絲絲雑記帳

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0/「建設篇」




 

6月29日(水) 草原の菜摘み

 朝、菜を摘むラケッシュ君。
 草原のように見えるが、これは私ぱるばの畑である。
 今6月にインドに行っているうちに、すっかり草原と化してしまったのだ。
 普通なら草刈機(下写真参照)で刈り払うのだが、そういうわけにもいかない。
 大事な菜っ葉が交じっているからだ。
 それは香菜。コリアンダーともパクチーとも呼ばれる。

 明後日から開催の「夏の布・衣」展に向け、私ぱるばは四月に香菜の種を蒔く。
 それが発芽して、成長し、そして、草にまみれてしまったというわけ。

 インド料理に香菜は必須だ。しかし、当地みたいな田舎では、たいして需要もないから、あまり売っていない。売っていたとしても、やけに高価で、鮮度もイマイチ。
 そこで自家栽培が欠かせないのだ。

 今回のメニューは、お馴染み、南インドの人気料理「マサラ・ドーサ」。
 ドーサに中に包まれるジャガイモカレーと、付け合わせの薬味「コリアンダー・チャツネ」に、この香菜が使われることになる。
 請うご期待!
 




 

6月25日(土) 苧麻を苅る

 一昨日、日本に戻った私ぱるば。(インドからの帰国は相変わらず一筋縄には行かないのはこちらを参照)。
 成田に着いてみると、日印どちらも雨季のせいか、それほど温度差・湿度差を感じない。

 一月近く放っておいた拙畑は草ボウボウ。藍も雑草に蔽われている。
 その救助も必要だが、来週末からは竹林で「夏の布・衣」展だ。
 ゆっくり休む間もなく、その準備に追われる。
 弊社CYO(チーフ用務おじさん)の私に課せられた任務は、まず草苅。
 高温多湿の中、六百坪を超える敷地の手入れはけっこう大変である。
 左写真は、裏側の斜面。ここには苧麻が群生していて、今まさにそれを刈り払おうとしているところ。
 苧麻糸は今回の展示会出品作(ストール)にも使われているが、それは沖縄で栽培された苧麻(からむし)だ。
 竹林敷地に自生するのは「野からむし」といって、糸は取れるが、残念ながらストールに織り込めるような繊細なものではない。

 ともあれ、どこのお宅もそうだろうが、お客さんを迎えるとなると、ぐっと環境が改善されるものだ。(しばしの間は!?)


 

6月19日(日) ギャラリーの外側

 新工房でいちばん手のかかっているであろう建物、「ギャラリー」。
 来訪の皆さんをお迎えするべく、敷地の前面に鎮座している。
 
 このほどやっと、外側がほぼ完成する。
 左上写真は、後方から見たところ。
 屋根が特徴的だ。ギザギザ型で、峰が五つ、谷が四つ。(逆でないのはおそらく採光の関係か)
 インド西部ラジャスタン産の白大理石が張られ、それを通して柔らかい光が内側に採り入れられる。(内側から見た様子はこちら)
 
 左中写真が、ファサード(前面)。
 壁面塗装がやっと終わったところで、職人が仕上げの掃除をしている。

 昨年12月に、インド・スイス・日本、三国の左官競演があった。そして、それぞれの手法で、ギャラリー内壁および外壁の塗装サンプルを作製したのであった。
 右下写真はそのときの模様。左端がインド左官、真ん中の茶色がスイス左官、右端が日本左官のサンプル(まだ未完)だ。

 結局、外壁塗装については、インドとスイスの折衷という感じか。
 すなわち、やや粗めの砂利を配合した漆喰を、壁面に投げつけるという工法だ。

 左下写真が、前面の拡大写真。
 粗めの砂利を入れているから、ゴツゴツ感がいっそう際だつ(スイス方式)。
 色はベージュだ。

 ギャラリーがあるということは、ここに来て良いということだ。
 完成の暁には、皆さんにもどんどん来てもらいたい。
 そのためにスープリア(ラケッシュ妹)も二年間、日本に滞在して日本語を勉強したわけだし。(私が居ればその辺をご案内もできるし)


 

6月17日(金) 謎の鉄棒

 染織工房には、余所では見られないような構造物がいろいろある。
 たとえば、染色棟の前にある「鉄棒」。よく小学校の校庭にあるようなものだ。(左上写真)
 しかし、この「鉄棒」で逆上がりをしようとしても、まず無理。
 棒が固定されていないから、クルクル回るし、下手をすると外れてしまう。(それにアナタには小さすぎよう)

 この「鉄棒」は、染色設備だ。
 たとえば、糸カセを染色した後、棒を外してカセを通し、もう一本棒を通して捻る。そうすると良く絞れるのだ。(右写真)
 その後、捻れを元に戻して、パタパタと糸カセをしごく。そうすると空気が入って、キレイに分離する。左下写真の下方、整地している作業員が、なるほど〜、こんなふうに使うんだ、と感心している模様。
 出来たての設備、というか、まだ完成途上だ。ホント言うと、このような金属棒ではなく、竹を使いたいところ。

 そしてこの「鉄棒」の自慢は、支柱がビルワラ石(石灰質砂岩)だということ。
 まあ頑丈であれば何でも良いんだが、ここはやはりこだわって、染色棟本体の部材と同じ石を使っている。

 今、染師ディネッシュが染め上げたのは、上州・赤城の節糸。
 ヘナを使って薄灰褐色を出すが、たまたまこれも本体の色と似通っている。
 


 

6月16日(木) 青いマンゴーの秘密

 新工房敷地の一部は、かつて果樹園。
 マンゴーとジャックフルーツの樹がたくさんある。
 インドでは、果樹と言えども伐ってはいけないので、みなそのまま残してある。
 夏六月ともなると、マンゴーもすっかり大きく実っている。

 大きく実ってはいるが、ずっと青いまま。早く自家マンゴーが食べたいものだと毎日眺めているのだが、なかなか熟してくれない。
 たまりかねてラケッシュ君に相談する。

 マンゴー大好きな私(ぱるば)としては、「樹からもぎたて食べ放題」というのを夢見ていた。しかし、どうもインドではそうならないらしい。
 青いうちに収穫するのだ。バナナなども同じで、その方が長持ちするという。

 写真は今朝のgangaマンゴー園。
 私を哀れんだラケッシュ父と姉二人がマンゴーの収穫に勤しむ。
 樹が矮性なので、収穫も楽だ。
 三人で三十分、たちまち百s超の収穫がある。
 昨年は2トンの収穫があったそうだ。きっと一斉に熟すんだろうから、いったいどうするんだろ!?

 リンゴやブドウと同じく、マンゴーにもいろんな品種がある。
 ここデラドン地区は、デセリという品種の名産地だ。
 当gangaマンゴー園もみなデセリ。
 デザートが語源だというこのマンゴー、その名の通り、小味で甘みの強い品種だ。一度食べたら病みつきになりそう。

 青いうちに収穫し、それを藁と新聞紙で蔽って(下写真)、暑いところに置いておくと、一週間くらいで黄色く熟する。
 もっと早く食べたい時には、カーバイドを入れる。すると三日で熟す。

 青いマンゴーは漬物にもよく利用される。(インド航空に乗ったら必ず出る)。
 また、獣害対策もあるのだろう。樹上で熟したら、鳥や猿が食べ放題だ。

 というわけで、みなさんも、来年6月末あたりに訪ねてこられたら、いくらでもタダで御馳走いたそうと思う。なにしろ2トンもあるのだから。

 


 

6月15日(水) 北インドの走り梅雨

 インドにも雨期がある。
 「モンスーン」と呼ばれ、日本と同じく場所によって時期が違う。南インドや東北インドは既に雨期入りしているようだ。
 ここ北インドのデラドン地方では、平年の雨期入りが6月22日くらい。

 今朝は朝から空がどんより雲っている。
 梅雨の走りみたいなものだ。日本だとちょっと寒く感じたりするものだが、ここインドでは非常に心地いい。連日35℃を上下する最高気温が、今日など一気に下がって27℃台!(午後3時現在)

 当然のことだが、インドでも気候に従って生活が営まれる。
 たとえば、当地では、雨期入りにあわせ、田植えをする。
 上写真がウチ(旧工房)の前の田んぼ。田起こしが終わり、苗代では稲苗が育ち、あとは雨を待つばかり。
 そして、写真を拡大するとわかるが、男たちが二人、立木に斧を入れている。
 インドでは山林・自家を問わず、木を伐るのは法律で禁じられている。白昼堂々その禁を犯しているので、どうしたのかと隣家に聞くと、「インコがとまるから」だという。インドには緑色の「ホンセイインコ」がたくさん棲息している。それが米や麦の大敵なのだ。スズメなんてもんじゃない。穂が稔る頃、群れを成してやってきて、穂ごと持って行く。その巣窟というか出撃拠点となるのがこの立木らしい。あわれ、この写真の5秒後、木は音を立てて前方に倒れるのであった。

 下写真は今朝の新工房。
 こちらは雨模様だ。やはり山裾のせいか、雨量が多い。そして一雨ごとに、緑が濃くなる。斜面が多いので、早く草に生えてもらって、地面を固めてほしい。
 小走りにやってくるのはラケッシュ君。一週間後には日本に「帰国」して、7月1日からの竹林イベントでまた腕を振るうことになっている。
 右側に見える奇妙な建物については、また明日あたりお伝えしよう。


 

6月13日(火) 藍シャドー

 藍というのは日本では特に人気のある色だが、インドにとっても特別に縁のある色だ。
 そもそも、藍は英語でインディゴと呼ばれるのである。かつてこの国の主要輸出品であったことを物語っている。
 インドの藍は、マメ科の低木で、別名「木藍」とも呼ばれる。
 しかしながら、現在、インドで使われている藍の99.9%は石油化学製品「インディゴ・ピュアー」であろう。
 今でも僅かながら(おそらく数軒)、天然のインド藍が生産されているが、そのひとつが、先日も触れた南インド・タミルナドゥ州の藍工場だ。

 新工房は自然なベージュを基調としているが、今回ビジョイは盛んに藍を使い始めた。
 先日(6/9)ご紹介したギャラリー天井の鉄材上塗のほか、木部にも藍を塗装している。
 上写真はキッチンの引き出し。木部に白く下塗りをして、その上に藍塗料を施す。藍塗料は藍とラック(白蝋!?)を混ぜたものだ。
 木の上に直に藍を施すと、茶色+藍色で黒色になってしまう。それで白を下塗りするのだ。
 同じ理由で、インド藍のパウダーではなく、藍瓶の中で発酵沈殿している藍を使う。その方が青味が強いのだそうだ。

 中写真は、第一工房の窓枠を藍で塗装しているところ。
 インドの女子は子供のころからよくアイシャドーをするが、何となくそれを彷彿とさせる。

 ビジョイが藍塗料に注目したのは、下写真のコット(簡易ベッド)からだ。
 これはインドではお馴染みの家具で、軽いから家の内外に持ち出して、その上でくつろいでいる。
 ビジョイが竹でコットの外枠を作ってきたので、真木千秋がその上に藍を施し、軽く磨きをかけた。
 その上に木の繊維であざなった紐を張ったところ、その色の対比が美しかった。
 それでベージュの基調に藍でアクセントを、ということになったのであろう。

 ついでに自身のロマンスグレーを藍に染めたいとかのたまっておったが、今回は果たせずじまいであった。

 


 

6月11日(土) バンブーマン

 今回、建築現場に来て、ひとり見慣れない職人が働いていた。
 現場労働者を全員見知っているわけではないが、この男、ちょっと目立つ。
 ルンギを巻いているからだ。
 ほかの男たちはみなズボン着用だ。その方が働きやすい。
 ルンギは涼しく、私ぱるばもときどきルンギで現場に行くが、あまり活動的とは言えない。
 ところがマクルーという名のこの男は、ルンギ姿で平気で足場に上ったりする。
 しかも足はゴム草履だ。

