絲絲雑記帳

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0/「建設篇」




 

7月4日(土) 雨期の現場

 昨夜、というか、今朝の1時半頃、ganga工房到着。
 自室の温度計を見ると、31℃。
 雨期とは言え、インドはやはり暑い。

 日本と同じで、インドにも雨期(モンスーン)入りの平年値がある。当地の今年の雨期入りは6月24日だったようで、平年並みと言えるだろう。ただ、今のところ、幸い、あまり降雨はないようだ。(「幸い」というのは我々にとってだけの話だが…)

 雨期までには半分以上の建物に屋根を懸けたかったのだが、やはり思うようにはいかなかった。
 そこで今、竹で仮設の雨蔽いを作っているところ。写真上は居住棟だ。竹は100kmほど南に行くと採れるのだそうだ。
 竹と言うと我々はすぐタケノコを思い出してしまうのだが、インドではタケノコは食わない。おそらく、食えるようなタケノコが出ないのだろう。ただ、遠く離れたアッサムなど東北部では食べるかもしれない。

 竹と棕櫚縄で作った骨組みはなかなか格好良い。ただし屋根はブルーシートだ。先週、大嵐になったが、この構造物はビクともしなかったという。
 下写真は、背後の丘の上から望む建築現場。竹組と、その上に張られたブルーシートが見える。いかにも雨期といったような水気を含んだ大気が、空気遠近法を演出している。





 

7月5日(日) gangaギャラリーの今

 建設中の新工房の中で、皆さんに一番近しい存在となるであろう建物が、ギャラリーだ。
 東京五日市にある竹林shopと同様、Maki布を常時展示し、広く皆さんにご覧頂くという施設である。

 左上写真が、一年前の姿。
 ほどんど遺跡状態だ。
 斜面に建つ長方形の構造で、下の方が入口になる。
 いちばん手前は工房部分だが、雨期に備え、部分的にビニールシートが掛けてある。

 そして中写真が今日の姿。
 どうだろう、一年経って…。
 遅々として進んでいる(!?)という感じだろうか。
 川石と漆喰を使った石造りの建物だ。その重厚なたたずまいがなかなか宜しい。
 新たに出現した手前部分が出窓。出窓には石の屋根が掛けられている。
 天井に竹のギザギザ構造があるが、これが屋根の最終形だ。ただし石の壁がもう少し高くなり、ギザギザは外からは見えなくなる予定。

 下写真が内部。
 立っているのは建築家のビジョイ・ジェイン。昨夜、雨の中、当地にやってきた。
 屋根には竹構造に示されるような形で、大理石が施される。ライトグレーの薄い大理石で、障子のように柔らかな光が天から採り入れられる。皆さんを迎える場所だからして、いちばん贅沢なしつらえだ。
 この構造に落ち着くまで、ビジョイは十以上のモデルを考えたそうだ。本当はその大理石を見つけに産地のラジャスタン州まで出かけたいところだが、そんな時間もあるまい。
 四本の分厚い石柱が力強く梁を支えている。

 今日は二度ほどスコールがある。熱帯性の土砂降りだ。それでも降雨時間は合わせて一時間半ほど。このあたりのメリハリが良い。
 スコールが止むと、気温が下がって心地良い。25℃くらいだろうか。
 あ、三度目のスコール襲来! 今、19:25。





 

7月6日(月) タージ・クオリティ

 インドの雨期はザーッとスコールが降るだけではない。
 日本みたいにずっと降り続くこともある。
 たとえば今日なんか、昼過ぎまで降り続いていた。
 
 そんな中、現場では仕事が続く。
 上写真は一番工事の進んでいる入口棟。守衛室や物置の収まる小さな建物だ。雨覆いがあるのでかなりの雨でも作業ができる。
 北インド・アグラの近在から来た石工たちが、屋根の縁に大理石を張っている。
 アグラと言えば、タージマハール。実はこの石工たち、タージマハールの補修も手懸けているそうだ。祖先はきっとタージの建築にも関わっていたことであろう。
 彼らの仕事ぶりを見ながら、ビジョイは、「十五年後にこのような仕事ができるかなぁ…」と独りごちていた。
 インドの職人の多くがそうであるように、彼らもイスラム教徒だ。イスラム教は今、ラマダン(断食月)の真っ最中。ただ、この石工たちは断食をしていないようだ。同教徒でも、たとえば現場監督のサリフルなどはしっかり断食している。イスラム教徒もいろいろだ。

 下写真は煙雨の中、カッパ姿のビジョイ(左)と私ぱるば。雨が降ると涼しいから、こんな格好でも快適だ。しかし建築家っていうのも体力勝負だと思う。
 そのビジョイは午後3時に現場を発ったが、行き先はなんと安芸の尾道。デリー空港を夜中飛び立ち、香港・大阪を経由しての長旅だ。同地にひとつプロジェクトを抱えているのだ。そしてまた同地で真木千秋と合流することになっている。そのプロジェクトにMakiを巻き込む魂胆があるらしい。
 ともあれ、Bon Voyage!




 

7月7日(火) 後継者

 日本の手仕事の世界では、後継者を見つけるのにみな苦労しているようだ。
 それはインドでも同じこと。とりわけこの国では手仕事の地位は低く、ちょっと気の利いた連中はみなITとか金融とかいった分野を目指す。

 三週間ほど前、ひとりの若者がganga工房に現れる。サハバード、15歳。写真上、黄シャツの人物だ。今日は職人ジテンドラ(白シャツ)の許でタテ糸づくりの補助をしている。
 実は彼、織師シャザッドの長男だ。今年中学を卒業し、当地で働く父親の許にやってきたのだ。

 下写真が父親のシャザッド。言うまでも無く当スタジオのトップ織師だ。子供が四人おり、一番上の娘が18で今春結婚。その下がこのサハバード。そのほか13と11の息子がいる。(もうこれ以上は要らないそうだ)
 長男は将来何になるのかと聞くと、織工だという。ということは、ここで働かせたいということか。前はそんなことは言ってなかったようだが…。

 サハバードはタテ糸づくり補助のほか、毎朝、織師グラムの機で製織もしている。シャザッドの機では織らないのかと聞くと、難しいから織れないそうだ。
 機織りは好きかと聞くと、好きだという。英語も少々しゃべれるようだ。ま、私に聞かれて好きじゃないとも言うまいが、ともあれイヤではないらしい。シャザッドの子だから腕も悪くはなかろう。あまり期待せずに期待することにしよう。


 

7月8日(水) 波羅蜜の樹下で

 新工房建築の現場には、建築家たちの常駐する現場事務所がある。
 工事の進捗によりときどき移動するんだけれども、今は敷地に入ってすぐ右手にある。
 緩斜面を均し、石の端材を敷きつめて土台ができている。その上にスチールパイプで骨組みを作り、屋根はトタン板。そして西側と北側にビニールの雨除けだ。
 周囲は果樹で囲まれているので、雨期であっても大抵の雨はしのげる。(爆発的なスコールが発生する時は要注意)。電気が引かれ、Wi-Fiもいちおう繋がり、プリンタも設置され、スタジオムンバイの建築家が二人パソコンに向かう。

 現場事務所の守護神みたいなのが、波羅蜜(ジャックフルーツ)の樹。今も実をいっぱいつけている。(写真上)
 その実はまだ未熟だ。つまり、野菜として利用される。五月に滞在していた時もこの実のカレーを食ったから、未熟の時期がずいぶん長い。このあたりのインド人はこの実を主に野菜として利用するようだから、未熟期が長いのは便利であろう。
 今日もラケッシュ家から頼まれて、二つほど収穫し、持ち帰る。写真上、樹の中にひとりいて、今、実をひとつ下に落としているところ。これが今夜のわが夕食となったのである。うまかった。
 甘く熟すのはあと1ヶ月後。私はかなり好きなんだけど、ラケッシュ家では完熟果はあまり人気がないようだ。

 事務所のすぐ先、垣根の向こうには隣家の田んぼが広がっている。
 今ちょうど田植え時で、昨日は代掻きをしていた。
 インド独特のコブ牛に軛(くびき)をつけ使役する。その様子は、インダス文明の昔を彷彿とさせる。(稲作していたかは知らないが)。




 

7月9日(木) インドの車軸

 インドは雨期。
 新工房の建設工事が当初の計画より大分遅れているので、今年は雨期も工事続行だ。
 当スタジオとしては、現工房も稼働しているし、実際のところ、あまり無理してやってほしくはないのだ。
 しかしながら、年内完成という建築家ビジョイの意志は固く、雨期決行となった。
 一日中降っているわけではないし、雨蔽いの設置も進んでいるし、また、インド人は雨をあまり気にしないから、今のところ、けっこう順調に進んでいるようだ。

 今日(9日)は雨が降らないなぁ…
 と思っていたら、午後四時過ぎ、にわかに雲行きが怪しくなり、物凄い熱帯性スコールに見舞われる。まさにバケツをひっくり返したごとくだ。
 私ぱるばの居た現場オフィスにも雨のしぶきが舞うようになったので、ひとまずパソコンとカメラをケースに収める。そして、車軸を流すような雨と、斜面を下る濁流を呆然として眺めるばかり。
 するとそのシーンに、雨合羽を着た若い労働者が現れる。一輪車に石板を乗せて運ぼうというのだ。その石板の重さもハンパではない。三人がかりで車を押している。(写真上)。なにも今やらなくていいだろう…。
 三人は更に、濁流の下る斜面を、勢いをつけて車を押し上げる。(写真下)
 それも一度ではない。左上の建物に荷を降ろすと、もと来た道を戻り、二度、三度と、豪雨の中、重たい石板を車に載せて運ぶ。

 インド人って、こんなに働き者だったっけ??
 これはおそらく、今年中に工事を終わらせるというビジョイの固い決意が末端まで浸透しているのだろう。
 ホントに今年中に終わるかも!?
 インドの車軸は強靱であった。





 

7月10日(金) 西向く蝶々

 グーグルマップに建築中の新工房が表示されるようになった。たぶん今年の春先あたりに撮影された航空(衛星)写真であろう。
 敷地の真ん中に、ちょうど蝶が西向きに羽根を拡げているような構造がある。
 主工房だ。

 その部分を切り取って加工したのが上写真。
 主工房は四つのLでできている。便宜的に1から4まで数字を振っておいた。

 本体部分は煉瓦+漆喰造りで、大方出来上がっている。
 現在は本体から張り出すベイウィンドー(張り出し窓)部分を工事しているところ。石造りだ。
 北東部2のウィンドーはほぼ完成している。(写真中)
 石板を敷いた上に、石柱を立てる。石柱間の下部外側には仕切りの石板を立て、上部に石の梁を渡す。その上に煉瓦で上部壁を作る。
 なかなか美しくできているではないか。手で押してもビクともしない。(したら困るが)

 ベイウィンドーは石工(いしく)が作る。
 今は北西部1のベイウィンドーにとりかかっている。(下写真)
 雨が降っても働けるように、作業場の上にブルーシートが張ってある。気温が高いので多少の雨は気にならないようだ。

 下方で二人の石工が石材を持ち上げている。当たり前の話だが、木材に比べ、石はめっちゃ重たい。私も試しに持ち上げてみたが、容易には動かない。かなり筋トレになりそうだ。こういう重たい石を細工して、ビクともしないような精度で組み上げるのはタイヘンな作業だろう。
 この石はビルワラ石と呼ばれるキメの細かい砂岩で、その名の通りインド西部・ラジャスタン州のビルワラで採石される。当地から800kmくらい離れているから、輸送費の方が高いかも。ラジャスタン州は、大理石を始め石の産地として名高い。
 この石工たちもラジャスタン州からやってきている。

 この後、南東部3および南東部4の石造作業が行われ、その後、屋根をつけるという手順になる。

 


 

7月11日(土) 梅雨寒!?

 インドの雨期は英語で「モンスーン」と言う。
 特にインド全土で雨の降る6月〜10月の南西モンスーンが代表的な雨期だ。ここデラドン地区の保育園も今は雨期休業。ちょっとした雨安居(うあんご)だ。

 インドにとっては毎年のメジャーな気象現象なので、日本の梅雨と同じように地域によって「雨期入り」と「雨期明け」の平年値がある。
 ここウッタラカンド州デラドン地区の雨期入りは平年で6月23日、雨期明けは9月23日だ。(これはインド気象庁のモンスーンマップから私が勝手に読み取った値)。つまり3ヶ月も雨期が続くことになる。
 鬱陶しいことではある。しかし、インド人は何千年もの間この季節サイクルの中で生きてきたわけだから、降らなかったらきっと困ることであろう。

 今日は朝から雨で、それも日本の梅雨みたいにシトシト降っている。
 だから気温も低目。今、昼の12:30で、気温25℃少々。
 前回インド滞在の5月は、熱波だったこともあって、日中は気温40℃を超えていた。それに比べるとめっちゃ涼しい。
 日本だとこんな天気の時は梅雨寒で、拙宅では防湿という口実の下に薪ストーブに点火したりすることだろう。
 インドの梅雨寒は気温的には実に快適だ。

 そのせいか知らないが、今日の土曜日、工房にはみんな出勤して仕事に励んでいる。
 上写真手前は工房の庭にあるサトイモ。日本の印飯屋ではあまり出てこないが、インドでもサトイモは重要な食材である。(サトイモカレー、けっこうウマい)

 工房の隣にある水田では、田植えが行われている。(下写真)
 昔懐かしい手作業だ。おそらく田植機なんて無いのだろう。
 品種は「インドのコシヒカリ」バスマティ米。
 細長くて、パラパラしていて、香りがあって、カレーと相性が良い。



 

7月12日(日) インドの茘枝

 雨の日曜日。
 ganga工房は休みだが、そこから10kmほど離れた新工房建築現場は雨も日曜も関係なく、稼働している。建築家も、労働者も。(私ぱるばも)。

 昨日からずっと、日本の梅雨みたいなシトシト雨だ。気温はやはり25℃。
 日本は今日も真夏日だったみたいで、日印逆転である。
 意外なことに、ヤブ蚊があまり居ないので助かる。(昨年東京はデング熱で大騒ぎであった)。

 上写真は、従業員食堂の出窓工事。
 ここも石造りで、今、石の屋根を嵌めているところ。
 竹で組んだ足場がなかなか趣あり。
 しかし、日本ならいざ知らずインドの手仕事工房でこんなに手の込んだ従業員食堂もなかなかあるまい。皆さんも当工房の従業員になれば毎日ビジョイ設計の食堂でインド飯が食えるのである。どう?

