絲絲雑記帳

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0/「建設篇」


1月9日(水) 知られざるハギレ利用法

 遅まきながら謹賀新年。
 今年もよろしく!!

 ここ竹林では今日から新年初売りハギレ市。
 たくさんの皆さんに楽しみにして頂いているようで、誠に有難き次第である。

 その中のひとり、山梨の熊くんこと熊谷幸治氏。
 今年5月の竹林展示会に登場予定の工芸作家だ。
 囲炉裏の端で話をしていると、面白いことをのたまふ。
 土器の表面に布目をあしらいたいというのだ。
 そもそも、陶器づくりの際、雛形から取り離し易いよう間に布を挟むことがあった。それもあって陶器に布目をつけることが行われるようになったらしい。

 熊くん、Maki布を使って土器に布目をつけたいという。
 手紡ぎ手織りの不均一な布の方が面白いというのだ。
 スタジオの奥には、まだ未整理のハギレがたくさんある。大村恭子の持ち出してきたハギレを興味深げに見る熊くん(写真右側人物)。

 実は、Maki布と熊谷作品とは、相性が良いのだ。
 熊くんは日本でほとんど唯一、土器を焼く人だ。土器というのは土の粒子が融合していないので、粒子間に微細な空間が残っている。
 一方、Makiでよく用いる野蚕糸は、繊維の中に微細な気泡がある。
 器と布であるが、素材に空気を含むという共通点があるのだ。

 熊くん、Maki布ハギレ十数点を選ぶ。平織や綾織、厚手や薄手、いろいろだ。
 それを使って皿を焼いてみるという。
 土器は焼成によって縮むことがないので、布目がそのまま現れるそうだ。
 タッサーシルクの手触りの器ができるんであろうか??
 楽しみなことだ。
 

1月11日(金) アライラマのテキスタイルワンダーランド

 明1月12日から東京オペラシティアートギャラリーで開かれる「新井淳一の布・伝統と創生」展。
 今日はその内覧会があったので、行ってきた。

 新井氏も桐生から上京。
 駆けつけた百数十人の関係者を前に、まずはご挨拶。(写真上)
 氏いはく、今回展示されている布のほとんどは、氏自身も初めて見るとのこと。妙なことを言うものだと思っていたら、それも道理。通常、氏の布はたたんだり巻かれたりして、しまわれている。それを広げて見るとしたら、今回みたいな大会場が必要になるというわけ。

 実際、大きな展示場だ。
 三年前の北京・清華大学美術院も大きかったが、まだその上を行く。
 おそらく新井淳一展としては過去最大であろう。
 展示ホールは二つある。

 ひとつ目の会場に入って、意表を突かれた。
 布が水平に並べてあるのだ。(写真中)
 通常、布は垂らして展示するだろう。それが横になっている。
 新井布の場合、これがけっこう効果的だったりする。
 なんだかジオラマみたいだ。
 一枚一枚の布が、山あり谷あり森ありで、それぞれ小世界を形成している。
 小人になってその中を探検したいようだ。
 本当にこの世にないような布を作る人だと思った。

 第二室は、打って変わって、垂直の世界。
 巨大な新井布のスパイラルが圧巻だ。クルクル回って中に入ることもできる。(写真下)。中心に座布団でも置いといてくれたらもっと良いが。
 その先にはカラフルな布々が重層的に下がり、壁面の展示も目を引く。
 布好きな人は必見だ。

 ミュージアムショップには今展示会の立派なカタログが置かれており、主催者の意気込みが感じられる。
 また、カラフルな新井布がマフラーなどになって販売されている。
 期間は1月13日〜3月24日。その後、7月6日〜9月1日は足利市立美術館、9月14日〜11月24日は愛媛の久万美術館で開催される。

 なお、3月17日(日)14時よりオペラシティにて、田中ぱるば(&真木千秋)によるゲストトークがあるので、ヒマな人はぜひお越しいただきたい。

 それから、現在、竹林shopで開催中のハギレ市にも新井布が出品されているので、そちらもよろしく!
 

 

1月16日(水) 布と木工

 松本より井藤昌志氏来竹。
 今年五月に開催予定の展示会の打合せだ。
 春のMaki展に併せ、増満・熊谷・井藤の三氏をご招待申し上げたのである。
 1月9日の項にもご紹介したが、熊谷氏は布目の土器を考えておられる。
 さて、井藤氏は?

 井藤氏と言えば、木製のオーバルボックスで知られている。
 Makiでも布や糸などを入れている。(写真上)
 この箱の中に針山を作って入れたいと、氏は考えている。
 そこで今日はMakiのハギレを何点か選び、まずはサンプル製作だ。(下写真、氏の手許に見えるのが選んだハギレ)。

 それから井藤氏は考える。
 何か布に関係するものを、木で作ることはできないか…
 そこでスタジオにある布関係の木製道具を参考までに紹介する。
 砧(きぬた)とか、杼(ひ)とか…。こうしたものは道具として存在感があり、造形も美しいものであるが、必ずしもMakiのお客さんにとって実用性があるとは限らない。
 ほかにどんなものがあるだろう…?? Makiスタッフともども頭をひねる井藤氏であった。
 さて、いったいいかなる次第と相成るか。
 みなさんも何か欲しい布関係の木製品があったらご一報を。

 

1月18日(金) 北インドの冬雷

 昨夕6時、スタッフ二人ともども、デリー空港着。
 真木千秋は既に1月6日よりインド入りし、デリーで布づくりに励んでいる。
 私ぱるばはデリーのホテルに真木千秋を訪ねた後、スタッフ一名を伴い、そのままタクシーを飛ばして6時間。草木も眠る丑三つ時に、ヒマラヤ山麓ganga工房に到着する。東京五日市の自宅を出て24時間の旅であった。
 ganga工房への道中、日付の変わる頃から、夜空に雷鳴が轟き、雨が降り始める。
 雷と雨はそのまま本日夕刻まで続く。北インドの冬には、こうした雷雨が何度かあるのだそうだ。おまけに昨夜からずっと停電。湿って冷たい一日であった。ここ北インドは、今年の初め、七十年ぶりの厳しい寒波に襲われ、氷点下まで気温が下がったそうだ。
 風も強いので、雨が降り込まないよう、工房の軒先をシートで蔽う。(写真上)
 こっちを見ているのはチベット犬の松五郎。今月で満二歳だ。その奥で女たちが糸を紡いでいる。

 男たち四名は、三十数キロ離れた州都デラドンへ用を足しにでかける。
 街に出たときには、小洒落たレストランでランチをする。今日は南インド料理だ。
 私の前にあるのは、インドで最も驚くべき料理(サイズ的に)、ペーパードーサだ。
 どう、デカいでしょう。これをひとりで食べるのだ。
 もっとも、名前にあるごとく、紙のように薄いから、昼食にちょうど良いくらい。
 ちなみに今年の5月展(5/1〜5/6)では、ラケッシュが標準版のマサラドーサを出す予定だ。日本ではなかなか食べられない超美味な料理なのでお楽しみに!

 所用のひとつは、エリ蚕チャダル。
 もともとは男用の大判ショールで、よくバラモン僧がまとっている。
 私にとっては、ベッドシーツだ。
 どうしてシーツになったかというと、一年前、工房スタッフ宅に逗留した際、適当なシーツがなかったので、たまたま手許にあったエリ蚕チャダルを代用したのだ。それが事のほか快適だったので、離れられなくなった。繊維自体に空気が含まれ、断熱性が高いので、冬暖かく夏涼しく、サラサラして気持ちいいのだ。今では枕カバーもこれで仕立てて愛用している。
 自家用に買い足そうとカディ店に赴くと、ちょうどアッサム州からたくさん届いたところだというので、店の倉庫に赴いてチェックする。倉庫というのは、じつはガンディ・アシュラムであった。マハトマ・ガンディを祖とする共同体だ。こうしたカディ(手紡ぎ手織り)店を運営するのはガンディ・アシュラムであるらしい。
 エリ蚕チャダルは難しい。生成の平織だから、ムラが目立つ。手づくりだから仕方ないとは言え、半分は難ありだ。実用には差し支えないのだが、なかなか店頭には出しづらい。
 自家用には難あり品を使うとして、良さそうなところ十点ほど日本に持ち帰ることにする。ピローケースも作ってみよう。来月16日からの「2月セール」に間に合うかな!?

 

1月19日(土) 臨時休校

 荒天から一夜明けたganga工房。
 空は青く晴れ渡り、遠くの山の峰々はうっすら雪化粧している。
 これが北インド本来の冬空だ。
 冬と言っても今朝の最低気温は6℃。日中は20℃近くまで上がる。
 我々の感覚では三月中旬くらいの陽気だが、インド人にとってはまだまだ冬だ。

 学校も臨時休業だ。通学の支度をしていた十歳のアリアン君(ラケッシュ甥)。家を出る間際に電話で休校を知らされ、小躍りして喜んでいた。ま、その気持ちわかる。
 インドの校舎は夏向きに作られている。なにしろ三月以降、半年以上夏なのだから。石造りの壁は分厚く、窓は小さく、もちろん冷暖房の設備はない。冬はさぞかし底冷えするだろう。だから、寒いと休業なのだ。

 工房のスタッフは、それぞれ日向に繰り出す。
 素材を梳(くしけず)ったり、糸を紡いだり、布の仕上げをしたり、機に向かったり。
 塀の上にはラグが干され、その向こうには麦畑が広がっている。(写真上)

 下の写真は、工房のアフタヌーンティー。
 今日のおやつはサトウキビだ。
 これはサリタ(ラケッシュ長姉)が近所の畑からもらってきたもの。もらったと言ってもおそらくは失敬なんだろうけども、そういうのはインドではほとんど問題にならない。融通と分かち合いの国なのだ。
 休校で大喜びのアリアン君とその従弟アビ坊が伯父のディネッシュ(染め主任)からサトウキビを一節もらっている。そもそもサトウキビはインド原産だ。それを囓るというのは、連綿と続くこの国の文化の一端なのだ。
 囓ったことある人は知っているだろうが、これはめちゃ硬い。強靱なアゴと歯が必要だ。この棒キレと格闘して初めて、「甘い汁」にありつけるのである。
 日本では近年、軟食によるアゴや歯の退化が問題になっているが、菓子や清涼飲料の代わりにサトウキビを与えていればそうした弊も少なかろう。経済的だし。
 アリアン君の奥は、Makiスタッフの秋田由紀子。サトウキビは初めてらしい。

 

1月20日(日) マンゴー・ガーデン

 今日は日曜日。
 我々が来ると日曜返上のこともあるganga工房だが、今日はホントに日曜日。
 ラケッシュ始め工房の男たちは朝からクリケットに興じるのであった。(クリケットというのは野球の原型と言われるイギリス伝来のスポーツでインドでは一番人気)

 午後はみんなで新工房の敷地に出かける。
 じつは明後日からビジョイ・ジェイン等スタジオ・ムンバイの一行5人が打合せのため来訪するので、準備をしておかないといけない。と言っても、ほとんど休日のピクニックであったが。

 運動がてら、敷地の東側にある小高い丘に登ってみる。
 敷地北西には、なだらかな傾斜のある麦畑と木立が、遥か彼方の原生林までずっと続いている。(写真上)
 誠に美しい田園風景で、このまま変わらないでいて欲しいと願うばかりだ。
 手前の褐色部分が敷地の一画。

 写真中が、敷地北側。
 段々畑になっており、人の立っている畑のあたりに工房が建つ予定だ。
 画面上端に私たちの乗ってきた車が映っている。
 左上の木立が果樹園だ。その多くがマンゴーの木。そこでこの敷地はマンゴー・ガーデンと呼ばれることになる。
 植えられてまだ数年ほどの若木だ。マンゴーは見事な巨木に成長する。いずれ、暑い夏に涼しい木陰を提供してくれることだろう。百年後のマンゴー・ガーデンを見てみたいものだ。
 百年待たずとも、毎年5月になれば、浴びるほどマンゴーが食べられるはず。
 とても全部は食べきれないから、漬物にして竹林shopで販売しようか。ラケッシュの次姉は漬物上手だ。(マンゴー未熟果のピクルスはインド名物)

 写真下は、マンゴーではなくて、ジャックフルーツ。和名は波羅蜜。
 もう小さな果実をつけていた。
 熟すと数十センチの巨果になり、生食でもカレーでもイケる優れ物だ。有難い名前もダテではない。
 真木千秋の手先で鎌首をもたげているのが、その花芽。
 この木の材は黄色の染料になるという。

 そのほか、レモンの木などもある。
 いろいろ遊べそうなマンゴー・ガーデンである。

 

1月21日(月) 染場と針場

 今日は月曜。
 晴れ渡った空のもと、スタッフ一同、元気に出勤だ。
 みんな近所に住んでいるから、通勤もほとんど散歩みたいなものである。日本に住んでいる我々にとってはうらやましいような環境だ。
 ganga工房の始業は朝9時。週初めの朝礼みたいのもあって、工房主ラケッシュが訓示を垂れる。(というか、真木千秋の指示をヒンディー語で通訳している)