 マクルーは竹の職人である。
 遠く、インドの東部、ベンガルからやって来た。
 ベンガルは竹の使用が盛んだ。だから竹の職人もたくさん居る。そして、当現場で使われている竹も、ベンガル産だ。

 今まで竹は足場くらいにしか使わなかったが、工事も終盤になって、竹を建材として使ったり、細工するようになった。たとえば、庇とか。
 そこで竹職人を呼び寄せたというわけ。

 バンブーマン・マクルーは、ナタを器用に扱い、竹を料理する。
 軍手なんぞも使わない。(上写真)

 今日の仕事は、「ヨシズ」づくりだ。
 夏の強烈な光をさえぎるための、窓蔽いだ。
 日本だったら近所のホームセンターで手軽に買えるが、ここインドの田舎にそんな便利なものはない。それに、ときおり発生する暴風に飛ばされてもいけない。
 日本のヨシズを知っていたビジョイは、昨日、編まれたランタナ材(昨日の欄参照)を目にして、これをヨシズとして使おう♪と考えた。
 そこでバンブーマンを動員し、編んだランタナを竹材で成型したというわけ。(中写真)。

 下写真ができあがった試作品。
 着想から一日後にできてしまうのがスゴいところ。
 ランタナはかなりしっかりした「木材」であるから、ヨシズみたいに巻くわけにはいかない。そもそも、かなり重たい。だから暴風にも耐性があるであろう。
 また、ただ置くだけでなく、庇に取り付けた竹製の固定具に嵌め込む方式を採るようだ。それで両側の竹脚をもう少し細くしたほうがいい…と下写真のビジョイは職人たちに指示しているようである。
 ヨシズいやランタナズが邪魔になったら、まとめて出窓の横に重ねておく。
 背後の山、緑の木々を取り巻く褐色のモワッとした部分が、ランタナの海である。つまり素材はいくらでもある。(竹もあるにはあるが、使えるかどうか不明)



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6月10日(金) 敵材適所

 新工房には幾つかの建物があるが、中心となるのは製織工房。機や整経機が置かれ、布が織られる場所だ。
 写真1が、その製織工房。中庭を囲んで、型の建物が四つ連なる。屋根がくっついているのでわかりづらいが、右上が第一工房、左上が第二工房、左下が第三、右下が第四だ。

 写真を拡大してもらうとよくわかるが、このうち、第二だけがまだ道半ばである。
 外向きの壁だけは他工房と同じく煉瓦でできているが、内向きの壁と屋根がまだない。それ以外の3工房はだいたいできあがり、既に稼働している。
 この第二工房は、ある意味、新工房の心臓部をなすもので、真木千秋のデザイン室や、整経機、地機(じばた)などが収まることになっている。そこでビジョイもこの工房についてはいろいろ考えを巡らし、最後まで残ったというわけだ。彼としては竹など植物素材で作りたいらしい。
 今回の来訪で最終決定をしてもらわないといけない。我々としては工期も予算も大幅超過してるし、もうこの際、堅実な線で、鉄骨+石屋根にしようか、と考えていた。

 そして、昨日、ビジョイの提案には驚いた。竹とランタナで作ろうというのだ。
 ランタナ!? それは初耳だ。なにそれ? と聞くと、人夫頭のサンディープが塀を乗り越えて採ってきた。
 写真2でビジョイの手にしているのがそれ。ヒマラヤ山中にあるサンディープの村では、編んで壁などによく使うそうだ。
 実は先日ベネチアで開催されたビエンナーレ 国際建築展 (2016)でも、ビジョイはランタナで作った作品を展示している。

 しかし、このランタナ、私ぱるばの敵(かたき)だったのだ。
 敷地の裏山に密生している低木で、茎というか幹には小さな棘がいっぱいある。私は写真撮影などのため時々裏山に登るのであるが、そのたびに肌や服を引っ掻かれる。
 ものの頁によると、この植物は南米原産で世界最悪の侵襲植物に数えられるそうだ。
 塀を乗り越えなくても、ちょっと油断しているとウチの敷地内にも生えている。
 写真3がそれ。花はわりかし可愛い。栽培されることもあるようだ。花色が黄色からオレンジ、ピンクなどに変わり、日本語では「七変化」と呼ばれるらしい。
 しかしインドでは「牛も食わない」嫌われモノだ。

 この低木の幹を使うというのだから、妙案である。
 今日さっそく、労働者たちが裏山からサンプルを採ってきた。
 インドでは山林からの木材伐採は厳禁だが、この侵襲者は例外だ。(実際、高木が違法伐採されるのでランタナが跋扈する)。それゆえ、材料費はタダ。(というか、かえって歓迎される)
 幹の太さは1cmくらい。長いのは2m以上。柔軟だが、かなりしっかりした素材だ。それを村のやりかたで 編む。(写真4)
 手前は皮を剥いて編んだサンプル。村人たちは継いで皮を剥かないサンプルを作っている。そのほうが長持ちするという。
 そのほか、ヨシズのように糸で編む方法もある。
 目を詰める場合には、牛糞と石灰を用いる。

 ビジョイはこれを第二工房の壁に使おうと考えているようだ。柱は竹で、屋根も竹あるいはこのランタナになるらしい。
 また、第二以外の製織工房も、夏場の防暑に天井が必要だということで、このランタナを天井材にしようと考えている。
 また、このランタナをヨシズ代わりに使おうという発想も。

 というわけで、懸案の第二工房建設は、はるばるベネチア経由でやってきた身近なモノ、というか、敵対的なモノを有効利用するという、痛快な展開を見せ始めている。
 
 


 

6月9日(木) ギャラリーの内側

 昨日から建築家ビジョイ・ジェインが新工房の現場に来ている。
 先生が自分の目で見て決めないといけない部分が多々あるのだ。
 そのひとつがギャラリーの仕上げ。

 右上写真はギャラリー内部。手前の人物はビジョイ(左)と真木千秋(右)。
 職人が天井にひとり、そして壁面にひとり。

 屋根は大理石が張られ、あとは支持部の鉄材を上塗りするだけだ。
 その上塗りに、ビジョイは驚くべき色素を使う。インド藍だ。
 左上写真、手前にインド藍粉末の袋が見える。南インド・タミルナドゥ州で生産されたものだ。
 その藍を溶剤に溶かし、上塗りする。半透明の大理石との対比で黒っぽく見えるが、キリッと締まった感じになる。(左上写真)
 この鉄材の上塗りについては、漆を塗るという案もあったが、藍に落ち着きそうだ。

 そして、内壁。石壁に上塗りする素材は、石灰、砂、土、小石で、二層塗り。
 一日おいて半乾きの状態で、剣山でこする。(左中写真)。これは昨年末、讃岐の左官・太田氏に伝授された手法だ。
 まだサンプルの段階だが、おそらくこの仕上げが採用されるだろう。

 更に床。
 当初は漆喰という案が有力であったが、昨日あたりから石が浮上。
 そこで今日は石を床に置いてみる。
 インド西部ラジャスタン州に産する石灰質の砂岩だ。
 石の表面に蜜蝋も施してみる。
 その上に昨日染めたウール糸を置いてみたのが左下写真。
 「まるで宝石箱のよう」とはビジョイの言。

 これで決定し、手際よく進めれば、内部に関しては月内ないし7月第一週には終わる…というのが目下の算段である。
 
  


 

6月8日(水) 炎立つ あるいは グドリの到来

 今日は新工房・染め場の初稼働だ。
 カマドの様子を見ようということで染めを試みる。
 カマドは煉瓦と土で作った伝統的なものだ。

 染材はマリーゴールド。この花はインドの祭事に多用されるので、いくらでも手に入る。(左上写真)

 今日はウールを染める。秋冬のストールに用いるものだ。
 マリーゴールドはミョウバンの媒染で鮮やかな黄色を染める。(左中写真)

 干し場は染め場の外、庇の下だ。(左下写真)
 庇は竹で出来ている。シンプルな構造であるが、先日の暴風にも耐えた頑丈さである。
 この庇下は陰干し用で、日向の干し場はこの屋上になる。

 旧工房の染め場に比べて、かなり働きやすいはず。
 広々していて、設備も整い、屋根も石造りで涼しい。
 染師ディネッシュもきっと嬉しいことであろう。(控え目な男なのであまり表現はしないが)

 夕方近く、真木千秋が歓声を挙げる。
 何かと思ったら、グドリが到着したのだ。インドの刺子である。(写真右下)
 織師サジャッドの村に頼んでおいたものだ。
 遥か遠方、インド東部・チャッティスガール州にある小村で、サジャッドの奥さんカディジャが中心になって刺している。
 このグドリは7月1日から竹林で開催する「夏の布・衣」展、呼び物のひとつ。ところがあまりに僻遠の地なので、なかなか到着せず、ために展示会の日程も変更と相成ったほどだ。
 それが今日、やっと届いたというわけ。
 待った甲斐があって、なかなか良い出来栄えである。
 真木千秋も嬉しそうであった。
  




 

6月7日(火) 先進的染織施設

 インドの工芸やファッションを扱うネットマガジン「BORDER & FALL」に、ganga新工房プロジェクトが紹介されている。タイトルは「先進的染織施設・パートV」。インド国内の「注目すべき染織施設」を巡る三回シリーズの掉尾を飾るものだ。
 真木千秋と建築家ビジョイ・ジェインのインタビューが中心の英文記事である。なかなか興味深いので、英語の勉強も兼ねて一読していただくと宜しかろう。
 冒頭の紹介文はややとっつきづらいが、要するに、これら施設は同国の手工芸産業において、その在り方や造りが先駆的だということだ。ザッと読み流せばいい。

 真木千秋のインタビュー部分は、中身ももう皆さんお馴染みであろうし、もともと日本人の語ったものだから読みやすい。
 ビジョイはほとんど英語ネイティブだから表現もちょっと難しいのだが、頑張って読んでみるといろいろ面白いことを言っている。彼がなんでこのプロジェクトに入れ込んでいるのかというと、彼にとっては「施主がこうした作業に非常なこだわりを持って参画しているのが大切」なんだそうだ。う〜ん、確かにお互い、すごいこだわりようではある。(だからなかなか完成しない)
 真木千秋分の結びは以下の通り — 「手仕事を通じ、そして自然と調和した生き方を通じて、地域や広く世界の人々の福祉に貢献したいと願っています」

 英文はまったくダメという人向けに、グーグル翻訳でやってみるとこうなる。囲碁や将棋に比べ英語がいかに難しいかよくわかるが、全体的な雰囲気はなんとなくうかがえる。真木千秋部分は言い回しも素直なのでわりかしイイ線行っている。
 スタジオ・ムンバイによる写真も美しい。





 

6月6日(月) 夏の布を織る

 ひと月ほど先の7月1日(金)〜7月7日(木)、武蔵五日市の竹林shopにて「夏の布・衣」展がある。(当初は6月23日〜30日と当HP上では告知していたが、変更になったのでご注意!)