 下写真は茘枝。
 実は今回、私がインドに来たのは、コレが目当てであった。
 ここデラドン地区は茘枝の名産地で、現場の周囲にも茘枝畑がたくさんある。
 ところが…
 茘枝のシーズンは非常に短い。今年は6月初旬から半月ほどだったようだ。それゆえ、私の到着した7月4日には、もうどこにもなかった。
 私の落胆を哀れんだ工房スタッフが数日間あちこち探しまわり、十数km離れたリシケシのマーケットで見つけてきてくれたのがコレ。200kmほど東方のラムナガールの産だという貴重なものだ。
 ジューシーで美味! 来年は6月中旬に来ないと。





 

7月13日(月) 世界最長料理!?

 織物工房だからといって、ただ織っていれば良いというわけじゃない。
 日本と同じで、他にも様々な仕事がある。
 今日は州都デラドンに赴く。工房から西に車で一時間ほど。会計事務所に経理関係の相談だ。
 経理なんて日本でもよくわからないのに、インドだとなおさらわからない。当地の会計士はみな英語がメチャ堪能で、そもそもインド人は数字に強いし、早口でいろいろまくしたてられると、ほとんどわからない。
 そうした苦行の後は、自分へのごほうびで、州都・目抜き通りのレストランにでかける。「クマール・ベジタリアン・レストラン」だ。州都と言ってもインドの田舎街だからね、たいそうな所でもないんだが、それでも工房周辺のよりは洒落ている。サリーで着飾った地元の奥方たちがお食事をしている。

 ここでいつも私の注文するのが、ペーパー・ドーサ。(上写真)
 ドーサの薄いやつだ。ドーサというのは、先般のカディ展、竹林カフェで供した料理
 ペーパー・ドーサは、普通のドーサと生地の量は同じだが、より大きな鉄板で薄く延ばして焼いている。パリパリしているから私の好みだ。長さ60〜70cmほどあるだろう。一人前料理の中では私の知る限り、世界最長。竹林カフェのドーサと比べると、どれほど長いかわかるだろう。
 ドーサというのは米と豆からできているクレープみたいな料理だ。サンバル(豆スープ)や各種チャツネと一緒に食べる。もともと南インド料理だが、最近は北インドでも人気が出て、至る所で食べられる。通常私はラケッシュ家で北インド家庭料理を食べているので、外食はほとんどいつもドーサだ。竹林cafeでドーサを供し始めたのも、そもそも私のたっての希望による。
 ただ、このペーパー・ドーサは表面積が 大きい分、油の使用量も多い。おそらくハイカロリーだから、毎日食べるものではあるまい。クマール・レストランには年に何度も来るが、私以外に注文している人は見たことがない。(巨大なコンロと鉄板が必要なので、残念ながら竹林では出せない)

 油ついでに、夕方たまたま、新工房現場の近所にある油工場に寄る。
 インドでよく使われるマスタード・オイルだ。
 マスタード(芥子菜)の種から絞る菜種油で、特有の風味がある。
 中写真の中で私が手にしているのがそのマスタードの種。まさに菜種だ。左側の白シャツ人物がここの主で、もう四十年も操業しているそうだ。古色蒼然とした設備を使って、昔ながらに油を絞っている。
 下写真、蛇口から滴っている黄金色の液体がマスタードオイル。
 混ぜ物がなく、工場直売で安いので、ganga工房のスタッフはみなここで油を買っている。私の世話になっているラケッシュ家も同様。インド料理には欠かせない食材だ。(しかし考えてみると、芥子粒みたいな小さなものからこんなふうに油が絞れるなんて途方も無いことだ。昔は油が高価だったというのも頷ける。やはり大量摂取は控えたほうが良いかも)
 油の搾りカスはどうするのかと聞くと、牛や水牛の餌になるという。日本で油カスと言えば、高価な有機肥料だ。お土産にもらって行こうかな。





 

7月14日(火) サリーちゃんのチーム

 今日の東京は酷暑で、五日市は35℃を超えたらしい。
 こちら北インドのヒマラヤ山麓も、今日は比較的天気が良い。太陽が顔を出すと、さすがインドだけあって迫力が違う。ガーンと気温が上昇し、ドッと汗が噴き出す。私などはとてもじゃないが長ズボンは耐えられず、たちまちルンギ(腰巻)に着替える。(いつもバッグの中に持参している)
 そんな施主のいでたちを見て、現場の労働者は「ルンギ、ルンギ」と指さし囁く。(最近は慣れたみたいだが)
 彼らも家ではルンギに着替えるのだろうが、やはり腰巻は建築労働には適していない。この高温多湿の中、ジーンズなどで頑張っている。

 現場に働く建築労働者たちは、出身地や職能の異なる幾つかのチームに分かれている。
 その中で一番大きなチームが、サリフルに率いられたチームだ。
 出身地はインドの東の端、バングラデシュにほど近い西ベンガル州のマルダだ。僻遠の地なので、ここまで来るのに汽車で三日かかるという。(こちらも僻地なので)
 マルダと言えば、皆さんもご存知であろう、黄繭の産地だ。当スタジオもマルダ産の黄繭にどれほどお世話になったかわからない。実際、サリフル・チームのメンバーも、家では養蚕を営んでいるという。来年の春、工事終了後には一緒にマルダに行こう、と建築家ビジョイとも話している。

 サリフルの名からも推測できる通り、彼らはイスラム教徒だ。
 イスラム教と言えば、今、断食月(ラマダン)の最中だ。
 現在12名いるメンバーのうち、サリフルも含め9名が断食に励んでいる。
 早朝の3時に食事をし、夜の7時半の夕食までは、水も口にしない。今日みたいな暑い日は辛かろうが、それでも「大丈夫」と言っている。そのラマダンも明後日が最終日なので、あとひとふんばりだ。
 サリフル(愛称サリーちゃん)がビジョイと出会ったのは、2008年。ビジョイの手懸けていたムンバイの某現場で、ハンディマンとして働いていたのだ。なかなか手が良かったので、スタジオムンバイに雇われ、そして現在に至っている。1988年生まれだというから、まだ27歳だ。
 このプロジェクトにも、故郷の村から若者たちを呼び寄せ、最初から参加。現場では何カ所かに分かれて仕事をしている。

 上写真は、工事の一番進んでいる入口棟のハシゴを登るサリフル。ハシゴも竹製なのが面白い。やや安定性には欠けるが、簡単に自作でき、軽くて持ち運びに便利。
 インド人労働者はみんなそうなのだが、安全靴なんか履かない。ゴム草履なのだ。もっとも南インドでは町場でも裸足で暮らしている人々がいるくらいだから、ゴム草履でも別に不思議はあるまい。

 中写真はサリフル(手前)とチームのメンバー。石工が縁に石を張った後、その側壁を漆喰で仕上げている。向かって左側の側壁が一応の完成形。写真を拡大すると角を丸めているのがわかる。その後に最終仕上げをする。
 また煉瓦の屋根面がやや右方面に傾いているのがわかるであろう。これは水ハケを考えての仕様だ。将来的にはこの上に太陽光パネルを置くことも視野に入れている。

 下写真は、居住棟で竹の足場を組むサリフル・チームのメンバー。
 昨年は雨期休工があったのでチームの皆もクニに帰れたが、今回は完成まで当地に逗留だ。
 ラマダン明けにはイードという「お盆」みたいな祭があるが、それも今年は当地でお祝いのようだ。片道三日もかかるから、そう簡単に帰郷というわけにもいかないのだ。



 

7月15日(水) カシミヤの糸

 昨日の夕方、ドンダの村からカシミヤ糸が届く。
 ドンダというのは、工房からヒマラヤ山中に入り、車で数時間、ガンジス河畔にある村だ。私たちも五年ほど前に訪れたことがある
 標高八百メートルほどのこの村には、工房スタッフのマンガル&バギラティ夫妻の家がある。(上写真・右側の人物がマンガル)
 そもそもは遊牧民ボティア人の居住地だ。マンガル自身も若い頃は羊の遊牧に勤しみ、バギラティと結婚後、織職人に転身する。そして五年ほど前から夫婦揃ってganga工房のスタッフとなる。バギラティも子供の頃から羊毛の糸紡ぎに親しんでいる。夫婦揃ってウールの専門家なのだ。
 ganga工房のウール手紡ぎ糸は、すべてマンガル&バギラティ夫婦に任せている。バギラティが自分で紡ぐこともあるが、多くはドンダの村人に紡いでもらうのだ。

 今回はカシミヤの糸をお願いする。このカシミヤ原毛は私ぱるばが五月、上海から運んできたものだ。
 gangaのカシミヤは元来、インド最北端のラダック原産のものを使っていた。ところが近年ラダックの原毛が入手困難になったのである。遊牧による原毛なので供給が安定しないのだ。
 それでこの度は北京の友人たちを介して中国のカシミヤ原毛を手に入れる。同国の内蒙古は世界最大のカシミヤ供給地なのだ。

 ドンダ村の人々は以前からカシミヤにも親しんできた。インド北部産のカシミヤだ。今回も8〜9人の村人が一月半かけて18kgほどのカシミヤ糸を紡いでくれた。マンガルいはく、なかなか上質な糸が紡げているという。
 天然の、白、ベージュ、グレーの三色だ。こうした手紡ぎ糸で織る布は保温性も抜群。どんなマフラーができるか、請うご期待。



 

7月16日(木) 会長室

 建築現場の東側にある丘。そのてっぺんに、家がひとつ建っている。現場を睥睨するような風体である。(上写真の上方に小さく見える)
 誰の所有かわからないが、住んでいる様子もないし、眺望絶佳の立地ゆえ、いつか私ぱるば専用の「会長室」にしようと目論んでいた。

 それがどういうわけか今回、建設工事の「プロジェクトハウス」に変身しているのである。

 新工房の工事現場には、顧問(コーディネーター)役のビレンドラという人物がいる。工事に係わる各方面の調整役だ。(外国人である我々には難しいことが多々ある)
 このビレンドラ氏、誰とでも仲良くなってしまう特質を持っている。この家の所有者とも、いつの間にかコンタクトを取っていた。そして、かなり良い条件で借り受けたのである。
 家にはベッドルームが二つ。ひとつはビレンドラ自身が使い、もうひとつは建築家のビジョイ用だ。

 そして最近、建築家たちはここで夕食を摂る。
 私も招かれたのだが、テラスからはこんな感じ(下写真)。左側人物が顧問のビレンドラ。
 現場が一望の下に見渡せる。双眼鏡でもあればどこで何が起こっているか手に取るようにわかるだろう。建築家の宿舎には屈強の場所だ。工房敷地の下には田植えの終わった水田が広がっている。
 
 「ここが気に入ったら、継続して借りられるよう話をしてあげるよ」とビレンドラ。
 ホントに会長室になってしまうかも。(ピンクの塗装はやめてほしいが)
 







 

7月17日(金) くさのトンネル

 雨期の合間をぬって、ganga工房では、とあるストールの水通し作業が行われている。
 そのストールは「艸」。
 読めないよね。「くさ」である。

 これは2003年に誕生したロングセラーだ。
 ウネ織りという糸の縮みを利用したジャカード織のストール。

 このストールに「艸」という凝った名前の下った顛末が、弊ホームページ2003年2月15日の欄に掲載されていて面白い。そもそもは弊スタジオ御用達和食店の三十余歳になる息子の却下された名前であった。

 そんなこともあり、私にとってはある種特別の作でもある。
 今も継続して織られているのは感慨深い。上写真の中で艸を干している水場主任のディネーシュに、「これなに?」と聞くと、「Kusa」と答える。(ただし意味は知らないようだ)
 今回は黄系と青系がある。写真ではわかりづらいが、それぞれ明るめと暗めの二種類ある。

 中写真は艸ストールを織っているジャカード機。
 ホントは新工房が完成したら導入しようと思っていたのだが、なかなか完成しないので現工房に入れたもの。工房二台目のジャカードだ。

* * *

 というわけで、雨期のわりには天気も良く、おかげで艸ストールも洗濯物も無事に乾く。
 午後四時近くになって、建築現場の様子を見に行こうと車を走らす。
 今回は国際免許持参だ。車は古〜いスズキのアルト。
 工房から現場までは十km弱の距離なんだが…
 進むにつれ、路面が濡れ、雨も落ちてくる。道路脇の農業用水には濁流が滔々と流れ下っている。だいぶ雨が降ったようだ。山際のせいか雨も多い様子である。
 そして現場のすぐ手前、涸川の地点までやってくると…
 ふだんは水も何もなく、石ころの上を渡っていくのだが、今日に限っては濁流が渦巻いている。私のアルトと運転技術じゃとても渡れそうにない。(下写真の左側白い車がアルト)
 対岸にもウチの現場スタッフが二人立ち往生している。一台はバイク、もう一台はスズキのスイフトだ。この後、バイクはどうにかして流れを渡ったが、スイフトは現場に戻って行った。彼は家に帰れるんだろうか? (現場と外を結ぶ一本道なのである)
 私も仕方なく、工房に戻るのであった。
 いずれ、橋を架けないとな。(後で聞くと、一時間半後には水位が下がり車で渡れたそうだ)



 

7月18日(土) とある夢

 日本の新聞報道によると新国立競技場の設計案が白紙撤回になったという。
 建築費の見積もりが高すぎるということで不評だったようだ。
 着工したとしても、今まで例の無いような建物だと、見積もり通りに行くとは限らない。

 我らが新工房も、あまり例の無い建物の部類だろう。
 それに相手はゆる〜いインドだしな。
 しかも、二年前の着工以降、インフレだったり、円安もあったり…。
 見積もり通りに行くはずがない。
 だから、工事費管理はしっかり行わねばならない。
 そこで、顧問の会計士を州都デラドンから招き、今日はみんなで勉強会をする。(上写真、左側の二人が会計士)。
 日々の現金出納帳、物資受領帳、納入業者別台帳…。いろんな帳面をつける必要があるようだ。(今ごろ遅い!?)