 工房には、機場(はたば)のほかに、染場と針場がある。
 いずれもごくささやかなものであるが、それぞれ専従のスタッフがいる。

 染場ではさっそく火が入れられる。(写真上)
 カマドはインドの農村によく見られる、土でできたシンプルなものだ。
 今日はザクロ染めだ。
 ザクロというと日本ではイマイチ馴染みがないが、インドでは人気のフルーツだ。特に夏場、乾いた喉に甘酸っぱい果汁は快感である。
 染めに使うのはその果皮だ。中身を食べた後、残りの果皮を乾かし、保存しておく。食べて染めて、二度おいしい果物と言えよう。
 ザクロは大事な染料だ。灰汁媒染で黄色を染める。そこに藍をかけると緑になる。
 鉄媒染ではグレーだ。
 今日は家蚕の真綿をザクロの鉄媒染でグレーに染める。

 燃料はご覧の通り、薪だ。
 近所にはジャングルがあって樹木はいくらでもあるのだが、伐採は法律で禁じられている。よって薪は店から購入してくる。
 ガスや灯油ではなくて、薪。ここが大事なところである。というのも、薪を燃やすと灰ができるからだ。
 染織にとって、木灰は重要な資源なのである。媒染にも使うし、藍建てにも使う。
 探そうと思ってもなかなか見つからず、日本からわざわざ運んだこともあった。
 だから、カマドから出た灰は、大切にふるい分けて保存するのである。(写真中)
 もう菜の花の咲いているのに注目。

 針場(はりば)では、ちょっと新しいものを作っている。
 枕カバーだ。最近ではピロケースとも言われるらしい。
 素材はエリ蚕布。
 じつは、ふた月ほど前、ひとつ試作してもらって、私ぱるばが人体実験を重ねてきたのである。
 これが快適なのだ。
 ベッドシーツにも通じることだが、繊維に空気が含まれるので、断熱性があって肌に馴染みやすい。また、吸放湿性に優れ、サラッとした手触りで、防臭性もあるから、洗いたての爽快感が長く保たれる。アイボリーの天然色も心地良い。
 今まで木綿カディの枕カバーを長く愛用してきたが、遺憾ながらエリ蚕布には一歩譲る。ゼイタクなんだけどね…。人生の三分の一を共に過ごすわけだから、ま、いっか。
 薄手と厚手の二種類、大小の二サイズを製作。
 2月16日から竹林shopにてお目見え予定。
 

 

1月24日(木) スタジオ・ムンバイ来訪

 一昨日と昨日(1/22-23)の二日間、スタジオ・ムンバイ一行四人がganga工房に来訪。
 新工房設計のためだ。
 一行は、ビジョイ・ジェイン氏と、アシスタントの建築家・サム(米国人)&サロニ(インド人)、それに大工のディネシュだ。このうちサロニを除く三人は昨夏、五日市の竹林工房に来訪している。
 スタジオ・ムンバイのあるアリバーグからムンバイ空港まで車で三時間。ムンバイ空港からデリー空港、そしてデラドン空港を経由しての長旅だ。
 一行はこの訪問のため、毎夜遅くまで作業に励んだという。持参の木製模型(写真1)といい、様々な資料を集めたプロジェクト・ファイルといい、その準備の周到さがうかがえる。

 対するこちら側も、真木千秋始めスタッフ7名が、通常の業務をすべて休み、設計作業に参加するのであった。
 今回のプロジェクトは、Makiにとってはかなり大がかりだ。工房のほかに、居住棟やギャラリーも作る。今まで日本で経験してきた建築に比べ、数倍の規模になる。
 それゆえ、設計作業にもしっかり参画する必要があるのだ。

 写真1に見るごとく、全体的には、平屋の四棟を口形に配置する。
 真ん中に20m×30mの中庭を配し、そこで糸紡ぎや仕上げなどの作業ができるようにする。村の広場みたいなものだ。写真2はその中庭スペースを実地で見ているところ。写真3は中庭からの風景を説明するビジョイ。建物によって下の部分が隠され、眺めが良くなる。
 ビジョイの設計によると、各棟は煉瓦造り。というのも、煉瓦がこの辺ではいちばん普通の建材だからだ。どの家も煉瓦でできている。ただ、いわゆるレンガ色だけではなく、グレーや緑味など、土の素材や焼き方によって変化がつけられる。
 各棟の前(中庭側)には5mのテラスがあり、その上の庇は中空のポリカーボネート製だ。その軒先には金網のカーテンが巡らされ、テラスを風雨から守る。
 中庭も煉瓦だ。煉瓦は石などに比べ断熱性に優れ、酷暑の夏もしのぎやすい。土に牛糞仕上げでも良いが維持管理がチト大変…とか言うあたり、さすがインドの建築家だ。建築スタジオが染織スタジオをデザインするのだから、向こうもきっと楽しいのじゃないかと思う。(写真4・ganga工房の作業を見学するスタジオ・ムンバイ一行)

 このデザインの中で、真木千秋がひとつ引っかかっていたのが、金属カーテン。やや人工的で空間が分断される感じがするというのだ。それにテラス部分は5mもあるので、別にカーテンを巡らせて風雨を防ぐ必要もあるまい。そこで「カーテンは不要では」とビジョイに言うと、「あっそう」という感じであっさり無くなる。
 ポリカーボネートの庇も、清掃や強度を考えているうちに、いつしか木製になっている。
 平屋だった製織棟は二層構造となり、階下に広々としたスペースが生まれる。ギャラリーとデザイン室も、竹林shopや旧青山店みたいな二層構造になる。という具合に、両者の検討の中で、大きな仕様変更が次々に加えられる。

 極めつけは、二日目の夕刻。口型の四隅を考えていた時のことだ。
 四棟の間には少し距離があり、外から中庭には出入り自由だ。それを夜間どうするか? そのままだと、犬はつないでおくか、あるいは敷地を自由に駆け巡ることになる。閉じれば中庭に放しておける。この辺には夜間、豹が出没し、真っ先に食われるのは犬だ、とラケッシュが言う。(豹vsチベット犬のバトルは見てみたい気もするが)。ビジョイはしばしじっと考え、やにわに、大胆な仕様変更を提案する。 
 いはく、テラスの両端に木造の部屋を配する。四棟あわせて八室だ。そして、棟と棟の間に「京都ドア」をつけて、夜間には閉ざす。京都ドアというのは木製の格子戸のことだ。
 煉瓦の建物から張り出す木製構造!? ほとんどまとまりかけていた(と思われた)デザインが、四隅の夜間出入り問題で急展開し、私などはかなり意表を突かれる。大工のディネッシュはそれに応じて、その場でノコギリで木片を切り、木造の部屋を模型に追加する。あまりの速さに真木千秋もついていけない。八部屋増えることによって、全体の構成も大きく変わってくる。
「直感的に言って、こうしたほうが良いと思う。私だったらこうする」とのたまうビジョイ。(写真5)。 確信をもってそう言うものだから、こちらもそれを信じるほかあるまい。傍でサムが紙上にサッと素描して見せてくれる。
 ともあれ、非常にダイナミックな仕事ぶりであった。きっと内側にはいろんな引き出しがあるのであろう。

 今回はここまで。後はムンバイのスタジオに持ち帰り、案を練ることになる。
 次はひと月後、我々がムンバイ(アリバーグ)のスタジオを訪ねて検討会だ。
 工事自体は非常に簡単で、今秋の雨期明けに初めて、来年三月には完成だという。
 さてどんなふうに事が運ぶか、興味深いところである。

 

 

1月26日(土) gangaの源流を探る・その1「正しいチャパティ」

 昨日と今日(1/25-26)の二日間、スタジオスタッフとともに山に分け入ってきた。
 スタッフというのは、サンジュとサンギータ、アショク、そしてラケッシュと秋田由紀子だ。

 サンジュ・サンギータ・アショク、この三名が今日のキーパーソンだから、その関係をよく理解しておかねばならない。
 サンギータというのは、工房主ラケッシュの姉だ。そして、サンジュはその夫。この夫婦は昨秋来日しているのでご存知の向きもあろう。サンジュはganga工房長であり、サンギータも工房で布の仕上げなどを担当している。
 アショクはサンジュの弟で、工房の織工である。ややこしいのは、アショクの妻がラケッシュの妹サビータだということ(すなわちサンギータの妹)。つまり、この兄弟は姉妹と結婚しているのだ。サビータもまた工房の手伝いをしている。だからこの二人は工房と深い縁で繋がっている。

 サンジュ&アショク兄弟は、ヒマラヤ山奥の山村に生まれる。
 二人が子供の頃、一家は山村を離れ、首都デリーに出る。
 そしていつしか生家は朽ちてしまう。
 そこで二人は今、協力して家を建て直しているのだ。今回はその検分に同行したというわけ。
 昨日の昼過ぎ、みんなで工房の車に乗り込み出発。聖地リシケシから山に入り、ガンガー(ガンジス川)の深い谷を遡行する。約130キロ、五時間の行程だ。
 村に着く頃にはあたりは真っ暗。東の空から丸い月が昇る。今晩はサンジュ&アショク兄弟の叔父の家に厄介になる。サンジュ&アショクの父親は長男で実家を継ぎ、次男の叔父はその近くに家を構えている。
 ヒマラヤ山村の例にもれず、この村もかなり急な斜面に展開している。車道に車を置いて、数分下ったところに叔父の家があった。電気も来ているようで、裸電球が幾つか点っている。
 叔父夫婦、長男夫婦に子供ふたり、そして次男の七人家族だ。
 標高が千五百mほどあるので、日が暮れるとかなり涼しい。というか、寒い。
 叔父一家は私たちのために、二羽しかいない鶏の一羽をつぶして、もてなしてくれる。
 写真1は鶏を丸焼きする長男のサティッシュ。裸火に鶏を手かざしするダイナミックな料理法だ。ただし、外側を焼くだけで、内側はほとんど生。それにスパイスをまぶして、レアで食う。生きている姿を目にしているから不憫でなかなか箸が出なかったが、試しに食してみると、かなり美味い。「工房でも時々やるけど、買ってきた鶏だから、ぜんぜん違う」とはラケッシュの感想。

 家は叔父自身が山を削って作ったもの。寝室にあてがわれた部屋は、奥の壁と右側面が山自体で、入口のほか窓のひとつもない。そのせいか、火の気がなくてもかなり暖かいのだ。きっと地中と同じようなもので、冬暖かく、夏は涼しいのだろう。ただし、昼間でも灯火が必要だが。
 山本常一の『忘れられた日本人』を彷彿とさせるような生活だ。叔父は田畑で、米、麦、雑穀、豆、野菜を作り、牛や山羊を飼い、また道路工事などでなにがしかの現金を得る。写真2はその叔父と今朝撮ったもの。まだ日は昇らず、風が吹いて寒いのに、上下薄着で、裸足にサンダル履きだ。北方から来たはずの私のほうが着ぶくれている。

 食事がまた良い。
 一番気に入ったのが、主食のチャパティだ。小麦粉7割シコクビエ3割の配合。小さな台所の隅に作られた土のカマドに火を入れ、そこで作る。こねて延ばした後、まず鉄板で表裏を焼き、それからカマドの中に入れて膨らますのだ。(写真3・焼いているのは長男の嫁ウシャ)。これがじつに香ばしくてウマい。町場の家庭ではガスの火にかざして焼くのだが、やはり薪の火は違う。これがチャパティの正しい作り方なのだ。
 新工房にもこういうカマドを作って、せめてたまには正しいチャパティを食べたいと思うのである。

 写真4ができたてのチャパティ。
 この入れ物がまた良い。これは長男サティッシュの手製。麦わらで編んだカゴだ。このような製品が町場にはなかなか無い。ganga工房でもいろんな場面で必要なのだが、近辺では見つからず、首都デリーから買ってこようと思っていた。そこで早速幾つかサティッシュに注文する。
 サンジュ一族はなかなか手が良い。祖父が村の周辺で様々な事業を営んでいたのだが、そのひとつが床屋であった。子供は無料で刈っていたという。サンジュ父親も器用で、竹林Shopに並んでいるヒモは父親作である。叔父も家を自作しているし、次に出てくるサンジュ生家も叔父の長男サティッシュが作っている。
 言うまでもなくサンジュ自身は工房のあらゆる面倒を見ているし、弟アショクは織工だ。
 
 写真5が、その生家。今、建設中だ。
 左からサンギータ、サンジュ、アショク。
 注目すべきは建材。おそらく結晶片岩だろう、板状に劈開する石を使っている。
 このあたりの山はみなこの岩でできているから、掘ればいくらでも出てくる。それを積み重ね、隙間は土で埋めて、家を作る。じつにこの大地に根ざした建築なのだ。
 州都デラドンやリシケシ近所にこの石があったら新工房でも使ってみたいが、残念ながら無いようだ。
 ともあれ、ここがサンギータ老後の家になるのであろうか!? 夏など最高であろう。サンジュは8歳までここに居たという。