 新工房では、その展示会に向けて、夏の布がいろいろ織られている。
 なにしろこっちは日本に先んじて夏の真っ盛りなので、「夏の布」を織るにしても臨場感がある。
 採れたての新鮮な布をみなさんにお届けすべく、スタッフ職人一同、奮励努力の日々である。

 第3工房の半分は、タテ糸づくりの場所になっている。(上写真)
 今、真木千秋がいちばん長く時を過ごす場所だ。
 ここはまた新工房の中でもとりわけ暑い場所で、「雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ丈夫ナカラダ」を持っていない真木千秋にとっては、さだめし辛い仕事環境であろう。しかし、過渡期の今はそんなことも言ってらず、毎日タテ糸づくりに励んでいる。(夕鶴を思い出させる!?)
 漆喰の床がひんやりと、裸足に気持ち良い。
 いちばん年若のスタッフ・シャバーズ君を相手に作っているタテ糸は、織師タヒール用の「夏の布」。ベースが淡黄色で、そこにグレーや白、ムガ蚕糸などが入った薄地のストールだ。

 お隣、第4工房のとっつきには、織師シャザッドの機が鎮座している。上記シャバーズ君の父親だ。(中写真)
 彼の機にあるのも「夏の布」。久方ぶりの白と黒の「綾太ストライプ」ストールだ。その白と黒の中に、淡い藍やグレーを混ぜている。
 真木千秋とはもう二十数年の付き合いだから、お互い気心は通じている。「ちょっと糸が太いねぇ」といった言葉が交わされている模様だ。

 同じ第4工房、ひとりおいて織師タヒールの機がある。この人も真木千秋とは十数年のつきあいだ。真新しい工房に移ってから、服装もなんとなくパリッとしているタヒール君である。(下写真)
 こちらの機にかかるのも、やはり「夏の布」。黄繭ストールだ。表題の黄繭糸のほか、マリーゴールドで染めた糸など、鮮やかな黄色がベースのストールだ。
 このタテ糸が終わったら、上写真の淡黄色のタテ糸がかかる予定。
 
 「夏の布・衣」展には、布や衣のほか、竹林カフェでは南インド料理「マサラドーサ」、tocoro cafeの珈琲&アイスクリーム&スイーツ、ティモケのサモサなど、お楽しみもいろいろ。
 ぜひお越しのほどを!

  


 

6月5日(日) 新工房のカフェ

 新工房には、一般開放(予定)の場所が三つある。
 ギャラリーと、トイレと、カフェだ。
 ギャラリーは目下、鋭意工事中であるが、トイレとカフェはほとんど完成している。

 上写真がそのカフェ部分。
 もともとスタッフ食堂として計画したのだが、なかなか美しく出来上がったので、来客用のカフェにしちゃおう! というのが最近の情勢である。

 このカフェスペースが、昨日から、現場の設計事務所になっている。
 今までの事務所はトタン張りの仮設で、今となってはいささか暑い。そこで我々も含め、みんなで引っ越して来たというわけ。
 前方は工房メインストリートに面し、後方は田園風景が山裾まで広がる眺望絶佳の立地。室内の温度計は34℃を示しているが、絶えず風が吹き抜けるため扇風機も不要なほど快適だ。早くここに越してくれば仕事も捗ったろうに!?

 今、スタジオムンバイの若い建築家四人が、ここをベースとして仕事に励んでいる。
 中心となるカルティック君(下写真・右側)は、今、居眠りの最中。明日、大先生のビジョイが当地ご来駕となるので、その準備もあってほとんど不眠状態なのであろう。カルティックの後方にはタンドール(炭火竈)もできている。

 カフェオープンの暁には、ここでチャイや珈琲、インド菓子などが供される予定なので、みなさんも是非どうぞ。


 

6月4日(土) 遺跡の幼子

 非情な暑気もやや和らいだ北インドの日暮時。
 とある遺跡で遊ぶ幼子。
 キミは憶えているだろうか — ここにはかつて地機(じばた)のおウチがあったのだよ。

 一週間ほど前のとある夕刻、突如、熱帯性の嵐が襲来。
 おウチはあっけなく倒壊する。
 あわれ、一年半の命であった。(下写真)

 それにも増して瞠目すべきは、その二日後。
 隣家の主婦たちがやってきて、屋根の藁をぜんぶ持ってったのである。
 それも、頭に載っけて。
 自家の牛たちに食わすのだそうだ。端倪すべからざる牛への愛!
 柱や梁はもれなく薪になる。

 どこかの国だと、災害のガレキ処理は大問題である。
 ところが、地機のおウチなど昔ながらの構造物は、ガレキになってもお役に立つという話。
 まあ、それにしても、暑気といい、嵐といい、夏の北インドはタイヘンだ。(果物類は最高だが)




 

6月3日(金) エキゾチックな皿うどん

 ganga工房はイスラム教徒への依存度が高い。
 インド中世の詩聖カビールもそうだったが、織工などの職人には同教徒が多いからだ。
 新工房が曲がりなりにも稼働を始め、織師も必要となってきたので、最近新たに加入したのが、サラウディン。インドに多いスンニ派のイスラム教徒だ。(写真左端)
 まだ38歳なのだが、そのいでたちがかなりエキゾチック。クルタにパジャマというインド伝統衣裳の上に、長いアゴひげとイスラム帽子。ラケッシュ君(写真右端)のような今どきインド人を見慣れた目には、アラビアンナイトみたいなちょっと異質な風情だ。スタジオにはシャザッドを始め何人もイスラム教徒がいるし、建築職人にも同教徒は多いのだが、このサラウディンみたいのはなかなか居ない。
 真木千秋によってウール&シルク生地織成の仕事を与えられ、織り上げた最初の部分をチェックしているところ。多少の問題は見られたが、真木千秋によると最初としては上出来だとのこと。
 今後の精進を期待する。
 





 

6月2日(木) 茘枝月

 私ぱるば、昨夜インド着。
 デリー空港から車に乗って、ここganga工房に到着したのが今朝の1時半。武蔵五日市の自宅を出て24時間近くの旅であった。
 六月と言えば、北インドで最悪の月だ。気温が高い上、湿気が加わり、不快指数がピークとなる。

 にも関わらずなぜわざわざこの月に来印したかと言うと、茘枝(れいし)が実るからだ。インドではリチと呼ばれるこの果物、当地ウッタラカンド州の名物である。(上写真)
 六月の声を聞くと同州のあちこちで赤く色づき、それこそ浴びるほど食べられる。インドで果物の王者といえばマンゴーだが、六月に関する限り、茘枝がそれを凌駕するであろう。

 さて当地では、真木千秋始め、Makiスタッフが四名、仕事に励んでいる。
 下写真、タテ糸を作る真木千秋。場所は新工房だ。
 まだ完成していないのだが、もう待ちきれず、先月中旬から押し掛け的に移動を開始したのである。
 より良き労働環境を目指して苦心惨憺してきた建設工事であるが、いざ稼働を始めてみると、通勤に時間がかかるだの敷地が広すぎるだの、まあみんな好き勝手なことを言って真木千秋をガッカリさせているようである。
 どこの国でも同じだが、習うより慣れろ、住めば都、であろう。
 




 

5月31日(火) 藍の定植

 朝、スープリアと二人で藍の定植。
 例年六月に入ってからの作業なので、チト早いかと思ったが、明日から私ぱるばはインドなので本日挙行。昨日たっぷり雨が降ったので、ま、ちょうど良かったかも。

 このスープリア嬢、ラケッシュ君の妹で、当家に居住して二年になる。
 その間、日本語ならびにテキスタイルを学んだのであった。
 あと一月ほどで離日するので、その前に染料植物の栽培をチト経験してもらったというわけ。

 インドのganga新工房もなし崩し的に操業が始まり、スープリアも帰国早々から活躍が期待されている。
 新工房の敷地には藍畑もあるから、しっかり管理してもらわねばならない。
 インドの藍はマメ科の多年生木本であり、日本の蓼藍(タデアイ)とは違うのであるが、ま、何かの参考にはなるであろう。
 




 

5月26日(木) 双葉より青し

 順調な生育を見せていた藍の苗であるが、ここのところ異変が!!
 葉が枯れ始めたのである。
 おそらくは先週来の日照りと異常高温のせいであろう。
 そこであわてて水を遣り、やや回復の徴候が。

 ところで、藍の枯葉には顕著な特質がある。
 枯葉は通常、文字通り「朽葉色」を呈する。つまり褐色系だ。
 ところが、藍草ばかりは違っている。青っぽいのだ。かなり異様な風景である。
 左写真、私の指先を始め、青い枯葉が散見されるであろう。
 きっと古人もかかる異景に接し、この葉っぱには青い色素があるのかも!?と推測し、藍染めが始まったのであろう。

 「栴檀は双葉より芳し」という言葉があるが、藍草も双葉より青し、というわけだ。
 これを見ると、この草は蓼(たで)ではなくて確かに藍草だ、とわかるのである。










 

5月17日(火) ヒマラヤの敢行鳥

 昨5月16日、ここ武蔵五日市の山野にホトトギスの鳴き声が響き渡る。
 人の世は移り変われど、毎年5月中旬になると出来する天然の営みだ。

 そして、所変わってヒマラヤの麓。
 彼の地では、閑古鳥ならぬ敢行鳥の営みが…

 遅々として進まぬ新工房計画。
 完成の暁にはアーミル・カーンを呼んでグランドオープン!と思っていたんだが、そんな機運も余裕も徐々に減退。
 業を煮やした我々、先月の4月17日、「一ヶ月後の5月17日から引っ越し開始!」と現場の若い建築家たちに宣言する。(現場にはスタジオムンバイの若い建築家4名が常駐している)
 宣言したところで、まずほとんど実現しないのがインドだ。(そもそもこの新工房も一昨年の3月には竣工のはずであった)

 しかし、現在インド滞在中のラケッシュ君はチト違った。
 来日して十年を経過し、こちらの事情にもよく通じている。
 宣言通り、引っ越しを敢行したのだ。
 それも、期日より1日早い昨5月16日!(物事は月曜に始めるのが良いらしい)
 建築家たちも驚きの所行であった。(インド人もびっくり!?)

 もちろん、まだ全部は完成していないのだが、少しでも引っ越しを始めてみるのが良かろうという判断である。
 工房スタッフもみんな待ちくたびれ、士気も低下しつつある。多少の不便はあっても、ここでフレッシュな刺激も必要だ。
 稼働を始めれば、様子も分かり、以後の建設工事にも役立つであろう。

 工房は第一から第四まで四棟あるのだが、そのうち第一工房がほとんど完成しているので、まずそこに機(はた)を移動していく。
 昨日は第一陣として、ganga工房最古参の織師、ママジとマンガル両名の機を移動する。

 上写真、ganga現工房にて、両名を機を分解し、工房の愛「軽トラ」に積んでいるところ。二台の機の無くなった現工房は、その場所にポッカリ穴が空いたようで、とても淋しかったそうである。

 中写真、新工房の入口にさしかかる軽トラ。インドで軽トラはチョタハティと呼ばれる。チョタは「小」、ハティは「象」。そう言われればそんなふうにも見える。インド国産で、工房建設に獅子奮迅、いや小象奮迅の活躍をしている。

 下写真、第一工房に機の部材を運び入れ、組み立てているところ。これは織師マンガルの機。通常、ウールを織っている。愛犬ハナも珍しげに見学。今年始め、二児とともに一足先に引っ越してきた母犬だ。

 今日はこれからバラモン僧を招いて御祓いをするらしい。我々もネットで参加予定。




 

5月14日(土) 藍と大根

 ゴールデンウィークも終わり、こちら武蔵五日市は農繁期のまっただ中。
 近年はインド滞在も長いので、当地に居る間はせっせと畑に出る。
 特にこれからの季節は、ちょっと目を離していると、たちまち草ボウボウになる。

 今年、チト珍しかったのは、藍の芽だ。
 大根の畝(うね)に、大根より多量に芽生えている。
 左写真、大根以外は、ほとんど藍だ。
 実はここ、昨年の藍畑だったのだ。
 そのこぼれ種から芽生えたというわけ。

 実は毎年、こぼれ種から藍は芽生える。
 しかし、たいてい、GW前後の遅霜にやられ、ほとんど枯死する。
 ところが今年は、遅霜もなく、お湿りも多かったせいか、ぐんぐん成長している。
 もうさすがに遅霜はないだろうから、この藍を苗にして植え付けできそうだ。(いちおうプランターにも播種したのだが、やっと芽生えたところ)
 というわけで、今年の藍の収穫は早そうだ。
 けっこうパートナー植物だったりして。藍と大根。


