絲絲雑記帳 2011

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竹林日誌 10前/09後/09前/08後/08前/07秋/07夏/07春/06秋/06夏/06春/05秋/05夏/05春/04秋/ 04夏/04春/03秋/03夏/03春/02後/02前/01/99-0
0/「建設篇」




今回人気だったウールの腰巻。

10月6日(木) CC5点描

竹林shop5周年記念(CC5)も無事終了。
9月30日から10月4日までの5日間、お陰様で雨も降らず、多数のご来訪をいただく。

残念ながら来られなかった人のために、そのときの模様を少々お伝えしよう。


しばしシェフに戻ったラケッシュ。
タンドール(炭火竈)で →
コーンチャパティを焼いているところ。

←この三人のうち、どれがインド人でしょう?
答え:真ん中のヤンペル君。
インド最北端のラダック出身(チベット系)。
今年五月、パシミナを探しに行った時、ガイドをしてくれた人だ。今回、妻子ともどもCC5に来訪。
左側はヘルパーの船附君。日本最南端・波照間島出身。先祖がインド人かも。
右側の人物は前生インド人。
 


五周年を迎えた竹林shop。→
記念のパシミナ・マフラーを展示。

 

←三軒茶屋tocoro cafe上村夫妻。
愛機(カプチーノマシン)とともに、
この五日間は竹林に合流。
スペシャルなドリンクや甘味を提供してくれる。
CC6は無いだろうが、CC7はあるかも。
CC5パーティ。
焚き火を囲んで踊る。
ダンスミュージックは、ヒマラヤとラダックの民俗音楽。
みなさんも次回は是非!!
(焚き火ダンスは年に一〜二度ある)


10月8日(土) こんなところに日本人

今年五月、北インド・ラダックにパシミナを探しに行く
そのとき世話になった人、上甲紗智(じょうこうさち)さん。

ラダックの中心地であるレーの在住で、夫のヤンペル氏とともに旅行代理店を営んでいる。
先日、夫子とともに日本に里帰りし、竹林にも三泊して竹林shop五周年CC5に参加した。
初日・二日と、ラダック衣裳のご婦人がいたでしょう。
それがサチさんだ。
顔の色といい、どう見てもラダック人だったが、いちおう日本人なのだ。
夫ヤンペル氏との間に、かわいい男児そうじ君もいる。
写真はそのときのもので、そうじ君と一緒に、五周年当日のパーティ用・ラダック料理「モモ」を作っているところ。

このサチさんが明10月9日、テレビに出るので、視てやってほしい。
時刻は夜の6時56分から、テレビ朝日系の「こんなところに日本人」。
二時間番組で、こんなところの日本人が三人登場するが、そのひとりがサチさんだ。
某女優のレポートによる現地取材で、聞くも涙のお話らしい。
請うご期待!!

 




10月11日(火) ナーシ糸のヒミツ

Maki Textile Studioにとって欠くことのできない糸、ナーシ。
インドの言葉でNasiという。
これはタッサーシルクの「ヘタ」の部分から採れる糸だ。
タッサーシルクの繭には、写真中のようにヘタがついている。

タッサーシルクの繊維の構造は多孔質だ。
写真下はその繊維断面の電子顕微鏡写真。
二十数年前に東京農大の赤井弘博士が発見したものだ。

ナーシは、絹でありながら、ウールのような手触りを持つ、不思議な糸だ。
その色も、およそ世界に産する絹糸の中で、最も濃い。
いったいどのような構造なのか。
昨年、赤井博士が来竹した折、そのへんを解明していただこうと、ナーシ糸とタッサー繭を進呈致した。

その後いったいどうなったのだろうと、今日、博士に電話でご挨拶する。
博士いはく、ナーシはなかなか難物で、まだ解明には至らぬとのこと。
ただ、ヘタの部分は、蚕の絹糸腺から最初に吐き出されるので、セリシンが多い。
(セリシンというのは、絹繊維フィブロインを結びつけ保護するニカワのような蛋白質)
家蚕の場合も同様で、最初に吐き出されるケバという部分も、セリシンが多い。
ナーシの繊維(フィブロイン)もやはり多孔質であろう。
濃い褐色はセリシンの影響と考えられる。
フィブロインの中に色素はあるかどうか? それについては、たとえばウスタビガ繭の緑色はフィブロイン中にあるということもあり、今後の研究に俟ちたい。
…とのことであった。

真木千秋に、「赤井先生によるとナーシも多孔質みたいだよ」と言うと、「当然でしょ、気持ち良いもん」との答え。

そういえば昨夜、三重岐阜からの帰り道、中央道・諏訪湖SA駐車場の照明灯下で、大きな蛾をふたつ見かけた。
あれは天蚕であろう。

 






10月13日(木) 速報・竹二郎

産休中のスタッフ、酒井美和子から朝一で写メが入る。
早朝四時に第二子・竹二郎誕生とのこと。
メールが打てるくらいの余裕だから、母子ともに健全であるようだ。
なかなか男前なのでみなさんにもさっそくご披露しよう。
畳が写っているから自宅出産かと思ったら、病院の和室だそうだ。
私ぱるばと同じ天秤座の男。(う〜ん、波瀾の人生!?)