 東の山に遮られ日の出は遅い。やっと九時になって太陽が顔を出す。日差しは強いから、陽が出るととたんに暖かくなる。
 叔父さんの家を辞する前、二階のテラスで長男夫婦と写真を撮る。(写真6)
 背景に村の畑が見える。見事な段々畑だ。この中にはサンジュ家の畑もある。村の事業家だった祖父がかなりの土地を持っていたのだ。
 もしデラドンから近かったらここに工房を設けても良かったのに…と思わせるような山村だった。

 

1月27日(日) gangaの源流を探る・その2「ヒマラヤ山々」

 これは昨日の記事「正しいチャパティ」の続きなので、まずそれを読むこと。
 よろしいかな?
 では、昨日(26日)朝のこと。ヒマラヤ山村の叔父の家を後にして、車に乗り込む。
 じつはこの車道、昨年できたものなのだ。それ以前は、標高差で200mほど上にある街道まで山道を歩いて往復するほかなかった。村人の足で片道30分。我々だったら1時間はかかるだろう。

 尾根筋にある街道に出ると、そこには驚くべき風景が展開していた。
 ヒマラヤ山脈だ。
 六千〜八千m級の峰からなる山脈で、大ヒマラヤとも呼ばれる。これはなかなか拝めない。首都デリーはもちろん、州都デラドンなどインドの平野部では夢のような存在だ。手前に小ヒマラヤと呼ばれる二千〜四千m級の山々が畳々と連なっているからだ。ヒマラヤの山村はほとんどこの小ヒマラヤの谷筋にある。だから大ヒマラヤは望めないことが多い。尾根筋に出ないとなかなか見えないのだ。
 私もヒマラヤ山村には何度も出かけたが、こんな大パノラマは初めて。(写真1)
 正面にある重量級の山塊は、チョーカンバ峰(7,138 m)だ。

 道中、サンジュたちが左下方を指さす。ディネッシュの村だと言う。
 ディネッシュというのは、ganga工房の染場主任だ。ラケッシュ長姉サリタの夫でもある。谷の底部、わりあい平らなところにある村だ。やはり大ヒマラヤは望めない場所だ。
 写真2、↓のところにある小さな水色の家がディネッシュの実家。(拡大しないと見えない)。ただしディネッシュ自身は首都デリーで生まれ育つ。両親がデリーに移住したのだ。現在は夏期の二ヶ月ほど、両親が住んでいる。

 近辺でいちばん大きな町がパウリPauriだ。稜線下の北東斜面にある。ここからの大ヒマラヤの眺望も素晴らしい。もしインドに来て地上からヒマラヤの高峰を見たければ、ひとつのチョイスはここパウリであろうか。
 この町でラケッシュ一行は鐘をひとつ買う。真鍮の鐘だ。これから寺詣りをするので、その奉納品だ。 ここヒマラヤ山中は「神の地」と呼ばれるくらい、信仰心の篤い土地柄だ。どの店にも奉納品が置いてある。 とある雑貨店で良い鐘を見つけたので、店主のおじさんに刻銘を頼む。「GANGA DESIGN STUDIO」と入れてもらうのだ。するとおじさん、ざらめの砂糖の上で刻み始める。衛生は大丈夫か!? 黄色やピンクや黒は豆だ。(写真3)

 寺へは山道を2時間ほどの行程だ。標高二千mほどの所にさしかかると、あちこちに雪が残っている。車を飛び出して記念写真を撮るサンジュ、サンギータ、アショク、サティッシュ(写真4)。積もった雪を見るのが初めてなのだ。北インドは今年の冬、記録的な寒さだったという。

 寺院は標高千五百mの稜線上にある。地理的にはラケッシュ両親の村々の近くだ。
 二年前にも一度来たことがある。そのときはラケッシュ母の村から標高差千mを歩いて参詣した。片道6時間ほどかかった記憶がある。
 車を降りて、参道から西を眺めると、はるか下方にガンガー(ガンジス川)が光っている。(写真5)。注目すべきは、隣の山の段々畑だ。日本にも千枚田というのがあるが、小ヒマラヤの山々は千枚畑の連続だ。ガンガーの下流に行けば平地はいくらでもあるのに、なぜわざわざこんな険しいところに!? と大いなる疑問が…。
 おそらくは、気候とか、衛生とか、治安とか、様々な理由があるのだろう。

 寺の名は、ダンダ・ナーグラジャ寺院という。ダンダは山、ナーグは蛇、ラジャは王。さしずめ、蛇王山寺というところだろう。けっこう著名な寺で、インディラ・ガンディーも首相在職中に参詣しているそうだ。ただ、ロケーションがめっぽう不便なため、参詣者も少なく、インドの寺院にありがちな猥雑さがなくて良い。
 ラケッシュ母の村から参詣に来ている青年がいた。標高差千mの山道を二時間で歩いてきたという。驚きの健脚である。またその道を歩いて帰るのだ。子供の頃から遠い山道を毎日通学しているから、そんなものは朝飯前なのだろう。
 ナーグラジャとは、ヴィシュヌ神を天蓋のように蔽うキングコブラだ。それを祀っているのがこの寺院。今年はヘビ年だし、ちょうど良いかもしれない。
 いろんな供物を捧げ、バラモン僧の祝福を受け、回廊を四度巡る。
 この寺には真鍮の鐘がたくさん架かっている。善男善女が奉納したものだ。大きいのから小さいのまでいろいろ。ラケッシュ一行は大きめのをひとつ、内陣の入口前に吊す。(写真6)。さて御利益やいかに。

 寺の境内から大ヒマラヤが見えた。(写真下)
 これは広角レンズで撮った写真なのでヒマラヤも遥か彼方に見えるが、実際はもっと近い。直線距離にして100kmくらい。
 向かいの山の山腹に、ラケッシュ両親の村々が見える。拡大しないとよくわからないが、左側↓の下が父親の村。右側↓が母親の村。やはりヒマラヤは望めない位置だ。母親は下の村から上の村に嫁ぎ、そこで二人の子供を出産する(長女サリタと次女サンギータ)。その後、一家はデリーに移りさらに三子が生まれる(長男ラケッシュ、三女サビータ、四女スープリア)。
 まだ学生の四女を除いて、今回登場の人々は、現在みなganga工房に関わっている。

 母なる大河ガンガーは、神々の座・大ヒマラヤに源を発し、小ヒマラヤの谷々を潤し、北インドの平原に流れ下る。
 ganga工房の織物もまた、神々に発し、ヒマラヤの人々に育まれ、広く世に顕れいずる…。かな!?

 



 

1月29日(火) 春のデリー工房 

 現在、Makiの工房はインドに二つある。
 ヒマラヤ山麓ganga工房と、首都デリーの工房だ。
 今日は春のような陽気のデリー工房。
 二十有余年の歴史を持つ機場(はたば)だ。
 真木千秋は四日前からこの工房で仕事に励んでいる。
 またデリーには縫製工房もあり、図師潤子と田村朋子の二人が服作りに勤しむ。

 機場では今、四人の織師が機に向かっている。
 いずれも長年Makiの布を織っているベテランだ。

 左上がグラム。
 麻とタッサーシルクなど六本の杼を使って、広幅の服地を織っている。黒とグレーのグラデーションで、陰影と奥行きが感じられる。着物地のような雰囲気。「自分で言うのもなんだけど、切るのがもったいない」と真木千秋。

 左下はユスフ。
 ミニサイズのピンク折り返し織りのマフラーだ。
 左側ピンク、折り返しのところがカティア糸。糸を飛ばして織っているのでテクスチャーに富む。

 右上はイスラムディン。
 工房で最も古株だ。二十年以上Makiのために織り続けている。
 お馴染みの「ミストミックス」ストール。今回は初めて白を基調にする。
 細いナーシ絹をタテに引き揃え、ヨコには淡い薄グリーンや薄紫をあしらう。

 右下はシャザッド。
 名手だから今回は手だけの出演。
 薄オレンジ、薄紫、アカネなどで縦ストライプが織り出されている。透き通るような春らしいストール。

 

1月31日(木) 建築顧問来駕

 Makiの建築顧問に丹羽貴容子さんという人がいる。竹林Shopの設計者であり、竹林母屋の改装プランも立ててくれた。遡ると、養沢アトリエや青山Shop設計の際も、中村好文氏の許で丹羽さんが担当している。
 今回のganga新工房建設についても、実は丹羽さんが少々関与しているのである。
 あれは昨年8月、インドへ渡る二日前だったか、丹羽さんから連絡が入り、スタジオ・ムンバイのことを教わる。さっそくHPをチェックしてみたところ、なかなか良さそうだったので、渡印後、連絡を入れてみる。するとトントン拍子で話が進み、設計を担当してもらうことになったという次第。

 その丹羽さんが現地を見たいということで、はるばる旦那さんと一緒にインドにやってくる。
 写真左は現場に立って様々な専門的アドバイスをする丹羽貴容子さん(右端)。
 背景の大きな木は高級建材のチークで、インドにはたくさん生えている。

 ところで、果樹園部分にあるマンゴーの木。その数をラケッシュに聞くと「20本以上でしょう」と言う。それはチト控え目すぎるだろう。それでこの際、しっかり数えてもらうことにする。しばしカウントの末、答えは71本!。ついでに波羅蜜(ジャックフルーツ)の木も21本あるという。これだけあれば工房に仕事がなくなっても、マンゴーの漬物を作って生活できるかも。(インド人のワリに数に鈍感なラケッシュ)

 そのマンゴーの樹間を農婦たちが通り抜けていく。(写真右上)。工房敷地の周囲には一応有刺鉄線が張られているのだが、なんら障害にはならない。頭に乗っけているのは沙羅の葉。中部インドではタッサーシルクの食樹となるが、ここではもっぱら牛の餌だ。
 薪を運ぶ農婦も通る。(写真右下)。堂々と有刺鉄線を乗り越えて来るもんだから、「地主たち」もつい道を開けてしまう。ほとんど村の入会地みたいなものだ。
 ラケッシュが嬉しそうに指さしているのは、薪の上にある緑の葉っぱ。写真ではわかりづらいが、葉っぱは上下二種類。下の方が沙羅で、上がカレーリーフ。つまり、薪の上に、牛の食材と、自分の食材を載せているというわけ。カレーリーフというのは重要なスパイスで、インドに広く自生する柑橘系の樹木カレーツリー(南洋山椒)の葉だ。(食材に関する嗅覚は鋭いラケッシュ)
 

2月2日(土) 聖地のタンドール

 これはまったくたまたまのことであるが、ganga工房から一番近い街がリシケシだ。 州都デラドンよりも日本人にはお馴染みであろう。
 我々も用事があるとよく出かける。日本からの送金も、宛先はインド某銀行のリシケシ支店だ。
 
 工房の東方。象の出没する危険で美しい森を抜けて、車で約20分。ガンガー(ガンジス川)のほとりにリシケシの街はある。
 インドの「母なる大河」がヒマラヤの谷から平野部に流れ出す地点で、昔から聖地として知られている。
 両岸にはガート(沐浴場)やヨーガ道場が軒を連ね、インドの行者や善男善女のみならず、世界中から探求者や観光客が集まる。

 写真上はそんな沐浴場のひとつ。
 背景の丘は、ヒマラヤの尽きるところだ。
 上流だけあって水がきれい。みなさんがインドの沐浴というとイメージするかもしれない濁ったガンジスとはちょっと違っている。そのかわり水は冷たい。
 ひとりのインド婦人がサリーのまま水に入っていく。この後、全身をガンガーにひたすのだ。すると罪障がすっかり消滅するのである。

 聖地であるが、数万の人口を擁する街でもある。
 聖から俗まで、インドそのものがコンパクトにまとまっている。
 沐浴場に続く参道には、どの街にもあるような商店街が展開している。違いといえば、数珠や聖像、聖者ブックや聖歌CDの品揃えが充実しているという点か。

 その中にひとつ、おもしろい店があった。タンドール屋だ。
 タンドールというのは、インドの炭火竈だ。竹林カフェにもひとつ置いてあるからご存知の方もあるだろう。
 店の脇で実際にタンドールを作っていた。(写真中)
 ドラム缶に甕(かめ)を収め、隙間に砂を入れている。砂を入れるのは保温のためだ。甕の保護も兼ねているだろう。
 砂の中にガラス片が混ざっているが、これも温度保持のためだという。
 竹林カフェでよくお客さんがタンドールを覗きこみ、「この中には何が入っているのですか」と尋ねるのだが、その答えがコレだ!! 甕と砂とガラス。単なるドラム缶ではないのだ。
 ここのタンドールはガンガーの砂をつめているわけだから、有り難さもひとしおであろう。(ガンガーの砂は仏教で恒河沙と呼ばれ無限を意味する)

 店主がついでに甕の製作現場を見せてくれた。
 土は30kmほど離れたジャワルプールの産。触ってみると粘土である。
 そこに廃糖蜜を混ぜて甕にする。廃糖蜜とはサトウキビから製糖する際に出る副産物だ。(写真下)。廃糖蜜を混ぜると甕が割れにくくなるのだそうな。地元の素材を使いながら工夫して作っているというわけだ。
 意外だったのは、甕を焼成しないということ。甕は整形した後、乾かし、そのままでドラム缶に入れる。その後、まず干し草などで軽く火を通し、後日また、薪を入れて燃やす。段階を踏んで火に慣らすわけだ。その後はご存知の通り、炭火竈として活躍する。

