絲絲雑記帳

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竹林日誌 10前/09後/09前/08後/08前/07秋/07夏/07春/06秋/06夏/06春/05秋/05夏/05春/04秋/ 04夏/04春/03秋/03夏/03春/02後/02前/01/99-0
0/「建設篇」


10月2日(水) 竹林shop 満七歳

 昨10月1日は竹林shop開店七周年であった。
 七周年というと、普通、祝賀行事とか特別セールとかあるんだろうが、何もなかったなぁ…。
 去年はバースデーケーキもあったのに、それもないなぁ…。
 せめてロウソクだけでも立てておこう。
 
 ホントのお祝いは、10月25日から五日間「竹林の秋&OUTBOUND」にて。
 


  10月9日(水) 新装うめだ阪急で展示会

 大阪・梅田阪急百貨店で、今日から真木テキスタイルスタジオ展示会。
 タイトルは「真木千秋 手織の布・衣」。

 梅田阪急と言えば、1991年に初の展示会をして以来、今回でなんと23回目! 商いは「飽きない」と言われるが、お互いご健勝なことで何よりのことである。

 場所は7階の美術ギャラリー。
 七年間に渉る建て替え工事を経てリニューアルオープンした新しい会場で初めての展示会だ。
 広くすっきりした空間に、沖縄で染めた力強いめ布や、シルク、ウールの新作など充実の展示。
 写真左側のウィンドウ内では、最新の映像も流れている。

 関西方面の皆さんは是非ご観覧を! 来週15日(火)まで。






 

10月10日(木) ねじまき雲の珈琲リハ
 
 ねじ氏、来竹。
 氏は今月25日からの「竹林の秋」に、五日間にわたって珈琲店をオープンする。
 今日はそのリハーサルだ。
 「ねじまき雲」とは、青梅と国分寺に店を構える自家焙煎の珈琲店。ここの珈琲は真木千秋もかねてより愛好している。ねじ氏はその主人。本名は別にあるみたいだが、みんなねじさんとかねじ君とか呼んでいる。

 先月初めの打ち合わせ以降、ねじ氏もいろいろ研究を重ねたようだ。
 たとえば、インド・モンスーン。これは南インド産の豆を独特の製法で処理したもので、南インドを中心に広く愛飲されている。ねじ氏は修業時代に試したことはあったが、店で紹介したことはない。
 今回、インド・モンスーンの生豆を取り寄せ、焙煎して持参する。
 インド風にミルクとともに淹れてもらって飲んだところ、これがウマい!
 本場南インドよりイケるかも。これはねじ氏いはく、輸出用の豆は高品質なせいもある。
 真木千秋やラケッシュ(竹林シェフ)始め、スタッフ全員で試飲し、一発合格。めでたく竹林珈琲店のメニューとして採用されるのであった。
 日本ではなかなかお目にかかれないものであるし、必見、いや、必喫である。(ちなみにねじ氏は南インドコーヒー研究のため東京で最も著名な南インド料理店に出かけたが、インド・モンスーンは使用していなかったそうだ)
 
 もうひとつの必喫アイテムは、マサラ珈琲。
 これは言うまでもなく、珈琲にスパイスを加えたものだ。
 サラッとしたメキシコ豆をベースに、カルダモンや丁字など様々なスパイスを効かせて淹れる。
 珈琲にスパイス!?
 今回、マサラチャイはメニューに無いし、まずはお試しあれ。

 もうちょっとオーソドックスなのがお好みの向きには、竹林ブレンド。
 インド・モンスーンとメキシコとペルーを使って調整したもので、苦味を効かせて、ふくよかに仕上げている。
 メキシコのストレートも提供される予定。
 マイルドなコーヒーがご希望なら、香り高いカフェオレも。
 自宅で楽しみたい人には、豆の販売もある。

 竹林珈琲店の場所は、母屋の一階。(写真下)
 増満兼太郎作の四輪車がカウンターとなる。
 囲炉裏を囲んで嗜むのも良い。(火は入らないと思うが…)
 ねじ氏の所作も一見の価値あり。

 請うご期待!!







 

10月14日(月) 吉祥寺に小林和人氏を訪ねる
 
 連休の最終日、真木千秋ともども、吉祥寺OUTBOUNDに小林和人氏を訪ねる。
 今月25日から始まる竹林の秋+OUTBOUNDの打ち合わせだ。
 ここOUTBOUNDには以前から弊スタジオの布も常設され、また展示会も開いてもらっている。

 小林氏は吉祥寺に二店舗を展開している。OUTBOUNDとRoundabautだ。それぞれ「アウトバウンド」と「ラウンダバウト」と発音される。
 小林氏の標榜する「あたらしい日用品」。ざっくり言えば、その「用」すなわち機能性によって、この二店舗が区別される。すなわち、Roundaboutの品揃えは、より機能性に重点が置かれている。「ハレとケ」で言うと、ハレがOUTBOUNDで、ケがRoundaboutだ。
 Makiの布は現在OUTBOUNDに展示されているが、今日、小林氏に会って真木千秋もハタと思い至るものがあった。今までの作品はどちらかと言えば

ハレ的な要素が強めであったが、これからはもう少し「用」に重点を置いた布も作って行ったらいいんじゃないか。
 現代の若き目利き・小林氏に会って、また触発される真木千秋であった。