長男が林太郎だから、次男は竹林にちなんで竹二郎…
…というのは私の勝手な想像なのだが、正式な名前がついたらまたご紹介しよう。


 


10月14日(金) インド茜で染める

秋も深い竹林。
庭で焚き火の匂い。
竈でラケッシュが煮出しをしている。
深紅の液色。
インドアカネだ。
アカネとはその名の如く、根が赤い。
その根で染めるのだ。

実は竹林の庭にもアカネは生えている。
しかし、ごく小さな草で、とても布を染める量はない。
インド茜はインド全土に育成する蔓性の草で、高さは1.5mほどにもなるという。
根もしっかりしていて、古来より赤の染料として使われてきた。
またインドのアユールヴェーダ(漢方ならぬ印方)でも薬草として利用されている。

今日はウール染めの実験だ。
絹に比べ、ウールはやや染めにくい。
それでも、酢とアルミを使うと、下写真のごとく見事に染まる。
昨年gangaで使用した蘇芳(スオウ)の赤とはまた違った、黄味がかった赤だ。
これは使えそうだと真木千秋もご満悦。
茶色のウールとよく合いそう。

乾燥したインド茜の根は現地の薬種店で買える。
(日本でも買えるがかなり高価)
インド茜は枝葉でも染まるというから、今度は天然モノを採取して染めてみたいものだ。
ヒマラヤ地方によく見られるらしい。

 








マルダストール 
この赤と紫赤は、スオウ中心。
ほかに、インド茜、ラックも。
このくらい濃い赤xギッチャシルクの
ストールは初めて。




久しぶりのに作った「デュピオン」。
インド茜で朱色と赤、細いストライプはザクロ。デュピオン(玉糸)の力強い糸がつくる張りがだんだん使ううちに、しなやかになり最後にはトロッとなる。


2011年秋・銀座松屋展示会

今週水曜から二週間、銀座の松屋百貨店にて
「Maki Textile Studio 秋の展示会」を開催!!

インド・デリーにある工房で、名手サジャッドなどの手によって織られたシルク製品などを中心に展示する。

場所は7階・遊びのギャラリー。
年初に新装オープンした新しいスペースで、広さは今までの二倍。
ゆったりとショッピングが楽しめる。(写真下は今年春の展示会風景)

会期は10月19日(水)から11月1日(火)まで。
期間中無休。
時間は、午前10時より午後8時まで。(ただし初日のみ午後9時まで)
当スタジオスタッフが常時二名在展しているので、激励がてらご来訪よろしく。
初日は真木千秋も店頭に立ち、自ら新作のご説明などを致す予定だ。(私ぱるばも時間の許す限り在展)

「細変わり格子」サジャッド織り。
昨年に小さめ(中サイズ)で、縞の藍の色が淡いものを作ったところ、なかなかの人気。
今年は少し濃色の藍に染まったタッサー絹紡糸で作ってみる。これはその試作の写真。
98%シルク(黄繭、バンガロールシルク、タッサーシルク) 2%ウール


「緑霞」
ボーダーのピンクは、去年スタッフが育ててくれた紅花から染めた色。それに黄緑や緑(藍生葉+ふくぎ)を合わせてみる。ムガシルクもスッと入れる。


10月18日(火) 房総族

今日は染織にほとんど関係ない話。
かつてMaki青山店のご近所ギャラリーに「草(so)」という小さな器屋さんがあった。
弊店が西多摩に遷り、やがて「草」も南に遷る。
安房の鴨川だ。

ここ南房総には、東京を離れて田舎暮らしを楽しむ人々がけっこういる。
それを称して「房総族」と言う。(たぶん)
そのハシリが店主・畑中美亜子さんのご両親(藤本敏夫&加藤登紀子夫妻)であった。

その草を昨日訪ねる。
山あいの棚田を見下ろす絶景の地に、気持ち良い小さなカフェ&ギャラリーが佇んでいる。
上写真が器ギャラリー。美亜子さんとツーショット。

カフェのメニューは旦那・畑中亨さんのカレーだ。
昼食にそのカレーをふるまってくれた。(写真下)
私もカレーは浴びるほど食っているから特に期待はしていなかったのだが、これがかなりウマい。
聞けばこの亨氏(写真奥の人物)、「スパイス伝道師」渡辺玲氏の弟子なんだそうだ。
さもありなん。(なおここはリビングで、カフェは別にある)

気候の温暖なここ南房総には、百世帯前後の房総族が住まいしているらしい。
しかしここにも震災の影が。
十世帯ほどが西方に移住していったという。
そんな中で、かわいい二人の娘を育てながら頑張る畑中夫妻。
私の右側のカップルも青山からの移住者だ。
草のホームページはこちら

 


 

10月20日(木) 木目のヒミツ

Maki Textile Studioの大好き素材、タッサーシルク。
タサール蚕とも呼ばれる。

このタッサーシルクから採れる糸の特徴のひとつに、色が一定していないということがある。
言い換えると、色に濃淡がある。
それゆえ、たとえば布を織ると、木目のような柄が現れる。

右写真の地が、そのタッサーシルクの布だ。
濃淡があるでしょう。
これは意図したものではなく、天然のものだ。

今まで、この濃淡の原因は、繭の個体差だと思っていた。
繭によって、濃色のもあれば、淡色のもある。
ま、それもあるだろうが、それ以外に大きな要因があるのでは…と思い至る。
すなわち、繭の外側と内側の色の違いだ。

先日(10月11日)の記事に、「ナーシ糸のヒミツ」というのがある。
その中に、「ヘタの部分は最初に吐き出され、色も濃い」とある。
しかし、色が濃いのはヘタ部分だけではない。
右写真の繭を見ればわかるが、ヘタに続いて吐き出される、繭本体の外側部分も、負けずに濃色なのだ。