 というわけで、いかがかな。当ページを読んでいるといろいろ勉強になるでしょう。
 ま、あんまり役に立たないけどね。
 それでも次回、竹林カフェでタンドール・チャパティを食べる時には、きっとひと味違うことでありましょう。

 

2月3日(日) 三周年・神々の降臨

 昨夜は「三周年記念」のお祭をする。
 ganga工房三周年だ。
 何をもって三周年とするのか工房主ラケッシュに聞くと、工房で初めて織り始めた日なのだそうだ。
 今を去る三年前の2009年2月4日、真木千秋のつくったタテに織工ママジがヨコ糸を通す。このときの素材は黄麻(ジュート)だった。
 だから正確に言うと三周年は明日なのだが、ま、土曜だし、日本からお客さんも来ていたし…。それで、昨夜となったわけ。

 お祭のため、ヒマラヤ山村から鼓師を呼ぶ。太鼓を叩きながら神々への賛歌を歌う人だ。
 ヒマラヤ山村では婚礼や法事などの行事があると鼓師を呼び、太鼓や歌に合わせて踊りながら神々を祭る。
 ganga工房のメンバーは基本的にヒマラヤ山村の民なので、何かにかこつけては、年に一度くらいは山から鼓師を呼ぶ。

 昨夜は夕食後、火を焚いて始まった。
 工房のメンバーほか、親類縁者、近所の人々が集まり、鼓師の太鼓にあわせて踊る。(写真上)。中ほどに立っている二人が鼓師。
 老いも若きもみんな、ごく自然に、輪になって踊る。なんだか沖縄を思わせるところがある。Makiのメンバーも一緒になって楽しく踊る。

 突然、空気が一変する。
 ラケッシュ祖母が神懸かりしたのだ。
 降臨したのは一週間前にお詣りしたナーグラジャ神
 実は三日ほど前にも、祖母にこの神が降りたのだが、そのときラケッシュ母が「2月3日のお祭にも来て下さい」とお願いしたのだ。それに応えてこの夜も来てくれたというわけ。祖母は巫女体質なのだ。
 このような降臨は山の民にとって珍しいことではないらしく、神懸かりが起こると、みんな合掌しながらその周りを取り囲む。
 祖母は八十近い年齢であるにもかかわらず、激しく踊りながら、ひとりひとりを祝福して回る。
 ただ、自分の長男(すなわちラケッシュ伯父)に対しては、かなり長く説教を垂れている。後で聞くと、伯父はあまり信心深くなくて、最近は法事なども手抜きをするらしい。それで神が諭していたというわけだ。
 祖母に続いて、二人の婦人が次々と神懸かりする。ひとりは近所の店のカミさん。この人にはクリシュナ神が降りる。次いで隣の奥さん。この人にはティリ地方のローカル神が降りる。神が降りると、婦人はヘアバンドを取り去り、あるいは奇声を発し、長い髪を振り乱しながら踊る。写真中はその地方神がラケッシュ父を祝福しているところ。
 三柱も降臨してくれるなんて、なかなか稀なことである。
 そんなこんなで、祭と踊りは日が改まっても続くのであった。

 写真下は今朝の工房。
 日曜であるが、日本から四人もスタッフが来ているので、みんな出勤だ。
 そんな中、新しい作業台が到着する。近所の木工所に頼んだものだ。
 スタッフが何人かひれ伏しているが、別に礼拝をしているわけではない。この作業台だったらこんなふうに昼寝できるね、と実演しているわけだ。
 手前で真木千秋が丹羽貴容子さん(建築家)に何か手渡している。実はコレ、来週から竹林Shopで始まる2月のお楽しみに出展するできたてホヤホヤ品だ。(実は私ぱるばイチオシのエリ蚕枕カバー)。運び屋を買って出てくれたのだ。
 丹羽夫婦は今夜ANA便で日本に向かう予定である。今ごろデリー空港で出発を待っているところだろう。
 みなさんのご厚情に支えられてなんとか命脈を保つMaki Textile Studioである。

 

2月4日(月) ジジャジの髭

 今日は朝から雨模様。
 前回降ったのは1月18日だから、半月以上雨がなかったことになる。
 良いお湿りだ。

 そんな中、バシッ! バシッ! という大きな音が聞こえてくる。
 静かな田舎だから、その音は数百メートル四方に響き渡る。
 水場でジジャジがウールの仕上げをしているのだ。(写真上)

 ホントの名前はディネッシュ。
 ジジャジとは「お義兄(にい)さん」という意味。
 ラケッシュがそう呼ぶので、私ぱるばも影響されてそう呼んでいる。
 ジジャとは義兄、ジは「さん」だ。文字通り、ラケッシュの義兄である。

 彼のことはもう何度か本ページでもご紹介しているので、お馴染みの方もあろう。
 ただ、今までとチト違う。
 写真を拡大してみるとわかるが、このイケメン義兄の口許にヒゲがあるのだ。

 実は二ヶ月ほど前、ラケッシュはジジャジと示し合わせて、ヒゲを生やすことにした。
 ちょっと大人っぽくイメチェンしようというのだ。インドの男たちはよくヒゲを蓄えている。
 ところが家族の反対に遭って、ラケッシュはあえなく沈没。
 いちばん嫌がったのは母親。
 それから四人の姉妹。うち三人は嫁いでいるが、みんな毎日工房に来ているから逃げられない。

 ジジャジはラケッシュ長姉サリタのムコ。
 サリタも嫌がっているが、ジジャジは妻の攻撃さえ耐え忍べば、ほかに口うるさい家族は周りにいない。(二人の息子に対しては厳父らしい)。それで今のところヒゲも無事なようだ。

 ラケッシュにはジジャジがもうひとりいる。
 次姉サンギータのムコ、工房長のサンジュだ。(写真下)
 こちらはかなり以前から口髭を蓄えている。
 もう見慣れてしまって気づかないくらいだ。それより赤いウール帽が目を引く。
 ラケッシュにはご覧の通りヒゲがない。

 ところでこの二人、午後、所用でリシケシに赴くのであるが、その帰途、森の中で巨大な象と至近距離で遭遇するのであった。怖かったそうだ。うらやまし〜!

 





2月7日(木) 冬晴れの工房

 東京・五日市も今日は晴れたようだが、こちらも久しぶりの快晴。
 月火水の三日間、荒天続きだった。昨夕など雷鳴とともに土砂降りとなり、なんだか夏の天気のよう。しかし、気温は低く、湿度は高く、みんな寒さに震えながらの仕事だった。

 今日は打って変わっての青空。
 日本の太平洋側にも似て、北インドの冬は通常このような晴天が続く。
 しかし、2月に入っても相変わらずの低温で、春なお遠しの感がある。
 ただ、太陽の光は強く、直射を浴びるとたちまち日焼けしそうだ。
 それでも日向は気持ち良いので、みんな帽子や頬被りをしながら外で作業だ。

 写真上は真木千秋とバギラティ(紡ぎ主任)。
 今日はまた新しい糸を作っている。
 ナーシ絹+ムガ絹だ。
 言うまでもあるまいが、ナーシとはタッサーシルクの蔕(ヘタ)、ムガとはアッサム特産の黄金シルク。
 昨年末、ナーシの真綿をインド東部から入手することができたので、ふんだんに使うことができる。
 ムガ絹は、昨年末アッサムから送られて来たムガ繭を、ganga工房で真綿にしたものだ。
 今回は混合比8:2で、やや太目の糸を混紡している。ふんわりとした風合いの糸が紡がれている。
 ところで、手前にあるカゴがなかなか良い。これは先日、街の見本市で見つけたものだが、ヒマラヤ山中の村で編まれたもの。素材は草だそうだ。

 中写真はパタンナー田村朋子と針場主任サリタ。
 やはり日向に机を出して、何やら細々とした作業をしている。
 縫い糸の整理だ。
 古いの新しいの、色調や太さの微妙な差異、そのへんをしっかり把握しておかないと、縫製の途中で糸種が変わったりというようなことが往々にして起こってしまう。
 平生からの管理が必要だ。

 菜の花の咲く染場では、秋田由紀子がうずくまっている。(写真下)
 陽光の中で、染め糸サンプルをチェックしているのだ。
 ログウッドで染めた絹糸だ。やや難しい染材なので研究が必要だ。
 沖縄・西表滞在が長く、ひといちばい寒がりな秋田。防寒着を重ね着し、ウールのマフラーを巻いている。ついでに雨に濡れた靴も乾かしている。

 早朝は5℃まで下がったらしいここドイワラ地区。
 日中は21℃まで上がるという予報。
 どの家を見ても洗濯物の花盛りだ。

 

2月8日(金) モックレノあるいは模紗織

 モックレノという織物がある。英語で書くとmock leno。
 mockというのは「模擬」、lenoはイタリア語で「紗」。日本語にすると「模紗」となる。

 「紗」とは、ヨコ糸を通すたびにタテ糸をからます織り方で、布一面に隙間(すきま)ができる。風通しが良く、夏の衣などに使われてきた。
 この紗織りのためには特殊な機が必要だが、通常の機でも織り組織の工夫によって、近似したものが織れる。それが模紗すなわちモックレノだ。
 Makiにも英語訛の「モックリノ」という名の麻織物があった。

 今回のモックレノは、手紡ぎのエリ蚕糸を使っているのが特長だ。
 エリ蚕糸は今までもいろんな場面で使われてきたが、薄手の織物はこれが初めて。
 隙間があるぶん、エリ蚕糸特有のふっくら柔らかい手触りが生きる。
 エリ蚕糸とともに、麻(亜麻)糸も織り込んでいる。
 エリ蚕のふくらみと、麻の涼感を併せ持つ、今までにない風合いの織物となった。

 下写真は織工アショクと真木千秋。
 実はアショク、タテ糸づくりを間違えたのだ。
 真木千秋の設計によると、布の表面にはエリ蚕糸のみが浮き出るはずだった。
 ところが、手違いのせいで、エリ蚕糸と麻糸がランダムに現れることに。
 これにより、布に不均一感が出て、かえって良くなった、と真木千秋。
 ケガの功名であるが、ともあれ、こうした職人たちとの協働によって布が生まれてくるのである。

 




2月9日(土) 第四の女

 工房主ラケッシュは五人きょうだいである。
 女四人、男一人だ。
 彼は五人のちょうど真ん中。つまり、姉が二人、妹が二人いる。
 女四人のうち三人は既婚で、それぞれ連れ合いとともにganga工房で働いている。
 そもそもはみな首都デリー在住在勤だったが、工房開設とともにここデラドンに移り住んで就労したのだ。例えてみれば、東京に住んでいたのが一族揃って信州あたりに I ターンするようなもの。工房主ラケッシュの責任も重大である。

 きょうだいの末っ子に、スープリアという妹がいる。18歳で、今春、高校卒業だ。
 今後の進路をどうするかというのが目下の課題である。
 兄の勧めで「テキスタイルを」と思ったりするが、近くにあまり良い学校がない。さりとて一人で首都デリーに出すのも心配だ。ビジネスを学ぶのもいいかも、いや、ウェブデザインなんかどう…などと周りは勝手なことを言っている。

 卒業間近で授業もないので、真木千秋はスープリアに毎日手伝いをしてもらうことにする。(写真上)。まずは生地のサンプル帳づくりだ。
 そもそも、工房中でいちばん英語の得意なのが彼女だ。学校では教科書もレポートも全部英語。これは真木千秋にとって大いに助かるところである。
 ただちょっと恥ずかしがりで、なかなか英語を話そうとしない。「こんな仕事つまんないだろ」とからかっても、はにかんで笑うばかりだ。
 いかに可愛い末妹であっても、先輩である姉たちは手加減しない。下写真、スープリアの手許にキビシい視線を送る第一の女サリタ。最年長の姉で、末っ子とは16歳違いだ。
 スープリアは来日したこともあるので、日本の事情もある程度わかっている。芳紀まさに十八歳、今後の人生航路やいかに。

 




2月10日(日) 工房の日曜日

 日本は三連休のようだが、こちらも今日は日曜日。
 ganga工房も久しぶりの休みだ。
 日本から真木千秋たちが来ていると休日返上のことも多いが、さすがに返上が続くと、それぞれ家庭の事情もあるし、士気にも影響するものである。
 それで今日は休み。

 現在正午で気温は18℃。昼過ぎには23℃まで上がる予報だ。
 日本でいうと春爛漫という陽気か。ただ朝方は5℃くらいまで下がり、その較差がやや辛いかも。
 その陽気に誘われ、工房の庭でバドミントンに興じる若者たち。(つまり秋田由紀子とラケッシュ&甥っ子ひとり)。
 ほかの若者たちは、どっかの広場でクリケットに興じているらしい。

 よく見ると、若者たちの背後で、働いている人々がいる。
 針場(縫製)スタッフだ。
 じつは、パタンナー田村朋子の滞在があと五日ほどなので、ご苦労なことではあるが針場スタッフ三名は今日も半日だけ休日返上なのである。

