土を踏んだ。
スタッフの図師潤子と手伝いの丸山佳代だ。
その図師潤子から、今朝、さっそくメールが届いたのでご紹介しよう。

じゅんです。
おはようございます。
今朝は、ずっと日照りが続いていたインドの土に恵みの雨が…。
すごく歓迎されてる気がする、と、みんなで話しています。

昨日は、飛行機の出発が遅れて、1時間半遅れでデリーに到着しました。
日本時間は夜の9時半だというのに、デリーは夕方の6時。
まだ空も明るく、不思議な感覚でした。
夕方だからか、気温もそんなに高くなくて、30度あるかな?というくらい。
ただ、とってもムシムシしてました。
インド航空機内での面白い出来事は、また今度お話しますね。(笑)

ついにインド上陸!
入国審査も無事に終わり、空港の外に出ると、元気そうな千秋さんの笑顔が出迎えてくれました。
体調を崩していたと聞いていたので、安心しました。

ホテル到着後、今回たくさん持参した、ナチュラルハウスのおそばとうどんで乾杯しました!
ついにインドに来たどーーーーーー!!乾杯!
まあ、日本のおそばとうどんだけども。(笑)

今日は、本場のカレーが食べられるかしら?!
そんなことも楽しみにがんばってお仕事してきます。
今、千秋さんと丸さんはヨガ中!
あたしも参加せねば!!(笑)

また連絡いたします☆

という具合で、今はフレッシュだから元気いっぱいの様子。
しかしながらそれがいつまで続くかは、シバ神のみぞ知る。
インド航空機内での珍事も含め、続報を待つことにいたしたい。


7月10日(金) おかしな奴

ここ五日市に、黒茶屋という名物料理店がある。
竹林から徒歩で30分くらい。レトロな建物や造作を活かして炭火焼き料理を供している。併設の喫茶店『絲屋』は私たちもよく利用する。
その名から推測されるとおり、かつては絹糸の製糸業を営んでいた。
オーナーの高水家は、本拠の黒茶屋ほか、近在に燈々庵や井中居など趣ある食事処を経営し、Makiのお客さんもよく訪れるようだ。

この高水家のY氏が、先日、竹林にビデオを持ってきてくれた。
渥美清主演『おかしな奴』という映画。
落語家、三遊亭歌笑を描いた昭和38(1963)年の作品だ。
この歌笑、五日市の出身。高水家の息子であった。

けっこう落語好きな私。
黒茶屋の歴史の中にそんな噺家がいたことは聞いていた。
戦後の一時期、一世を風靡し、かの林家三平もあこがれていたという存在。
ところが、人気絶頂の昭和25年、銀座通りで進駐軍のジープにはねられ、32歳の若さで散ってしまう。
極度の弱視。一風変わった容貌と『歌笑純情詩集』で、敗戦直後のすさんだ人心に笑いをもたらす。

わずかに残された音源を聞いてみると、その詩文調がなかなか良い。
七五調の口語詩句と、文語調の詩句。
なかなか文才のある人らしい。
それが高座でスラスラと口をついて出てくるのがプロたるゆえんだ。
今、こういう名調子を聞かせる人は珍しい。
私の知っている中では、先代の柳亭痴楽くらいか。(この人も歌笑の影響を受けたらしい)

今から46年前の映画だ。
いろいろ脚色はあろうが、製糸を生業とする一家の様子、五日市小学校(たぶん)、武蔵五日市駅の場面など、現地民としては非常に興味深い。
もちろん、落語家の話だから、修業時代の苦労談などもコミカルな筋立てで楽しい。
そして、寅さん以前の主演である若々しい渥美清、清楚なヒロイン三田佳子&南田洋子など、役者も揃っている。
ビデオは絶版なので高価だが、ネット配信で鑑賞できるようだ。
一見の価値有り。


7月5日(日) テディベア
テディベア

 私ぱるばの弟子に大村風生(おおむらふき)という者がいる。
 近所の和食店・魚冶(うおじ)の娘だ。
 このたびその風生が、ある大会で賞を二つ受賞。
 それが弊スタジオにもいささか関係しているのでご紹介しよう。

 大会というのは、「第17回・日本テディベア・コンテスト」。
 先日浜松町で開催された国内でいちばん権威あるテディベアのコンペだ。
 左上の写真が、受賞した二作。
 左側のネコが「アニマル部門」金賞。
 右側のクマが「15cm以下・着衣ベア部門」銀賞。
 サイズがわかるように、一円玉を置いてある。
 その小ささがわかるだろう。
 風生はテディベア作家なのだ。

 注目して欲しいのは、ベアの方。(拡大写真・右上)
 使っているのは全てMaki布なのだ。
 たとえば、本体の部分は「漂泊タッサー絹地」。足裏は「生絹ミュージアムピース」。ヴェールは「絹麻交織の空羽」。

 今年25歳になる大村風生だが、小学生の頃からMakiの布に親しんでていた。
 大村一家がMaki布の愛用者だったのだ。
 テディベア作りを始めたのが小学校高学年の頃。
 左中の青いクマは小五の時の作で、これもMaki布を使っている。

 中学生になると、Makiにチョロチョロ出入りし始める。
 私の手下となっていろいろ手伝いなどしたのであるが、スタジオの仕上げ室などでハギレを見つけるとおねだりしていた。中には親指大ほどの小さなやつも。
 それからハギレ市などでも仕入れる。
 そうしてたまった12年分のハギレ・コレクション。Maki布百種類&大村風生(写真左中)。
 でもなかなか使い道がなかった。

 テディベアを作り始めて十有余年、既に三百体ほども製作したが、なかなかMakiの布は使えなかった。
 というのも、技術が必要だったから。
 手織の布は縫製が難しいのだ。
 特に風生の好きなミニチュアベアは作業が細かい。

 それでもやっと昨年あたりから、Maki布を使った作品に取り組む。
 左下の写真がそれ。
 Maki布を使うと、布の個性が現れて面白いという。
 様々な布を使って試してみたいとのこと。
 今、注目しているのはナーシ絹布。背後の大きめの二体(ウサギとネズミ)がそれだ。ナーシ布の表情、存在感がよく現れている。

 これからMaki布を使っていろんな動物を作っていきたいとのこと。
 ブローチやストラップなど、二次的なものも考案中。
 この先が楽しみである。
 風生のホームページはこちら。実家の魚冶でも作品が見られる。

  テディベア

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