 午後四時、建築家ビジョイがムンバイから到着。先日、日本から戻ったばかりだ。
 そこに現場労働者のサリフルたち一行が通りかかる。今日はラマダン(断食月)明け。二日間「イード」のお祭で、イスラム教徒の労働者は連休だ。いつになくキレイな格好をしたサリフルチームの面々。サリフルはルンギ姿だ。やはりインド人はルンギが似合う。(下写真)

 ビジョイに国立競技場ザハ案白紙撤回のことを話したら、それは良かったねとの答え。ザハとはムンバイ博物館のコンペで一緒だったそうだ。ビジョイだったらどんな競技場をデザインするかと聞いたら、インドの大理石で造るという。ビジョイデザインのオリンピックスタジアムにMakiデザインのユニフォームで殿(しんがり)に入場する日本選手団。これは夢だ。





 

7月19日(日) 樹木プレート

 新工房の敷地は、下半分が果樹園だった。マンゴーが71本と波羅蜜が21本。
 それ以外にもあちこちに雑木(!?)が生えている。
 そうした木々をほとんど伐ることなく建物を配置し、工事を進めてきた。
 インドは植物の生長も早いから、そうこうしているうちに木も繁茂し、おかげで木陰もできるし、雨期はいちだんと緑が冴えるし、鳥はさえずるし、もちろん果実も楽しめるし、枯れれば薪になるし、とにかく木があるというのは気持ちが豊かになるものだ。

 上半分はかつて畑だったので、木はあまりない。
 インドの植樹シーズンは、雨期から9月までだ。ちょうど今が植え時なのだ。
 木については土地を手に入れた三年前からずっと検討を重ねてきた。
 今日の午前中は、ビジョイ指揮下で植樹の準備をする。

 そのために用意したのが、樹木プレート。
 木や果実の写真をA4サイズにプリントアウトして、ラミネート加工し、それを竹竿に挟んだものだ。竿の下端は尖っていて、地面に突き刺しやすいようになっている。
 その数、約150。樹種はいろいろで、ザクロ、レモン、グレープフルーツ、ザボン、グワバ、金香木(チャンパカ)、夜香木、ホウオウボク、ジャカランダ、ペルシャライラック、ドラムスティック…。まあ後半のは言われてもわかんないだろうが、最後のドラムスティックというのはおそらく私の希望だったかと思う。マメ科の木で、ドラムのスティックみたいな長い莢の実が成り、それを莢ごとブツ切りにしてサンバル(南インド豆スープ)の具に入れると美味なのだ。(北インドにはなかなか売っていない)

 上写真は果樹園部分。
 右や奥に見える小振りの木はマンゴーで、まだ植えられて日が浅い。マンゴーは見あげるような巨木に育つので、行く末が楽しみだ。(生きていればの話だが)
 パソコンに入っている植樹計画図を見ながら、樹木プレートを用意する。

 中写真は居住棟の前。グレープフルーツの樹木プレート。よく見ると樹高も書いてある。
 プレートを地面に立てて植樹地点の目安にする。それを見ながら想像をたくましくして、最終的な植樹地点を考える。

 下写真は主工房の南側。
 今日は50ほどのプレートを設置する。
 壁に立てかけてあるのは場所未定のプレートで、まだ百本ほど残っている。





 

7月20日(月) イエローシート

 今日、日本では海の日。
 関東地方は梅雨も明けたようだし、もし武蔵五日市の自宅に居たら、きっと「海の日なのに何でオレはこんな山里に居るんだろう…」と悩んだことであろう。
 インドの私はそんな問題とも無縁で、いつもの通り、朝食を摂り、ついでに洗濯を済ませ、スズキのアルトで現場に向かうのであった。見るに堪えない外観&異音もする古〜いクルマで、日本だったら走行に些か気が引けるのだが、ゆる〜いインドならへっちゃらだ。

 現場に着くと、全体を一回りしてみる。
 一日でそんなに変わりはしないのだが、妙なことに気づく。
 雨期対策で施している雨除けの屋根。その色が、一部、違うのだ。
 居住棟の左端だけ、黄色い。(上写真)
 こうしたビニールシートは青と相場が決まっていて、Makiもブルーシートにはいろいろお世話になっている。
 なんで居住棟の隅っこだけ、ブルーならぬイエローなのだろう。
 建築家のカルテク君に問い質すと、決まり悪そうな笑顔を浮かべながら、「注文したときに一色と指定したのに、こんなふうに来ちゃったんです」と言う。これもゆる〜いインドならではのことだろう。ただし値段の割にクオリティは良いんだそうだ。ま、我々としては雨が防げれば良い。

 居住棟でサリフル・チームが作業していたので、中に入ってみる。
 ラマダン明けの連休後だから、さぞかしリフレッシュしていることだろう。(ただしリーダーのサリフルだけは、昨日、ビジョイの下で少し労働している)
 サリフルがハシゴを用意してくれたので、上に昇ってみる。
 鉄製の梁を収める「梁受け」を設置しているのだ。大理石製の梁受けだ。

 「あのイエローシート、良いですね」とサリフルが言う。中が明るくて良いそうだ。確かに雨天や曇天時には便利かもしれない。(中写真・中央奥)
 だったら全部イエローに変えちゃえば? と言うと、いやそれはもう結構、と笑っていた。
 今作業している場所は、居住棟の真ん中の「ゲストルーム」。Makiの日本人スタッフが出張時に寝泊まりする場所だ。

 にわかにスコールがやってくる。
 すると気温がスッと下がって、すこぶる快適だ。眺めも良いし、空気も良い。ブルーシートを叩く雨音を聞きながら、しばし雨宿りを楽しむ。
 シートの屋根の下では、雨漏りもなく、仕事するにも快適であろう。
 これさえあれば、夏に関して言えば、雨期の方が乾期より作業は楽かも。
 



 

7月21日(火) サリフル村の絲絲

 サリフルチームのリーダー・サリフル君。
 メンバーの12人は、みな同じ村の人々だ。バングラデシュにほど近い西ベンガル州のマルダ地区にある。汽車で3日かかることは先日(14日)も書いた。
 村には木綿の織り手も居るというので、こんなのは織れる?と、今日、サンプルを持参する。(上写真。左・サリフル、右・建築家カルテク)。
 木綿カディだ。先日も竹林shopで展示会を開催したばかりだが、我々も含め、カディのファンは多い。ただ、あのような趣のあるカディ生地は、インドに居てもなかなかお目にかかれない。その秘密のひとつは、インド古来のチャルカ(綿繰り機)にある。ガンディーが操っていたやつだ。現代のインドではほとんど見かけなくなった。
 そんなチャルカが、サリフル村の周辺にはまだあるというのだ。そこで今日は、我々のお気に入りカディ布を現場に持ち込み、サリフルに見せたというわけ。織れるかと聞くと、織れるという。
 ほんとかな〜。インド人はポジティブだから何でも「イエス」と言うからな〜。ともあれ、最初から決めつけるのもいけないから、まずはサンプルを託して織ってもらうことにしよう。近辺の村々でいろいろ分業している模様だ。

 サリフル村はそもそも絹が専門だ。養蚕から糸づくりまで行う。
 こんな写真を見せてくれた(下写真)。蔟(まぶし)だ。竹でできている。
 成熟した蚕をこの蔟に移した後、昼間は写真の角度で外に出し、糞尿を下に落とし、夜になると屋内にしまうのだという。飼っているのがニスタリ種という熱帯多化性の蚕だから、日本の養蚕と少々違うかもしれない。
 村では生糸も挽くが、出殻繭から糸も紡ぐ。我々のよく使う「マトカ絹」だ。
 古くから養蚕の一大中心地であったここデラドン地区からも出殻繭を引き受け、糸を紡ぐという。デラドン地区では出殻繭から糸を紡ぐことがないそうだ。(確かにこの近辺にマトカ絹は無い)
 タッサーシルクの出殻繭から作るギッチャ糸も、また柄から作るナーシ糸も、サリフル村でできるという。ほんとかな〜。ま、しばらくは信じることにしよう。



 

7月22日(水) 石&グルジ

 昼ごろ、建築用の石が届く。
 ビルワラ石という灰色の砂岩だ。
 750kmほど離れたラジャスタン州のビルワラから、三日がかりでやってきた。
 このビルワラ石は現場のいたるところで使われており、今までも何度か運ばれて来た。そしてこれが最終便。無事到着して、まずは目出度い。というのも、ラジャスタン州からこのウッタラカンド州まで州境を三度も越えるし、インドの道路&車両&交通事情は日本と大いに異なるから、途中何が起こるかわからないのだ。
 ただ、到着したとはいえ、この重たい荷物を積載したトラックは現場までは入り込めない。そこで、近くの道路に駐め、トレーラーや軽トラに荷を積み替えて、現場までピストン輸送する。
 上写真、左端の「考える人」は、トラックの運転手。ちょうどその前が用水路になっていて、わりあいキレイな水が滔々と流れている。そこで朝の沐浴をして長旅の汗を洗い流したところ。
 右端に小さく写るトレーラーは、石を満載して現場に向かうところ。

 建築現場に戻ろうと、畑中の道をたどると、田植えをしている人々に出会う。
 その陣頭に立っているのは、我々にもお馴染みの人物だ。通称、グルジ。(下写真左端に立つ人)
 グルという言葉は日本でも知られるようになったが、インドでは敬称の「ジ」をつけて学校教師の呼称にも使われる。つまり「先生」という意味だ。この人も退職した元教師なので、我々もグルジと呼んでいる。なぜお馴染みかというと、そもそも、新工房の敷地はこの人の所有地だったのである。我々と縁の深い人なのだ。
 グルジは教職を退いた後、自家農園の経営に勤しんでいる。竹林スタジオの大家さんである小峰さんを想起させる。そういえば信州の愚父も同じようなものだ。私もいずれはそんなふうになるのかも。
 下写真、丘の麓に建設中の工房が見える。その下に散在するのは民家。





 

7月24日(金) 現場の動物たち

 植物ばかりでなく、動物もまた新工房の重要なメンバーである。
 いずれ、いろいろ導入されるであろう。
 既に棲息しているものもいる。

 たとえば、ニワトリ。
 今15羽ほど居て、敷地の緑豊かなあたりを好き勝手に渉猟している。上写真は雌鳥たち。
 インドはニワトリ原産地のひとつとされている。南〜東南アジアに生息する赤色野鶏を家禽化したのがニワトリだということだ。実際、敷地に続く丘ではその赤色野鶏の姿が見られる。敷地のニワトリもその遺伝子を色濃く受け継いでいるようだ。中写真がその雄。私が5月に近所の国立公園で撮影した赤色野鶏の雄と比べると、かなり似ていることがわかるだろう。
 これらニワトリはもともと、工房スタッフのモジュッドが持ち込んだものだ。一年ほど前、ヒマラヤ山中にある実家から四羽の若鶏を持参し、それが繁殖して現在の数まで増えた。
 現在、雄が4羽に雌が11羽。雄が少ないのは食べられたせいだろう(人間に)。天敵は人間のほか、当地では猛禽類(ワシやタカ)、猫など。夜間は難敵キツネも出没するが、ニワトリ小屋に入れて保護している。
 ニワトリの群を観察していると面白い。人が近寄ると、雄は警戒して直立不動で様子を窺うが、雌は平気で餌をついばんでいる。どこの世界でもお父さんは大変だ。(中写真)。彼らの交尾はわずか二秒。それも雌の食事中に電光石火の早業で、人間では真似の出来ない芸当だ。
 そうして産まれる卵は、今のところ全体で一日平均二個。ホントはもっと産んでいるかもしれないが、草陰だったりすると見つけられない。
 下写真がその卵で、いわゆる赤卵。おそらく野鶏の卵色も同様なのであろう。インドで市販されているのは主に白卵だが、それに比べるとややサイズは小さく、殻はしっかりしている。品質や安全性は当然のことながら良好だ。(市販の卵は異臭がしたりする)。ゆで卵やオムレツにすると味の違いは歴然。
 五日市の竹林スタジオ近所にも養鶏場はあるが、そこに比べると当地のトリたちは何と恵まれているのだろうと思う。(まあ経済性は遥かに劣るんだけども)

