絲絲雑記帳

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0/「建設篇」


5月17日(金) 上ノ畑ニ居リマス

 ここMaki Textile Studioにも夏は来ぬ。
 というのも、今朝、ホトトギスが鳴いたからだ。
 今年の立夏は5月5日だが、当スタジオではホトトギスの初鳴きをもって夏の到来とするのである。
 ま、正確に言うと、初鳴きではなく、初聞きなんだけど…。ちなみに昨年は5月23日。

 山里なもんだから、夏の到来に前後して、いろんなモノが出てくる。
 たとえば、今日は、養沢アトリエの庭にアオダイショウが出現。
 今年は巳年でもあるし、これは縁起が良い。特にアオダイショウはネズミの天敵でもあるし、有難いヘビである。

 有難くないのもある。ムカデとか、ネキリムシとか。
 最近はムカデ用の蚊帳が流行っているようである。当スタジオでも最近蚊帳を作ったのであるが…。ムカデは下から来るので、蚊帳にも床が必要なのである。残念ながらそのままでは使えないようだ。
 ネキリムシというのは、野菜の害虫である。土中に棲む芋虫で、野菜の根元だけ食いちぎり、枯らしてしまう。朝畑に出ると、シナッと崩壊しているレタスが必ずあって、その根元を掘ると、黒褐色の芋虫が潜んでいるのである。どうせなら全部食えばいいのに、根元だけ食って遁走するから実に困る。ま、遁走すると言っても、犯行現場のすぐ近くの土中浅くに隠れているので、すぐに見つかる。農夫は見つけ次第殺処分するんだが、ウチは芋虫で生きている経緯もあるから、今のところ大目に見てやっている。畑から離れた原野に追放するのだが、まあ、せいぜい雑草の駆除に励んでほしいものだ。

 というわけで、今は農繁期。私ぱるばは毎日野良仕事に精を出している。出張やらイベントで忙しかったので、今しっかりやっておかないと、そのうち悲惨なことになるのである。それゆえなかなか当HPの更新もままならず、ご無沙汰いたしていた次第。宮澤賢治に倣って「上ノ畑ニ居リマス」と掲示を出しておこう。
 

 

6月4日(火) マンゴーの収穫
 
 天竺國のお話。
 ganga工房のある北インドにも、マンゴーのシーズンが訪れたようだ。
 私たちの滞在していた4月も青果商の店頭にはマンゴーが並んでいたが、それは南方産であった。

 新工房の敷地は、別名「マンゴーガーデン」。
 現ganga工房から車で15分ほどの所にあって、七十数本のマンゴー樹を数える。
 まだ工事前で柵も無く、出入り自由。
 近所の人々にとってはマンゴー取り放題の「エデンの園」である。
 そこで、無くなっちゃう前に、ganga工房一行も収穫にでかける。

 マンゴーというのは成熟果も甘美だが、インド人にとっては野菜としても大事な果実だ。青い実を漬物にする。
 上写真はマンゴー樹に上るラケッシュ母。さすがにサリーではなくてパンジャビドレス姿だ。
 下写真は、母の落としたマンゴーを樹下で拾い集めるサンギータ(ラケッシュ姉)。
 これから漬物にするのである。
 もちろん無農薬。って言うか今のところ誰も世話していない。
 今年は「生り年」ではないらしく、昨年ほど果実は多くないという。

 マンゴー漬はインドでも代表的なピクルスだ。
 青いマンゴーをダイスに切り、ターメリックや赤唐辛子、フェンネル、フェヌグリーク等のスパイスと、塩、マスタードオイルとともに漬け込む。
 ほんの一切れ口にするだけで、青マンゴーの強烈な酸味と、スパイスの辛みによって、アナタは一気にインド世界までブッ飛ぶのである。(飛行機なしで)
 ご飯とダール(豆カレー)、そしてマンゴーピクルスさえあれば、立派な食事になる。インド人にとっては「ご飯+味噌汁+お新香」という感じ。
 このマンゴーガーデン初の自家製ピクルスは、本年十月末に予定されている竹林イベントにて、みなさんの食膳に供されるであろう。(希望者には)
 
 
 

6月15日(土) 貴婦人と一角獣
 
 

 遅まきながら、東京・乃木坂の新国立美術館で開催中の「貴婦人と一角獣」展を見学。
 フランスに伝わる500年前のタペストリーだ。
 フランスで言うと中世の末期、日本ではまだ室町時代だ。
 織られた場所は、既にルネサンスの花開いていたフランドル(今のベルギー)、ないしはパリだと推定されている。
 六枚の大きなタペストリーだ。その名のごとく、どれにも貴婦人と一角獣が登場している。
 一角獣というのは、馬の額に長〜い一本の角を生やしたような動物だ。インドに棲息していて、馬よりも早く走るという。もちろんインドにそんな動物はいない。
 六枚のタペストリーの図柄についてはいろいろ解釈があるようだが、それはしばらく措いておこう。
 展示会場に入ってまず印象的なのは、その色合いだ。
 一番目立つのは、赤と藍。次いで茶と白だ。ほとんどこの四色で織り成されている。
 と言うよりも、この四色が、よく幾百年の星霜を耐え抜いたというわけだ。

 一番鮮やかに残っていたのが、藍色。
 これは大青で染めている。欧州の藍草だ。その藍色も濃淡様々だが、濃色もしっかり残っている。大青は藍の含有量も少なく、しかも素材が木綿や麻などに比べ染めづらい羊毛なので、紺屋も頑張ったのであろう。 500年たってもこれだけ残るのであるから、頑張りがいもあるというものだ。

 赤は西洋茜とブラジルウッドで染めているという。これも濃淡いろいろ。ただ、濃い部分でも、真紅というより、肉色という感じだ。おそらく往時はもっと濃色だったのであろう。
 茶色は胡桃などのタンニン染料。そして羊毛の原色だという。だいぶ褪色しているのか、藍や赤ほどの衝撃はない。
 そして白は羊毛の原色だ。
 黄色染料はモクセイソウだということだが、あまり残存していない。それで黄色や緑にやや乏しい。ついでに紫も染め出して使われたようだが、まったく気づかなかった。(場内の照明の関係もあろうが)

