絲絲雑記帳

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竹林日誌 10前/09後/09前/08後/08前/07秋/07夏/07春/06秋/06夏/06春/05秋/05夏/05春/04秋/ 04夏/04春/03秋/03夏/03春/02後/02前/01/99-0
0/「建設篇」


5月8日(火) 藍の芽

 インドの真木千秋から、「藍の種まき、よろしく!」と言われる。
 毎年、ここ東京五日市の拙畑で藍を栽培している。
 ただ、種まきは微妙に難しいのだ。
 遅霜にやられるのである。
 標高250mあるので、5月になっても霜が降るのである。
 それで毎年、何度かまき直すことになる。
 結局モノになった種まきは、昨年6月6日、一昨年は5月19日、その前は5月16日だった。
 それで今年も中旬まで待とうと思っていたのだが…

 今日畑で草取りをしていると、葉大根の芽の周囲に、なにやら小さな芽がいっぱい。
 どこかで見たような芽だなと思っていたら、これがどうやら藍のようだ。
 昨年、藍を栽培していたウネだから、種がこぼれたのだろう。
 タデ科だから、刺身のツマみたいだ。(食べられるかは不明)
 私の指先にあるのが、それ。大きな芽は葉大根。

 あたり一面芽生えていて、これだけあればウチの必要量はまかなえる。
 種まきの手間は省けたのだが…。
 はたして遅霜にやられず、成長するかどうか。

 

5月9日(水) 手起こし手刈り

今日も朝から野良稼ぎ。
藍を定植する土壌づくりだ。
植物に必要は栄養素は、窒素、リン酸、カリ。これは学校で習った。
今日はそれを畑に入れてクワで耕す。
窒素&リン酸の供給源は、先日長野の実家からもらってきた米ヌカ。
カリは木灰で施す。

先冬はあまり薪ストーブを使わなかったから、木灰が不足気味である。
そこで、近所にある「瀬音の湯」にもらいに行く。
私たちもよく利用する温浴施設だ。
天然木を燃やして熱源の一部にしているので、木灰がたくさん出る。それを利用するのだ。
ところが、「瀬音の湯」に着いて、びっくり。
ボイラー室が閉まっているではないか!!
聞くところによると、放射性物質の問題で、現在、木は燃やしていないというのだ。
こんなところまで福島原発の影響が出ているとは思わなかった。
仕方ないから、帰り道に、とある製材所に寄って、木灰をもらってくる。

ウチの畑は、このように、有機栽培だ。そして無農薬。
藍草もその例にもれない。
無農薬有機栽培の藍って、珍しいかも。
それに、畑仕事も、機械を使わず、すべて手作業だ。
手紡ぎ手織りというのはMakiのトレードマークだが、藍に関しては、それプラス、手起こし手刈り。
その効用についてはイマイチ定かではないが、まあ多少、色合いに違いはあるのかも。

5月10日(木) ganga工房の藍建て

現在、北インドのganga工房では、真木千秋と秋田由紀子が布作りに励んでいる。
五月と言えばいちばん暑い頃で、夕方5時で38℃だということ。
寒気の流入で天気の不安定なこちら東日本とは大違いだ。

そんな中、先月末から、藍建ても始まった。
南インドで生産されるインド藍を使っての作業だ。
上写真は今から半月以上前の4月24日、藍を仕込む真木千秋たち。
まったくの自然状態から建てる「地獄出し」なので、かなり難易度が高い。
今までの打率は5割を下回るかも。
ハイドロ(亜ジチオン酸ナトリウム)を使って化学建てすれば簡単なのだが、まあ、こうして微生物と格闘しながら建てるのが楽しいわけだ。

天然藍建てには、藍と水のほか、酒、糖分、アルカリが必要だ。
昨年は近所で造られる密造酒を使って成功したこともあった。
今年も!?と思ったら、そこの親父が捕まってしまったようで、今回は正規のラム酒を使う。
それからジャグリ(サトウキビ粗糖)や灰汁、石灰を適宜投入。
数日後、藍の華も立ち始め、順調に推移する。
ところが、今月に入ってだんだん元気がなくなる。
もうダメかと思った今週初め、酒と糖分を多目に補給すると、見事に復活。
こうやって経験を重ねていくのである。

一昨日あたりから絹糸を染め始める。
下写真は昨日染めたgangaの座繰り糸。
隣村マンジュラで穫れた繭を工房で手引きした糸だ。

 




5月11日(金) 発芽の秘密

ganga工房からインド藍の写真が送られてきた。
昨日の模様だ。
上写真は朝の藍甕。
7時15分、気温27℃。
表面には藍の華が咲き、元気さがうかがえる。
この甕で染めた絹糸は昨日の日誌に掲載。

下写真はインド藍の芽だ。
つい先日発芽したもの。
ここに至るまで、ちょっとした回り道があった。

ganga工房のある北インドの気温は、二ヶ月も前から三十度を突破している。
それで真木千秋も何度かインド藍の種を蒔いてみた。
ところが、いっこうに発芽しない。
インド藍の主産地はインドでも中部以南なので、今年はダメなのかなと半ばあきらめかけた。
5月に入って雨期も近づき、4〜5日前から空気が湿気を帯びてくる。
すると、以前蒔いた種から芽が出てきたのだ。
以前はいくら水をやっても発芽しなかった。
種は雨期の到来を察知するのであろうか。
このへんの機微が面白いところだ。

インド藍はマメ科なので、日本のタデ藍の芽(5月8日の日誌参照)とはチト違うことに注意。

 




5月12日(土) 津軽・美人の条件

 青森の弘前にいる。
 ここ津軽には、「こぎん刺し」という刺し子の伝統があった。
 今、弘前市立博物館でこぎんの特別展が開かれている。

 木綿の伝来する以前、庶民の衣服は麻が主流だった。
 大麻や苧麻だ。
 特に綿花の育たない北国では、農民は麻を育て、糸を績んでは織り、着用していた。
 農民は木綿製の外衣を禁じられたという経緯もある。外来の奢侈品だったのだ。

 麻は涼しい。
 そこで防寒と補強を兼ねて、刺し子が施された。
 最初はツギハギの延長で、布を重ねて刺していた。
 もともとは自家の素材、すなわち麻糸で刺したことだろう。
 そのうち、別の要素が加わってくる。
 女たちが刺す技を競うようになったのだ。
 創造性発揮の場である。
 そして刺す技が女の器量を表すようになった。
 器量好しとなれば、おのずと婚活にも有利だ。
 刺し子が精緻になると、布を重ねるわけにいかず、一枚の麻布に刺すようになった。
 糸も移入品の木綿糸を使うようになる。(その方が刺しやすいはず)
 それが「こぎん」と呼ばれるものだ。
 娘たちは7〜8歳の幼齢期から夜な夜なチクチクに励んだ。

 こぎんの基本は、藍染した麻布に白い木綿糸で刺す。
 藍と白とのコントラストが特長だ。
 娘たちは自分で績み織り刺したこぎんの衣裳をまとって、自らの器量を顕示する。
 刺す部位は上半身の胴体部分で、今でいえばヴェスト感覚。きっと暖かかったことだろう。

 


 こぎんが古くなると、まるごと藍染する。これを別名、カラスこぎんと言う。
 藍と白のコントラストは失せ、ぐっとシックな感じ。
 これは年輩の女たちが着用したという。
 もはや自分の技倆をことさら誇示する必要もない。着古された麻と木綿の合作は、より柔軟になって身体に馴染んだことだろう。
 展示品の中でいちばん目を引いたのが、そんな藍染こぎんの中の、紗綾形(さやがた)を一面に施した作。
 紗綾形を刺すのは難しいそうだ。下書き無しに刺すから、幾何学的な頭脳も必要だ。
 きっとコレを着用していた人も、さだめし別嬪だったことであろう。

 明治中期になり木綿の古着が津軽にどっと流入するに至って、こぎんの伝統はとだえる。
 もはや麻布に刺して補強&保温を図る必要もなくなかったからだ。
 目の細かい木綿布に刺すのは難しいという事情もある。
そして女たちの創造性発揮のフィールドも、余所へと移っていった。


5月17日(木) 脱力のganga工房より

昨日、真木千秋・ラケッシュ&秋田由紀子の三名は、インドでの仕事を終え、日本に向かって飛び立つ…
はずであった。
ところが、デラドン空港に到着したところで、デリー発成田行きインド航空便の運休が判明し、急遽、滞在を延長することになる。
パイロットがストライキをしているのだ。
インド航空のストライキは先月末から国内線を中心に行われてきたが、それが国際線にも影響してきたというわけ。
しかしながら、三日前に予約の再確認(リコンファーム)を行っているにもかかわらずの運休だ。運休についての連絡はどこからもなかった。インド航空のサイトを見ると、隅っこに掲載されてはいるが、そんなもの誰が見るだろう。やっぱりのんびりした国なのだ。
二日後の便は飛ぶようで、その便に変更する。
というわけで、突如、二日の時間ができてしまった。
四十℃になんなんとする北インドで、三人とも一挙に脱力し、再起不能。
その後、気を取り直した真木千秋が送ってきた写真;

インド北端の高地・ラダックから、今年始めて、パシミナの原毛(フリース)と、糸が届きました。
写真上は、数日前に織り始めたショールです。ヨコ糸には藍で染めたパシミナ糸もちょっと差し色に入れました。
パシミナの糸づくりは、一日じゅう紡いで100gです。本当に軽い繊維なのです。

下写真は三日前。gangaの座繰り絹、黄繭糸、ウール、そして、パシミナを藍で染めました。
良い色が出たと思います!