 そういえばもう一匹、勝手に住み着いた動物がいた。雌の子犬だ。
 先月初め、どこかからともなく現れて、現場の住民となった。
 日本名はノリ。ラケッシュの与える海苔を美味しそうに食べていた。(インド人には珍しい)。他にインド名もあった。
 人なつこく、雨期の泥足でまとわりつき、服を汚す困ったヤツだった。それで鎖に繋がれ、悲しそうな声を出していた。
 ところが、今月中旬、気がつくと姿が見えなくなっている。
 現場のスタッフに聞いても、誰もその行方を知らない。
 工事顧問のビレンドラによれば、おそらく獣に引かれたのだろうとのこと。現場周辺には上記の鳥獣のほか、ジャッカルなども出没する。インドではそうして野犬の生息数が調整されるのだ。
 もっとも、新工房にはそのうち、松五郎や熊五郎など大型のボティア犬五匹が引っ越して来ることになっている。交雑の問題もあるから、おそらくは中型の雑種♀であったノリには、居場所はなかったかも。
 





 

7月26日(日) 奇果・波羅蜜

 新工房敷地に21本生えている果樹、波羅蜜(はらみつ)。英語名ジャックフルーツ。木自体も背が高く、葉も青々と肉厚で、目立つ存在だ。
 そして夏期のこの時期、大きな果実を幾つもつける。(上写真)。この未熟果は2ヶ月も前の5月から野菜としてサブジ(野菜カレー)の主菜として用いられる。
 そして7月も中旬になると成熟が進み、果物(フルーツ)としても食べられる。
 野菜にもなり、果物にもなるという、便利な果実だ。(ちょうど沖縄やタイ国のパパイヤのようなもの)
 しかしながら、野菜か果物か、地域によって捉え方が違うようだ。

 それで、ganga工房のスタッフ二十名くらいに聞いてまわった。
 すると、7割が野菜として捉え、残りの3割が果物としても捉えていた。
 7割の人々は当地北インドの出身者、そして3割はサジャッドら東部インドから来た織師たち。東部の彼らは、野菜としても用いるが、果物として食べる方を好むようだった。北部の人々は「果物として食べるなんて考えられない」という風だった。
 ついでに南部出身の建築家カルテクに聞いたところ、やはり主に果物として利用するとのこと。

 この波羅蜜、成熟が進むと、種子の回りの果肉が甘くなる。
 中写真は8割くらい成熟した果実を切ったところ。このくらいだとジューシーでフレッシュな甘さだ。
 種子はまだ柔らかく、包丁でも簡単に切断でき、野菜としてカレーの具に使える。

 ラケッシュの家族は今まで、波羅蜜を果物として食べたことがなかった。
 私ぱるばが美味そうに食べるものだから、じゃ、自分たちも試してみるかと、こわごわ口に入れているのが下写真。
 食べてみると、けっこうイケるかもという感想。ただ、特有の香りが気になるらしく、まだ積極的に食べるまでには至ってはいないようだ。齢七十を超えるラケッシュ祖母も生まれて初めて食べてみたが、「バナナみたいに甘いね」という感想であった。

 完熟果はプヨプヨと柔らかくなり、切るのも容易だ。
 そして果肉はトロリと種子を包み込み、その歯触りや香りの強さはドリアンのよう。これは北部人には難しかろう。
 敷地裏の丘では、実が完熟して落花すると、ジャコウネコがやってきて食べるという。(工事顧問ビレンドラ談)
 しかしこんなに大きな実が頭上に落下したら大事だから、その前にしっかり収穫しておかないと。

 この波羅蜜という中国&日本名、もともとは梵語(サンスクリット)のparamitaが語源で、その意味は「完璧」。梵語の子孫であるヒンディー語では、それとはぜんぜん関係なさそうなKatalという名称だ。なんでこの「世界最大の果実」が波羅蜜という極めて仏教的な名前をまとったのかは不明。



 

7月27日(月) 藍畑で働く人々

 新工房の敷地にはいろんな畑がある。建築がなかなか進まない中、一年以上前から野菜などの作物が栽培されている。
 その中のひとつが藍畑。インド藍を播種し、育てている。
 インド藍は別名「木藍」と言われ、多年生の木本だ。マメ科の低木。一度生えると、ずっとそこに育つ。枝葉が茂ると上の部分を刈り取り、染色に使う。するとそのうちまた枝葉を茂らす。
 播種の手間が無いから便利ではあるが、手入れは欠かせない。
 たとえば、除草。ウチのインド藍はまだ木が小さいので、雨期には雑草に蔽われてしまう。それで新工房スタッフが丹念に手で除草する。(上写真)

 この新工房スタッフは、じつは近所の農民たちだ。現在のところ、農婦3人に農夫1人。
 主に畑仕事や軽労働に携わっている。
 新工房から歩いて数分の小集落に住んでいる村人たちだ。
 私の顔を見ると、「ナマステ・サー」と言って合掌する。(サーというのは英語のSir)。いちばんしっかり明るく挨拶してくるのがこの村人スタッフだ。
 家が近いので、村人たちは昼食時には家に戻る。そのときには自家の牛(あるいは水牛)にも土産を持ち帰る。敷地で刈り取った草を、それぞれ頭に載っけて帰宅するのだ。牛にも草の好き嫌いはある。そのあたり農民はしっかり心得ていて、牛の好きそうな草だけまとめて運んでいく。
 牛たちや自分のランチを済ませると、また仕事場に戻ってくる。
 敷地に畑を作る際には、自家から牛糞を持ってくる。
 自分たちの身体だけを頼りに、CO2発生量の実に少ない、サステナブルな生き方をしている人々だ。



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7月30日(木) バンガロールに蚕糸総局を訪ねる

 南インドのカルナタカ州は、インドでも最も養蚕の盛んな州だ。
 その州都バンガロールは、デリーやムンバイに続くインド第三の都市。近年は「インドのシリコンバレー」として世界的に名が知られるようになった。しかし我々にとってバンガロールと言えばインドの蚕都であり、また同国の養蚕研究&行政を統括するインド蚕糸総局本部の所在地だ。
 この蚕糸総局本部には友人のジェイプラカーシュ博士(以下JP博士)がいる。2010年に東京で開催された国際野蚕学会で知り合い、竹林スタジオに訪ねて来たこともある

 いくら「ITの街」とは言え、インド大都市の例に漏れず、道路の渋滞と大気汚染は酷いものだ。一年分の排気ガスを吸い込みながらリキシャで蚕糸局本部を訪ねると、その一角に、JP博士の職場であるインド蚕種センターのビルが佇立している。(写真1・下に小さく私が写っている)。今年の3月から、氏はここのトップである蚕種センター長という要職に就いている。
 この蚕種センターは、蚕の交配や品種改良、インド各地への蚕種供給など、養蚕の根幹をなす部分を所轄している。たとえば、インド固有種の黄繭ニスタリの♀と日本種の♂からインドの気候に合った多収量品種を作って養蚕農家に供給するといった業務だ。(黄繭ニスタリ種はMakiのお気に入り蚕種だが、氏によるとニスタリの起源は中国ではなくインドの西ベンガルだという)

 JP博士はもともと、野蚕の専門家だ。
 今日氏を訪ねたのも、ひとつには野蚕であるタッサーシルク糸の調達について相談するためだ。
 Makiの使う野蚕糸は手作りの糸であるため、供給が不安定だ。そもそも野蚕の養蚕は家蚕ほど近代化されていないし、またMakiの必要量は微々たるものなので、糸の入手は輪をかけて難しくなる。(注文量が少ないとなかなか本気になってくれない)
 そこでこうしたツテを辿りながら糸の入手に励むわけだ。
 私の知る限り、最も色艶の良いタッサーシルク糸は、インドの僻地チャッティスガール州ジャグダルプール周辺に産する。その辺りの糸が欲しいんだけど…と氏に言うと、さっそく蚕糸局ジャグダルプール支部に電話をかけて問合せしてくれる。(写真2・手前に私の持参した糸サンプルが写っている)
 タッサーシルクにもいろいろ品種があるのだが、その中で彼地の森林に産するレイリー種という野生種の糸が色も濃くて美しい。そのレイリー種の生糸およびギッチャ糸(手紡ぎ糸)は今もジャグダルプール市周辺で生産されているようだ。支部の係員が市況を調べてくれるという。

 蚕糸総局はまた、絹製品の開発・普及にも力を注いでいる。養蚕はインドの主要産業のひとつだが、そこに一層の付加価値をつけ、絹産業として更なる振興を図ろうということだ。
 それで、多様な家蚕糸や野蚕糸を使い、麻や綿と交織したり、編んだり、錦織や刺繍やミラーワークなどの手法も用いて、様々な最終製品を提案している。国立の機関だから、インド国内の事業者は誰でもその指導や協力を受けることができる。蚕糸局内にはショールームが設けられ、繭や糸のサンプルから各種製品までいろいろと展示されている。(写真3はショールーム内の私ぱるばとJP博士。二人は同学年であることが判明)
 展示品の中に面白いサンプルを発見。黄色系の絹布に「MANGO YELLOW/JACK FRUIT DUST」とある。(写真4)。つまり、波羅蜜の実の食べ殻でマンゴー・イエローが染まるということだ。マンゴーの黄色といっても品種によっていろいろだが、ともあれ波羅蜜のカケラは新工房周辺にいくらでもあるから有効利用したいものだ。(波羅蜜については四日前の記事を参照のこと)
 そのほか、波羅蜜のカケラ関係では、インド茜に波羅蜜を重ね染めして「ECO ORANGE」というサンプルもあった。エコ・オレンジとは微妙な名称だが、サンプルを見るかぎり、ケバケバしくない落ち着いたオレンジという意味だろう。
 また、インド藍+ウコンで「SEA GREEN」というのもある。シーグリーンとは青みがかった緑のことらしい。ウコンは黄色を染めるが堅牢度があまり良くない。ところがショールームの係員いはく、先にインド藍で染めてからウコンで重ねると色落ちしないということ。ホントかなぁ!? 先に藍で染めるというのも意外。(普通緑を出す時には先に黄色で染める)。これはちょっと試してみないと。

 ということで、約二十年ぶりで訪問した蚕糸総局はなかなか楽しかった。JP博士にはその後、洒落たレストランで南インドのミールス(定食)をご馳走になり、また立ち飲みの南インドコーヒーを振る舞われ、その上、エンブレム付の公用車アンバサダーで次の訪問先であるインド珈琲局本部まで送り届けてもらうという厚遇を受けたのであった。

 蛇足であるがインドコーヒーというのはけっこうイケる。次の竹林イベントかなんかの折にご紹介したいものだ。
 



 

8月5日(水) 植樹の時間

 8月に入り、真木千秋ほかスタッフ3名が東京からganga入り。
 みんな朝から忙しげに工房で布作りに励んでいる。
 東京よりこちらの方が涼しいと異口同音に言う。インドにずっと居る私にとってはじゅうぶん暑いんだが、東京はいったいどんななんだろう?

 夕刻、真木千秋たち一行が新工房建築現場に現れる。
 この時間が植樹にはいちばん良いのだという。
 見ると、ポリ袋の包みを幾つも持参している。
 日本から持って来た植物の数々だ。

 たとえば、月桃(げっとう)とか。
 この沖縄の観葉植物は、薬用や料理用のほか、カゴなど手工芸にも使える。
 上写真は農婦スタッフとともに月桃を植える真木千秋。
 左手にあるバナナみたいに見えるのも、やはり沖縄由来の芭蕉だ。

 下写真、手前で植えているのが黒竹。
 これは東京五日市の拙宅に生えてるのを、ラケッシュが掘り出してきたものだ。
 相当の重労働だったようだが、はたして根付くんだろうか!?
 ギャラリーもできることだし、黒竹があると展示などに重宝する。
 奥の木陰では、農婦たちがミョウガを植えている。これも拙宅に生えていたものだ。これは何に使うのか!? 流しそうめんでもしようというのか。

 日本で苦労して用意した植物たちだが、こっちは人手があるから瞬く間に植え付けが終わる。
 上写真の芭蕉みたいに根付くと良いのだが。
 





 

8月6日(木) 印竹のいろいろ

 竹に支えられて進行する建築工事。
 建物はすべからく竹材に蔽われている。
 ただ、北部の当地には大きな竹は産しないので、南隣のウッタルプラデシュ州から運んでくる。
 よく見ると、竹の使い方にも工夫がある。
 竹と言うのは、日本のマダケや孟宗も同じだが、根元は太く、上に行くに従って細くなる。

 上写真に見るごとく、建築現場では、根元の太い部分は足場のフレームに使われる。固定は棕櫚縄だ。
 ハシゴは、取り回しと強度を考え、竹の中間部を使う。釘で打ち付けるのみで、足場も丸いし、大丈夫かと思うのだが、みんなこれを使って器用に昇降している。
 そして一番先の部分は、日本で言う足場板に使われる。

 この足場板、細い先端部を並べ、釘一本で横棒三本に打ち付けるのみ。これもまた、見たところ非常に心許ないのであるが、乗ってみると案外強靱だ。
 インドの竹は、日本のより堅くて肉厚なのだ。先端部も棒のようで、日本竹のように脆くない。(本土決戦じゃないが、竹槍にするにはインド産のほうが好適だろう)

 先日、これよりずっと細い竹が運び込まれた。(中写真)
 日本で言う篠竹サイズだ。
 これは州内に産する細竹で、当地から30Kmほど山中に入ったところに群生している。それも車道は22Km地点までで、残りの8Kmは徒歩で分け入るのだそうだ。工房スタッフがかついで来たらしい。何に使うのか聞いたら、それはまだわからないがサンプルとして取ってきたという。(ヒマだねぇ)
 ヒマラヤの村々ではこの細竹を使って竹カゴを作ったりするそうだ。
 インド竹の例に漏れず、この竹も肉厚で丈夫そう。輸入して我が畑の農業用支柱に使いたいくらいだ。さて何かの役に立つか!?