 



 

 繊維素材は羊毛と絹とあった。
 見たところ、ほとんどの部分が羊毛のようだ。
 わずかに貴婦人の衣に絹が使われているように見える。実際、彼女は絹の衣を着ていたのだろう。特にドレープの盛り上がった部分に絹糸が使われ、その部分が輝いて、立体感を醸し出している。

 同展には同じ時代のタペストリーが他に何枚も出品されているが、やはりこの「貴婦人と一角獣」が文字通り出色だ。おそらく原画が優れていたのだろう。まだフランスにルネサンスの訪れる前なのか、原画作者の個人名は伝わらず、「アンヌ・ド・ブルターニュのいとも小さき時祷書の画家」とだけ記されている。

 作品が大きいせいもあって、混んでいてもゆっくり見られるのが良い。あまり図柄の意味にこだわらず、少し離れて、ファイバーアートの独特なたたずまいをゆっくり楽しむのがよろしかろう。

 東京展は7月15日まで。その後、大阪に展示される。




6月17日(月) 藍の芽

 先週からやっと梅雨らしい天気になったここ西多摩。
 梅雨らしいというか、久しぶりの降雨だった。
 5月からホントに雨が降らず、畑も干上がって困った。

 特に気がかりだったのが、藍草。
 4月に蒔いたのだが、発芽がイマイチ。
 そこで5月と6月に蒔き直すも、まったく発芽しない。

 それがここ数日間の雨で、一斉に発芽したというわけ。
 右写真の下半分、刺身のツマみたいな小さな芽が藍だ。
 播種後、毎日のように水を遣ってはいたのだが、何の反応もなかった。遣り方が足りなかったのか!?
 藍の種は一年後には発芽しなくなるし、なかなか取り扱いが難しい。

 画面中程の大きいのが4月に発芽した藍草。
 例年だったら、今ごろ、このくらいのサイズの苗を定植する。
 今年は数が足りないので、芽生えたばかりの小さいのを待つ必要がある。
 藍の芽生えがこんなに遅かったのは初めてだ。
 さて、今年の藍染めはどうなることやら。
 
 

 

6月18日(火) 繭が来た 2013
 
 昨17日、八王子の長田養蚕から春繭が届く。
 生産者の長田誠一氏(写真上・真ん中)とその奥方の晶さん(写真上・左側)が二人で届けてくれた。
 今月8日に上簇(じょうぞく)し、先週の中ごろに繭となる。
 上簇とは、繭を作るため蚕を蔟(まぶし)に上げること。蔟というのは、繭を作るための「小部屋」だ。かつて農村では日常用語だったこうした言葉も、今では死語となりつつある。

 昨日もちょっと触れたが、今年5月の日焼け(無降雨)は、長田家にとっても尋常ではなかったらしい。
 雨が降らず、露も降りなかったため、桑葉の成長が悪かった。
 それで蚕もあまり大きくならず、繭が小振りだということだ。
 ただ、上簇してからは、気温も高目に安定し、繭づくりには好適だった。気温が下がると蚕は繭づくりを一時停止し、そのせいでムラができたりするのだ。
 蚕の品種は春嶺鐘月(しゅんれいしょうげつ)。迫力の名前だが、開発に鐘紡が関わっているのであろう。モノの頁によると、繭糸長1,447m、繭糸繊度 3.1デニール内外、だそうだ。今年は繭が小振りだから繊度も小さいかも。

 長田家は現在、年に二度、養蚕を手懸けている。春蚕(はるご)と秋蚕(あきご)だ。
 8月下旬に卵を孵化させて秋蚕をスタートさせるとのこと。

 春繭が来て、翌日の今日からはみんなで糸繰り作業だ。
 春繭の生糸はMakiにとって欠くことのできない糸素材なのである。
 写真下、右から秋田由紀子&真木千秋が糸を繰り、左手のラケッシュがカセ上げをしている。詳しくはこちらを参照
 
 
 

6月20日(木) 新車納入

 さみだれの夕暮れ。
 竹林の母屋にバンが横付けされる。
 現れたのは増満兼太郎クン
 かねてより注文していた、四輪車の納入である。

 この四輪車、昨年1月、氏がインド・ganga工房を訪ねた折に着想したものだ。
 先月初めの手の5月展で初お目見え。
 このときはチャイ店としての登場だった。
 なかなか良い風情だったので、真木千秋が注文。
 それに応えて増満氏が新たに製作したものだ。
 新車なのだが、早くも竹林母屋に馴染んでいる。(写真右)
 既に使用希望者も出現。(サモサ屋ティモケ)

 この第二号車には、新たに鉄製フレームが取り付けられる。
 布やバッグを吊したり、いろいろ楽しめそう。
 お披露目は7月5日からの「カディ+マンガルギリ」展。

 
 

 

7月1日(月) 竹林織女

 今年も早7月。
 今週金曜からはカディ+マンガルギリ展。日曜は七夕だ。
 竹林母屋には、機織りに勤しむ織女A&織女B。
 静かなスタジオに機音が響く。いったい何を織っているのであろう。
 織女Bにちょっと解説してもらった…

 西表島から戻り、機に麻糸をかけ、試織を続けています。
 ganga工房でも麻の糸が手に入るようになったので、麻糸中心に様々な緯糸を打ち込んでいます。
 麻x麻、麻xタッサーシルク、麻x苧麻や芭蕉など。
 西表で作業して、少しわけていただいてきた苧麻や芭蕉を織り込んでみると、同じ植物繊維同士でもやはり力のあるものになります。
 手による糸というのは、そのもの本来の特徴を多く感じさせてくれます。
 この頃は梅雨で、じめじめしていますが、ときどき肌寒いこともあります。そんなときは、絹に苧麻を少し入れて織った苧麻交布でできた衣を着たりしています。
 貴重な手績みの糸ですが、gangaでも織ることを始めたので、これから少しづつまた織り込んでいきたいと思います。


 
 