まきちあき

 



 


5月18日(金) 残糸・残布

布作り・服作りをしていると、どうしても、残余の糸や布が出る。
それもすべて手で作ったものだから、捨てるに忍びない。
どうにかして使えないものか?

そこでganga工房では、たとえば残糸は、手先の器用な老人(某スタッフの父親)に渡し、紐に撚ってもらっている。その紐を巾着に使おうと企画中だ。

右写真はウールのハギレを使った織りマット。一辺15cm。昨日、昼寝後に真木千秋と秋田由紀子で考案したものだ。

ところで、インド航空のストで足止めされている真木千秋一行三名。
予定では、本日、現地時間13:05のインド航空国内線でデラドン空港からデリー空港に飛び、夜21:10のデリー発・成田行きインド航空便で離印することになっている。成田便は先ほど再確認したところ運航するようだが、デリーに到着したら再度確認してほしいとのこと。少ないパイロット&機材でやりくりしているのだろう。なお明日と明後日の成田便は運休だ。
国内線は運行していて、もうじき搭乗なのだが、さて、その先はどうなることやら。「後は野となれ…」の心境の真木千秋である。

 




5月29日(火) マサラ・ドーサ

一週間後に迫ったカディ展
久々にオープンする竹林カフェのメニューは、マサラ・ドーサ。
今日はそのリハーサルだ。

ドーサというのはもともと南インドの料理だが、今や首都デリーなどインド中の街で人気の定番メニューだ。
言ってみれば米のクレープ。詳しく言うと、米7+ウラッド豆2+ヒヨコ豆0.5。
鉄板の上でクルッと巻いた内側には、マサラ(ジャガイモカレー)が入っている。
(ちなみに、マサラの入ってないのは、「プレーン・ドーサ」と呼ばれる)

下写真のように供される。
手前のボウルがサンバル(南インド風・豆カレー)、その上のボウルがサラダ、そして四種のチャツネ(左から、トマト、タマリンド、コリアンダー、ココナツ)。
これらと一緒にドーサを食する。香ばしくてウマい!! 特にラケッシュ特製のチャツネは特筆モノだ。
インドではもちろんインド種の米をすりつぶして使うのだが、今回は日本のコシヒカリ(田中ぱるば実家産)で作る。インドのドーサよりモチッとした食感で、日本人向きかも。

竹林カフェにドーサの登場は二年ぶり。
請うご期待!!
6月8日(金)〜6月14日(木) 12:00〜15:00

 
 




6月2日(土) 琉球黄繭のなぞ

 久米島を訪ねる。
 久米島と言えば、久米島紬で有名だ。
 様々な手織文化の残る沖縄の中でも、絹織物の中心地がこの島だ。
 今でも多くの婦人たちが手機に向かっている。
 かつては養蚕からの一貫生産だったが、戦後、島での養蚕もとだえ、繭や糸を島外に求めるようになる。そこで近年、もう一度養蚕の可能性を探ろうという試みがなされている。

 久米島紬の共同作業所である「ゆいまーる館」を訪ねると、黄色い繭が収穫されたばかりであった。
 「琉球多蚕繭(りゅうきゅうたさんけん)」と呼ばれる品種だ。
 かつて久米島で養蚕されていた黄繭だという。
 今年が初めての試みで、地元の新聞にも華々しく掲載されていた。

 黄繭というと、我々もインドで「マルダ」という黄繭のお世話になっている。熱帯性の小さな多化性(一年に何度も繁殖する)の蚕だ。
 琉球多蚕繭という名前を見て、これもきっとマルダ種と近縁の熱帯性多化性蚕種だろうと思った。
 実際の繭を見せてもらったところ、しかしながら、インドのマルダ黄繭と比べるとだいぶ大振りだ。繭の形も独特である。(写真右)。マルダ黄繭は大きさが小指の先くらいだ。久米島博物館の学芸員・宮良みゆきさんによると、琉球多蚕繭には二種類あって、写真右側の濃黄色が「静岡」、左の淡黄色が「黄綾」だという。
 この琉球多蚕繭は繰糸が難しく、生糸は挽きづらい。それで真綿にして紡ぐのだという。

 いろいろ調べてみると、この琉球多蚕繭は、一化性だそうだ。つまり一年に一度しか繁殖しない。それに驚くべきことに、玉繭率が51%とある。つまり半分は玉繭になるのだ。(玉繭とは二頭以上の蚕が一緒になってひとつの繭を作ること)。
 どうやら、我々のマルダ黄繭とは別系統らしい。

 


 「多蚕繭」の「多」は、玉繭の比率の高さに由来するとも言われる。繭の中に複数のサナギが居るので「多蚕」ということなのだろう。
 こうした特性を持つ黄繭がどのように久米島に、ひいては沖縄に伝わったのかは、今のところ定かではないようだ。

 生糸が挽きづらいということで、かつての久米島紬は諸紬(タテヨコとも紬糸)だったという。現在の久米島紬は主に、タテに生糸、ヨコに紬糸を使っている。
 琉球多蚕繭は繊度が小さく、現行白繭の半分近い細さだ。細い割には強靱だという。これはマルダ黄繭と同じだ。原種に近い繭の繊維はそのような性質を持つのかもしれない。
 従って、紬糸も細くできるだろうし、そこから織られた紬の風合いも違ってくるだろう。

 久米島での琉球多蚕繭飼育はまだ実験段階のようだが、今後どのような推移をたどるか興味あるところだ。


6月5日(火) 双葉より青し

週末からのカディ展で忙しくなる前に、藍草の定植をする。
今後のこともあるから、覚え書きとして記しておこう。

毎年のことではあるが、藍草は難しい。
一ヶ月前(5月8日)の雑記に、こぼれ種から芽生えた藍草のことを書いた。
ただ、以前、こぼれ種の芽は、遅霜で全滅したことがある。
それで5月の16日と24日に、藍の種蒔きをする。この種は昨秋に採取したものだ。
ところが、それらの種からは未だ発芽しない。
幸い、こぼれ芽は、遅霜にやられることもなく、順調に生育する。
そこで今年は、そのこぼれ芽を苗にして定植することにする。

ただ面白いことに、柔らかいウネの上に生えた芽よりも、踏み固まった通路に生えた芽の方が成長が良い。これはおそらく連作障害なのであろうか。そのウネには前年、藍草を育てている。
今回定植した苗は、通路に芽生えた藍草だ。

通路に芽生えたせいで、農作業中に踏まれたものもある。
下写真がそれだ。
踏まれても頑張って生きているが、よく見ると、傷ついた部分が藍色に変色している。
これは葉に含まれる藍成分インディカンが、滲出して酸素に触れ、藍色素インディゴに変化したものだろう。

栴檀は双葉より芳しと言うが、藍草も幼苗から青いわけだ。
これで正真正銘の藍だと分かる。
なにせタデ科である。間違えてアカマンマを定植したら洒落にもならない。

 





6月7日(木) 明日からカディ展

 明八日からいよいよカディ展。
 初日の天気も気になるが、それと同じくらい大事なのが、前日の空模様だ。
 なにしろ六百坪ほどある敷地だから、皆さんを迎える準備も大変なのだ。

 竹箒や熊手などを持って、全員総出の外掃除。
 ホトトギス鳴く初夏の陽気が気持ち良い。(写真左・庇の上の私ぱるばに注目! 雨樋の清掃)

 キッチンでは久しぶりシェフ・ラケッシュの準備作業。
 明日から供するマサラ・ドーサの薬味であるチャツネ作りだ。
 チャツネというのはそもそもヒンディー語の chatni が元。
 各家庭で主婦が作り、いつも食膳に並んでいる。

 南インド料理・ドーサの薬味であるから、南インド風のチャツネだ。
 右写真はコリアンダー・チャツネを作っているところ。
 このコリアンダーはウチの畑から今朝収穫してきたものだ。
 葉っぱをちぎり、ココナツ、ヒヨコ豆、青唐辛子、クミンシード、ヒングとともに菜種油で炒め、それをミキサーで挽いて出来上がり。これが非常に美味。
 コリアンダーチャツネも地方によって様々で、たとえば北インドのラケッシュ家では、ココナツやヒヨコ豆の代わりに、ミントやネギを入れる。

 こうしたチャツネが、今回、4種類ほど添えられる。目立たない存在であるが、ランチを注文した人はもれなく賞味して欲しい。
 ドーサ(米クレープ)とサンバル(豆カレー)はおかわりができる。

 







6月12日(火) ドーサ&アド街ック

 カディ展五日目。
 梅雨空にもかかわらず、諸方から来客を頂く。

 上写真は、今イベントのランチ、マサラ・ドーサ。
 なかなか好評である。
 以前もご紹介したが、この「クレープ」はコシヒカリを使用している。
 世界でも類を見ないコシヒカリ・ドーサだ。シコシコとした食感が良い。
 なかなか食べられるものではないので、次回のイベント(7/6-7/11えみおわす展)でも出したらどうかと提案しているのだが、さてどうなることか。
 どうしても食べたい人は、今週木曜までやっているので、この機会にどうぞ。

 もうひとつ。
 昨日、テレビ東京「アド街ック天国」の収録があった。
 「涼しいあきる野」というテーマらしいが、確かに今日など、非常に涼しい。
 5人ほどのクルーで、二時間くらいでサッと収録して行った。
 放映は7月28日の土曜ということ。みなさんの地方では流れるかな?
 私ぱるばもインタビューされたが、果たしてカットされず放映されるか!?