 さて今日は、ラケッシュ母の誕生日。
 工房終業後、でかいバースデーケーキが運び込まれる。ケーキカットなどもあって、バースデーというよりウェディングケーキっぽい雰囲気。
 インドにおけるケーキにまつわる慣習は、互いにケーキをひとかけら食べさせること。下写真はラケッシュ母にケーキを食べさせるラケッシュ父。この後、母が相手に同じことをする。そしてまた違う人が登場して母に同じことをする。以下同文。
 だから祝われる人は、イヤというくらいケーキを食わされるわけだ。私からすれば、ケーキは自分のペースでゆっくり食べたいもんだが。高カロリーだし。
 ま、年に一度だから良いのか。
 





 

8月7日(金) 地獄出し2015

 昔ながらの天然素材だけで藍を建てることを「地獄出し」という。
 地獄というのはその困難さゆえであろう。別名「灰汁発酵建て」。
 インディゴの故地インドでも、伝統的手法で藍を建てているところはほとんどない。それどころか、使用される藍そのものも石油由来のインジゴ・ピュアーがもっぱらだ。実際のところ、色合いについては大して変わらないから、合成藍の化学建てでも構わないんだが、地獄出しの方がストーリーがあって楽しい。
 それにもう一点、ハイドロ(亜ジチオン酸ナトリウム)を用いる化学建てはアルカリが過度に傾くことがあり、そうすると絹やウールの蛋白質を損なってしまう。微生物を用いる地獄建ての場合、アルカリ度が一定に保たれるので、その心配が少ないのだ。
 ちなみに「藍を建てる」とは、不溶性の藍色素を微生物ないし薬品を使って水に溶かす作業。溶かさないと繊維に染着しない。

 ganga工房で用いる藍は、南部タミルナド州産のインド藍だ。
 工房の染師ディネッシュが三日前の8月4日に仕込む。
 今年初の地獄出しだ。インド藍と水の他、灰汁、粗糖、ラム酒、石灰を使う。
 灰汁発酵建てを始めて今年で五年目。だいぶ熟達してきたようで、この時期に試みるとほぼ百発百中で建つ。
 ひとつには気候のせいであろう。雨期後半の今は最高気温も30℃前後。湿度が高く夜もあまり気温が低下しない。藍建ての適温は28℃前後というから、ちょうど液温がそのあたりに保たれるのだ。
 また同じ容器で建て続けているので、藍建て菌が棲み着いているのであろう。
 だから今の時期に関しては、もはや地獄ではなく、極楽に近いかも。

 上写真は染師ディネッシュ。藍の具合を匂いや味で判断する。
 中写真は今朝の様子。藍の華がモコモコ盛り上がり、発酵臭がムンと立ち上がり、いかにも勢い盛ん。

 下写真は試し染め。
 真ん中の濃紺(黒く見える)は木綿。これは新工房敷地で育てた綿花の糸だ。まだ濡れているので濃色だが、木綿と藍の相性の良さがわかる。
 右手前の二つは日本で挽いた絹糸を藍染したもの。

 藍はいったん建つと、いつでも染められるから便利だ。
 ただし、そのためには日夜、様子を見て、食物を与えて暖めたり(粗糖)、冷やしたり(灰汁や石灰)、かきまぜたりして、藍建て菌の元気を保たないといけない。まさに生き物の世話だ。そうすれば藍の色素がなくなるまで藍染を楽しむことができる。
 





 


8月9日(日) 雨水排出口

 建物の屋根には雨が降りかかる。
 その雨水をどう処理するかというと、通常は雨樋で受ける。
 
 新工房の一部の建物は、雨樋を設置しない。
 雨水排出口を使う。(日本語で何と呼ぶのか定かでないが、英語ではwater spoutと呼ばれている)
 排出口は大理石製で、建物の上部から突き出ている。(上写真)
 インドでは寺院建築などにはよく使われていて、その形も、象など動物だったり、神像だったりする。
 こちらのはごくシンプルな形状だ。
 現場で石工が大理石を切って作っている。


 内側から見ると、真四角な穴が空いているだけ。(中写真)
 屋上がやや傾斜していて、雨水は片側に集まるようになっている。そしてこの排出口から吐き出されるわけだ。

 今、建築家のビジョイ・ジェインが現場に来ているが、なぜ雨樋じゃなくて排出口なのかと聞くと、感覚上のもののようだ。
 雨水が弧を描いて落下する様が美しいのだろう。

 昨日、ビジョイともども隣州まで植物の苗を見に行った。
 帰途、とある村を通りかかった時、ビジョイは車を駐めさせる。
 美しい昔ながらの農家があったのだ。
 壁が土でできている。(下写真)

 よく見ると、この家にも樋は無い。
 その代わりに排出口が建物の横に三本ほど突き出ている。(少女の頭上にあるのは排出口ではなくて梁)
 昨日は午前中、大雨だった。帰りにはすっかり上がっていた。大雨の時に見てみたかったものだ。
 右側はその拡大写真。雨期だから屋根に草が生えている。
 



 

8月10日(月) 楽しき営み

 余人は知らぬが、建築家ビジョイ・ジェインは造園家でもあるようだ。
 先週金曜にムンバイから当地にやって来たが、今回の主目的は植物。
 一昨日はみんなで隣州サハランプールの大きな苗屋にでかけ、草木の苗を千本ばかり購入する。しめて15万ルピー。はたしてそんなに植える場所があるんであろうか!?

 今日は一日、陽が照ろうが、雨が降ろうが、蚊に刺されようが、敷地のあちこちで、真木千秋や工房スタッフともども植樹・植草の検討をしている。
 草木の配置を考えるのが大好きなようだ。真木千秋も劣らずそれが大好き。お互いこの作業が楽しくて仕方ないらしい。

 上写真は入口付近。木々のほか竹やシダ類なども用いつつ、来訪の皆さんを気持ち良くお迎えできるようデザインする。
 左端の人物アショカ君の提げるバケツの中には石灰が入っていて、植樹場所や小径の目印にする。真木千秋は団扇を下敷きに真剣にメモを取っている。右端が造園家ビジョイ。
 湿度が高いから日が当たると汗がとめどなく流れる。

 一天にわかにかき曇り、熱帯性スコールが襲来する。雨脚がやや緩むと、待ちかねたように雨具で身を固め、外に飛び出す一行。(下写真)
 既存の草木を勘定に入れつつ思案を重ねる。
 中央カッパ姿がビジョイ。熱弁が聞こえてくるようだ。古の夢窓疎石や小堀遠州もこんな感じだったのだろうか。左隣・赤シャツのラケッシュ君もやはり木を植えるのが好きらしい。(私ぱるばはどちらかというと木を伐って薪にするのが好き)

 夕方の七時を過ぎ、田んぼや水溜まりで蛙たちが鳴き始めても、まだ彼らの楽しい営みは続くのである。きっとホタルが舞うまでやっているんであろう。(付き合いきれない)
 





 

8月11日(火) 中庭のデザイン

 昨日に続き、ビジョイ&真木千秋の楽しき営み。
 最後に残ったのが、現場の心臓部、工房中庭だ。
 こちらグーグルマップで見てもわかるが、主工房は四つのL字型でできている。そのL字で囲われた部分が、ちょっとした広場になっている。
 まさに画竜点睛、いったいどうなるのであろうか。ビジョイもこの三年間、いろいろ考えを巡らしてきたようだ。
 今日はそこに植える樹種と、その位置を決める。

 あらかじめ描いておいた樹木の配置図を参考にしながら、作業を進める。(上写真)。
 広場のあちこちにスタッフを立たせ、それを樹木に見立てながら検討する建築家ビジョイ・ジェイン。(上写真、右端の黄色が真木千秋、その隣で指示を与えているのがビジョイ)

 広場は台形をしていて、その四つの角に大きな樹をひとつずつ植えることになっている。
 中写真は、その四本の樹を円で表したもの。幾年か経って樹が成長したら、枝葉がこのくらいになるということだ。大きな樹は10〜20mほどの高さに成長するから、ちょっと想像していただくと良い。インドは樹の成長が旺盛だから、意外に早くその大きさに達してしまうかもしれない。
 右上、中心に人の立っている円が、白花のチャンパカ。和名は金香木。その名の通り香高い花を咲かせるモクレン科の高木だ。
 反時計回りで、奥の円は、ジャカランダ。紫の花を咲かせる高木で、キリモドキとも呼ばれる。
 左側はおそらく一番大きくなる木で、マフアという名前。和名は無い。インド先住民の「聖樹」で、花や実、樹皮に至るまで、様々な用途があるらしい。葉はタッサーシルクの食物にもなる。
 手前は奥と同じジャカランダ。

 その四本の大木の間に、小型の樹を四つほど植える。チャンパ(小型金香木)やペルシャライラックなどだ。
 幾つもの円が互いに重なる中庭を見ながら、何を想うか真木千秋。(下写真)

 ビジョイの設計につきあいながら、ラケッシュ君が密かに考えていたことがある。
 踊り場をどうするかということだ。
 踊り場とは、文字通り踊る場所。
 インド、特にラケッシュ両親の出身地であるヒマラヤの山村では、踊りというのが極めて重要だ。何かがあると、みんなで集まり、夜遅くまで踊る。ちょうど日本の盆踊りみたいのが、親族間の集まりで、年に何度もある。当ganga工房もその伝統を引き継いで、創業記念日を初め、年に何度か焚き火を囲んで、みんなで踊る。その踊り場をどこにしようかということだ。
 それはやはりこの中庭であろう。そのことは我々もビジョイに伝え忘れていた。

 そのビジョイは今、機上の人だ。現場で昼食をしたためた後、ゴム草履を革靴に履き替え、近所のデラドン空港から、デリー&シンガポール経由でメルボルンへ。
 酷暑&雨の中を朝から晩まで三日間働きづめで、今度は冬の南半球。その後またこの現場に直接戻るんだそうだ。無事の帰還を祈る。しかし建築家というのも旅好きじゃないと務まらないな。(いっそのことスタジオ・ムンバイじゃなくてスタジオ・デラドンにしたら!?)


8月12日(水) カシミヤをヘナで染める

 五月に私ぱるばが上海から運んで来たカシミヤ原毛。中国・内蒙古の産だ。それをヒマラヤ山中の羊毛村ドンダで糸に紡いでもらう。色は、白、ベージュ、グレーの三色。今日その糸染めをする。


1.染めサンプル。左の列が、白のカシミヤ。右側がベージュのカシミヤ。最上段がもともとの色。二段と三段目がスオウ染め。四段目がヘナ。最下段が藍染め。染師ディネーシュの爪が藍で染まっている。

2.今日はベージュのカシミヤ糸を染める。糸はひと月ほど前、ドンダ村から工房に届いたもの。


3.ヘナの葉を煮出す。こちらの言葉ではメヘンディという。

4.染液に入れて染着させ、水洗した状態。この段階ではやや赤味ががる。



5.
 鉄媒染するとグレーに変わる。必要な色合いになるまで染め重ねる。
 今年のカシミヤショールに使う染め色は、このグレーのほか、藍染の青、夜香木+藍の緑などを考えている。

8月30日(日) カシミヤを薄緑に染める

 ganga工房滞在中の真木千秋から届いた写真。
 先日新工房の畑で収穫したインド藍(木藍)を使って、カシミヤの糸を薄緑に染める。


1.白いカシミヤ糸を、まず、夜香木の花で黄色に染める。

2.木藍の枝葉を一昼夜、水に漬け、発酵させる。


3.芳香(!?)の漂う中、発酵液を搾り出し、その中に1の黄色カシミヤ糸を浸ける。

4.そうして染まった薄緑。中サイズのカシミヤストールに使用。



5.
70cm x 190cmの大サイズは今、ウールスペシャリスト織師マンガルの機で織り進められている。こちらは天然色のカシミヤ糸が主になる。





 

9月6日(日) 離れ技

 一週間ほど前、ganga工房に糸が届く。
 タッサーシルクのギッチャ糸だ。手紡ぎの野蚕糸である。
 ここ数年、インドの経済成長に伴い、諸物価が著しく高騰している。手づくり糸もその例に漏れず、我々にとっても頭の痛いところだ。また農民による手作業ゆえ、質の良い糸を継続的に入手するのも難しいところだ。

 七月末、インドの絹都バンガロールに友人のジャヤプラカシュ博士を訪ねる。現在、インド蚕糸総局の蚕種センター長だ。元来は野蚕の研究者なので、質の良いギッチャ糸はないかと相談してみる。チャッティスガール州ジャグダルプール産のものが欲しいと — 。同地は私の知る限り、インドでいちばん美しいギッチャ糸の産地だ。
 インド人の常として、頼まれれば何でも受けてくれる。さっそくジャグダルプール在勤の部下に電話をかけてくれるのだが、そもそもがインド蚕糸行政の要職にある忙しい人ゆえ、ま、正直なところ、あまり期待はしていなかった。
 だいたいジャグダルプールといえば、同国でも名うての僻地で、虎やテロリストの出没する自然豊かな危険地域なのだ。バンガロールからは千kmも離れている。

 ところがその1ヶ月後、ちゃんと糸が届いたのだ。(写真左上)
 ジャグダルプールからバンガロール経由でganga工房まで、合計三千kmの旅。インド国内の三千kmというのは途方もない距離だ。まさに離れ技。
 糸の色艶も期待通り。さっそく真木千秋も布に織り込むのであった。
 左下は名手シャザッドのマルダストール。右はジャカード機による小布反物。





 

9月13日(日) 藍の生葉染め2015

 昨日の日曜。
 貴重な晴天の中、藍の生葉染めをする。

 上写真は、あきる野市の山里にある拙畑。
 今年五月初めプランターに蓼藍(たであい)の種を蒔き、一ヶ月後、畑に定植する。
 藍草を育てている人は近辺にあまり居ないから、「それは何ですか?」とけっこう聞かれる。
 そして昨日、刈り取りだ。

 今年は雨が多かったせいか、成長が旺盛であった。
 昨年も同じ時期に刈り取ったのだが、もう花穂がかなり出ていて、葉の力がやや翳っていた。
 今年はまだ花穂がほとんどなく、葉も青々と茂っている。藍草も年によって成長に遅速の違いがあるようだ。これも気候の影響なのであろう。
 多雨だったから雑草もはびこり、その始末がタイヘンであった。ふだんあまり畑仕事をしない真木千秋も、除草など藍の面倒だけは見るようだ。

 藍草もさぞかしビックリしたことであろう。今まで蝶よ花よと大事に育てられていたのに、突如バサバサと刈り取られて。
 ただ、根っこの部分は残っているので、そこから脇芽が伸び、十月には一面の花盛りとなるのである。

 藍の色素は葉の中にあるから、まずは葉もぎだ。
 スタジオの庭にビニールシートを敷いて、ひたすら「手もぎ」する。中写真の右奥が手もぎ場所。
 いつもこの生葉染めには飛び入りの助っ人が現れる。今日は「ganga工房ワークキャンプ」参加希望の建築科学生・赤阪クン(中写真・右端人物)。たまたまキャンプ参加の打ち合わせに来あわせて、ちょうど良いから手伝ってもらう。(当スタジオに来訪する人は何をさせられるかわからないのでご注意!)
 