繭のひとつを切り開いてみた。
すると内側は、かなり均一に淡色なのだ。
内側と一番外側では、かなりの色の差がある。
それが糸色に反映されていたのだ。

家蚕(黄繭)や天蚕も有色繭だが、その色は糸作りの過程でかなり褪せる。
ところが、タッサーシルクの場合、色素がおそらくタンニン質なのであろう、あまり褪せることがない。(正確に言うと、セリシンに含まれる色素が精練の過程でセリシンとともに流出するのであろう。色素自体はほとんど褪色しない)
その上、濃淡により、このような木目紋様を顕す。
これが「二十年以上かかわっていてもぜんぜん飽きない(真木千秋)」というタッサーシルクの魅力のひとつであろう。


 



10月24日(月) フェルトのヒモ

数日前から作業している「フェルトのヒモ」。
ganga工房で使っているヒマラヤウールを、湯と石鹸でひたすらごしごしこするのだ。(写真左上)
かなり丈夫なヒモになる。
長さは約2メートル。

これがなかなか楽しい。(写真左下)
ウールの特長がダイレクトに伝わってくる。
湿気を吸うとフワッとするなど、環境によって伸び縮みする。
ヒマラヤウールの野性味が感じられて面白い。

色は白とグレー。
端っこに別色でアクセントがつく。グレーか白か赤(アカネ染め)。

万能のヒモだ。使い方は自由。
腰巻のヒモでも良いし(写真右)、首飾りでも、アクセサリーでも、袋の取っ手でも。

ヒマラヤのウールを織る展(今週末からアノニマスタジオにて)に出品。

この展示会場では「フェルトで輪っかをつくる」ワークショップもある。(11月1日&2日)
ウールという素材を肌で理解することができる。




10月26日(水) 松屋サバイバル術

現在、銀座松屋百貨店にて展示会中。
右上写真参照。
見よ、こんなにすばらしいスペースなのに、閑散としているのである。
私ぱるばもはるばる竹林から上京しているのに。
まあ私などほとんど役に立たないのだが、スタッフの激励も兼ねて。
松屋は朝10時から夜8時までの10時間営業だから、店頭に立つMakiスタッフもたいへんなのだ。
会場を空けるわけにもいかないから、私が行かないと昼食もままならぬのである。

ところで、食事であるが、ちょっと面白いところを発見。
松屋の地下1Fだ。
日本のデパ地下って、世界に類を見ない目くるめく世界だ。和洋中、何でもそろっている。(あんまり「印」はないが)。
松屋デパ地下は「GINZAフードステージ」と言って、地下1Fと2Fで展開している。
1Fは惣菜や菓子など食品、2Fは野菜や鮮魚など食素材だ。
この地下1F東北隅にひっそり「イートスペース」がある。
カウンターと椅子があるだけの簡素な小空間だ。(下写真の右隅)
しかし、ここが、ある意味、スゴい。
松屋で買ったものは何でも食べていいのだ。
何百店舗あるかわからない松屋デパ地下の御馳走が、ここでは食い放題!!  (もちろん金を払えばだが)
小腹が空いた時や、時間がない時に便利。

ところで今週末からは蔵前アノニマスタジオにて「ganga工房・ヒマラヤのウールを織る」展がある。
現在、竹林ではその準備に余念がない。
しかしながら、これは読んで字のごとく、ウール作品の展示会だ。
シルク作を見たければ、ここ松屋に来るしかない。
蔵前と銀座(東銀座)は地下鉄で一本だから、ハシゴするのも良い。
松屋展示会は11月1日まで。

 


10月28日(金) 明日から「ganga工房・ヒマラヤのウールを織る」展

今、東京の下町・蔵前。
隅田川のほとり。
かつて国技館のあったところ。
最近注目の出版社アノニマスタジオに併設されたギャラリーで、明日から展示会だ。
真木千秋はじめ六名で展示作業をしているところ。

ガンジス渓谷で採れたウールによる作品の展示会だ。
ラダックのパシミナもある。
会場はキッチン付き三十坪の広々したスペースだ。
奥でラケッシュが粉をこねている。(写真右)

布や衣の展示のほか、ランチ+ワークショップ+お話会のフルサイズ引っ越し公演。(ワークショップは11/1・2のみ)
こういうのは竹林スタジオ以外では初めてだ。
「ひとつのスペースが全部gangaというのは今までなかったし、すごく新鮮」と真木千秋。
11月3日まで、我々も毎日上京だ。

 


10月29日(土) 沙羅の皿

今回の「ヒマラヤのウールを織る」展示会のランチは、「北インドのお祭り菜食料理」。
ジャガイモのカレーと、炒り黒ひよこ豆、サラダ、プーリー(揚げパン)だ。
皿は木の葉の皿。
北インドではお祭の時、こういう体裁で、善男善女に食事がふるまわれる。
もちろん、卵すら使わない完全ベジタリアンだ。
(サラダに使われるルッコラは私ぱるばの畑より)

皿の素材となるのが、じつにサラ(沙羅)の葉なのだ。
沙羅と言えば仏陀涅槃の沙羅双樹だし、何より、タッサーシルクのレイリー種はこの木の葉を食べて育つ。(レイリー種とは野生のタッサーシルクで、その濃色と色つやは群を抜く。)
この木はインドでは北部平原に広く自生している。ganga工房の周囲にも多い。
太い高木で、木質は堅く、建材などにもよく用いられる。
ganga工房の建物や織機の用材もこの沙羅だ。
我々にとって欠くことのできない樹木なのである。