 
 




6月17日(日) 節電とコスト

 本日付の朝日新聞に、節電についての企業アンケートが載っていた。
 100社のうち22社が、「節電努力により経費節減できた」と答えている。
 ウチはどうだろう。
 昨年7月、ささやかなる設備投資をした。竹林shopや母屋内の白熱灯のいくばくかをLED電球に換えたのだ。5万円ほど経費がかかったろうか。
 同時に、スタッフに対して、ちょっと口やかましく節電を指導する。
 そのお陰かどうか分からぬが、昨年7月〜今年4月まで十ヶ月間の「水道光熱費」が、前年比約20%減。金額にして13万円も経費節減できたのだ。
 まあ、比較対象期間に含まれる一昨年夏は記録的猛暑だったし、水道代も入っているので、そのまま額面通りには受け取れまいが、それでも設備投資代は軽くクリアできたろう。(それにLED電球の寿命は4万時間!?)
 それでもまだ節電の余地はある。たとえばshop内にはハロゲンタイプの白熱球が十個以上残っているし、ウチのスタッフも油断していると無駄な電気の使い方をしている。
 政府は大飯原発の再稼働を決めたらしい。つまらぬ判断を下したものだ。ほかにやることはいくらでもあろうに。

 




6月20日(水) 繭が来た2012

 6月には珍しい台風一過の今日。
 スタジオに赴くとケヤキの枯れ枝が多量に落下し、片付けにおおわらわ。
 もっとも、枯れ枝はいずれ落下するものだから、こういう機会にいっぺんに落下してもらったほうが、安全で効率的とも言えるだろう。

 午後、隣市・八王子の長田誠一さん来訪。
 春繭10kgを届けてくれた。
 もう十年以上になるだろうか、毎年、届けてもらっている。
 桑都八王子の養蚕農家も、昨期からは、長田家を含め、ついに二軒のみなってしまったそうだ。
 「種が手に入る限り自分は続ける」と頼もしい誠一氏。(写真左側の人物)
 その蚕種であるが、群馬の蚕種店から供給される錦秋鐘和(きんしゅうしょうわ)という品種。日本では一般的な蚕だが、特に今年はかなり大振りの印象だ。
 長田さんのところでは年に二度、春秋に養蚕を行う。春繭の糸は、太く長く、しっかりしている。秋繭は糸が細目で、それを好む人もいる。ただ、最近は、9月になっても暑く、秋の養蚕は難しくなってきているという。
 Makiではいつも春繭をわけてもらっている。明日からさっそく糸挽きだ。

 




6月23日(土) 座繰りの季節

 竹林カフェに座っていると、鳥たちの囀りに交じって、コオロギの鳴き声のような音が聞こえてくる。
 生糸の座繰りだ。
 今週水曜に八王子の長田養蚕から届いた春繭から糸を挽く。

 今日で三日目。
 真木千秋(写真上・左側)と秋田由紀子(右側)、およびラケッシュの三人がかりでやっている。もう20カセくらいは挽いた。
 秋田由紀子は新人ではあるが、西表島の紅露工房で研鑽を積んでいるので、糸挽きも手慣れたものだ。
 写真下が、挽かれた糸カセ。

 梅雨のこの時期は、座繰りに好適だ。
 湿気があるので、挽いた糸が乾かなくて良い。
 インドのganga工房でも同様の座繰り機で生糸を挽いているのだが、乾季など挽くそばから乾燥してしまって、なかなか苦労している。

 ここで挽かれた糸は、今夏、藍の生葉で染められる。
 その後、我々と一緒にインドに渡り、織師シャザッドなどの手を経て、ストールに織り込まれることになる。

 




6月28日(木) 白髪太夫

弊スタジオの経理を見てもらっている税理士K氏は、真木貞治氏(千秋父)のご学友である。
今年傘寿を迎えるが、少年時代を信州の木曽で過ごした。
本日、仕事で来訪。スタジオに干してある座繰り生糸を見て、自らの「蚕糸体験」を語る。
それがチト変わっているのである。
テグスづくりだ。

相手はカイコではなく、シラガダユウ。一般的にはクスサンと呼ばれる。
栗の木につく大きな毛虫だが、K少年たちはそれを素手でつかまえる。
そして、頭をちぎり、それ走れ! と言って、二人で反対方向に走る。
頭と胴体は絹糸腺(けんしせん)で繋がっており、その中には蚕糸の素が液体状で詰まっている。
少年たちが反対方向に走ると、その絹糸腺が伸びるのだ。
30メートルほど走ると、絹糸腺は1mmほどの細さになる。
しかしそれでは魚に見破られてしまう。
100mmほど走ると、もっと細くなり、魚には見えないテグスになる。
それを木にひっかけておくと、一時間ほどですっかり乾く。
そのテグスに針を結び、餌を付けて木曽川に垂らすと、よく魚が釣れたそうだ。
ハヤとかタナビラ(アマゴ)とか。

シラガダユウはときどき山野で大発生する。
チト気味悪いから、手で触る気にはならない。
しかし樟蚕(クスサン)と呼ばれるくらいだから、やはり蚕糸昆虫なのである。
テグスづくりのために中国で養蚕された「テグスサン」は楓蚕(フウサン)という野蚕だが、クスサンもまた「テグスサン」と呼ばれ釣り糸づくりに利用されたらしい。

6月30日(土) 梅雨の晴れ間に

 ここ三、四日、梅雨の中休みで、わりあい天気が良い。
 来週からはえみおわす展もあるし、スタジオ周りの環境を整える。
 とは言っても、六百坪近くあるから、なかなかタイヘンなのだ。昔の青山店みたいなわけには行かない。

 四年前、表の都道(秋川街道)沿いに竹柵を作ったのだが、最近は傷みも目につく。
 そこで庭師のO氏に修復してもらう。(右写真の人物)
 材料の孟宗竹はいくらでも生えているので便利だ。

 夏至も過ぎ、昨日は今年初めてヒグラシも鳴く。
 雲間から洩れる陽光はすっかり夏だ。本気で照りつけられると、汗が滝のように流れる。
 写真右端で草刈をしているのは私ぱるば。この歩道を通勤・通学路としている人々もいるので、たまには手入れしないといけない。それに、キレイにしておかないと、ゴミをポイ捨てする不心得者もいるのだ。
 いったんスタジオの敷地内に入ると、ケヤキの木陰が拡がり、ホッと一息だ。

 



7月6日(金) 蚊遣り

 今日からえみおわす展
 お陰さんで数多くの皆さんのご来訪を頂く。
 しかしながら、ときあたかも梅雨後半戦。
 高温ジトジトで、ヤブ蚊も元気。
 庭では野外ランチを楽しむお客さんたちもいる。
 ヤブ蚊も一緒に楽しくランチ…ってのはチト困る。
 ただ、六百坪をカバーする蚊取り線香もなかなか無い。

 そこで一計を案ずる。
 カマドで火を焚くのだ。
 通常は草木染めの煮出し用に使っているカマドだ。
 幸い、先日の台風やら竹林整備やらで、タキギはいっぱいある。
 これで火を焚くと、その煙で蚊も逃げて行く。

 焚き火の匂いというのも、なかなか良いもんだ。
 というわけで、火遊びに励むえみおわす展初日であった。

 




7月18日(水) 養蚕起源譚

 養蚕といえば、かつては非常に重要な産業であった。
 その故地とされる中国では、養蚕の起源は、伝説上の帝王である黄帝の妃・西陵氏に遡るとされる。
 日本の養蚕も中国から渡来したものであろうが、その起源として、ちょっと変わった話が伝わっている。

 昨日から、ゆえあって岩手県の遠野に来ている。
 こちらでは、養蚕の起源に、とある悲しい異類婚姻譚がかかわっている。
 言うまでもなく、おしら様だ。
 柳田國夫の「遠野物語」で紹介され広く世に知られるようになったが、かいつまんで言うと:

とある父ひとり娘ひとりの農家。飼っている馬と娘が恋に落ち、結ばれてしまう。それを知った父親が激怒し、馬を桑の木に吊して殺してしまう。それを知って悲しむ娘、やがてその馬と共に天上に昇り、二度と帰らぬ人となる。ひとり娘を失い泣き悲しむ父親に、娘が夢枕に立ち、養蚕の技を教えた — 。

 しかし、なぜ養蚕の起源に、このような異類婚姻譚、しかも悲話が求められるのか?
 我が故郷である信州上田には、おしら様も居ないし、このような話もない。
 おしら様とはもともと、馬と娘の二体一組の神像で、桑材でできている。母系制の集団に伝わる信仰だとも言われる。お告げをしてくれるから、「お知らせ様」が語源だという説も。
 おそらくは、そこに後から養蚕が伝わり、養蚕は主に女の仕事であり、またおしら様が桑の木からできていることもあって、この異類婚姻譚が形成されたのかもしれない。「おしら」が繭の白さを連想させたとか。
 これはあくまでも私の想像。もうすこし調べてみる必要があるだろう。

 …と思ってネットを探ってみると、古代中国に、これとよく似た「馬娘頭伝説」という養蚕起源譚がある。
 さっそく関連書籍を取り寄せ追究してみることにする。〈続く〉


 

7月20日(金) 名前募集!!