5月10日(火) GW「春の空羽衣」展・素描

 4月29日から一週間開催の「春の空羽衣」展。
 幸い、大方において好天に恵まれ、たくさんのお越しをいただき、スタッフ出展者一同、あつく御礼申す次第。
 遺憾ながら来られなかった皆さんに、ちょっと雰囲気をお伝えしよう。
 従来こうしたイベントに際しては、初日にみなさんドッとお越しになるんであるが、最近はそれぞれご都合に合わせ分散来竹という傾向にある。おかげで我々も、初日から最終日までいろんな方々と交流でき、楽しいゴールデンウィークとなったのであった。(布の展示の模様はこちら)

 ときあたかもタケノコのシーズン。
 入口脇にも一本ニョッキリと生え、皆さんをお出迎え。
 この一本はそのまま伸び、現在は8mほどの高さに。
 
 竹林脇には造形作家の増満兼太郎氏が店を開く。
 二日間だけであったが、お目当ての人々があちこちから参集。
 増満氏も製作をしながらの応対が楽しかったらしく、また来たい(!)とのこと。



 今回のタンドール(炭火竈)は、石垣の上のオープンスペース。
 七日間、一日も雨が降らず、おかげで無事、竈でチャパティとパパッド(インド煎餅)が焼ける。

 
 井戸脇では、ティモケのサモサ。屋根のあるこの場所を、ティモケ嬢は前々から狙っていたそうだ。今回初めて、サモサをその場で揚げて提供。やはり揚げたてはサクサクで美味しい。

 母屋に入ると、階段下にtocoro cafeがちょこんと店を構える。
 今回はスイーツの提供だ。パウンドケーキやスコーンは昼過ぎにはだいたい売り切れてしまい、帰宅後に毎夜、焼いていたという。アイスクリームも人気。
 
 板間にはねじまき雲の珈琲店。
 私ぱるばの一日はこの一杯から始まるのであった。思へば贅沢なことであった。今後は国分寺に行くほかない。






 

4月28日(木) 西表とブルンジ

 明日から始まるゴールデンウィーク「春の空羽衣」展
 武蔵五日市Maki Textile Studioの、ギャラリー棟と母屋を中心に催行される。
 ギャラリー棟の様子についてはブログを参照してもらうとして、母屋も朝から人々が忙しげに立ち働いている。

 かつての座敷では、大きなテーブルの上に、真木千秋がいろんなモノを展開している。「素材マーケット」の準備だ。(上写真)
 中でも目を引くのは、沖縄・西表の紅露工房から届いた素材の数々。亜熱帯の繊維や染料といった染織素材のほか、トウツルモドキや月桃などエキゾチックな植物素材もあって、皆さんの創造心をくすぐることであろう。

 土間スペースでは「ねじまき雲」の浅沼氏が「アキハ(空羽)ブレンド」の披露。(下写真)
 氏は当スタジオイベントの際には、いつも新たなブレンドをひっさげて登場する。
 今回の「アキハブレンド」の中心になるのが、「ブルンジ」だ。皆さんご存知かな。アフリカ中部、ルアンダの南にある小国である。ねじ氏も最近発見した珍しい豆だ。中浅煎りで、春のような軽やかな甘酸っぱさが特長。このブルンジの配合により、軽め、ほろ苦の、「アキハブレンド」ができあがった。
 私ぱるばもさきほどブラックで賞味いたしたが、なかなか美味。これから一週間毎日これが飲めると思うと、展示会準備の苦労も報われる。
 「ねじまき雲」竹林店では、このアキハブレンドによるブラックのほか、カフェオレ、マサラオレ、アイスコーヒー、アイスオレが楽しめる。そのほか豆の販売も。
 ねじまき竹林店は、5/1〜2のみ井戸端、それ以外の全期間は竹林母屋に開店。(当然のことながらその間はねじまき国分寺&青梅店は休業)

 




 

4月27日(水) 印竹作戦

 ここ武蔵五日市の竹林は、ときあたかもタケノコの季節。
 孟宗竹のタケノコがにょきにょきと生えている。
 そこで今日は、展示会準備の合間を縫って、タケノコ掘りをする。
 ツルハシを肩に竹林に分け入り、手頃なのを十幾つかザックリと収穫。
 掘りたてのをナタでなぐって、大鍋で茹でる。(写真左)

 燃料は落枝や剪定クズ。一年分貯まって置き場に困っていたものだ。
 おかげで整理整頓になるし、運動になるし、再生可能エネルギーだし、タダだし、まことに優れた火遊びである。

 ついでに(と言っちゃなんだが)、茹で上がったタケノコを皆さんに食してもらおうかと画策する。
 シェフ・ラケッシュがインド風に味付けし、展示会ランチの付け合わせにするという。
 支那竹ならぬ印竹だ。
 実は、インド料理には通常、タケノコは使わないのである。
 この印竹、ラケッシュのオリジナルだ。ご賞味あれ。
 (ただし、初日から2〜3日分ほどしかないが)

 








 

4月26日(火) 檸檬ケーキみたいなスコーン

 tocoro cafe の上村氏来竹。
 金曜から始まる「春の空羽衣」展の準備のためだ。
 今回のイベント、珈琲は「ねじまき雲」が出張開店。tocoroは甘味で出演だ。

 tocoroは最近、菓子屋と見紛うほど、スイーツの研究に熱心である。
 竹林でのイベント時には、毎回新しいのを持ってくる。
 それがなかなか美味なのだ。(ま、私ぱるばの嗜好に合わせてくるかもしれないが)

 今回の新作は上写真「檸檬スコーン」。(檸檬読めない人いないよね…)
 正しくは「檸檬ケーキみたいなスコーン」と言うんだそうだ。
 上にレモンのアイシングがかかっている。
 一口食すると、広島レモンの香りがホワッと広がり、まことに結構。
 確かに、ケーキなのかスコーンなのか、どちらでもいいレモン型の逸品だ。
 国分寺「ねじまき雲」で先日デビュー。それを改良したのだという。当然、「ねじまき」の珈琲によく合う。

 そのほか、パウンドケーキやアイスクリームも。
 中写真は「桜と桜蓬のパウンドケーキ」(数量限定)
 下写真は「苺アイス」(注:今回イベントではコーンなし。その代わりにカップで二スクープ。三種類あって、1.ミルク+苺、2.ミルク+よもぎ、3.ミルク+きなこ)

 請うご期待!


4月24日(日) ちょっと恩讐の彼方に

 一週間ほど前の話。
 男四名で、インドの田舎に遠出した。
 ganga工房のあるデラドン郊外も充分田舎なのだが、もっと未開な感じ。
 車で四時間ほどの、隣州ウッタルプラデシュのヌールプールというところだ。
 木綿の手紡ぎ糸やカディ(手織布)などを探しに行く。
 最近ganga工房に加入した織師アルシャッドの故郷なのだ。

 昼過ぎ、ヌールプールに到着し、織師アルシャッドの案内で、郊外のとある機場(はたば)に赴く。




 


 機場の脇に腰を下ろし、供された茶菓に手を伸ばしていると、機場の主とおぼしき初老の男が現れる。そして、「むかしチアキと仕事をしたことがある。パルバも知っている」と言うのだ。
 私「!?」。
 おそらく私がそのパルバだろうと当たりを付けて言ったのだろう。
 よく聞くと、九十年代初頭に、我々のためにラグを織ったそうだ。
 名前を聞くと、「バブ・カーン」。
 我々には馴染みの名前だ。
 あれは1991年のことだったか、生まれたばかりのMaki Textile Studioは、無印良品からラグのオーダーをもらう。当時の我々にしてはかなり大きな仕事であった。提携先の機場では織れなかったので、外注に出す。それがここバブ・カーンの機場だったというわけ。
 すっかり忘れていたが、かつて我々はこの機場を訪ねたことがあったのだ。その時の様子が拙著『タッサーシルクのぼんぼんパンツ(1997年刊)』に出ている。

 インドの農村を訪れたのはこのときが初めてだっただろう。ひたすらのどかで美しい。幹線道路から一歩外れると、そこはもうなんにもない平原。見渡す限りの畑が続く。そこかしこに菜の花が咲き、春小麦が大きく育っている。見慣れぬ小鳥が餌をついばみ、ときおり牛が荷車を引いて通り過ぎる。
 やがて車は小さな集落の中へ入っていく。村の中ほどにある機場を訪ねると、主【あるじ】が中庭で糸を干していた。広々とした砂地のスペースに木の棒が何本も渡され、ブルーに染められた糸が整然と並べられている。機場の中には大機がいくつもならび、織りかけの敷物がかかってる。新参者であるニルー工房に比べると、ずっとゆったりしていて、施設もいろいろ整っているようだ。日本から持参のサンプルを主に見せると、問題ない、任せておけと言う。いかにも自信ありげな様子だったから、それなら任せてみようかと、こちらも思う。

 この主というのが、バブ・カーンだったというわけ。当時のMakiの命運をかけた大プロジェクトだったのだが、結局、あまりうまくいかなかった。サンプルまでは良かった。しかし、本番の生産がキズだらけでヒドかったのだ。我々にとってはインド最初の大きな洗礼となった。
 それはバブ・カーンにとっても同様であったようで、デリーに呼び出されて数日にわたり朝から晩まで休み無く補修作業をさせられたり、我々に押し掛けられて厳しく監督されたり(これも記憶にないが)…。ま、それでお互い学ぶところがあったのだろう。
 上写真の機場には、現在、インドの人気ブランド「ファブ・インディア」のタテ糸がかかっていた。それもかつての経験があってのことか。そして我々も、大きな会社から注文を受けるのは止めにした。(そんなの無理)
 下写真が25年ぶりに再会したバブ・カーンと私。「あの頃、あなたはこのくらいの年格好だったよ」と脇に居たラケッシュを指しながら語るバブ・カーン。
 このあたりでは今でもガンディーの糸車(チャルカ)で木綿が紡がれるという。
 いずれ仕切り直しで、バブ・カーンの機場で木綿を織ってもらうことがあるかもしれない。




 

 4月23日(土) 芒桑の木陰で

 当地は、緯度で言うと日本の屋久島くらい。
 標高は600m。
 それゆえにか、陽光はかなり強烈だ。
 住民の肌色も褐色である。

 今日は正午でまだ気温は30℃少々なので比較的しのぎやすいが、太陽の直射を浴びるとチト辛い。
 現場の作業員も、おおかた、屋根の下や、木陰で仕事している。
 幸い、敷地の下半分はかつて果樹園であり、樹木はほとんどそのまま手つかずなので、木陰は豊富にある。

 木陰というのは、パラソルなど人工の蔽いより涼しい。
 木は背が高く枝葉は厚く、葉っぱは蒸散で冷やされるので、輻射熱を発することがない。
 風が通って気持ち良いし、フィトンチッドも降り注ぐことであろう。

 いちばん多い木は、マンゴーだ。漢語で芒果と言う。
 敷地に71本ある。常緑で、濃密に繁り、人畜に恰好の日陰を提供する。
 まだ樹齢の低い若木が多い。マンゴーは巨木に成長するので、百年後が楽しみ(!?)だ。

 上写真はマンゴーの木陰で大理石を削る職人。
 ゲストルームの洗面台になる。
 皆さんが当スタジオと抜き差しならぬ関係に陥り、当工房で宿泊することになったら、きっとバスルームで対面することになるであろう。
 マンゴーには実が成っているが、今はまだ3cmほど。食べるには一月ほど待たねばなるまい。

 下写真は桑の樹下で竹を削る労働者。
 この桑も元から生えていたものだ。おそらく鳥の運んで来た実生であろう。黄繭を育んだのもこの木の葉だ。
 奥の建物はカフェ。ここで皆さんはチャイを飲んだり、ランチしたりできる予定。ほとんど完成し、今、手前に竹製の庇を作っている。
 その屋根に張る竹材を、作業員たちが桑の木の下で削っている。この一週間、毎日、毎日、朝から晩までやっている。