7月6日(土) 梅雨明けの精進料理
 
 今日、関東甲信越が梅雨明けしたらしい。
 今年は、梅雨入りも5月末でえらく早かったが、梅雨明けも平年より半月早い。
 通常は梅雨明け十日と言って、梅雨が明けるとカーッという青空が数日続くものだが、今日は陽も出ず、ただ暑いだけであった。
 
 そして明日は七夕。
 竹林カフェ前に竹が一本。ささやかな七夕飾りがある。(写真上)
 この竹、じつは特別にあつらえたわけではない。
 先月だったか、生えてきたものだ。
 孟宗竹なんだけれども、かなり小振り。それが竹藪からポツンと離れて生えてきた。
 本来ならば除去するところだが、ちょうどカディ+マンガルギリ展もあるし、七夕でもあるし、そのまま飾りに使おうということになる。
 真木千秋が色紙で飾りを作ったり、短冊を用意してお客さんに願い事を書いてもらったりして、楚々たる七夕飾りになっている。

 そしてカフェでは、シェフ・ラケッシュによる、インド精進料理。
 これはインドの寺院で善男善女に供されるものだ。
 主食は揚げパン。今回はホウレン草を練り込んで緑色だ。
 カレーはジャガイモカレー。精進料理なのでタマネギやニンニクは使わない。禅門の「不許葷酒入山門」と同じだ。(葷というのはネギ科の植物)。
 カレーの左にあるのは黒ヒヨコ豆。通常ヒヨコ豆は黄白色だが、これは皮付きなので黒い。その手前はサラダ。
 左下の白い物体はインドのデザート「ハルワ」。セモリナ粉にギー(精製バター)、砂糖、アーモンド、カシューナッツ、レーズン、ココナツを混ぜて作る。
 注目すべきは器。カレーとヒヨコ豆とサラダは、熊谷幸治氏の土器を使っている。これが一段とインドの寺院料理を引き立てるのである。
 久しぶりにラケッシュのランチをご賞味あれ。1000円。チャイ+バルフィ(これもデザート)付きで1300円。来週木曜(7月11日)まで。
 
 

7月9日(火) 藍の定植

 梅雨明け四日目。
 今日も朝から夏の太陽が照りつける。
 そんな中、汗を拭いながら、藍の定植をする。

 梅雨明け後に藍の定植なんて聞いたこともないが、諸種の事情があったのだ。
 まず、5月に雨が降らず、藍が発芽しなかった。
 6月になって雨が降り、ようやく発芽したと思ったら、7月早々梅雨明けしてしまった。
 それで、炎天下のもと、藍の定植である。

 ホントはこんな刻限にはやらないのだろう。
 現在カディ+マンガルギリ展中なので、なかなか時間が取れないのだ。
 強烈な陽光で、藍草もクターっとしている。(写真右)
 たっぷり水遣りをしたので、たぶん大丈夫であろう。

 昨年は6月5日に定植したから、一月以上も遅れた勘定になる。
 史上最遅記録だ。
 さてこれで藍染ができるか、興味あるところだ。
 

 

 

7月30日(火) 機を作る

 今、ganga工房。
 皆より一足先にインド入りした田中ぱるば。
 こちらは雨期の真っ最中である。
 今朝、室内のデジタル湿度計を見たらHIと表示されている。81の間違いかと思ったら、高すぎて計測できないのだな。しばらくしたら91になっていた。
 14:25現在、室温29℃、湿度87%。高温多湿の北インドである。

 今、昼休み。
 誰もいない工房内で、建具屋がふたり黙々と作業している。
 新しい機(はた)を作っているのだ。
 今日で五日目。午後には完成するという。
 隣村マンジュリから来た職人たちだ。ganga工房では三台目。アショクの機とジテンドラの機も彼らの作だ。
 マンジュリと言えば、養蚕で有名な村だ。彼ら自身も、建具屋をやりながら、春は養蚕を営んでいるという。
 機の材は沙羅。これも我々にはゆかりの木だ。タッサーシルクの食樹であり、また、その葉から皿が作られる。

 さて、この新しい機で、いったい誰が織るのであろう。
 これはちょっと驚きなのだ。そのうちご紹介しよう。

 

8月1日(木) ganga工房のタテ糸づくり
 
 昨日、真木千秋とラケッシュがganga工房到着。
 やはりこちらの湿度には驚いていた。
 洗濯物もなかなか乾かない。
 ただ、最高気温は30℃前後だから、インド人にとってはけっこうしのぎやすい気候であるらしい。
 肌も潤っている感じ。

 ときどき降雨もあるので、もっぱら屋根の下での作業だ。
 さっそくストールのタテ糸づくりに励む真木千秋。(写真上)
 シルクのストールだ。
 ウールから始まったganga工房であるが、五年目を迎え、最近はすっかりシルク織も定着してきた。
 なにより、素材から手懸けられるのが良い。

 写真下は、工房で藍染した絹糸。
 四段重ねになっているが、その一番上が、gangaシルクだ。
 前回の日誌でもちょっとご紹介したが、原料は隣村マンジュリでできた繭だ。それを工房で糸に挽いている。一番新鮮であるせいか、藍の色合いも良い。
 上から二番目はニスタリ種(熱帯黄繭)の生糸、三番目は赤城の節糸、一番下が竹林の春繭糸だ。

 この藍も、工房で育てたインド藍。
 それを、半発酵の手法で染めたものだ。
 生葉染めや本藍建てとはまた色合いが違っている。
 ややグレーがかった藍だから、秋物のストールに合いそうだ。

 
 

8月2日(金) 草々の話
 
 夕方、久しぶりに、新工房の敷地へ出かける。
 雨期の真っ最中だから、草がすごい。
 日本もこの時期、畑は草との戦いだ。私ぱるばもインドに発つ前、二日がかりで除草に励んだものだった。