 小林氏は先日、井藤昌志氏とともに北京に招聘され、講演会を行っている。その題名も「手と目」。井藤氏が手、小林氏が目を担当し、当地で若者たちを中心に多くの人々の関心を集めた。小林氏の著書「あたらしい日用品」は先般、中国語にも翻訳されている。日中両国の間には、今こうした活動が最も求められているのである。その風貌からしても、なんとなく北京原人、いや、預言者を彷彿とさせる小林氏だ。

 今回の「竹林の秋」では、築二百年の母屋二階に、OUTBOUNDばかりでなくRoundaboutの品々もいろいろ展示される。
 また、初日の25日には小林氏のトーク「あたらしい日用品」がある。映像も交え、聞き手の真木千秋との間にどんな話が展開されるか、楽しみなことである。午後1時より。入場無料。先着30名。


 

10月22日(火) OUTBOUND、竹林到来
 
 今週金曜から始まる竹林の秋+OUTBOUND
 その展示作業が始まる。
 今日は吉祥寺から、小林和人氏等、三方が来竹。
 もう七時間以上も立ち働いておられる。

 展示場は母屋の二階。
 もとは蚕室に使われていた、五十畳ほどの空間だ。
 この広さにあわせて、五百点近くの品々が吉祥寺から到来する。
 食器、調理器、容器、道具類、衣類、袋物…。お馴染みの作家モノもあれば、初めて耳にする作り手、更には工業的に作られたものまで色々だ。
 吉祥寺で見るのとはまた違った趣である。
 
 展示に使う什器も味がある。
 たとえば、リンゴ箱。(写真下)
 ベルギーの農家で今も使われているもので、リンゴやジャガイモを入れるという。
 母屋二階の床から生えてきたみたいで、妙に馴染んでいる。ちなみにこのリンゴ箱、販売もする。(4500円)。
 OUTBOUNDの出現で、見慣れた母屋二階が楽しい店舗に一変。

 25日(金曜)午後1時から、この会場で小林和人氏によるお話会「あたらしい日用品」を開催。
 雑誌ポパイに『この状況、この道具』というタイトルで記事も連載中の小林氏。台風来襲も噂される当日、さて、いかなる蘊蓄が開陳されるのであろうか。


 

10月23日(水) 竹林shopの外&内

 日中、雨が上がる。
 そこで懸案の外仕事。

 まずは屋外テーブルの新調だ。
 以前のテーブルは2005年に設置した杉材のもの。
 八年間風雨に曝され大部くたびれてきた。
 そこで大工の森屋棟梁に相談したところ、ちょうど良いのがあるからやるよ、と持って来てくれた。
 イチョウの根元を輪切したものだ。
 地面に直置きだと傷むので、下に石を置く。
 iPhoneで水平を取って、かなりソレっぽく出来上がる。(写真上)
 たまたま来訪した棟梁も見て喜んでいた。
 ついでに、ベンチも新調する。
 天気が良ければ、ここでランチをするのも宜しかろう。(まだヤブ蚊が少々いるけれども)

 それから、熊谷幸治・土器焼成のための薪(タキギ)準備。
 今週土曜、熊谷氏が自ら造った土器をここ竹林で野焼きするのだ。
 本邦で一万年以上もの長きに渉って行われてきた営みであるが、未だ見たことがない。何にせよ、火遊びは楽しいものだ。
 ただ、当日の天気が怪しい。空模様によっては順延となるので、見たい人はHPをチェックするか、スタジオに電話確認のこと。

 もう午後7時を回ったが、竹林shop内ではまだ展示作業が行われている。(写真下)
 ウールやパシミナ、ナーシ絹など、温かそうな布や衣を、真木千秋はじめ三名が、あちらこちらに案配している。
 まだ本番までには明日一日あるし、キッチンのシェフ・ラケッシュから雑穀チャパティが配給されたりして、わりあいのんびりペースの作業だ。
 





 
 

10月24日(木) 竹林・秋の味覚

 いよいよ明日に迫った竹林の秋。
 心配されていた台風も直撃は免れるようで、ひとまずは安心。
 食材もいろいろ集まってきた。

 上写真は母屋、囲炉裏の端。
 さきほどねじ氏が青梅からスクーターで現れ、焙煎したての豆を持参する。
 写真を拡大するとわかるが、

MAKI TEXTILE BLEND
【f u k u f u k u】

 とある。今回の催し用に特別ブレンドした販売用の豆だ。
 通常、焙煎後の賞味期間は二週間ほどだが、ねじ氏が手懸けると一ヶ月は楽しめるというから不思議。
 ラベルにはMakiストールとか羊の絵が描かれている。実はねじ氏、珈琲業に投じる前はアパレル系に身を置いていたのだ。だからこういう小技もイケるのである。
 明日のために真木千秋と店舗準備をして、また雨の中、スクーターで青梅に戻るねじ氏。今ごろは再び焙煎に身を焦がしていることだろう。

 上写真、珈琲豆の左手にあるのが、セトキョウコ作「黒みりんのメレンゲ」。セトキョウコというのは、増満兼太郎氏の細君で、料理家である。彼女のブログを見ると、ここ数日ひたすら焼き続けていたそうだ。
 セト姉とねじ氏は旧知の間柄であり、珈琲との相性もピッタリの洋菓子である。口に入れるとフワッと消え去る甘いはかなさが良い。
 印菓子が良ければ、ラケッシュ作のバルフィも。