下写真に見るごとく、長さ15cmほどの葉っぱだ。
それを20枚ほど使って、小枝で縫合し、皿形に整える。
ごていねいに凹みも四つほどついて、盛りつけに便利だ。
インドでは、使い終わると、そのまま外に放っておく。
すると牛が来て美味しそうにパリパリと食べる。カレー味がついているんだから、食欲をそそるに違いない。
それがミルクになり牛糞になる。まことにエコなことである。

先祖供養もこの皿だ。
農村では、宗教的な祭礼のほか、冠婚葬祭や誕生パーティなどにも使う。食器の数が足りないからだ。
つまり、皿はもともと葉っぱだったのだ。それがインドではだんだん金属器に取ってかわられつつある。
皿の語源は沙羅!?
日本でこのサラを使っているのは、当イベントくらいのものだろう。
ちなみに南インドでは、沙羅の代わりに、バナナの葉を使う。

ここアノニマスタジオに牛がいないのは残念。
使い終わったらゴミになるほかない。
希望者は持ち帰るのもOK。(ただし袋持参のこと)

 


11月3日(木) ブラック・シープ

英語で black sheep といえば、「厄介者」という意味。
しかし、Maki Textile にとっては、いささか事情が異なる。
黒羊は貴重なのだ。

黒いウールが採れるほか、白いウールと混ぜてグレー、茶のウールと混ぜて焦げ茶を作ったりする。
天然色が好みの当スタジオにとって、色のバリエーションのために必須な存在だ。

一般的に羊は白が珍重される。染色できるからだ。
それで原毛の取引価格も高く、羊飼いも好んで白羊を飼う。
実はかつて、柔らかい毛質を得るためにメリノ種の羊を導入し、ヒマラヤの在来種と交配させた。そのメリノの種羊は白ばかりだった。
それで白羊が増えたのだが、現在も種羊は白が多い。

二ヶ月前、牧羊の里ハーシルを訪ねる。
ガンジス上流のヒマラヤ山中、標高2500メートルの高地だ。
そこで知り合ったビシャン氏は170頭ほどの羊を所有していたが、そのうち牡羊は四頭。いずれも白羊だった。黒い牡羊もいたが、死んでしまったという。
群の中に一頭、若い牡の黒羊がいた。毛質も柔らかだった。(写真右)。
それで、そのヤングボーイを残しておいてくれるよう頼んだのだが、その後どうなっただろう。

牡羊はたいがい、最初の毛刈りの後、肉用に売られてしまう。特に黒羊は、インドの憤怒女神カーリーの生贄用に高価で取り引きされるのだ。
そこで先ほどビシャン氏に確認のメールを打つ。
ビシャン氏は羊の所有者にしては珍しく、英語ができ、メールも通じる。普段はヒマラヤ山麓の街で公務員をしている。
黒羊君、達者だろうか。

 


11月5日(土) 絲系奇人

本日昼ごろ、名古屋から来客あり。
かなりユニークな人であった。
谷口隆さん。(写真左側)

天然の貴重な繊維素材から手紡ぎで糸を作り、それを手織してストールなどを作っている。
たとえば、インドのパシミナと日本の天蚕で糸を紡いだりとか。
おそらくそんなことやる人は世界でも稀だろう。
あるいは、ヤクのウールと天蚕で糸を紡いだり。
これはもうゼッタイ世界初だろう。
写真手前中央、半分袋に入った茶色の素材が、ヤクの内毛のウール。
チベット高原の動物ヤクには今年五月に会ってきたが、内毛のウールを見るのはこれが初めてだ。こんなもんが日本で手に入るというのもビックリ。

極めつけは、ナーシ絹。
ナーシと言えばMakiお気に入りの素材だが、なんとこの谷口さん — 。
Makiナーシ布のハギレを集め、それをほぐして真綿状にし、家蚕のケバを混ぜて糸を紡ぎ、ショールを織ってしまった!!
ここまで来るとあっぱれというか、酔狂というか。
氏の右ヒジ下にあるベージュ色の物体が真綿状のナーシ絹。

パシミナやヤクやナーシをはじめ、インドは天然素材の宝庫だ。
谷口氏に接していると、それら素材を生かした新しい糸の可能性がいろいろ見えてくる。
う〜ん、絲絲の世界は深い。


 


11月7日(月) 黒羊の消息

先日(11/3) お話しした黒い子羊。
さてどうなったか?
あれから何度か持ち主のビシャン氏とメールを交換した。
それによると、あの子羊君、達者でいるようだ。
種羊にするつもりだという。
これでひと安心。

しかしラッキーなやつだ。
9月に訪ねた際は、170頭の羊群のうち、種羊の牡は4頭だった。
ってことは、ざっと計算して、一頭で40頭以上を相手にするのか…。
う〜ん、うらやましいというか、何というか。(短命かも)
9月8日に毛刈りをしたのだが、そこはガンジス川上流、標高2500mのバグーリ(ハーシル)という村だった。
それから二ヶ月、今、羊群は谷をぐっと下った標高800mほどのDugaddaというところに居るという。
9月に刈った毛は、二、三日中にカーディングをかけて、順次、糸になる。
どんなものができるか、楽しみなことだ。


11月11日(金) 禁断の古布by 真木千秋

先日、久しぶりに五日市の骨董市に行きました。
(当所「五日市」とはそもそも五のつく日に市が立ったことに由来します)
私の目的はただ一つ、古木綿の藍の布探しです。
手触りの良い、手紡ぎまたは手織りの木綿 — 布団地だったり、着物だったりした布です。
何年か前まで、「この古布集めは止めよう!」と心に決めていたのです。
古布集めは楽しい営みでしたが、古い素晴しいものをただ集めて自分のものにしていても仕方がないなと思い、「見るのは良いとしても、欲しいと思う布は自分で作ろう」と決めたのです。
もちろん同じにはできなくても、その風合いや、何か心引かれるものをスケッチしたり
試し織りしたりして、ストールや布をだいぶん作ってきました。