 敷地に着くと、さっそくみんなで草むしり。(写真上)
 なんとなくチマチマやっているのは、とある作物の芽が出たところだからだ。
 どんな作物かというと、藍草。
 インド藍だ。写真中に見るごとく、マメ科の植物だ。五日市で育てているタデ科の藍とはまったく別種の草である。草というより多年生の小灌木なのだが。
 一月ほど前、工房の女衆が種まきをした。
 写真上の右端、赤いサリー姿がラケッシュの祖母。一緒に種まきをしたそうだ。緑の指を持つ人である。畑づくりの達人だ。
 このあたりがそのうち藍畑になる。

 ここはganga工房の土地なんだけど、近所の農民が2〜3人、堂々と草刈をしている。(写真下)。牛や水牛の餌にするのであろう。
 それにしても、地主である我々が現れても一向遠慮する気配がない。
 ラケッシュ祖母がスパイになっていろいろ聞き出したところ…
 元の地主が小遣い稼ぎをしているらしい。二百坪あたり千ルピーで草を「分譲」しているのだ。
 もちろん、元地主にはもはや何の権利もない。それでも、長年の習癖はなかなか抜けないらしい。草ばかりでなく、マンゴーやジャックフルーツもどっさり車で持って行ったという。
 ま、我々も今のところ、手に余るしな。果物も草も。せいぜい有効利用してもらおう。

 それにしても、雑草が収入源になるというのはチト面白い。
 そういえば、ヒマラヤの山村では、女たちが毎日、何時間もかけて、急斜面で草を刈り、頭に乗っけて、愛牛たちのもとへ運んでいるのだ。それに比べればずっと楽であろう。
 新工房完成の暁には、牛もやってくるらしい。ラケッシュに聞くと、二頭くらいは欲しいという。山羊とか羊じゃなくて牛、というところがやっぱりインドだ。
 牛二頭か、牛+水牛か。「牛は聖獣だから必ず欲しい。水牛の乳は濃厚だが脂肪分が多いので太る」とのこと。私としては水牛も興味あるのだが。
 それから鶏も。毎日新鮮な卵が採れる。そもそもインドは鶏の故郷で、チキン料理も名物だ。ついでに孔雀もと言ったら、インドの国鳥だからと却下される。七面鳥とか、駝鳥とか、良いかも。犬も番犬で四匹ほど。馬とかいう意見もある。
 三千坪ほどあるから、今のところは好きなことが言えるのである。駱駝とか象は、さすがにない。


 

8月4日(日) スタジオ・ムンバイにて
 
 昨日、真木千秋、ラケッシュそして私ぱるばの三人は、北部デラドンのganga工房を後にして、デリー経由で約三時間半、西部の商都ムンバイに降り立つ。そして、車でまた三時間半、夜道を駆けて、スタジオ・ムンバイ(以下スタムン)に到着するのであった。
 通常はムンバイから船で渡るのだが、雨期の三ヶ月間は海が荒れるので陸路となる。陸路もインドの道だから、やはり雨で荒れてデコボコだ。おかげで朝起きるとなんだか腰が痛い。それに、ものすごい湿気と、蚊の襲撃に悩まされる。
 しかし、これが新工房設計の最後の打ち合わせだから、そんなことも言っていられない。
 宿泊場所は建築家ビジョイ・ジェインの私邸だ。朝起き出すと、ビジョイは既にスタジオに出かけて仕事をしている。スタッフの湯原クンは徹夜だったという。湯原クンというのは日本人建築家で、ganga新工房プロジェクトの専任だ。
 前回ビジョイたちに会ったのは今年の四月下旬。以来また設計はずいぶん変わったという。

 どんなふうに変わったかというと、まず、一番上の写真1。
 五角形はそのままだが、ギャラリーと居住部分が五角形の外に出る。五角形の左手前がギャラリーで、同上奥が居住部だ。
 五角形は工房のみとなり、二階部分がなくなって、スッキリする。
 今までいろいろ試行錯誤してきたが、ビジョイはこの形に非常に満足しているようだ。真木千秋やラケッシュも同感のようであるから、おそらくこれでまとまるであろう。

 建築素材についても、新しい試みがなされている。
 ビジョイにとって画期となったのは、前回4月のデラドン来訪の際、枯れ川を歩いたことだった。
 この川石を使ってレンガに色を施そうというのだ。建物は煉瓦造りとなるが、そもそも真木千秋はレンガそのままの色がもうひとつ気に入らなかった。それゆえ色のことを考える必要があったのだ。ビジョイは現地の石を使ってみようと考える。そこで今年5〜6月、何十kgもの石をデラドンからスタムンに送ったのだ。スタムンでそれを砕いて粉にし、石灰と混ぜてペースト状にして、レンガの上に塗ってみる。石の種類によって色合いが異なる。写真2がそのサンプルだ。手の上の粉が石を砕いた粉。
 一通り試してみて、ビジョイの結論は、様々な石を全部いっしょくたにして砕き 、粉にしようというもの。そうするとやや緑がかったグレーになる。なかなか良い色合いだ。
 実際に施工する時には、石灰と石粉を水で溶いて溶液を作り、その中にレンガを浸ける。まさに天然染料だ。それによってレンガは着色され、また強度も増すという。

 五角形の中庭も、やはり同じ川石を使うことになる。
 以前はレンガを敷く予定であった。
 写真3はそのサンプル。平たい石を敷きつめ、その隙間はおそらく石灰で埋めることになる。
 写真3の左側に二枚の画像が写っているが、これは4月に訪ねた川底の写真。これがヒントになったのだという。そもそも敷地と川底の地質は同種なので、整地の際に同じような石が多量に出てくると推測される。それを使おうというのだ。これはなかなかエコな発想である。

 一番下の写真4は、工房の設計図を見ながらビジョイから説明を受ける真木千秋とラケッシュ。背後に立っているのはインドのトップモデル、ラクシュミ・メノン。どういうわけか当プロジェクトに参加している。その背後には一面に、今までの設計図が貼ってある。ビジョイがいかに力を入れてきたかがしのばれる。「このプロジェクトをやっていると元気になる」とは本人の弁。「早く引っ越したいなぁ」と真木千秋&ラケッシュ。着工は今年秋の予定。

 