 インド出張を四日後に控え、大忙しの竹林スタジオ。
 今、何をやっているかというと、「ganga秋の新作」、発表の準備だ。
 今日はたまたまひんやり涼しく、ウールの感触も心地良い。

 この作業でいちばん頭を悩ませるのが、いつもながら作品の命名だ。
 写真の新作は「ウール折り返し織り」を綴(は)いで作った、ショール(左)、および、ブランケット(右)。
 なかなか良い名前が思いつかず、いつも立ち往生してしまう。
 レンガとか、ハシゴとか、窓とか、はなはだボキャ貧(古い!?)、イマジネーションの欠如だ。萩の月とかモンドリアンとか、やっぱダメみたい。

 というわけで、みなさんから大募集!!
 なにか良い名前があったら、par877@itoito.jpまでよろしく!
 採用分には当該作を進呈!というわけにもいかないが、チャイくらいは出るかも!?
 

 

7月25日(水) インドの田植え

 本日早朝、インド着。
 真木千秋はデリーで仕事。
 私ぱるばとラケッシュは、ヒマラヤの麓、ganga工房までやって来る。

 日本は梅雨も明けて暑いようだが、こちらはその逆。
 今年の北インドは、なかなか雨が降らず、往生したようだ。
 なんでも25年来の猛暑で、ここデラドンも47℃を記録したという。
 一週間ほど前からやっと雨が降り出し、暑さも和らぐ。
 今朝も大雨が降って、日中の最高気温は30℃を上回らなかった。湿気は高いが。
 インドの雨期は陽性で、日本みたいに一日中降ったりはしない。一時間ほど降って、あとは曇り空だ。

 工房の前の田んぼでは、今日、田植えが行われた。
 ホントは7月初めにやるんだけれども、雨が降らずに、ここまで遅れた。
 代掻きはトラクターだが、後は手で植える。
 昔なつかしい風景だ。

 この田んぼ、冬の間は麦畑だった。つまり二毛作ということ。
 今は水を張られて、すっかり水田だ。
 夜になるとあちこちで蛙が鳴き、これもまたなつかしい。

 



7月26日(木) ヤバいフルーツ

 インドへ来ると、メシはウマいし、運動の機会は少ないしで、どうしても目方がup気味。
 そして、ここにまたひとつ、脅威が…。

 ganga工房の新しい敷地へ行って来た。
 もともと果樹園だったので、南国のフルーツがいっぱい。
 その中に、何本か、ジャックフルーツの木がある。
 人間の頭くらいの巨大な実が成るのだ。
 7月末ともなると、もうシーズンも終わりなのだが、それでも、最後の果実が採れた。
 成熟果ひとつと未熟果ふたつ。

 ジャックフルーツには、今まであまり縁がなかった。
 売ってはいるが、でかすぎて、食指が動かない。
 それでも、せっかくだからちょっと試してみると…

 成熟果は、驚いたことに、ドリアンに似ているのだ。
 大きさや形状のほか、種子にねっとりまとわりついた果肉を食うところもそっくり。(写真中)
 香味ある甘さで、かなり好きかも。ただ、ドリアンみたいなキケンな刺激はない。

 そして、もっと驚くべきは未熟果だ。
 インドでジャックフルーツは、果物というより「野菜」として知られている。
 ちょっと高級な野菜だ。
 未熟果をサブジ(野菜カレー)にするのだ。(写真下)
 その濃厚な味と歯ごたえは、マトンを彷彿とさせる。
 種子もコリコリと柔らかい。
 他に類を見ないベジタブルで、食も進む。
 5〜6月の旬の頃はもっとウマいらしい。
 かなりヤバい食材だ。
 ちなみに、日本語では「波羅密」と呼ばれるんだそうだ。有難い果実なのである。

 敷地にはマンゴーの木もたくさんある。
 また、近所には茘枝(ライチ)の果樹園もあり、当地の名産となっている。
 どちらも5〜6月がシーズンだ。
 5〜6月と言ったら、北インド・酷暑のシーズンだ。四十℃は簡単に超える。
 やはり南国は夏に行け…か!?

 そうそう、明後日土曜、夜9時、テレビ東京「アドマチック」に、弊スタジオが登場するみたいだから、ヒマな人は観てください。

 




7月27日(金) 盛夏のふんどし

 本日はこちら北インドも陽が出て、気温はぐんぐん上昇。
 その上、湿度も高く、不快指数は並大抵ではない。
 こんな時は、下着も涼しいのをつけたいものだ。
 そこで、おススメ、極薄カディ綿ふんどし。

 これはこの3月に開発し、私も四ヶ月間、人体実験をしているのだが、かなりのお気に入りだ。
 だいたい、木綿ふんどしは男にとって暑苦しく、私は冬でも絹製を愛用している。
 ところが、この極薄カディは別。
 今日みたいな熱帯雨林的気候でも快適なのだ。

 生地は西ベンガル州のガンジー・アシュラム(道場)で手紡ぎ手織りされている。
 生成のオフホワイト。洗ってもすぐ乾くし、旅行にもかさばらない。
 どういうわけか生地の価格が下がったので、思い切って値下げする。2940円→2500円!
 たぶん国庫補助が出てるんだろうなぁ…こんな値段ではもったいないような上質の手織地だ。
 現在、竹林shopに在庫あり。私に騙されたと思って、一度身につけて欲しい。郵送対応。

 ところで、今夜はオリンピックの開会式であるな。インドでは深夜なのでさすがに観ないけれども、さて、日本選手団はどんな格好をして現れるのだろう。残念ながら今回も当スタジオにはコスチュームデザインの依頼はなかった。私だったら、男子は裸にして化粧まわしをつけて歩かせるが…。

 



7月28日(土) ヤク・ウール

 インド北端、ラダックからヤクの毛が届く。
 ヤクというのは、別名チベット牛。チベット高原など高冷地に棲息する。

 上写真、真木千秋の左手が届いた原毛。カーディングしてある。
 たいへん柔らかい。パシミナほどではないが、それに準ずる感じ。
 真木千秋の右手上にあるのが、その原毛から紡いで糸にしたもの。右側の人物バギラティが試験的に紡いだものだ。

 下写真は、昨年5月ラダックを訪れた際、標高4500mにある遊牧民の村で写したもの。朝、原野に出かけて行くヤクの群だ。
 ヤクは遊牧民にとって、毛ばかりでなく、乳や肉、荷役用の家畜として重要な存在だ。
 写真で見るごとく、ほとんどが黒毛だ。外側の長い黒毛は硬質で、ロープや敷物に使われる。

 今回送られて来たウールは、内側に生える柔らかい冬毛。
 高原が夏を迎える7月 — 8月に採毛される。
 パシミナ山羊は熊手みたいな道具で梳き取られるが、ヤクは素手で採毛されるという。
 内毛の色は上写真に見るごとく、黒褐色だ。

 伝統的にはヨコ糸に用いられるようだが、糸にしてみたところ、太さにもよるが、タテにも使えそうだ。
 絹などと混ぜれば、まだ細い糸が紡げるだろう。
 パシミナには無い濃色も魅力だ。
 さて、どんな織物が生まれるか楽しみだ。

 




7月29日(日) 雨間の植樹

 今日は日曜日。
 ganga工房は休みだ。
 にもかかわらず、中心メンバーは朝7時前に集まって、新工房の予定地へ出かける。
 木を植えようというのだ。
 茘枝(ライチ)、ザクロ、バナナ、桃、梨、レモン、チクー、ジャムー、栴檀(ニーム)…。その数25本ほど。
 ほとんどが果樹だ。染織とはあまり関係ない。やはり色気より食い気か。
 もともと果樹園だった場所だ。マンゴー樹など数え切れないほどある。

 雨期の今が植樹のチャンスなのだ。
 一昨日、街の苗木屋で買ってきた。店のお姉さんは、「みんな木を伐るのに、あんたたちそんなに植えて、アシュラム(道場)かなんか?」と怪訝な表情。
 聖地リシケシも近いことだし、いっそのこと道場にするか!?

 



7月30日(月) ギッチャ撚糸

 デリー工房に戻った真木千秋。
 織師イスラムディンに託した織り出しをチェックする。
 織り出しというのは、機にタテ糸をかけた後、幾つかのヨコ糸パターンを指示し、織ってもらうことだ。
 同じタテ糸でも、ヨコ糸パターンによって、できあがるストールは、かなり違った表情を見せる。
 右写真の中に、同じタテ糸で、ヨコ糸パターンの違うストールが三枚あるけれども、わかるかな?