ただこの頃、インド・ganga工房で、ちくちくと布を刺してくれる女の人たちが出てきたので、木綿の布を探しにいく立派な理由ができました。
触りだすとあまりの楽しさに、頭からもくもくと煙が立ちのぼりそう。
昔の木綿の布、なんて風合いが良くって美しいのでしょう。
紡がれる糸の風合いや、藍の色。
無地もよし、縞もよし、格子もよし....。
古くなってつぎはぎにしているその感覚もすばらしくて....。
でるのはため息ばかり。
今回もいくつか見つけて、帰ってきたらすぐに洗濯し、物干竿にかけて眺めて、太陽で乾かし、その夜、まず自分のちくちくがはじまります。

こうして一晩一枚なにかしら作っては悦に入っています。

上写真:手紡ぎ木綿の古布+苧麻布や絹で。
下写真:丹波木綿などをお手本にストールの試し織り。

 


11月14日(月) 天平の調布

奈良国立博物館の正倉院展に行った。
香木「蘭奢待」が目当てだったのだが、それよりも古代の染織品が見事だった。
あまりに見事だったため、ちょうど京都滞在中の真木千秋&ラケッシュも呼び寄せて観覧させたくらい。

その中でいちばん私の目を引いたのが、「紅布」。
シンプルな麻の平織の生地だ。(正確に言うと幡の一部)
英語の説明書きに「hemp or ramie」とあったから、大麻か苧麻か判然としないのであろう。(写真はカタログから臨時に複写)
調布、すなわち税として貢納された布だ。長さは6メートルほどある。
1cmにつき20本という高密度の織物で、そういうのを貲布(さよみ)と言うんだそうだ。通常の麻布は1cmにつき10本ほどだという。
染めは紅花で、先染めであろう。
紅花の色は褪せやすいが、この織物の赤はよく保存されている。

おそらくは東国であろうか、日本のどこかの地方で、麻の糸を績み、紅花で糸を染め、そして織ったものだ。それを役人に税として納める。汗と涙の織物か!?
今から千四百年前、天平の世。
ちょっとタイムスリップして、機織りの様子を見てみたいものだ。
きっと、この春訪ねた、アッサム・ボド族の村のようだったのだろう。
ウチの近所に調布という街があるが、その頃はきっとみんな手機でこういう布を織っていたのだ。田園調布しかり。

 


11月15日(火) ロイヤル糞掃衣

正倉院の始まりは、聖武天皇の遺蔵品を光明皇后が東大寺大仏に献納したことに遡る。
聖武天皇は天平勝宝八年(西暦756年)に56歳で没するが、その七十七日のことだった。
その献納目録が「国家珍宝帳」と呼ばれる。
まあこれは本人じゃないとわからないが、普通、ダンナが56歳で逝ってしまったら、残された連れ合いはさぞや悲しいことであろう。
先帝の遺品を見るのが辛いから大仏に献納して菩提を弔った — ということらしい。

その目録の筆頭が、九領の袈裟。
今回の正倉院展では、そのうち「七條織成樹皮色袈裟」一領が出品されていた。
展覧会カタログによると、袈裟の語源はサンスクリット語で「濁った色」を意味する「カーサーヤ」。ハギレを寄せ集めた糞掃衣(ふんぞうえ)が本義なんだそうだ。
だから、この袈裟も、一見、薄汚れたハギレのツギハギに見える。
しかし、いかに仏門に入っていた聖武天皇といえども、ホンマもんの糞掃衣を装着するわけにはいくまい。
それで本品は、織成という綴れ織りの技法でツギハギ感を出している。
本場インドの糞掃衣は木綿だったと想像されるが、こちらは絹。
おそらくは狭幅で織ったものだろう。それを七条、藍染の布を挟んで綴(は)いでいる。
写真の通り、四角い布である。(展覧会HPより転載)

六百数十点におよぶ「国家珍宝」の筆頭が、刀剣や鏡などを差し置き、四角い布九点だったわけだから、かのロイヤルカップルも、かなりの布好き!?
残りの八点も見てみたいものだ。
正倉院展、来年も注目である。

 


11月17日(木) 焼杉

昨日、岡山県牛窓の某ギャラリーに立ち寄る。
まだ完成して一年ほどだが、外壁は見事な焼杉仕上げだった。

こうした板壁を初めて目にしたのは十年ほど前。
やはり岡山の倉敷を訪ねた時だった。
市外の農家の焼けた板壁を見て、火事にでも遭ったかと思った。
しかし、あちこちに同じような壁があるので、これは意図的なのだなと悟った。
焼杉板というのだそうだ。
モノのページによると、焼杉の効用は、着火しづらく、腐食に強いということらしい。

ギャラリーオーナーK氏が、焼杉づくりを見学したという。
長さ2mほどの杉板三枚を組み合わせて三角柱を作り、新聞紙一枚を中に入れて火をつけ、三角柱を直立させ、煙突効果で燃焼させる。
それだけだそうだ。
新聞紙一枚のほかは、燃料も塗料も一切いらない。
かなりエコだ。焼却処分しても安全。
壁面をこすると多少手が黒くなるが、気になるほどでもない。
焼杉のつくれる工務店はだいぶ減ってきているが、それでも近年、見直され、需要が伸びているそうだ。
経費も新建材とそう大差ないという。