8月6日(火) スタジオ・ムンバイの迫力
 
 今、ムンバイから飛び立ってデリーに向かっているところ。
 ムンバイ空港のエアラインカウンターではコンピュータシステムがダウンして、係員が搭乗券を手書きするという状態。それで出発が一時間遅れる。インドでは何が起こるかわからない。ま、一時間で済んだのは上出来かも。
 今朝、6時前に、ビジョイたちに見送られ、スタジオ・ムンバイを後にする。足掛け四日にわたる濃密な日々であった。

 写真上は、昨日夕方のスタジオ。
 大工のディネッシュが模型を手直ししている。プロジェクトの当初から参加し、日本の竹林工房にまで来た人だから、もうすっかり気心が知れている。
 ビジェイとの打合せで変更があると、その度に手を入れる。
 こうした模型があると、特に我々素人には、直感的に把握できて有難い。
 この模型を初めて目にしたのは、今年1月にビジョイたちがデラドンに来た時だ。以来、変更に変更を重ね、だいぶしっくり落ち着いてきた。たぶんこれ以上、大きな変更はあるまい。(わかんないけどね、ビジョイのことだから)
 
 模型はこれひとつではない。建物模型を中心に大小様々作られてきた。
 そしてこれからも作られる。
 たとえば、写真中。これは1/30スケールのもので、砂を使って地形を再現してある。今までは主に木製だった。砂を掘ったり移動することによって、実際の整地の様子を再現できるのだ。
 真木千秋の右側にいる人物が、アシスタントの建築家・湯原クン。先日まで参加していたスイス人建築家フィリップは去り、アシスタントは今は湯原クンただひとり。その分、ビジョイが直接関わるようで、こちらとしては有難いところだ。

 模型の話に戻ると、極めつけは、下写真。
 1/15サイズの煉瓦だ。これは、スタジオで土から成型、焼成し、石粉で染色する。その数なんと28万個!
 設計が固まったところで、この豆煉瓦を使って1/15の模型を作るのだという。
 湯原クンの計算によると、実際の煉瓦の使用個数は24万個。不良品も出るので、少し多目に作るらしい。
 ともあれ、そこまでやるか、という迫力である。

 ラケッシュが大工ディネッシュから聞いたところによると、ビジョイの当プロジェクトにかける意気込みには尋常ならざるものがあって、周囲も驚いているという。
 その理由を察するに、ひとつには、スタジオ・ムンバイの仕事とMakiの仕事に通じるものを感じているのかもしれない。
 それからおそらく、予算に制限があるということ。Makiお抱え建築家・中村好文氏もそうだったが、制限があると人って逆に燃えたりするものだ。ムンバイのセレブ相手に夢のような邸宅の数々を手懸けてきたビジョイにとって、なんとなく修道院みたいな簡素な手織工房を作るというのは、ちょっと新鮮なのかも。

 

8月7日(水) 機織り鳥
 
 本日のデラドンは、朝から陽が差す。外仕事には好適だ。
 男たち四人で新工房の敷地に出かける。
 設計も決まったので、着工に向けて準備を進める必要があるのだ。

 ススキの藪に、見慣れない鳥がいる。黄色と黒がなかなかキレイ。
 そのうち青葉を20cmほども細長くちぎって、口にくわえて飛んでいく。
 近くの木に、巣がいくつか吊り下がっている。ハタオリドリだ。
 写真1に三つほど巣が写っている。
 染織工房のできる前から、もう機織りが始まっていたわけだ。おそらく何万年も前から。
 そういえば昨日、敷地に行った時、孔雀のつがいを見かけた。いろんな鳥がいて楽しみだ。(駝鳥はいないが)

 今日の主な目的は、草刈だ。
 建築家のビジョイいはく、着工前に必要なのは、クリーニングと、境界のフェンスだ — 。
 クリーニングとは、すなわち草刈。
 そこで今日、つてをたどって、近所の農民に来てもらった。ジャグパールという三十代後半くらいの男だ。農民と言っても自作農ではないらしく、野良仕事は何でもやるようだ。
 ラケッシュが話をすると、明日から早速かかるという。写真2の中で、背中を向けているのがそのジャグパール。
 彼は以前、この畑で、豆や麦を作ったこともあるという。役牛を持っていて、鋤をつけて耕したのだ。その牛も売ってしまったそうだ。

 ジャグパールがラケッシュに聞いたそうだ、「あの人、ネパール人?」
 インドにはネパールから多くの人々が出稼ぎに来ている。私の東方的な顔を見てそう思ったらしい。ラケッシュは答える、「うん、私たちと一緒に働いているよ」。
 日本人だと知られると、値段の釣り上がる可能性もある。
 これからはしばらくネパール人だ。

 草だらけの三千坪の土地だ。全部キレイにするには一ヶ月かかるという。まずは境界線を除草してもらって、フェンスをつける段取りとなる。
 ジャグパールの家には乳牛が居るから、しばらくは餌に困らないだろう。

 牛の食わない草もある。
 たとえば、いちばん下の写真。
 なんだかわかるかな? 指で触れると、葉が閉じてしまう。
 そう、オジギソウ。
 日本では人気がある。私も小学生の頃、街の花屋で一株買ったことがある。十円だったか。先日、信州上田に住む愚妹も一株買っている。百円だったそうだ。
 この草が商売になるなんて、インド人もびっくりだろう。とにかくやたらに繁茂していて、しかもトゲだらけで痛い。
 ただ、薬草なんだそうだ。創傷やニキビに効くんだという。

 午後に一雨あったデラドン。スタッフの秋田由紀子も夕刻デリー空港に到着し、今タクシーで当地に向かっているところである。

 

8月8日(木) 近所の糸屋
 
 今朝、あたりがヤケに賑やかなので、外に出てみると、ご覧の通り。(写真1)
 楽隊を先頭に、色とりどりのサリーをまとった女たちの行列だ。
 これぞインド!という風景でしょう。
 明日はヒンドゥー教の祭日で、その行事の一環だ。水の入った壺を頭に載せ、足は裸足。祭礼の行われる場所へ向かっているところ。