 針場主任のサリタ(ラケッシュ長姉)も出勤。
 休日出勤にまつわる問題点のひとつは、子供をどうするかということ。
 サリタも学童である息子二人を伴って出勤だ。(水場主任の夫ディネッシュはクリケット遊び)
 そこで真木千秋がしばしおもりをする。
 サリタの下の息子は折紙好き。今日も折紙持参でやってきた。
 そこで、箱やら花やら立方体やらいろいろ教える真木千秋。(写真下)
 上の息子はバドミントン、下の息子は折紙。兄弟もいろいろで面白い。
 

 




2月11日(月) 新春の光

 今朝、朝食をしたためていると、「Happy New Year!」と言いながら紡糸主任のバギラティが入ってくる。
 何かと思ったら、彼らの新年なのだ。
 そういえば中国の春節も今ごろであった。
 インドでもチベット文化圏のラダックやシッキムでは、旧暦の正月が祝われる。

 紡糸主任バギラティやその夫マンガルは、チベット系ではないが、チベット仏教を奉じている。だから今日が正月なのだ。
 本来ならば自分たちの村であるドンダで正月を迎えるはずであるが、今回は我々の滞在のため、ganga工房での新春ということになった。

 あれは三年前。初めてヒマラヤ山中、ドンダを訪ねたラケッシュ&サンジュ。
 ウール織の村とは聞いていたが、誰ひとり仕事をしていない。
 とあるお祭の最中で、みんな「頭に草」をつけ、酒に酔っている。
 ちょうど正月だったのだ。ヒンドゥー教徒だった彼らには知る由もない。ドンダはインドでも珍しい仏教徒の村だった。
 その翌日、初めてウール織を見せてくれたのが、マンガルの父親であった。その父親も一昨年、八五歳で往生を遂げたという。

 この「頭に草」というのが長年のナゾであった。それが今日、実態判明した。
 上写真で、女たちが髻(もとどり)に付けているのがそれ。バギラティが持参して、今日は工房のみんなが付けた。真木千秋(右手前の黒い物体)の頭にも見えるが、これは大麦の芽だという。男たちには髻がないから、みな耳に挟む。

 下写真は、新春の光の中、機に向かってウールを織る今日のマンガル。
 

 




2月13日(水) 二日目からのお楽しみ

 今週土曜(16日)から始まる、竹林2月のお楽しみ。
 これは、言うなれば、ちょっとしたセールだ
 それとともに「インド土産」も店頭に並ぶ。(こちらを参照)

 こうしたイベントでは、初日にご来店のお客さんが比較的多い。
 しかしながら、今回は二日目以降の来店も一興だ。
 というのも、二日目から店頭に並ぶものがあるからだ。

 たとえば、写真右上。
 ガムチャ(左)とルンギ(右)。
 名前は変わっているが、要するに、長方形の布だ。
 ガムチャは90x170cm、ルンギは115x200cm。(左下写真はルンギ)
 どちらもシルク手紡ぎ手織り。天然色。マトカと呼ばれる手紡ぎ糸を用いた中厚の布だ。
 ショールにしても良いし、腰に巻いても良いし、掛けても敷いても何でも良い。ざっくりした味わいが特長で、使い込むほど柔らかくなる。私ぱるばも早速ルンギをひとつ下ろしてこちらで使おうと思っている(役得)。
 ガムチャ ¥4,000 ルンギ ¥7,500

 
 写真右中は、真鍮(しんちゅう)の器。
 ガンジス川上流の聖地デヴァプラヤグで入手したもの。
 大きな皿は打ち出し製作。鈴はひとつひとつ音が違う。
 祭具として作られたものだから、御利益あるかも。
 皿(大) ¥2,500 皿(小) ¥1,800 鈴 ¥800

 写真右下。ヒマラヤ山中で手作りされたMakiも愛用のアロマ石鹸。
 その名も「カディ・ソープ」。
 白檀、栴檀(ニーム)、ジャスミン、アロエなどいろいろ。
 シンプルでナチュラル。肌にしっとり。¥400


 なぜ二日目からかと言うと、明後日にこちらを発つスタッフが手持ちするからだ。
 竹林着はどうしても2月17日ということになる。

 というわけで、二日目からも楽しい竹林の2月。

 

2月14日(木) 朝礼とお転婆娘

 朝日の中、今日は工房のみんなで集まる。
 ここ数日で急速に気温が上昇し、人々も日陰を好むようになってきた。
 日印合わせて16人の面々だ。
 どんな話をしたかというと、たとえば、「針場の針をキチンと管理しましょう」とか。針を持ち出して、どこかに放置し、それが製品の中に紛れ込んだりしたらタイヘンだ。特に折れた針とか曲がった針などキチンと処理しないといけない。
 あるいは、新しい干し場ができたので、有効に活用しましょうとか。上写真に見える白い構造がその干し場だ。数日前、鍛冶屋さんが鉄の角パイプを持って来て、その場で計測して切断。その日のうちに溶接して設置する。それから塗装屋さんが二日かけてペンキを塗る。そこに白いヒモを通して、昨日できあがったばかりだ。
 新工房ができたら、この鉄フレームを幾つかに切断して運び、現地でまた溶接して組み立てるんだという。インドもなかなか小回りが利くのである。

 下写真は昨日のひとコマ。
 満二歳になるディシャだ。父親は工房長サンジュ、母親はサンギータ(ラケッシュ姉)。つまりラケッシュの姪っこだ。
 いつも工房中を飛び回っているお転婆娘なのであるが、このときだけはラグの上にチョコンと座って、何やら殊勝な営みにふけっている。
 チャパティづくりの練習だ。ピンクの紙をチャパティ生地に見立てて、丸棒をコロコロ転がしている。
 チャパティづくりはインド主婦の日常の仕事だ。ディシャにとってもお馴染みの風景なのだろう。
 母親のサンギータは12歳の頃から家でチャパティを作っていたという。祖母(すなわちラケッシュ母)に至っては6歳から作っていたそうだ。
 サンギータは姉妹の中でもとりわけ料理好きなのだが、このお転婆もその血を受け継いでいるのだろうか。
 

 







 

2月15日(金) 春の始まり 〈真木千秋〉 

 先日のチベット仏教のお正月に引き続き、昨日はヒンドゥー教徒のバサント・パンチメ「春のはじまりの日」でした。

 このごろは、朝晩はまだ肌寒いのですが、日中の気温は、24〜25度まで上昇。風が吹くと気持ちよく感じるようになりました。
 「バサント・パンチメ」になると、チョウチョが舞いだしたり、木の芽が吹きはじめたり、お花が咲いたり、「春がはじまるよ〜」ということだとラケッシュが言っていました。

 お昼前には、ラケッシュのナニ(母方の祖母)が大麦の苗をたくさん持ってきました。
 その苗を、私たち一人一人の頭に載せ、工房の入り口すべてに飾ります。
 そして、ウコンと米粒を混ぜたものを第三の目につけてくれて、お祈りをしました。

 写真左上・工房の入口
 写真左下・糸倉庫の入口
 写真右上・苗を頭に飾って糸作業
 写真右下・秋田由紀子も

 ナニはここのところ一日中裸足で畑作業をしています。
 小ぶりの細長いカマ一本で、見事に畑を耕したり収穫したり、移植したり草をとったりします。
 ナニの作業した畑は生き生きとしています。野菜がニコニコしているかのように見えるのです。
 そのナニと祝うバサント・パンチメは本当になにか緑の神様に通じているような気がしました。

 




 

2月21日(金) ganga便り 〈真木千秋〉 

 みなさんこんにちは。

 ganga工房のあるウッタラカンド州。
 2月に入っても朝夕はとても寒い日々でした。
 でも、もう春です。
 工房の隣にある麦畑も、だんだん黄色がかってきました。
 日中は、25度になる日もあります。



  — 今日の風景 —

左上)
ランチのアルビー(さといも)のサブジ。
畑のコリアンダーをたくさんかけて 。

右上)
ジョンゴール(ヒマラヤひえ)にウラット豆、サラダ。

左下)
 今日できあがってきた来秋のマフラー。
 ラダックから持って来たチュルサという染料のオレンジ色と、日本で染めて運んできたフクギの黄色。(右下はその糸)

 

2月23日(土) 南印の衣食

 ゆえあって南インドを移動中。
 同じインドでも、北と南では、気候風土はもちろん民族も言語も文化も違う。
 ほとんど外国と言っていい。

 衣裳について言えば、メンズの違いが顕著だ。
 腰巻男が多い。
 常夏の気候だから、風通しの良い腰巻が快適なのだ。
 一口に腰巻と言っても、ルンギとドーティの二種類がある。

 ルンギは手軽な腰巻だ。
 薄手の木綿で、カラフルなチェック柄が多い。
 一般的には家着だが、田舎ではそのまま外出したりする。
 デリー工房の職人も地方出身なので、ルンギ姿で仕事をしている。
 工房経営陣のアジェイやウダイといった「旦那衆」がルンギで外出するとは、ちょっと考えられない。(ちなみにダンナという言葉はインド起源)
 南インドでは町場でもルンギは珍しくない。暑い時には膝上からたくし上げれば半ズボンだ。(写真上)。じつに便利である。
 ただ、あくまで普段着なので、寺院には入れなかったりする。

 これに対して、公式の腰巻がドーティだ。
 しっかりした白地の木綿で、サイズはルンギより長い。マハトマ・ガンディー着用の腰巻もドーティだ。
 ただ、北インドでは現在、あまり見かけない。ほとんどが西洋式のズボンだ。デリー工房の経営陣もみなズボン。
 それに比べると、南インドでは日常的によく着用されている。
 写真中は本日、某空港のラウンジ。これから出張に出かけるビジネスマンもドーティだ。(私ぱるばのは嘘ドーティ)
 ルンギもドーティも、涼しげで格好良い。画一的な西洋化に押し流されず、残して欲しい風俗だと思う。
 日本も夏場はほとんど熱帯なのだから、南インドに倣ってみんなで腰巻すればいいのだ。それがクールビズというものだろう。

 食も南北は大いに違う。
 日本で紹介されているのは現在、ほとんどが北インド系の料理だ。
 南インドは米が中心で、ココナツを多用する。
 わりあいサッパリしていて、日本人の口には良くあうと思われる。
 中でもいちばん日本でウケるだろうと思われるのが、ドーサ。(写真下)
 これは竹林カフェでも何度か出しているので、ご存知の方も多かろう。米粉のクレープで、それをココナツなどのチャツネや豆スープ(サンバル)と一緒に食べる。
 現在は南のみならず全インド的な人気メニューだ。私ぱるばは北インドganga工房滞在中でも、街で外食する時にはいつもこのドーサを頼むほどだ。
 三年ほど前、ウチのシェフ・ラケッシュを連れて南インドへ赴いたのだが、とある街の食堂に入ってドーサを食べ、「美味しいね!」と顔を見合わせたものだ。本場のドーサはやはりひと味違う。
 しかし、ラケッシュも負けていない。日本では生ココナツや生カレーリーフは入手困難なのだが、それでも驚くほど美味なチャツネを作るのである。
 先月も書いたが、5月1日からのイベントではそのドーサを提供する予定なので、お楽しみに!!