 このストールは、久しぶりの「ミスト・ミックス」と呼ばれるもの。
 様々なシルク糸を織り込む難しい作だ。
 今回の特長は、ギッチャ撚糸を用いたこと。
 写真の手前にある糸カセがそれだ。
 これはナゾの糸である。どのように作られるか、まだ見たことがない。
 通常のギッチャ糸は、タッサーシルクの屑繭からズリッと繊維を引き出し、太腿や壺底で軽く撚りをかけて糸にする。
 ギッチャ撚糸は、それよりもしっかり撚りのかかった単糸だ。おそらくチャルカ(糸車)で撚りをかけるのだろう。
 ギッチャ糸より細くて均一、そして光沢も異なる。

 特に今回のギッチャ撚糸は、今までのものより細くてキレイだ。
 それを二本引き揃えてヨコ糸に入れてみた。金色の部分がそれだ。
 手作り糸だから、毎回同じものが来るとは限らないのである。
 赤い部分はインド茜で染めたマルダ(家蚕黄繭)絹糸。

 難しい織りだが、思えば織師イスラムディンも腕を上げたものだ。初めの頃はどうなるかハラハラしたものだ。(もう二十年も前の話だが)
 今はラマダン(断食月)なので、昼間は飲み食いせず、仕事に励んでいるようだ。


 


 このギッチャ撚糸は、中部インド・マディアプラデシュ州の産。
 細くてキレイとはいえ、やはり手紡ぎ糸なので、不均一の面白さがある。
 インドにはまだまだ未知の糸があるものだ。
 今度はこの糸をタテ糸に使ってみたいと、嬉しそうな真木千秋であった。


8月9日(木) ハルシュタットの超古布

 オーストリア中部、ザルツブルクの近くに、ハルシュタットという所がある。
 高校の教科書にも出てくる「ハルシュタット文化」と言えば、中部ヨーロッパの先史時代、青銅器・鉄器文化として有名だ。
 その元祖ハルシュタットには、古代の塩抗跡がある。当時、そのあたりに住んでいたのはケルト系の人々だ。
 ハルシュタットでは様々な遺物が発掘されているが、その中に、ヨーロッパ最古の染織品がある。
 有機物である織物は遺品として残りにくい。ところがここは塩抗だったので、繊維製品が「塩漬け」となって今日まで保存されてきた。
 多くは坑内の遺棄品だったらしい。使い古され捨てられたものが、塩に埋まって残ったのだ。3500年 — 2500年前に遡る古代のハギレだ。(写真上)

 先日訪れたウィーンの自然史博物館で、「ハルシュタットの色」という特別展が開かれていた。
 繊維素材の多くはウールだ。
 羊はこのあたりの土着種で、その羊毛を使った。
 まず原毛を洗って叩き、粗毛を除く。
 そして、よく梳(くしけず)って繊維を整える。炭化した梳毛器が展示されていたが、私たちの使っている梳毛器とほとんど同じだ。(写真中。上部にあるのが復元品)
 それを紡錘を使って紡ぎ、糸にする。

 注目すべきはその色だ。
 羊の原毛で白からグレー、茶、黒。
 それから植物染料で、黄、茶、青、緑、そして赤系の色も出していたようだ。媒染の技術も既に存在していたという。
 青は藍で出す。藍草は当地で育つヨーロッパ大青(たいせい)だ。生葉で染めたか発酵させたかは定かでない。
 緑は黄と藍を重ねて出している。

 19世紀に化学染料を発明し、天然染料の出番がほとんどなくなったヨーロッパであるが、これを機に「持続可能な染料」を見直そうとの動きもあるようだ。

 




8月11日(土) 幻の霞空羽

 インドの首都、デリー工房で仕事中。
 現在、午後1時。気温32℃、湿度70%。日本と比べてどうかな?
 北インドでは最近二日間にわたる大停電があったようだが、今も停電している。日々の小停電はごく当たり前のことだ。日本みたいに騒ぎはしない。
 工房では灯油発電機で給電しながらの作業だ。頭上では扇風機がガタガタ異音を発しながら回っている。いつプロペラが落ちてきはしないか心配だ。

 今日の作業は、秋冬のストールづくり。
 「霞空羽(かすみあきは)」というストールだ。右上写真はそのヨコ糸を選んでいるところ。「私もついにメガネをかけて糸を見るようになったか…」と慨嘆する真木千秋。
 緑系の霞空羽だ。緑は黄色染料とインド藍を重ねて染めている。(基本的にハルシュタットの超古布と同じ)。黄色は主にザクロ染めだ。ハルシュタットではカモマイルやタムラソウの類で黄色を染めていたという。
 右下写真は機にかかった緑系霞空羽のタテ糸。カリスマ織師のシャザッドが糸を整えている。

 左下写真は、今企画中の新色・霞空羽。
 金色のムガ蚕、青紫はログウッド、赤紫はラックダイ、そこに緑で色を差そうと考え中。

 糸の上に載っているのが、霞空羽のサンプルだ。
 このストールは私ぱるばの所有物。ヨーロッパ用にと持参したのだが、当地も記録的な暑さで使用する機会がなかった。
 実は真木千秋もひとつ持参していたのだが、パリの街角で肩から外し、バッグに巻き付けたところ、いつのまにか霞のごとく消え去った。
 Makiのお客さんの中でときどきストールをなくされる人がいるのだが、その気持ちがよくわかるのであった。
 「かわいそう…。誰か使ってくれたら良いんだけど…」とつぶやく真木千秋。さあ、どうだろう。しかるべき人に拾ってもらえるか。ウィーンもパリも、日本ほど手づくり織物に関心があるようには見受けられなかったのだった。

 




8月13日(月) デラドンの空

 昨日、約二週間ぶりにヒマラヤ山麓、ganga工房に戻る。
 現在、日本から四名が工房滞在中。(真木千秋、秋田由紀子、田村朋子、私ぱるば+ラケッシュ)。
 今日は週の始めの月曜なので、朝、9時にみんなで集まって朝礼をする。

 数えてみると、現地スタッフが14名も。
 三年前にラケッシュとサンジュー(工房長)の二人で始まった工房が、おかげさんでここまで成長してきたというわけだ。
 そのうち半分は首都デリーから当地に居を移しての参加。
 私たちも昨日デリーから移動してきたのだが、五日市の田舎に慣れた身には、ここデラドンの空気は心地良い。

 北インドはまだ雨期の真っ最中。
 今日は雨こそ降らぬが、一日中曇天だ。
 現在、16:43、気温28℃、湿度78%。まずまずしのぎやすい天気だ。

 写真左下の物干し台。
 何の変哲もないシロモノだが、実はあつらえ品だ。
 インドには無い。
 日本で目にしたラケッシュが、これは優れ物と、当地の金物屋に作ってもらったのだ。
 日本はやはり便利な国なのですよ、みなさん。
 なんでもオーダーメードできるインドもスゴいが。

 


 


8月14日(火) 切り繭と細ナーシ糸

 ここganga工房はウール素材を使うことが多かったが、シルクも徐々に活用されている。
 そもそもこの近辺はインドでも養蚕の歴史のある場所なのだ。

 今日は州都デラドン市内にある繭商にでかける。
 屑繭を買いに行ったのだ。
 屑繭を真綿にして、パシミナと混紡しようという企て。絹+パシミナはganga初の試みだ。
 屑繭にも上等・中等・下等の三等級があって、私たちは上等を買ってくる。(写真上)
 これは切り繭と言って、蚕種を取った後の繭だ。蚕種は健康な繭から取るので、繭も上質なのだ。
 蚕種はデラドン市内の州立蚕種場で採取される。自然羽化ではなく、繭を切って中のサナギを取り出すのだ。自然羽化のような繭の劣化がない。
 
 帰りに郵便局へ行って、とある小包を受け取る。
 隣州ウッタルプラデシュからだった。
 二年前の八月、デラドン市内の蚕糸場でとあるおじさんに出会った。
 隣州ウッタルプラデシュのゴラクプール市で糸繭商をしているという。特にタッサーシルクについては多様な糸を扱っているらしい。工房からは600kmほど東方にある。
 その後、郵便で糸サンプルを送ってもらったり、織師ジテンドラが訪問したりして、このたび初めて、糸を買ってみる。
 細ナーシ糸だ。(写真下)。タッサー繭のヘタの部分から紡がれる。
 アンバー(機械式)チャルカで紡がれたというかなり均一な糸だ。撚りが少ないのでヨコ糸用。
 さっそくこの糸を使って秋冬用のストールを織ってみようと思案する真木千秋であった。

 




8月16日(木) ウールの服

 昨15日はインドの独立記念日。日本では終戦記念日だが、別に日本の敗戦とは関係ないようで、たまたまちょうど二年後の1947年8月15日にイギリスから独立を果たしたのだ。

 天井で扇風機のパタパタ回るganga工房の一室。
 秋冬用ウール服の検討が行われる。
 今回は日本からひとり客人を招いている。パタンナーの田村朋子さんだ(写真真ん中の人物)。田村さんには昨年もウール服作製の手伝いをしてもらっている。
 真木千秋の指さすパンツは、東南アジア山岳民族風。ハサミをできるだけ使わず、生地を生かすデザインだ。
 ジャケットもまた同様で、布に切り込みを入れて縫う。これは田村さんが用意してきたくれたもの。上下逆にしても着られるという便利な仕様だ。
 かつてインドで業務経験のある田村さん。こちらのスタッフに対する指示の仕方もよく心得ているようだ。

 



8月17日(金) ラダックの賜物

 ここのところ、様々な素材の混紡を試している。
 今日はヤクウール。7/28の本欄でご紹介したが、先月、インド北端のラダック高原からサンプルとして到来したものだ。
 混紡の相手は、家蚕の真綿。
 写真1の左側、黒褐色がヤクウール。右側のグレーっぽいのが家蚕の真綿。
 家蚕真綿はみなさんご存知の通り白色だが、これはそれをザクロで染めたものだ。ヤクの濃色を生かそうとの試みだ。

 今回の配合比率は、ヤク:シルクで、5:5、ならびに3:7で試してみる。
 羽子板型のカーディング器で両素材を梳り、混ぜ合わせる。(写真2)

 そして足踏み式の手紡機で糸にする。
 作業者は紡ぎ主任のバギラティだ。(写真3)
 
 出来上がった糸は写真4の右端ふたつ。濃色のかたまりだ。
 羊毛を使った混紡よりも、ぐっと柔らかい。パシミナ混紡に近い感触だ。
 言うまでもなく、酷寒の高原に由来する素材だから、シルクだけより暖かさが違う。
 そして色が美しい。
 これはストールが織れる!と真木千秋。ここだけの話だが、ヤクウールのほうがパシミナより少々安いのである。(と言っても羊毛よりずっと高価だが)
 写真4の中段に並ぶのは、昨日作ったパシミナ+シルクの混紡糸。

 ただ、肝腎の素材がなかなかラダックから届かないのである。
 さて、ヤク(あるいはパシミナ)混紡のショールが今秋みなさんのお手許に届くであろうか!?