 写真中は柿。
 今年はどうやら柿の生り年(なりどし)であるらしい。
 竹林庭の「禅寺丸柿」も豊作。甘くて美味。
 と思っていたら、先ほど、元スタッフで当地在住のK姉から電話があり、柿が生りすぎて困っているのでもらってくれないか、とのこと。
 こっちも柿は有り余っているのだが、せっかくの申し出なので、それではちょっと、と答える。
 すると15分後、ちょっと届けてくれたのだ。その数、百余。
 禅寺丸より大振りで、試しに食してみると、これも甘くて美味。
 しかしながら、とても食べきれないので、明日から来訪の皆さんに差し上げようということになった。

 竹林キッチンでは、シェフ・ラケッシュが明日の仕込み。(写真下)
 写真はチャナ(ひよこ豆)カレーだ。
 そのほか、明日のメニューは、野菜カレー(蓮根+里芋+ナス)と、ぱるば野菜入りのサラダ。そして、タンドール・チャパティ(雨が降ったら手焼きチャパティ)。

 ではみなさん、お楽しみに!
 
 
 



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11月2日(土) 土器の野焼き

 一週間前の10月26日(土)。竹林の秋+OUTBOUND展の二日目。
 土器作家・熊谷幸治氏による土器の成型&野焼きがあった。

 縄文土器にも見るごとく、そもそも日本は土器製作において、世界でも最も長い伝統を持つ地域のひとつだ。我々の祖先たちは一万年以上にもわたって土器を作り、使用してきた。しかしながら、土器の製作や焼成は、今ほとんど目にすることがない。博物館などで研究者などによる実演があるくらいだ。
 土器作家の熊谷氏によると、実際の土器焼成は、博物館実演などとはチト違っているのようである。
 新たな実験も交え、なかなか興味深かったので、ちょっとご紹介しよう。


写真1
 自宅工房からロクロを持参した熊谷氏。
 タイヤを使った小振りの人力ロクロであった。
 小さいので慣性力が弱く、そのぶん手で回す回数が増えるので作業には時間がかかる。
 この日は猪口を五つばかりと、やや大きめの器を幾つか成型する。

 成型後、乾燥させる。
 通常は日を置いて焼くのだが、当日は短時間乾燥で試してみる。



写真2
 今回はドラム缶の中で焚き火を行う。
 手近なものをいろいろ用いる柔軟性が良い。縄文人たちもいろいろ工夫しながら土器づくりに励んでいたのだろう。
 博物館実演では薪を使うが、今回は枯枝とワラを燃料にする。
 縄文人にとっては、枯枝や枯草の方が身近であったに違いない。
 枯草は熾火(おきび)となった後、土器の上にかぶさって焼成が継続するので、効率が良いという。現在でも土器を作っているアフリカなどでも枯草を使って焼成するらしい。



写真3
 火が消えた後、灰の中から土器を拾い出す。
 大きめの器は割れていた。これは即日乾燥・焼成の影響と思われる。すなわち、ドラム缶の上で直火乾燥させたせいで、ヒビが入っていたのだ。成型したものが全部完成するというわけではないのである。



写真4
 水止め。
 土器は空気を含むので、水が滲出する。そのため、液体を入れる用途には水止めが必要だ。
 熊谷氏は通常、蜜蝋で水止めをする。

 今回のイベントには珈琲店(ねじまき雲)が出店していた。珈琲を淹れた後の出ガラに油分が含まれている。それで水止めを試みようと考えた熊谷氏。珈琲の出ガラを譲り受け、それで再び珈琲を淹れ、その出がらし珈琲の中にまだアツアツの土器を浸ける。



写真5
 水止め処理をした後の猪口。
 珈琲による暗褐色の色合いが良い感じ。
 水止めの効果もあるようで、水も滲出しない。
 ただ、口をつけた際、縁に唇が吸いつく感じがする。これは熊谷氏いはく、土器が水分を奪うせい。つまり、蜜蝋などに比べ、水止めが弱いということだ。このあたりは、たとえば珈琲の濃度を変えるなど、工夫の余地があるのかもしれない。
 ともあれ、廃物が上手く活用されれば目出度いことだ。
 土と、枯草と、廃物で器ができれば、最強のエコ製品であろう。
 
 
 
 


 

11月12日(火) 石を買う

 インドから写真が送られて来た。
 新工房敷地に石がやって来たのだ。

 建設工事開始に先立ち、資材の準備だ。
 スタジオムンバイの計算によると、工事には約1500立米の石が必要だという。(立米というのは立方メートルで、三方が1メートル)
 これは途方も無い量で、たとえば、私ぱるばは時々軽トラで砂利を購入して竹林スタジオの敷地に撒くのだが、これが1回につき0.1立米。それでも随分多いと思うのだが、その1万5千倍なわけだ。
 建物の土台と、中庭に使うという。

 この石は近所を流れるジャーカン川の河床から採取される。
 写真上がそのジャーカン川。ガンジスの支流で、雨期以外は涸川だ。写真を拡大して見ると、河床にトラックが幾つか見える。
 奥に見える峰々がヒマラヤの尽きるところで、標高は千数百メートル。
 石はヒマラヤの山々から運ばれて来たもので、角が取れて丸くなっている。
 二週間ほど前から採石が許可になった。

 川は敷地から数kmのところにある。いはば地産地消だ。
 写真中のトローリーで運んでくる。一台で5〜6立米だから、三百回近く運んでこないといけない。
 河床では重機の使用が禁止されているので、まったくの人力で積載される。トローリーの数も限られているので、一日にせいぜい10回〜15回の到着だ。