日照によって変化する炭の色つやが美しい。
ただし、ボールをぶつけて遊んだりするのは禁物。

 


11月19日(土) 大阪・東洋陶磁美術館にて

大阪・中之島に、東洋陶磁美術館がある。
大阪の友人たちにも勧められたスポットなので、観覧してきた。
中国や朝鮮、日本の陶磁器が年代順に並べられ、 東洋陶磁の歴史がコンパクトに概観できる。

ちょうど中国浙江省・龍泉窯の特別展をやっていた。
南宋から明にかけての美しい青磁群だ。
チャイナというと磁器を意味するくらい世界をリードしてきた中国磁器だが、観ていてひとつ感じるところがあった。
同じようなことは、一昨年、中国磁器の大コレクションを誇る上海博物館を観覧した際にも感じたことだ。
それはすなわち、明代や清代、景徳鎮が官窯として世界を席巻するに至って、中国磁器は急速に退屈になるということ。
これは私だけの感想かもしれないが、とにかく見るに堪えない。
景徳鎮の磁器というのは、みなさんもお馴染みだと思うが、白地に紺色でいろんな絵の描かれたやつ。

焼き物の歴史にはあまり詳しくないのだが、これはおそらく、今から八百年前、南宋の時代に、中国磁器が技術的に完成されてしまったからだろう。
すると、それに続く人々は、創造性を発揮する場がなくなってしまう。
宝玉のような磁器の上に絵付けをするのがせいぜいだ。
初めは紺色だけだったが、その後様々な色が登場し、退屈さは極まる。

磁器というのは工芸だ。絵画や詩歌、音楽のような純粋芸術ではない。
工芸の美は「用の美」にとどまるべきである。
用というのは素材とカタチのことだ。
装飾はあっても良いが、あくまでも素材やカタチの美を引き立てる脇役にとどまる必要がある。
景徳鎮の磁器がつまらないのは、その主客が転倒しているからだろう。
織物も工芸である限り、同じことが言えるはずである。

11月21日(月) 天平ビズ

正倉院展で真木千秋の目をいちばん引いたのが、この「縹纐纈布袍」(はなだこうけちのぬののほう)。平たく言うと、絞り染め上着だ。
縹(はなだ)というのは藍色、纐纈(こうけち)は絞り染め、袍(ほう)は上着。
素材は薄手の麻布(細布さいふ)。

展示品(上写真)は縹のみが目立つが、良く見ると薄い赤で格子状になっている。
縹は藍、赤は紅花で染めたものという。
藍が紅花に比べ、いかに堅牢であるかがわかる。
試みに、紅の部分を上塗りしてみた。(写真下)
かなりハデハデしい色合いである。
なんでも東大寺造営に携わった役人の官服であるらしい。
当時の官人はこんな格好で仕事をしていたのか。
そういえば最近、クールビズと称してアロハやかりゆしなどハデハデしいのを着用する人々もいる。

丈もかなり大きく、六尺ほどもあろうか。
大男用のものか、あるいはゆったり着たのか。
もともと薄手の麻だから、それをゆったり着たら、さだめし涼しかったことだろう。
手績み手織りの不均一な織物だから、近年の機械製木綿地を使ったクールビズより遥かに着心地は良かったろうし、見栄えも良い。
だからこそ宝物として伝えられのだ。
現在の官人や重役連もこのくらいのものを着るべきである。

 



11月28日(月) 家の起源

本日、竹林に遠方よりの来客あり。
ウィーン在住の建築家・三谷克人さんだ。
ウィーン学団の影響か、三谷さんにも少々哲学者っぽいところがある。
たとえば、今日うかがった、「カタチは機能に従う (Form follows Function)」とか、「装飾は罪なり」という言葉。
建築史上で論議を呼んだこうした言葉は、服飾文化に重ね合わせると興味深い。

それから、家の起源。
そもそも人類の祖先は家に住んでいなかった。進化あるいは歴史のどこかで家が生まれたのだ。
それがどのように生まれたか、建築史上、説が二つあるという。
屋根説と、壁説だ。
屋根が先か、壁が先か。
三谷氏は壁説を採るようだ。
壁説の概要は以下の通り;

歴史のある時点で、人類は、自己を超える存在に思いを致すようになる。
ひらたく言えば「神」だ。
「神」の恩寵を得るためには、身近にそれを祀る場所が必要だ。
その場所は我々の日常生活の場と区切る必要がある。
その区切が、壁であり、そこから家が発生したのである。
(文明発祥の地は大概において乾燥地であり、あまり屋根の必要はない。)
そしてその壁はそもそも、布であった。

ということで、三谷氏は布に関心を持ち、はるばる当スタジオにも来訪したというわけ。
布は聖と俗の境界線でもあるわけだ。

12月1日(木) 柔らかウール・サンプル

一昨日、インドのganga工房から荷物が届く。
その片隅にひとつ、待ちかねていたものが入っていた。
ウールのサンプルだ。

三ヶ月ほど前の九月初旬、ganga工房スタッフともどもヒマラヤのガンジス渓谷を遡った
標高2500mの高地にある羊飼いの村で、羊毛の刈り取りが行われていたからだ。
その場で、柔らかそうな毛質の羊を選び、羊飼いに刈ってもらい、原毛を持ち帰った。
その原毛を、紡毛の専門家バギラティに托した。(織師マンガルの奥さん)
バギラティはそれを、仕分けし、洗い、梳(くしけず)り、糸に紡いだ。
その梳毛と糸のサンプルが送られてきたのだ。