  …(この後はよもやま話なので、ヒマな人のみ読むべし)

 本記事を書いている途中、たまたま、ラダックウール商会のナワン君から電話が入る。
 我々にパシミナとヤクウールを供給している人だ。
 ナワン君には年初に半額前払いで原毛の注文をしている。
 ところが二ヶ月ほど前メールが来る。いはく「カネがないから全額前払いよろしく!」。
 それで優しい私たちは全額支払ってやったのだ。
 でもなかなかパシミナ&ヤクウールは来ない。まごまごしていたら秋冬のシーズンが終わってしまうではないか。(秋冬物は今作らないといけない)。
 なんでもパシミナ組合の動きが遅くて、加工が間に合わないんだそうだ。パシミナはチベット山羊の内毛だけれども、春夏に採毛した後、洗浄や仕分けなど何段階もの処理を経て、やっと糸に紡げるのだ。
 ナワン君、今日、チャンタン高原から戻ってきたところだという。チャンタン高原とは標高4500mを超える高地で、インド最高のパシミナを産するところだ。
 当地でちょっとレアなヤクウールをゲットしたので、今度送るという。黄味がかったベージュらしい。私たちがチャンタン高原で目にしたヤクはほとんどが黒色だったので、いったいどんなヤクなのか興味あるところだ。
 ただ肝腎のパシミナ原毛はまだらしい。パシミナ組合の機械が動かないのだ。それでナワン君、自前の機械でパシミナ原毛を処理し、そのサンプルを送ってくる。それで良ければ早めに納品できるとのこと。
 パシミナの生産者は遊牧民である。およそ我々とは対極のような暮らしを送る人々だ。我々の時間に合わせて納品ってのも、なかなか難しいことなのだろう。
 気長に待つほかあるまい。
 忘れずに電話してくるだけでも上等!?

 

 




 


8月18日(土) 水場の風景

 ganga工房の裏庭に、水場がある。
 ここは染織をしたり、水を使って仕上げをする場所だ。
 仕上げと言うと馴染みが薄いが、特に毛織物については、織成よりも仕上げ方が大事と言われるくらい、重要度の高い作業なのだ。

 羊毛というと日本では、絹や木綿など他素材に比べて伝来が遅く、産業としての歴史も浅い。
 一方ここインド北部は、寒冷なチベットと境を接していることもあって、古来から牧羊や毛織物が身近な存在だった。ganga工房がまず毛織物から始まったのも、自然な成り行きだったと言えるだろう。

 写真上は仕上げの作業をしているバギラティとカンタ。
 この二人は叔母・姪の関係で、ともに牧羊の村出身。子供の頃から羊や羊毛に親しんできた貴重な存在だ。
 水洗した後のヒモ付きストールを、水をかけながらロールしている。
 丸棒にしっかり巻き付けるのだが、それによって織り目を均一化し、全体の形を整える。
 ロールした後、一時間ほど置いて、それから干すのだ。

 写真中は水場主任のディネッシュ。
 ちょっと特殊な作業をしている。
 服を縫製後、生地の切断面をフェルト化しているのだ。
 通常、生地の切断面は、ほつれないように、かがったり折り込んだりミシン処理をする。ところが、毛織物の場合、こすってフェルト化することによって、ほつれが防止されるのだ。必ずしもかがったりする必要はない。そして、ミシンで処理するのとは違った効果が出るのである。その辺は実物で見ていただきたい。
 傍らにはストールが干されている。
 このディネッシュ、工房主ラケッシュの姉婿で、工房随一の美男なのであるが、今日は後ろ姿で登場。よく見るとTシャツの背後に「すべての武器を楽器に」と印字されている。これは沖縄・某ミュージシャンのスローガンだ。本人は意味も知らず着ているのであろう。

 水場の周囲は畑になっている。排水もあるからちょうど良い。
 ラケッシュ母が草取りをしている。
 山村生まれのラケッシュ母は畑仕事も慣れたものだ。
 うっそうと繁る小葉の小灌木はインド藍。これは主産地である南インドから種をもらってきたものだが、ここ北インドでもちゃんと育つ。必要な時にはこれを刈り取り、染めることもある。
 奥にトウモロコシ、手前に大豆に似たインドの豆が見える。
 その中にポツポツとカラシ菜が生えていて、それが昼食のおかずになるのであった。

 

8月19日(日) 雨の日曜日

 今日は日曜日。
 朝から雨がしとしと降っている。
 まるで日本の梅雨だ。普通はもっと陽気で熱帯的な降り方をするのだが…。
 気温も30℃くらいで、言うなれば梅雨寒か。

 ラケッシュたち男衆は朝6時から近所の学校グラウンドに繰り出してクリケットに興じるはずだったが、残念ながら雨天中止。日本の野球に相当するインドで人気ナンバーワンのスポーツだ。

 今日は工房も休日。
 …のはずだが、私たちが来ているので、ほとんど全員出勤。
 それぞれの持ち場で働いている。

 写真上はタテ糸整経機。
 織師マンガルがタテ糸を作っている。
 ウールの生地で、パンツ用だ。
 昨年織ったウール生地よりも薄手で軽い。タテ糸の微妙な配色も新しい。
 パタンナー田村朋子さんの滞在中に少しでも進めたいと休日返上でがんばっている。

 ところで、工房には夜行性の動物が二頭いる。
 チベット犬のリン(写真上)とコロ(写真下)だ。現在、約1歳半。
 昼間はだいたいこうして寝ている。
 回りで人々がいかに忙しく立ち働こうと、いっさいお構いなし。
 そもそもが牧羊犬で、夜間、野獣から羊群を守るのが主なる役目なわけだ。
 で、夜になるとシャキッとして、ちょっとでも不審な気配がするとハデに吠えたてる。
 図体がデカいから、声も野太い。けっこう安眠妨害な連中なのだ。

 

8月20日(月) スタジオ・ムンバイ

 ビジョイ・ジェイン氏がganga工房に来訪。
 「スタジオ・ムンバイ」という設計事務所を率いる著名な建築家だ。
 折しもganga工房も新工房を計画中。この人にぜひ設計をお願いしたいと、先日ムンバイの事務所に赴く。
 そして今日、同スタジオの若い建築家アナンド君ともども長途来訪となった。

 上写真、真ん中がビジョイ氏、左端がアナンド君。
 ご覧の通り、かなり長身。私は秘かにBig Bと呼んでいる。(Big Bとはインド映画界を代表する名優アミタブ・バッチャンのこと)。

 B氏にはまず工房を見てもらう。
 手紡ぎや手織りを目にするのは初めてなようで、興味深げに動画に収めていた。

 それから新しい敷地へと出かける。
 約1ヘクタールの緩やかな斜面だ。牛がのんびりと草を食み、そばにはいつもサギがいる。
 緑豊かな敷地にはB氏も感銘を受けた模様。さっそく建物の配置を構想する。(写真下)

 たまたま現在、東京では「スタジオ・ムンバイ」展が開かれ、国立近代博物館にも氏の手になる「夏の家」が作られる。来日を前にした忙しい時に飛んで来てくれたのだ。

 一応、来年いっぱい完成の目途で設計・工事を進める段取りになっている。
 ここまで来るのもけっこうタイヘンであった。
 本欄でも随時、進展をお知らせしよう。

 

8月22日(水) インディアン・ルーレット

  水場の大事な仕事のひとつに、染めがある。
 インドのいろんな草木で、繊維素材や糸、布を染める。
 中でもいちばん神経を使うのが、藍だ。
 ここではもちろん、インド藍を使う。
 もう絶滅寸前、新潟の朱鷺みたいな存在の染料だ。
 南インド・タミルナド州のアンバラガン氏のところから取り寄せている。

 なぜ神経を使うかというと、日本と違って、藍建ての先生がいないからだ。
 この広いインド亜大陸で、インド藍を天然発酵させている人には、この二十有余年の中で二人しか出会っていない。いずれも遥か彼方に住んでいるから、なかなか指導も受けられないし、だいたい気候が違うのだ。

 だから、毎回の藍建ては、賭のようなものだ。
 真木千秋と秋田由紀子は沖縄・西表島でインド藍を使った藍建てを経験してはいる。しかしながら、西表と北インドでは、やはり気候が違うのだ。
 真木千秋や水場主任ディネッシュとともに、毎回工夫を重ねてやっているのだが、今のところ、勝率五割というところか。

 今回の藍建て開始は8月16日。約一週間前だ。
 使った資材は、ジャグリとラム酒。ジャグリというのはサトウキビの搾り汁を煮固めた粗糖だ。サトウキビはインド原産だから、ジャグリはいくらでもある。ラム酒もインド産。

 で、約一週間たって、今回はうまく行ったようだ。
 上写真が今日の藍甕。
 液面が油膜みたいので蔽われ、しっかり藍の華が立っている。
 絹糸を入れて試し染めしてみたところ、写真のごとくに染まる。今のところ順調のようだ。
 糸は年初にここで挽いた座繰り糸。繭は近在の産だ。
 これからの藍甕管理も大変なのだ。突然死ということもあるし。

 中写真、左側が秋田由紀子。右側が水場主任ディネッシュ。
 手前の鉄棒に干されているのは、家蚕の屑繭を煮た後、染めたもの。メヘンディ(ヘナ)の葉でグレーを出している。
 8月17日の記事にもあるが、この煮繭を解きほぐし、ヤクのウールと混ぜて糸にしようというもの。

 

8月23日(木) Weavers!