 その石を工房のあちこちに分けて積む。
 工事の邪魔にならないよう、整然と積み上げるのだ。
 この作業もやはり人力(写真下)。ネパールからやってきた若者たちが四人がかりで作業している。硬質の重たい石だが、ご覧の通り、何の道具も使わず、肩に担う。

 今、北インドは一年でも最高の季節だ。
 工房建設の起工に向けて、ラケッシュも明日インドに発つ。


 

11月13日(水) 吊し柿

 一気に冬に突入したかのような武蔵五日市。
 木枯らしが吹き、畑の空心菜や薩摩芋の葉も一夜で霜枯れ。

 そして、竹林母屋の軒先には、吊し柿。
 これは一昨日、ラケッシュが吊したものだ。
 何を思ったか「干し柿が作りたい」と言い出し、近所を回って柿を手に入れる。

 細長い渋柿だ。
 皮を剥かれ、ビーマルの紐で結ばれ、カビ除けに焼酎を浴び、今、寒風の中に吊されている。
 来年正月10日からのハギレ市の折、味見できるかも!?


 

11月18日(月) 八丁撚糸機

 「はっちょうねんしき」と読む。
 撚糸というのは、糸を撚ること。
 糸を撚ることによって、織物の幅が広がる。
 糸の太さや物性を変えたり、異素材と混ぜることもできる。
 インドで発明された糸車でも撚糸はできるが、途方もない手間がかかる。
 それで江戸時代、日本で開発されたのが、八丁撚糸機。これによって遥かに効率的に撚糸ができるようになった。

 ganga工房にも一台、導入できないか…!? と、真木千秋は考えている。
 ただ、江戸時代の発明品だ。当然のことながら現在ではもっと効率的な機械が使われている。
 八丁撚糸機といえば、今では博物館の展示品だ。

 ところが、その撚糸機が、今でも現役で稼働していたのだ。
 それも、ここ竹林工房から数Kmのところ。森縫合糸製造所という撚糸屋さんだ。
 社名から察せられるがごとく、現在は主に手術用の糸を作っている。原料は絹糸で、群馬の碓井製糸製。
 日本でも数台しか動いていない「乾式の張り撚り八丁撚糸機」だという。昭和の時代に八王子で造られたものだ。細長い工場いっぱいに糸を張り、撚糸する。
 今日は工場の特別公開日で、実際に作業を見学できた。手術糸のほか、工芸作品のための特別撚糸も行われている。式年遷宮のための注文もあったそうだ。
 ご主人の森氏いはく、手織には「湿式」の八丁撚糸機が向いているという。工場には湿式の撚糸機もあったが、管巻機がないということで、動いてはいなかった。まず糸を管に巻かないと撚糸機にはかけられないのだ。

 というわけで、地元で思わぬお勉強ができたのであった。
 さて、ganga八丁撚糸機作戦、どうなることであろう。


 

11月23日(土) 縄張り

 一昨日の21日朝、真木千秋&田中ぱるば、インド到着。
 ここヒマラヤ山麓の11月後半は、一日の内に四季のあるような気候だ。すなわち朝夕が春秋、昼間が夏、夜が冬。
 ただ、寒暑はそれほど厳しくなく、連日カラッと晴れ渡り、しのぎやすい時期だと言えよう。

 新工房敷地では、川石の搬入と並行して、スタジオムンバイのスタッフ四名が縄張り作業に勤しんでいる。
 縄張りとは、建物の輪郭に添って縄を張ることだ。
 敷地はキレイに除草され、その上に白い縄が張られる。(写真上)
 まだ整地されていないので斜面のままだが、それでも、今まで以上に実際のイメージがハッキリしてくる。

 写真下が今回スタジオムンバイ・スタッフの持参した木製の模型。
 これが最終模型だという。前回8月に目にしたものと、またずいぶん変わっている。(当時も最終模型と言われたが…)
 中央の五角形の建物が工房で、その周囲に散在するのが、ギャラリーや食堂、水場、居住棟などだ。
 五角形の正面にあるハの字型の開口部、それが上写真の左下部分だ。
 中庭にある円形の構造物。かつては池塘となって三笠の山にいでし月を映すはずだったが、今は託児所になる予定。よりプラグマティックな変身だ。

 明後日からはスタジオムンバイ主宰のビジョイ・ジェインが数日に渉って来訪。地鎮祭などを執り行う予定になっている。


 

11月25日(月) 夜のジャスミン

 ganga工房の門前に育っている木、ハーシンガー。(写真上)
 インドではお馴染みの木で、英語ではNight-flowering Jasmine、中国語では夜花と呼ばれるらしい。(和名は不明)

 その名も示すように、夜、花をつける。
 この花には我々もよくお世話になっている。
 染材なのだ。
 この花を乾燥させて煎じると、鮮やかなレモンイエローが出る。
 日本で言うとフクギに匹敵する優れた染材だ。

 通常、インドでは薬種店で買ってくる。
 ラケッシュによると、そもそもアユールヴェーダ(漢方ならぬ印方)では、ハーシンガーは回春薬とされている。それでラケッシュ君のような若い男子が薬種店でハーシンガーを求めると、店主は怪訝な顔をして、何度も下方に目を遣るらしい。店主から「どのくらい入り用?」と聞かれ、「1kg」と答えると、「そんなにいっぱい!?」と更に怪訝な顔をされる。乾燥花だから軽いのだ。