とても柔らかくて良い感じ。
わざわざ出向いて行った甲斐があった。
ウールの専門家も言っていたが、望みのウールが欲しかったら毛刈りの現場に行くのが一番。
マフラーを織る時など重宝しそうだ。
グレーのウールは、先日のブラックボーイの毛が配合されているはず。

 


12月5日(月) 謎の染料

私ぱるばがここ十年来愛用してきた中国製の生地がある。
「土布香雲染」と呼ばれている。
どのくらい愛用しているかというと、作務衣二着、シャツ一着、パンツ一丁、さらには頭陀袋までこの布でできている。(さすがに褌はない)
濃褐色の色合いと、柿渋染のような独特のゴワゴワ感が良い。
ちょうど藍染のように摩擦で褪色するが、その褪せ具合も良い。

土布とは手紡ぎ手織り木綿地。
この春、それが織られている中国の農村を訪ねた。
ただ、香雲染については、何らかの植物の根だという以外、よくわからなかった。
染織に詳しい中国の友人も、祖母がむかし着ていたという以外、知らなかった。

先日、ネットで調べ物をしている時、この「植物」が何かわかった。
「薯莨」というものだ。
しょろうと読む。字面からイモのようであるが、いったい何物か。
どうやら我々にけっこう馴染みのある植物であるらしい。
紅露(くうる)だ。
紅露と言ったら、紅露工房の名にもあるごとく、沖縄・八重山特産の染料だ。
和名をソメモノイモという。

ただ、我々の知る紅露染めとはかなり様子が違う。
中国語のページを読み解いていくと、なんでも、薯莨で染めた後、その上に泥を塗って、南方の強烈な太陽に晒すらしい。
それによって化学反応が起こり、香雲染特有の質感が生まれる。
色目から見て、その泥にはきっと鉄分が含まれているのだろう。
泥と日晒しの作業は何度も繰り返される。
水に強く、もともと漁師など海辺の人々の作業衣に使われたらしい。
真木千秋によると、かつて日本のファッションデザイナーIM氏もこの生地を使って服を作っている。
紅露と泥で染め重ねるというのだから、貴重な染織品であったわけだ。

 


12月11日(日) エアインディアの機内にて

本日、ラケッシュがインド航空307便でインドに向かう。
今年三度目の帰国だ。
今ごろ、中国上空を飛んでいるだろうか。
最近、また日印間の交流が活発化してきたようで、インド航空の東京 — デリー便も週四便に増便されている。

近年経済成長が著しいとはいえ、インドの一般民衆とって飛行機で海外旅行など、まだまだ高嶺の花。
とりわけ、円高下の先進国・日本に行けるようなインド人はごく限られている。
1960年代に「日航機」でロサンゼルスに向かう日本人みたいなものか。

今年の9月、デリーから成田に向かうインド航空の機内。ラケッシュは二人のインド人と隣り合わせに座る。
それぞれ仕事関係で日本に渡航する男たちだ。ひとりは初めての海外らしい。ラケッシュも含め、とりたて裕福ではない普通のインド人たちだ。
ドリンクのカートが回ってきた時、三人ともウィスキーを注文する。インドではなかなかありつけない本場のスコッチだ。
グラスにウィスキーを注ぎ、三人で軽く乾杯を交わす。
そして、誰ともなく、ニヤッと笑う。
「オレたち、こんなところで、スゴいなぁ」という感覚だ。

今回、ラケッシュはタダで飛行機に乗る。
特典航空券だ。
インド航空のマイレージはなかなかワリが良く、4回ほど飛べば1回タダになる。
それで私ぱるばがホームページ経由で予約してやったのだが、イマイチ信じ難かったらしい。
出発が迫ると、プリントアウトしたEチケットを何度も何度も読み返している。
まあ、その気持ち、わからんでもない。
JALあたりの特典航空券ならまだしも、インド航空だったら、当日カウンターで、あ、コレ、ダメです、とかな。
いや、決してそんなことはないのである。
インド航空もがんばっているのだ。
無事搭乗券を手にし、機内に収まったラケッシュ。
もうここまで来たらこっちのもの、という感じで、真木千秋に電話をしてくる。
インド音楽は流れてるし、機内誌にはアミタブ・バッチャンが載ってるし、自家のリビングみたにリラックスしている様子だった。
きっと今ごろ、ウィスキーを飲みながら最新版インド映画を楽しんでいることだろう。

12月17日(土) 真木千秋の慢速時尚

先ごろ、台北でMakiの小さな展示会があった。
真木千秋も短時日であるが訪問してきた。
秋の一番忙しい時期で調整に一苦労だったが、すっかり台湾ファンになって戻って来た真木千秋であった。
食べ物が美味しいし、お茶も美味しいし、何より人々の明るく開放的なのが気に入ったようだ。
会場は「小慢」という中国茶の店。
私ぱるばも行ったことあるが、日本人にも人気のお洒落な茶房だ。
今回は展示会初日に、小さなファッションショーも企画される。

そのときの模様を報じた新聞記事が、昨日送られてきた。
題して「真木千秋の慢速時尚」。
慢速とは「スロー」、時尚とは「ファッション」という意味らしい。
スローライフをもじった言葉か。
「の」がそのまま台湾でも通用するらしいのが面白い。

以下、記事をちょっと訳してみると;