 さて、今日は近所の糸屋へ行く。
 これはそもそも、ラケッシュたちがネットで見つけたのだ。
 服地などに使う麻糸が欲しかった。
 工房から三十数km離れたところに、ハリドワールという街がある。ガンジス河畔にあるインドでも有名な聖地だ。その郊外にあるTexplasという製糸工場で、麻糸が手に入った。

 ganga工房で使う糸は、ごく少量なので、なかなか糸屋さんには相手にしてもらえない。
 ところが、ここTexplasの工場長シュロフ氏は違っていた。4kgという少量でも注文を受けてくれるのだ。
 この道三十有余年という糸作りの専門家シュロフ氏、今までに世界124カ国を巡り、日本にも五十回以上足を運んだことがあるという。そして今年の春、ganga工房を訪れて驚いたんだそうだ。「こんな片田舎でこんな布が織られているなんて…」。それで、商売抜きで我々とつきあってくれるのである。

 今日初めて、 シュロフ氏の工場を訪ねる。
 想像以上の大工場であった。広々として清潔な構内。これもインド!なのである。
 写真2は染色場。黄色いシャツがシュロフ氏。背景は世界最新鋭のドイツ製自動加圧染色機だ。インドではここ一箇所だけ。中国には二箇所。日本には無いという。左様、繊維産業は我が国では斜陽なのである。
 麻糸の原料である亜麻は、フランスとベルギーから輸入している。
 麻ばかりでなく、羊毛や木綿の糸も買うことができる。羊毛はオーストラリア産の柔らかいメリノ種だ。また氏は、インド政府によるヒマラヤ山村振興策「在来羊とメリノ種の交配」も手伝っているという。なかなか面白そうな人だ。
 世界中を相手に仕事をしているだけに、素材や糸の種類、色も多様だ。写真3はニット用のウール混紡意匠糸サンプル。これは我々にはちょっと使えないが、今秋からは原毛染めが開始されるなど、ウール糸も楽しみだ。Pumi spun(軽石紡ぎ!?)と呼ばれる不均一な糸も面白い。
 今まで糸を仕入れていたパンジャブ州のルディアナ市よりずっと近いし、価格も良心的なので有難い。工場全体の生産高から見ると当スタジオの所要量など無に等しいくらいだが、宜しくおつきあい願いたいものだ。

 夕方、工房に戻ると、女たちがなにやら楽しそうに集っている。
 手のお洒落、メヘンディだ。
 メヘンディという植物の葉を使う。ヘナとも呼ばれる。その葉を粉末にして水に溶き、円錐形の紙容器に入れ、デコレーションケーキみたいに模様を描く。
 しばらくしてメヘンディを洗い流すと、その場所がオレンジ色に染まりついている。数日間は消えない。
 女たちにとっては楽しいひとときのようで、かわりばんこに模様を描きあっている。普段はお転婆のディシャ(3歳…ラケッシュ姪)も、描かれている時だけは神妙であった。
 これも明日の祭礼の準備だ。写真4では、真木千秋(右)と秋田由紀子(左)が手に装飾を施されている。染まりついた色が濃いほど、姑に可愛がられている証拠だという。さて、二人はどうであったか。

 

8月9日(金) できたてクールビズ
 
 ただ今、デリー空港。
 今夜のJAL便で帰国予定だ。
 その前に、できたてのクールビズをご紹介しよう。
 写真は今日の11時、デラドン空港で撮ったもの。
 問題のシャツはその45分前に仕立て上がったばかり。

 素材は緑がかったグレーの綿カディ。
 しっかりした生地で、酷使にも耐えそう。
 デザインのポイントは、襟無しの丸首と、ポケットだ。

 首が広く開いていると、雨期のインドみたいにムシムシしていても快適。
 襟無しの丸首は、見た目もスッキリで、愛嬌がある。

 そして、男の仕事着は、ポケットが必須だ。
 サファリジャケットなんか四つもついている。
 今回は、胸にひとつ、下に二つ、つけてみた。
 特に飛行機で移動する時なんか便利。
 搭乗券とか、出入国書類とか、パスポートとか、荷物タグとか、ラウンジチケットとか、メガネとか、ペンとか、とにかくいろんなモノが頻繁に出入りする。

 日本は猛暑らしいから、しばらく人体実験してみて、合格だったら、来年のカディ展あたりにお目見えかな。
 
 
 

8月18日(日) まきちあきのインド絵日記

サンギータの家でとれた、からくて丸いチリ。


解説)
サンギータというのはラケッシュの次姉。
チリというのは唐辛子。
インドには丸い唐辛子がある。
小さなトマトみたいなので、馬鹿にして口に入れたところ、激辛!!
 

 
 
 

 

8月22日(木) まきちあきのインド絵日記

今日の一枚。
あかちゃんが生まれ、また手仕事をはじめたサビータのちくちくコースター。
色がなかなか素敵です。


解説)
サビータというのは、ラケッシュすぐ下の妹。
先日、女児誕生。二人目で、上に男児がいる。
今年春、腹の大きな時に私(ぱるば)が「男と女どっちが欲しい?」と聞いたら、小さな声で「Girl(女の子)!」と答えたのが印象的だった。ただ本人は、胎児の元気度から、男だと思っていたらしい。今年六月、女児誕生の報を受けた時には、我々も日本で祝杯を挙げたものだ。近所でも評判の器量好しベイビーで将来有望!?
 