 かなり高価な薬材なので、できるだけ自前で調達したい。
 そこで染師ディネッシュ(写真上の人物)が門前で落花を拾い集めた。
 秋いっぱいかかって200g。なかなか必要量には達しない。

 下はハーシンガーで染めた絹糸。
 緑を出す下染めということで、薄めに染める。
 この後、藍を重ねて緑味を出す。

 ディネッシュ君、染色のついでにチト味見してみたそうだ。
 ただし、少量だったため、効果のほどは定かでないとのこと。(まだ必要あるまいが)
 


 

11月26日(火) 地鎮祭

 本日は新工房の地鎮祭。
 インドにも地鎮祭はあるのである。
 建築家ビジョイ・ジェイン来訪にあわせ、この時期に地鎮祭を計画。
 我々三名(真木千秋・ラケッシュ・田中ぱるば)も、それにあわせて今回インドに渡ったというわけ。

 ビジョイはアシスタント三名を従え、昨日当地にやってくる。
 大工頭ディネッシュはじめ大工数名は既に一週間ほど前ムンバイから到着し、工房敷地で作業にあたっていた。
 通常インドではバラモン僧を雇って地鎮祭を催すようであるが、ウチはラケッシュ父がバラモンになる。平生から信心深く、毎朝お祈りを欠かさない人であるから、充分バラモン役が務まるのである。(上写真・右端)

 石に紅でスワスティカ(卍)を描き、香を焚き、供物を供え、マントラ(真言)を唱えながら、粛々と儀式を執り行う。
 最後に、鍬入れみたいな感じで、地面に穴が掘られ、装飾を施した硬貨や、花、粗糖、ココナッツジュース、ガンジス川の水などを注ぎ、また鍬で穴を塞ぐ。(写真上)。最後にそれぞれ供物を頂く。
 これで目出度く地鎮祭も終了だ。

 儀式をはさみ、今日は一日、敷地で過ごす。
 主には、模型などを援用しつつ、ビジョイから建築プランの説明を受ける。(写真中)
 この模型は大工頭ディネッシュ(写真中・右端)が木でこしらえたもので、縮尺は1/200。(詳細は11月23日記事を参照)
 ビジョイの到着前、この大工頭は幾度も我々に「これが最終模型です」と強調していた。というのも、この一年間、数え切れないほど設計変更があり、そのたびにディネッシュは模型を作り直してきたからだ。木製だから手間がかかるのである。「最終模型」というのは彼の切なる願いでもあるわけだ。

 周辺の建物から順次説明を受け、夕刻近くに、メインの工房(敷地中央にある五角形の建物)の設計に移る。これについてはビジョイも思うところがあるらしい。というのも、今回、縄張りを行い、正確に測地したところ、土地の斜度が思いのほか大きかったのだ。また前々より、「最終模型」の工房入り口が、ビジョイにとって何となくしっくりこなかったことなどもあった。
 はたして今回また工房について、かなり大胆な設計変更が提示された。昨日から今日にかけて考案されたらしい。
 最終模型とはまったく違う構造なので、我々も理解するのに時間がかかる。夕陽を浴びつつ、図を描いたり、紙を切り抜いたりして、諄々と説明に努めるビジョイ。(写真下)。傍らには助手のイタリア人建築家ファビオ。眉間の赤は地鎮祭の名残だ。写真左端の大工頭ディネッシュ、「ああ、やっぱり…」という感じ。

 「いつもこんなに変更があるのか」とビジョイに聞くと、「いつもというわけではない」との答え。
 彼によると、このプロジェクトは単に染織工房の建設ではないということ。
 何にでもなり得るのだ…学校にも、託児所にも、展示会場にも。設計を進めながら建物自体が進化していくわけだ。
 
 まずは周辺の建物から建築にかかることになる。
 メイン工房の最終決定までには、まだ一月ほどの猶予がある。まだ予断を許さない。

 


 

11月27日(水) ヒマラヤの頁岩

 近所に石を上手に使っている村があると聞いたので、建築家ビジョイたちと一緒に出かけることにした。

 新工房敷地から約十五kmヒマラヤ山中に入り込んだ、標高千百mほどのイタルナ村だ。
 左上写真、左手中腹に白く見えるのが、その山村。そして右手、自動車と右端人物の間に見える灰色っぽい谷間が、岩石の露頭だ。
 ヒマラヤといってもほんの入口なので、写真の峰(右端)もせいぜい標高千八百mほどだ。
 それにしても、敷地から車で三〜四十分行くだけでこんな山奥に到達してしまうというのが、ちょっと驚き。

 左中写真が、その谷間の岩石露頭。
 ビジョイがshaleと言っていたので、頁岩なのであろう。「シェール革命」で最近有名になった堆積岩だ。
 この頁岩は、頁(ページ)という字からも想像できる通り、薄い板状に割ることができる。
 ここの頁岩の色調は、ブルーグレーから紫がかり、なかなか趣がある。

 村人たちはこの谷間から頁岩を採取し、建材として使ってきた。
 左下写真は屋根材に使われた頁岩。
 ただ、最近は、同写真奥に見られるように、コンクリート製の家も増えてきた。
\ 改築によって不要になった頁岩が敷地の脇に野積みされている例もある。(写真右)。
 こういうのをもらってきて工房に使うのもいいかも。

 ラケッシュ両親の出身地であるヒマラヤ山中の村々でも、やはりこうした頁岩が使われている。
 地元の山で採れる素材なので、建材として使っても自然に溶け込んで良いものだ。