 藍は通常、発酵させて染めるのだが、夏期には、フレッシュな葉を使って糸染めをする。
 刈り取ってから、間髪を入れずに染めるのだ。ミキサーで粉砕し、ジュースを絞り出し、その中で糸を泳がせる。(中写真手前)

 今年は、竹林で挽いた生糸やウールの糸を染める。
 ホントはもっと早い時期に染めたいのだが、7〜8月はインドに行っていることが多く、最近はいつもこの時期になってしまう。
 ただ、今年は気候も幸い(!?)して、藍草もまだまだ元気。
 写真下を見る通り、真木千秋も思わずニンマリの発色であった。





 

9月18日(金) 週末カフェの準備「デザート篇」

 明日9月19日から二日間オープンのウィークエンドカフェ
 シェフのラケッシュは一昨日から準備に余念が無い。

 前日の今日は、デザートの製作。
 「カジュー・バルフィ」だ。
 バルフィはインドの代表的な高級菓子。カジューというのはカシューナッツのことだ。

 その名の通り、カシューナッツが主材料となる。
 上写真、手前の銅鍋に盛られているのが、カシューを粉砕したもの。
 そこにスパイスを添加する。
 左端のミキサーで、今、粉砕しているのがカルダモン。
 ラケッシュが大理石の乳鉢でつぶしているのがクローブ(丁字)。クローブはミキサーではうまく粉砕できない。

 更に、各種ナッツ類を加える。(中写真)
 カボチャ種、ヘーゼルナッツ、胡桃、松の実、レーズン。テクスチャーを活かすため、包丁で切る。ナッツ類に関してはもうひとつ、ピスタチオを最後の仕上げにふりかける。
 冷蔵庫に入れて固めるのだが、その前に柔らかいのをちょっと味見したところ、かなり美味であった。

 このデザートは、明日からのランチにセットとして注文できる。
 また、ランチが不要の人には、チャイセットとしてオーダーOK。
 ちなみに、明日のランチメニューは、マサラ・ドーサだ。

 デザートにはもうひとつ、信州上田・田中巨峰園のブドウがある。
 昨日収穫されたものが、今朝、三箱届く。(下写真)
 巨峰(濃紫)とシャインマスカット(緑)だ。
 この巨峰園は私ぱるばの実家で、今年86歳になる愚父一夫が農園主だ。ブドウのことしか頭にないスーパー爺で、今年自信の新作がこのシャインマスカットなわけ。私は寡聞にして左様なブドウは知らなかったのであるが、食べてみるとけっこうイケるのだ。今年は多雨のせいかブドウが余ったようで、こうして送ってくるのである。この二種のブドウはランチを注文した人にもれなくついてくる。まあ多分、今月いっぱいは毎週送ってくると思われるのだが、竹林カフェでランチを食べようと思っている人はブドウのシーズン中に来た方がトクである。

 ランチタイム 12:00ー15:00
 ティータイム 12:00ー17:00

 週末カフェは明日から10月いっぱいの土日オープン予定。
 (10月10日-11日は除く)
 
 




 

9月30日(水) 10月4日18時はちびまる子

 次の日曜(10/4)日、夕方6時は、フジテレビのちびまる子に注目!
 当日放映予定(たぶん後半)の『まる子と絹とお蚕さん』は、当スタジオが関係しているのである。
 先般、ちびまる子スタッフによる取材を受けたのだ。
 八王子・長田養蚕を通じてのお話であった。
 取材班は弊スタジオで糸を挽く様子をカメラに収めて行った。
 それがそのまま放映されるわけではあるまいが、マンガの絵作りに活かされているのであろう。
 御用とお急ぎでない向きはぜひ御覧を!
 




 

10月1日(木) パストラル・カフェ

 竹林shop9周年の今日、tocoro cafeの上村氏来竹。
 氏には四年前のshop5周年「CC5」を始め、様々なイベントで出張カフェをお願いしている。
 今日の来訪は、今月30日から一週間の竹林shop展示会「パストラルの秋」打ち合わせだ。
 パストラルとはMakiのシルク二重織りストールの名称だが、そもそもは「田園」という意味である。

 このイベントでは、母屋がキッチンとなり、シェフのラケッシュが担当。竹林カフェスペースは上村氏&細君のナオコさんが切り回す。
 今回は「パストラル」をテーマにカフェをやってくれと氏に依頼していたのだが、いったいそれはいかなる意味か究明すべく来竹した上村氏であった。

 写真中央、ガラス容器に入っている物体は、昨夜、氏が思い立って焼いたスコーン。主原料は米だ。米は田んぼで育つから、たしかにパストラルではある。試食してみたところ、カリカリもちもちで、かなりイケる。私的には、今まで食したtocoroスナックの中で随一かも。
 そのほか、コーヒーメニューやラケッシュ料理にもいろいろアイデアが。
 詳しくはまた後日。
 ともあれ、Happy birthday! ←ロウソク9本
 



 

10月2日(金) アライ・ラマ邸襲撃

 織物の街、上州桐生。
 ここには真木千秋の師、新井淳一氏の住まいがある。
 アライ氏邸には、年に一度ほど、ご挨拶をかねて伺う我々である。
 私ぱるばの渡印が迫っていたので、昨夜突如アポを取り、明くる本10月2日、我ら三名、ほとんど襲撃のごとく訪問。
 それにもかかわらずいつも通り快く迎え入れてくれるアライ・ラマであった。

 ご機嫌伺いのついでに、氏の宝蔵も開いていただく。
 もと機屋(はたや)であった新井邸にはいくつも倉庫があり、半世紀に亘る氏の染織クリエーションが人知れず眠っている。その封印を解くのが真木千秋の使命のひとつなのだ。
 写真上はそんな蔵のひとつ。左から、アライ・ラマ、真木千秋、タケシ。(ホントはラケッシュであるが、新井邸ではタケシと呼ばれている)
 実は今月30日から一週間、東京五日市の弊スタジオで「パストラルの秋」というイベントがある。その機会に是非ともアライ布をご覧にいれたく、本日の襲撃と相成ったのであった。

 敷地内のあちこちに鎮座するロールを紐解くと、「ああこれ、あの時の…」と真木千秋も懐かしい布また布。(下写真・右端は新井リコ夫人。この布は来年中国西安で開催の回顧展に出品予定)
 今回は、「パストラル」にふさわしく、ウールを中心にした交織の数々、二十数点を拝借する。多くは二重織りで、ふかふかフワフワと暖かそう。そのままスカートになる反物もある。これぞMaki布の源流。この秋はそんなアライ氏の創作にも触れていただきたい。
 



 

10月6日(火) 工事現場のブラッド君

 昨日ganga工房に到着。
 こちらは雨期も終わり、連日の晴天だ。最高気温は30℃前後。最低は20℃を下回るくらい。快適な季節の始まりだ。

 新工房の建築現場に来て、あちこち歩き回る。
 現場に来るのは一月半ぶりだ。
 皆、雨ニモマケズ、頑張っていたから、進捗度もインドにしては、はかばかしい感じである。

 いちばん進捗していないのが、ギャラリーだ。
 ま、工房や作業場、住居が優先されるから、仕方ないかもな。
 そのギャラリーに足を踏み入れると、石だらけの床面に、マンゴーの枝先がひとつ落ちている。
 でもちょっと変だなと思って近寄ると、これが芽であった。落ちた種から発芽したのだ。(上写真)
 真木千秋に写真を送ると、かわいいからそのままにしておけば、と言う。良寛とタケノコの逸話を思い出すが、さてこのマンゴーノコの運命やいかに!?

 下写真がそのギャラリーの現状。この前とほとんど変わっていない。
 上部の角に立って写真を撮っているのは、カナダの建築科学生、ブラッド君。
 学校で定められた四ヶ月のインターン期間を、この現場で過ごすそうだ。
 もともとは母国のコーストガード隊員で、その後、建築家を志し、スタジオムンバイの仕事に魅せられてインドにやって来たという経歴の持ち主。仕事の合間にいろいろお話をする。

ぱるば「ブラッドという名前、珍しいよね」
ブラッド「そうですね。英語の名前ですが」
P「ふ〜ん、正式に言うと?」
B「ブラッドレーです」
P「ブラッドレーねぇ…あまり聞いたことないな」
B「でも居ないワケじゃありません。ブラッド・ピットとか」
P「ああ、ブラッド・ピット!!」と言って、彼を指さす。
B「いえ、名前だけですけどね、名前だけ…」

 としきりに謙遜するブラッド君であった。
 ホントに名前だけかは、またいずれご判断いただこう。

 





 

10月8日(木) 夜香木の花

 夜香木。英語ではナイト・ジャスミン。
 その名の通り、夜、かわいらしい花を咲かせ、ジャスミンのような甘い香りを放つ。
  なぜわざわざ夜に…と思うのだが、きっと夜行性の虫たちを相手にしているのだろう。(赤提灯みたいなものか)

 左上の写真が、開いたばかりの夜香木の花(夜8:30撮影)
 そして、朝になると花をすべて落とす。一夜限りの花だ。そしてまた夜になると新しい花をつける。
 今が花期なのだが、昼間は花をつけていないので、花期に見えない。じつにユニークな樹だと思う。

 花期は一月ほど続き、その間は、朝、落花を拾い集めるのが工房の日課となる。(右写真)
 今がその最盛期で、毎日洗面器一杯分集まる。(左中写真)
 なぜ拾い集めるのかというと、大事な染料となるからだ。
 この落花で、グレーや黄色を染める。

 集めた花は、天日で干す。
 雨期も終わり、日中は三十度を越す陽差しだから、すぐに乾く。
 乾燥させておけば、必要な時に煮出して染められるのだ。
 写真左下は昨日集めた落花を1日乾かした状態。まだ完全に乾燥しきってはいないが、色の変化が面白い。花弁は白いが、そこに色素が秘められているらしい。

 工房には小さな夜香木が一本あるが、昨年はその木から1kgほどの乾燥夜香木花が採れた。ただ、それだけでは足りないので、新工房の敷地にもこのたび何本か植える。
 この乾燥夜香木花はアユールヴェーダの薬として珍重されており、薬種店では1kgあたり数千ルピーするという。その薬効のひとつが男の回春効果だそうだ。そのあたりもユニークな文字通りのナイト・ジャスミン!?