 
 
 

 

8月23日(金) まきちあきのインド絵日記

ちょっと思いついて試してみました。
ヒマラヤウールの綿に、先染めしたウールの糸をちょきちょき切ったものを混ぜてカーディングし、紡ぐ。
残糸紡ぎとでもいうのかな.....? 
バギラティの手はすごいです。カーディングも紡ぎも、撚りかけもすいすいとこなしてしまう。
本当に脱帽します。


解説)
バギラティというのは、ganga工房の紡ぎ主任。
ヒマラヤ山中にある羊飼いの村ドンダの人。
少女の頃から羊毛に親しんできた。
夫はウール織のスペシャリスト・マンガル。
ところで、バギラティというのはガンジス川源流部の別称。すなわち、ganga(ガンジス)の源にバギラティあり。
 

 
 
 

 

8月24日(土) まきちあきのインド絵日記

ちょっと生き物みたいで面白い。
……今年の帽子はバスケット織りと組み合わせて。
やっぱりヒマラヤウールはいい。


解説)
バスケット織とは、糸を何本も一緒に編むバスケットのような織り方。
糸をたくさん飛ばして織る。
ヒマラヤウールの縮む特徴により、写真のような風合いになる。
織っているときは倍くらいの広さで、帽子になって出来上がると織幅の半分くらいに仕上がる。
 

 
 
 

 

8月26日(月) まきちあきのインド絵日記

一日の終わりにできあがってきた一枚。


解説)
紺は藍。ganga工房にて本藍建てしている。
茶色はクルミ。染材は染師ディネーシュが故郷の村から持ち帰ったもの。
 

 
 
 

 

8月29日(木) こっちの藍
 
 日印両国で育てている藍。
 こちらは、今朝の我が藍畑。
 史上最遅の7月9日定植で一時は大丈夫かと思ったものだが、その後、順調に生育。
 葉の色も良く、きっとインディカン(藍の色素)をしっかり貯め込んでいることだろう。
 前にも書いたが、こちらの藍はタデ科のタデ藍。あちらの藍はマメ科のインド藍だ。

 半月ほど前、インドから帰ってきた時は、こちらの畑も草ぼうぼう。
 気温も降雨も、雑草には好適だったようだ。
 インドの新工房敷地では草刈の真っ最中であろうが、ここも除草がタイヘンであった。
 そんな中で雑草にも負けずいちばん繁茂していたのが、モロヘイヤ(写真左上にある背の高い草)。
 原産地はインドともエジプトとも言われるが、暑い夏にはめっぽう強いようだ。
 そういえば、やはりインド原産のナスも、例年になく元気いっぱいだ。
 この調子だと、インド藍も育つかも!?
 
 

 

8月30日(金) まきちあきのインド絵日記

極細の絹糸とムガで織り上がる。
マルダの糸をサンジュが方々から取り寄せたら、細さがいつもの2分の1以下...。
長年の念願であった極細の糸をタテヨコにしたストールを作ってみることに。
手練の職人でも倍以上の時間がかかる。


解説)
マルダというのは、熱帯性多化蚕の黄繭。正式にはニスタリ種と呼ばれる。
インド土着の小さな蚕種で、繊維が細く、繊維長も短い。
それゆえ、均一な糸が引きづらく、今回のように極細糸の到来となる。
ムガというのは「インドの至宝」ムガ蚕糸。東北部・アッサム州特産の黄金絹。
サンジュというのは工房の素材調達係。


 
 

 

9月1日(金) まきちあきのインド絵日記

このごろ手にとりたくなる色は栗色、くるみ色、ねずみ色、ふかみどり、こげ茶色.....。
ヒマラヤの麓はまだモンスーン中だけど、私の体はふしぎと日本の秋の流れがあるようです。
そろそろほんものの栗やくるみや、梨などがなつかしくなってきました。



解説)
真木千秋の今般のインド滞在も、もう四十日あまり。
そろそろ里心がついてきたか。
まずそれは色と食欲に現れるようである。


 
 

 

9月2日(月) ねじまき雲
 
 東京・国分寺にある自家焙煎珈琲店「ねじまき雲」。
 ここはおススメである。
 
 きたる10月25日〜29日の五日間。
 このねじまき雲が、わが竹林にオープンする。
 これもおススメである。
 
 右写真は本日、店で珈琲を淹れるねじ氏。
 入魂の一杯。
 竹林珈琲店については、様々な構想があるようだ。
 たとえば、竹林shopの布や趣にあわせた竹林ブレンドとか。
 たとえば、インドモンスーンのストレートとか。
 もっと驚くべきものもある。
 おいおいお伝えしよう。

 2013年10月25日(金)〜29日(火)
 竹林の秋
 Maki Textile Studio 竹林shop

 
 

 

9月3日(火) 着ることの意味
 
 文化出版局の「ミセス」9月号
 179ページに、石垣昭子さんとともに当スタジオの布が紹介されている。
 ただ、ちょっと風変わりな記事だ。
 筆者は日本歯科医師会長の大久保満男さん。

 人間にとって「衣」とはいかなるものか、という哲学的な論考である。
 かかる記述を世のミセスたちが読むのかしらん!?
 ともあれ、大久保氏いはく — 衣服とはそもそも、外界から身体を守るものであるとともに、身体を覆い隠すものでもあった。しかしながら、現在においては、それ以上の意味あいがある …
 その「意味」の延長上に、石垣さんやMakiの布があるということだろう。

 大久保氏は、静岡市で歯科医院開業の傍ら、ガレリ・ヴォワイヤンという画廊のオーナーであった。(どっちが「傍ら」かは定かでないが)。この画廊はMakiの最も初期からの理解者であった。
 若い頃は奥方の服をほとんど自分で買っていたという大久保氏ならではの一文だ。

 先月発売の雑誌だから、興味ある向きはお早めに。
 ちなみに表紙を飾るのは、かつてよくMaki青山店にもお運びになった山口智子さん。

 ミセス2013年9月号
 文化出版局 1100円
 

 

9月5日(木) まきちあきのインド絵日記

ナニが村から帰ってきた。ganga工房に来たと思ったらすぐに畑に直行して、今日の収穫。
サリーを野良仕事用に上に持ち上げ、その端をぐるりと腰に帯のようにまわしてきゅっと締める。
脚をにょきっとだすと筋肉隆々だ。山に暮らすとはこういうことなんだな。水くみから1日がはじまるのだから。



解説)
ナニというのは母方祖母の呼称。ラケッシュの母方祖母なので「ナニ」と呼ばれる。
ヒンディー語の親族呼称は、父方と母方で異なる。父方祖母はダディ。伯父(叔父)、伯母(叔母)などの呼称も父方と母方ですべて異なり、とても覚えきれない。
写真の収穫物はウリ科の野菜。木瓜も含めウリ科野菜にはインド原産のものが多い。
ナニの手許にあるのはゴーヤーで、ヒンディー語ではカレラと呼ばれる。こちらもインドあたりが原産だ。サブジ(野菜カレー)の具として愛好される。白いのは白ゴーヤーで、橙色は通常のゴーヤーの熟したやつ。葉上の赤は完熟ゴーヤーの種で、これは意外なことに甘くて美味。