 

4月22日(金) マットな水栓

 最高気温が毎日軽く35℃を超える真夏のインド。
 さすがのインド人も暑い!とのたもうている。そう、建築現場にエアコンは無いのだ。
 日本の盛夏とちょっと違うな…と思うのは、湿気がないことと、セミが鳴かないことだろう。インドにはセミが居ないようだ。
 カラッと静かに激暑の四月末である。
 
 上写真は新工房の染め場。
 何度かお伝えしているが、この奥に、唯一稼働している藍室がある。
 染師ディネッシュが、毎日、藍の様子をチェックしつつ、絹糸を染めている。
 今日も藍は、華モリモリ、すこぶる元気な様子。液温27℃。南インド産の絹糸を1カセ、しっかりと染めていた。(写真をクリック拡大して見るとわかるが、今まさにディネッシュが染め上げた糸カセを手に藍室から出てきたところ)

 洗い場は、床も流しもすっかり完成し、水と電気が来ればすぐにでも引っ越しできる状態だ。
 真ん中に二つ、大きな水槽が鎮座ましましている。
 これは出来合いのものを設置したのではなく、わざわざ煉瓦や漆喰や砂で作り上げたものだ。
 そういう細工をしているから時間がかかってしまうのだが、出来上がってみれば、なかなか良い質感である。

 質感と言えば、水道の蛇口はいかがかな。(中写真)
 染め場の北側に七つほど並んでいる。
 ツヤ消し真鍮のマットな光沢が、土入り漆喰のパステルな背景に映えている。
 建築関係の人ならきっと、「インドにもこんな水栓部品が有ったか!」と感心することであろう。
 
 いや。無いのである。
 インド人はピカピカしたものが好きだからね。ミラーワークとか。
 こんなマットな蛇口は有り得ない。
 これはひとへに、変人ビジョイ・ジェイン(とおそらく真木千秋)の仕業である。
 インドで手に入るピカピカ蛇口を、わざわざマットにしたわけだ。

 下写真は二ヶ月前、陽光の下、ピカピカの水栓部品をマットにしている工房スタッフ。
 最初はヤスリを使っていたが、小石が効率的だとわかり、もっぱら小石でこすっている。
 この四人は今日も同じ作業に携わっている。 (もちろん木陰で)

 そこまでやるか(!)、と思って見ていたが、実際、設置されると納得である。
 トイレやキッチンの蛇口なんかもみんなコレ。
 皆さんご来駕の折には、こうした陰の努力も見てやってほしいものである。










 

4月21日(木) 屋根の上下の人間模様

 新工房計画で、いちばん時間と費用を費やしている建物は、ギャラリーであろう。また、皆さんが当地まで勇躍お越しになったら、いちばん関係のある施設となるはず。
 今日はそのギャラリーの上部が、なにやら賑わっている。

 上写真はギャラリーの屋根部分。ジグザグの山が五つある。
 山の上面および側面は、すべて大理石で葺かれる。
 その大理石を通して柔らかい光が差し込むという構造である。
 今はまだ大理石が敷設されておらず、シートで蔽われている。

 現在、スタジオムンバイから四人の若い建築家が現場に派遣されている。
 今日は四人揃ってギャラリーの屋根に上がって、何やら楽しそう。
 樋のテストだ。
 山が五つあるから、その間に谷が四つある。そこに大理石製の樋が設けられる。今日はその性能試験。
 水のホースを二本、山の上に引っ張り上げ、谷に向けて水を落とす。
 果たして樋がちゃんと水を受け、後方に排出するか?

 当地・北インドのヒマラヤ山麓は、凍結・降雪こそ無いが、それ以外は、高温、降雨、強風、陽光、乾燥など、日本よりも気象は苛烈だ。
 それゆえ、しっかり試験をしておいてもらわぬと困る。
 建築家たちは枯葉を持ち込んで、樋に詰めて、水を流す。(中写真)
 更には扇風機まで運び上げ、強風下のテスト。何となく部活の雰囲気。
 結果はまずまずの様子であった。ただ、ちょっと水漏れも観測されたので、もう少し工夫が必要であろう。
 大先生のビジョイ・ジェインはあちこち飛び回っていて現場には常駐できないので、逐一、スマホの短信アプリで報告し、指示を仰ぐ。これが近頃の施工スタイルであるらしい。

 下写真は工房棟の日陰で、様子を見物する工房スタッフ。(手前はインドの木製一輪車。私のパソコンが載っている)
 このスタッフ、近所の農民であるが、皆から「パンディッジ(先生)」と呼ばれている。すなわち、最上級カーストのバラモン家系なのだ。バラモンと言えば、インドの伝統では、人体の頭に相当する。新工房現場で働く数十人のインド人の中で、カースト的には一番上であろうが、現在の職掌は、耕作とか水遣りとか、いちばん大地に近い部分だ。カーストも宗教も関係ない職場である。
 ちなみに、上写真、右端の二人は建築家カップルで、夫のスリールはヒンドゥー教徒、妻のファイザはイスラム教徒。ちょっと珍しい組合せだ。ファイザが親に「ヒンドゥー教徒と結婚する」と告げたら、親は泣いたそうだ。
 そう言えば、ビジョイはジェインだから、ジャイナ教徒。当工房には他に仏教徒やキリスト教徒も居るし、シーク教徒も関わっている。これでゾロアスター教徒が加われば印度七大宗教が揃うんであるが…。(なかなか居ない。ズービン・メータとか)










 

4月20日(水) 藍染め・藍初め

 昨日に続いて藍話。
 新工房の藍も順調に建ったようなので、今日から糸染めを実施する。
 糸は南インドの絹を二カセほど。

 左上写真、アフガニスタンの壺の、狭い口から中を覗きこんだところ。
 藍の華が見える。
 部屋には藍の香が立ちこめている。

 左中写真、藍液の中に糸を浸け込む染師ディネッシュ。
 今はキレイなアフガン壺の地肌であるが、そのうち藍のシブキにまみれるのであろう。

 右写真、何回か染め重ねた糸カセ。
 なかなかに見事な藍色ではないか。

 実はコレ、新工房初の記念すべき生産品なのである。
 プロジェクト立案以来、苦節五年。ついに何らかの果実を生みだしたというわけ。
 まずは目出たし。

 
 左下写真は、糸染めついでに、昨日の産品。
 シルクをクルミで染めたもの。

 この染材は自家産だ。
 すなわち、染師ディネッシュの家に生えているクルミの木から頂戴したもの。
 日本と同じで毎年秋に実が成るのであるが、中身は食べて、回りの皮を乾燥させて保存しておく。言ってみればゴミなのであるが、それでこんなにキレイな色が出る。実にエコである。
 クルミの果皮は古来より重用されてきた染材なのだ。

 糸カセのうち、手前の二つは柞蚕(さくさん)糸。その他は様々な家蚕糸。
 野蚕は家蚕に比べて染まりづらいということがよくわかる。




 

 4月19日(火) 藍建菌のワープ!?

 今もって建設中のganga新工房。
 その中で唯一、染織施設として稼働を始めたのが、藍室だ。
 二ヶ月ほど前の記事でもご紹介したが、染め場の奥に設けられている。

 同室に納められているアフガンの古壺に、一週間ほど前、染師ディネーシュが藍を仕込む。(上写真奥の人物)。
 材料はいつもの通り、インド藍、灰汁、石灰、粗糖、水、そしてMcDowellだ。 (McDowellとはインドのウィスキー。私も明日あたり試してみようと思う)

 ここのところインドは酷暑で、日中の気温は40℃を上回る日もある。
 しかしこの藍室は半分土中にあることもあり、大理石製の扉を閉じておけば、現在のところ終日、気温は24〜26℃台、湿度は90%台に保たれ、藍建てには好適な環境と言えるだろう。

 天然の藍建ては、発酵菌が関与する。どんな菌なのか寡聞にして知らぬのだが、ここでは藍建菌と呼ぶことにする。(もしかしたら糠味噌漬けみたいに数種の菌による共同作業かも)。こうした天然の藍建ては、その困難さにより、「地獄建て」とも呼ばれる。
 当ganga工房もインド藍による天然藍建てを始めて数年。試行錯誤を重ねながら、現在は夏期であればほとんど百発百中で建てられるようになった。おそらく使用している藍瓶に藍建菌が棲みついているせいかもしれない。
 しかるにこのアフガンの壺々は、藍建てに使われた形跡もなく、こうした用途は初体験であろう。染師ディネッシュも藍を仕込んではみたものの、何とはなしに半信半疑の体。
 しかしながら、藍室の中に入ると、日増しに発酵臭は強まり、これはきっと建ちつつあるに違いない。
 今日、日本への帰途に就く真木千秋が試しに染めてみると、ほれ、この通り。(下写真)。ちゃんと藍が染着しているのである。
 このアフガン古壺の中にも、藍建菌はしっかり繁殖しているのだ。

 それにしてもこの藍建菌、どこから来たんだろう。空気中のそこここに漂っているのか。それとも、染師ディネッシュや真木千秋の身体に纏わり付いているのか。




 

4月18日(月) マンジュリ村のマンジュ

 今年二月に到来したベンガルの黄繭。
 無事に育って、今、糸挽きの最中だ。

 3月4日の記事にもある通り、蚕の三分の一は手許で育て、残りは近隣の農家に託す。その農家というのが、マンジュリ村のラジェッシュ家だ。

 ラジェッシュ君には嫁がいて、その名もマンジュ。彼女は糸取りにも興味がある。
 そこで先日真木千秋はラジェッシュ家に出かけて糸挽きを指導したのだが、今日はその続篇だ。ラジェッシュ君が嫁をバイクに乗っけてganga工房にやってくる。
 上写真、真ん中の二人が、ラジェッシュとマンジュの夫婦。

 マンジュリ村のマンジュとは語呂合わせのようだが、マンジュは別にこの村出身ではなく、隣州のハリヤナから嫁入りしている。なんでそんな遠くからと聞くと、縁者だったのだそうだ。(このあたりはラケッシュの場合と同じ)
 マンジュリ村は昔から養蚕の盛んな村で、どの家でも蚕を飼っている。ただ、最近はほかに稼ぎ口も増え、繭の収量は減少しているそうだ。ただこの二人はまだ若く(35と32)、養蚕も好きということで、マンジュリ村の伝統産業もしばらくは安泰であろう。(八王子の長田夫婦を彷彿とさせる)
 養蚕は春3月と秋9月の二回。あわせて65kgほどの収量だという。桑の木は完全には矮性化されておらず、養蚕の後期には木に上って桑を収穫せねばならず、重労働であるようだ。養蚕以外には蔬菜の栽培が中心で、今はコリアンダーの収穫期だそうだ。

 中写真はマンジュに糸挽きを指導する真木千秋。殊に現在のような乾季では、糸車を使わずに手のみ(ずり出し)で糸を挽くと、風合いも自然になる。高温低湿下で糸はすぐに乾燥するので、手挽きでもあまり高く引き上げないほうが良い。
 また、煮繭の温度や、カセ巻きなど、秘法をこと細かに指導する。
 なかなか筋の良い生徒であるようだ。

 数メートル離れたところに、織師タヒールの機(はた)がある。(下写真)
 かかっているタテ糸は、ストール「新黄繭空羽」。
 主色となる黄色は、マリーゴールドで染めた竹林座繰り絹と、この挽き立ての黄繭糸。
 竹林ゴールデンウィーク「春の空羽衣」展に間に合わそうと、真木千秋もつききりだ。
 「黄繭空羽」という名のストールは以前にもあったが、なぜ「新」を付けたかというと、新しい風合いだから。「いやー、やっぱ、ずり出しはいいねぇ、感動的」と真木千秋。この新しい風合いは、当地で養蚕したということも関わっているかもしれない。
 なお、このあたりの黄繭ストーリーは同展の映像トーク「絹の村・マルダとマンジュリ」でご披露の予定。