 

3月2日(土) Studio Mumbaiを訪ねる

 2月26,27,28日の三日間、インド西部にあるスタジオ・ムンバイを訪ねる。
 スタジオ・ムンバイというのはビジョイ・ジェイン氏の率いる設計事務所だ。
 ご存知の通り、Makiもganga新工房の設計を依頼している。
 今回もその打合せのため、四人で出かける。真木千秋とラケッシュ(ganga工房主)、サンジュ(ganga工房長)、そして私ぱるばだ。

 スタジオ・ムンバイは、その名の通りムンバイ市内にも事務所を構えるが、本拠はアリバーグというところにある。
 アリバークはムンバイ南郊にある海辺の街で、ちょっとしたリゾートでもある。ムンバイの名所「インド門 Gateway of India」正面からフェリーに乗って約一時間。更に車で小一時間ほどのところにスタジオがある。
 写真1がその入口。何の標識もなく、バニヤン樹(ガジュマル)や椰子などエキゾチックな木々の生い茂る中を入って行く。何千坪もあるであろう広い敷地のあちこちで、様々な営みが行われている。竹細工や、煉瓦づくり、小屋づくり、タイルづくり、家具づくり、漆喰づくり…。そしてもちろん設計に関わる諸々の作業。多くは屋外や仮設屋根の下で行われる。数多くの人々が携わり、その国籍もいろいろだ。
 ビジョイ氏を中心として何人かの建築家がおり、そしてインターンとおぼしき建築家たち、さらには建築を志すインドの学生たち、そして海外からの研修生たちも混じる。日本人も二人ほど働いている。近々ほかに三人ほど日本人が加わるという。
 そして、インドの手仕事を継ぐ職人たち。大工、石工、左官、家具職人etc..
 また今はちょうど忙しい時期なので、地元の女衆も手伝いに来ている。
 「スタジオというよりアシュラム(道場)だ」とはここに滞在している某インド人建築家の弁。たしかにB氏にはグル的な風格がある。
 
 写真2は煉瓦のサンプル。
 インドの建材でいちばん一般的なのが煉瓦である。インド中のどこでも焼かれている。土をこねて、籾殻などで焼成するのだ。
 土に鉄分が多いせいであろう、赤味を帯びたいわゆるレンガ色が一般的だ。
 新工房も今のところ煉瓦造りとなる予定。ただ、赤いレンガ色はあまり真木千秋の好みではない。
 そこでB氏は様々な色の煉瓦を揃えてくれていた。焼成温度などの違いによって色が変わる。じつはこれら変色煉瓦は「不良品」として省かれたものなんだそうだ。この方が通常の赤より良い。そこでサンプルとして五つほど、工房長サンジュ(写真右側)が持ち帰ることになる。五つで8kgにもなった。
 煉瓦の積み方にも工夫が施されている。通常は隙間無くびっしり積むのであるが、こちらの積み方は内部に大きな空洞を残している。それによって断熱性が増し、材料の節約にもなるのだそうだ。これもインドに伝わる積み方だという。

 写真3は設計室だ。「室」と言っても屋根だけで、壁は無い。人も虫も出入り自由なオープンスペースだ。
 奥の書棚には建築関係の書籍がびっしり。その前にある机では、インターンとおぼしき若い建築家たちがパソコンに向かっている。
 手前のテーブル上ではganga新工房の模型が作られている。卓上、左手の模型は小縮尺のもので、全体的な地形がよくわかる。西向き斜面の下方に口型の工房が見える。卓上右手には新工房の大縮尺模型。その前に立っているのが、前月ganga工房にも来た大工ディネッシュだ。
 一番手前では図面が引かれている。

 写真4は別棟の設計室で新工房のデザインを検討しているところ。
 この「別棟」の出自がおもしろい。やはり簡単な構造で、屋根があって周りを防虫ネットで囲ってあるだけなのだが、じつは、日本での展示会のために作られた棟なのだ。先ごろ東京・乃木坂のギャラリー間でスタジオムンバイ展が開催されたが、その展示会場を模して作られたのがこの棟なのだという。この棟の中で実物大の模擬展示を行い、それをもって東京に赴いたわけだ。
 スタジオムンバイはその人手と技術とスペースを活かして、できるものは何でも作ってしまう。たとえば我々の新工房プロジェクトでも、織機の実物大模型を木で作り、設計の参考としていた。
 というわけで、東京展示会のために作った棟が、今「防虫設計室」として活用されていた。(もっとも虫を気にするのは虫刺アレルギーの私くらいのもので、インド人にとっては友達みたいなもんだろうが)

 当日誌にもあるごとく、ひと月前の1月下旬、B氏一行がデラドンのganga工房に来訪し、ともに工房デザインを検討した。
 その後、氏の中でもいろいろ構想が練られたようで、前回とはまた違ったカタチになっていた。大きな違いは、建物の形態だ。前回は長方形だったが、今回はL字型になっている。そして中庭へのアクセスが各辺ともより中央寄りになった。 この方がスッキリして良いのではないかと思える。
 また、今回の検討を経て、二層構造にも変更が加えられる。
 そしてたどりついた形が、写真5の通り。(いちばん手前の細長い壇は暫定)
 ただ、着工は雨期明けの10月頃だから、この先どうなるかはわからない。

 26日の夕刻、二台の車に分乗して、スタジオムンバイ作品の見学に出かける。
 スタジオから車で数十分の範囲に、手懸けた建築物が幾つかあるのだ。この日は、そのうちのコパーハウスと、ウツサブハウスを見学する。どちらも住宅で、個人の別荘であるようだ。その日は両家とも家主が不在で、使用人たちが迎えてくれた。
 どちらの家も展示会や書籍で見てはいたが、実物に接するのは初めてだ。
 そして、展示会や書籍で見るのとは、ぜんぜん違うのである。やはり家屋は、その中に身を置かないとわからない。家人が居ないせいもあろうが、じつに静謐で、気持ち良く、美しい。建築に疎い私の目から見ても、やはりB氏はただ者ではない。写真6は最初に訪れたコパーハウス。
 二番目のウツサブハウスを訪れた時は、もはやあたりは薄暗くなっていた。この家も中庭を囲む形で、中庭の広さは新工房とだいたい同じくらい。東側に小高い丘が控えるところも似ている。その丘からまさに満月が顔を出す。中庭には池塘も配され、控え目な照明とともに、別世界のような趣を醸し出している。ウチの工房もこんなふうになるんだろうか。これはちとヤバいかも…。

 このB氏、3月にはミラノやアラブ首長国連邦へ出張という忙しい身でありながら、我々には実に親身になって接してくれるのである。外国人だから資金計画も難しかろうと、ムンバイ市内の会計事務所まで同道し、あれこれ面倒を見てくれる。たいして実入りのある仕事でもあるまいに、どうしてまた…。
 その理由がなんとなくわかってきたような気がする。要するに、彼のしていることと、我々のしていることが、似通っているのだ。どちらも、伝統の素材と手わざを使って現代に生きる美しいものを作ろう、と奮励努力しているのである。

 異国の地で工房建設ってのは実に骨の折れる企てなのであるが、B氏の応援があれば何とかなるのか、と思える今日この頃である。
 

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3月6日(水) 犬問題 あるいは 意外な食材

 久しぶりにganga工房に戻る。
 今日の最高気温は29℃。日中はほとんど夏だ。
 人も犬も日陰で過ごすようになる。

 工房の愛犬。松五郎と熊五郎。
 これは二年前、遊牧民から譲ってもらった牧羊犬だ。
 ツートンカラーが松五郎、黒いのが熊五郎。
 両方とも♂で、兄弟みたいなものだ。

 そのうちの熊五郎なのだが、馬鹿犬なのではないかというウワサがある。
 というのも、靴を外に出しておくと噛むし、洗濯物をメチャメチャにしたりする。先日も真木千秋の大事なパシミナセーターを穴だらけにしてしまったし、ラケッシュ父のパンツもやられた。私も昨年、何者かに眼鏡を台無しにされたが、これも今思うと熊五郎の仕業に違いない。松五郎はそういう悪戯はしない。だから熊はちょっとお馬鹿だ、というもっぱらの評判であった。
 ある犬好きの友人にそのことを話すと、彼女いはく「人の見ていない所で悪戯をするのは、犬同士の関係性に問題ありかも」という。
 そう言われてみると、思い当たるフシもある。なにかにつけて、松五郎が優先されるのだ。散歩も松五郎が先だし、給餌も松が先。なぜかというと、熊を先にすると松がウルサく文句を言うからだ。松の方がやや大きいこともあって、おそらく自分の方が上位だと思っているのだろう。オレを後回しにするなんて許せん! という感じ。それで熊にウップンがたまり、見えないところで悪さをするのだ、きっと。それで「朝夕の散歩は熊から連れて行ったらいいよ」と伝える。犬の散歩係はラケッシュ父だ。でも気がつくと、今夕の散歩はやっぱり松が先だった。とにかくデカい犬だから文句もハデなのだ。というわけで熊の悪戯は当分収まらないかも。

 ラケッシュ母方の祖父母が来た。
 近所に長男宅があり、そこに長逗留しているのだ。
 祖母は農作業が生き甲斐で、この工房の庭も祖母の菜園になっている。
 おかげで採りたて野菜の料理が食べられて有難い。
 祖父は体調の関係もあって、もっぱら手仕事だ。(写真下)
 きょうはちょっと変わったことをしている。大根の若サヤをもいでいる。花の咲いた後、種のできる部分だ。これが立派な食材なのだ。かじってみると、なんと大根のような味。サッパリして美味。インドではジャガイモ料理に混ぜて使うようだ。
 日本でも大根を収穫せずに放っておくと、やがて花が咲いて種ができる。すると「困ったもんだ」とばかり引っこ抜いて捨てるのである。そもそもF1品種だから種を採取することもない。その用無しの若サヤが食べられるとは意外。
 菜園をやっている人は利用してみるといい。ちなみに先っぽの尖った部分は取り去っていた。

 





3月12日(火) 蚊帳作戦

 三日前の3月9日、真木千秋&ラケッシュ&私ぱるば帰国。
 二ヶ月ぶりの日本は予想以上に暖かく、かつ、すごいスギ花粉状態だった。
 帰国早々であるが、また真木千秋にヒラメキが。

 キッカケは二週間ほど前に訪れたスタジオムンバイ。
 三月末からミラノで同スタジオ展示会があるのだが、その展示品のひとつがコレ(写真左下)。
 何かわかるかな? 蚊帳だ。インド路上生活者が使っている。雨期でもなければ、これでじゅうぶん快適に夜を過ごせる。
 
 それで考えた。
 日本だって蚊がいるではないか。
 ウチでも作ってみようか。

 そこでさっそくぱるば実家から蚊帳を取り寄せる。(写真右上下)
 母親に電話して送ってもらったのだが、さっそく企画室に張ってみる。
 四畳半くらいのサイズで、子供の頃、使った覚えがある。半世紀ほども前だ。ホタルを放って一緒に寝たこともある。(向こうは迷惑だったろうが)
 萌葱色の地に紅の縁、いわゆる近江蚊帳というやつだ。
 素材はおそらく大麻で、手績み糸かと思われる。
 これなども参考にしつつ、蚊帳を考えてみよう。十年ほど前、中村好文展の際いちど蚊帳っぽいのを共作したこともあったが、さて今度はどのようなものができるか。

 





 
 

  3月13日(水) エルデコ4月号

 先週発売のエルデコ4月号。
 タイトルは「インドに誘われて!」
 インド特集だ。
 副題として「スタジオ・ムンバイからゴア海岸散歩まで」とある。
 インド西岸の商都ムンバイを中心にして、店やら、家やら、建築やら、人々やら、様々な情報が満載だ。

 Makiにとっては、その中のスタジオ・ムンバイ関連のページが見逃せない。
 特集冒頭には8ページにわたってスタジオ訪問の記事。
 我々もつい先日訪ねたばかりなのだが、その雰囲気や基本姿勢が写真や文章からよく伝わってくる。
 後半にはまた8ページを使ってスタジオ・ムンバイの手懸けたパルミラ・ハウスの紹介記事。アラビア海の浜辺に楚々と寄り添う住宅のたたずまいが例えようもなく美しい。ウチの工房もこんなふうになるのかと思うといよいよ心配だ。(じつはこの家で夕食を御馳走になる予定だったのだが、打合せが伸びて沙汰無しに…(:_;)
 ついでに、ganga現工房と真木千秋も86ページ全面に登場。これはビジョイ(スタジオムンバイ主宰)の紹介で掲載されたものだ。ホントに面倒見の良い人だと思う。

 というわけで、インドに誘われてみたい人には必読の一冊。
 今なら書店に並んでいるはず。
 ホームページはこちら。(デジタル版もあり)

 
 

  3月14日(木) 3月17日は新井淳一展へ

 諸嬢諸氏。
 来週の日曜は予定あるかな?
 ない? だったら新井淳一展へ来たまへ
 場所は東京新宿のオペラシティ。
 
 本ページ1月11日の項でもご紹介したが、現在そのアートギャラリーで同氏の大規模な展示会が開催されている。
 会期も3月24日まで。余すところ10日だ。
 布に関心のある人には必見の催しである。

 で、なぜ3月17日かというと…。
 真木千秋と私ぱるばが出演するからだ。
 午後二時から、ゲストトークというやつ。
 入場無料だが事前の申し込みが必要。残席僅少らしい。
 さて、何のトークをするか真木千秋と打合せしないと。(あまり期待できない!?)

 
 

 

3月19日(火) 明日から松屋銀座展

 桜も開花し、春爛漫の東京。
 明3月20日(水)から4月2日(火)までの二週間、銀座の松屋百貨店で春の真木テキスタイルスタジオ展「絹をかさねる」開催。
 場所は7階「遊びのギャラリー」。
 春色のストールや軽やかな衣など、新作をいち早くご紹介する。
 明日は真木千秋も会場に立ってみなさんをお迎えするというので、銀ブラがてらぜひお立ち寄りを!