 
 

 

9月7日(土) まきちあきのインド絵日記

工房のニワトリ、13羽。チビたちもあきずに毎日毎日ニワトリと遊んでいます。



解説)
ニワトリはインド原産と言われる。それゆえ、インド料理でも鶏肉の占める役割は大きい。ジャングルにはニワトリの原種である野生種が棲んでいる。
工房のニワトリは採卵用だからラッキーだ(カレーにはならない)。二週間ほど前、若鶏としてやってきた。
有色種だから、卵もきっと有色であろう。
雄鳥が三羽ほど交じっていると思われるが、現段階で雌雄は判別できない。



 
 

 

9月11日(水) あたらしい日用品
 
 一昨日、東京・吉祥寺のOUTBOUND(アウトバウンド)に出かける。
 Makiともいろいろ縁の深いギャラリーだ。
 平成の目利きとも言うべき小林和人氏(写真上・真ん中の人物)の目に適ったモノたちが並んでいる。(右端は店番の森口クン)
 こうしたモノたちを小林氏は「あたらしい日用品」と呼んでいる。

 じつはこのOUTBOUNDが、来月10月の25日〜29日の五日間、「竹林の秋」という催しに合わせ、母屋の二階に店開きするのだ。
 当日は、磁器、木器、土器、竹器、ガラス器、衣服など、様々なモノが東京五日市のMaki Textile Studioにやってくる。
 初日の10月25日には、小林氏のお話会も。(聞き手・真木千秋)
 (小林氏は今日から北京。当地のギャラリーで講演をするんだそうだ)


 あたらしい日用品、ぜひご覧あれ。


 2013年10月25日(金)〜29日(火)
 竹林の秋
 Maki Textile Studio

 



 
 


ピラト/イエス/ヨハネ



9月13日(金) まきちあきのインド絵日記

織師アショックの機に木綿の糸がかかり、メヘンディで染めたビーマルの緯糸が用意されました。
これを緯糸にして新工房のスクリーンを織る予定。どうなることか....。



解説)
メヘンディというのは、小灌木。その葉で染めることができる。日本では「ヘナ」として知られるが、あれは商標だとのこと。
ビーマルは高木。ヒマラヤの村々では、樹皮を剥いで、繊維を利用する。日本のシナノキに似ている。



 
 

 

9月16日(月) まきちあきのインド絵日記

インド滞在も残すところあと4日ほど。
今回もたくさんの手仕事をすすめることができました。
クリップボードの右上は新工房のイメージです。先日スタジオムンバイを訪れた折、ビジョイさんから頂いたものです。
工房の建物に囲まれた中庭には月を移すがごとく、丸い池があります。
あさってビジョイたちがまた打ち合わせにやってきます。



解説)
…の予定であったが、また変更。
ビジョイたちの来訪が一日延期になり、その影響で、真木千秋たちの滞在も二日ほど延びるのであった。
なかなか日本みたいにはいかない。



 
 

 

9月20日(金) まきちあきのインド絵日記

新工房の敷地。東の山から顔を出した中秋の名月。
ビジョイからもらったドローイング(建築素描)そのものでした。
この月が工房中庭の池に映り、工房が息をし始めるような感じがしました。

そして何百年か後に建物もほとんどなくなり自然に化したこの土地に誰かがやってきて、満月の晩に月を池に映して何かがまた始まるのかも.....
これは月を見ながらビジョイの言っていた言葉です。



解説)
自然に化する前に一度お越しを。



 
 

 





 


 
 

9月28日(土) 藍の生葉染め 2013
 
 秋晴れの本日、藍の生葉染めを行う。
 今年は天候のせいもあって藍の定植が7月にずれこみ、一時はどうなるかと思った。
 それでも、以後、順調に生育し、8月にはもう染められるくらいまで大きくなる。
 ただ、8月というと、真木千秋&スタッフはインドで仕事をしている。
 新工房建設のデザイン作業などもあり、帰国したのが結局先週。
 そして今日やっと、まとまった時間を見つけたのだ。

 藍草は9月初めから花穂をつけ始める。やはり8月中には染めた方がいいだろう。
 写真上は、今朝、ウチの畑で藍を刈っているところ。
 日差しが強いので、手早くやらないといけない。

 それを竹林スタジオに運んで、みんなで葉をちぎる。
 みんなと言っても、今、展示会が重なっているので、人手が足りない。
 きっとお客さんが手伝ってくれるだろう…。
 生葉染めの日は、スタッフ/お客を問わず、葉っぱちぎりをするのが当スタジオの習わしなのである。
 藍の成分は葉っぱにしか含まれていないので、大事な作業なのだ。
 ところが、今日に限って誰も来ない。こんなに気持ちの良い土曜日なのに、みんなどこで遊んでいるのであろう?
 午後になって真木千秋の御学友が娘とともに来訪し、しばし手伝ってくれる。

 ご存知の通り、藍染は普通、藍建てという発酵作業を経て行われる。
 日本のタデ藍の場合は、その前にまず、スクモという一次発酵も行われる。
 細菌によって藍の色素が水に溶け、それが糸や布に染着するのだ。

 生葉染めの場合、発酵の手順はないのだが、おそらく生葉に含まれる酵素などの働きによって、ある程度の色素が染着する。
 色は薄いのだが、発酵を経たものとは、やや色調が異なる。
 殊に、生の繭から挽いた春繭の糸を染めると、その色合いが美しい。

 写真下は、主に今春挽いた春繭糸を染めたもの。
 緑っぽく見える糸カセは、染めた直後のもの。
 空気中の酸素に触れることによって、藍の色素が酸化し、徐々に青色を呈するようになる。
 これらの糸はganga工房に運ばれ、来春用のストールに織り込まれることになる。
 


 

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