 朝、散歩をしていると、繁みの中に奇妙な物体が…。(写真上)
 これ、鳥の巣である。
 枯草や枯れ枝を組み合わせ、見事に作っている。
 この鳥、和名をハタオリ鳥。しかしながら日本にはいない。
 インドには広く棲息しており、英名はズバリ、weaver。
 スズメによく似た小さな鳥だ。

 さて、ganga工房のweavers。ちょっと新しい試みを始めたようだ。
 シルクを主にした織物だ。
 中写真、真木千秋と織工ジテンドラが様々に糸を打ち替えて実験をしている。
 「畝(うね)織り」という名の、二重織りの一種だ。
 糸の撚(よ)りの強弱によって、ウネウネとしたテクスチャーを出している。

 撚りの強い糸は、水を通すと縮みが大きい。
 撚りの弱い糸は、それに比べると縮みが少ない。
 また縮み方は素材によっても異なる。
 その性質を利用するのだ。

 下写真、右側が機から下ろした生機(きばた)の状態。
 左側が水を通した後だ。
 まったく別物と言っていいくらい表情が違う。

 特に縮み方の大きいのは、ナーシ糸の強撚糸だ。
 タッサーシルクのヘタの部分から紡がれている糸である。
 一番濃色の部分がそれ。
 ganga工房で便利なのは、追撚(ついねん)ができること。
 もうちょっと縮めたいなと思ったら、紡ぎ主任のバギラティに頼んで、撚りを追加してもらう。
 ちょうど料理で、味見をして、塩加減を調整するようなものだ。

 「畝織り」は今までも織っていたが、黄繭の生糸を多用していて、パリっとした仕上がりだった。
 今回はタッサーシルクやエリ蚕の紡ぎ糸や、ウールなども使って、柔らかみのある「畝織り」を企画中。
 請うご期待!

 

8月24日(金) 昔ながらの布を着る

 かつては世界のどこでも、身近な素材を使って、家内で糸が紡がれ、布が織られていた。
 日本の場合、大麻、苧麻、家蚕、木綿が主な素材であったが、近代化に伴い、家内での紡織は廃れていった。
 インドではそうした営みが細々ながら今も続いている。
 カディと総称される手紡ぎ手織り布だ。素材は、野蚕、家蚕、木綿、獣毛…。
 しかしながら、その産地は今や大海原の離れ小島のように散在するのみで、いつ時代の荒波に呑まれるやもしれない。

 Makiでは、自分たちで布づくりをする傍ら、昔ながらの産地で今も織り伝えられる布を使って衣を作ったりもする。
 こうした布々は、半農半織の村々で手づくりされる。
 自然や人間のリズムに従って作られるから、いつも表情が違っている。まさに出会いだ。
 良い布に出会ったら、それをカタチにして、まずは自分で試してみる。
 言うなれば人体実験だ。(役得という見方もあるが)
 ganga工房にはテーラーがいるから、そんな人体実験も気軽にできる。

 たとえば、左写真。これはエリ蚕布だ。インド東北部アッサム州で織られたもの。
 それを、メヘンディ(ヘナの原材料)の葉でグレーに染めて、パンツに仕立てる。(写真右上)
 エリ蚕布と言えば、ここインドでも私たちのシーツとして大活躍している。(エリ蚕チャダル)。高温多湿の夜々もこれがあれば快適安眠だ。
 パンツにしてもきっと気持ち良かろうと作ってみた。
 無染の生成も美しいはず。

 それからもう一点。
 これはかなりゼイタクなんだけども、カティア絹×カティア絹のパンツ。(写真右下)
 カティアというのは、タッサーシルク繭の生皮苧(キビソ)部分を手紡ぎした糸だ。
 インド東部、西ベンガル州で織られた布で、天然色。
 しっかりした質感と、野蚕特有の爽快感が特長。

 遠からず消え去る運命の布々かもしれないが、こうして少しでも使わせてもらうことによって、多少とも延命が図れる…かな!?

 




8月25日(土) 僻遠の地から

 昨日は、カディと称される手づくり布についてお話した。
 そうした昔ながらの布は、近在で採れる繊維素材を用いて織られている。
 昔は流通も良くないから、地元の素材を使うのが自然な成り行きであった。

 Makiの特長のひとつは、インドのあちこちに散在する繊維自然素材を手に入れ、新しい織物を作ることだ。
 インドは広いし、今も流通は良くない。そして、自然素材の産地は、もれなく、インド亜大陸でもとびきりの僻地なのだ。
 ここ三、四日の間に、そうした僻地から二つほど素材が届いた。

 ひとつはベージュのヤクウール。
 ヤクというのは別名、チベット牛。
 インドでは最北端のラダックに棲息している。
 上写真の左側が通常のヤクウールで暗褐色をしている。これは黒いヤクの内毛だ。右側が今回送られてきたベージュのヤクウール。
 私たちは黒いヤクしか見たことがなかった。それで、ベージュのウールと聞いて怪訝に思っていたのだが、茶色いヤクから採れるのだそうだ。
 中写真はWild Fiber Magazineから拝借した写真。少数ながら茶色いヤクも存在するのだ。そのウールも希少価値だから値段も少々高い。
 美しい色合いなので、そのうちこのウールもストールなどに織り込まれることだろう。

 もうひとつはエリ蚕の手紡ぎ糸。(下写真)
 インド東北部、アッサム州の産。
 もう何度か送ってもらっているが、今回は紙管に巻き付けてある。
 今までは糸カセで送られてきた。ところが、エリ蚕は繊維が細く、糸カセから糸巻きに巻き直すのが一苦労だった。カセから糸が分離しないのだ。
 それで糸カセではなく、紙に巻いて送ってほしいと頼んだわけである。
 日本だったら簡単なことであろう。しかし、あちらで実際に糸を作る人々は、英語はおろかヒンディー語すら喋れない僻村のアッサム人なのだ。こちらの意図が正しく伝わるか非常に心許ないのである。今回は無事伝わったようで誠に慶賀の至りである。
 おかげで下写真のように糸巻きもぐっと楽になった。
 アッサムというと、最近、民族間で争乱が起こっているようだ。イスラム教徒 vs ボド族だという。そのどちらにも私たちはお世話になっている。一日も早い沈静化を願うばかりである。

 

  8月26日(日) 一夜染め

 今日は藍染をする。
 ちょっと変わった染め方だ。
 西表島の石垣昭子さんに習ったもの。
 生葉染めでもないし、藍建てでもない。とりあえず、一夜漬けならぬ「一夜染め」と呼んでおこう。
 昨年試してみて、なかなか良く染まったので、今年もやってみた。

 途中までは泥藍の手法と同じだ。
 朝、インド藍を刈り(写真左上)、水につける(写真左中)。
 上に重石を置いて、そのまま一昼夜放置する。
 気温にもよるが、翌日の昼過ぎ頃には、上水が青味を帯びる。水面には油膜のようなものも。そして甘ったるいような独特の臭いがたちこめる。正直言ってあまり良い臭いではない。(写真左下)
 頃合を見計らって、枝葉を取り出し、液を絞る。(写真右上)
 その液を濾して、糸を入れ、染めるのだ。(写真右中)

 藍草を刈ったのは、じつは一昨日。
 昨日の夕方染める予定だったのだが、雨天により中止。
 今朝に持ち越した。
 それで今回は二夜染めになってしまった。

 そして今朝。天気がやや持ち直したので、糸を染める。
 右下写真、干してある左端がウール。その隣が竹林シルク、その右ふたつがgangaシルクだ。右端は藍建てして染めたもの(8/22の項参照)。
 藍建て染めほど濃色ではないが、絹糸も羊毛もしっかりと染まっている。タデ藍の生葉染めに似た色合いだ。作業はこちらの方がラクかもしれない。
 

 

8月29日(水) 中国少数民族の衣

 インド帰りに上海に立ち寄る。
 上海はデリー・東京間の線上にあるから便利なのだ。
 上海市内には上海博物館という中国屈指の博物館がある。年中無休・入場無料は有難いが、そのぶん少々ざわついている。その五階にあるのが「中国少数民族工芸館」。
 中国には、人口の大多数を占める漢民族のほか、様々な少数民族が住んでいる。この工芸館にはそうした少数民族の衣装が数十点展示されている。
 ただそのほとんどが20世紀後半に製作されたもの。残念ながら、繊維素材についての記述は乏しく、殊に染料についての言及は皆無だ。おそらく染料はほとんど化学製品なのであろう。使われている糸や布も工業的な大量生産品が多いせいか、表情がフラットで、色合いも妙にハデハデしい。もう少し古い資料は存在しないものか。まだまだ中国では手作り染織製品について関心度は低いようだ。
 そんな中で、幾つか興味を引いた展示品をご紹介しよう。

◇左上/ホジェン族鮭革衣
 東北部の黒龍江省。男物上下。獣皮や樹皮なら有り得るが、魚革で服が作られていたとはビックリ。きっと鮭の遡上する地方なのだろう。鱗を除去した鮭革で、おそらくは天然色。上衣にはあちこち装飾が。

◇左下/チベット・ローバ族毛織衣
 私たちのパシミナの産地、ラダックも西チベットだ。ラダックと同じく、このローバの人々もヤワなパシミナではなく、分厚い羊毛の毛織服を着るようだ。
 トルコ石や子安貝を装飾に多用するのもラダックと同じ。