3月21日(木) 布目の土器

 山梨県上野原にある熊くん(熊谷幸治氏)の土器工房を訪ねる。
 昨年12月以来、三ヶ月ぶりだ
 熊くんには今年5月1日からの竹林展示会に参加してもらうので、その様子を見に行ったのだ。冬眠されていても困るし。
 ところが熊くん、我々がインドに行っている間も、しっかり製作に励んでいたようだ。

 焼き上がったばかりの皿を見せてもらう。(写真上)
 拡大してもらえばわかるが、タダの皿ではない。
 布目の皿だ。
 布はMakiのハギレ。1月のハギレ市の際、氏自身で選んだものだ
 土器の表と裏にハギレをあて、野焼きで焼き上げ、蜜蝋を滲み込ませている。
 様々な布を使って、試作の段階だ。
 深い容器だと布にシワができるので、このくらい平たい皿が良いという。
 一目見てどの布かわかるのもある。
 優しい土器の感触に、布目がよくマッチする。
 皿として使うのはもちろん、手に載っけて触っているだけで楽しい。他に類を見ない触感系の焼き物である。

 中写真はロクロで器を作る熊くん。
 ワラのヒモで底面を切り離したところ。
 土器は縄文が世界最古級だが、ロクロの技法はその後、西方から伝来したものらしい。
 このサイズの器は猪口(チョコ)で、今拙宅ではこれで晩酌を楽しんでいる。5月の展示会では、ひとサイズ大きなチャイカップも出品される予定。

 熊くんの傍らにはいつも縄文が控えている。
 縄文時代、土器工人たちは外で仕事をしていた。
 手びねりで器を作り、土の上で乾かした。
 モノによっては、土の凹みで整形して、そのまま乾かす。そうしないとできない形がある、と熊くんは言う。特に縄文前期の器だ。土の上に草を敷いて作業をしていたようだという。このあたりは土器作家ならではの観察だ。
 写真下は、土に凹みを作って、まだ柔らかい土器を置き、丸底の器を使って整形しているところ。
 スタジオの中に縄文時代の環境がしつらえられているのだ。
 興味の尽きない工房である。
 

3月22日(金) オーバルな針山

 昨日の続き。
 熊くんの土器工房訪問(詳しくは昨日の記事参照)の後、中央道を西走して信州松本へ。
 目指すはラボラトリオ。井藤昌志さんの店だ。
 木工作家である井藤さんも、竹林5月展にお目見えである。
 1月中旬、氏が竹林に来てくれた際、やはりハギレを選んでもらっている

 そのハギレがどうなったかというと、針山になっていた。
 そして、人気のオーバルボックスに収まっていたのである。(写真上)
 氏の手にしているのが、そのオーバルボックス入り針山。
 写真右手に見える大サイズのボックスに比べると、いかにもミニチュアだ。
 しかし、ナリは小さくとも、同じくらい手間のかかった立派な木箱なのである。
 材はカエデ。ほかに桜材でも作る予定。これが百個くらい並ぶというから、ちょっと壮観であろう。

 もちろん、様々なサイズや色のオーバルボックスもやってくる。
 それから、木の皿とか、タオルラックとか。
 そのほか、竹林用に新しいモノも考えている様子。蚊帳作戦に参加するかも。

 打合せが終わるや、すっかり買い物モードの真木千秋。(写真下)
 実はラボラトリオに来るのは初めてだったのだ。
 この店には、井藤作品のほか、生活に関わる様々なものが置いてある。井藤氏によるセレクトショップなのだ。
 もともと人類学(or 民俗学)を専攻していた氏の守備範囲は誠に広い。服やショールの下にドイツ製のいかつい海上照明器具がころがっていたり。真木千秋の買い物の中には、農作業用の長大なゴム長靴も。柔らかくて良いのだという。ほとんど百姓仕事もしないのに変だなと思っていたら、藍染用だという。
 ここではMakiの展示会も行われる。
 二階にあるカフェでランチやお茶をするのも良い。

 

3月24日(日) 国分寺の間際族

 昨23日の土曜日。
 国分寺に増満兼太郎氏を訪ねる。
 もちろん、5月展のためのチェックである。

 そもそも、この5月に革土木三人衆が竹林に登場することになった遠因はこの増満氏にある。毎年5月ごろ竹林でMaki展が開催されるのであるが、「そのとき僕もリヤカーを作って参加しようかな」と発言。それがキッカケとなり、熊谷氏や井藤氏も招聘いたす次第となったのである。
 先週もお伝えした通り、既に熊谷氏はMaki布目の皿、井藤氏はMaki布の針山を準備している。当然増満氏も、と期待して出かけたのであったが…
 昨年12月の竹林展以降、感冒を患ったりいろいろタイヘンだったようだ。
 それに加え、今週金曜(3/29)から氏の自宅にてハウスのハウス展 2013が催されるので、その準備も忙しい。
 というわけで、まだ5月に向けては本格始動していない様子である。昨年の竹林展の際もそんな感じであった。展示会前夜まで工房にこもって作業に励んでいた。間際にならないと力が出ないタイプなのであろう。こういうのを窓際族ならぬ間際族と言うらしい。

 というわけで、気長に暖かく見守ることといたそう。
 写真のリュックは氏が長男のために作ったもの。ハウス展にも出品。

 

3月26日(火) 煉瓦工場を訪ねる

 久しぶりにインド話。
 十日ほど前のことだ。
 ganga工房長サンジュから写真が届く。
 煉瓦工場(レンガこうば)のものだ。

 インドでいちばん多用される建材といえば、木材ではなく、煉瓦だ。
 どこにでもあって、安価で、丈夫で、断熱性にも優れる。
 周囲を見回すと、ほとんどの建物が煉瓦でできている。
 計画中のMaki新工房も煉瓦造りになる予定。ざっと十万個使うそうだ。
 それゆえ、煉瓦の入手は重要なポイントなのである。

 工房から六十数キロ南方にあるルルキという街の近辺に、煉瓦工場が幾つもある。
 今月中旬の或る日、サンジュとラケッシュ父が連れ立って、煉瓦調査に出かける。
 ホントは私ぱるばも行きたかったのだが、外国人が顔を出すと値段が吊り上がる可能性もあるので、まずはインド人だけで出かける。

 写真1がルルキ郊外。煙突が三本ほど見えるが、それぞれ独立した煉瓦工場だ。
 原料はズバリ、その辺の土。
 それを水でこねて、型に入れて成形し、十日ほど天日で乾かす。
 乾いたら、窯の中に何列も列を作って積む。写真2がその窯だが、窯自体も煉瓦でできている。(手前の人物はラケッシュ父)。積む作業には何日もかかる。積み終わったら列の間に燃料の木と乾し草を詰め込み、火を入れる。焼成には一週間ほどかかるという。随時、上から木炭を補給する。
 写真3が窯の天井だ。列に添って穴が開けられ、鉄の蓋で蔽っている。そこから木炭を補給する。補給後は保温のため土を被せる。焼成温度は900 〜1000℃。

 かなり素朴な製法だから、あまり均質には焼き上がらない。
 煉瓦の場所によって、焼きすぎのところ、適度なところ、焼き不足のところ、様々なだ。
 焼き具合によって、1等級から9等級まで9段階に分かれている。1等級はしっかり焼き締まり、色も形も良い。9等級になると、もはや煉瓦ではなく、割れて小石状になっている。
 写真4は野積みにされた5等級煉瓦。このクラスになるとヒビが入ったり、よじれたり、色が悪かったりして、通常は土台に使われることが多い。

 実はMakiの工房は、この5等級煉瓦が中心になるかもしれない。
 というのも、真木千秋がいわゆる赤い「レンガ色」を好まないからだ。

 左写真の煉瓦のうち、上の二つがサンプルとしてスタジオムンバイから持参したものだ。「不良品」と言われていたから、おそらくはこの5等級くらいのものだろう。たしかにあまり「レンガ色」ではない。
 その下の肉色UBFが1等級。
 その下の赤いUBFが5等級。よく見ると曲がっているし、色もどぎつい。
 下の二つは6等級。大きく見えるが、実は焼きが甘くて締まっていない。ここまでくると通常の建築には使えないだろう。値段もぐっと安くなる。

 こうして見ると、日本のレンガって、固くて、均質で、真っ直ぐで、同色で、言ってみればマイナス5等級くらだ。あまりにキレイ過ぎて、インド人から見たら煉瓦じゃないかも。

 十万個というと、小さな工場では焼成に一年かかるという。
 秋から工事にかかる予定なのにそれじゃ間に合わないから、事前の調査は大事なのである。
 重たいから運ぶのもタイヘンだろうし。



 

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4月9日(火) 細雪の落石

 竹林に庭には大木が幾つかある。
 そのうちの一本が細雪(ささめゆき)。
 大きなケヤキで、幹が四つに分かれているからその名がある。
 もともとは、石垣の上に自然に芽吹いた木であるらしい。
 それがどんどん成長し、太くなるに従って、石垣を圧迫する。
 今、細雪の周囲には石がいくつもころがっているが、それらはみな過去に、細雪が押し出したものだ。

 今日、5月展準備のため、庭の整備をしていると、ひとつ危ない石がある。
 石垣の角にある一番目立つ大石だ。石垣からだいぶ飛びだしている。
 こりゃヤバいんじゃないか、押したらきっと動くぜ、と言いながら押してみたら、ホントに動いて、グラグラしている。ちょうど乳歯の抜け落ちる時のような感じだ。これは危ないのでいっそのこと落としてしまえ、ということで、落とした次第。
 隅石だから、けっこう立派である。そのまま転がしておいても邪魔だし、もったいなくもあるので、しばらくは細雪の下でスツールになってもらうことにした。
 写真の中で私が座っているのが、そのコーナーストーン。もともとは、私の指さしている場所にあった。
 バックは下手人の細雪。今、芽吹き始めたところ。5月にはきっと新緑で輝いていることだろう。

 

4月21日(日) ペンタゴン工房
 
 今、北インドのganga工房滞在中。
 真木千秋&ラケッシュ+秋田由紀子は先月末からここで仕事をしているのだが、私ぱるばは一昨日の朝到着。

 そして今日、スタジオ・ムンバイからビジョイ・ジェイン始め5人が、午後のフライトでやって来た。建築家三人と大工二人だ。
 建築家はビジョイのほか、スイス人のフィリップ、そして日本人の湯原君。大工はインド人で、二人とも昨夏、竹林を訪ねている。(こちらの写真・両端の二人)
 荷物もどっさり。
 木製のサイト模型三つに、様々な建物模型、パソコンはもちろんプリンタまで持参だ。(次回は3Dプリンタを持ってくるかも!?)

 ビジョイたちと顔を合わせるのは前回のムンバイ以来、約一月半ぶりだ。
 また大胆な仕様変更がある。

 まず、建物が五角形になっている。
 今まではこちらの写真に見るごとく、長方形であった。
 なぜ形が変わったかというと、敷地の自然な傾斜に合わせたのだ。こうすると土を削ったり盛ったりすることが少なくなる。また、
 中庭も平らにせず、斜面を生かす形になる。
 確かにこの方が素直でいいかもしれない。

 それからもうひとつ。建材について。
 レンガでも良いが、石にしたらどうか、ということ。
 どちらでも良いように、建物の構造が変わっている。
 質感や色の点で、石の方が真木千秋の好みだ。
 近所のヒマラヤ山中で採れる青灰色の片岩が使えたら一番であろう。ただ入手が困難という話もある。工房長のサンジュがさっそく故郷である山村の親戚に電話して相談していた。

 私たちと一通り打合せをして、今、午後8時。スタジオムンバイの五人はそれぞれ自分の仕事に勤しんでいる。ラケッシュはシェフに戻って、タンドーリ・チキンを焼いている。
 さて明日以降どんな展開になるのか。
 

4月22日(月) 素材研究〈建築篇〉

 スタジオ・ムンバイ(以下スタムン)一行来訪の二日目。
 朝から新工房の敷地に出かける。現工房から車で15分ほどのところだ。
 今日はわりに涼しく、カラッとしていて気持ち良い。と言っても30℃くらいまで上がるという天気予報ではあったが。

 途中、橋にさしかかったところで、ビジョイが止まってくれと言う。雨季の時だけ水の流れる涸川だ。
 普通は人っこひとりいない河床に、今日はテントが建ち並び、トラックやトラクターがあちこちに展開している。
 採石だ。乾季の一時期、採石が許可されるのだが、ちょうど三日前から解禁になったらしい。
 昨日、レンガの代わりに石を使ったらどうか、という話がビジョイからあったばかりだ。
 これは面白いということで、河床に降りてみることにする。石は角がとれて丸っこい。容れ物を持って来なかったのでMakiの巾着に入れる真木千秋とビジョイ。(写真1)
 ただ、橋のそばには、あまり大きな石はない。5kmほど上流に行けば大きいのが採れるというので、トラックに便乗するなどして、涸川を遡る。
 上流に行くほど石が大きくなる。やはり角のとれた川石なのだが、インド人はそれをハンマーで叩き割り、頭に載せるっけて運ぶのだ。決してユンボなど使わない。足はサンダル履きだ。(写真2)
 ただ、いろいろ調べていくうちに、採取期間の問題、使い勝手や価格のなど面で、やはりここの石を使うのは難しいという結論に達する。

 敷地を見た帰りに、今度は石灰工場に寄る。
 工房長サンジュが見つけたところで、新工房敷地から数kmのところにある。
 レンガと漆喰づくりのクラシカルな建物だ。
 写真3の真ん中にあるとんがり帽子の所が炉で、そこから石灰岩を入れて、石炭で焼成する。
 石灰岩は隣州ヒマーチャルの産で、やはり労働者が頭に乗っけて上に運ぶ。ベルトコンベアにしないところがインドだ。