 それにしてもこの山村、標高の高い分、空気も澄んで、別天地のような村だった。
 都会から来ればganga工房の周辺ものんびりした空気が流れるが、ここはそのまた上を行く。
 見るからに純朴そうな村人たちは、ほとんど自給自足に近い生活を送っている。ここも多分、若者たちは都会に流れていくのだろう。
 村はずれの小高い丘上に建つシバ寺院にはユニークな賢者が隠棲しており、ビジョイもいたく感心していた。ああいうのが「ヒマラヤの聖者」なのかもしれない。
 また訪ねたくなるような身近なヒマラヤ山村であった。
 
11/28追記)
 ビジョイに良く尋ねてみたところ、この露頭にあるのは頁岩と粘板岩。建材に使われるのはより硬い粘板岩(スレート)だとのこと。
 

 


 

11月29日(金) 禅の心

 ビジョイがムンバイからやって来て五日目の今日。
 新工房敷地で、壁造りの実演があった。

 壁と言えば日本では、土だったり木だったりする。
 インドでは、石や煉瓦だ。
 新工房の壁も、土台は石で、その上が煉瓦だ。

 土台の石は、近所の川石を割って使う。
 石同士をつなぐ詰め物を、こちらインドではマサラと呼ぶ。
 左写真のマサラはコンクリートだが、実際は石膏になる。

 上写真は煉瓦の積み方を指導するスタジオ・ムンバイ・スタッフのシャリフル(手前の人物)。石組みのエキスパートだ。指導されているのは地元の石工たち。
 今回の煉瓦の積み方は、通常とはかなり異なるらしい。インドでは昔から行われていたようだが、中に空洞を作る組み方だ。地元の石工たちは知らなかった。
 こうすることで保温性が高まり、また、煉瓦の使用量も少なくて済む。ちょうどタッサーシルクのようなものだ。タッサーシルクは繊維の中に空洞を持ち、そのため保温性が良く、また軽量だ

 建物造りは地元の工人を使うことになるであろうが、良い仕事をするためにはdyan(ディヤン)が必要だ、とビジョイはのたまふ。
 ディヤン!? どっかで聞いたことがあると思ったら、禅の語源なのだ。
 サンスクリット語のディヤンが中国でチャンになり、そしてゼンになった。
 ビジョイによると、ディヤンというのは「気づき」だが、単に頭による気づきのみならず、ハートや腹も含む全体的な気づきだという。
 さすが禅の故郷インド。工人たちがディヤンを持って仕事をしてくれれば、良い建物ができるというわけだ。どうやってディヤンを持ってもらうかというのが、我々にとって課題のひとつとなる。

 昼過ぎ、ビジョイとアシスタント二人はムンバイに向け、当地を去る。(ところが飛行機が遅れ、結局、乗り換え地のデリーに足止めになってしまった。これもインドである)
 ともあれ、工房の建設も、図面上から実地に移り、いろいろ学びのあった五日間であった。


 

12月3日(火) 花子の加入

 一昨日の12月1日。真木千秋たちは連れだって「秘密の泉」に赴く。
 ganga工房から十キロほど離れた広い河川敷の脇に泉はある。
 その周辺で、チベット系ボティア人を中心にした遊牧民が冬期の半年間、手作りの小屋を架けて過ごすのである。ganga工房でウールを織っている職人マンガル(写真3の人物)もかつては遊牧民として、ここ「秘密の泉」をベースに羊や山羊を追っていた。
 工房の愛犬である熊五郎と松五郎も、三年前、このキャンプで生まれ、工房にもらわれてきたのである。黒一色の熊五郎はラケッシュが選び、ツートンの松五郎は私の選択だ。どちらもオス。

 一昨日、そのマンガルが「今、子犬がいるよ」と言い出して、みんなで出かけたらしい。建築家ビジョイもムンバイに戻ったし、ちょっとした遠足気分だったのであろう。
 象の出没する広い河原で、けっこう命懸けの場所なのだが、私も過去二度ほど子犬を見に行っている。
 ボティア犬というチベット系の大型牧羊犬。パワフルで勇敢。工房の番犬には最適。既に工房には二頭いるのだが、新工房もできるし、ラケッシュたちはもう二つくらい欲しいと言っていた。ボティア犬の子犬には抗いがたい魅力がある。ムクムクのぬいぐるみだ。ただ、新工房の完成は一年先のことであろうし、大型犬は散歩に連れ出すだけでも大仕事なわけだから、今ゲットするのはちょっと非現実的か…と油断していた。
 ところが、私が南インドに向けて出立した翌日にみんなでイソイソと子犬を見に行ってしまった。実にヌケガケなわけだ。
 
 写真1は逗留地のボティア婦人。
 真木千秋がここに赴くのは初めてだが、この婦人には三年前、私も出会っている。そのとき撮った彼女の写真が、日本の雑誌「住む」にも掲載されている。
 真木千秋と並ぶとganga婦人会という感じで違和感がない。

 秘密の泉には、ちょうど頃合の子犬が数匹いた。生後一ヶ月ほどの子犬だ。生まれた直後だとまだ親犬から離せないのだ。
 ほとんどが雌犬。色は、黒、黒茶ツートン、黒に白点、そしてベージュ。チョイスがいろいろあって楽しい。三年前は黒と黒茶ツートンだけ、二年前に訪ねた時に黒しかいなかった。
 ベージュは珍しいので、ラケッシュなどは最初からコレに決めていたらしい。
 熊五郎も松五郎も雄なので、いずれ繁殖もと思っているようだ。