 

 4月16日(土) ラケッシュ君のエンゲージ

 昨15日夜。当スタジオスタッフ・ラケッシュ君の婚約式があった。
 インドの結婚式は一週間にも渉る大がかりなものだが、その前に婚約式というのもあって、これも日本の結婚式くらいの規模だ。親類縁者を招いて盛大なパーティを挙行し、総費用も邦貨で百万は下らない。(インドではけっこうな額である)
 ラケッシュ君、相手も決まり、婚約式も今夏あたりという段取りであった。
 ところが一昨日の朝、突如、「明日やろう」と言い出す。
 これは通常、ありえねーことで、たとえばあなたが今夏挙式を予定していて、今朝になって、やっぱ明日にしよう!というようなもんだ。日本に10年も居るとどこかインド人離れしてくるのであろう。
 婚約であまり大騒ぎしたくないという本人の希望に、両親も同意。翌日、数十km離れた娘宅に出かけ、婚約を交わすことになった。我々日本勢も両親や姉妹たちとともに同道、出席する。
 相手はスリスティ嬢。会計を学んだ23歳。バラモン僧による儀式の後、指輪を交わす両人(写真)。このあたりはインドと西洋の混淆だ。
 今朝、起きだしてきたラケッシュの右手には、しかし指輪がない。ちょっとサイズが合わなくてユルいんだそうだ。ま、このくらいの障害はあったほうが良いのかもな。後で糸を巻いて嵌めていた。金の指輪だ。一生嵌めるのかと聞くと、まあ数日間はね、もう独身じゃないという印で、とのこと。さて、二週間後、GWの竹林カフェでタンドールの前に立つ君の手に指輪はあるか!?




 


 4月14日(木) ポケット腰巻

 昨13日朝、私ぱるばganga工房到着。
 武蔵五日市の自宅から約24時間の旅であった。
 デリー空港到着は夜中の1時半だったが、外気温は28℃。
 空港ロビーで寝ていたら蚊に喰われる。国際空港評議会のランキングで2年連続「世界一」となったらしいが、蚊の退治までは手が回らないようだ。(ついでに国内線機内でも喰われる)
 というわけで、インドは既に夏だ。

 当地デラドン地方も、日中はしっかり30℃を超えて、やはり夏だ。
 ただ、北部にあって標高も600mほどあるから、最低気温は20℃を下回り、朝夕はまことに心地良い。また、乾燥しているせいか、蚊もいないのは有難い。

 真木千秋は先月末から既にインド入りして布づくりに励んでいる。
 上写真は機(はた)に向かう真木千秋。
 ウールで試織をしている。
 ポケット腰巻だ。

 つまり、ポケット付きの腰巻。
 このポケットは、後から縫い付けるわけではなく、機の上で織り出す。
 二重織りの技法だ。手足を複雑に動かしながら、地の上にポケットを織り出す。
 下写真は細幅での試織。ポケットの口が写真上側(布の右側)についている。
 「織師ってホントに器用だなぁ」とは真木千秋の感想。
 ともあれ、夏の陽気の中、素足で踏む踏木が心地良さそうだった。





 

3月4日(金) マルダ蚕の命運

 昼下がりの建築現場。
 頭上に人の気配がする。
 見上げると、とある樹の上に、二つの人影が。(上写真)
 桑の樹だ。自然に生えたものだろう。
 二人の男が何をしているかというと、桑の葉を摘んでいるのだ。
 建築職人たちだが、もともと養蚕の村出身だから、葉摘み作業は慣れている。
 とはいえ、インドでも養蚕用の桑は矮性化している。これは日本と同じで、小さい方が作業しやすいのだ。
 なぜ苦労して桑の高木から葉摘みをしているかというと、葉が出ているからだ。
 当地も養蚕地帯であるが、栽培種の桑は、まだ葉が出ていない。
 自然に生えている桑の高木は、もう青々と枝葉を繁らせている。

 この桑の葉が、先月初旬、インド東部から到来したベンガル黄繭の餌となる。
 先週もご紹介したが、ベンガルの蚕、その数4千頭。工房では飼いきれないので、三分の一だけ手許に残し、残りの三分の二は、隣村の農家に預ける。

 近所にマンジュリという村があって、養蚕で有名だ。
 その村の農家ラジェッシュ君に委ねることにする。
 中写真がラジェッシュ家。中庭がきれいに掃除されている。(我々の来訪を知っていたのか!?)
 蚕室になっているのが、当家の旧居。中写真に写っている建物だ。この旧居の向かいに、レンガ造りの新居がある。
 旧居は主に土と河原の丸石で出来ている。中庭は赤土+牛糞の上塗りだ。(繊維質の豊富な牛糞はスサと同じ補強効果がある)。壁の上塗りは赤土だけだが、それは色の好みだそうだ。

 下写真はその旧居、すなわち蚕室の中。
 左からラジェッシュ君、母親、父親、細君。
 マルダ蚕がもうずいぶん大きくなっている。
 桑葉は上写真の桑樹から運んだものだ。
 父親は養蚕半世紀のキャリアがある。ラジェッシュ君も養蚕に関心を寄せており、地元にある蚕糸局の支所で八年ほど働いたこともあるそうだ。
 一家は糸取りにも興味があるようで、絲絲の当スタジオとしては心強い存在である。

 ところが、この後、ラジェッシュ家に蚕糸局の係官がやってきたそうだ。
 そして曰く、許可なしに外部由来の蚕種飼育はまかりならん。当地では3月20日から春蚕の飼育が始まるが、何らかの感染が起こったらどうする!

 う〜ん、それは知らなかった。
 インド繊維省・蚕糸局の本部は南印バンガロールにある。その蚕種センター長を務めるジェイプラカーシュ博士は、私ぱるばの友人だ。
 そこで博士に連絡を取ってみると、確かに係官の言う通りだという。
 それでも今夜、当地の支所に連絡を取ってくれるそうだ。
 さて、マルダ蚕の命運やいかに!?
 


 

3月3日(木) 竹樋作戦

 新工房の建築現場ではいろいろ珍しい試みが行われている。
 そのひとつが竹の樋(とい)。
 日本では竹樋(ちくひ)と言うらしいが、流しそうめん以外にはあまり見かけることもない。

 インドでもやはり一般的なものではないが、建築職人たちの故郷・インド東部のベンガル地方ではまだ散見されるようだ。
 それをこの現場でも使ってみようと、建築家ビジョイ・ジェインは職人たちに試作させている。
 インドの竹は肉厚で頑丈なので、雨樋には適しているかもしれない。

 肉の厚みを生かして、継ぎ手を作ることもできる。(下写真)
 こうして竹を継いで行けば、工房の長い庇もカバーできるわけだ。

 ベンガルでは竹樋の内側に「ブラック・ジャパン」を塗って強化するという。「ジャパン」と言えば英語で「漆」のことだから、もしかして黒漆!?
 現場建築家のカルテックに聞くと、瀝青などを使った塗料だそうだ。
 そうしてしっかり耐水処理をしておけば、十年でももつという。

 さて、竹樋作戦、うまく行くか!?
 行かなかったら、ま、そうめん用だな。(ジャパン無しで)
 





 

2月24日(水) 新工房・最初の住民

 二週間ほど前、ganga工房に種が届く。(上写真)
 野菜の種ではない。
 蚕種(さんしゅ)だ。

 新工房建築の職人たちの過半は、たまたまであるが、西ベンガル州マルダの農村出身だ。
 マルダと言えば、Makiが長らく重宝してきた黄繭糸の産地である。
 そして建築職人たちの実家である農家も、戦前の日本農家と同じく、せっせと養蚕に勤しんでいる。職人たちも子供の頃からそれを手伝っているので、蚕のことは良く知っている。

 黄繭と言っても二種類ある。
 ひとつは在来のニスタリ種。これは中国ではなく南アジア原産ではないかとも言われる原始的な小さな蚕だ。おそらく東南アジアのカンボウジュと同種であろう。虫が小さいので繭も小さく、繊度も細い。
 もうひとつはニスタリ種と白繭を掛け合わせたF1黄繭。これはインドで開発されたもので、ニスタリより糸が挽きやすいという。ただし、F1なので蚕種は採らない。

 今回、職人たちがクニから持参したのは、そのF1黄繭ひと袋。数にして四千粒。まずはこの蚕種で実験だ。
 2〜3日して卵が孵化する。孵化したては毛蚕(けご)と言って、その名の通りの黒い毛虫だ。
 それを新工房の建築現場で育てている。既にほとんど完成している管理棟の一室だ。(中写真)

 ただ、マルダに比べて緯度&標高の高い当地は、養蚕にはまだ寒いのである。
 それで、電気で暖をとりながらの飼育だ。
 もっと問題なのは、食物の桑だ。当地も養蚕地帯なので桑の木はいくらでもあるが、今やっと芽生え始めた状態で、葉の供給が難しい。当地での養蚕は、当然のことながら桑の生育にあわせて行われる。春蚕の開始はあと三週間ほど経ってからだそうだ。

 マルダから来た蚕も、孵化してから十日ほど経過。毛虫を脱皮して、だんだん蚕らしくなってきた。体長は1cmほど。(下写真)
 まだ小さいからなんとか桑も供給できるが、はたして桑の生長が蚕の成長に間に合うか!?
 







 

2月21(日) ganga工房の春一番

 季節が足早に進む2月下旬の北インド。
 日中の気温は25℃を超え、日向に居ると夏を思わせる気候だ。
 東京五日市の拙畑はやっと雪が溶けた模様だが、ganga工房の庭は菜の花も終盤を迎えつつある。
 右写真がその庭だが、手前の菜の花はいちおうチンゲンサイ。もともと二年ほど前に日本から種を持ち込んだものだ。現地の菜花と交雑してやや形が変だが、まだかろうじてチンゲンサイの形質を留めている。
 それからレタス類。これも日本から種を持ち込んだものだ。今が盛りで、たいへん美味。日本の拙畑ではまだ播種もできまい。インドではレタスを生食するという習慣がないので、食べたくても売っていない。貴重なサラダ野菜なのである。
 その間に生えているネギは、タマネギ。西洋も同じだが、インドではネギと言えばタマネギで、これは盛んに生食する。日本ではネギと言えば長ネギで、このあたりにも食習慣の違いがうかがえる。

 さて、花盛りのganga工房であるが、この花も今盛り。マリーゴールドだ(左上写真)。インドではこの花が様々な装飾に用いられる。インド文化に欠くことのできない花だ。それは当スタジオにとっても同じ。
 先日、その花を摘んで、絹糸を染める。(右下写真)。春一番の鮮やかな色だ。





 

2月16日(火) アフガンの壺

 建設中の新工房でいちばん特別扱いされているヒトは、おそらく藍建菌であろう。専用に一室を与えられている。
 上写真は染め場。その右側、赤レンガの下にある石造りの構造が藍室だ。
 急斜面にあって、三分の一ほど土中に埋まっている。これは温度や湿度を保つためだ。
 この部屋で、藍建菌がインド藍を喰み、藍染が行われるのである。伝統的な灰汁発酵建てだ。

 灰汁発酵と言えば、甕が必要であろう。
 ところが、日本と違って、インドには藍染に適した大壺がなかなか無い。
 一年ほど前から八方手を尽くして捜索に努めていたところ、1600kmほど離れたムンバイの骨董店にあることが判明。先月、真木千秋がその店に赴き、対面したのである。
 アフガニスタンの壺だという。口がすぼまっており、糸染めには好適だ。年代は不明だが、かなり古いものであろう。それを四つ購入する。
 そして中国製であろう小壺も二つ同時購入。