ニワトリと健ちゃん
 

10月12日(月) 建築家・赤阪健太郎クンの場合

 ganga新工房建設ワークキャンプというのがある。
 詳しくはこちらにあるけれども、自力でインド・デラドンまでやってきて、新工房建築現場で二週間ほど働いてもらうという企画だ。
 先月末、先陣を切って渡印、二週間にわたって現場に入った若き建築家がいる。インドばかりか海外は初めてという赤阪健太郎クン。彼にとってganga体験はいかなるものであったろう。その感想を綴ってもらった。

 インドでの私の旅はデリー、デラドゥンの旅だった。いや旅というよりもむしろ、彼らの日常におじゃましただけだったのかもしれない。
 デリーでは真木さんと地下鉄に乗り、ニューデリーを経由して彼女の旧知の美術通りを訪れた。7時ごろの帰宅ラッシュのニューデリーは、日本の御輿か祭りのような激しい熱気に満ち溢れ、私たちは電車移動をやめ、リキシャという三輪タクシーに乗ってその通りを目指したのだった。膨大な人口を抱えるその都市の町並みは、圧倒的な蒸し暑さで、私はその日本で感じたことのない空気感に興奮した。ちいさな赤子を連れ物乞いする女性、鳴り響くクラクション、売り物の箒を満載したちいさな自転車、それぞれが目まぐるしく私たちのまわりに渦巻いていた。多くの旅行記にみる「インド的混沌」のなかで、私たちはすでにめまいを感じていた。
 私たちは翌日、飛行機でデラドゥンへと向かった。デラドゥンでの経験は何か音楽のような経験を私に残したのだろうか。この文章を書いている今でも私は、それらの体験のどこかひとつだけというかたちで何かを思い出すことが出来ないでいる。かといって、ひとことで総括することなどできるはずもない。旅とはそういうものかもしれないと思った。まだ続いているようにも思う。
 デラドゥンについた夜、部屋に蛍が入ってきたことをよく覚えている。東京のように街灯も少なく、夜の暗闇の中でその蛍は明るく輝き、私のことをやさしく迎えてくれるかのようだった。そのちっぽけな虫の来訪は、これから起こる吉兆のまえぶれであったのだろうか。
 朝起きると待ち構えていたように犬たちがやってくる。彼らとひとしきり遊んでいると、ママがチャイとビスケットを出してくれる。やがてスタジオムンバイのカルティックが僕をピックアップして、現場へ連れて行ってくれる。私はファーマーたちと日々石垣を作った。ファーマーたちは地元の農民で、石運びやさまざまな建設の手伝いをしている。いまどきこんな仕方で?と思わせる始原的な方法で、石垣は積まれていく。布キレでつくった、あいだにクッションはあるものの、重い石はずんと頭にのしかかってくる。姿勢を正さなければ上手く運ぶことは出来ない。ひとりひとりが頭の上に石を載せて歩いている景色は、日本ではまず見かけることはない。美しく積まれていく石垣の並びは、そんな風に皆が昔ながらの方法でつくりあげるものなのだ。私が目にしている光景は、おそらく何百年前のひとびとが作り上げていた景色と同じものなのだろう。そしてそうして生まれた手仕事の積み重ねが、スタジオムンバイを主催するビジョイ氏の手によってモダンで美しい建築になっていく過程こそ私がここに見にきたかったものだった。
 昼どきモヒートが、食器や料理を並べる順番を間違えないようにシェフの手伝いをしている。彼はなにかぼそぼそとつぶやきながら、熱心に料理を並べている。遠くから来た日本人の几帳面さを学び自分のものにしようというその姿をみて私はなぜか「インドの未来」という言葉を思いついていた。「懸命に働く」とか「向上心」などという言葉はいまどきの日本の若者にとってはすでに死語となってしまっているのかもしれない。彼のような若者と共に働いたことで、私は忘れてしまっていた、いやはじめから知らなかったかもしれないそんな想いに気づかされたのだった。そして私はこれから飛び込む「建築」という職業を、全力で走りぬければならないのだと励まされのであった。想いのある熱い建築をつくりたい。
 ある日曜日、ブルドックのTシャツのサンディープがピクニックに連れて行ってくれた。友達の水道職人の住むわずか数戸からなるビレッジを見に行こうという。同時に石垣を飾る山野草を集めるのが私の役目だった。
 途方もない高さの山の上から見渡せたのは、緑にあふれる美しいデラドゥンの町が、遥か地平線まで霧にうまってみえなくなってしまうという雄大な景色だった。
 そこでは山で生きる人たちに会うことができた。ヤギや牛を飼って暮らす人々は、日々共に働いている農民たちとはずいぶん違った印象だ。
 山頂は芝生になっていて、都市にあこがれるヤンキー風の青年たちがクリケットをしている。その傍らでは小さな子供が車輪をまわして遊んでいる。そしてヒンズー教の寺院から僧侶が一人彼らを見守っていた…。
 日本に戻って以来、思い出すたびにちがう物語がつむぎだされるような気がする。そして、その記憶をもとに、自分の心は距離を越えてあの場所にあそんでいることに気づく。ただひとつ言葉にして書きとめておきたいことは、インドへ行ったことは私の人生をゆたかにしてくれたという、そのことである。
 あの素晴らしい日々を多くの人に経験していただきたい。
赤阪健太郎(建築家)



 

10月28日(水) タンドール強化作戦

 竹林「パストラルの秋」まであと二日。
 秋空のもと、男たちは外回りの環境整備だ。
 上写真は私ぱるばがshopの屋根に上り清掃作業。十月も末になると、ケヤキが葉を落とし始める。それが屋根の上に滞留するのだ。もっとも、いくら清掃したところで、風が吹くとまた舞い落ちてくる。写真にも見る通り、落ち葉のタネは尽きない。それでも掃かないよりはマシだ。
 
 下写真は、新趣向の防火シート。
 今回、タンドール(炭火竈)を母屋の前まで移動し、そこでチャパティを焼く。
 タンドールのチャパティはやはり格別なのだが、弊カフェの弱点はタンドールが外にあること。つまり雨が降ると着火できないのだ。
 皆さんは知らないだろうが、タンドールは調理開始の前、二時間、火を燃やして暖めないといけない。特に最初の三十分は火がかなり吹き上がる。
 そこで今回は、多少の雨でもタンドールが使えるよう、上にシートを張ることにする。シートと言っても、もちろんブルーシートなんかじゃダメ。
 大工の森屋棟梁にも相談して、防火シートを注文する。これがけっこう高価なんである。昨日到着したので、おそるおそるキッチンのガスレンジで炙ってみる。熱くはなるがほとんど変化しないので、これは使えそう。(ホントはアライラマの金属生地を使いたかったのだが、残念ながら在庫切れであった)
 実地使用を想定して、タンドール位置の上に張ってみたのが下の写真。空飛ぶ絨毯の風情だ。
 期間中(10/30-11/5)の天気予報を見ると、おそらく使う時は無いんじゃないかと思われるのだが、ともあれ、備えあれば何とやらだ。
 というわけで、今後は、台風でも来ない限り、タンドールには火が入るはずなので、お楽しみに!





 

10月29日(木) 明日から「パストラルの秋」

 明日から一週間、東京あきる野のMaki Textile Studioにて「パストラルの秋」開催。

 今日は竹林shopも臨時休業し、朝から準備に大わらわだ。

 右上写真は昨日に引き続き、タンドールの設置作業。
 けっこう重たいのだ、この竈。
 車を使って、男三人がかりで移動する。
 この時期、タンドールは嬉しい存在だ。調理が終わったら残り火を囲炉裏に移し、暖を取ることができる。

 左上写真は展示中の竹林shop。
 壁面にヒマラヤウールの「かけ布」が見える。織り出しの丸や三角など、今年のかけ布は種類が豊富。
 二階には新井淳一さんの布も。

 竹林カフェは今回、トコロカフェの竹林店。
 左中写真で湯気を立てているのは、トコロ愛用のエスプレッソマシン「トコ郎」クン。竹林お目見えは竹林shop五周年展以来、四年ぶりだ。
 今回もいろいろ試作を重ねて来た上村夫妻。今日ご持参の新作は、「ヒヨコ豆ジャキア・パウンドケーキ」。これは世界初の試みであろう。読んで字の如く、ヒヨコ豆とジャキアを配合したパウンドケーキだ。「パストラル」にちなんで作製。ジャキアというのはヒマラヤ山村で使われる調味料で、言ってみれば菜種だ。煎ってあって香ばしい。
 そのほか、雑穀シコクビエを使った焼き菓子もある模様で楽しみだ。



 

11月25日(水) 別格・豆カレーへの道

 インドでは豆カレーは大事なレシピだ。
 ベジタリアンが多い中、タンパク源としても欠かせない。
 豆はダールと呼ばれるが、日本と同じで種類がいろいろある。
 その中でも王者とされるのがラジマ豆、日本で言うと金時豆だ。
 ラケッシュ家でもなかなか口に入らなかったという。レンズ豆やヒヨコ豆のカレーは付け合わせで食べることが多い中、ラジマ豆のカレーはいつも単品メインの別格だ。
 そんなラジマ豆の中でも、ハーシル産のものが随一とされる。
 ハーシルと言えば、我々にはお馴染みだ。ganga工房のあるウッタラカンド州、ヒマラヤ山中に分け入った標高2500mの高地にある遊牧民の村。工房のウール職人マンガルの故郷で、ヒマラヤウールもここから仕入れている。
 マンガル持参のラジマ豆を日本に持ち帰り、シェフのラケッシュ君が料理してくれた。(左写真)
 ホクホクで美味。豆カレーの認識が改まる。
 豆だけではない。米も工夫した。「インドのコシヒカリ」と呼ばれるバスマティ米と、信州のコシヒカリを半々にブレンドして炊いてみた。バスマティ米特有の香りや日本コシヒカリの食味がマッチして、おそらく世界初の食感!?
 実はコレ、来年1月8日から始まる「ハギレ市」ランチの予行演習だ。(カレーは1月9日〜14日)。請うご期待。



 

11月29日(日) 南仏の尼僧院

 昨日、北インドのganga工房に到着。
 日本はここ数日、冬のような冷え込みが続いているようだが、さすがにここインドは暖かい。日本の最高気温がここの最低気温くらい。すなわち低気温は今朝で13℃。日中は20℃を超える。極めて快適だ。
 午後の六時を過ぎ、新工房の建築現場はまだ作業が続いている。
 上写真は工房の本体。ついに屋根がついて、屋根上では仕上げが行われている。建物内では木工の作業。インド人もよく働くのである。

 現場にはキッチンがあって、専任のシェフがいる。
 昨日からはタンドールが据え付けられた。(下写真)
 炭火竈だが、準備がタイヘンなのである。まず、盛大に焚き火をする。暖機運転だ。そうして竈を暖め、薪がおき火になったら準備完了だ。一時間ほどかかる。このタンドールで焼くチャパティは格別だ。

 今日はお客さんがいるので料理も特別だ。建築家のビジョイがフランスから十人ほどの人々を連れてきたのだ。南仏ニースで尼僧院をホテルに改造しようというプロジェクトのメンバー。ビジョイのクライアントだ。(このプロジェクトに当スタジオの布を使ってもらおうというビジョイの魂胆があるみたい…尼僧院だから合うかも)。それで今夜は奢ってタンドーリ・チキンだ。我々も滅多に口にしない料理である。
 まだ食堂もできていないから、焚き火を囲みながら総勢二十名超の多国籍野外パーティだ。(時差ボケの方向が逆なので、夜いつまでも元気なのがチト困るのだが…)





 

11月30日(月) インドの山野草

 今、新工房建築現場では、日本から女子が二人、ワークキャンプ参加者として働いている。
 今日の仕事は、山野草の採取と、その植え付けだ。

 現場から15kmほど山道を上ったところにあるイタルナ村。標高は約1100メートル。ここには先日も山野草採集に訪れている。
 この村は山の中腹にある典型的な山村で、棚田や段々畑が美しい。(写真右)。特産品はショウガだという。

 左上写真は作業に勤しむキャンプ参加者とドライバーのサンディープ。
 山上のヒンドゥー寺院のほかは何の変哲もない鄙びた山村。きっと来訪者も稀であろう。そんな所に忽然と外国人…それも地下足袋姿の日本人女子が二人現れ、雑草を引っこ抜いているんだから、村人にとってはさぞかし奇異な風景であったろう。(右手奥にこちらを観察する農婦たちの姿が)

 左中写真はそうして集めた山野草のいろいろ。シダ類とか、豆類とか。
 もともと農耕系の女子たちなので、まんざら嫌な作業でもなかったようだ。

 それを現場に持ち帰り、現地の農民スタッフとともに、さっそく植え付ける。
 まずは石垣の間。
 山野草は自然な感じが魅力なのだが、実際の移植は難しいようだ。
 やはり野に置け蓮華草…と言うが、はたしてどれほど根付くのであろうか。
 





 

12月2日(水) 日印瑞・左官の競演

 昨日、四国の讃岐から14名の来客がある。
 Makiともつきあいの古い高松『ギャラリーen』蓮井將宏さんと、六車工務店およびその関係者一行だ。新工房の建築現場に五日間ほど滞在し、いろいろ頑張ってくれるという。一行の中には、建築家、大工の棟梁、その弟子たち、左官、家具職人などいろんな人々がいる。

 現場にはスイスから左官職人のルディ親方が長期滞在し、漆喰関係の作業に携わっている。ビジョイがわざわざスイスから招聘した人だ。輪島などに三ヶ月ほど滞在したこともあり、日本にも縁が深い。
 今日の課題のひとつは、ギャラリーの壁をどうするかということだ。
 ギャラリーは石造りなのだが、内側は漆喰を塗ることになっている。主に布を展示するので、それにあわせ、白系の壁にするのだ。
 それで四種類ほどサンプルの左官仕上げをする。

 上写真、右端がルディ親方。下塗りの上に、非常に薄い漆喰を塗る。朝昼に一度ずつ、都合十度塗る。一度塗って乾燥すると石灰が結晶化する。半透明なので、それが多層化すると、深みが出るのだ。ドイツの手法だという。

 上写真の左側二人がインドの職人。インドの伝統的手法で施工する。非常に時間をかけて、丹念に塗り固める。宮殿などもこうして漆喰が施されるという。真ん中がベージュなのは、石粉を混ぜて色を出してみた。

 中写真・左端が、讃岐一家のひとり、左官の太田さん。まず下塗りをもう一度行う。というのも、適度の湿り気が必要だからだ。その後、一気に上塗りを行う。塗る時間はそれぞれ五分と手早い。
 インドの手法と対照させるため、上塗りは一度だけ。かなり濃淡があるが、下塗りが乾くと濃淡も薄まるという。もっと白くしたい場合、上塗りを重ねることもできる。
 太田氏によると、インドの漆喰は粘り気が少ないという。これには長短があって、長所は縮みや割れが少ないということ、短所は強度が少ないということ。

 夕方、ビジョイがムンバイから到着。試し塗りの様子を興味深く見ている。(下写真)
 讃岐一家とは今年の夏、日本で会っており、もうお馴染みだ。
 漆喰について、さっそくビジョイから讃岐一家にリクエストがあった。インドの素材で日本の漆喰を作れないかということだ。
 糊やスサをどうするか、頭の使い所だ。
 さて、ギャラリーの内壁がどうなるか、興味のあるところだ。