 写真3は、懐かしい古巣に帰って嬉しそうなマンガル。
 彼はボティア系ではないのだが、父祖の時代からボティア人と同じ村に居住していたため子供の頃から共に遊牧生活を送ってきたのだ。
 傍らに、今回もらわれてきたベージュの子犬。
 もちろんタダではない。近年、インド人の間でボティア犬の人気が上昇し、子犬の値も相応に立派なものだ。

 ハナと名づけられる。
 写真4はganga工房に連れてこられたハナ。生後わずか一ヶ月かそこらで永遠に親と別れるわけだから、ちょっとドナドナではある。
 真木千秋いはく、おとなしい子だという。
 工房の先輩犬、熊と松(ホントはリンとコロ)も、最初のうちはやや戸惑っていたが、そのうち仲良くなり、今では一緒に寝たりしている。

 ラケッシュはなんと、近々もう一匹増やそうと思っているらしい。
 来月あたりに。
 これからもまだボティア人が山を下って秘密の泉にやってくるので、新しい子犬も期待できるという。
 狭い現工房に犬ばっか増えてどうするんだろ!?


タッサーシルク繭とその断面・およびタッサー布。
ヘタが一番濃色。繭の外側より内側のほうが淡色であることがわかる。布にはセリシンの多寡による糸色の違いが現れる。
 
 
タッサーナーシ糸。ペン先がヘタ部分。上写真の布に比べ糸色がいかに濃色かがわかる。






 

12月12日(木) ナーシ絹の秘密 (ちょっと専門的)

 当スタジオで最も愛されている糸のひとつ、ナーシ糸。
 これはタッサー繭のヘタの部分から紡がれる糸だ。(ヘタは木質に見えるが、立派な繊維なのである)
 世に数ある絹糸の中で最も濃色であり、また、絹であるにもかかわらずウールのような縮れがあって伸縮性に富んでいる。不思議な糸なのだ。
 その秘密が少し明らかになった。

 本12日、国際野蚕学会会長の赤井弘博士と会合。博士は世界に先駆けて、タッサーシルクなど野蚕繊維の多孔的(すなわち空気を含む)特質を見出した人だ。
 博士にはかつてナーシ糸を手渡し、繊維の分析をお願いしたことがあった。残念ながらまだ結果は出ていない模様。そこで、以前からの疑問について尋ねてみた。やや専門的になるが、そのあたりをQ&A形式で再現。(文責:ぱるば)

 Q:ナーシの繊維も通常のタッサーシルク繊維のように多孔質なのか。
 
A:通常のタッサー繊維ほど多孔質ではないだろう。というのも、フィブロイン(絹繊維)部分が少ないからだ。ナーシは通常繊維よりセリシン(ニカワ質の保護層)が多い。繭を作る際、最初に吐き出される部分がヘタ繊維なのだが、セリシンの割合は吐き始めほど大きい。また、セリシン量は一定ではなく変動があり、その影響でフィブロインも不均一になって、繊維に縮れが生じる。
 Q:(それでウールみたいな感触があるわけだ)。セリシンの割合が大きいということは、繊度が小さい(繊維が細い)ということか。

 A:その通り。家蚕も同様で、最初より中程の糸の方が繊度は大きい。

 Q:(つまりナーシ糸の繊維は細いということか。それで軟らかなわけだ)。家蚕も吐き始めの方がセリシン量は多いということだが、タッサーシルクの場合、家蚕以上に吐き始めのセリシン量が多い。それはなぜか?

 A:それは環境の差であろう。家蚕は室内でまぶしの中で繭を結ぶので、自己を保持するのも楽だ。タッサーシルクの場合、屋外の樹上で繭を結ぶので、しっかり自分を固定しないといけない。それで、最初のヘタの部分は特にセリシンの割合も多くなる。(セリシンはニカワ質なので固くしっかりしている)

 Q:ナーシ糸が濃色なのはなぜか。

 A:それはセリシン量が多いからだ。色素はセリシンに含まれている。

 Q:ナーシの濃色はいつまでも色褪せないが、それはなぜか。

 A:色素がタンニン質だということ。また、セリシンは三層を成すがそれも関わっていると考えられる。


 というわけで、ナーシ糸にはそういう秘密があったわけだ。
 ナーシ糸に限らず、1000メートルほどにもなるタッサーの絹糸は、吐き始めから吐き終わりまで、だんだん濃色から淡色に変化する。その変化をもたらす要因は、絹繊維(フィブロイン)に伴うセリシンの量であったということだ。その変化のおかげで、タッサーシルクの糸で布を織ると、木目のような美しい模様が現れるのである。(写真上参照)


 

12月18日(水) 桐生に「アライ・ラマ」を訪ねる

 関東地方に雪予報の出る中、車を駆って上州・桐生に出かける。
 世に名だたる織物の里だ。
 桐生にはアライラマこと新井淳一氏がお住まいである。氏は言うまでもなく真木千秋の師匠だ。

 アライ邸には実にたくさんの織物がある。氏の数十年にわたる創作活動の所産だ。その織物の中から選りすぐり、来月竹林で開催の「反物市」(ハギレ市の一環)に出品して頂くのである。
 このたびの反物市、アライ布のテーマは「二重織」。これは実は先月のインド滞在中、真木千秋が勝手に決めたのであった。
 本日、三名(真木千秋+ラケッシュ+私)でアライ邸に赴くと、とある一室に通される。そこには様々な二重織の布が集まっていた。(写真1)。氏が探しておいてくれたのだ。二重織ばかりでなく、四重織もある。このあたりは氏の得意技だ。