 しかしムンバイと言えばほとんど外国だ。当地からはカブールよりも遠い。
 買ったは良いが、はたしてちゃんと届くだろうか。厳重に梱包してもらい、保険をかけて陸送する。
 それが三日前に届いた。どうやら無事であったらしい。インドも最近徐々にインフラが整いつつあるのだ。
 
 中写真が、その壺たちと、藍室の入口。
 床の漆喰もかなり硬化し、靴を脱いで裸足だったら入場許可になる。

 インドで、壺を使って灰汁発酵建てをするなんて、かなり大それたことだ。ほとんどやっている人は居るまい。
 ところが、真木千秋を始め、建築家ビジョイや左官ルディ(スイス人)は、そういう大それたことが大好きらしい。重たい大坪を嬉々として自ら藍室に運び込む靴下姿の巨匠と親方(下写真)。
 この大甕で藍を建て、小壺は灰汁の貯蔵に使う予定。

 当地の気候では、夏期の藍建てはわりあい容易である。しかし冬期は気温が十度以下に下がることもあって、適温保持が難しい。年間通じて発酵建てをするには、冬期の加温が必要だ。
 漆喰と土壁の藍室にぴったりマッチするアフガンの壺であるが、さてどうやって温度調整するか、今後の課題である。
 










 

2月14日(日) 大理石とチョコレート

 武蔵五日市のスタジオでは竹林2月のお楽しみというイベント開催中だが、昨日今日と季節外れの暖かさだったようだ。
 こちらも同じくらいの気温で、最高が23℃。これは平年並みだろう。

 陽気に誘われ、新工房建築現場にでかけると、ほどなく大きなトラックがやってくる。(写真左上)
 ナンバープレートのRJは、ラジャスタン州。インド西部の州だ。
 同州南部のウダイプールから、約900kmの道のりを四日かけてやってきた。

 インドのトラックもけっこう派手な化粧が施されているのだが、今日のはちょっとビックリ。
 運転席が華々しいのだ。(右写真)
 布や刺繍や様々な飾りで天蓋がしつらえられている。
 ラジャスタンは砂漠の広がる州で、ミラーワークなど装飾的な染織品で知られている。そんな同州を体現するようなデコトラであった。

 積み荷は大理石。(写真左中)
 同州は大理石の産地として有名だ。
 一ヶ月前、真木千秋は建築家ビジョイ・ジェインとともに同州ウダイプールに大理石を見に行く。
 現在建築中のギャラリーと工房回廊の屋根に使う大理石だ。

 インドは大理石が豊富で、近所の石屋でも売っている。ただ、なかなか気に入ったものがない。
 自然物である大理石は、色や模様、あるいは緻密度がいろいろだ。
 特に屋根に使うものは、色や模様が浮き出て目立つし、採光の関係もあるから、選択も慎重になる。
 そこでわざわざ遥か遠くの産地ウダイプールまで赴き、自分で選んできたというわけ。ビジョイもはるばるムンバイから駆けつけたというんだから、巨匠も熱心なことである。
 総量18立米、重さにして40トン。十人がかりでトラックから降ろしているが、四時間たってまだ終わらない。まぁ、これはインドでしかできない贅沢だ。
 今日からビジョイも現場入り。(左下写真・右端人物)

 ところで今日はバレンタインデー。ただインドにはチョコレートを贈る習慣はない。しかし、スイス直送の美味しいチョコを食べた。同国から左官のルディ親方がビジョイとともにやってきたのだ。





 

2月11日(木) 工房の床に漆喰を打つ

 昨日内部をご紹介した三番工房。
 今日はその床に漆喰を打った。

 素材は石灰と砂利。
 それを水とともにミキサーで回し、鉢リレーで運搬する。
 ミキサーに4人、鉢リレーに6人、漆喰打ちに3人。
 計13人で、今日中に打ち終えるのだという。

 上写真、左上のベージュ色の部分が三番工房。
 職人たちは頭の上に漆喰の入った金属の鉢を乗せ、それをリレーで工房内に運び込む。

 下写真が工房内。
 砕石の上に、10cmほどの厚さで漆喰を打つ。
 あたりが暗くなり、西天に三日月がかかっても、黙々と作業は続く。

 なぜコンクリートではなく、手間の掛かる漆喰を打つのかというと、まずは、頑丈で長持するんだそうだ。徐々に硬化し、最終的には数百年もつという。
 そんなにもってもらわなくてもいいんだが、しかるゆえ、この建物は遺跡となる宿命を負っているのか。
 それと、漆喰は調温性にも優れているのだそうだ。

 思えば昨年末、工房の床を漆喰にするか土間にするかビジョイと真木千秋がだいぶ迷っていた。
 結局、漆喰に落ち着いたというわけだ。
 ひとつには土間よりメンテナンスが容易だということがある。
 


 

2月10日(水) 遺跡の内外

 急激に春めく北インド。
 昼間の気温は20℃を超え、陽気に誘われヒマラヤカッコー(ツツドリ)も忍び音を漏らしている。武蔵五日市でツツドリが鳴き始めるのは四月下旬だから、およそ1ヶ月半ほど季節が先んじていることになる。

 ところで、工房建築現場を訪れる邦人はよく、「遺跡みたいですね」とのたまふ。
 確かにそんな風情だ。石や煉瓦、土や石灰が主な素材なので、木造に慣れた日本人にはそんな印象を与えるのかもしれない。
 上写真は工房2と3。外壁の塗装はほぼ終了している。煉瓦の上に塗布されているのは、石灰と現場の土を混ぜたもの。
 なんだかマリ帝国の古都「世界遺産」トンブクトゥのようだ。
 今しもラクダの隊商が現れそう!?

 完成する前から遺跡や世界遺産ではチト困るんであるが、中に入るとまた世界が一変する。
 こちらは三番工房だが、カラフルなサリーが壁面を蔽っている。(下写真)
 仕上がった漆喰塗装を守るために古布を垂らしているのだ。
 インドの一般的建築法かと思ったら、この現場のために考案したんだそうだ。
 完成前から布の展示場のようになっている。
 染織工房だから、なんとなくマッチする。
 いっそこのままでも…とか思うが、そういうわけにもいかないか。
 


 

2月7日(日) 雨の一番工房

 冬雨の北インド。
 気温も14℃くらいまでしか上がらず、肌寒い。
 今季は降雨が少なく、工事には好適なのだだが、農民たちは心配だろう。
 久しぶりの雨で、ホコリ鎮めになって良い。

 雨の工事現場。
 新工房はL字型の建物四つで構成される。
 一番手前に位置するのが一番と呼ばれる工房。(写真上)
 四つのうちでいちばん工事が進んでいる。
 外壁の塗装はほとんど終了。もはや煉瓦色ではない。

 下写真はその内部。
 一週間ほど前に床を打ったところ。石灰の床だ。

 塗った後も、一日二度、鉄製器具で叩き、ローラーをかける。
 この作業は二週間ほど続く。
 気候にもよるが、作業可能なくらい硬化するまでには一月以上かかる。

 床が固まり、残りの壁面下部および窓や扉がつけば、工房として使用できるという算段だ。
 う〜ん、4月に入ってからかな。一番工房の完成は。
 その後、同時進行の、三番、四番、最後に(藁葺きかもしれない)二番という順番で仕上がる予定。

 永久に完成しないんじゃないかとおぼしき新工房なのだが(サグラダなんとかみたいに)、遅々として進んではいるのである。
 





 

2月3日(水) エリ蚕の飼育

 私のよく世話になる蚕糸に、エリ蚕がある。
 日本でもインドでも我がベッドシーツはこのエリ蚕布だから、毎日世話になっている。
 野蚕の特質で繊維に空気を含んでいるので、断熱保温性に優れ、サラッと気持ち良い。

 日本語ではヒマ蚕とも呼ばれるが、「エリ」はヒンディー語のerand(蓖麻)に由来し、もともとはインド東部が発祥らしい。
 蓖麻というのは蓖麻子油の蓖麻だ。
 エリ蚕は様々な葉を食物とするが、その名の通り、蓖麻が一番の好物であるようだ。
 日本ではあまり見かけないが、インドには野原にいくらでも自生している。また蓖麻子油を採るため栽培もされている。

 ここganga工房でも、一年ほど前から、日本野蚕学会の協力を得て、試験的に養蚕を始める。

 毎朝、スタッフが通勤の道すがら、野生の蓖麻葉を採取してくる。
 新鮮な葉を美味しそうに食べるエリ蚕の幼虫。(上写真)
 これはかなり成長しており、あと1〜2日で熟蚕となるであろう。

 中写真が熟蚕。
 腹側が黄色くなると食べるのをやめ、営繭の準備が整う。
 棘みたいのがいっぱい生えているが、これは見せかけで、柔らかく痛くない。

 下写真は段ボールで作った蔟(まぶし)。
 ここに熟蚕を入れると、1〜2日で繭になる。

 問題は卵が休眠しないことだ。
 それゆえ、種を維持するためには、年中ずーっと飼育を続けないといけない。
 ところが、5月からの夏期はエリ蚕にとって暑すぎ、また食樹となる蓖麻葉も手に入らなくなる。
 昨年は熱波というくらい暑く、そのせいもあって種を絶やしてしまった。今年の課題である。

 ちなみに、産卵から孵化まで10〜15日。
 羽化から営繭まで一ヶ月。
 営繭から羽化・産卵まで10〜15日。
 つごう1サイクルが二ヶ月ほどだ。
 


 

2月1日(月) 半蔵と糸杉

 朝やや冷え込んだここ北インド。
 こちらも春の訪れは三寒四温であるようだ。

 今、ganga工房では二名のMakiスタッフが布づくりに励んでいる。
 そのひとりが、半蔵こと服部謙二郎。
 十年ほど前Makiに加入してインドに通い始め、その後、独立して染織家の道を歩んでいる。合間にganga工房に来て、作業に勤しむ。
 明日の夕方帰国の途に就くので、最後の仕上げだ。
 上写真、ジャカード(紋織り機)の織師にヨコ糸の指示をする服部謙二郎。

 そのほか、グラフィックも得意の半蔵は、当スタジオのDMデザインも手懸けている。
  今回も布づくりの傍ら、「竹林・2月のお楽しみ」の案内状を仕上げる。
 そろそろ皆さんのお手許に届くはずだが、まだ届いてない人はこちらまでご一報のこと。(弊スタジオ芳名帳にご無沙汰しているとそのうち届かなくなる)

 さて、今、真木千秋は、とあるプロジェクトのため南仏に滞在中。
 う〜ん、うらやましい限り。(ま、気温はこっちの方が高いんだが)
 下写真は昨日送られてきたもの。
 建築家中村好文氏の使嗾により、山あいの小さな村ヴァンスを訪ねたんだそうだ。
 「たまにはヨーロッパに来るもんだね」とは、ほとんどインド人になっている真木千秋の感想。
 左端に写っているのは糸杉か。
 


 

1月31日(日) 刺子の到来

 月末になって一気に春めいてきた北インド。
 日中の最高気温は20℃を超え、屋外での仕事も心地良い。

 朝、ganga工房に小包が届く。
 インド東部のジャールカンド州からだ。
 開けてみると、刺子の布々。(上写真、染師ディネッシュ)
 こちらの言葉でグドリと言う。

 実はこれ、織師サジャッドの妻カディジャが中心となって刺しているものだ。
 下写真は昨年10月。私たちがサジャッドの家を訪ねた時のもの。ganga工房から東へ1400kmの遠方だ。
 インドの中でもかなり田舎で、女たちは外へ出ることがほとんどない。時間のある時には家の中でチクチクと布を刺しているのだ。言うなれば彼女たちの創造性はこれに凝縮しているというわけ。下写真、左端から織師サジャッド、染師ディネッシュ、カディジャ、真木千秋。
 その作品を見た真木千秋、是非スタジオのために刺して欲しいと依頼する。