 そのほか、ビジョイからいろいろミッションを託され、忙しくなりそうな讃岐一家である。





 

12月4日(金) 左官の競演・その2/ギャラリー外壁

 一昨日、ギャラリー内壁の左官仕上げについてお伝えした。
 今日は外壁のサンプル塗りだ。
 やはり、印瑞日三国の左官がそれぞれの仕方で漆喰を塗布する。

 上写真、左端がインド、右側がスイス(ルディ親方)。
 下塗りの上に塗布するんだが、どちらも塗るというより、投げつけている。
 二者の違いは、スイスの方が、より大きな砂粒(というか微粒の石)を配合している点だ。
 投げつけだから、表面はかなりゴツゴツしている。きっと乾いたら擦って均すんだろうと思っていたら、そのままで終わりなんだそうだ。
 色の違いは土の配合比率による。

 中写真は讃岐の左官、太田氏。
 コテを使って塗布する。そして明日か明後日、剣山のようなもので掻き落として陰影をつける。
 色は前二者の中間くらい。

 ところで、川石を丸々使った石造りの佇まいがなかなか美事なので、私など、少なくとも外観はそのまま生かすのかと思った。
 その旨、ビジョイに聞いてみると、漆喰仕上げのほうが石のままより装飾性が少なく、品があって良いとのこと。
 ちょうど来gan中の建築家・丹羽貴容子さんや讃岐の棟梁・六車さんなどは、石のままの方が良いという意見だ。私ぱるばもどちらかと言うと、石のままが好きかなぁ。
 「あなたはどう思う」とビジョイが聞くから「石の方が良い。日本にはなかなかこういう建物はないから」と答える。
 が、ビジョイの言うことにも一理あるかな…
 真木千秋は、だんだんビジョイの好みに近づいてきたようだ。
 下写真は三様のサンプル塗り。
 石のままも含め、まだ最終決定はしていないようだ。
 みなさんはどれが良いかな?
 




 

12月5日(土) 日本左官の技

 これは昨日の続き。
 讃岐の左官・太田氏のサンプル塗布はまだ終わっていない。
 ある程度乾いた後、掻き落としをするのである。

 本日の昼ごろ、ちょうど良い乾き具合になったので、掻き落としを行う。
 掻き落としというのは、剣山のような道具で、塗布した漆喰の表面を引っ掻くのだ。
 漆喰の中には微粒の小石や砂が混じっているので、引っ掻くことによって微妙なテクスチャーが生まれるのだ。
 太田氏はこのような作業を想定していなかったので、日本から道具は持参して来なかった。(こっちに職人と煉瓦を積むツモリであった)
 スイスのルディ氏が日本のコテを持っていたので、なんとか塗れたそうだ。
 しかしながら剣山みたいな道具はなかったので、同行の大工さんに作ってもらう。(下写真)
 このような左官技法はインドやスイスにはないようで、みな興味津々で見ていた。
 日本では、角を1.2cmほど掻かずに残すのだそうだ。

 ただ、日本では石壁に漆喰を塗るという伝統はないという。
 太田氏の考えでは、石壁の下塗りは、スイス方式の方が食いつきが良くて好適であろうとのこと。今回、太田氏はコテで下塗りをしたが、ルディ氏は石壁に漆喰を投げつけていた。
 それゆえ、まず投げつけて下塗りをし、その上にもう一度塗り、そして本塗りをして 掻き落とすのが良いのではないか、というのが太田氏の感想。

 ともあれ、この仕上げはビジョイも気に入っていたので、採用の可能性あるかも。





 

12月6日(日) 大理石ルーフの行方

 みなさんが新工房にお越しの暁、いちばん長く過ごすことになるであろう場所。ギャラリー。
 生産に直接関係ない場所だから、工事が一番遅れている。
 …というか、楽しみに取っておくという気持ちもあるのであろう。
 過去三日の日誌では、その内外の壁サンプルについてお伝えした。

 屋根も決まっていない。ほかの建物はすべて屋根がつき、今やギャラリーのみ青天井だ。
 上写真がその現状。
 屋根の部分にジグザグ状に竹が組んである。これが当初の想定だ。
 屋根は大理石で葺かれ、障子のような柔らかい光が上から注ぐことになる。

 今、もうひとつ案がある。
 平らな屋根を作るというオプションだ。
 中写真にスケッチがあるが、こっちから見て手前が第二案の平屋根。壁の上辺からちょっと持ち上げ、平らな屋根を張る。これも大理石だ。

 大理石の屋根というと非常にリッチな印象だが、大理石の産地インドでは木材よりも安価なのだ。
 ビジョイが紙を折って第一案を建築家・丹羽貴容子さんや真木千秋に説明している。
 下写真は、その折り紙を陽光にかざしてジグザグの効果を見ているところ。

 さて、どちらが良いか。
 日本から来たゲストたちは、だいたいにおいて平たい第二案がお好みのようだ。メンテナンスも容易であろうと想像される。

 ビジョイはどちらかと言うと、当初の案に傾いているようだ。ポイントは光。
 平面だと差す光も単調だが、ジグザグ屋根だと時刻によって光に変化がある。
 左官ルディ(下写真・茶色シャツ)によると、言ってみればブリリアントカットのダイヤモンドなんだそうだ。

 さてこれもどうなるか。
 今日明日にも決めないといけない。

 
 





 

12月7日(月) 赤レンガ外壁の始末

 赤レンガの建物と言えば、日本のあちこちにも遺構が残っていて、観光名所になっている。
 ここ新工房現場も、ギャラリーを除いては、みな赤レンガの建物だ。使われるレンガの数は、ざっと25万個と言われている。

 レンガは近在の工場で焼かれている。原料の土はどこにでもある畑土だ。
 インドのレンガは、日本で市販されているのに比べると、粗製で脆い。それゆえ表面の始末は必要だ。このあたりの住宅もほとんどレンガ造りだが、壁は内も外もモルタルを塗る。

 二年前の着工以来、ずっと見慣れてきた赤レンガの外壁。自然な色だから私などは気に入っていたのだが、最終的には塗装されるという話だった。
 その最終形が、一昨日、やっと決まった。

 左の写真は入口に近い管理棟。
 一番重要度の低い建物(失礼!)なので、一番最初に着手され、いろんな試みがなされる。
 上写真の下部に、サンプル塗布の跡がある。
 塗料は、石灰、土、糊料(カゼインなど)、水、だ。
 配合を変えていろいろ試す。
 その結果、石灰7、土7、糊料1、の割合に落ち着く。

 昨夕、ルディ親方みずから、壁面の塗布を開始。(中写真・右側人物)
 左側で作業するのはワークキャンプ参加の中村直樹氏。塗布に先立ち、庇などを新聞紙で養生するのだが、その手際の良さにルディも感服。それもそのはず、直樹氏は本職の大工なのだ。
 竹の作業台がなかなか良い。

 下写真は一晩経って、乾いた姿。
 う〜ん、工房全体がこんなふうになるのか…
 ちょっと想像つかないが、きっとビジョイの頭の中には最初からこのような佇まいの建物が並んでいたのであろう。
 塗料に使われる土は現場の土だから、環境との親和性は高い。
 雨に濡れるとまた別色を呈するのであろうか。
 
 





 

12月8日(火) カフェの床

 みなさんが新工房にお越しの暁、もう一箇所、長く滞在するであろう場所が、カフェ。
 新工房にカフェ!? そんな話は初耳でしょう。
 じつは私も最近耳にしたのである。
 もともとは従業員食堂のつもりであったが、作っているうちに、これはなかなか素晴らしいから、ぜひみなさんにも利用してもらおう…ということで、カフェになりそうなのである。
 上写真がそのカフェ。今、スイスの左官・ルディ親方の指揮の許、漆喰で床を作っているところ。

 漆喰の床はコンクリートと違って手間がかかる。
 配合比率は石灰と砂が1対1。厚さは10cm。このくらいの厚さならヒビ割れしないんだそうだ。
 硬化するまで、具合を見ながら、時折、「叩き具」で叩き、ローラーをかける。
 この作業を始めてもう二週間になる。ローラーはこの現場のための特注品で、重さ70kgある。(現在100kgのものを注文中)
 この手法は、ヨーロッパでは古い教会建築に残っているという。ルディも帰国後には5世紀(ローマ時代)の教会の床を修復するらしい。

 下写真は、一足先に硬化した水場の床。そういえばなんとなく教会っぽい雰囲気でしょう。奥の藍部屋が内陣のよう。

 というわけで、みなさんが新工房カフェにお越しの暁には、チャイやカレーばかりでなく、漆喰の床もとくと味わってほしいものだ。





 

12月9日(水) ゲストルーム「端切れも使いよう」

 新工房にはゲストルームもある。
 あなたが当スタジオと抜き差しならぬ関係になると、宿泊することになるかもしれない。
 敷地の最上部、全体を俯瞰する眺めの良い場所に位置している。(左上写真)

 今、内部の工事中だ。
 レンガの内壁の上に、漆喰を塗って乾かしているところ。この上に仕上げ塗りをする。
 奥にバスルームがあって、今、配管工のスニル君がバスルーム工事の最中だ。(左中写真)

 テラスは石造り。西部ラジャスタン州産の砂岩を使っている。(右写真)
 注目すべきは、その床面。
 様々な大きさの石を使っている。その表情が誠に美しい。
 実はこれ、同じ砂岩の廃物利用なのだ。
 この砂岩は現場のいろんな場所に使われているが、その切れっ端を丹念に並行配置している。

 こうした端切れは、現場に設置された石切場から発生する。(左下写真)
 今、日本から建築家の福原正芳氏が当地を訪れているが「現場に石切場があるなんて!」としきりに感嘆していた。日本では石造の建築物自体珍しいから、まして石切場など滅多に無いのであろう。インドでは石材の方が木材より安価なので、この規模の現場にはよく石切場が設置されるのだそうだ。スイス左官のルディ親方も「このシステムは賢明だ」と言っている。
 石切場は現場で最大の騒音源。今まで単にウルサイとしか思わなかった施設であるが、インドならではの重要な現場ユニットだったのだ。(でも早く終わってほしいが…)

 Maki布もそうだが、端切れも使いようである。





 

12月10日(木) 夜の現場

 今、夕方の6時。
 空はまだやや明るい。このあたりはインドでも西部にあるし、緯度は屋久島くらいなので、東京などより日は長い。
 外気温は16℃。これも東京あたりよりかなり高いであろう。
 ということもあって、現場は夜の7時まで稼働している。
 インド各地から出稼ぎで来ている職人たちも多いので、少しでも早く仕事が進めばお互いに有難いわけだ。(もちろん残業代も払われる)

 インドの職人ばかりではない。
 中写真、大工聖ヨセフみたいな人は、日本の建築家・福原正芳氏。じつはこの人、当スタジオスタッフ大村恭子の夫君なのである。新工房建築の様子を見たいということで、はるばる妻子ともどもインドに渡ってきたのだ。
 見るだけではなく、みずから作業に投じるあたり、建築家の鏡ではないか。
 福原氏、宵闇の中、主工房の天井に渡す垂木の塗装に没頭している。

 その主工房は、屋根がついて、今、作業場のようになっている。
 その作業場で、灯火のもと、進められているのが、家具調度の製作だ。
 下写真は昨日のものだが、讃岐の木工職人・山地氏も参加。工房の作業台を製作している。
 氏の属する六車工務店の主力部隊は、ヒマラヤ山中の建築を見に四日ほどインド北西部を旅行。昨日午後、当現場に無事帰還したのであった。

 そして、夕食は焚き火を囲んでインド料理。(右写真)
 メニューはだいたい、豆カレーとサブジ(野菜料理)、ライタ(ヨーグルトサラダ)、および米飯のベジタリアンだ。





 

12月11日(金) 東司の次第

 成田空港の第二ターミナル連絡通路にはギャラリーTOTOというのがあって、すごくお洒落なトイレが並んでいる。今年、日本トイレ大賞を受賞したそうだ。
 同じTOTOが運営している乃木坂のギャラリー間では、三年前、建築家ビジョイ・ジェインの展覧会が開催されている。
 そのせいでもあるまいが、ビジョイは、新工房トイレについて、「日本のクオリティ」を盛んに強調していた。
 さて、そのトイレは今どうなっているか。

 新工房の公共トイレは三つある。
 ひとつはゲスト用。これは男女共用だ。
 そして、スタッフトイレ。男女ひとつずつ。

 上写真がゲストトイレ。これは皆さんなど、工房の来訪者向けのトイレだ。
 タタミ一畳ほどの小さな空間で、下部は石。上部は漆喰だ。石は床と壁部分が別種の砂岩。ともにラジャスタン州産で、壁部分の砂岩の方がキメが細かい。
 壁上部は漆喰の下塗りが終わり、その上に仕上げ塗りが施される。
 きっと長居したくなるようなcozyな空間になるのではあるまいか。

 下はスタッフ用女子バスルーム。トイレやシャワー室、洗面台が設けられる。
 下部の石はゲスト用と同じく二種類の砂岩。今、職人がキメ細かい砂岩に磨きをかけている。
 壁面は漆喰の上にタイル貼り。職人背後・両側の個室出入り口は大理石製だ。
 ゲスト用がいっぱいだったらこちらに入ってもOKかな。

 まあしかし、トイレというのは、造りも大事だが、メンテもしっかりしないとな。管理者およびスタッフの奮励努力が求められるところである。


 

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