 「快速時尚(ファーストファッション)」はめくるめく速度で商品を換え、購買欲を煽る。しかし台湾にはそれを良しとしない人々もいて、「慢速時尚(スローファッション)」を黙々と支持している。上周六師商店街の名店「小慢」で小さなファッションショーが開かれた。日本のデザイナー真木千秋によるスローファッション作品だ。
〈中略〉
 彼女は自然素材のみを使って服を作る。そして素材がそのまま生かされている。たとえば、不揃いな絹糸とか、黒羊の毛とか。
 なぜ黒い羊毛なのか? 一般的には白い羊毛が好まれるが、それは染めるのに便利だからだ。黒い毛は染色に不適なので、黒羊は食用にされることが多い。そのため黒い羊毛は入手が難しい。彼女は笑っていう、「どうかみなさん黒羊を食べないで、全部私にください!」

 

12月22日(木) 呼び鈴

今日は冬至。
真木テキスタイルスタジオでは年末の大掃除。
そのついでに、スタジオの環境をちょっと整備する。
ウッドデッキのステップを直したりとか。

呼び鈴もそのひとつ。
今まで、母屋にもshopにもベルがなかった。
土日などスタッフの数も少ないし、冬になると戸を閉め切って奥で作業していることもある。
そこで呼び鈴を付けることにした。
今まで庭の小庵に下がっていた鉄製のカウベルだ。
真木千秋がデリーで買ってきたものだ。

インドでは牛の首にカウベルをつける。
これをつけておけば、牛がジャングルの中に入っても居場所がわかる。
小さいのから大きいのまでいろいろある。
小さいのは子牛用、大きいのは親牛用だ。
shopの入口に一番大きいのをつける(写真上)。
母屋入口には、一番小さいのから大きいのまで5連の呼び鈴(写真下)。
鳴らしてみるとわかるが、文字通り牧歌的で良い音なのだ。

で、あなたがshopに来たとする。
入口で誰も迎えてくれなかったら、まず大きいベルを鳴らす。
それでも誰も迎えてくれなかったら、徐(オモムロ)に母屋まで来て、玄関前のベルを鳴らす。
下から順次鳴らして、その音色を楽しむ。
一番上まで鳴らして、それでも応答がなかったら、それはまあ今日はご縁がなかったということだから、庭でも散歩して帰る。

 
 

12月23日(金) すばらしい茸

伊豆の飯田さんから椎茸が届く。
天城山中で原木から育てた生椎茸だ。
私ぱるばの手と比べるとわかるが、とにかく分厚い。
その量感がすごい。(写真上)
私も竹林で椎茸を育ててはいるが、やっぱりプロにはかなわない。

飯田さんは昔からMakiのお客さんだった。
中伊豆のお宅に伺うと、居間の座卓にMakiストールが広げられ、床の間には玄峰老師の書が掲げられたりしている。
一見、朴訥な農民。
普段は山に入って、チェーンソーで原木を伐り、駒を打ち込み、黙々と椎茸の世話に勤しむ。
時々、Maki青山店を訪れ、布を手に取り静かに眺めている。
その対照が良かった。

「日和子」と名づけられた飯田さんの干し椎茸は、Maki青山店で長らく取り扱い、皆さんのご好評を得ていた。
真木千秋いはく「こんなに美味しい干し椎茸はない!」。
そこでこのたび、久しぶりにお願いする。
昔とまったく同じ干し椎茸が送られてきた。(写真下)
来月7日からのハギレ市でお目見え!!

 
 

12月25日(日) パシミナの威力

クリスマスを迎え、ぐっと冷え込んだ日本列島。
ここ五日市も明朝は氷点下4℃まで下がるという予報だ。
やっと冬らしい気候になってきた。

真冬に真価を発揮するのが、パシミナ。
こちらでも紹介した通り、Makiでは、ラダック・チャンタン高原に棲息するパシミナ山羊の毛から織物を作っている。
本年10月の竹林shop五周年で初めてお目見え。
しかしあの頃はまだ気温が高く、パシミナの価値もイマイチ定かではなかった。

ところが先日、山形のSさんから便りがあった。
Makiパシミナショールの愛用者だ。
山形は最低気温が既に氷点下8℃まで下がっているが、パシミナはとにかく暖かい!!
ショールを一枚巻いているだけで、東北の寒気も完璧にブロックされるという。
それはそうだろう。チャンタン高原は氷点下30℃まで下がるのだ。
そしてMakiのショールは、その最高級パシミナをふんだんに使っている。
よく街で見かける薄手のパシミナと比べるとよくわかる。ずっしり重みがあるのだ。
だから寒気の遮断性も並大抵ではない。
(そのワリに価格はかなり安い!)

写真は、そのMakiパシミナショールの新作。
右側、三角形に積み上がっているのがそれだ。
バスケット織りで、色は白、グレー、茜。
来月7日からのハギレ市には竹林shop店頭に並ぶことだろう。
それからもうひとつ、パシミナはとにかく肌に優しい!

 


12月28日(水) 囲炉裏の端で

竹林母屋に囲炉裏がある。
ふだん忙しくしているとなかなか活用の機会がない。
しかるに、今日は来客あり。
チャンス!!
ってことで、火を入れる。

来客というのは、造形作家・増満兼太郎氏だ。
革製バッグや靴、ベルトなど増満作品は、真木千秋やMakiスタッフも常々愛用している。
特に立体の造り方など、氏に学ぶべきところは多い。
実は増満氏、来春、インドのganga工房にやって来るのだ。
向こうでいろいろ仕事を手伝ってくれるという。
Makiにとっては貴重な機会だ。
更には、来年12月、竹林で氏の展示会を開催! という話にもなる。
楽しみなことである。

やはり冬は囲炉裏端で物事は進捗するようだ。
囲炉裏は新年7日からのハギレ市の折にも火を入れる予定なので、進捗したい人は宜しく活用されたい。

 


 

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