◇右上/貴州ブイ族臈纈(ろうけつ)染衣
 肩および袖口に渦巻文。スカートは全体に点々模様で、上部に渦巻文がある。いずれも臈纈(バティック)で、染料は藍と思われる。スカート最上部は紺一色で、前面を除いて全体的にプリーツが施されている。薄手の木綿で気持ちよさそう。

◇右下/貴州ミャオ族毛織衣
 生成に赤と紺を差している。紺色は藍か。毛織とあるが、毛を使っているのは上衣の一部だけで、それ以外は木綿と思われる。スカート部分の生地は手紡ぎ手織り木綿のよう。裾の紺色模様が洒落ている。
 こういうカッコ良い衣裳をまとっている現代中国女性はほとんど見かけられない。

 

 

8月31日(金) ゴーヤは巡る

 帰国して驚いたこと;

その1.暑い
北インドは最近、連日雨雲に蔽われ、最高気温も30℃前後。日射がないので涼しく感じる。ところがここ東京・西多摩は連日晴天。今日も最高気温は34℃近くまで上がった。

その2. セミが鳴いてる
北インドではあまりセミが鳴かない。静かな夏だ。

その3. Maki Textile Studioにゴーヤが多量に放置されていた。
残留スタッフに拙畑の収穫を頼んでおいたのだが…。

 今年は暑かったせいか、拙畑のゴーヤも大豊作。あちこち見事にぶら下がっている。(写真)
 きっとどの家もそうだったのだろう。緑のカーテンもあるし。それで残余のゴーヤが西多摩中を駆け巡り、当スタジオでももらい手がなかったのであろう。
 ゴーヤにはひとつ顕著な特質がある。鳥獣害に強いということ。ウチの畑は、猿、猪、鳥が出入り自由、食べ放題なのだ。ところがゴーヤに関しては誰も見向きもしない。無理もあるまい、あの味じゃ…。というわけで豊作に拍車がかかるのである。
 仕方ないから、店にでも出してみなさんに進呈しようか…。

 



9月1日(土) 続・養蚕起源譚

 7月18日の本欄に東北地方の養蚕神「おしら様」の話を書いた。
 養蚕史研究の泰斗・布目順郎氏の書をひもとくと、いろいろ面白いことが書いてある。
 なんでも、おしら様は東北に限ったものではない。
 もともとは北陸あたりが起源で、そこから東日本に広がった。
 なぜ北陸かというと、昔むかし、朝鮮半島から帰化人によって養蚕が伝わったのだ。
 その頃の半島を支配していたのが新羅の国。
 (養蚕はそれ以前、おそらく弥生の前期に九州北部に渡来している)
 「おしら様」の原型は渡来人がもたらした新羅神である。
 そして朝鮮語で絹は「シル sir」と呼ばれる。新羅のsir-も絹との関係が考えられる。
 そして、sirの語源は、満州語のsirgeあたりに遡る。
 このsirgeが遥かシルクロードを西進して英語のsilkになったんだと。
 ということは、「おしら」と「シルク」は語源を同じくするかもしれないのだ!

 じゃ、「キヌ」はどうかと言うと、絹の音読み「ケン」と同根らしい。 〈続く〉

9月2日(日) スタジオ・ムンバイ in Japan

 ganga新工房の設計に当たってくれるスタジオ・ムンバイ一行6人が竹林訪問。
 インドからいっぺんにこんなにたくさんのお客さんを迎えるのは初めてだ。
 実は、現在、東京のギャラリー間国立近代美術館で開催されているスタジオ・ムンバイ関連の催しのため来日しているのだ。
 真ん中の長身が主宰のビジョイ・ジェイン氏、右側長身が同スタジオ建築家のサム・バークレー氏(米国人)。
 そのほか三人のインド人は大工さんたち。日本の古民家が珍しいようで、興味深げにあちこちカメラに収めていた。左から二番目の若者はスタジオの研修生の日本人。
 ビジョイ氏は一昨日の金曜来日で、昨日は講演会、今日は昼過ぎから美術館で討論会、そして明日離日という忙しいスケジュールをぬっての来竹であった。ビジョイ氏とサム氏はMakiのストールや衣も購入。
 大村恭子(左から三)の夫君も建築家で、昨日ビジェイ氏の講演会に参加。とても楽しかったらしい。みなさんもぜひ一度上記ギャラリー(〜9/22)や美術館を覗いてごらんになると良い。

 



9月6日(木) 切り繭のヒミツ

 今、信州上田の実家にいる。
 ここ上田は蚕都を言われるくらい養蚕の盛んな地で、当田中家も昔は蚕種業を営んでいた。蚕種業というのは蚕の卵を採る仕事である。通常の養蚕家は繭を出荷するが、蚕種家は蛾を羽化させ、卵を産ませてそれを出荷するのだ。
 ここ上田市には全31巻からなる「上田市誌」がある。その第24巻「衣食住とくらし」をひもとくと、かつての養蚕の様子がよくわかる。
 その中で、ひとつナゾが解けた。

 ganga工房の近辺もインド有数の養蚕地域だ。私たちは最近、混紡に手を染め始めたのだが、デラドン市内の繭商から切り繭を買ってくる。(写真)
 その切り繭から真綿を作り、ウールやパシミナなど他素材と混紡するのだ。
 切り繭は蚕種のためだとは知っていたが、なぜわざわざ繭を切るのかイマイチわからなかった。
 上田市誌によると、蛾が羽化しやすいように繭の一部を切るとのこと。
 なるほど、そうすれば蛾たちも余力を持ってまぐはひに臨めるわけだ。
 交尾・産卵後の蛾はどうしたかというと、養鯉(ようり)に使われたという。そういえばこの辺には養鯉用の池がたくさんある。
 ただ、流通の向上により海産物が簡単に手に入るようになった今、この辺で鯉を食うこともほとんどなくなる。蚕都も遠くなりにけりだ。

 ここ上田は上田紬でも有名。上繭は出荷されるが、屑繭は女たちの裁量に任される。屑繭とは、上記の出殻繭や玉繭などだ。その多くは真綿になり、糸に紡がれ、機で織られた。
 タテヨコとも紬糸で織られた両紬(もろつむぎ)は、たいへん軽くて暖かで丈夫だったという。

 




9月5日(土) 朝採り野菜

 今日から九月の三連休。
 竹林shopもこの三日間はopen!
 残暑厳しき折にせっかくお越しいただくんだから、ちょっとしたプレゼントを→。
 朝採りの野菜だ。
 私ぱるばは毎朝出勤前に二時間ほど畑仕事をしてくるのだが、その際に収穫する。
 ここのところ、シシトウがすごくて。
 今朝なんか150個も採れた。

 インド滞在中の真木千秋にSkypeで見せたところ「わー、おいしそー! 私たちが帰る頃まであるかなぁ…」。
 当然あるでしょう。あと四日で帰国なんだから。

 もちろん、無農薬有機栽培。
 御来店のみなさんに無料進呈!
 なんなら全部持ってってもらってかまわない。
 なにしろ毎日このくらい採れるんだから。

 




9月20日(水) 三名帰国

 昨日朝、真木千秋、ラケッシュ、秋田由紀子の三名がインド航空306便にて帰国。
 約二ヶ月ぶりの日本だ。
 ganga工房でできたての布を満載。(もちろん税関のレッドゾーン通過)
 ganga工房自体できたてなので、輸出業務がなかなか難しいのだ。みなさんのお手許に届くganga布もこんなふうに運ばれてくるのである(全部ではないが)。布というのはただ織れば良いというものではないのである。
 三人ともインドで頑張ってきたので、今回は私ぱるばが特別にアッシー君で参上つかまつったのであった。

 夜行便でいささか寝不足なのであるが、旅の疲れもものかは、帰途、東京・乃木坂にあるギャラリー間で開催中のスタジオ・ムンバイ展を見学。興味つきせぬ様子の真木千秋であった。(9月22日まで)
 夜は近所にある瀬音の湯に浸かり、旅のアカを流すのであった。(ここの宿泊はじゃらんnetでも4.7の高評価である。おススメ)

 



9月24日(月) 藍の生葉染め

 やっと晴れたので、今日は藍の生葉染め。
 毎年恒例の行事だが、通例は7月か8月にやる。
 今年はインド出張の都合で、こんな時期になってしまった。
 藍の発芽が5月初め、定植が6月5日。9月中旬になると花が咲き始める。
 今日がギリギリというところだろう。

 藍建てせず(つまり発酵させず)に、生の状態で染めるので生葉染めと呼ばれる。藍草の育つ時期にしかできない染め方だ。

 朝、藍の刈り取りをする。(写真上)
 定植時の写真と比べると、ずいぶん大きくなったものだ。
 (手前の大きな葉はオクラ)。

 藍の成分は葉っぱに含まれているので、まずみんなで葉をちぎる。
 それをミキサーですりつぶし、布で濾して、青汁を取る。
 その中に糸を浸けて染めるのだ。
 染めた糸は、今年春繭から挽いた糸が多い。

 さすが9月下旬ともなると、盛夏よりも仕事は楽だ。
 ただ、季節が遅れたぶん、やや藍草に力がないかもしれない。
 染め色も多少淡い感じ。
 しかしこの色合いもまた良いものだ。

 下写真、緑色の糸は、重ね染め。
 絹糸を前もって沖縄のフクギで黄色く染めておき、その上に藍を重ねる。

 以上は午前中。
 午後は糸の他にストールも染めるのであった。

 

 

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