 ただし、その部屋に集められた織物は、当該品のほんの一部であった。
 氏の屋敷には倉庫が幾つもある。中にはもう三十年も立ち入っていないという倉庫も…。今日はラケッシュが勇躍闖入し、掘り出し物を何点か手にするのであった。
 写真2はいちばん大きな倉庫。かつては機場だったところだ。ここにも幾星霜を経た織物が静かに時を過ごしている。あちこちに面白そうな作品がいろいろ。ただ、雨雲も迫り、寒いし暗いし、今日のところはひとまず探索を諦め、次回以降ということに。

 庭先で織物を検分。(写真3)。アライラマと真木千秋の手にするは、ウールのジャカード織。縦縞の中に大柄をあしらう。「こういうの、もっと作っておけばよかったなぁ」とアライ氏。いや、今からでも遅くはあるまい。

 遠い異国で勝手に「アライ先生の二重織」と決めた真木千秋であったが、来てみたら予想以上にスゴい布また布の出現にびっくり。帰りの道々、「ホント、爆発的創造力! こんなキチ××な人、世の中に居ないよ」と思わず独りごちるのであった。
 どのようなアライ布が反物市にお目見えするかは、またブログにて少しずつお伝えしよう。

 ところで、アライ氏の展示会、各地で好評のようである。
 展示会というのは、今年1月に東京オペラシティで開幕した「新井淳一の布・伝統と創生」展。これが現在、京都精華大学ギャラリーで開催中である。まだ観ていない人は、ぜひどうぞ! 来年は同展が香港でも開催されるそうだ。「キミも来ないかい?」と言われたので、思わず「行きます」と言ってしまった。こうした展示会がアライ氏の活力の源になるのである。ウチの反物市もその末席に連なるものゆえ、ぜひどうぞ!

 さて、アライ氏の仕事部屋は、まるで博物館のよう。(写真4)
 天井のランプシェードは、桐生で考案された八丁撚糸機の車である。
 真木千秋の眼前には、アフリカの民族衣装。手紡ぎ木綿で織り上げた様々な藍縞と藍格子の細幅布を手縫いしたものだ。アライ氏不在のスキに勝手に着用し、悦に入っている真木千秋(写真右)。
 直線を活かしながら、三角の布を巧みに使用し、シンプルで力強いカタチを創り出している。いたく気に入った真木千秋、氏に頼み込んで借用し、スタジオに持ち帰って衣デザインの参考にするようだ。

 というわけで、いつもながら学びの多い桐生詣でであった。




 

12月26日(木) 巻き巻き会 in 竹林

 暮れも押しつまった東京五日市・竹林スタジオ。
 仕事納めを前に、スタッフ一同、ハギレ展の準備に余念が無い。
 そんな師走の26日、福岡から沼田みよりさんを迎えて、スタッフ勉強会を開く。

 沼田みよりさんの肩書きは、ラッピングコーディネーター。
 モノを包む専門家なのだが、人間を包むことも得意なのである。

 この沼田さん、当スタジオとの付き合いも、もう二十有余年。
 Maki布の使い方に関しては、おそらくこの人の右に出る者はいまい。
 それで、時折、竹林に招いては、いろいろ教授してもらうのである。
 毎年、新しい布も生まれるので、新しい使い方も生まれてくる。
 羽織ったり、かぶったり、巻き付けたり。
 一枚の布がいろいろに使える。
 帽子のような小物も、一工夫で変身。(写真下)
 巻き巻きをしながら、これからの布づくりの企画も進む。

 沼田さんには、Makiの展示会もお願いしている。
 今のところ九州が中心だが、会場に沼田さんの姿があったら、試しにラップされてみると宜しかろう。
 スタッフも今日またいろいろ勉強した模様なので、今後の展示会に生きてくるであろう。


 

12月28日(土) 地機(じばた)

 先日、東京駒場の日本民藝館で田島隆夫さんの地機織を見てきた。
 田島さんによると、地機というのは、比較的、操作時の抵抗が少なく、糸のありようを生かすことのできる織機だという。
 ただ、そうして織られた布の良さは、ガラスケース越しに見てもなかなかわかりづらい。やっぱり触ってみたかった。というより、日常的に着用して初めて文字通り肌でわかるものだろう。

 ganga工房の機は、すべて高機である。
 ところが、ここ数日の間に、徐々に地機が姿を現しつつある。
 織師マンガルがラケッシュとの会話の中で、自分も地機を作ることができると言う。それでは作ってもらおうということになって、工房の庭の一角に場所を用意する。
 マンガルはそこに穴を掘り始める。英語で地機は pit loom すなわち「穴機」だ。(写真上)
 すると職人たちがみんな集まってきて、オレにも掘らせろ、オレにも掘らせろと、まことにぎやかなことだったらしい。やはり地機は人々の郷愁をそそるものがあるのだろうか。

 インドでは各地に地機が残っているが、ほとんど屋内か、あるいは屋根がかけてある。
 青天井の地機というのも初めてだが、完成したらきっと屋根もつくのであろう。

 下写真は糸綜絖を手作りする織師マンガル。これは今日の写真。
 どんなものになるか楽しみだ。


 

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