 この石灰工場では、医薬品に使う特上品から、建築資材に使う並製まで、多種の石灰を生産している。(写真4)
 幾つかのサンプルを比較考量して、灰白色の建築用石灰を使うことにする。価格はセメントよりも安い。
 弊スタジオの懐具合を勘案してくれているのだが、それだけではない。ビジョイはセメントより漆喰のほうが好きなのだ。そして、グレーは真木千秋の好む色だ。
 製品の石灰ばかりでなく、この工場の建物もスタムン建築家たちの注意を惹いていた。レンガ+石灰(漆喰)の組合せの、この地方におけるひとつの古い実例だからだ。

 結局、今日の現地調査の結果として、やはり主材料はレンガと石灰ということに落ち着く。(もちろん、石灰工場のような粗い仕上げではない)。
 レンガの色問題だが、上から石灰を塗布することでいかようにもなる。色にこだわらなければ、レンガの入手もグッと楽になるのだ。

 そんなこんなで、ビジョイの中でも、だいぶ建築のイメージが固まってきたようだ。百点満点のうち、九十点くらいまでには到達したとのこと。
 更には夕食時、「このプロジェクトは今までの中で一番だ」とのたまっていた。
 歴代スタムン作品の中で一番!?
 かなりマジな顔で言っていたので、もしかしたら本気でそう思っているのかも。
 それにしても、いつもながら、展開の早いこと。

 

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4月24日(水) 新工房・木製3D模型

 ここヒマラヤ山麓は本日の最高気温35℃。
 雨模様の東京・五日市とは20℃ほども気温差がある。
 それでも涼しい方だと真木千秋は言う。

 四日間にわたるスタムン(スタジオ・ムンバイ)との新工房設計打ち合わせ。
 今日が最終日だ。
 スタムンの五人衆は、ビジョイも含めて昨夜は夜中の一時半まで作業に勤しんでいたようだ。今日の午前中までに一応の取りまとめが必要だからだ。

 ビジョイの特徴として、とにかく、設計の変更が多い。
 きっとアイデアが次々に沸くのであろう。
 たとえば、中庭をどうするか、とか。
 中庭については、今まで幾つかの案が浮上していた。
 昨日の午後、「ここに半地下の作業スペースを作ろう」とビジョイが言う。
 かなり自信ありげだったし、デザイン的にも面白そうだったので、きっとそうなるのだろうと思っていた。
 ところが必ずしもそうならないのが、また面白いところだ。

 今回、五人の中には大工が二人居る。
 これはビジョイが自費で連れてきたものだ。
 建築の相談のために帯同したのかと思ったら、そうではないらしい。
 彼らは日夜、もっぱら模型づくりに携わっていた。(写真上)
 スタムンにとって、3Dの模型づくりというのは極めて大事な作業らしい。

 ただ、どんどんアイデアが変わるビジョイのことだから、模型を作る方も大変だ。
 それで、二人がかり作業するのであろう。
 今朝になって、樹木を植え付け、模型が完成する。(写真中)
 この樹木も、ほとんどが現場に存在するもので、そのほか、植樹するものも数本ある。

 言うまでも無く、平面の設計図より、模型の方が格段にリアルで、わかりやすい。
 施主としても、設計を考える上で、大きな手助けとなる。
 ただ真木千秋はそれでもよくわからない様子。そこでビジョイはトレーシングペーパーを何枚も使い、ていねいに説明する。(写真下・右端はスイス人建築家のフィリップで、日本人の湯原彰一クンとともに本プロジェクトを担当)

 中庭だけれども、小さな丸い池を作るのだという。
 山の端から昇った月や、朝夕の光が銀色に映えて、とても美しくて良いだろうとのこと。
 あれっ、半地下の作業スペースはどうしたの? と聞くと、うん、アレはやめ、とあっさり。
 ま、ビジョイが良いと言うなら、きっと良いのだろう。

 ビジョイは午後の便でデリーに戻る。
 残りの四人(建築家2名+大工2名)は予定を変更して当地にとどまり、更に作業を続けることになる。

 

4月25日(木) デバイダ

 当スタジオHPにはブログも併設されており、主に真木千秋やスタッフが記事を書いている。
 夙(つと)にお気づきかとも思うが、その中にkaya(蚊帳)プロジェクトなるシリーズがあり、真木千秋が一所懸命に記事を更新している。その数なんと12本! 
 よほど思い入れがあるのだろう。やたら多量で申し訳ないのだが、みなさんお暇の折にはぜひ読んでやってもらえればと思う次第である。
 そもそもその発端は、今年2月にインドのスタジオムンバイを訪ねた時に遡る
 その後、日本で、そしてインドで製作に勤しんできた。
 タイムリミットは4月いっぱい。
 5月1日から始まる手の5月/井藤昌志+熊谷幸治+増満兼太郎 & Makiに出品しようという魂胆だ。

 その発端となったスタジオ・ムンバイ一行の来訪があって、ここ4〜5日ゴタゴタしていた。
 気がついたらもう来週水曜が展示会初日ではないか。
 ビジョイ以外のスタムン・スタッフ四人は、真夏の陽気の中、今日も現場に赴いて計測作業に励んでいる。
 真木千秋始めganga工房の面々も、通常の布づくりモードに戻り、最後の追い込みにかかるのであった。

 上写真は、蚊帳用の敷物づくり。
 木綿カディとエリ蚕の布を重ね、手で糸を刺す。
 布は藍とメヘンディ(ヘナ)で染めている。
 大きな布を手刺しするので時間がかかる。
 今までひとりで刺してきたが、今日からは二人で両側から刺すことにする。
 手前は今まで刺していたカンタ(人名)。藍染の部分を刺している。
 左奥が今日から手刺しに加わったギータ(オレンジ色)。真木千秋(白色)が刺し方の指示をしている。
 右上は紡ぎ主任のバギラティ。当初は彼女に刺してもらおうと思っていたのだが、イマイチ得意ではないようだ。糸紡ぎでは鮮やかな手並みを示すのだが、人にはそれぞれ得手不得手があるものだ。

 ところで、蚊帳というものは、今となっては特殊な存在である。それほど一般的なものではない。だいたい5月に蚊はまだいないのだ。(養殖しようかという話もあったが)
 蚊帳用に織った布は、空羽(アキハ)織りといって、隙間のある特殊な織物だ。
 この空羽布を部屋に垂らすと、不思議な効果を醸し出す。
 布なんだけども、風が通り、向こう側の人も見える。
 部屋の中に異空間が出現するのだ。
 蚊帳は難しくとも、デバイダとして使ってみたらどうだろう。
 ただ、そのためには布を垂らす仕組みが必要だ。
 そこで万能の才人・増満兼太郎氏に相談してみる。すると「いろいろ考えられますよ」との答え。
 そこで、そのあたりは増満氏に任せ、真木千秋は織師ジテンドラと空羽織りに邁進する。(写真中)
 沖縄の苧麻を使ったり、上州赤城の節糸、gangaの手引きシルク、熱帯黄繭糸を使ったり。(写真下)
 糸に凹凸があると、隙間のある織りでも、水を通した後、糸が止まるのだ。それも、機械的にカチッと止まるのではなく、ゆらぎをもって止まる。そこが良いところだ。
 蚊帳は無地だったが、このデバイダは、グラデーションや格子模様にして変化を出している。
 蚊帳とともに手の5月展に登場する予定なので、お楽しみに。(すなわち、織り上がりを手持ちで持ち帰るということ)

 

4月26日(金) 竹林の佳人

 さきほど東京・武蔵五日市のスタジオに戻った私ぱるば。
 遥か西方天竺からはるばるの帰還なのだが、一週間という短期出張であったためか、スタッフ諸姉からは、とりたて何の感慨もなく、ごく淡々と迎えられるのであった。
 ともあれ、みんな元気そうでなにより。

 パタンナーの田村朋子さんも来竹してミシンに向かっている。
 蚊帳の天井を縫っているのだ。
 三日前、スタッフの秋田由紀子がインドから一足先に帰国したのだが、そのとき持ち帰ったのだ。この真木千秋ブログに登場の蚊帳だ。
 四隅をどうするか思案中であるが、今日は三点止めで試してみる。
 夕方の光の中で、透け感が良い感じ。
 朋子さん曰く、中に入るとみな美人に見えるということだから、ぜひみなさんお試しあれ。
 

4月29日(月) 「手の5月」の裏側

 明後日5月1日から「手の5月」展。
 真木千秋&ラケッシュもそれにあわせて昨朝、インドから帰国する。
 世はゴールデンウィークのまっただ中であるが、Makiのスタッフは朝から全員出勤だ。
 青葉若葉の日の光の中で、展示会の準備に余念がない。

 遠州浜松からもハンディマンの船附クンが駆けつける。
 イベントには欠くべからざる存在だ。
 今日は庭のキオスクの模様替えをしてもらう。(写真上)
 屋根がだいぶ傷んできたので、外して、さっぱりとする。
 その後、ここは蚊帳スペースになる予定。

 shop内では図師潤子が「高鳶」の仕事。(写真中)
 ハシゴのてっぺんまでのぼって、天井に張られたレールに布を掛けている。
 もともとこういう仕事は大村恭子の得意技であったが、気がついてみると、今日は写真右下で眺めている。
 「あれっ、恭子、上にのぼんないの?」と聞くと、
 「一子の母となったのでやめたんです」とのこと。
 とは言え、図師の居ない時には、今でも自らのぼるようだ。図師が一子の母となったらどうなるのであろう。
 今日掛けているのは、空羽(アキハ)織りの反物。蚊帳の生地と同じ織りだ。
 一見涼しげな展示ではあるが、その裏は様々な人間模様が。

 久々オープンの竹林カフェでも準備が始まっている。
 今回は間際に帰ってきたので、いつもよりスペシャルだ。
 すなわち、インドから生鮮素材を持ち帰ったのである。
 ランチに供するマサラ・ドーサの材料だ。(下写真)

 右端はココナツ(椰子の実)。これはドーサの付け合わせであるココナツ・チャツネに使われる。中身の白い部分だ。通常日本では乾燥ココナツを使うのだが、今回は生ココナツだ。ラケッシュの作るチャツネは少量生産のためか、本場インドのものよりウマい。今回はココナツが生だから、更に風味が増すであろう。
 反時計回りに、緑の葉っぱは、カレーリーフ。これも通常日本では乾燥葉が使われる。たま〜にアメ横などで生葉が手に入るらしい。柑橘類の葉で、その辛みがサンバル・スープには欠かせない。サンバル・スープとは南インドの味噌汁みたいなもので、ドーサなど南インド料理にはもれなくついてくる重要な一品だ。
 その次は言うまでもなく、グリーンチリ。これはコリアンダー(香菜)チャツネに使われる。やはり生だから、香りが高い。
 ところで香菜もインドから持参したのであるが、40℃を超えるデリーの気温のせいか、萎れてダメになってしまった。しかし、私ぱるばが畑で育てた強烈な香菜があるのである。お楽しみに!
 そして、左側が、私の持ち帰ったバスマティ米だ。これはインド米の最高品種。なにもドーサにバスマティを使わなくてもと思ったのだが、インドの5スターホテルではコレでドーサを作るらしい。そういえば弊カフェは日本米でドーサを作る時はコシヒカリを使っていたから、インド米だったらやっぱりバスマティか…ということで、今回はコレに決定。お楽しみに!
 

 

4月30日(月) 明日から「手の5月」展

 
 いの一番に山梨から登場の熊谷幸治氏。
 母屋二階の奥、タッサーラグの上に自作を展開する。
 手前に並ぶ器は、今回のランチのために製作したチャツネ入れだ。火の当たり方で色に変化が出る。片口としても使える。1,000円。

   天井に空羽織りのMaki布を設置する増満兼太郎氏(左)と熊谷氏。
 野焼きによるチャイカップ、猪口、皿、そしてMaki布の布目つき小皿などが並ぶ。チャイカップは1,000円で、購入するともれなくチャイがついてくる
 左側では真木千秋がランチ用の器を選んでいる。
 
 二階手前は増満兼太郎氏のスペース。今、小品の展示を工夫しているところ。前回の増満展では見られなかったカラフルな小銭入れが並んでいる。自身の作業を終えて余裕の井藤氏が陣中見舞。
 手前には革ボウル。これも前回あまり見られなかったものだ。
 
   今回の展示会のキッカケとなった四輪車。
 ホントに作ってしまった増満氏である。
 本場インドのに比べ、ぐっとチャーミングで都会的。
 チャイショップになる予定。
 
 信州松本から駆けつけた井藤昌志氏。
 母屋一階が展示場だ。
 オーバルボックスは桜の木地色のほか、赤と黒。サイズいろいろ。
 他に、皿、盆、タオルラック、椅子、机、スツール、鏡。

   井藤氏の特別出品は、Makiとのコラボ、針山。
 木地色のほか、緑、赤、青、黒(写真には無い)。
 Maki生地はとりどり。セットで3,800円。
   庭のキオスクに蚊帳を張る真木千秋&秋田由紀子。(左写真)
 ここは出入り自由。中でゆっくりくつろいでいただきたい。
 幸い、天気はおおむね良好な様子。
 では、明日から5月6日までの六日間、よろしく!

 

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