 インドでは、何かを依頼すると、だいたいOKと言う。
 だからといって、それが実現するとは限らない。
 放っておくと実現しないことがほとんどだ。
 今回の刺子、放っておいたかどうかは知らないが、遥か遠方から三ヶ月少々でちゃんと届くんだから、さすが名手サジャッドの奥さん。しっかりしている。
 ともあれ、初回作だから、よく検分する必要があろう。(やや色合いがインドっぽいかも)
 良い物があったら、2月11日からの「竹林・2月のお楽しみ」に並ぶかも。
 





 

1月30日(土) 印度・華燭の典

 インドの冬は結婚式シーズン。
 昨夜も、ganga工房の隣家で婚礼が行われる。
 娘が嫁に行ったのだ。
 上写真が隣家。ウチのテラスから広角レンズで撮ったものだ。実際にはもっと近い。インドには騒音という概念がないから、婚礼ともなると容赦なく大音響で音楽をぶっ放す。我が部屋に居ると、戸を閉め切っても、あたかも室内でオーディオのスピーカーを鳴らしているくらいのボリュームだ。

 婚礼のことを華燭の典と言うが、まさに文字通りで、華や燭に満ち満ちている。花火から始まって、二頭立ての馬車、楽隊、太鼓師、バラモン僧など、まっこと賑々(にぎにぎ)しい。
 上写真左隅、畑を二枚つぶしてメインの式場が設けられる。通常は冬小麦が育っている場所だ。カーペットを敷きつめた地面がデコボコしている。今季はおそらく式のために作付けをしなかったのだろう。
 ここKoti地区の人々は、もともとヒマラヤ山中のガンジス河畔、Koti村の村人たちだ。ダムができて村が湖底に沈み、当地に代替地を宛がわれて移住してきた。それで今でも、周囲の土地を耕作したり、牛を飼ったりしている。階級は最上カーストのバラモンだそうだ。
 中写真、中央の紅い衣裳が、隣家の娘である新婦だ。二十代半ば。近くの病院で看護師をしている。新郎はリシケシ出身のエンジニアだという。

 隣家だから、我々もまた招かれている。
 招かれずとも、ちゃんとした恰好をしていれば、まぎれこんでもわからないだろう。それだけオープンで、大勢の人々が詰めかける。二〜三百人はいたんじゃあるまいか。脇には調理場が設けられ、タンドール(炭火窯)も搬入され、あつあつのインド料理がふんだんに提供される。それを目当てに、ほとんど面識の無い私もパーティに繰り出すのであった。(過食の典にならぬよう注意!?)
 下写真は工房スタッフの男衆。みんなMakiのストールを首に巻いて、いちおうお洒落をしている。
 大音響は夜中まで続くのであるが、夕飯も食わせてもらったし、ま、いっか。
 そして今夜もまた遠方から楽の音が聞こえてくる。


 

1月29日(金) 宵闇のナビゲーションライト

 レミングハウスの中村好文氏は、おそらく当スタジオのことをいちばん理解してくれている建築家であろう。
 そういう人がはるばるインドの建築現場を訪ねてくれるというのは、非常に有難いことである。
 こちらは素人であるし、工事進行の過程で、いろいろ不明点も出てくる。
 それについて中村氏から現場で専門的なアドバイスがもらえるというのは、かなりラッキーなことであろう。

 たとえば、今日は、工房建物の裏手の処理について。
 斜面であるから、湿気がどうなるかちょっと心配だ。
 特に雨期。扱うのが天然繊維なので、湿気は適切でないといけない。
 それについて氏から有益なアドバイスを得る。
 なるほど〜

 五日間にわたるレミングハウスの当地滞在も、今日が最終日だ。
 さきほどデラドン空港から飛行機が一機、飛び立った。
 一行十五人はそれに搭乗している。18時30分発デリー行きインド航空610便だ。
 ganga工房は空港から近いので、発着する飛行機が見えるのである。
 宵闇の中、エンジン音を響かせながら離陸する小型機の機体ライトを見送るのは、また感慨深いものがあった。
 道中の無事を祈る。





 

1月26日(火) ヒマラヤ山中の村を尋ねる

 今日はインドの共和国(憲法)記念日。
 インド国民の祝日だ。よって工房も建築現場も休み。
 そこでレミングハウス一行を案内して、ヒマラヤ山中の村々へ赴く。
 ラケッシュ君の両親の生まれ故郷だ。
 そもそも、ganga工房が北インドにあるのも、ひとつにはラケッシュ両親の出身地に近いからだ。

 工房の名である「ガンガー」とは、ガンジス川のインド名であり、またラケッシュ母親の名前でもある。
 そのガンガーは、工房の近くを流れている。
 聖地リシケシより上流、ガンガーはヒマラヤの狭隘な谷を蛇行して流れる。それを今日は遡上する。
 ところどころ、目もくらむような切り立った絶壁の上に道が穿たれている。ただここ数年の間に、道路はかなり良くなっている。近年のインドの経済成長を物語るものであろう。

 三時間近く遡ると、聖地デヴァプラヤグに到着する。バギラティとアラクナンダの二河が合流するところだ。上写真、Y字型の左上がガンガー本流・別名バギラティ河、右上がアラクナンダ河。この二河が合流して大ガンガーとなる。写真を拡大するとわかるが、合流点の先端に沐浴場があって、そこで河水につかると罪障が消滅するという。そこで今日はみんなで略式ながら罪障消滅を図る。

 ラケッシュ両親の村々は、その聖地から車で二十分ほどのところにある。
 父親の村は、車道から更に二十分ほど徒歩で上った南斜面にある。(つまり車では行けない)。標高は九百メートルくらいだ。
 中写真は父親の実家。現在はラケッシュ父親の次兄が当主だ。ガンガー支流の谷に臨む絶景テラスで、インド山村の昼食をふるまわれる。
 水道も来ていないから、飲料水は歩いて十分ほど離れた泉から汲んでくる。下写真は真鍮の容器で水を運ぶ孫娘のシンミ。
 昔ながらの簡素な生き方は、見ていて心安らぐものがある。(本人たちはたいへんなのであろうが)

 ところで、本日付の朝日新聞に、インド共和国記念日の全面広告が掲載されていた。その中でインド大使が挨拶を述べているが、そこに注目すべき下りが — いはく「2016年3月1日から『ビザ・オン・アライバル(到着ビザ)』プログラムをビジネス旅行者を含むすべての日本人旅行者に対して行う」云々。
 ホントだったら、これは画期的だ。いままでどのくらいビジネスビザ取得に苦労してきたことか。特に昨年末は史上最悪で、将来に向け暗澹たる気持ちになったものであった。(少なくともインド経済には相応の貢献をしてきたつもりなんだが)
 もちろん、観光旅行者にも適用されるはずだ。みなさんもこれでインドに来やすくなるかも。


 

1月25日(月) レミングハウス一行・来訪

 昨日よりいっそう冷え込んだ本25日の朝、レミングハウスの一行がganga工房に現れる。
 レミングハウスというのは東京の設計事務所。率いるはMakiの「お抱え建築家」中村好文氏だ。
 その中村氏始め、スタッフ&関係者、総勢15人。五泊の日程で当地来訪である。
 じつはレミングハウス一行とは、一昨日同じ飛行機で渡印した旅の道連れであった。

 まず工房の現実を見てもらおうと、ganga現工房に招待する。
 繭など繊維素材や、織り上げた布々を用意し、皆さんに見てもらう。
 その後、今回の主目的である新工房の建築現場に赴くのであった。

 中村氏には、二十年前の、五日市アトリエおよびMaki青山店の設計をお願いして以来のご縁だ。
 きっと有益なアドバイスをもらえることだろう。


 

1月24日(日) 厳冬の北インドより

 本日早朝、私ぱるば、ラケッシュ、山口浩之の三名、ganga工房到着。
 東京・五日市の家を出て25時間の旅であった。
 こちら北インドには冬将軍が居座り、首都デリーからの道中、濃霧がたちこめ難儀する。
 いみじくも今朝、ganga工房では今冬の最低気温を記録するのであった。(netatmoで計測)

 最低気温といっても5.3℃であるから、氷が張るほどではない。
 乾期の今は通常、晴れて気温が上がるので、日中は過ごしやすい。
 日向なら外でも仕事できる。

 下写真は今朝、工房庭の風景。
 手前で真木千秋&スタッフが織り糸の検討を行い、奥ではマンガル&バギラティの夫婦が地機の筬(おさ)にタテ糸を通している。畑には青々と小麦が育っている。

 真木千秋はコートにウールのマフラー、スタッフも防寒着に身を固めている。
 織師は機を離れることができないので、チト気の毒かも。
 インドの建物は基本的に、長い夏に合わせて作られているから、冬は意外に応えるのだ。日本の暖房が恋しくなったりする。

 今年の大寒は1月21日だそうで、五日市の拙宅では1月20日に-4.6℃の今季最低気温を記録。
 お互い、いちばん寒い時期なのであろう。
 


 

1月21日(木) 紐づくり

 真木千秋は1月6日からインド滞在。
 冷涼な空気のもと、布づくりに励んでいる模様。
 布ばかりでなく、それにまつわる糸偏(いとへん)の面々も手懸けられる。
 たとえば、紐(ひも)。
 以下、真木千秋から昨日届いた便りをご紹介。

  みなさんこんにちは。ganga工房からです。
 ここヒマラヤの麓も朝夕は山からの冷たい空気でとても寒いのですが、工房のまわりは麦が日々青々と育ち、 つばめも飛び回り、昼間は日本の5月のような陽気です。
 gangaでは毎日紡ぎ、染め、経糸づくり、仕上げ…とみな日々忙しく手仕事をしています。
 この数日は機織りの横で紐づくり、これは春に入荷予定の空羽の衣の為のものです。 空羽の布と同じ色のマルダシルク(ニスタリ種)を引き揃えて撚りをかけます。
 だいたい100本の糸を2〜3mの長さに束ねてしっかりと撚っていきます。
 数日かかって、今日は素晴らしい風合いの紐が出来上がるようになりました。
 空羽の衣とともにお楽しみください。


 

1月4日(月) 今年もよろしく!!

 謹賀新年。
 東京五日市のMaki Textile Studioは今日が仕事始め。(インドは元日だけ休み)
 スタジオの戸口には春のような陽が差している。(上写真・長く伸びている影法師は庭先のケヤキ)。
 やや正月らしさを欠くきらいもあるが、いずれ本復することであろう。

 今年は当スタジオにとって、激動の一年になりそう。(毎年そうだが)
 おそらく、インドの新工房が完成、そして引っ越しがあるだろう。
 日本のスタジオスタッフも、またそれぞれ己が道を往く。
 さて、Maki Textile Studioの命運やいかに!?

 真木千秋は明後日から新春のインドだ。
 今日もテキスタイルデザイナー服部謙二郎氏(下写真・右側人物)とともに、新しい織物の打ち合わせ。
 数十枚の布サンプルを前に、素材や織り方、サイズや織師など、いろいろ検討する。
 このサンプルは氏が昨秋から織りためたものだ。糸は手持ちで限られていたが、その方がかえって良い布が織れたりする。
 氏も来週、真木千秋の後を追ってインドへ飛び、現地で布作りに励む予定だ。

 というわけで、今年もよろしく!!
 まずは、今週金曜からのハギレ市でお目にかかりましょう。

 PS
 そういえば昨秋、圏央道がついに東北道に接続! これで東北道沿線の人も来やすくなった。
 今年度中には東関道(すなわち成田空港)まで伸びるらしいから、海外在住のアナタも便利になるはず。(東名や中央高速には既に接続。竹林shopの最寄りは圏央道あきる野インタ)


 

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